世界から見る日本へ、ようこそ。
グローバル社会と言われている今、世界各国との距離が近くなったように感じる一方で、
皆さんは日本が世界にどう見られていると思いますか?
この番組では、世界から見た日本はどう映るのか、他国はどうなのか、といったことを比較しながら、
より良い日本へのヒントを探り、世界から見る日本、といった視点をリスナーの方々と共有していきます。
番組のお相手は、海外在住歴30年以上、現在オランダに住み、日本とオランダを結ぶコンサルタント業を営んでいる私、ゆきです。
今回のテーマは、西洋と東洋を比較するときによく言われる個人主義と集団主義。
具体的には、どこに西洋の個人主義、そして東洋の集団主義が見られるか、感じられるか、といったことをお話ししていきたいと思います。
一般的に異文化コミュニケーション研修などを受けると、
西洋は個人主義で、東洋、日本は集団主義だと言われることが多いと思います。
皆さんも、日本はどちらかというと集団主義で、欧米諸国は個人主義というイメージがあると思います。
では、個人主義とは一体何を指しているのか。
異文化学的に言うとですね、個人主義は個人の自由、自己表現、自己実現が重視され、コミュニケーションでは意見の対立などを避けず、
ノーはノーという率直で透明性のある表現が奨励されます。
周りからの期待に応えるというよりも、自分の好みや利益を優先し、自分の意思を重視する文化です。
一方、集団主義というのは、家族、職場、地域社会などのグループ関係性を重視し、
そのグループとの調和を保つことを個人の利益よりも優先し、コミュニケーションでは対立を防げ、話し相手に配慮した表現が求められる文化です。
一国民全体を個人主義だ、集団主義だと決定するのは乱暴なのですが、どちらかというと、ある文化はより集団主義色が強い、個人主義色が強いといった表現になるかと思います。
それでは、ヨーロッパは個人主義一色なのかというと、案外そうでもないのです。
異文化研究で有名なオランダ人のギアート・ホフセイドが1980年代に体系化した文化次元理論では、
集団主義的傾向が強い国としてポルトガル、ギリシャなどを挙げております。
これらの国は、家族や親しい友人との関係を重要視する傾向にあり、社会的つながりが強調され、日本よりも集団主義的傾向が強いとされています。
したがって、この集団主義、個人主義とは知性学的なものではないということがわかります。
その一方で、私が住んでいるオランダは、彼の研究でも非常に個人主義的な国として挙げられており、
1から100を指数として、100が最も個人主義だとすると、オランダは80、イギリス89、アメリカ91といった感じです。
一方の日本は46で、先に挙げたポルトガルは27、ギリシャは35といった指数となっています。なかなか面白いですよね。
そして、今日お伝えしたかったことは、それでは日常生活の中でどんなところで集団主義、個人主義を感じるの?ということについてお話ししたいと思います。
これはいろいろ例を挙げるとキリがないのですが、まず私が面白いなと感じたのは、オランダの現地校。
これは英語で教育するインターナショナルスクールなどではない、オランダに住んでいる子どもたちが通うオランダ語の学校を指しているのですが、
まず日本でいうところの入学式がないという点ですね。
オランダの小学校は日本のような入学式はありません。
親が清掃して子どもたちとともに体育館に集まり、新1年生の入場、校長先生からの敷地、来賓からの祝辞やら国家功課聖書などはなく、在校生による歓迎の言葉などもありません。
なぜなら、オランダは幼稚園・年中・年長さんと小学校が一体となっている8年生になっており、初めて学校に行く日は4歳になった翌日からなのです。
したがって、入園式も入学式もなく、4歳になるとその翌日、あるいは場合によってはその3日後でもいいのですが、4歳になると学校に通い始めるということになります。
それは、マリアちゃんは9月に4歳になったから9月から学校に通い始め、しんくんは12月に4歳になったから12月から通い始める、といった感じです。
だいたい4歳になる数週間前から学校に慣れるため、何日か午前中だけ学校に通うお試し期間などを得て入学します。
4歳で初めて学校に行く日は、親が子供を学校に連れて行って、子供とクラスに入り、担任の先生に預け、さようならをするというところまでが初登校日といった感じです。
中には担任の先生の腕の中で大泣きをしている4歳の我が子を見ながら後ろ髪を惹かれつつ仕事へ向かうという親御さんもいらっしゃいます。
結構あっさりした個人主義的な初登校日ですね。
日本のように校門の前に入学式と書かれた看板の前で写真を撮るとか、体感に他の新1年生と共に入場する我が子を見て感慨深い気持ちになるといったことがなく、
人生の節目を集団で祝うということに関しては、日本人の私としてはそちらに慣れているがゆえ、このあっさり個人主義に物足りなさを感じることもあります。
そして面白いのが、お隣のドイツです。
皆さん、ドイツの小学校は入学式があると思いますか?
はい、ドイツには小学校の入学式があります。
さてそうすると、先ほどお話ししたギアートホフステイドの個人主義指標では、ドイツはいくつなのでしょう。
ドイツは67です。オランダが80、日本が46なのでその間くらいでしょうか。
個人主義の中でも80のオランダや89のイギリスより若干集団主義寄りなドイツは、小学校の1年生の初登校日をアインシュローグと呼び特別な入学式が行われます。
この日は通常、学校の始業日よりも前の土曜日に設定され、家族や親戚が集まって祝います。
日本の入学式のように校長先生からの歓迎の挨拶や、他の学年の子供により歌や詩の披露などもあります。
特徴的なのが、シュルツーテと呼ばれる大きな紙製のとんがりコーン型の袋の中にお菓子や文房具が入っており、
これが学校生活の始まりを祝う意味があり、親から子供たちにプレゼントされるのです。
式典後、子供たちは新しい教室で簡単な授業を受けたり、学校内を見学したりします。
オランダに話を戻しますと、他に個人主義と集団主義が色濃く現れている学校行事といえば、運動会だと思います。
日本の運動会は、皆さんもご存知のように赤組・白組に分かれて、中央の運動場に各学年の出し物があり、
都競争から玉入れやら大玉おぐり、むかで競争など様々な競技があります。
しかしそれは、運動場に競技が一つずつ行われ、その競技に参加していない学年の子供たちは応援していたり、
次の種目に出るために待機しています。
保護者たちは監修として参加し、就職時にはお弁当を一緒に食べたりと、一年の中でも大きなイベントです。
集団で参加し、応援する運動会ですね。
一方、オランダの運動会はスポーツデーと呼ばれ、学校の運動場ではなく、市内にあるサッカー場などで行われ、
保護者たちが監修として参加することはなく、開会式に始まり閉会式で終わるプログラムもありません。
広いサッカー場の各エリアで、同時多発的に各種の競技が行われ、生徒たちはグループごとにそれらの種目を回っていくため、
常に動いており、誰かを応援するとか、他の人の活躍に会場全体が盛り上がる、などといったことはありません。
ちょっと日本人の私にとっては寂しい気持ちがする運動会かもしれません。
そんな個人主義のオランダですが、素敵だなぁと思う場面もあります。
私は仕事で、日本からの福祉関係者によるオランダの認知症高齢者、あるいは知的障害者施設などの視察コーディネートを長年しております。
そこで感じるのは、オランダの方が認知症高齢者、知的障害者ともに、個人一人ひとりに向き合うケアを大切にしていこうという動きが非常に強くあることです。
日本の福祉関係者の方からのお話ですと、どうしても認知症高齢者施設に入居している方々の日中のアクティビティというと、
はいみなさん、今日はビンゴをしましょう。あるいは、今日は〇〇演奏部が訪問してくださっているので音楽を聴きましょう。とか、全体である活動に取り組むといったことが多いと思います。
オランダでは認知症高齢者の方でも、ジュリアさんは今日はビンゴをしたいみたいだけど、ラリーさんは音楽を聴きたいらしい。
フランクさんは散歩に行きたいみたいだけど、ジョンさんは絵を描きたいらしい。もちろん毎日の活動の中でこれらのすべての活動を叶えることはなかなかできません。
しかし、絵を描くのが好きなジョンさんのために火曜日に絵を教えてくれる人が来たり、散歩が好きなフランクさんには月曜日に近くの大学生がジョンさんについて散歩に行ってくれるとか、
ボランティアの方に支えられている部分もありますが、介護スタッフの人が個人の希望を尊重しよう、それを叶えるにはどうしたらよいかという意識があると思います。
私が知っているオランダの知的障害者施設の入居者の方々は、日中スーパーで働く人もいれば、近くの花屋さんで働いたり、子供牧場で動物たちに餌をあげ、ちょっとした掃除をしている方など、その人にあった日々の過ごし方があります。
一つの障害者施設から入居者の方が全員バスに乗り、一つの就労支援センターで皆さんで働き、同じような作業をしてまた施設に帰ってくる、といったパターンはあまりありません。
もちろん日本では、その就労支援センターで個々の障害、技量にあった仕事が与えられていると思います。
また、みんなで一緒に作業することに安心する障害者の方もいらっしゃると思いますし、予算や人手といった色々な課題があるので一眼に比較はできません。
また、せっかくピアノ演奏者スーザンさんが来てくださるから、ラリーさんだけでなく音楽ならきっとみんな楽しめるだろうから、ジョンさんもピーターさんもできるだけたくさんの方でピアノ演奏者のスーザンさんをお迎えしましょう、といったことが日本ではありそうな予感がするのですが、こういうような考え方にならないのもオランダです。
ピアノ演奏者のスーザンは音楽好きなラリーさんのためだけにピアノを演奏しに来るし、ラリーさんと会うたびに彼の好きな音楽などを知り、彼との時間を楽しみにするといった感じで、せっかくだからみんなで楽しみましょう、という声が上がらず、スーザンさんもフラッとラリーさんのために現れ、ピアノを演奏し去っていく。こんな感じです。
周りからの期待に応えるというよりも、個人の自由、自分の好みや利益を優先する個人主義文化が根底にあることが感じられます。
ホランダ、日本、両方の事情を知っているだけに、そして比較対象があるだけに、悩みもあるっていうのは本当だなぁと。
色々な文化、価値、考え方ができるというのは豊かである一方、何が自分たちにとって良いのかは人それぞれですし、
人生の色々な場面でその時にあった考え方、価値を取り入れていくしかないのだなぁと実感しました。
今回は学校生活の中に見える集団主義、個人主義を主に取り上げましたが、
つくづく私は日本での集団主義色が強い学校生活を送れて良かったなぁと感じています。
中高、大学と日本だった私は、運動会、文化祭、体育祭、合唱コンクール、部活にサークルなど、
集団である目的に向かって努力する経験が何度もあったことは、今では良い思い出となっています。
オランダでは部活もなく、皆それぞれの地域のクラブに所属し、授業なども中高生になれば、
よく見るアメリカドラマのように教科によって授業を受ける教室が変わり、
自分の所有物はロッカーで保管という感じで、クラス意識が薄いように思います。
もちろん授業の中ではグループワークなどのプロジェクト単位での取り組みはありますが、
日本のような文化祭も体育祭もありませんし、それに伴うクラスでの打ち上げといったこともありません。
それに周りのオランダ人を見ていても、卒業後日本のように同窓会をするといった動きも圧倒的に少ないように思います。
オランダに住みながら、今も日本の友達とつながっていられるのは、
あの当時一緒に何かに向かって進んできた仲間意識とその思い出が強く残っているからだと思うし、
それが自分の青春時代を豊かにしてくれていたのだと改めて気づきました。
日本人は、こうした環境から集団で何かに取り組む際のノウハウが小さい頃から蓄積されていて、
チーム力が強く、集団での情報共有、グループの誰もが分かるような段取り、準備力、
また問題があったら情報を共有しながらチームで解決していく力がとても強いと思います。
今回は職場での集団主義、個人主義については取り上げることがありませんでしたが、
これはまた別の回で詳しく取り上げることができればと思います。
世界から見る日本の今回のエピソードはいかがだったでしょうか。
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お相手はオランダに住み、日本とオランダを結ぶコンサルタント業を営んでいるユキでした。
それではまた次回、木曜日にお待ちしております。