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2020-05-27 15:47

ep.127 ギリシャの哲学者プラトンの「洞窟の比喩」

ギリシャの哲学者プラトンの「洞窟の比喩」を最近知って面白かったのでシェアです。
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こんにちは、パリのアパルトマンからお届けします。フリーランスのSAKIです。
このラジオは私、SAKIがパリ生活やビジネス、読書で学んだことを配信しています。
皆さんお元気でしょうか。
最近、メゾンコワークというフリーランスのサロンで、今1期と1.5期が動いてるんですけども、
その2つのグループで、合同でシェア会をやったんですよ。
で、私はもちろん、一応主催者なんで、1期の方も、1.5期の方々も存じ上げてるんですけども、
皆さん、いろんなお住まいも違うし、ビジネスのアイディア、考え方も違うし、それに至ったバックグラウンドなども違うし、
すごくお話を聞いてて、刺激も受けるし、興味深いお考えとかアイディアを持っている方がとても多くて、
なので、その2つのグループの方々で、会ってほしいなってずっと思ってたんですよね。
で、最近そのシェア会をやったんですけども、すごい楽しかったです。
なんか、Zoomの機能で、ブレイカウトルームっていう、20人ぐらいいたとしたら、4つぐらいの部屋に分けて、
で、その各部屋ごとに喋れるみたいな、少人数で喋れるっていうような機能があって、
それを使って、1グループ4人ずつとかで、自己紹介ですとか、
今考えているフリーランスでのビジネスのアイディアをシェアしたりですとか、相談したりですとか、
あるいはビジネスをちょっと始めていきたいなって思っている方は、モニターをね、募集したりですとか、
ちょっとこれ受けてみてくれませんかとかっていうのを、このサロン内で、そういうのもあったりしつつ、いろいろ話していただいてたんですね。
で、私はいろんなその4つあるグループを、ぐるぐると静かにニヤニヤしながら飛んでね、
座ってというか、お話を聞いてたんですけども、すごく楽しかった回でした。
本当にいろいろなビジネスのアイディアがあって、
一人一人、考え方とかバックグラウンドが違えば、ビジネスのアイディアも違ってくるんですよね。
たとえ業種が同じだったとしても、そのやってる人とか考え方が違うから、
自分で一からビジネスを作るっていうのは、自分をちゃんと出せば競合とかはできないですし、
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すごくヘルシーで、自分のウェルビングな生活とか仕事っていうスタイルができていくので、
その中で仲間がいれば、刺激を受けたりして進んでいくことができるので、そんな回をやってみました。
サロンのメンバーの方々はいつも、私がいろいろイベントを企画するんですけども、
参加いただいてありがとうございます。
一応会社員の時にイベンターだったんで、一応5年間ね。
いろんな楽しいかなと思う企画、楽しくてお役に立つかなと思う企画を考えるのは好きなので、
そういうのを最近やったりしてます。
でですね、今日のラジオのテーマなんですけども、
今日はですね、ギリシャの哲学者のプラトンの洞窟の比喩っていう話、ご存知の方いらっしゃいますか?
今日ちょっとその話をしたいと思います。
はい、このプラトンの洞窟の比喩という話なんですけども、
私最近知ってですね、結構面白いなと思いまして、今日シェアしたいなと思ったんですよ。
これはどういう話かというと、まず端的に言ったら、
洞窟の中に昔から暮らしている奴隷がいるんですね。
その奴隷たちは手足を縛られて、壁の方向しか見えないから、ずっとそこだけ見て暮らしてるんですよ。
で、そういう背景があって、縛られて洞窟の壁だけ見てる人は、
その後ろに物があって、蝋燭で、炎で照らされてるから、影が壁に見えるんですけど、
その実体の影だけしか見えないんですよ。振り返れないから。
で、それをずっとずっと見て育っていってると、その影を実体だと思っていくようになる。
なので、つまりその小さいもの、もともと実体は小さいものだけれども、
影で大きくなっているだけで、黒いもの。
で、その影だけなのに、その事実である実際の物体に目を背けて、ずっと後ろを向いているから、
それが大きく、黒く見えるっていう話なんですよね。
まず、ここだけでも結構面白いなって私は思ってですね。
社会構造とか、人生観とかにも言えるなって思うんですよ。
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その事実を見ずに、怖いからとか、何か一方向しか見れないっていう、自分の観念とか視点で見ていると、
その実体の事実を知ることはできなくて、どんどん、自分の想像とか噂とかで出来上がる、
ここで言ったら影、実際の社会で言ったら、何でしょう、実体のないものとかを本当と思ってしまって、
過剰に怖がったりですとか、過剰に怯えたりとかしてしまうんですよね。
で、何でしょうね、例えば、正しく怖がれないとか、そういう事とイコールだと思うんですよ。
コロナの件とかでも、よく調べてなくて、今ね、詳しく知ってる人は誰もいないと思いますけども、
その中でも、何か噂とかだけ聞いていると、すごい怖いものだみたいな、
で、何かこれ出来ない、これ出来ない、これ出来ないとかっていう、実際以上の怖さになっていくと思うんですよ、事実を見てなかったら。
そういうことも表しているなぁと思って、まずここだけでも面白かったんですよね。
で、後、こう話を続いていくと、この話は本当に伝えたいところとしては、
その後の奴隷が洞窟の外に出ていくっていう話に続くんですね、そこからが結構重要なところなんですよ。
で、ずっとその影を見て暮らしてるんですけど、その奴隷たちの複数にいる中である一人の人が縄を解かれて、
洞窟の外にある太陽を見せられようとするんですよ。
でも、これまでその影ばっかりずっと見て暮らしてきた囚人は、太陽の光が強すぎるから目が眩んでよく見えないばかりか、
目痛いっていう苦痛さえ覚えるんですね。
だから、やっぱり今まで見慣れている影、よく見やすい影を見よう見ようってするんですよ。
でも、また連れ出そうとした誰かがその囚人を無理やり洞窟の外に連れ出して、太陽をバンって見せるんですね。
で、やっぱりその最初のうちは何も見れないんですけども、だんだんだんだん太陽の光をちゃんと見ようとするようにして、
目の明るさも慣れていって、まあ見れるようになるんですね。
そしたらその囚人は気づくんですよ。
その太陽の光を知ったら、今まで自分が見てたものがただの影であるってことも気づくし、
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その地下の今まで見てた影とかも、太陽が原因となって発生していたものってことを悟るんですよ。
で、その真実が知れたことをその囚人は非常に幸福に思って、
他の仲間の囚人たちに哀れみの情が湧いてくるんですよ。
事実を知らずにずっと影ばかり見てて、事実と思っているってことに気づいて、哀れみを持つという。
で、その後その囚人はね、この事実を伝えようと思って仲間のところに戻るんですよ。
でも逆にね、光に目が慣れてしまったために、今度は影をうまく見ることができなくなってしまって、
そしたら他の囚人はそれを見て、あいつはなんか外で太陽っていうなんか変なやつを見たせいで目をダメにしちゃったみたいな感じで、
その太陽を見てきた囚人たちを馬鹿にするんですよ。
で、他の囚人たちはなんかあいつは外にいて頭おかしくなっちゃったから、
もし自分たちも太陽を見せられようと誰かにしたら、もう全力で阻止しようみたいなタッグを組んで、そんな話になるんです。
で、実際太陽を見たその囚人からしてみたら、洞窟にいてね、一生影を見てるくらいなら、
太陽の下で光を受けて事実を見ながら生活をした方がよっぽど幸せだっていうふうに訴えるんですけど、
その事実を見たことない人たちは知らないから、こう、いやいや言うんですよね。
そんなことない、怖い、怖いとか、おかしな、頭おかしくなっちゃったんじゃないかとか、
そうそう。で、そんな感じで言われるんですけど、実際その太陽を見た人は、
真実の幸福に仲間たちを導くために行動していくっていう話なんですね。
で、これが洞窟の比喩と言われる話なんですよ。
で、これすごい面白いなと思って。
まあ、これは比喩なので、実際社会でこれをこう当てはめて考えてみようとすると、こういう場面ってあると思うんですよ。
代言なり性なり、例えば、
まあ、なんか、
実、えっと、まあ、他人の悪口とかばっかり言って暮らしている日、過ごしている人に、なんか、
実際、事実に目を向けて、ちゃんと自分の人生を生きるようにしようみたいなことがあったりですとか、
いろいろ当てはめれる社会の構造ってあると思うんですね。
で、これ、まあ、あの、
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太陽自体は善、善って、あの、なんて言うんですかね、良い、良いっていう、あの、良いものとされている比喩で、
で、影は、なんか、物質欲とか金銭欲とか権力欲とか、そういうこう、ものを表してるんですよ。
で、影を見る囚人たちは、まあ、そういう、こう、影、あ、えっと、影、まあ、物質欲とか金銭欲とか権力欲とか、それこそが真実で、
価値のあるものってして、ずっと追いかけて、まあ、それに一喜一憂する人々っていうふうに、まあ、表されてるんですよね。
なんで、まあ、こういう比を読んで、あ、面白いなぁと思ってね、
うん、影ばっかり見ないように、あの、自分も、こう、気をつけないとなって思いましたし、
うん、これ、まあ、徹甲学そんなに興味がない人も面白い話だと思うんですよ。
うん、そうそうそう、なので、ちょっとこれを、今日このラジオでね、シェアしようと思いました。
で、なんか、あの、ウィキペ、あ、もう一個言いたいことがあって、これ、ウィキペディアで、まあ、調べてみたんですよ。
で、最初、日本語で調べたんですけど、あの、情報があんまりなくて、で、ウィキペディアって、言語を変えれるじゃないですか、
なんか、フランス語とか、スペイン語とか、英語とか、いろいろ変えれるので、切り替えをしたら、他の言語はめちゃくちゃ情報あるんですよ、その、
プラトンの洞窟の比喩っていう情報に対して、うん、でも日本語だけ極端に少なくて、他の言語が200行ぐらい情報あったとしたら、日本語は20行ぐらいしかないんですよね。
で、あれ?と思って、まあ、あの、西洋の方の話だから、こう、東洋である日本語では内容が、あの、少ないんかなって単純に思って、
逆をちょっと調べてみようと思ったんですよ。で、まあ、ブッダとか仏教の話だったら、まあ、東洋の話だから、日本語でいっぱい載ってて、フランス語とか英語とかは少ないんかなと思って、逆をこう調べてみたんですけど、逆は、フランス語とか英語の方もめっちゃあったんですよ、情報が。
で、それを読んで、あの、情報ってね、なんか、主体的に取りに行かないと取れないんだなって、その、ちゃんと濃い詳しい情報っていうのは取りに行こうとしないと取りに行けないこともあるんだなっていうのを改めてそれで見てね、ちょっと、うん、大事だなって思いました。
そうですね、ちょっとね、こんなに情報に差があるんだと思って、はい、びっくりしました。やっぱりこの受動的に、なんか、タイムラインで流れてくる情報だけとかテレビから流れてくる情報だけを取っていると、なんか、その情報がすごい薄かったりとか、あと、まあ、情報も選べないんでね、うん、あの、何でしょう、自分が必要な、あの、ものっていうのは知れないんですけど、
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主体的にやっぱり取りに行ったらあるところにはあるんで、情報って、うん、そういうことも同時に感じました。はい、ちょっと200行と20行の差はびっくりしましたね、はい。
まあ、今日はそんなところで、えー、そろそろお開きにしたいと思います。いかがでしたでしょうか。
それではまた次回のラジオでお会いしましょう。 それでは。
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