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2024-03-04 32:13

#59 【読書録】アオアシに学ぶ「考える葦」の育ち方の独り言

羊飼いになりたいさんからのお便り/ボランチ/努力と思考に惹かれる/観察→判断→実行/誰しもバイアス持ち/判断とは「分けられる」こと/タグ付けという分けやすい単語/1.1×0.9=0.99/「それはちょうどいい!」/自己中心的利他でいきましょう
 
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サマリー

リュウジさんは、洗濯物を干した後に眺めながら独り言を読んでいます。最近読んだ本『アオアシに学ぶ考える葦の育ち方』について話しています。本の中では、観察・判断・実行のループを通じて思考を鍛える方法が詳しく説明されており、バイアスの影響も考慮されています。観察、判断、実行のループを回すことが試行ということなんですね。『アオアシに学ぶ「考える葦」の育ち方の独り言』のエピソードの日本語サマリーを生成しています。

00:04
こんにちは。洗濯物を干した後、10秒ぐらい眺めてます。りゅうじゅです。
今日も言わなくてもいいけど、聞いてほしいなってことを言っていこうかなと思います。よろしくお願いします。
『アオアシに学ぶ考える葦の育ち方』の紹介
お便りいただきました。読みます。
ラジオネーム 羊飼いになりたいさん
僕からの質問で、「あなたはどんな人ですか?」って質問をしてるんですけど、その回答が、「覚醒した人。」とのことです。
じゃあ、独り言を読ませてもらいます。
最近読んだ本のシェアです。
【アオアシに学ぶ考える葦の育ち方】 著者 中山達也
アオアシって知ってる?めっちゃ面白い作家漫画なんだけど、
その漫画のメインテーマにある思考力の側面からアオアシを捉え、現代の社会人に活かせるんじゃないって示してる本。
漫画の中でも結構それぞれのキャラクターが自分の思考を言語化している描写があって、
実際この本の中にもそういったシーンの漫画の引用がたくさん詰め込まれてて、イメージしやすい本。
面白いなと思ったところは、思考・観察・判断・実行のループの方で見てて、
それぞれ観察するって何?判断するって何?って普段当たり前にやっていそうなことをめちゃくちゃわかりやすく言語化している。
なおかつ自分の中にめっちゃ思考のバイアスかかってるなーって思わされてるところ。
個人的に一旦自分の視野が広がったはいいものの、もうちょっと思考の部分をアップデートさせたいと思っていたから、
超ためになるなと思った。
ちなみにこの本、PodcastのMinLabの中で、著者の方とコラボしている中で紹介されていたんだけど、
最後これらの思考を鍛えるベースに各々の才能が関係しているって言ってて、
思考力の鍛え方とバイアス
めっちゃうわー、やっぱ才能かーってなっていました。
とのことです。ありがとうございます。
いつもお便りだったりとか、Podcastを聞いてもらっている羊飼いなりていさん、ありがとうございます。
ということで、今日は青足に学ぶ、考える足の育ち方、カオスの環境に強い頭の良さとは、という本を読んだ感想を言います。
このお便りもきっかけなんですけど、僕もMinLabの中でこの本が紹介されていることを知ってて、
その回も聞きましたし、青足も漫画かな、何日間か無料期間みたいなのがたまにあるじゃないですか、ネットで。
その時に10巻くらい読んだんですけど、すげー面白いなって思って、
それが解説本というかビジネスに役立つような本になっているってことだったんで、
僕も読みたいなと思っていたところを紹介していただいたんで、実際に手に入れて読ませていただきました。
僕は全然サッカーやってないんですけど、でもサッカーの知識はなくはないんですよ。
中学校の時に昼休みとか、サッカー少年が周りにいっぱいいたんで、昼休みにみんなでサッカーしたりとか、
ゲームするのもウイルエとかですから、サッカーの名前とかね、サッカー選手の名前とか、ポジションがどういう立ち位置なのかみたいなのも若干かじったぐらいには知ってます。
ボランチとか、ボランチっていうのが流行ってたな、名前が面白いかな、分からんけど。
そんな感じでサッカーについてはギリ知ってるし、楽しめる程度にはサッカー好きなんですよね。やるのも、見るのはそんな好きじゃないか、やるのも。
青足の漫画見てすごい面白いなって思ったのと、あといい感じに思考、それこそこの本にも書かれてますけど、思考とプレーの積み分けがすごく良くて、
アシトっていうのが主人公なんですけどね、足に人って書いて、考える足に人って書いてアシトなんですけど、その子が中学校まではすごい良いプレーヤーだったんですよ、地元でね。
エスペリオンっていうユース、日本代表みたいなのを育成するみたいな機関というか団体に入ってサッカーするんですけど、そのユースの中の子たちがすごくハイレベルすぎて、
これまで地元ではいい感じのプレーヤーとして頑張ってたアシトも、高校に入ってそのユースの中で、エスペリオンっていうユースの中で活動すると、頭打ちに合うというか、挫折するというか、全然動けねえというか、分からねえとか、
そもそも言ってることが分からんみたいなフェーズもあったりするんですよね。周りの選手とか同期とかの言ってる意味が分からないっていう話があったりとかして、
それを自分もアシトになりながら分からない感覚だったりとか、サッカーの身体感覚みたいなのを言語化してるとか分からないから、アシトになりきりながら読み込める、すごくいい漫画だし、
アシトが成長していく感じがすごく気持ちいいんですよね。やっぱりひたむきに努力するみたいなのもそうだけど、考えながら努力したりとか、戦略立てながらとか、周りのことを観察しながら自分に落とし込むみたいな、試行錯誤しながら次の段階に行くみたいな、
そういう主人公なんで、すごい燃えるっていうか、点数入れたときもそうだし、気づき合ったとき、これってこういうことだったのかみたいな、そういうシーンもすごく泣けるというか、熱くなるなーみたいな漫画なんで、アニメでもあると思うんですけど、ぜひ見てください。
この青足にまでも考える足の育ち方っていう本も、青足を横に置いてというか、青足を見てから読んだ方が面白いと書いてるんですけど、別に青足を読んでなくても、中に漫画のシーン、アシトがトライアングルとか、ラインの話とかをするんですけど、そういうシーンが入ってたりとか、監督に言われた一言みたいなのが、なんでそういうシーンになったのかみたいなのも、
この本の中で出ながら、漫画の実際のコマ割りの中で書いてるんで、青足を読んでなくても読めるし、すごく面白かったというか、面白かったです。本当に読みやすいし。
羊飼いになりたいさんが言うように、読みやすかったと思います。先に感想を言うと、青足っていう具体的なサッカーの漫画を具体的に解説している、具体例として解説している本なので、すごく具体と抽象が分かりやすいんですよ。
青足がこういう行動で、なんでこうなったのかみたいな。こういうことを気づいてますよね、みたいな。だからこういうことなんです、みたいな。そうやって抽象化していく、だんだんと抽象化をしていくんですけど、それがすごく分かりやすいんですよね。
足とかいるから、青足っていう台詞があるから分かりやすいんですけど、逆にその抽象化されたものを自分の生活とかに具体的に落とし込むみたいな、反映させていくみたいなのは少し難しいかもなって感じてはいました。
まずはこの本の中にも書いてるんですけど、知ることからが大事なんで、知って青足っていう具体例があることを知って、それを抽象化するプロセスとか思考方法みたいなのを知ったのと知らないのと全然違うので、
観察・判断・実行の重要性
それは知れたからこそ、じゃあ次自分の実生活どうやって落とし込もうかなとか、会社でこういうことがあったけど、これはその本でどういうところなのかなみたいなのを考えないといけないし、その考える余地があるっていうのがこの本の良さだなって思ったので、
本当に思考法もそうだし、思考の種もいろいろと散りばめておいてくれてるんで、それを追伴でいくのも楽しいなって思います。
僕もこれ読みながら、一気にパッと読めたわけじゃないんで、1週間くらいかけてちょこちょこつまみ読みしながら読んだんですけど、途中途中で止まって、その本を読んでから次本を読むまでの時間に、
じゃあ実際にこれどういうことなのかなみたいなことを考えたりとかしたんですけど、やっぱり難しくて、例えばというと、この日付時間になりたいさんも言ってるんですけど、
観察・判断・実行っていうループがこの本の軸というか、これは基本というか、これが思考なんだよみたいな話をしてて、その説明から入っていきますね。
思考っていうのは、考えるっていうのは難しいな。
いさすらに目の前のことをやり続けるとか、それに対処するみたいな、そういう話でもあるんですけど、もう一段階上げるというか、それを具体的にしたりとか、抽象化してそれを実行するとか、それを判断するみたいなのが考えるっていうことなんですよ。
その考えるために一番最初に必要なのが観察って言ってるんです。
その観察って何かっていうと、視点と視野と視座があるよねっていう話で、ここすごいめちゃくちゃわかりやすい例を言ってくれたんですけど、Googleマップあるじゃないですか、マップアプリ、何でもいいんですけど、
視点っていうのはポイントを置いたところ、ここ行きたいって言っておいたところ、東京駅でもいいですし、自分の職場とか自宅とかそれでいいと思うんですけど、そのポイントを置いたところが視点で、視野が画面上に見えてる範囲のことですね。
視野、例えば東京駅から上野まで見えてるのかとか、東京全体見えてるのかとか、日本全国見えてるのかとかっていうのが視野の広さの話、画面の大きさ。
最後視座なんですけど、視座はズーム機能があるじゃないですか、めちゃくちゃ東京駅を近くして地下1階までとか見れたりとか、それを逆にズームアウトして日本全国まで見れたりとか世界まで見れたりとかするっていうのが視座、高さの話ですね。
その観察っていうのは視点視野視座の3つがあるから、それをいろんな視点から見るとか、東京駅をいろんな視野から見るとか、いろんな視座から見るみたいな、縦から見るのかとか、上から見るのかとか、そういうところも観察に入ってくる。
そのときに、数字化になりたいと思ってるんですけど、バイアスっていう言葉がある。これは判断にも入ってくるんですけど、観察して何か情報を入れたときに、情報を入れる瞬間もそうなんですけど、バイアス、例えばこれってこういうもんだよね、リンゴって赤いもんだよねっていうバイアスをかけて、
そのバイアスがあれがあればあるほど判断できなかったりとか、観察したときに自分の中に入ってこなかったりするんで、できるだけそのバイアスをなくすようにしないといけないのもそうだし、そのバイアスがあればあればあるほど判断できなかったりとか、観察したときに自分の中に入ってこなかったりするんで、できるだけそのバイアスをなくすようにしないといけないのもそうだし、
そのバイアスがかかってるんだっていうのを認知しながら、その物事を見ないといけないっていうのがこの本で書かれてることでした。
観察して、そのバイアスがかかってないっていうことを見ながら、その観察の中身を精査していく、その価値が何なのかとか、実際にその事実が何なのかとかを見ていくのが判断のときですね。
それをしっかりと解釈していくのがその判断のループの中で、次の最後が実行っていうところで、観察して判断して、これはこういうことなのかっていうのを自分の中で映し込んでから実行に移す、さっき言ったアシストで言うと試行錯誤の部分ですね。
観察と判断と実行のループ
これをめちゃくちゃ量を増やしてというか、1万回リフティングするとかでもいいんですけど、実行するときに量も大事なんですけど、質って言ったらいいんですかね、仮説を立てて試してみて、検証して模範化するというか、
こういうことだったんだなって一通りやってからもう一回実行に移すみたいな、そういう実行の中にも実行のループがあるみたいな話があったりとかして、その観察、判断、実行というループをめちゃくちゃ回すことが試行ということなんですよね。
その観察も判断によってその観察のインプットの質が変わったり、実行してみて仮説検証してやってみるじゃないですか、そのときに判断したものが間違っているのかどうかも分かるから、
その実行したものが判断にも影響をしたりとか、その実行したものがそもそも観察したものが違っているのかとか、バイアスかかってたなみたいなのを変えることがあるんで、それぞれがそれぞれを影響しながら観察、判断、実行のループが回っているっていうイメージですね。
うまく伝わるかな?難しいな。
読んだら一番早いんですけど、そんなイメージですね。
いろいろメモしながら、僕も本読むんですけど、試行っていう字あるじゃないですか。
あれ、思ってから考えるって書くじゃないですかね。
思って考えるって書いて試行って書くじゃないですか。
だから誰しもが何かを思うんですよね。
思うことは仕方ないんですよ、絶対に。
これ嫌だなとか、これめっちゃ好きだなとか、選択も干されてるのめっちゃ好きだなとか、そういうのは思うのは当たり前で、けどそれをどう考えることができるかとか、思うから考えるまでのプロセスをいかに早くできるかとかが重要かなって思ってて。
サッカーを例に挙げてるのがすごく面白いなって思って、思うじゃないですか。
うわ、このプレーだめだなとか、プレーしてる時ですけど、うわ、このプレーだめだなとか、早く上がらないといけないなとか、早く下がらないといけないなとか、そう思うじゃないですか。
でも思うけど、思ってから次考えるんですよね。
じゃあ上がり方どうしたらいいのかなとか、どこ空いてるかなとか、このラインどうなってるかなとか、全体深めた時に自分のポジションどこがいいかなとか、立ち位置どこがいいかなみたいなのを考えるのがサッカーだなと思うんで。
それは瞬時に早くしないといけないっていうのがサッカーだなって思ったし、そうじゃなくても突然判断する必要な時があるじゃないですか、緊急で連絡が来て、
で、こう思う、うわ、これヤバい犬来たなとか、重たい犬来たなってなって、で、それ思って思ったまま過ごすんじゃなくて、じゃあこれどうしたらいいのかな、上に着こうかなとか、明日にどういう仕事振ろうかなみたいな判断の速さだったりとか、正確さみたいなのもこの思考っていうところに入ってるので、
なんかそれをサッカーだとすごく分かりやすいんですけどね、分かりやすかったんだけど、それを仕事とかプライベートに落とし込むってなった時に、なんか僕はここがすごく難しいなと思って、思うのは思うしかたないけど、それを思考する、考える方向に持ってって、いい方に判断して、いい方に実行していく、自分の良いように周りが良いように実行していくみたいになって、なんかすごいやっぱトレーニング必要だなって思いました。
でも、それは知ってるのと知らないのと違うんで、この本読んだからなんかやろうかなって思う気持ちになりますし、判断するのもいい雰囲気で判断できたらなって思いました。
判断っていうのは区別できること、分けられることっていう意味で、判断しにくいものとか分けにくいこととかってありません?
それこそ前回の放送で勇敢な話したんですけど、なんかこれって自分では分けにくいというか、何者にもカテゴライズできにくかったりとか、何言ってるのか分からなかったりする場合ってあるじゃないですか。
それってどうなってるのかっていうと、聞いた人がタグ付けをできてないんですよね、一つは。
タグ付けと判断の難しさ
この人リンゴの話してるなーってなったらリンゴに対してタグ付けしていくっていうイメージなんですけど、勇敢な話だったりとか、僕がいろいろ言わなくてもいいけど聞いてほしいなーってことを話すって、
タグ付けがしづらい話も結構してるなーって思ってて、その人の中にタグを持ってないとタグ付けできないから理解できなかったりとか、それこそ判断ができないっていうのが一つ課題としてあるなーって僕自身は思いました。
あともう一つ判断しにくい、分けにくい理由が分け間違いやすい、つまり違うタグを付けがちみたいな、リンゴの話してるのになしの話とかなしのタグとかラーメンのタグとかを付けちゃうみたいなのが、ラーメンのタグは付けられないかもしれないけど、
そういう食い違い、ミスコミュニケーションって言われる話だと思うんですけど、分け間違いが起こるから判断されなかったりとかしてもらえなかったりとかするみたいな話があって、それもそうですよね。
お互いがお互いに違うタグを付け合っちゃってるからっていう話だったんで、お互いが同じこのタグを持ってるのかどうかの話から、それに対してどうやってこのタグを付けようかなとかしていくっていうのが判断かなって思って、
そうやって思うと、タグ付けの話を、タグ付けの理解をしながら話すと、この人はこのタグ付けをしてもらいたいからっていう話し方ができるかもなって、このポッテキャスに落とし込むと思って、
誰にでも分かりやすいっていうのは、誰にでもタグ付けしやすい、もしくはその人の持ってるタグを引き出しやすい話ができることだなと思って、そういう話ができたら面白いわけだろうなって思ったし、聞いてもらえる話ってそういう話なのかなって思った。
逆に、違うタグ付いてるやんとか、タグの付け間違ってるねみたいな話が盛り上がることもあると思うんですよね。
なんでそのタグ付けたのとか、なんで俺たちはこの違うタグを付け合ってるんだろうみたいな話も面白いなと思うので、それはすごいケースバイスケースというか、ただそれも伝える立場だったりとか伝える場だったりとかによってレイヤーが分かれてるなと思うんで、
付けやすいタグを付けないといけないのは、大多数に話す時とか会議の時とか、みんなが分からないといけない場所だったりとかの時に付けやすいタグの話をしないといけないなって思ったりとか、
普通に会話とか対話を楽しむ時は、タグ付け間違ってもいいやみたいな、同じタグ付けてもいいし違うタグ付けてもいいやみたいな雰囲気の中で話すのが面白い時はそういう話し方だなって思ったし、
今ふと思ったんですけど、心理的安全性がある場所って公社の方だなって思ってて、タグを付けてもいいし付けなくてもいいし違うタグを付けてみてもいいみたいな、そういう場所が心理的安全性がある場所だなって思って、
そういうタグっていう言葉、ハッシュタグとかもそうなんですけど、それが今は普通に使われてるし、共通認識としてあるから、このタグっていう言葉もいいですよね。タグの付け間違いが起こりにくい単語の気がした気がしました。
意味と目的によるモチベーション
はい、なんか面白いな、今話しててすごい面白いなって思いました。
その反論でもう一個いいこと書いてて、1.1か0.9かっていう話で、1.1っていうのは何かっていうと、いい雰囲気、自分がいい、機嫌がいい時が1.1と想定すると。
0.9はちょっと落ち込んでるとか、ちょっとお腹空いてるとか、なんか気分が悪いみたいな時は0.9です。イライラしてるとかが0.9、マイナスの感情が0.9で、その1.1と0.9かけたらどうなるかっていうと、0.99になるよっていう話で、1にはならないですよ。
めっちゃ元気な人が1人と、1.1の人が1人と0.9の人が1人いたら、0.99になっちゃうんで、足したら2になるんですけど、かけたら0、1にならないんですよね。進まないんですよね。
だから、マイナスの方が強いよね、この世界マイナスの方が強いよねみたいな話をしつつ、1.1の方がやっぱり進むよねっていうイメージを与えてくれた話でした。
どうやったら1.1っていうモチベーションでいれるかとか、1.1の気持ちのままで仕事に取り組んだりできるかみたいな話の時に、何のためにやってるかがやっぱり大事だなっていう話をして、意味とか目的とかがあるから1.1であり続けるっていう話をしてました。
それを聞いた時に、確かに1.1と0.9の話は分かるし、少し0.9の人が周りとかチームにいる中で雰囲気を0から1にするみたいなパワーがいるなみたいな感じも感じ取れるんですけど、
自分が1.1になるか0.9になるかの根本にあるのは意味とか目的なんだなって学んだ時に、そもそもその意味とか目的とか何のためにやってるかみたいなのを理解しておかないといけないんだなって思ったのと、
これ自分で何のためにやってるのかっていうのを見出しておかないと1.1にも0.9にもなれないなって思ったんですよ。
意味わかるかな?難しいな。
自分の大きく言うと人生の目的とか人生に自分の人生に対する意味を持っている人はそれに突き進もうとするんで1.1になりやすいかなって思うんですよね。
やっぱりここで書いてる通りに。
ただ持ってない人というか持ちきれないような人は1か0.9だなって思って。
僕に落とし込んだ時に何のためにやってるかとかって結構目先の話になってくるじゃないですか、目的とか意味って。
難しいな。
めっちゃ大きな目標を掲げて目的を掲げてそれに突き進んでるファーストステップに対して何のためにやってるかって問いかけることがすごく難しいなって思うし、
ファーストステップはいけるかもしれないけどその中間結構波に乗ってきてでも逆風にあってちょっと立ち止まっちゃったりとか前に進めないみたいな時が一番苦しい時じゃないですか。
その時に意味とか目的とか振り返れたらいいんですけど、ない場合もあるし変わってる場合もあるなって思ってて。
僕は結構目的とか意味とかを、意味はあるか。
目的はあまり考えなかったりとか目標はあまり掲げなかったりしない。
目標をあまり掲げないまま進んだりとかするんで、ないまま進んじゃうんですよね。
その時その時の1.1か0.9かみたいな。
その時その時に結構自分でコントロールして1.1になれってはいるんですけど、1.08ぐらい。
1.07ぐらいの出し方なんで、1.1じゃないなみたいな。
でもこの本には意味とか目的とかをしっかりと置いてやったら1.1になれるよって話だったんで。
それがすごい自分にとっては難しいかなって感じましたね。
やっぱり目的とか意味を持たないとみたいな話になってくるし。
あるっちゃあるけどないっちゃないっていうか、日によって違うし。
なんかあるなと思って。
今年は元気にいきましょうみたいな。
それも意味に含んでいいのかなとかなりますよね。
こんな感じで思いました。
言葉「それはちょうどいい」についての考察
でもただすごくいい言葉をくれてて、
1.1になるためのワードみたいな、1.1になるための言葉みたいなのがあって、
それはちょうどいいって最初につけるらしいです。
確かにと思って、それはちょうどいいみたいな。
例えばで入ってたんですけど、取引先とミスがあって、
発注してたものが届いてないみたいな話が舞い込んできたときに、
なんでそうなったんとか、誰がこれ担当してんのとか、
そういう話にもなりがちかなって思うんですけど、
そうじゃなくて、それはちょうどいいねって言って、
ポジティブなワードしか出しづらいじゃないですか。
それはちょうどいいって言った後の言葉って、
それはちょうどいいって言ってから、
じゃあどこに問題があったのか確認しようかとか、
じゃあすぐにリカバーしないといけないから、
先にまず謝りに行こうかとか、
そういう次の判断のためだし、
その次の判断が1.1になるようなワードとして、
それはちょうどいいっていうワードがあって、
これはすごくいいなって思って、
それはちょうどいいねって言ってから、
次判断とか次の言葉を紡いでいくみたいな話は、
すごく面白いなって思いました。
そんな感じですね。
あと最後にまとめてるところで、
才能と自己中心的リタについての考察
このヒトジカになりたいさんも言ってるんですけど、
全ての土台に才能っていうのが入ってるんですよね。
観察・判断・実行っていうループの下、
そのベースには才能っていうのがあって、
その才能は自分では気づきにくいから、
人に言ってもらったりとか、
観察・判断・実行していく中で、
突出して出てくるものがあったりとか、
光るものがあったりとかする。
もしくは観察とか判断とか、
実行のプロセスの中でここが好きだな、
ここがあまり良くないなって見えてくるみたいなのが、
その才能の種だったりするから、
その才能の種を見つけて、
それをうまく観察・判断・実行の中に入れながら、
回していけたらいいなみたいな話と、
あと自己中心的リザっていう言葉が出てきてて、
自己犠牲とか自己中で終わるんじゃなくて、
自己中心的に自分のやりたいとか、
自分ができるとか、
自分がこれは才能だなって思いながらやってることが、
リタになってる。
リタ的。
他者のためにもなってるみたいな。
それは自分の中心、自己中心、
自分がやりたいって思ってることだし、
自分ができたことだし、
自分がやってよかったって思ってることが、
リタになってる。
あいつのためとか周りのためにもなってるっていう状態が、
すごくハッピーな状態なんですよね。
そのためには才能っていうベースを見つけないといけないし、
観察、判断、実行っていうループを回さないといけない。
その回している中で自己中心になって、
その自己中心がリタになってみたいな、
そういう縦軸のような話も最後にしてて、
そうだなと思ったし、
自己中心的リタっていうワードもすごくいいじゃないですか。
いいなと思って。
そういうのを学べた本でした。
はい、ありがとうございます。
質疑回になりたいさん読ませていただきました。
楽しかったです、これ読みながら。
僕の頭の整理もなりましたし、
こうやって話すことで思考ができたんじゃないかな。
これポッドキャストに対して観察、判断、実行でできてるのかな、
みたいな最後に思いながら終わろうかなと思います。
じゃあ今日もお聞きいただき本当にありがとうございました。
本当に花粉症ですね、皆さん。
どうですか、花粉症。
鼻詰まりがすごい。
鼻詰まりがすごいんですけど。
すみませんでした。
ということで、今回のように皆さんの独り言を僕は募集しているので、
どんどん送っていただけたら嬉しいなと思いますし、
こういった本の紹介とかしていただいたら、
僕も読んでその感想とか中身とか話していけたらな、
そういう話もできたらなみたいな楽しいなと思っているので、
そういうのでも全然いいので送っていただけたらなと思います。
では、今日か明日か楽しんで元気で、
癖強めでお過ごしください。
ありがとうございました。
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