顕微鏡と微細世界
手紙 三
宮沢賢治
普通、中学校などに備えつけてある顕微鏡は、
拡大度が600倍、ないし800倍ぐらいまでですから、
蝶の羽の輪辺や、バレーショの澱粉流などは実にはっきり見えますが、
割合に小さな細菌などはよくわかりません。
1000倍ぐらいになりますと、下のレンズの直径が非常に小さくなり、
したがって視野に光があまり入らなくなりますので、
下のレンズを油に浸して、なるべく多くの光を入れて、
ものが見えるようにします。
2000倍という顕微鏡は、数も少なく、
また、これを調節することができる人も、幾人もないそうです。
今、一番度の高いものは、2250倍、あるいは2400倍と言います。
その見うるはずの大きさは、0.00014ミリですが、
これは人によって見えたり、見えなかったりするのです。
一方、私どもの目に感ずる光の波長は、
0.00076ミリ、赤色。
ないし、0.0004ミリ、スミレ色ですから、
これより小さなものの形が、完全に私どもに見えるはずは決してないのです。
また、普通の顕微鏡で見えないほど小さなものでも、ある装置を加えれば、
約0.00005ミリくらいまでのものならば、
ぼんやり光る点になって視野に現れ、その存在だけを示します。
これを超絶顕微鏡と言います。
ところが、あらゆるものの分割の終局たる分子の大きさは、
水素が0.000016ミリ、
砂糖の一種が0.00000055ミリというように計算されていますから、
私どもは分子の形や構造はもちろん、その存在さえも見えないのです。
しかるに、このようなあるいはさらに小さなものをも明らかに見て、
少しも誤らない人は昔から決して少なくありません。
この人たちは自分の心を治めたのです。