1. Run the World, by DogsorCaravan
  2. #008 フィエルドちあき、香港..
2020-03-20 49:17

#008 フィエルドちあき、香港でトレイルを走った25年を振り返り、将来を思う【ポッドキャスト・Run the World】


ポッドキャスト番組・”Run the World”にフィエルドちあき Chiaki Fjelddahlさんをお迎えしました。大阪出身で1989年に就職して香港に住むようになってすでに30年になるというちあきさんがトレイルランニングを知ったのは、4人1組で100kmを走るOxfam Trailwalker Hong Kongに夫のクリスさんが出るというのでサポートを引き受けたのがきっかけでした。翌年には自分自身がランナーとしてこのイベントに参加したほか、ウルトラマラソンへ、アドベンチャーレースへと挑戦の舞台を広げていきます。2013年にはVibram Hong Kong 100で2位となったのち、ウルトラトレイル・マウントフジにも参戦して7位になっています。
インタビューでは黎明期の香港のトレイルランニングのこと、最近の新型コロナウィルスと香港での暮らしのこと、東日本大震災をきっかけにはじめたチャリティイベントのこと、などを聞きました。
 イントロ・ご挨拶
 トレイルランニングを始めたきっかけ
 香港のランニングコミュニティの広がり
 新型コロナウィルスと香港の人たち
 東日本大震災をきっかけに始めたチャリティイベント
 ちあきさんの今年の予定
 レースは走らない?人生の出来事と走ること。
 香港のトレイルランナーは粘り強い
 香港のトレイルレースもがんばってます
 まとめ
ポッドキャスト番組・”Run the World”の今回のエピソードはこの記事の下の再生ボタンを押すとお聞きいただけます。このほか、iTunesAndroidでチャンネル登録しておけば、新しいエピソードも既に公開済みのエピソードも見逃すことがありません。ぜひチャンネル登録してみてください。

* 表題写真・© Koichi Iwasa, DogsorCaravan
* 音楽・未来向きトライアド / Audiostock、da ta 3 / Audiostock



Tags: , , , , , , ,

00:05
DogsorCaravanプレゼント、Run the World
4日で500キロとかいう感じのレースが
でも、もちゃしましたね、あの頃。
もう有名なのがヤグクギ?
私の代わりに活躍してくれる人を全力でサポートできたら
またこれが楽しいんですよね。
南アメリカはまだ行ってないんで。
ポッドキャスト番組、Run the Worldへようこそ。
DogsorCaravanを運営している、Koichi Iwasaです。
このポッドキャスト番組では、さまざまなゲストをお迎えして
トレイルランニングを中心に、さまざまなトピックについて
お話を聞いてまいります。
今回ゲストにお迎えするのは、フィエルド・チシャキさんです。
チシャキさんは、もう香港に住むようになられてから
たぶんもう25年かと思うんですけども
香港でトレイルランニングという言葉がまだない頃から
トレイルランニングというレースに取り組むようになって
香港では大活躍。
日本でも、私の記憶では
2012年のウルトラトレイルマウントフジ第1回大会に参加されて
その時に7位となっていらっしゃいます。
その後は
ご自身のレースも走られていますけれども
香港で、日本から香港に
さまざまな方がトレイルランニングのレースに
参加されるようになりましたけれども
サポートをされたりとか応援されたりという形で
日本のトレイルランニングの
皆さんの間でもご存知の方が多いと思います。
今日はチシャキさんに
今回このポッドキャストに出ていただくことになりました。
チシャキさんよろしくお願いします。
はい、こんにちは。
まず2つ訂正から入ります。
最初にチェックしておかないといけないと思ったんですけど
忘れてました。お願いします。
私、香港にかれこれ30年なんです。
ああ、30年。
そうか、30年なんですね。
1989年に香港に参りまして
もうかれこれ31年目突入ですよね。
長いんやな。
そして2回目の訂正は
マウントフジ出ましたけど
2回目だと思うんですけど
13年か
ハラサンが優勝した時
ハラサンの年だったんですね。
まあそんな関係ないんですけど
2012年の時は
2013年第2回大会で初めていらっしゃったということだったんですね。
そうですね。
03:01
13年にビブラム走って
その後マウントフジですよね。
ビブラムの方は
その時2位と
準優勝ということで
記録拝見していたら
すごかった。
当時ですでにもう
そういうことを言ってはいけないのかもしれませんけど
当時でもう44歳とかですよね。
そうですね。
89年に
香港に住まわれるようになったのは
日本で
日本で出身
大阪のご出身なんですよね。
学校を卒業しても
そのまま
キャセパシフィック航空に就職する形で
89年に
単身で参りまして
93年に結婚して
この夫が100キロをやってたんですよ。
トレイルウォーカーっていうのが
いま日本でもやってると
世界に広がってるんですけれど
これが1986年から
香港で始まってるんですね。
その時トレイルランニングっていう言葉を
岩瀬さんもおっしゃったように
なかったんですけど
香港ではこれで10万人ぐらい
延べて参加されてて
寄付はチャリティでやってるんですけど
87億円ぐらい集めてる大きなイベントなんですね。
私はサポートを夫に入ったんですけど
4人チームなんで
そのうちチームメイトが足らなくなって
95年に初めて
フルマラソンも走らず
いきなり100キロっていうのを
やったんですけど
当時で700チーム
100キロの道のりを4人で
一組になって走ると
間奏っていうのが
チームじゃないと数えてくれないので
300チームほど
最近はフランスからもチームで
サルモンチームとか出てきて
すごい大会になって
香港では祭典?フェスティバル?
06:00
そういう存在なんですね
そういうのに出だしたのが最初かな
それまでは
ランニングにはそんなに興味は
なかったっていうことなんですかね
学生時代から陸上部とかいうわけでは
全くなかった?
それが私陸上部だったんです
でもおかしな人で
100メートルハードルから
200メートル、400メートル、800メートルぐらい
やってたんですね
中距離走というか
当時陸上部の女子っていうのは
そんなに人気がなくて
テニス部とかがかわいい
かっこいいみたいなんだったんだけど
駅弁はあるんですよ
人数たらへんから中距離でも
3キロとか5キロとかの距離を
走らないといけないようなチームだったんで
そのことはやってましたけど
全くこういうフルマラソンとか
100キロとかはなかったです
学生時代からのいろんな経験に加えて
ご主人のクリスさんが
こういうアドベンチャー大好きというか
いろんなことを楽しんでやろうとされていたことと
千秋さん自身がまた
未知のものにどんどん飛び込もうという
バイタリティの持ち主だというところが
結びついたと
アドベンチャーレースにも引き込まれ
そこらへんでカヤックとかマウンテンバイクとか
レイドゴロワーズとか
MSOQですね
田中さんとか白戸太郎さんとか
熊井健二君とかあと吉浩君とか
その頃ですよね
神話の時代ですね
そうですよそれが40何歳で
100キロとか走れたらちょっと希望の星じゃないですか
もう走れないけど
そうすると
95年の奥山トレーボーカー
ぐらいからの
ウルトラディスタンスというか
そこからですね4日で500キロとかいう感じのレースとか
でも夢中しましたねあの頃
なんか楽しすぎてがむしゃらで
怖気も知らずで
出産してて半年後にフルマラソンで
遊んでるとか
妊娠中にアドベンチャーレースに出てたとか
そうですよね
我々が日本でトレーラーニングという言葉が
人気になって私自身も
その流れに乗った口なんですけど
09:01
それが多分2009年とか
8年とか川田さんが活躍された頃から
そこまでのもうすでに15年ぐらいの
蓄積が千役さんにはあるわけですよね
その間の話は多分私も含めて
あまりまだ留殿があるんだろうなと思うんですけど
だってTシャツってコットンでしたもん
カメルバッグって
チューブのやつも自分で作ったりとか
リュックに繋げて
繋いでね
インターネットとかがなかったんで
探り手作り
トレーニングの内容にしても楽しいでしょ
以前インタビューの機会があって
ブライス・サッチャーさんというアメリカの人なんですけど
その人の話が思い出しました
彼が最初に作る
そういうボトルを刺す
ウエストバッグみたいなのを作るまでは
それこそガラスの瓶に水を入れて
背中のバックパックに入れて走ってたとか
っていうことを聞きましたけど
みんなが手探りで
やってた頃ってことなんですよね
行きたかったら手紙書くっていう時代でしたから
そうですよね
まず今年の
今度の開催を教えてほしいっていう手紙を
エアメールで出すみたいな
エアメールっていう言葉自体が
死後になりつつある感じ
皆さん相当に切って貼って出してるってないんでしょうかね
でもその頃からの
競争でした
今で言うのか
シャラシャラ歩きそうな気もするんですけど
タイムを競って
それなりのタイムを競って
結構負けず嫌いというか
皆さんね、香港で
すごいなって思ってたんですけど
大会記録はこれだからとか
チャリティーなんだけどレースっていう位置づけ
だったから面白かったかも
日本でね
最近ちょっと開催されてませんけども
オーストラリアは多くありますけど
香港独自のものがあるんですよね
国民性というか
国際性かな
いろんなところから集まって力試しみたいな
そうですね
ネパールの自民も毎年
力試しというか
そういう感じもありますもんね
12:10
そういう、その頃は
まだ小さいけどやっぱりそういう香港の中で
いろんな国から来た人
地元の香港の人たちとか
コミュニティというかランニング仲間というのは
やっぱりかなりあったんですかね
キングオブザヒルっていうのもそういえばあったんです
来たことある
距離は40キロくらいでしたっけ
ハーフとフルがあって
ハーフは15キロから20キロ
フルが35キロから45キロくらいで
有名なのが
ヤブコギ
その頃今みたいにトレイルが盛んじゃなかったんで
トレイルも整備されてないところも通さないと
繋がらなかったみたいで
夏は走れないじゃないですか
秋口になったら草が生えちゃったりとかして
最初のレースは傷だらけ
キングオブヒルが始まったときから
千秋が出てたってことですか
キングオブザヒルは80年代からあったんですけど
まず95年に出てから
そっちに行ったんですけど
そこらへん
前後そこらへんの前後で
軍手はめて出ないと
いろんなアウトドアメーカーが
ランニング用とかアウトドア用のグローブ
いろいろありますけど
軍手ですね
ランパンに挟んで
シューズも当然
トレイルランニングのシューズって
普通の
ランニングのR6とかね
今の方楽しそうでもある
いろんなレースもあって
その頃からすると
香港だけに限って
特に香港のトレイルランニング熱の
膨張というか
爆発振りというか広がりってものすごい
日本以上に
勢いがある感じが
日本から見ても
年齢層とか
ものすごい広がってきてるっていう感じ
あるんですよね
今のコロナ問題とあれなんですけど
2003年にSARSやってるんですね
あの時に
アウトドアが流行ったというか
街に出れないから
健康を見上げるためにとか
15:02
体力つけるためにとか
山に出始めたのも
そういう繋がりがあったんですか
全然違うし
前後と
レースが増えて
反対に日本人の活躍が
香港人刺激したっていうのもあるんですけどね
小倉紀さんとか
もうちょっと後になって原さんとかが優勝したりとか
アジア人でも頑張れるとか
アジア人やるじゃんとか
日本人の方も香港に来るようになって
インターネットとかもあるのかもしれないし
レースが増えたのかもしれないし
でも香港はこの狭いところで
同じようなレース100マイルでも5,6本あるので
そうですよね
香港のシーズンって秋から春にかけての
シーズンですけど
100マイルみたいな長いものだけで行っても
毎週とは言わない
月に1,2回みたいな感じありますよね
それなりに人も来てるし
ネットハウスの話
今回コロナっていう話題もあって
最近日本でも
ここ1,2週に入ると
自粛ムード
世界的にも広がりがあって
話題が深刻になり
自粛ムードも広がりにつれて
かえってもうちょっと
コロナのぶかれみたいなところもあるかな
という感じも身の回りではしてるんですけど
やっぱり大事な話題なので
この内訳さんとのお話を聞きたいと思うんですけど
足元で言うと
私たちのことで言えば
1月に先月
1月に
新設の前に行われた
直接香港でお会いしましたけど
僕も記憶ではニュースとかで
ウーハンで何か起こってるとか
新型肺炎みたいな話題はニュースで見てはいたけど
全然あまり
そんなに社会的
まだまだ遠い話かなという感じでしたけれども
その翌週くらいからは
18:00
香港も多分
もちろんこっちのニュースでも
香港の方はSARSの時の経験があるから
ものすごい感染症というかウイルスとかに対しては
意識が高い
私がまだ旅行者ですけど行った時には
そんな緊張感あまりなかったけど
やっぱり一気に変わったって感じなんですかね
内訳さんの肌感覚から見ても
中国の方から
情報が出だして
これは前回
中国が情報隠してたっていうのがあったから
香港で300人
亡くなられたんですけど
それでこれを隠してこれぐらいの
人数じゃないかとか
信用できなくなってたっていうので
かなり敏感に反応して
教訓を生かしてというか
自分の身は自分で守ろうみたいになって
封じ込めたっていう
実績というか
同じようなことをすればいいんじゃないかっていう感じで
本当に
香港は高層ビルが多いんですけれども
ボタンを押すやつに
テープを貼ってね
1時間に1回ぐらい消毒してるとか
そうじょうばさんが
大きなショッピングボーリーに入るとこには
おじさんが立ってて検温されるとか
郵便局とか愛媛銀行とか
閉めれるところは閉めていこうみたいな感じで
ざっと一気に危機感
深まったというか
そういう気がしますけど
レースもキャンセルになりました
次々にですから
アジア近辺では
ビブラム香港が
直近だと無事開催されたのは
あれくらいから先ですもんね
沖波大会もキャンセルされてますけれども
武漢のほうは
落ち着きつつある
もちろん米人に入るには2週間の検疫
ニュースが入り混じってますけど
中国のほうは一段落したみたいなニュースもあるんですけど
さっき見たところだと
ニュースで
全ての香港に入居する人は
2週間の検疫を
ニュース日本語でも出てましたけれども
まだまだ警戒モードっていう感じなんでしょうか
戻ってくるというか
ヨーロッパとか香港国際都市だから
留学されてる人とか出張に行ってるとか
向こうで働いてるとか
21:00
いろいろことがあって
あっちの感染を持って来られるんじゃないかっていう
心配に移ってきて
学生もこっちに戻ってくる
それをどうにかしようと
水際で食い止めようと思ってるみたいですけど
でもイタリアとかから帰って来られた方
本当にフォータンっていうところらへんで
本当に強制隔離で
そこに施設があるわけですね
新しいマンションを
政府が全部借りて
借り上げにして
一施設ずつ与えて
2週間クルーズ船の用じゃないんですけど
食べ物を
1日3食
いただけるみたいなんですけど
それで部屋から出ないようにと
Wi-Fiも完備で
そういうのをしてるみたいですね
封じ込めの意欲というか
徹底してる感じですね
私もいろいろ予想をしようとながら
トレーダーに関わることを
いろいろ私自身もやってます
私の考えることは
大会いつになったらやるようになるか
そういうことで考えると
悪い方に悪い方に
予想しようと思っていましたけど
アメリカ
ヨーロッパ
ノキナミこういう風になった
状況は予想を超えて
進んでる
っていう感じなんですよね
本当に私最近は
ランニングから離れてサポートもっからしてるんで
日本の選手が来て
ツノ選手が活躍して
っていうのが私の望みなので
ぜひ収束してほしいですね
そうですよね
茂木さん自身も今
お住まいは香港ですけど
いろんなところ旅行とかもされて
お仕事とかにもいろいろ影響が出てる感じですかね
今日本とちょっとね
夫が仕事をして
サポートに入ったりするんですけど
日本にも行けない感じですよね
フライトがまずないですし
今回さっきのニュースによれば
一回出てしまうとまた戻ってくるときに
24:01
そういう検疫施設に
2週間みたいなことになると
自由が聞かなくなっちゃいますもんね
そうですね
うちの息子もちょっと日本にいるんですけど
戻すと新学期に間に合わないんじゃないかとか
どう変わるか分からないですよね
状況が
日本の政府の方針も変わるかもしれないし
どうしたらいいでしょうね
どうしたらいいでしょうね
そうですね
日本の方が安全か香港の方が安全か
あるいはヨーロッパがどうかっていうのが
毎週毎週いろんなニュースで
状況が変わってきていて
香港も自分の中で中国からの
感染の脅威みたいなところからだんだん
ヨーロッパとかそういうところからの
状況が脅威で自分の方が締めないとか
そういう理由で制約を
設けないといけないとかっていうところに
話はできていると
自身がレースを走られる機会っていうのは
少なくなっているかと思うんですけれども
最近はそういう
日本の方のサポートであるとか
先週末もいろんな
チャリティーベイトなんですかね
そういったところでいろいろ取り組んでいらっしゃると
聞いたんですけど最近はどんなことに
力を入れていらっしゃるのか
ご紹介いただけたらと思うんですけど
どうですかね
お話しいただけることがあればと思ったんですけど
そうですね
いろんなことをやってますね
やっぱり自分が
走れなくなって
走れるんだけど
自分が思ったような走りができなくなると
かなり高いレベルのことをおっしゃってますからね
面白くないですよね
私の代わりに活躍してくれる人を
全力でサポートできたら
またこれが楽しいんですよね
娘が始めたりとか
それがまたどい君のサポートを見て
走ってみたいなと思うとか
そういうつながりとか影響がまた面白くて
大瀬君
どい君 奥宮君とかのサポートをやって
その方たちに
どい君のサポートを
27:02
どい君のサポートを
その方たちの
与える感動が誰かに
影響を与えているのを見ると
それもまた楽しい
今先おっしゃってくれた
チャリティーなんですけど
2011年に東日本大震災があったんですけど
その時
うちの
息子たちの
友達の家で遊んでた時に知ることになって
ちょうど2011年の
こっちの時間の2時ぐらいですよね
映像は見えたんですけど
本当のことと思えず
それが自分の
国のことであって
ショックだったんですけど
香港の人がすっごくやってくれたんですよね
トレイルランニングの関わる人も
心配してくれましたけど
香港中自体が
チャリティーの渦で
ビクトリアパークを埋めて
香港のセリフのスターとかが
チャリティーショーとかやってくれたり
歌も作ってくれたんじゃないかな
私も何かしたいって思い立って
トレイルやってて山が好きで
近場で私たちそんなお金も使わずに
なんとかできないかなと思ったら
香港トレイルの
セクション1ぐらいのところに
千段の間の階段があるんですけど
もうちっちゃくてすぐそばみたいな
そう。
本当に手軽なところから始めようと思ったんですけど
それでみんな集まってもらって
それこそ香港のレジェンドの
KKちゃんとか
あそこらへん巻き込んだりとかして
チャリティーハイク
それが2011年第1回初めて毎年続けてて
この季節になったら
またやろうかなっていうので
継続して今まで
1500万円くらい送ってるんですよね
全員が集まったら
山を貸してもらって
やらせてもらってるんですけど
昨日一昨日は有志の方が
ゴミ拾い
マスクが落ちてたり
山にマスクが落ちてたりするんですけど
誰も触りたくないから
置いたままの人が多かったりして
30:00
ゴミ手袋と
ゴミ拾いのトングを持ってきてくださって
やってくれたりして
よかったですよ
9年前の話ですから
10回目のイベントを
有志のライフワーク的な感じになって
千役さんにとっては
日本の
エリートランナーの人が
助けてくれたりとか
ビブラムに走りに来た
オクノミア君も
メッセージくださったりとか
数年前も
ドイツ君とか
グッズをいただいたりとか
ドイ君は
消防士として
あっちに行かれてたらしいんですけど
ちょうどランタウトレールに来られてた時で
ピーチしてくれたりとかね
そうなったんですか
これも忘れてはいけない
風化させてはいけないことだと思うので
そうですね
日本にいる我々としては
香港の皆さんが日本のことを
気にかけてくださって
イベントに思いを寄せて
寄付もしてくださってる
気持ちをそういった形で
ドイツさんやオクノミアさんに
だと思うんですけどね
母親となって
子どもがかわいそうだったので
今までやってきた寄付は
全部
子どもをサポートする団体に寄付してるんですね
なるほど
この子どもたちがとりあえず
もうちょっと大きくなるまでやってきてるつもり
親を亡くした方が
2000年近くいるんですって
まだ10年ですから
子どもたちだった頃は
これから1000年になるまでに
もう少し時間がありますよね
ランナーとしてだけじゃなくて
日本と香港のコミュニティをつなぐような
いろんな存在でもいらっしゃるという
千秋さんと今まで
もちろん
香港でもお会いしてるんですけれども
33:01
なんかいわゆるところで
千秋さんみたいなクリスさんみたいな感じで
アンドラでお会いしたこともあったし
ご一緒させていただいたこともあったし
東京でもありましたし
私もご一緒させていただいたこととか
去年は確かシャモニーでも
お会いにかかりましたし
今年はちょっとこういう状況なので
夏の予定とか立てづらいんですけど
千秋さんのこれから今年こんなことしてみたい
みたいな夢というか
まだ計画段階ですけど
考えてらっしゃることとかあるんでしょうか
私たち家族の
子供単位とか子供をっていうのもあって
キリマンジャロとかアンドラとか
やったんですけど
そういう冒険要素があそこに
ご家族での旅行される場合も
単なるリゾートじゃなくて
生きるか死ぬかまでが大げさかもしれないけど
そういう冒険の要素があるわけですね
ありますかね
まずは富士山からやってみようとかね
息子が6歳くらいだったと思うんですけど
息子しか頂上行けずにお姉ちゃんたち行けなかったりとか
みんなで登るんですか
富士山の6歳でどうだと思って
行けましたけど
いろんなことから学んで
早く行きすぎたらダメなんだと
鉱山病になるんだとかね
キリマンジャロは7日間かけて
家族全員で登頂したりとか
やってたんですけども
子供から離れてね
夫と2人ででもいいしお友達とでもいいんですけど
南アメリカはまだ行ってないんで
あっちの方に行ってみたいなと思ってるんですけど
マチュピチュは外してもいいんですけど
外さない外さない
パタゴニアも行ってみたいな
単なる観光ではなくて
自分の足で
足ハイキングだったり山だったり
岩瀬さん来る?
私もご主催したいところですけど
貢献要素がお呼んでないかもしれない
もっと鍛えないと
根性も鍛えないといけないですね
もう牙を抜かれたライオンのようになってるんで
同じ表情で
怖くなりましたね
36:02
50歳を超えると目が悪くなるとか
動作が発春病でなくなっちゃう
骨折したらいつ治るかもわからない
心臓になったり
ちょっとここら辺を
誰か外してくれないかなと思いますけど
外すっていうのは
それぐらいもっとワクワクするような
冒険の対象を誰かは私に
気をつけてくれという感じ
岩瀬さんができるならやれるかなとか
逆に千秋さんがやるんだから私もやるんだから
千秋さんに刺激を受けてやりたい
そういうやっぱり
あるいはまたランニングで
100マイルとか走るとか
ご自身が走るっていうのも
あったりはしないんですか?
でも練習とかで
やっぱり
足が出なかったりとか
しんどかったな楽しかったけどっていうね
目標を変えないといけないでしょ
まあ変えたんだけど
感想目標とか
なんだろう
違うじゃないですか
そのモチベーションをね
やっぱり
自分に
現実的な目標というところと
自分がやる以上は
ここくらいまではやりたいというところの
ギャップみたいなところ
誰かと一緒かな
なんかねそういう
思い浮かぶ方がね
顔がね見えるでしょ
私は言ったことないんだよと思うんです多分
ただ
なんか邪魔するんですよね
どうせ練習するならみたいな
私と茶彦さん今同時に思い浮かべた
レジェンドもそうなんですけど
私の身近なところでも
私の妻のひとみが
かつてはマウントフジでも
上位に入ったことがありますけども
同じような話になりますよね
あまりそこまで言葉にはしませんけども
それは茶彦さんと話が
やっぱり僭越ながら重なっているのかな
というか
そうですね
39:00
きっとそうかな
でも誰もそんなこと求めてないのにね
自分なんでしょうねきっとね
バランスかな
もうひとつの私のキーワード
マルチタスクでやらないと回れなかったんですよね
子供がさんにいると
お仕事したり
育てたり妊娠出産したりするときに
完璧じゃないんですけど
文句を言わせないようにやりたかったんですね
だから練習する時間とか
レース出ても
次の日が運動会だったら
朝4時に起きてお弁当作れるとか
そういう自分が好きだったのに
それできないですよ
レース出たら次の日たぶん
一日使い物にならなかったりとか
練習でそれだから
そうすると面白くないです
夫とご飯食べに行けないとか
飲みに行けないとか
子供の面倒が見れないとか
なるほどね
そういう
常にいろんなことを
切り回していくっていう
スリルというか充実感というのを
結構大きな喜びだった
今思うんですけど
そういう自分が好きだったのに
ゴローとなってしまったら
疲れたとか
年齢だけじゃなくて
身の回りの環境が変わってくれば
必ずしもそういうふうにいかないという状況を
どう受け止めるかっていうのは
年齢だけじゃなくて
いろんな生活の環境が変われば
誰しも経験することでしょうからね
そこをどういうふうに
スレッチするというか
気持ちの持ちようなのか
周りの協力を得てなのか
乗り越えていくという課題なのかな
漠然として
本当そうなんですよ
親のことも気にしないといけないし
ちょっと前までは息子の思春期と反抗期で悩んでいて
今じゃ笑ってますけど
毎日真剣なんで
そこは大きな
家族の
それぞれの成長に伴って
自分も成長しないといけないのに
体力ついてこないとかね
こんな話題になるはずじゃなかったのに
42:02
トレーランニング愛好家世代っていうのは
私のところのご覧いただいてる方とかも
30代の後半から40代っていうのは
数多いので
同じような
人間のライフヒストリー
変化を体験していくということなので
身近な
誰にとっても話題ですよね
千秋さんみたいなスーパーレジェンド
いろんなことを切り回して
やってらっしゃる方であっても
そういったところに
今後の悩み
どこまで考えてらっしゃる?
香港の人しぶといというか
頑張り屋さんだと思いますよ
最近ね
ウォンホーチュンとか
チュンの次に出てきた人も活躍してますし
ウォンホーチュンの
UTMBが6位でしたよね
これはやっぱり
日本の
株式会社が世界の
頂点に手がかかったとかって言われましたけど
今はもう
ストームみたいな人いましたけれども
ウォンホーチュンの大活躍って
アジアの目標ですよね
まだ若いし強いし
食べるし
これもキーワード
胃が強いと強いですね
私も強かったけれども
香港人と走ってると
チームで一緒に走ってても
すごいですね
レース前にご飯
お弁当みたいなのに
お肉とか乗ってるやつ
行けないやろうとか思うんですけど
胃もたれするだろうとか
日本的な脂っこいのは避けてみたいな
そんな感じがしますけど
あんまり考えてない
ストレスフリーがいいかなと思います
ある意味でそういう
応用に考えつつも
目標に向けてしっかりやると
あまりギアとかサプリメントに
頼ってるんですけど
45:02
深く考えずにやってるような
お腹触りますね
ぜひ日本の
トレーニングランナー
アスリートの方も
参考になる
ウォンホーチュンの活躍を見れば
そこから学ぶことは
日本のアスリートの人たちもあるのかなと
改めて思います
話の最後近くになって思い出したんですけど
South China Morning Postの
トレーニングランニングのことを書いている
マーク・アニューさん
いつも僕も見てるんですけど
彼が香港のレースオーガナイザーも
アクションアジアの
マイケル・マンですが
SARSの時も
俺たちはやったから
今回もいろいろ
冷静面の対策をしながらも
やっていこうと思ってる
と言ってて
2、3週間前やりましたね
そういえばマイケル・マンです
彼なら
パワー
それぐらい
良いことか悪いことか
いろんな意見があると思うんですけど
それぐらいの気持ちを持っていきたい
意気込みは
僕も何度か彼にお話させてもらったことあるので
面白いことが出ました
そうなんですね
小柳さんにとっても
まだ香港のコロナウイルスの情勢は
落ち着かない
現在も緊張感の高いモードを続けている
という話を伺いました
日本も
世界に緊張感が
まだまだ続いていますけれども
トレーランニングを走ることの魅力であったり
48:02
日本と香港の
お互いに励まし合うというか
刺激を与えるような関係が
続いていけばいいと思います
スポーツを通じて
小柳さんにお力添えいただきながら
伝えていければと思っています
岩田さんも
頑張って
世界をつなげるお仕事を
生き残れるかどうかが
心配です
そんなことはあまり言っても仕方がないので
このポッドキャストをぜひ皆さんに聞いていただいたり
これからもまたお届けしてまいりますので
ぜひ聞いていただければと思います
というわけで今回の
徳崎アルバムのポッドキャスト
ゲストは香港から参加していただいて
小柳さんありがとうございました
49:17

コメント

スクロール