旅行の準備と体験
寝返りを気にしながら寝ています。
りゅうちゃんの独り言
おはようございます、りゅうじです。
今日も、りゅうちゃんの独り言をよろしくお願いします。
はい、寝返りを…
寝返りした方がいいらしいですよ、筋肉が固くなるんで。
寝返りを気にしながら寝てるんですけど。
そのために寝具とか枕とかをちゃんと整えた方がいいかなということで。
去年、一昨年くらいから、睡眠生活のグッズをちょっとずつ集めてるんだけど。
そんな話はどうでもよくて。
口内炎ができてて、今すごく喋りづらい。食べづらい。
もう久しぶりすぎて、1年?2年ぶりくらいか。口内炎ができて。
めちゃくちゃ痛いですね。きついわー。
できます?口内炎。久しぶりやな。なんなんやろね、口内炎って。
一時めっちゃできて、調べたんですよ。
治し方みたいな原因とかをね。
でも結局あんまりわかってないっぽくて。
ビタミンなの、ストレスなの、なんかいろいろ言われるんですけど。
つまりこう、生活習慣をちゃんと整えましょうみたいなことぐらいしかわからなくて。
そうなんですよね。
最近ちょっとね、食生活とか乱れてたんで。
そういう例が原因で口内炎ができてしまったのかなと思うんですけれども。
辛いですね。
で、ちょっとね、ここ数日。
3月の16ぐらいから4日間ぐらい。
15か。4日間ぐらい。
ちょっと旅行にね、行ってきまして。
奈良県の方に犬を2匹連れて散歩地に行ってきました。
もう散歩旅でしたね、これは。
完璧に朝から晩まで散歩して、ご飯食べて、散歩して、ご飯食べて、みたいな。
みたいな3日4日ぐらいですね。
ほぼほぼやっぱ徳島の県南からなんで移動にはなったんですけど。
なんとかね、彼らもほとんど頑張って車の移動にも耐えてくれて。
で、いろいろね、毎日一日中散歩して、いろんなところ見て回りました。
奈良県に行ったんですけど、東大寺だったり、いろいろお寺を見たりしながら、
境内散歩できるところ散歩させてもらって、楽しかったですね。
結構2匹ともビビリのワンちゃんで、なかなか人慣れもしないまま育ってしまってるんですけど。
でね、奈良公園も結構人が多いんで、なかなか大丈夫かなと。
心配してたんやけど、なんか頑張ってくれてね、いやほんとすごく頑張ってくれて、
ちゃんと散歩して、はいててもちゃんとしてみたいなことができて、
いや良かったなと思います。本当に良かったですね。
彼らワンちゃんにとってはどうやったかわかんないですけど、
でもなんかいろいろはしゃいでくれて、しっぽもピンと立って楽しんでくれてるような雰囲気を感じたし、
何よりね、2匹と一緒にどこかに行けたことが良かったし、また帰ってくれたのがすごく良かったなと思います。
深い考察
今日は旅しながら、旅行しながらちょっとなんかボソボソと考えたことを、
メモ程度にここに残しておこうかなと思って、
これ旅帰ってきたら次の日なんで、ちょっと寝不足だったりとかはして、
声の調子が暗いかもしんないんですけど、
はい、元気です。
で、そうやな、旅良かったの久しぶりなんですよ。
1年ぶりぐらい、大阪にちょくちょく帰ったりとかしてるけど、
ガッツリと旅行みたいな感じは久しぶりで、東京行ったりとかはしてましたけど、
結構ゆっくりね、何も気にせず予定がない日は続くみたいな久しぶりだったんで、
色々感じることがあって、
一番に思ったのは、何も考えなくて良いって良いですね。
毎日ノート更新したりとか、
他にも諸々のしなきゃいけないことみたいなことがあるじゃないですか。
家事とかもそう、洗濯とかご飯作るとかもそうかもしれないですね。
そんなことも考えずに、ただただ、
今日何食べようかなみたいな、
今日どこ行こうかなみたいな、
今日どれぐらい散歩しようかなぐらいの、
別に考えても考えなくてもどっちでも良いみたいなことを、
ゆっくり過ごすみたいな時間が過ごせて、
すごい良かったなと思って、
旅中に比較的なことというか、
深く何かを考えるみたいなことをしなくて、
今回これも良かったですね。
リフレッシュ、これがリフレッシュなんですかね。
それのために、旅までの期間にやるべきことをやっておくみたいなことが大事だったのかなと。
それしてて良かったなと。
だからノートとか書き溜めとったんですよ。
投稿する前に一回だけ見て読み直して、
投稿するだけにしておいて、
旅中も毎日投稿を続けてみたんですけど。
SNSもノート以外全然見てなくて、
インスタも全然見てなかったし、
そういうのでも良かったなと思って。
本当に何も考えてなかったですね。
東大寺に行って、
そんな話をしながら東大寺に行って、
二月堂というところにお堂があるんですけど、
そこで経営を読む会みたいなのをやってて、
僕も全然詳しくないんですけど、
観音教という読む会みたいなのがあって、
それを聞きに行こうということで行ったんですけど、
何ですかね、漢字。
立派な建物があって、お寺があって、
一番奥に仏像というか、
神の仏像とか装飾が並べてあって、
そこの手前にお坊さんが何人くらい?
10人くらい?
縦に並んだり縦に並んだりとかをして、
お経を読んでるんですよ。
僕たちはその手前の仕切り?
何て言ってるんやろあれ。
扉か。
孔子の扉の外側から見るような感じになってて、
その孔子の手前に僕らが座る座敷みたいなのがあって、
その一段下りたところにお祭禅箱があったりとか、
鐘をカラカラと鳴らす鐘があったりとかみたいなところと、
お寺で一番その奥でお経を読んでて、
だからその扉越しというか柵越しにお坊さんを見るような感じで、
それを聞いたりとか一緒にお経を読んだりとかするみたいな会があったんです。
それを見に行ってて、
感じたのがプロやなっていうのを感じて、
でもプロって例えばプロ野球選手だったりとか、
美容師さんとかお医者さんとか、
腕がすごくわかるじゃないですか。
はっきりとこの人すごいなとか、
この髪の切り方すごいなとか、
野球選手だったらすごく大谷選手みたいにホームランいっぱい打つとか、
トールも頑張るみたいな、二刀流するみたいな、
はっきりと腕がわかるのがプロやなって思ってたんですけど、
お坊さんを見てお経を読まれている姿を見て、
これすごくプロやなっていうのを感じて、
だって目に見えないじゃないですか。
目に見えないというか、
こうかというかね、
なんて言ったらいいんやろ、わからんけど、
はっきりと僕たちに感じられるものがないけど、
プロやなっていうのを感じて、
すごかったんですよね。
プロって極めてるなって思ったんですよ。
極めてる。
その道をひたすらに極めて、極めて、
こうなんだろうね、やり切ってる、悟ってる。
誰かに伝えられたりとか、
見るだけで、そうじゃない人が、
極めてない人が見るだけでも、
この人すごいなって思うのが、
極めてるのかなと思うんですけど、
それをすごく感じたんですよ。
それを感じたと同時に、
極めると、僕が今言ってる継続って、
なんかちょっと色が違うというか、
段階が全然違うなっていうのを感じて、
普通に続けることと継続することも、
少し違うかなと思ってたんですよ。
続けるのは続けるだけで、
継続ってもう少しやって、
ブラッシュアップしてやって、
みたいな感じのものなのかなと思ってて、
でも継続の上に、
もう少し段階があるかなと思うんですけど、
極めるがあるのかな、最終形態的な。
極めるがあるのかなと思って。
でもそこの違いってよく難しいなと思って、
継続も極めるも、
し続けることじゃないですか。
さっきも僕の極めるの説明で、
やり続けて、やり続けて、
みたいな話をしたかなと思うんですけど、
やり続けて、
なんかやっぱり1個、
8段ぐらい1個ドーンと上がって、
なら継続からの極めるになっている、
みたいな感覚があるんですよね。
でもその、はっきりとして、
継続と極めるの線引きが分からない、
極めたことがないからかなと思うんですけど、
そんなことを感じまして、
考えずにはいられなかったですね。
2月堂のお経を読んでいるときには、
旅行中に全然考えることなかったよ、
って言ってたんですけど、
まず1個ね、
旅行は何も考えないでいいことがいいな、
っていうのを1つ考えたのと、
お経を読まれているお坊さんを見て、
極めてるなって思って、
極めてると継続のこの違いとか、
色の感じの違いってなんないのかな、
っていうのは少し考えましたね。
奈良の魅力
いやー、これも少し考えてみたいですね。
極める、なんならね、
学問というか学ぶところもあるし、
やっぱりちょっと教えるというか、
継続は一人というか、
別に周りに見せるものじゃない、
けど極めるって結構その周りに見せて、
周りからもすごいな、みたいな感じの、
一目で分かるみたいな、
感覚があるんじゃないのかなと思って、
少しそこが違いかな。
継続は自分だけでやってるみたいな、
極めるはそれが相手にも伝わっちゃう、
継続が相手にも伝わっちゃうみたいなのが、
極めると継続の違いなのかもしれないなと、
少し思いましたね。
いやー、どうやってあの境地に、
いやすごいですね、ほんと、
修行やな、極める。
うん、こんなことも考えてましたね。
はい、奈良ですよ。
良かったですよ。
なんもないや、みたいなことを聞くんですけど、
奈良の人にも聞くんですけど、
いやでも全然好きですよ、奈良。
なんか商業施設もたくさんあるし、
買い物するところもあるし、
ご飯屋さんもたくさんあるし、
公園もたくさんあるし、
鹿もおるしみたいな、
奈良への旅と余裕の考察
いや全然いいとこですよ。
近いし、関西の真ん中やし、
海ないですけど、全然そんな海とかね、
上とか下とか行ったらあるんで、
食べ物もおいしいし、
いやーいいとこでしたよ、奈良。
良かった。
こんなことを考えた、
1日4日でしたね。
そう、だからその継続とかね、
継続するんやけど、
なんかやっぱこう、
極めるまでいいかな、
わかんないかもしれない。
いや、そんなこともちょっと考えて、
生きる意味みたいなところもね、
少し考えちゃったというか、
生きる意味というか、
そもそもないとも思うんですよね、
生きる意味。
で、別に生きなくてもいいってわけじゃないんですけど、
でもかといって、
せっかく生きてるんやから、
大きなことしたらっていうところも、
なんかちょっと違うかなっていう感覚を持ってて、
生きる意味がそもそもなくて、
意味っていう意味がね、
そういうことじゃない気もしてきたんですよね。
いや、なんかね、
でっかいスーパーマーケットみたいなところあるじゃないですか、
なんでもいいんですけど、
たくさんあるお店に行って、
商品が。
そうなんですよね。
それがたくさんあるから選べるし、
選べるからいろんな想像が働いて、
これ家で使おうとか、
これ買って食べようとかって思うんですよね。
で、何を思ったかっていうと、
余裕について考える機会があって、
僕たちって、
余裕がないとか余裕があるとかってよく言うかなって思うんですけど、
その商品がたくさんあるっていうことは、
余裕があるっていうことなんですよね。
これもし余裕がないっていう状態なのであれば、
商品が1人1個もしくはゼロなんですよね。
だから、
僕たちは他の人とか誰かの余裕の上で、
成り立たせてもらってるというか、
まだ僕も答えというか全然出てきてはいないんですけど、
大量生産、大量消費が故に、
いろいろ環境問題とか社会課題とかになってるじゃないですか。
貧困格差だったりとかもそうかもしれないですけど、
大量生産、大量消費だけじゃなくて、
いろんな家建てるとか土地買うとかもそうやし、
建物作るとか建てるとか、
いろいろ人間が施しするじゃないですか、地球に対して。
それって誰かの余裕を生んでるわけですよね。
さっきのスーパーマーケットの例じゃないですけど、
たくさん物を作るから余裕がたくさんできてる。
もしそれがなかったら余裕がないという状態になると。
だから余裕の上で成り立ってるんですけど、
余裕の上で成り立った時に、
さっきみたいに言った地球問題とか、
中環境の問題とか気候変動とか、
そっちに日々が行っちゃってるんだと思って。
余裕の社会的影響
でも余裕を持とうとしちゃうというか、
余裕を持ちたいし、余裕を持てないと、
今僕がこういうこと喋ってることも考えれない気もしてて、
考えれないと思ってて余裕がないと。
だから余裕っていう言葉はすごく広い意味で捉えて、
概念的なものもそうやし、商品とかそういうものにも
当てはめちゃってはいるんやけど、
余裕を持ちすぎたゆえに、
どっかにしわ寄せが来てるところもあって、
でも逆に余裕がないと何か解決したりとか、
何か大事なものを見落としてしまったりとかするし、
焦っちゃったりとかするし、何か危機があった時に
余裕がなかったら争いとか勝て方な状態になっちゃうから、
大変な状態になるじゃないですか。
だからある程度の余裕は必要やけど、
余裕を持ちすぎるのもどうなのかなと、
その辺すごく難しいなと思って考えてたんですよ。
余裕っていうことが一つだけなんですけど、
余裕あるのかあった方がいいのかない方がいいのかって、
極端に二分した時に余裕がありすぎたら、
すごく豊かではあるんやけど、
物質的には豊かではあるかもしれへんねんけど、
そうじゃないところに余裕がないところが見れなかったりするとか、
余裕がある人だけが救われちゃったりする世界があるのかなと。
でも余裕がないだと、何かが起こった時に対応しきれなかったりとか、
気持ちに余裕ができなかったりとかになるのかなと。
でもかといって、一人一個例えば、
毎日リンゴ一個食べないといけないってなった時に人がね、
一人一個ずつリンゴを渡していきますみたいな状態になりましたと。
大きさが違うかたりとか、育ち方が違うかたりとかで、
それで喧嘩になったりとか、そこでバイバイが起こったりとか、
交換が始まったりとかするかもしれないし。
でも一人一個しかないんで、
私のリンゴあげるから、他に何かちょうだいってなったら、
リンゴが出るようになると思って、
でも一個は食べないといけないんで、一日。
みたいなのが起こるみたいなのが思って。
だから一人一個ずつあげたとしても、
それが余裕はない、
余裕があることではない状態やけど、
でもそれもすごく微妙なラインですよね。
リンゴ一個ずつあげるんやけど、
もう少しお腹空いてる人とかはどうするのかなとか、
体型とか、リンゴが嫌いな人もいるかもしれないし、
そういうところも気にしちゃうと、
一律に平等に一個だけ配るっていうのにしても、
少し違う気がしてて。
余裕がありすぎるのもあかんし、
余裕がなさすぎるのも怖いし、
かけて平等に、全部均等に分けるのも、
違う感覚やけど、
感覚でしかないけど違う気もするなと思って。
なんかそんな、
いびつな感じの、答えのない感じを少し想像してました。
その辺はノートにも書いたんですけど、
はっきりせんって、
みたいなのをね、
デコ中に考えたというか、
考えてるね、デコ中ね。考えてないんよ。
結構全然考えてないんやけど、考えてなかったんやけど、
メモを膨らますとね、僕の頭の中のメモを膨らますと、
こんな感じになりましたよっていう回でした。
そんな感じですね。
今日はもん申しちゃうっていうかね、
ぐるぐるしちゃうような感じだったんやけど、
お聞きいただきありがとうございました。
ディルちゃんの一人ごとや皆さんの一人ごとを、
年々募集してるんで、
今日の問いみたいなのをね、
持って帰って考えていただいて、
それについて何かコメントいただけたらすごく嬉しいので、
良ければ送ってください。
ということで、皆さん、
今日か明日かお元気で楽しんで、
旅もね、いいものだと思うので、
皆さん少し休まれて旅に行ってみてはどうでしょうか。
ということで、
今日もお聞きいただきありがとうございました。