学生時代の後悔
みなさんこんにちは、ということでやっていきましょう。
はい、ちょっとバタバタしていたこともあって、3日間くらい空いてしまったんですけど、
今週ギリギリ、この金曜日に滑り込んできました。
たぶん最後に投稿しているのが月曜とかですかね。
ちょっと空いてしまったんですけど、やっていきたいと思います。
今日は本題に入る前に1個だけお知らせがあって、何ヶ月ぶりかな、ちょっと久々なんですけど、
ノートっていうプラットフォームで僕はブログを書いているんですけど、
久々に新しい記事を更新したので、今日は概要欄にそのノートのリンクを貼っています。
結構ね、このスタッフから僕のノートの文章での発信にも触れてくれる人って、
全員ではもちろんないんですけど、ある程度一定の方々はそういう動きも、
僕がこうやって宣伝紹介すると見に行ってくれたりもするので、
よかったらラジオをたくさん聴いてくれている方も文章の方も見てもらえたら、
またちょっとラジオとは違う受け取り方ができるんじゃないかなと思っています。
ちなみに僕の学生時代のかなり大きな後悔について書いてます。
あんまりね、学生時代の後悔ってそんなにないと思っているんですけど、
僕は野球部だったんですよ、ずっと小学校から始めて。
中学校はクラブチーム、外部の学校じゃなくてクラブチームに入って、
高校は野球の推薦で入って、大学も推薦ではないんですけど、
部活の方、サークルじゃない方でね、ガチでやってたので、
勝負の世界だったり、努力が報われる報われないだったりね、
そういうちょっと厳しい競争の世界に身を置いてきたので、
いろんな成功体験失敗体験ある中で大きな後悔がありまして、
今思うとね、今だから後悔できるんだろうな、
当時はね、そういう感情、気持ちの浮き沈みとかもやっぱりあったので、
足られ場を言うつもりはないんですけど、
まあでも、大きな後悔をちょっと振り返って、
そこから伝えたいことっていうものをね、
あの、込めた、気持ちを込めたつもりなので、
ぜひ文章もチェックしてみてもらいたいなと思います。
この放送の後に概要欄から飛んでみてください。
野球の競争とプレッシャー
はい、そんなこんなで、えっと、今日はですね、
ちょっと僕のことを知ってもらう回にしようかなと思います。
さっきの話じゃないですけど、
あんまり僕のことをね、自分のことを知ってもらうような回ってあんまりなくて、
やっぱり何かしら伝えたいことがあって、
それを伝えるために自分の経験と紐づけてきたっていうのはもちろんあるので、
部分部分で僕の過去とか、今やってることっていうものには触れてはいるんですけど、
なんかこう、たまにはね、がっつり知ってもらう回があってもいいのかなって、
あんまりそこに振り切るつもりはないんですけど、
金曜日だしね、みんなこう仕事終わりとかにリラックスして聞いてもらえたらなと思うので、
あんまりこう、のみそ使わなきゃいけない話っていうよりは、
軽い、軽い気持ち、肩の力抜いて聞いてもらえるような回になったらいいなと思ってます。
そう、で、学生時代ね、
あんまり学生時代の話ってしたことあんのかな?
なくはないですけど、
そうだ、だったらこうしましょう。
さっきね、ノート読んでもらえたら嬉しいなって話をしたと思うんですが、
ちょっとノートの内容に一部触れながらやっていこうと思います。
で、僕がね、後悔してる後悔について書いてはいるんですけど、
一番伝えたいことは何かっていうと、
何か一歩踏み出すとか何かに挑戦するって、
たくさんね、今飛び交ってる言葉、
挑戦しようとか一歩踏み出そうみたいなのあって、
もうそこら中で誰かが言ってるんですけど、
そういう行動って、
いいか悪いか、
いい結果が出るか悪い結果が出るかをさておき、
結果っていうものが何かしら出るんですよね。
やってみることによってうまくいった、うまくいかなかったとか、
挑戦することによって達成した、しなかったとかね。
そういう結果が出るんですよ。
良かった良くなかったっていうね。
で、僕はその結果っていうものからちょっと逃げてしまったんですね。
学生時代に野球をやりながら。
野球って結果の世界っちゃ結果の世界、スポーツだしね。
競争社会みたいな感じなんで、
結果が出ないと試合には出られないし、
試合で結果を出すためには練習で結果を出さなきゃいけない。
練習で結果を出すためには練習しなきゃいけない。
練習じゃないところで練習をしなきゃいけないっていうね。
そういう構造でもあると。
僕はチームで練習とか練習試合とかでアピール、
結果を出してアピールをしたからして、
試合、公式戦に出られるっていう世界の中で、
僕は普段の試合に出るための練習試合とか、
そういう場面で自分が試合に出ることによって、
何らかの結果が出るじゃないですか。
今日は良かった、今日はたくさん打てたとか、
今日は全く打てなくて全然ダメで途中で交代したとかね。
そういう結果っていうものが出てしまう。
目の前の結果が出てしまうことがすごく怖くなってしまったんですよね。
良い結果が出ればもちろんいいんですけど、
良くない結果が出た場合に自分はそれによって、
例えばもうこいつはダメだなっていうふうに見切られてしまったりとか、
ちょっとまだまだ厳しいなっていう感じで、
次の試合のメンバーから外れたりとかね。
自分の評価をされてしまう。
自分がどういう立場なのかチーム内で、
どういう立場で、どういう順位、
このポジションだったら一番はこいつだなみたいな。
っていう順位みたいなものが決まってしまうんじゃないかなっていう風に思って、
それが決まってしまうのが怖かった。
もっとわかりやすく言うと、
こいつはもうダメだなって、もうちょっと厳しいなっていう風に見限られてしまうのが怖かったから、
それをされたくなくて、
じゃあ試合そんなにアピールしなくていいやって思っちゃったんですよね。
バカですよね。
試合に出る、公式戦とかに出るためにはアピールをして、
まずアピールをして、
そういうチャンスを掴んでそこで結果を出すっていうのが大前提なのに、
そのチャンスを掴むことを僕は放棄しちゃったんですよね。
もうその良くない結果が形として現れるのが嫌だからっていう理由で。
結果からの逃避
だから全然アピールもしなくなったし、そんなに練習もしなくなっちゃった。
そりゃあうまくいかないですよね。
おかしいですよ。
だって野球が好きで、野球で活躍したくて、
例えば甲子園で活躍したくてとか、プロになりたくてとかでやってるのに出たくないんですよ。
出たら良くない結果が出てしまうかもしれないから、
それによって自分の立場、評価が決まってしまうかもしれない。
それが嫌だからアピールしないみたいな。
ここは絶対例えばバッと振ってアピールした方がいいとか、
キャッチボールしていつでも行けますよ、監督っていう風に姿勢を示した方がいいなって思ってもやらないっていうね。
頭では分かってるんですよ。
僕結構感も鋭いし、状況とかを俯瞰して見れると思っているので、
この辺多分自分来そうだなっていうのは分かるんですけど、
自分はここで出るために今日来てるよなっていうのも察することはできるんですけど、
でも嫌だなって思ってしまう?
今思うとちょっと不思議なぐらいですけど、
でもやっぱり緊張してですね、僕ってすごく。
だから緊張して足が震えて手が震えて思うようなプレーができなくて、
それで結果が出なくてってちょっと納得いかないって言うとあれですけど、
本来の力を発揮できてないわけですよね。
それがすごく多分嫌だったんでしょうね。
だから試合に頑張ってアピールして出ようとしなくて、
あんまりチャンスが少なくなってしまえば人のせいにできるんですよ。
監督が使ってくれないとか、監督があいつばっかり引きしてるとか、
自分を使ってくれないっていう風にね。
そうやって人のせいにすることができるっていうので逃げてましたね。
あとなんか本気でやってなかったら、
別に本気でやってないしっていう風に言い訳ができる。
あいつは本気で朝も練習して夜も練習しててやってるから、
それはね、でも俺やってないしみたいな風にね。
真っすぐに言ってはないけど、なんか言い訳ができるからね。
本気でやるっていうのはもうなんか違うなって当時思ったんですよね。
本気でやってない方が言い訳できるし、なんかあいつのせいだって言えるしねみたいな。
学生時代の後悔を振り返る
もったいないなってすごい思ってて。
それがね、やっぱり僕の学生時代における一番の後悔。
結果がどうであれやっぱりやりきりたかったなって。
なんか確かにやりきりましたよ。卒業までね。
ちゃんと大学まで辞めずにやりました。
けど達成感ってものは正直あんまりなくて、
ただ時間を過ごしたっていう方が大きい。
何かを本気で取り組んでやりきったみたいな。
ただこう、みんながやってる練習には確かに耐えましたよ。
一緒にね、頑張ったけど。
自分なりに本気で取り組んでできることは全部やったなみたいな。
そういう達成感は本当になかった。
これ味わってるとなんかまた僕の人生変わったんだろうな。
人生が変わらなくても僕の中にある価値観とかね、
経験の深さとかマインド面とかもそうだけど、
もっと今よりもさらに深いところ、
いいものっていうとちょっとフワッとしてますけど、
なんかこう、もっともっとあったんじゃないかなっていう。
そこが見たかったなっていうのもあって、
今振り返ってもやっぱり一番大きな後悔はそこだなって思ってます。
挑戦を続ける重要性
っていうのをね、あんまり普段話をしてないんですけど、
今回のノートに書いてます。
僕はもう同じ後悔したくないんですよ。
やりきらなかった。言い訳するために頑張らないとかね。
ここにいるよっていうふうにアピールしないとか、
そういう後悔をもうしたくなくて。
だから確かに発信活動を自分で仕事を作って、
こういうサービスをやります、こういう企画をやりますっていうの、
不安なんですよ。
やっぱりうまくいかなかったらどうしようって思うし、
誰も興味を持たなかったら、誰も来てくれなかったら、
意味なかったのかな、需要がないのかなって自信がなくなって、
何かやるにしてもやっぱり不安はあって、
投稿一つ撮ってもこれ見てもらえるのかなとか、
自分が今回伝えたいターゲット層に届くのかなとか、
不安な気持ちももちろんそこにはあって、
でもそこから逃げてるとやっぱり過去と同じ。
だから確かに不安なんですけど、
でも同じ後悔を死ぬために今日もやるぞっていう気持ちがあって、
そこから逃げてるとやっぱり過去と同じ。
だから確かに不安なんですけど、
同じ後悔を死ぬために今日もやるぞっていう気持ちで、
日々やってるつもりなんですね。
なので、
結果はうまく出ないこともありますよ。
でもやっぱり僕は機械を掴むこと、
打席に立つことを放棄してしまった。
そもそもね。
打てる打てないの前に立ってないんだから打てるわけないんですよね。
でも僕はそこに立つこと、
バットを握ってバッターボックスに入るっていうことを学生時代に放棄したので、
今はそうじゃなくて、
うまくいこうが、いくまいが、
ちょっと前回失敗したようがまたこうね、
バット握ってバッターボックスの方に向かっていって立つ。
そこでもまた同じように
良くない結果になっちゃうかもしれないけど、
でもそれを分かった上で、
でも同じような後悔をしないために今日もやろう、
明日もやろうっていうふうな気持ちでね、
なんだかんだ5年6年こうやって発信をしてきてます。
うまくいかないことの方が多いですよね。
正直。
いいなってよっしゃって思えることの方が全然少ない。
こんだけ数やってるとね。
でもそれでも、なんかどっかでうまくいったなって思えることもやってればあるし、
やめちゃうとないし、
本気でやってればそういうふうに結果に繋がった時に喜べるし、
何なら良い結果にも繋がりやすいでしょうね。
でも手抜いてると多分どんなに頑張ってるふりっていうか、
うまいこと見せても、
多分本質はバレてしまって、
手抜いてるとやっぱり伝わらない、届かないと思うので、
学生自体とは違う、
あの時とは違うっていう気持ちでね、
あの時と同じ後悔はもうしないっていう気持ちで、
これからもやっていきたいなとね、この音をかきながら思いました。
ざっくりはしょってますが、
こういった感じのことを書いてますので、
ぜひチェックしてみてほしいなと思います。
僕の過去もそうだし、
ちょっと僕の今のこの気持ちというか感情とかも、
受け取ってもらえるんじゃないかなというふうに思うので、
その上で僕との関わり、僕との人間関係、
コーチとクライアントの関係って急に行かなくてもね、
ちょっとこいつの話をしてみたいとか、
なんか変わってみたいなって思ってくれた方はいつでも、
ご連絡をいただけたらなと思います。
ノートにも書いてるんですけど、概要欄に公式LINEのリンク、
毎回貼ってますので、そこから何か、
感想でもいいしね、何か思ったことでも、質問でも、
相談したいことでもね、何でもいいですよ。
しかも別に今そうじゃなくてもいいです。
何か思った時にね、今かなってこいつだなって思ったタイミングで、
来てくれたら、僕はいつでもウェルカムなので、
こいつと関わることが自分にとって今プラスだなって思った時に、
僕の目の前に現れてくれたら嬉しいなというような気持ちです。
はい、それではそんな感じで、
今日もありがとうございました。
また次回お会いしましょう。バイバイ。