38歳になったので感想を語りました。
ざっくり内容が想像できるゆる文字起こしの結果はこちら。
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ベビー日
はいすべき始まりました今日もよろしくお願いします
先日誕生日を迎えまして
三十八歳だったんですけど
まあ自分ではねぇ誕生日遊べば誕生日だったはいう感じでね
全然覚えてないぐらいだったんですけど
一応家庭家庭では
もしかして今日は誕生日なのではないかという気付きが気づきか起こりして
はの晩ご飯食べに行った訳ですよ
まあそれもね別にすごく特別なところじゃなくて普段からたまに行く中華料理の店だったんですけど
ちょっとそこで
朝ね
そうだった自覚してなかったとはいえ三十日らしい話をする訳ですけど
三十八歳になって自分はどうですかみたいな話ですよね
でなぁねーあの四柱祭が見えてきたなぁというか
じゃあ今までも見えてはいたんだけども
も言い逃れできないって回目の前に見えてきたなりたいとねー
がありますねー
まだ月三十七歳た豆腐まだね四十よりは三十をの方に近いカラー
じゃあを直視しなくて済むというかなぁ
東しましたねはい四十目前だなぁという感じです
かといって別に四十歳だから何みたいなのもねぇ別にあんまり心も等はないですよね
年齢はただの風邪たみたいなね言い方もありますけど
別に出身方でせて上がり下駄割するからって
それは何やねんみたいなのはまーありますよね
でとまあそうのはに何か思うことはと聞かれて
その率直には特にないなんですけどはい中でやとこじゃないなぁとは言いながらもひねり出すわけですよ
でそこで思いついたのかねぇ&
と中
よく言うじゃないですかその自分の見た目見た目じゃねー中身と年齢が競り合ってないみたいな
いつまでもハタチの支部自分はいつまでも二十歳でいて
体とば見た目とか年齢とかがだんだんそこから離れていくというのに違和感を持つね
そうな感覚が
多くの人にあるじゃないかなぁと思うんですけど
かの
大人成人すると大人とかねぇ
就職すると社会人とかね色んなラベルで語られてしまうけど別にね自分の
内面はそんなにラベルでラベルが付いたからてぱっと買われるもので深くて
まだ
だなんて言ったらなぁ
ずっと成長してないというかさーそういう音自己評価ってあると思うんですけど
でそれじゃあ
薄れれてきたなぁって思ったんですよね
このないが幼いという感覚が薄れてきたのではなくてねー
来年と
じゃあメール頭にギャップがあるなぁみたいなことはあまり思わなくなってきた
のかなぁと思ったんすよ
でそれなんてだなぁって考える校
ねー
のポッドキャストたのコミュニティとかまー主に樋口十分なんだなぁと思うんですよ
の存在が大きいのかなぁと思って
どういうことかというと
真打着て日中に限らず多分ポッドキャストたのコミュニティっていう話だと思うんですけど
林グチグチ熟の話をしますかちょっとわかりやすいので
でいろんな年齢色んな職業色んなバックグラウンドをいろんなライフステージの人がそこにいてでまーワイワイ交流してる訳ですけど
やっぱねー
あの
首都って多様だなあっていうことが
を代目としてじゃなくて分かったなぁと体に染み込んだんだなあっていう感じなんですよね
と
何だ自分より凄く思慮深くてしっかりしてそうに見える人が結構年下だったりとか
まあその逆とかね
客そんなないけど
やっぱり資料が浅いと思えば人がいないんですけどはいばはそれはいい
だからそのねぇねぇねぇ
とかはがに職業と母社会的地位とかねぇ言葉がいるいないとかところに住んでいるとか中でそういうラベルがにねーなーって思う
出てきたっていうことだと思うんですよね
だからの
その冒頭に話した
自分についているラベルと内面とのギャップ
が違和感
に違和感を覚えるという構図てられるを自分で想定してますよね自分はこのように見られているのではないかという
自分は三十八でもうすぐ四十何もだからねぇもっと本当はしっかりしているはずである
少なくとも周りからはそのように期待されているはずであるみたいなことを自分で規定しているわけですよね
なんだけど
多様な人達の中に入ると
その音ラベリングというのが実は
そんなにされていけないのではないかとかされていたとしてもそれは取るに足らない物のではないかとか
姉はありきたりな言葉で言えば自分は自分で良いのではないかみたいなことですよね
そのたられているかもしれないラベルへの意識がめちゃくちゃ薄くなってきた結果がそこにギャップを感じなくだったみたいな感じた感じが多いと
感じなくなったみたいな感じだと思うんですよねー
なことはい誕生日に思いました
何かこういろんな人たちの中に入ると自分を相対化できますよねー
相対化できると同時に
たんですね
そのねグラフ上に色んな人の状況プロットできるみたいなイメージでいるんですけどねがプロットしていくと同時にあ原点なんてないんだなぁ基準点なんてないんだなぁみたいなこともた
身に染みて分かってくるというかねそうな感じがありますねー
で後ねーそのポッドキャストにそういうのはかねぇこれを理解するのに凄く良い馬だったなぁという気がしていて
お互いのパーソナリティを多分よく知ってるんだと思うんですよね
あの声を聞いてたり
特にその樋口塾では何かこういわゆる
いわゆるラジオ番組とかがしっかり作り込まれたポッドキャスト番組見たいなぁと三役を演じるはちょっと言い方が正しいかどうか分かんないけど何かの役を演じている番組というのがの割合がきっと少なくなくて何かこうねー
みんな自分自分の感覚とか自分の興味とかついて
話していたりそれが滲み出るような番組やっていたりするので
割烹それも大きいような気がするんですよね
例えば
木と同い年の人が
ねえなんですねー
めちゃくちゃリスナーはいるようなポッドキャスト番組をやって
じゃあこれは何々のコーナーとか今日はこんなことがありましてみたいなね
等等形容したらいいのか分かんないけどまぁいわゆる作り込まれた番組をやってたとしてそれを
ずっと聞いてても何かこうそのその人のことあんまりした気になれないなぁと思う訳ですよ
別にそれがねぇいいとか悪いとかいう話ではなくて
その番組のそのパーソナリティであるという側面を知っているだけに過ぎないみたいだね
いう風に比較すると思ってしまうかなぁと思うんですけど
まあそうそうではないと思わせてくれる配信が多いなあという声です出口局に関しては
でまぁそれもねあの樋口宿とかポッドキャスト番組とかに向かうための軍人であるというのはまあそれはそれはそうなんだがそれがどのように僕に受け止められているかというのがちょっと
性格が
特色がありそうだぞという話ですね
だからこのグラフ上にプロットするみたいなことも考えやすいし
自分を母体ができるということなのかな
はい
まー数十才妻は話ししたいことを話そうと思って話がチャットしてしまいましたがまた話が多いですね話ししたいことを話そうと思って話が王者としましたが
はいじゃあ今日はこんな感じで終わるかなぁ
はいありがとうございました