番組の紹介と前回の振り返り
埼玉県しりたがりラジオ、サイタマニアクス、パーソナイティーのこけと申します。
この番組は、埼玉県という本鉄を様々な角度からいじり倒して、おもちゃにして楽しんでみようというコンセプトでお届けするラジオです。
埼玉県に馴染みのある方も、そうでもない方も、この番組を通して埼玉県だけでなく、身近な場所について考えてもらうきっかけになればいいなと思っております。
さて、本日の相手は前回に引き続き、はっしーさんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします、さわりか。
よろしくお願いします、さわりか。前回ありがとうございました。
いやいやいや、すごく頑畜な話ばっかり聞けて、すごい楽しかったです。
いや、ちょっと頑畜ありすぎて、ちょっと理解が及ばない部分も結構あったんだろうなと思ったりして、反省点はあるんですけど。
いや、恥ずかしながら、自分も全然知らんところが多くて、申し訳ない。
いや、前回の反省点として、台本ちゃんと練ってなかったなっていうのが実はあって、
なんか、事実ベースでずらーっといろんなことを時系列で並べちゃったりとかして、
それがちょっとわかりづらかったのかなっていうところが反省点だったりしますね。
群馬県と入馬県の歴史
いやいやいや、すごく解釈してくれて、もう本当に聞きやすくて助かりました。
あと、実は投稿してから気づいたことが1点ありまして、実は音ズレ結構ひどくなっちゃったんですよね。
おー、音ズレ。
そう、今オンラインで2人離れたところで録音しているっていう形なんですけど、
それぞれ録音したやつを合わせるときにですね、ちょっとうまくタイミングが合わなくなったりして、
あらららら。
で、なんか、はちんさんが私が言ったことを確認込めて復唱してくれたりするんですよね。
あー。
私が何々ですみたいなことを言ったときに、あー何々みたいな。
それがですね、ほぼ同時に、何々ですよね、何々みたいなのが同時になっちゃってるところがありまして。
間髪入れず。
いやー、もう予言者かぐらいな感じになっちゃってるところがあるんですよね。
あー、オンラインのつらいところ。
いやー、ちょっとやっちゃいましたねこれは、申し訳ないなと思って。
あー、難しいですね。
なのでちょっとそういったところのリベンジも込めて、
実は記憶が新しいうちに前回にちょっと関連した内容とかを話せたらいいなというふうに思ってます。
了解です、了解です。
前回はあの埼玉県がどうやって生まれたかについてみたいな話をしたんですけど、内容を覚えてますか?
そうですね、軍の名前からっていうところなんですよね。
いや、重要なところっすよね。
そうそうそう、そのバックにある歴史の動き的な動きの方、
だいぶ詳しく解説いただいたんで、重要なところを覚えてるはずですね。
あの時にその廃藩地権が起きた後に、埼玉県内が埼玉県と入馬県に分かれたっていう話をしたかなというふうに思ってるんですけど、
その後入馬県が群馬県とくっついた話って覚えてますか?
覚えてます覚えてます、解説してくれた。
入馬県と群馬県くっついて、なんか新しい県ができたんですけど覚えてますか?
えーっと、もう一回お願いします。
あれ熊谷県っていう県が。
でしたでした、そうそうそう。
熊谷です、熊谷。
で、その辺の話を調べてる時に実は疑問が私の中でありまして、
疑問が?
はい。で、なんでわざわざ群馬県と入馬県統合して、大きな熊谷県っていうのを作る必要があったんだろうと。
っていうのが実は私の中で疑問だったんですよ。
で、その辺をちょっと深掘りしていくとですね、実は群馬と埼玉の関係性みたいなことが実は分かってきたんですよね、いろいろと。
ほうほうほう。
なんでちょっと今回は、埼玉県のラジオなんですけど、ちょっと群馬との話もして、
で、群馬と埼玉の関わり合いみたいなところをお話ししていこうかなと思ってるんですけど、
はいはいはいはい。
群馬県庁所在地の謎
で、その中で一個ポイントになるのが、
はい。
群馬県の県庁ってどこでしょうか。
あれ、群馬はどこだ。
はい、よく間違えられやすいというところなんですけど。
えっと、群馬、群馬はあれ。
間違えちゃってもいいですよ。
あれ。
県庁所在地。
高崎、違う。
いいですね。よく高崎に間違えられるんですね。
やっぱり。
間違えられるとしたらどこですか。
前橋?
あーそうです。
前橋?
前橋なんですよ、これ。
あー、やっぱり群馬さん。
今おっしゃっていただいたように、なんか高崎のイメージというか、高崎の方が大きい都市みたいなイメージが多分あったりするのかなというふうに思うんですけど。
そうですそうです。
じゃあなんで前橋市が県庁所在地なのかっていうのを調べていくと、
実はこの群馬県庁が、群馬県庁の所在地が高崎じゃなくて前橋なのは川越えのせいかもしれないですよ。
え、川越えのせい?
そう、っていう話を今回していこうかなと思っています。
で、ちょっと最初に言っておくと、私歴史素人で個人的に調べた内容とかが中心になってくるので、できるだけわかりやすく伝えていこうと思うので、
謝りとか端折ってる部分とかは多少あるかなと思うんですけど、そこはちょっとご了承いただければなというふうに思います。
はい、わかりました。
ということで、ちょっとこの辺の話を順を追ってご説明できたらなと思います。
はい、よろしくお願いします。
じゃあまず最初に群馬県の基礎知識じゃないですけど、基本的なところを抑えていきたいなと思います。
はい。
群馬県は江戸時代以前ですけど、埼玉県はかつて武蔵の国って呼ばれてたっていうのは知ってるかと思うんですけど、
じゃあ同じように群馬県って何の国って呼ばれてたかってご存知ですか?
何の国?
うーん。
あ、えー、縄文とかしかわかんないですけど。
あー、いや、素晴らしい。
縄文じゃん、正解は縄文もあってます。
縄文もあってるんですけど、国っていう意味だと神戸の国なんですよ。
神戸?
はい、上乗って書いて神戸って読むって読みにくいやつなんですよね。
なるほど。
はい、縄文っていう呼ばれ方ももちろん同時にされていて、これですね、縄文カルタとか言うんで、縄文っていうのも一般的な呼び方ではあったんですけど、
実は縄文っていうのは神戸の国っていうふうに呼ばれる前の呼び方にひも付いてる話で、
もともとですね、神戸の国は神戸の国って呼ばれてたんですね。
神戸。
で、上の毛、縄文の毛ですね。上に毛と書いて野原の野って書いて神戸っていうふうに呼ばれてたんですけど、
そこで縄文っていう、その上の髪と毛をとって縄文っていうふうな呼ばれ方をしていたっていうのが実は以前あって、その名残が縄文っていう言葉に残っているんですよね。
はい。
まあ同じような感じで上州とか呼ばれ方もしますよね。上州級とか。
ありますあります。
そんな感じになるんですけど。
はい。
じゃあそのあと、明治の話にもいきなり行っちゃいますけど、
埼玉でもそうなんですけど、まず幕府の領土が新政府の領地になるっていうことがあったかなと思ってます。
はい。
で、この時群馬県の中で新しくできた県っていうのが、実は前回も出てきた岩花県っていう県なんです。
ありました。
前回は秩父の方とか本城の方が岩花県だったよみたいな話があったかと思うんですけど、
それの本拠地が群馬県、今である群馬県の中にあって、そこがもともと政府が管轄してた領地なんですね。
はいはいはい。
で、その後明治の4年に廃藩地権が起こるんですけど、とりあえず藩県に置き換えるっていうことを埼玉と同じようにしました。
はい。
埼玉の場合は、その時に藩から県になったのって、川越と岩月と雄志だったっていう話をしたかなと思ってるんですけど、
ありました。
群馬はですね、もっと多い藩があったんですね。
なるほど。
まあラインナップ言うと、尾端、伊勢崎とか前橋、沼田、安中、高崎、七日市、建林みたいな。
えーと。
群馬県の県庁所在地の決定
まあ覚えなくていいですけど、めちゃくちゃあったんですよ。
うーん。
はいはい。で、まあなので前橋も高崎もこの時にもともと藩だったところが県に置き換わりましたよっていうことになるんですけど。
はい。
で、前回の話でもこれもあったんですけど、廃藩地権の直後にいっぱいあった県を統合しようというような話がありましたね。
はい、ありました。
で、埼玉県内は前回、いるま県と埼玉県に分かれたというような話をしたんですけど、この時岩木に置くはずだった県庁が浦和に移って埼玉県ができたというような話をしたと思います。
はい、ありました。
じゃあ同じように西側にいるま県ができたんですけど、この時の県庁がどこに置かれたかって覚えてますか?
えっと、この時は川越?
はい、川越です。
ですよね、よかった。
そうです。さっき軍の名前からっていう話がありましたけど、川越がいるま軍に属していたので、いるま県という名前ができたんですよね。
はい、よかった。
よかったよかった。
危ない危ない。
で、これと同じような感じで、実は今の群馬県でも県の統合っていうのが行われるわけなんですね。
はい。
で、県庁をどこにするかっていう話になるんですけど、最初はですね、高崎の高崎城の中に置かれるんです。
ああ、もともと。
そうなんです。もちろん当時も高崎城下町ですし、あとは仲仙堂が通ってたりとか、あとは越後の寺止まりの方まで伸びる三国街道の縮間町だったりとかして、発展してたんですよね。
前橋も比較的高崎の近くにありますけど、そこも一応城下町ですけれども、やっぱり交通の利便性とかを取ると高崎の方に部があるというようなことなんですね。
はい。
ということで、今でいう群馬県のだいたい同じぐらいのエリアが、この時に群馬県という名前に定まるんですけれども。
はい。
じゃあここでクエスチョンです。
なんで群馬県という名前が採用されたんでしょうか。
なんで?
はい。なんで群馬県になったんでしょう。これはもうあれですよ。傾向と対策できます。
え、群の名前があったってことなんですか?
はい、そうです。
そういうことなんですか?
はい。ためちゃいましたけど、ただそんだけです。
すいません。すいません。
高崎が群馬群に属していたから群馬県になりました。
あー、そういうことなんですね。
ただそれだけです。県庁が所属している群から単純に県の名前を取ったということなんですね。
はい。
まあなんかこの辺は傾向はだいたい埼玉とかと同じかなっていう。
はいはいはいはい。
でですね、その翌年に実は高崎に一個天気が訪れることになるんですけど。
はい。
今県庁が高崎城にあるということなんですけれども、高崎城のある位置が交通の便もいいという意味もあったりして、
軍事的に結構重要という話が上がってくるんですね。
はいはいはいはい。
で、城の中に作った建物だとかが、政府の省庁、兵部省っていう軍隊とかを扱う省庁ですね。
まあそこに取り上げられてしまうことになるんですよ。
政府のものとして扱いますよと。
で、そうするとですね、県庁として使える建物も政府に取り上げられてしまったので、
どうしようかと県庁代わりになるところってことで、高崎の周辺とかでいろいろいい建物ないかなっていうのは探したんですけど、
当時あんまりそれほどの規模の建物とかも少なかったりとかして、いいところが見つからなかったんですよね。
で、そこで仕方なく比較的近い前橋城を建物として使って県庁にしちゃおうと。
そういうようなことになって移転をするということがありました。
これは政府の都合での移転だったので、高崎側も仕方ないなーっていう感じで、
反発が起きるとかそういうこともあんまりなかったみたいなんですけどね。
川越との関係
その次の年、明治6年になると、前回も話した群馬県と入馬県がくっついて、熊谷県が発足するっていうことが起きます。
これって簡単に言うと群馬県と入馬県をまとめて管轄した方が都合がいいということなんですよね。
実はこれをひも解くとですね、先ほどあった群馬県庁が今ある前橋と入馬県庁がある川越をセットで管理した方が、実は都合がいいことがあったんですよ。
まあこれは何かっていうのは、前橋と川越それぞれの歴史を実は少しひも解かなくちゃいけないことがあるので、
ちょっとそれについてもご説明しようと思います。
お願いします。