1. 世界から見る日本
  2. #13 娘よ、日本語を話してくれ..
2025-11-27 36:47

#13 娘よ、日本語を話してくれてありがとう❤ (後編)

国際結婚、オランダでの子育て経験を経て、海外に出てこそ実感する日本人としての誇り、日本愛を語るエピソードです。

(『#12 娘よ、日本語を話してくれてありがとう~前編~』

に続く、後編です)


海外で我が子に日本語を教える、日本文化を伝える、

その一見簡単なようで、とてつもなく難しいこの責任を、

娘たちのアイデンティティと親としての葛藤の狭間で揺らぐ

海外在住日本人親の多くが直面する課題への応援歌

日本にルーツを持つ者として

日本語と文化を守り伝えようと奮闘する海外在住の親たちが

いることを、日本の方にも伝えたいという願い

込められています。


・日本語補習校が提供する運動会や唱歌合唱などのといった貴重な日本文化体験の意義・次女が海外子女向けの文芸コンクールで佳作受賞したことを機に、海外で日本語を学ぶ子供たちの計り知れない努力と、親の心理的な葛藤


・特に、日本語学習で最も重視される音読練習について、親子でのリアルなやり取りを例示することで、漢字の特殊な読み方や発音の難しさを詳細に説明

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・『世界から見る日本』は、世界から見た日本はどう映るのか、他国はどうなのかといったことを比較しながら、より良い日本へのヒントを探り、世界から見る日本といった視点をリスナーの方々と共有する番組です。


・ナビゲーター: ゆき 海外在住歴30年以上、現在オランダ在住


『世界から見る日本』という視点が気になる方、是非こちらを聞いて戴けたら嬉しいです。



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サマリー

このエピソードでは、オランダに住む親が子供に日本語を教える困難や、日本語補習校の重要性について話しています。また、日本独自の文化体験である運動会を通じて、教育の意義を再確認しています。娘がアムステルダムの日本語補習校で詩の部門に入選したことを通じて、海外で日本語を学ぶ難しさや誇りについて述べています。また、日本語補習校の授業での音読練習を通じて、娘との教育に対する思いを深めています。このエピソードでは、オランダに住む日本人母親が、子供たちに日本語を教える苦労や葛藤、そして感謝の気持ちを語っています。

日本語教育の課題
世界から見る日本へようこそ。 グローバル社会と言われている今、世界各国との距離が近くなったように感じる一方で、皆さんは日本の世界にどう見られていると思いますか?
この番組では、世界から見た日本はどう映るのか、他国はどうなのかといったことを比較しながら、
より良い日本へのヒントを探り、世界から見る日本といった視点をリスナーの方々と共有していきます。
番組のお相手は、海外在住歴30年以上、現在オランダに住むゆきです。今回のテーマは、前回に引き続き海外に住みながらにして、
子供の日本語教育に取り組む多くの親御さんたちへの応援か、また海外に住みながら自分の子供に日本語を教えることがいかに大変か、
そして海外で日本語教育を取り巻く環境はどのようなものがあるのか、という点を日本にいる皆さんにも知っていただきたいと思い、題して
娘よ、日本語を話してくれてありがとう、後編ということでお話ししていきたいと思います。
もしまだ前編を聞いていない方がいらっしゃいましたら、まずこちらの方を聞いてみてください。
前回は主にオランダに住みながら、なぜ私が子供たちに日本語を学んでほしいと思った理由や、
子供たちが週1回土曜日に通っている日本語補習授業校についてお話ししました。
長女は17歳にて、現在日本でいう高校3年生です。 彼女はアムステルダム日本語補習校に通ったのは小学校の6年間のみで、
彼女は中学部には進学しませんでした。 世界にある日本語補習授業校のほとんどが小学部と中学部で成り立っています。
高校はないの?と思うかもしれませんが、世界を見てもですね、日本語補習校で高校部があるのは珍しく、現在では20校ほどです。
一部フランスのリヨン校だとか、アメリカのダラス補習校、ドイツのドレスネン補習校では高校部があるようなんですけれども、このように高校部まである日本語補習校というのは3割強となっており、世界の多くの日本語補習校は小学部、中学部のみとなっています。
長女はですね、日本語補習校の小学部を無事卒業できました。 しかし、中学部に進学しなかったのは、日本や日本語が嫌いだったわけではありません。
ホランダの小学校も卒業し、ホランダの中学校に入ると学習量が大きく増えること、また青春を謳歌する年齢となり、週末の土曜日もお友達と過ごす時間も大切にしてほしいなぁ。
なぜなら、今までプリクラスを入れると、6年半も土曜日の週末を思う存分楽しむことができなかったことなどが背景にあります。
長女は小学校卒業後1年、ホランダの中学校になれることに専念しましたけど、その後再び日本語学習を再開しました。
週1回火曜日の夜に日本語のレッスンを1時間受けることを、高校3年の今でもしています。
これは、ホランダのアムステルダム近郊にある塾で、彼女は個人レッスンを受けていてですね、日本語を学ぶ、つまり漢字や漢用句などを習う一方で、
毎週あるニュースを取り上げ、日本語で作文を書くということが宿題の中心となっています。
日本語を学ぶと同時に、今度は日本語を使ってニュースなどの様々な情報収集をするとともに、ニュースなどに関する自分の意見などを表現できるように、
主に日本語を使うということに重きを置いた学びの場となっています。
ホランダはこのように、日本語補習校の他に色々な形の塾や日本語教室があります。
これは、やっぱり1万人以上の日本人がホランダに住んでいるからこそ得られる利点だと思います。
長女は小学校時代には、自ら日本の漫画とかアニメなどに関心を示すことはあまりなかったんですね。
ひたすら日本語補習校の膨大な量の宿題をこなしていくということが、日本語学習の中心でした。
でも、中学校に上がって、この日本語個人レッスンになってから、自分で日本のアニメ、それこそ小さい頃から見ていた。
ジブリから進撃の巨人、ハンター×ハンター、鬼滅の刃から、漫画で言えばスパイファミリーまで自分で探し、読んで幅広く日本語と付き合えるようになりました。
これが私としては一番嬉しいことです。
私や周りがどうこう日本語や文化を押し付けるのではなく、自分で日本語と接する機会を作るまでいけば、もう親としては万々歳です。
これは中学時代から通い続けた塾の先生が素晴らしい方だったので、本当に感謝しています。
私は長女とも今でも日本語で話していますし、日本からお友達がオランダに遊びに来て、うちで食事する時も、私の日本からの友達が長女や次女と日本語で会話できるし、
また、我々が日本に一時帰国した際には、私のお友達、そして彼女の娘さんと私たちの友達でカラオケに行っても全く問題ありません。
私が当初、長女を妊娠してた時に感じた不安を何十倍をも上回るべきで、頑張ってきてくれた長女に感謝しかありません。
でも振り返れば、ここまでは長い道のりでした。
国際結婚をして海外で日本語を子供たちに教えるということを考えた場合、やっぱり前編でもお話しした土曜日に通う日本語補習校の存在が大きかったです。
私は娘たちに日本の言葉を通して日本の文化を知ってもらい、その中で生きていた私も理解してもらいたいという気持ちがすごくありました。
皆さん、日本の文化って言われると何を思い浮かべますか?
イメージとしては道っていう感じの道がつく、武道、茶道といったこともあれば、先ほど言ったアニメ、漫画とかもあるし、もっと些細なことで言えば、例えば夏休みのラジオ体操から花火大会、縁日なんかも日本特有の文化だと思います。
文化ってやっぱり一人では教え伝えることができないものなのです。
だからこそ海外でも日本語補習校という団体に所属することによって得られる日本文化体験っていうのが、私が娘たちを日本語補習校に通わせる大きな要因でした。
例えば皆さんにとっては当たり前の運動会、これ一つとってもオランダとは全く違います。
これは以前世界から見る日本の第一エピソードでもお話ししたのですが、日本のように保護者が子どもたちの演目を見に運動会に来るっていうのはオランダではありません。
まして学校生徒が赤組と白組に分かれ、学年ごとに球入れ、大玉転がしなどという演目もなければ、学年をまたいだリレーなんていう種目もありません。
運動場の中央で一つの種目が繰り広げられ、他の生徒はそれを見て応援し待機するなんてのもありません。
お昼にはお父さんやお母さんが作ったお弁当を家族で囲んで食べるといったこともありません。
この運動会っていう行事は本当に日本特有の文化だなーって思います。
オランダの場合はスポーツデーとかと呼ばれて、学校がある町にあるサッカー場などを借りて、それぞれ同時多発的に色々な種目がサッカー場の各地で行われていて、
みんなで自分の演目が来るまで待機して他の子どもたちを応援しようとかそういったこともないし、保護者が見ることもありません。
集団である種目に取り組むのが多い日本の運動会に比べて、オランダは一人一人の個人を競うスポーツデーです。
幸いにも私たちが通っていたアムステルダム補習校では、オランダにある他の日本語補習校とアムステルダムにある全日光との合同運動会っていうのがですね、年に一回あるんですね。
娘たちはこれを体験することにより、運動会の開会式、在オランダ日本大使によるお言葉、選手宣誓といった行事が始まる前の日本特有のセレモニー的な段取りから、赤組、白組に分かれて鉢巻きを頭に巻いて、
玉入れだとか綱引きだとか、日本の誰もが一度は経験したこともある王道運動会競技も分かっていますし、経験することができました。
これはやっぱり決して私一人では娘たちには提供できなかった日本文化の一つです。
音楽教育の違い
オランダと日本のどちらのアプローチが良いとか悪いとかではないんですけれども、私は日本人として子供たちにこの日本の運動会のワクワク感も味わってほしかったし、私が運動会といえば、ああ、そっか、ママが言う日本の運動会っていうのはこういうものなんだなっていうのを知ってほしかったのです。
他にも日本語補習校に通っていてよかったなーって思うのは、毎週土曜日の朝礼で行われる歌の練習です。
日本語補習校は週1回土曜日の学校なので、音楽などに時間を取ることはできないんですけれども、朝礼ではその季節に合った曲を補習校の生徒たちで合唱します。
夏がくれば思い出す。
といえば、日本の誰もが知っている夏の思い出など、日本の素晴らしい消化を教えてくれることです。
今の子供たちは、秋の季節にぴったりな赤とんぼを練習しています。
皆さんにとっては、そういえば昔学校で習ったよなーくらいの当たり前のことですが、
私も皆さんと同じで、日本にいた時はその歌の素晴らしさを特に意識したこともなかったのですが、
このオランダという地で子供たちが朝礼にこのような歌を合唱しているのを聞くと、もう涙が出てきてしまうくらい、
なんて素晴らしい歌なんだと毎回感動しています。
本当にその歌を聞いているだけで、メロディーもそうなんですけれども、
日本の情景が浮かんできて、もうこの音に日本が詰まっているって感じるんですね。
やっぱりこれも日本の外に出て初めて感じる日本愛だと思います。
日本は歌を歌うということが日常にある国ですね。
カラオケもそうですけれども、小学校の頃から清唱をすることが自然ですし、
中学・高校では全校生徒が参加する合唱コンクールなる行事に参加された方も少なくないと思います。
これが成り立つのは、日本の音楽教育のレベルの高さがあるからだと私は思っています。
日本にいる皆さんは、小学校でも中学校でも高校でも音楽室っていうものがあり、
そこではピアノが置いてあり、壁にはバッハ、モーツァルト、ショパン、ベートーベンなどの肖像画が飾ってあるっていうのは、
あるあるの音楽室の光景だと思います。
これはオランダには普通にあることではないんですね。
学校によって異なることも当然あると思うのですが、私の娘たちが通う小学校には音楽室でたるものはなく、
教科として音楽というものが毎週一定授業数、同じ音楽の先生によって提供されるということもありませんでした。
また、私は昔カナダの現地の小学校に通ったこともありますが、
ここでも音楽室はなく、日本でいう音楽という教科もありませんでした。
じゃあ、オランダや当時のカナダでどのように音楽が教えられていたのかというと、
一学期中にですね、3、4回くらいかな、外部の音楽講師の方がふらーっと教室にやってきて、
みんなである歌を歌うとか、簡単な楽器、
タンバリンとかマラカスとか鈴などを持ってきて、お互い歌を歌いながらリズムをとるとか、ゲームをするといった簡素なものです。
オランダやカナダの学校で歌を歌うときっていうのは、主にクリスマス時のクリスマスキャロルみたいなもので、
オランダの教育環境
日本のように夏の思い出や赤トンボなどのその国の特有の古くから歌われている歌を歌うとか、あるいは学校の歌、校歌を聖書するということもなかったです。
ましてや、私これ本当に素晴らしいと思うんですけど、
日本の小学校のように各生徒にメロディカやリコーダーなどの楽器提供なんて全くないですし、音符の読み方を習うなど一般教育として提供されていません。
それにもう一つ日本がすごいなと思う点は、学年に8クラスあったような高校時代を過ごした私なんですけれども、
合唱コンクールでは各クラスにちゃんと難しい合唱曲のピアノが弾ける生徒が2,3人は必ずいたっていうことですね。
これすごくないですか。
私の周りのオランダの環境では、なかなかクラスに2,3名必ず合唱曲レベルが弾ける人なんていないなって思います。
もちろんオランダでも学校外のレッスンでピアノとかバイオリンなどの楽器を習っている人もいるし、
イギリスの私立の学校なんかではいろいろな楽器に触れる授業もあるって聞いたことがありますね。
他の国はどうなんでしょう。
もしこれを聞いている方で知っている方がいらしたらぜひ教えてください。
ちょっと話がだいぶそれてしまいましたが、現在娘たちが通っているオランダの学校で、
そこまで音楽が教育の中心とされていない環境の中、
海外詩女文芸作品コンクールの意義
日本語補習校で日本の小歌を合唱する機会があるのは、日本人の親としてとてもうれしいことです。
今回なぜ娘を日本語を話してくれてありがとうの回を収録しようと思ったきっかけは、実は次女にあります。
うちの11歳の次女が海外詩女文芸作品コンクールというものに、
アムステルダルム日本語補習校経由でエントリーしたところ、
詩の部門で入選し、家作賞を受賞したのです。
これは公益海外詩女教育振興財団が主催している、海外に住んでいる日本語を学んでいる子どもたちを対象とした文芸作品コンクールで、
作文部門、単歌俳句部門、詩部門などの4つの部門から成り立っています。
この海外詩女文芸作品コンクールのウェブサイトにはこんな文言が書かれています。
日本を離れて生活している小学生、中学生は日々どんなことを考え、何に心を動かされ、そして何に悩んでいるんだろう。
そのリアルな感覚を表現することはきっと自分自身をより強くする。
その確かな声は周りの人の心さえ動かす大きな力がある。
海外詩女文芸作品コンクールは今年で46回目を迎えました。
正しく豊かな日本語で自ら表現する力を身につけてほしいというのが狙いです。
毎年世界各地に暮らす児童、生徒の皆さんからおよそ3万点もの作品が届いています。
海外で今この瞬間を一生懸命生きている、そんなあなただからこそ生み出せる作品を募ります。
この海外にいる日本人の感覚として時にあるのが、私たちは日本から忘れ去られている、取り残されているという感情です。
私みたいな純日本人でさえそう思うので、ましてハーフである子供たちも自分のアイデンティティに悩むこともあると思います。
なんだかオランダにもしっくりこない、日本にもしっくりこないということが今後も出てくると思われます。
そんな時にこういう海外で今この瞬間を一生懸命生きている、そんなあなただからこそ生み出せる作品を募ります、という言葉がすごい今読んでて身に染みました。
2025年度は31937点ほどの応募があったようで入選したのが503点です。
これは次女は自ら進んで海外史上文芸作品コンクールに参加したわけではなく、
アムステルダム日本語保習校の宿題として、作文、詩、短歌、俳句、どれでもいいから作ったものを海外史上文芸作品コンクールに応募しましょう、のことで。
次女としては宿題の一つに過ぎなかったのですが、こうして入選し佳作なると日本よりわざわざ賞状と記念品が送られてくるようで、
ちょっとこの収録時点ではまだ受け取ってないんですけれども、これらは朝礼で日本語保習校の校長先生から手渡される予定で、本人とても誇りに思って、
鼻高々、今の言葉で言うとどや顔ってな感じです。
オランダと日本という二つの文化の中で、母親が日本語を話してほしいっていうエゴだけでこんなにも頑張ってくる子どもたちに、
ママは誇りに思っているよ、頑張ってくれてありがとうという気持ちを音声にして残したいと思ったのがきっかけです。
日本語を学ぶのがどんなに難しいかということが、なかなか日本にいる皆さんには伝わりにくいと思うんですね。
これは海外で日本語を頑張って教えている私は母親として大変ですごいんですとかそういう話ではなくて、海外で日本語を頑張って学んでいる子どもたちがいる。
日本語を学んでほしいと思っている日本人保護者が海外にもある一定数いて、
それってやっぱり日本人としての誇り、日本への愛だと思うんです。
そこまで努力してでも海外で日本語、日本語文化を伝えたいと思う人が多くいることを日本の皆さんにも知ってもらいたいなって思います。
音読練習の難しさ
先ほどから話しているように日本語補習校というのは週1回土曜日だけの学校なので、日本語を学校で学び習得する時間というのは当然土曜日しかないので限られていて、そのほとんどが宿題という名の家庭学習がメインになってきます。
国語だけでもプリント2,3枚に加えて国語のワークブック、毎日の音読、漢字練習など日本語をほとんど見ない聞かない環境の中での取り組む勉強量としては簡単なものではありません。
そこで何が難しいかを皆さんに理解していただくため、昨日授業と行った音読練習に彼女が難しいと思って、つまずいたところなどを例に挙げて話せばなんとなくわかってもらえるかなと思ってそれらをメモしてきたので、このリアルな様子をお話ししたいと思います。
まあ音読ですね。音読っていうのは自分で読んで話すということで日本語補習校の中でも一番重視される宿題なのですが、親としてはこれが一番大変な宿題でもあるんです。
1、2年生くらいの国語の教科書の音読ならまだしも、5年生ともなると結構音読も海外に住み日本語を学習するうちのようなハーフの子にとっては内容もかなり難しいです。
物語系ならばなんとなく共感したり感情移入ができるのですが、説明文系の段階になると結構大変です。
次条は三村図書さんが発行されている小学5年生の国語の教科書を使っているんですが、昨日音読したのが固有種が教えてくれることという題名で書かれている苦手な説明文ものでした。
ちょっとこの説明文がどういう内容なのか、皆さんに理解してもらうために、触りだけをちょっと音読したいと思います。
固有種が教えてくれること。
ウサギといえば耳が長くてぴょんぴょんはねる、鳴かない動物、そう考える人が多いのではないでしょうか。
しかし甘みの黒ウサギという種は違います。耳は約5センチメートルと短く、ジャンプ力は弱く、その上ピシーという高い声で鳴くのです。
このウサギは日本だけに生息しています。
このような特定の国や地域にしかいない動植物のことを固有種と言います。
これが固有種が教えてくれることという今週の音読課題なんですけれども、これは150ページから157ページまであって、資料とか図形がありながらも7ページにわたる説明文です。
この時点で親としては、ああ、7ページもあるって感じです。
昨日は150ページから153ページまでの第一弾録まで音読しました。これだけでも1時間かかりました。
うちの場合、次女はわからない言葉を事前に辞書で引いて、読み方、意味などを確認し、その後、私が料理している間に彼女が音読するという形をとっています。
もちろんこのようなことが小学校1年生から初めからできていたわけではありません。小学校5年生になり、ここまで彼女がやってくれること自体、結構真剣に取り組んでいる方だなと思い、頑張っているとわれながらすごく思います。
私は料理をしていて、次女が教科書を持ちながら音読しているので、私は次女の音読を聞きながら、「え?ん?」と思ったところを、「え、なになにそれ、もう一回言って。」とか言いながら、これを繰り返して、その都度台所から次女の方へ歩いていって、彼女が読んだ部分を確認して、意味はわかるか、正しい読み方をしているかというのを確認していきます。
そこで、昨日、次女の音読を練習していた際に、彼女が難しく感じたところをメモしたので、ちょっとそれを共有したいと思います。
先ほど、次の一文があったと思います。しかし、網の黒うさぎという種は違います。耳は約5センチメートルと短く、ジャンプ力は弱く。
で、彼女はここを、「耳は約5センチメートルと短く、ジャンプ化は弱く。その上、ピシーという高い声で泣くのです。」って読んだんですね。皆さんわかりました?彼女はジャンプ力をジャンプ化って読んだんです。
で、このジャンプ化って聞いたときに、「え?なに?え?なにそれ?ジャンプ化ってなに?」って私が気づかなくてはいけなくて、ちょっと彼女のところに言って、「あー、違うよ。これ力っていう漢字だよ。カタカナのカじゃないよ。だからジャンプ力っていうことだよ。」って。
力っていう読み方と、理解力、理解する力とか、そういう何かをできる力を表すときに、その動作とか行動の下に力ってついてくると、力っていう音読みになって、ジャンプ力ってなるんだよとか、こういうふうにご説明をするわけですね。
で、またこうちょっと進んでいくと、次のような文章があります。
固有詩には古い時代から生き続けている種が多くいます。
あまみの黒うさぎもおよそ三百万年以上前からほぼそのままの姿で生きてきたとされる。
三百万年以上。
彼女はこう読むんですね。
えっ、何かまた違う。また物って、三百万年じゃなくて三百万年ですね。
でもこの間違いは、私としては三百万年でも、よく読めたって感じなんですね。
そしてこう、百の上に三とかつくと、百って読むようになるのよとか。
そうすると彼女の方から、え?とかって。
でも二だと二百万年なので、いや違うねみたいな。
二だと二百万年、三だと三百万年、四は四百万年、五百万年、六だと六百万年になってとか。
でもなんでそうなのかなんて、私も日本語教師じゃないので説明できないし、
ああもう意外と日本語って細かいなとか思いながら、はい気を取り直して、次って感じでいくんですね。
で、また次。次の文がですね。
このウサギと比べることで、耳が長い、ぴょんぴょん跳ねる、鳴かないという普通のウサギの特徴が、長い進化の過程で手に入れられたものだということがわかります。
え?進化?長い進化の過程?違う違う違う、それは長い進化の過程だよ。
今度は発音ですね。進化じゃなくて進化を遂げるんだよ。
日本語教育の苦悩
言葉のどこに強弱がつくかなんて、日頃日本語を聞いてないとわからないですし、
もちろん私は子供たちに日本語で話してますが、それはもう忘れもないとか、お腹すいたとか、ご飯食べる養殖台やったとか、
そういう日常会話の中に進化なんていう言葉は出てこないので、やっぱり日常としてはこんなの聞いたことのない言葉なんですね。
どんどん読んでいくと、日本列島を日本列島と呼んだり、確かに列島のれ?確かに列だよなとか、同じ漢字だよなとか思いながら、
でもこれは日本列島なのよとか、こんなのやってたらあっという間に時間が経つんです。
またちょっと読んでいくと、一方のイギリスは、とか教科書で書いてあっても、彼女は一万のイギリスはとか読んで、一瞬、え?一万のイギリス?文章としてはなんかありそうだけどなんかちょっと違うみたいな、
どういうことどういうことって、見てみると教科書には一方のイギリスって書いてあるんですね。一方の方、方角の方ですね。確かにあの漢字は万っていう漢字に似てますよね。万っていう漢字にちょんってつけたら方角の方のあの漢字になりますよね。
もう1ページ半だけでこんな様子です。これを毎日、永遠と続けていく中で、時にはガミガミ言いながら日本語に取り組む必要があるのだろうかとか、きっとこの子たちが産むだろう子供たちは日本語は話さないんじゃないかとか、オランダにずっといればそんなに日本語は必要ないだろうしなーとか、
次女も毎日こんなにああだこうだ言われながら、なかなか見ない聞かない言葉を覚えていかなければならないっていう作業もつらいなーとか、こういう色々な葛藤を抱え悩み。
この日本語教育っていう点では、オランダ人の夫とは分かち合えない心理なので、少し心細い思いをしながら子供たちへの日本語教育に取り組んでいる私のような海外に住んでいる日本人はたくさんいると思います。
そんな方々にあなただけではないです。私もそうですっていうことと、日本にいる皆さんにもこういう日本人が海外にいるんだっていうことを知ってほしいなーって思い、このエピソードを作りました。
最後に日本語を頑張ってくれている娘たちに本当に心の底からありがとうと伝えたいです。私のエゴだけでここまで頑張ってくれてありがとう。2人の存在が私の心の支えでもあるということをここに記録したいと思います。
本エピソードの締めくくりに、次女の入船した詩を彼女に朗読してもらいたいと思います。
私は濡れました。でも私はなんだか幸せでした。目を閉じて聞きました。車の音、人の話し声、私の好きなビート。お母さん、これ何の音?これは雨の音だよ。オランダはいっぱい雨が降るから。美しい音だね。私は雨の音が大好きです。
はい、今回も世界から見る日本に立ち寄ってくださりありがとうございました。お相手は海外在住歴30年以上、現在オランダに住んでいるユキでした。また次回木曜日にお待ちしております。
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