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こんにちは、ボディータオルを使っているんですけど、ボディーソープと水の配合がなかなかうまくいかない理由です。
このポッドキャストは言わなくてもいいんだけど、聞いて欲しいなーっていうことを言っちゃうポッドキャストになります。よろしくお願いします。
前回ね、オンラインショップをオープンしたということで、
そちらの方も聴いていただけたら、またショップ見ていただけたら嬉しいなと思っています。
で、今日は久しぶりにというか、久しぶりに人と深い話をして、本当に。
深い話っていうのは、自分の思っていることとか、生きている上で大事にしている価値観的なことを話してたんですね。
で、その中で、
僕、りゅうちゃんが世界をどう見てるんですかっていう話を、話をというか、問いをもらって、確かにというか、
そこを気になってくれてるのはすごく嬉しいなと思って、自分なりに考えてみたいなと思って、このポッドキャストを撮ってます。
どうですか、みなさん。世界をどう見てるというか、どう捉えてますか?
はい。どうですか、みなさん。世界をどう見てるというか、どう捉えてますか?
はい。どうですか、みなさん。世界をどう見てるというか、どう捉えてますか?
これは結構、本当に人それぞれの答えがあるだろうなと思うし、考えたこともないから分かんないっていう人ももちろんおると思うし、
いろいろ意見というか、いろんな意見、主張が出てきそうですごく、人間を、その人を知れる素晴らしい時だなと思って。
で、今日はそれをちょっと、僕なりにというか、僕がどう世界を見るかっていうのを考えてみました。
で、今日はそれをちょっと、僕なりにというか、僕がどう世界を見てるのか、どう捉えてるのかっていうところを話していきたいなと思います。
はい。そうですね、世界をどう見てるかですか。なかなか多めのあれですけど。
まあちょっと一瞬考えたんですよね、このポッドキャストを撮る前に。
で、一言で言うと、ありがたいことにたまたま生きてるなーっていう感じです。
はい。あの、いろんなお父さんお母さんから始まって、おじいちゃんおばあちゃんとか、いろんな先祖の方がいて、
で、たまたまこの時代に、この環境に、この土地に、この日本とかね、地球に生まれてきて、それがすごくありがたいなとも思うし、
えっと、なんかあると思って生きてるとも思うんですけど、でもとはいえたまたま生きている。
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たまたま生きている。
たまたま生きている。
たまたまこの人の形をして生きてるなーって思ってます。
はい。
です。で、まあ、これ今から話す僕の捉え方であったりとか、世界の見方なんですけど、前提として、いろんなことが考えられるんですけど、
あの、今の時代の、今、えっと、普通に小中高、大、経験して、その中で部活とかサークルとか、
経験して、社会人になって、社会人から辞めて、徳島に引っ越してきて、みたいな、そういう今の現状を踏まえた上での、今の僕の世界の見方なんで、
これまでの世界の見方とか、これからの世界の見方とはまた別だと思うんですよね。
この点でしかないというか。
ね、そういう前提の上で聞いていただきたいなと思うし、
この後ね、そのポッドキャストがどんどん更新する。
されていく上で、僕の世界の捉え方とか見え方とかも、多分変わっていくと思うし、
今日話していることが明日変わっているっていうのは、もちろん人間にはあり得るなと思うし、
なんかそういう前提があるなって思ってます。
っていうこういう状、前提とか現状っていうのも、僕が世界をどう見てるかの、なんか一つのヒントというか、糸口だなって思って、
つまりその僕っていうか、りゅうちゃん自身の自分っていうものの認識はほぼほぼイコールというかニアリーイコールで世界の認識でもあるのかなって思ってます。
これはなんかその僕イコール世界っていう意味ではあるけど、そうじゃないみたいな感じなんですけど、
なんて言ったらいいかな。
結構有識にはすごく引っ張られてますね。
だからこれで言うと、つまり僕が認識している世界とか、僕が経験した世界観でしか世界を捉えられないですよね。
僕が学んだ学問だったりとか、出会ってきた人たちの上で僕が今成り立っているから、それが僕の世界じゃないですか。
聞いてくださっている人も、僕の世界を捉えられないですよね。
でも僕じゃない、僕とは違う経験とか、僕が会ったことない人とか、僕がしたことないようなところに行ったりとかして、その方、聞いてる方を形成してるじゃないですか。
で、その人にはその人の世界があるんだと思うんですよ。
だからりゅうちゃんの自分っていう自己とか、人間その個人の認識っていうのは、その個人の中にちゃんと世界があるとも思うし、
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その世界の中にその人もちゃんと存在する。
その世界の中に存在してるんだな、みたいな感覚というか認識をしてます。
ちょっと難しいこと言っちゃったかもしれへん。
感覚というか、そういう認識なんですよね。
はい。
で、ありがたいことにたまたま生きてる。
この生きてるっていうのは、結構僕のテーマというか、
人生を少しかけてというか、かなり重みを置いて考えていきたいなって思っていることの一つで、
なんか難しいなって思うんですよ。
生きてるってどういうことなのかを言語化するっていうのは。
何千年も何百万人、
何兆人もこうやって人類生きてきて、
そのはっきりとした答えってないじゃないですか。
生きるってこうだとか、人生こうした方がいいみたいな答えってないじゃないですか。
でもいろんな学者さんだったりとか、哲学者が、
生きるってどういうことだろうなとか、
人間ってどういう使命があるんだろうなみたいなことを、
めちゃくちゃ賢い人が考えてるじゃないですか。
そこに追いつけるわけじゃないと思う。
ってはいるんですけど、
でもそういう先人たちの考えた道筋だったりとか、
その道筋の中で出てきた問いとかも、
見ながら、感じながら、
今の時代の今の僕が思う、
生きるってどういうことかっていうのを追求するっていうのは、
すごく僕の人生のテーマの一つだなって思ってます。
で、ほんと時代時代とか、
環境とかに本当にその人の思考だったりとか、
話す言葉とかは左右されるなって思ってて、
だからこそ人と対話するときとかは、
その人の話してる言葉だけに左右されずに、
その人がなんでそういう言葉を発したのかなとか、
この人のこういう経験があったからそう言ったのかなって思う。
反面、今言ってる、今話してくれてることが、
今のこの僕と対話してるっていう環境だけでしか、
発しない言葉かもしれないっていう、
なんかいろんな方向からの疑問だったりとか納得を持ちながら、
話したいなとは思ってて、
うん、思ってます。
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だからその僕自身も今の僕が100%の僕で、
あるんですけど、不完全というか、
なんて言ったらいいんですかね。
まさしく僕なんですけど、
喋ってるものも、感じてるものも、
全部僕自身なんですけど、
それはその今の僕でしかなくて、
明日の僕とか3秒後とかの僕とはまた別の僕です。
っていう認識を自分自身にしちゃってるから、
相手にもそれを投影して感じてます。
そういうふうに思うと思ってます。
で、世界をどう見てるかってすごく広いっていうか、
規模がでかいなって思うんですけど、
前の会社で働いてるときに、
こう、レイヤーに分けたというか、
自分、なんて言ってるんやろな。
何を分けたんだろう、あれは。
影響を及ぼしたい範囲のレイヤーみたいなのを分けたんですよ、僕らなりに。
それが自分自身なのか、他者なのか、社会なのか。
で、そのもう一個、広い範囲に自然だったりとか、
その自然の範囲の外に、もう僕たちが認識できないというか、
手が振れないけど存在するであろう、
仮に宇宙っていう名前をつけて、僕たちは概念を置いて、
研修とかを作ってたんですけど、
で、この中に世界っていう言葉は僕ら当てはめなかったんですよ。
それは僕の認識ですけど、自分の中にも他者の中にも、社会の中にも、自然の中にも、宇宙の中にも、世界って、
自然の中にも、宇宙の中にも、世界って、自然の中にも、宇宙の中にも、世界って、
自然の中にも、宇宙の中にも、世界って、自然の中にも、世界って、
どこにも当てはまるじゃないですか。
だから、その、世界っていう言葉を自分目線で見るのか、他者を通して話すのか、
社会目線で語るのかって、すごくなんか、話し方とか話す内容が変わってくるなって、
思ってて、思ってます。
これも僕の世界の捉え方の一つですよね。
えっと、
世界っていう言葉一つに対して、
えっと、
場合分けをしたりとか、グラデーションがある中で、
えっと、質問者に、質問してくれてる人に対して、
えっと、逆に質問で返し、どういうレイヤーで聞いてるのかだったりとか、
どういう意図でそれを聞いてるのかっていうのを聞いた上で、
その人の思ってる問いの真髄、本質を聞いてから、
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僕的に、こうですって答えようかなって思ってます。
はい。
で、
とはいえ、えっと、このポッドキャストでは、僕一人がこう、淡々と喋っていくので、
なんかそれだとすごく、むずいですよね。
その対話の中で世界っていうのが、それか、僕と質問してくれてる人の中で、
世界っていう言葉の共通認識を得た上で、それについて話すから、
ポッドキャストだと、それが共通認識、僕一人の共通認識、
てか、共通とか言えない、僕の認識になるから、まあちょっと難しいなと思っているんですけど、
まあちょっと難しいなと思っているんですけど、まあちょっと難しいなと思っているんですけど、
まあちょっと難しいなと思っているんですけど、まあとはいえ、その、
うーん、なんだろうな、
めちゃくちゃ広い意味で言うと、
僕の世界を一言で、広い意味で言うとありがたいことにたまたま言ってるなー、
ぐらいの認識です。
はい。
で、さっき言った、その他者と関わるときは、
えっと、
僕自身も、そうやって、世界の概念というか、
えっと、
いろんな見方を見ようとしてるし、
自分自身も、
矛盾も生じているし
昨日の自分と明日の自分と違うという感覚とか認識があるから
相手にもそれを投影して
今のこの人のこの状況のこの環境で話してくれている言葉だなって
思って認識している
それを捉えている
かつでもその人の幕本を配慮しながらというか
想像しながら聞くときもあるし
あるしっていう感じですね
これが他者との世界の見方ですよね
社会をどう見ているかですよね
自分他者社会自然のレイヤーで話していくとしたら
次は社会ですよね
これもうちょっと話し方変えてよかったな
前半にレイヤー分けたらよかった
すいません
聞き苦しいかもしれませんけど
今は事故と他者としての世界を話したから
次は社会を通しての世界を話していこうかなって思います
社会って何ですかねそもそも
僕はもう自分と他者がいたらそこに社会ができているのかもなって思ったりとかするし
なんか共通言語だったりとか
もしくは共通言語がないっていうことも社会の一つとしてあり得るのかなって思ってます
注意してることが一つあって
誰の話やねっていう話を極力しないようにしたいなって個人的には思ってるんです
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それどういうことかっていうと
めちゃくちゃ簡単に言うと
Z世代ってスマホめちゃくちゃ触れるっていうかすぐに触れるよねっていう
例えばですよ
まとめ方みたいなにちょっと剣を覚えるというか
そういう話はしないようにしてる
そういう話っていうのはZ世代っていう
一応
21世紀に入るか入らんかぐらいに生まれた人たちをまとめと呼ぶ故障じゃないですか
それをあたかも僕もそうだし僕の同期だったりとか
その前後3、4年ぐらいの人たちも含めた上で
Z世代っていうのをまとめた上で
そのZ世代の中の出会った人数人の状況を見て
Z世代ってスマホ全員触れてるなーっていう
ほんとZ世代のマジで0.001%ぐらいしか情報を得てないけど
自分の周りの世界ではね
そうやってZ世代のみんなスマホ使えてるから
Z世代のみんなはスマホを触れるよねっていう結論に行くのは
結論を話すのはすごく短絡的というか
直線的すぎるしそこのハズレ値だったりとか
そうじゃない人たちもいるかもしれないみたいな可能性を排除して話すっていうのは
僕はあまりしないようにしてるし
僕自身がそれを話してる時に僕自身に対して
いや誰の話してんねんみたいなツッコミを入れたくなるんですよ
Z世代ってスマホ触れるよね
いやZ世代って誰の話やねんみたいなツッコミ入れたくなるんですよね
だから
リュウちゃんの独り言自体そうなんですけど
僕自身が見たりとか僕自身の今ある環境とかこれまでの環境とかの上で
僕が認識した世界を喋ってるんですよ
だから100%主観じゃないですか
客観的に言うのではなくて
僕じゃない誰かを
誰かを代弁して
それをあたかも積もった複数妄想の人のようであるかのように話すみたいなことは
なんか僕じゃない人の話をしてるし
僕が100%わからないとか感覚としてちょっとわからないものもあるのに話してるみたいな話をするのは
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あまりなんか
ねえ
ちょっと何だろうみたいな感じになっちゃうから
あまり話さないようにはしてるっていうのが一つ気を付けてることになります
まあ僕自身好きな話というか
なんかやってて楽しいなって思うのが
僕が思ってることを言って
相手は思ってることを言って
であ確かにとかここの違いおもしろいねとか
じゃあどうやってそこを考えいったのとか
なんでそう思うのムてなことを
対話する議論するみたいなのが
好きなんですよ
そこで第三者だったりとか
架空の人の話をすると
なんか
ね
自分は
自分が思っているその人が思っていることを
言うわけだから
なんかちょっとなんか
結構本質から外れそうな
対話の構造になりません
そうなると
って思うので
ちょっとなんか
そんな感じで話してます
社会っていう
世界の捉え方の話じゃないんですけど
その一つでもあるかな
だから
社会って捉えるときに
カテゴライズとして
認識はする
そういう言葉があることも
学ぶし
知りたいとも思うし
初めて知った言葉は
自分の体の中に
理解しようとはする
んですけど
そうじゃない人たちもいるし
その言葉があることで
そうじゃない側の人たちも
存在するっていうことも
なんかめちゃくちゃ主張するわけではないんですけど
あんにこう
感じて
おもんばかろうとは
します
はい
です
あとね
そうだな
自分の
りゅうちゃんの自分自身の認識っていうのが
自分がこれまで経験したことだったりとか
感じたこととか考えたこととか
見たり聞いたりしたことしか
見たり聞いたりしたことの中での
世界でしか生きてないって思ってるから
そのニュースとか
なんかその世界情勢みたいな話に対しても
本当に怒ってるかどうか分かんないよな
っていう視点が必要だなって思って
必要だなって思って見てます
えっと
いろんな歴史の中で
100%出版社だったりとか
新聞社だったりとか
広報
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広告会社だったりとかが
100%の
事実を伝えてるわけではないと思うんですよ
そのいろんな人の話とか
その記者の思考だったりとか
その記者自身のバックグラウンドだったりとかが
現れた上でのその
今の記事だったりとか
国と国との関係とか
会社と会社とか
会社と個人との関係の上での
なんかいろんなところに配慮したりとか
忖度したりした上での
一つの記事だったりとか
ニュースだったりとかするかなって思うんで
なんか100%事実
なんかそのニュースがあるっていう事実を
知る分にはいいと思うけど
なんか本当に怒ってるのかなとか
えっと
うーん
書かれてない部分みたいなのを
自分に必要であれば想像したりとか
考えたいなって思ったりとか
関心があるものに対しては
もう少し調べたりとか
えっと
しようとは思ってます
ので100%は信じないようにはしてます
なんだろう
見るみたいな感じ
なんて言ったらいいのかな
中に入れるみたいな
理解する納得するではなくて
見る
一応認識するみたいな感覚です
だから
まあ最近はニュースとか
なんだろ
テレビとかあんま見ないようになったのが
多分そのせいだと思うんですけど
まあ同じことずっと言うし
てか知りたいことを自分でリーチというか
サーチ
サーチか
サーチした方が早いし
なんか
流れてきた情報に対して
一喜一憂するの時間とか
なんか体力ってすごくもったいないなと思うし
タイミングじゃないですか
その知りたくなるタイミングとか
これ必要だなっていうのはタイミングだと思うので
ランダムにあとランダムにこう流れてくるものとかは
ちょっと一歩引いて俯瞰して
見るようにしてます
うん
はい
です
あと何ですかね
何でしゅう
何でしゅうかねって
そんな感じで僕は認識して
どうでしょうなんか理解っていうか
伝わりましたかね
まとめることもできるんですけどね
まとめることもできるんですけどね
できないな
なんかそんな感じで認識してる
認識というか世界を見てるんです僕は
あと何個かある気がするな
まあけど今思ってることというか
今こうやって話してることが
今のところの僕のなんだろう
現時点での
この100%の
世界の見方みたいな
感じのものです
はい
引き切りました
これすごくいい問いというか
世界をどう見てるかどう捉えているか
24:01
ってすごくね
その人のパーソナリティが知れる問いかなって思うんで
なんか皆さんももしよければ
こういう会話が好きであれば
なんか考えてもいいと思うし
なんか誰かに聞いてみたい人に質問しても
すごく面白いなって思いました
はい
じゃあじゃあじゃあ
今日は以上になります
はい
まあいつもっていうか
たまに言ってるお知らせなんですけど
えっと
お問い合わせはみんなのひとりごとっていうのを
質問だったりとか
感想だったりとか集めてますので
どしどし送ってください
あとは
りゅーちゃんメイクっていう
僕が
オンラインショップを
昨日からオープンしてるので
ぜひぜひそのサイトを見ていただけたらなと思います
はい
必要であれば購入してくださいお願いします
はい
じゃあ今日はこんなところで
いかがでしたでしょうか
ははは
はい
じゃあじゃあ皆さん
今日か明日か
楽しんで
世界をいろんな見方で
捉えてみてください
ありがとうございました
バイバイ
おそれがある
ゆるしてほしい
いきることはむずかしいこと
みないでみてください
ね。
見ないで見てほしい。話は理解するまで聞いて。
友達になりたい。尊敬し合おう。深く考えているだけ。
みんなと一人でいたい。