1. 美想空間鯛島の『リノベの時間』
  2. 【前編】SPACESPACE一級建築士..
2025-12-04 28:40

【前編】SPACESPACE一級建築士事務所 共同主宰 岸上 純子さん

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1979年、大阪府生まれ。
関西大学建築学科を卒業後、神戸大学大学院で建築を専攻。株式会社坂倉建築研究所での勤務を経て
2006年より「SPACESPACE」として活動を開始し、2010年に独立。
現在はSPACESPACE一級建築士事務所を共同主宰している。
住宅や集合住宅、福祉施設、店舗など、暮らしに関わるさまざまな建築設計を手がける。
自らも中津商店街の築100年の長屋を購入し、2年をかけて住居兼事務所にリノベーション。
地域の人々とのつながりを育む活動として、2020年1月から2024年4月まで「ツキイチ屋台」の女将として商店街のにぎわいづくりにも取り組んでいた。
大阪工業技術専門学校特任教員、関西大学・立命館大学・滋賀県立大学非常勤講師。
大阪建築コンクール渡辺節賞・大阪府知事賞など受賞多数。建築を通じて空間だけでなく、地域と人の関係をデザインしている。


 

サマリー

岸上潤子さんが共同主宰するスペーススペース一級建築士事務所の活動やリノベーションの取り組みが紹介されます。また、中津商店街とのつながりや、そこでの酒や建築に関するエピソードも語られます。岸上潤子さんは、奈良県立医科大学の学生から依頼されたカレー屋の設計を通じて、地域コミュニティ形成の重要性を認識し、商店街での活動へとつながります。彼女は、コミュニティの継続的な発展における人々の関与や、場所づくりの意義を強調します。岸上潤子さんが地元の商店街文化とその活性化について語り、地域に根ざした活動や独自の視点を持つ人々の重要性を強調しながら、地元コミュニティの支援や関係構築の意義について考察します。

リノベーションとポッドキャスト
はい、今晩もリノベの時間をやっていきたいなというふうに思っております。
今日は久しぶりですね、大阪の方から来ていただいております。
お酒と商店街と建築土というところでお話をお伺いしたいなと思います。
というところでタイトルコール行きたいと思います。
リノベの時間!
この番組は建築土木学生向け収穫総合サービスコンキャリーの提供でお送りします。
はい、こんばんは。大阪と宮崎でリノベーションをやっています。美想空間鯛島です。
こんばんは、アシスタントの三浦です。よろしくお願いします。
なんですか?
なんか、今日の綺麗、良かったですね。
リノベの時間ですか。
これね、今宮崎に半分住んでいます。
で、宮崎でポッドキャストを始めたんですよね。
みんなにめっちゃいじられるんですよ。
やってるんですか、宮崎は。
宮崎の時間は夜なんですかってめっちゃくちゃ意味悪いみたいにいじられてまして。
向こうでは宮崎の時間やりたいと思いますみたいな感じでさらっとポッドキャストって感じでやってる。
ポッドキャストはね、地方都市とどうも相性がいいみたいなのでまた聞いてもらえると嬉しいなと。
今日はラジオで頑張っていきたいと思います。
この番組は全国のリノベーションと街づくりで活躍する多彩なクリエイターや事業家をゲストにお招きしトークセッションでお送りする30分です。
岸上潤子の経歴
はい、じゃあ行きましょう。
では早速本日のゲストをご紹介いたします。スペーススペース一級建築士事務所共同主催の岸上潤子さんです。
こんばんは、よろしくお願いします。
岸上です、よろしくお願いします。
その前に口強、三浦さん硬いんかな?
共同主催も怪しかったし、岸上も岸上もなって。
ほぐしてほぐして。
名前をどうしたんですかね?
いつもいい声でやってるんですけど。
めっちゃいい声ですね。
ちょっとね。
なんかあるんですか?
ダメですね、口の。
口がね。
体操します。
鳴らしていってもらって。
はいすいません。
岸上さん。
はい、岸上さん。
岸上さんは僕今日初めましてです。
初めまして。
もちろん一方的に同じ大阪っていうのもありますし、うちの会社のメンバーで野本っていうメンバーがゲストに呼んでもらいたいですっていうのとか。
そうなんですよ。
ありがたい。
出てくださったゲストの方、小川さん、岡崎さん、それから3名ぐらいね。
いろんな方が、え、岸上さん来てないの?みたいな。
で、なんとなく分かったんですけど、お酒っていうことですよ。
なんかさっきもね、いきなり一番最初のテーマでお酒って。
お酒と商店街と。
こんだけ近くやったんですけど、多分共通の知り合いとかはたくさんいるんだろうなと思うんですけど。
交わってこなかったので、今日はいろいろ話を聞かせていただけたらなと思います。
というところでちょっとご紹介をお願いします。
1979年大阪府生まれ。関西大学建築学科を卒業後、神戸大学大学院で建築を専攻。
株式会社坂倉建築研究所での勤務を経て、2006年よりスペーススペースとして活動を開始し、2010年に独立。
現在はスペーススペース一級建築士事務所を共同主催している。
住宅や集合住宅、福祉施設、店舗など、暮らしに関わる様々な建築設計を手掛ける。
自らも中津商店街の地区100年の長屋を購入し、2年かけて住居権事務所にリノベーション。
地域の人々とのつながりを育む活動として、2020年1月から2024年4月まで、月1与えのおかみとして商店街のにぎわいづくりにも取り組んでいた。
商店街。どうしたよ。
今までよかったんですけどね。ちょっとあと2行。
あと2行。
大阪工業技術専門学校特任教員。関西大学立命館大学私学権利大学非常勤講師。
大阪建築コンクール渡辺哲賞。大阪府知事賞など受賞をたす建築を通じて空間だけでなく地域と人の関係をデザインした。
中津商店街との関係
ありがとうございます。長くてすみません。
僕、初めましてなんで、どんな感じの人となりなんかなっていうので、SNSを見ても野球と酒しか出てこないし、でもウェブページで見る建築とかはめっちゃちゃんとすげえな。
すごい謎なんですよね。
でも僕多分、お酒と商店街と建築とっていうのは、なんかぴったりはまるんじゃないのかなっていう感じなんですけど、これは別にずれてはないですよね。
ずれてない。
ずれてないですよね。スタートはどっからなんですか?
お酒のスタートで。
お酒を飲むまでの、関西大学なんで寛大行くまで。地元はどちらなんですか?
ずっと大阪です。
大阪のどこですか?
生まれたのは大阪市内、東大塾ってところなんですけど、小中高の大学の途中までは堺市で。
堺ですか。堺は海側、山側?
山側です。
山側で。堺の人なんですね。
なんでなんでなんで。
南の人。
一緒かなと思って。
ちょっと私もドキドキしました。
あれ?どこですか?
私、八王子です。
似た感じ。
下町の匂い感がするなあ。で、堺で大学まで過ごされて、これで?
で、大学、はい、これ実は定着学科卒業なんですけど、最初は土木学科に入ってるんですよ。
経歴見たら土木学科中退ってわざわざ書いてましたね。やめたんですか一回?
やめてます。
やめて、なんか受け直す?
転入とかできないって言われて。
ほんまやったかわかんないんですけど。
てことは一番最初建築は全く目指してるとかではなかったんですか?
実は中学2年の時から建築やりたかったんですよ。
ずっと建築目指してたんですけど、いざ受験ってなった時に、建築と土木に似てるけど土木の方が偏差ちょっと低いから土木でいったらみたいな。
高校の時の。
高校になって、でもちょっと公園作るのとか興味あったんで。
ランドスケープ的な。
で、公園作るんやったら土木やでって言われて。
橋の橋とか道路の爪近くが変し、公園はここじゃないって言われて。
で、ってなって。
何年でやめた?
でもほんますぐやめたってか、すぐ。
ゴールデンウィークぐらいには学校に行かなくなって。
雨村に入りびたり。
寒大前のジャンソーに。
朝から晩までジャンソーで。
人間としてダメな生活を1年ぐらいしまして。
結局中退したのが2年生になってからなんですけど。
結局1年ちょっとはいって、在籍はしてて。
でもほぼジャンソーにいるっていう。
ほんで、受け直してるってことですか?
受け直します。
同じ大学を。
入学金2回払ってます。
ってことは、ちょっとそこ整理しときたいです。
入って、マージャンいろいろダメ大学生をして、
にもかかわらず、もう1回大学を受験し直して受かったってことですよね。
頭ええんすよね。
中学から建築は目指していて、それはきっかけは何かありですか?
美術の授業で、自分が住みたい部屋の絵を描けって。
お題で。
そのときに、こんなの参考にしたらいいよって先生が本いっぱい出してきてくれて、
多分それが今も新建築とか住宅特集とか、
あと美術の雑誌とか、
そういうのを前にドーンって積んで好きに見て考えたらいいよって言われて、
それ見てるのが楽しくて、
こんな家とかできるんやと思ってそこから建築めました。
周りに親族に誰か関係なく。
うちおじいちゃん魚やないですか。
父親子供服の卸なんですよ。
一緒くじゅう全部。
誰も継ぐことなく。
誰も継がへん。
魚やしてもおじいちゃんで終わり。
終わり。
お父さんは。
お父さんで終わり。
終わり。建築やって。
一緒くじゅう。
なるほど。
で、大学行って、
で、院まで行ってるんですよね。
結構建築を割とアカデミックにガチンコで。
この頃は設計やりたいなと思って、一回入り直してるんで、
絶対ちゃんと設計者になりたい、建築家になりたいと思ってて、
でも就職氷河期やったんで、
院卒じゃないとそもそも設計の仕事につけない状況やったんで、
もうなんか必然的に院かなあかんみたいな感じで。
なるほど。
で、院、ちなみにこの時専攻は何をやってたんですか。
建設学専攻ですね。神戸大学は。
えっと、なんていうんですか。具体的に言うと。
研究室としては都市計画の研究室の中の一緒系だったんですよ。
なるほど。
でも設計も自分でされてる先生のもとで院で、
実施設計とかもやらせてもらったりとか、そういう2年間でした。
神戸やったりとか。
ほいで、さかくら建築研究所で実務をやって独立した。
はい。
で、どのタイミングで中津にたどり着くんですか。
本当今、2016年、17年ぐらいですね。ちょうど8,9年前ぐらいですけど。
たまたま。大学の時から結構中津しょちょ行ってたんですよ。
飲みに。
飲みにも行ってたし、いわゆる阪急高架下に結構面白いお店、飲み屋そうですけど。
面白いお店がいっぱいあって、飲み会社のお店とか、レストランでも面白いとことか。
で、ピエロハーバーって言って、舞台、劇場もあって卓球台とかも置いてるし、ご飯も食べれるしみたいな。
すっごいダダピロい空間があって。
見てるもん、世代は大体一緒なんで、見てるもんは同じはずなんでね。
ただでもちょっと視点が違うんでしょうね。なるほど。
そこに通ってて、ちょっと面白いとこやなって思ったのが20代の時は思っていて。
で、そこから30代かな、就職してからはちょっと離れてて。
でもちょくちょく飲みに行ったりはしてる場所みたいな感じでした。
で、たまたま、家引こそかっていう時に調べたら、今の場所がたまたまホームページに売りに出てて。
で、一家みたいな。その時家を選ぶ基準みたいなんて、あれも結構ショート出るじゃないですか。
どういう基準やったんですか。
安くで買えるっていう。
安い場所で、でも自分らでいくらでも手入れれるんで。
めちゃめちゃ安いサラッチか、古い建物残ってるで安いところかどっちかを探してたんですよ。
てことはサラッチの時は新築。
ちなみに普段はどっちの領域の方が多いんですか。
新築の方が多かったですけど、うちの事務所とかリノベしてからはリノベが増えてます。
もともとは新築の方をずっとやってきて。
リノベ、うちの事務所やったのが初めての仕事で。
自分の家でね。実証実験をしながら。
やってみようと思って。
なるほど。
カレー屋の設計依頼
商店街のいろんなこととかね。
いわゆる分かりやすい言語で言うと街づくり的な要素やったりっていうのをやってはるから。
そこに文脈があってそうなったのかなと思ってたんですけど。
一応文脈はあって。
普通に新築とかやったときに、急に奈良県立医科大学の学生からメール来て。
近所の町屋みたいな長屋を借りて、カレー屋さんやりたいから設計してくれませんかってメールが来たんですよ。
学生から。
どういうこと?と思って、一回事務所来てって話聞いたら、3人中心メンバーの医学部生の。
医学部。
3年生か2年生かの子が1回BM乗り付けてきて事務所に。
安くて長屋借りれるから、僕らずっとカレー屋さんいろんなとこでやってるんですよみたいな。
結構流行ってて、間借りでやってたのを店舗にしたいから。
設計してくれませんかみたいな。
いろいろ話してたらお金もないし。
ほんのいい意味はあるんでしょう。
きっとね。BM持ってるから。
でも医学部生がカレー屋ってもいいけど、医学部生カレー待ち屋ってなった時に、ほんまにカレー屋やんの?みたいな話になって。
設計料ももらえそうな雰囲気でもなかったんで、それだったら楽しもうと思って。
彼らと話してる中で、実はいろいろ話を聞いてると別にカレー屋がやりたいっていうのが本当ではなくて、
裏には医学部生で学校で学んでても、卒業するまでおばあちゃんの手さえ握ることないんですよって言ってて、
そのまま卒業して自分たちが医者になることが不安で、その前にやっぱりいろんな人と会話したりとか、
そういうことをしたくて、そのきっかけとしてカレー屋をやってるっていう話になって。
そうやったらコミュニティ作りみたいなことを一緒にお手伝いしたいなと思って。
それがそういういわゆる、ちょっとまちづくり要素的な文脈のコミュニティ形成の一番最初。
地域コミュニティの重要性
それいつぐらいの話ですか?
それがね、就職、まだ前の会社にいたときかな。
20年前ぐらいってことですか?
ぐらい前です。
20年前ってことは20代30代前半ぐらいで、そういうことがあって、その場所どこですか?
奈良の八木っていうところ。
柏ですね。
柏です。
その医学部生の子らの、だから大学もあの辺なので、その近くのところで、いろいろ話しながら。
その実体験から商店街とかっていうキーワードもあったってことですか?
いや、そのときは商店街とかなかったんですけど、そのときに場所はできたんですよ。
結局カレー屋さんはやったんですけど、カレー屋さんだけやったらその子らが授業終わってから、
数時間しかできないし、毎日できるわけじゃないっていう話やったんで、
それやったら、一番得意なのは頭いいじゃないですか。
だからカレーはやるとして、塾も一緒に寺小屋っていうのをやって、
そこで子供たちが勉強してる間にお母さんとかカレー食べながら待ってるとか、
塾終わったら一緒に食べて帰れるようなカレー屋さんと、
いるコミュニティスペースでお母さんたちが場所借りたりとか、
そういう場所として一日中とか毎日使える場所にした方がいいんちゃうみたいなことで、
一緒に話しながらそういう場所ができたんですよ。
けど、その子たちが3年生やった時初めて、卒業しちゃうじゃないですか。
あと3年ですね。
今もその場所は残ってるんですけど、最初に思いのあった子たちが抜けちゃったら、
場所はあるけど、その頃の良さっていうのはコミュニティの作られ方として、
ちょっと変わっていってしまって、
その時にやっぱりそこに思いのある人がいるのってすごい大事やなと思って。
場所が箱だけあっても、人がいないと、思い持った人がいないと、
コミュニティでできないなって感じて、
私自身は焼肉に行くわけにはいかなかったので、
それだったら自分がちゃんとずっと居続けて、
そういう場を作っていくことをやりたいなって思ったのが、
場所を引っ越す先を探すきっかけであります。
- ってことはその家を探してると、ほんまにどこでもよかったけど、
そのコミュニティが作りやすそうな物件みたいなイメージはあったんですか?
どの辺探したんですか?
- 京橋も探してましたし、
- 飲み屋、はいはい。
- そうですね。もともと中津行く前は天禄屋やったんですよ。
- あー、飲み屋です。
- 天禪ね、天禪とかね。
あれもその辺りですかね。
あとガボン屋も結構調べてました。
- 当時はそんなになかったかもね、ガボン屋に関してで。
- そうですね。
- なるほど。ほいでたまたま見つけた物件が中津だったっていう。
商店街は結構キーワードやったってことですね。
- そうですね。きっと。
- 商店街も20年くらい前から行ってたんですけど、
どんどん錆びれていってるのを見てたんで。
- 中津の。
- だからその錆びれていってる具合も悲しいなと思って、
別に自分はとても大意ですけど思ってて、
たまたま物件出たから自分ができないかなっていうのはあって。
別に商店街にこだわってたわけじゃないんですけど、
たまたま中津商店街の物件が出てきて、
ある程度栄えた頃も知ってたんで。
ちょっとでもその頃に戻せたらなみたいな感じ。
- 自分が住んでるところで、
地域活動とビジネスの関係
これ別れるんですけど、
自分の住んでるところでそういう活動をするっていう人と、
自分が住んでるところは別にやっていない人に別れるじゃないですか。
住みながらめちゃくちゃ地域にコミットして、
さっき三浦も見てたんですけど、
明らかに地域の方に愛されている人になってるなみたいな感覚だったんですけど、
そんな感じのことがしたいと。
- そうですね。
別の地域で住んでなくてもいいかどうか考えたときあったんですけど、
住んでて家族持って自分の子供もいてて、
逃げも隠れもできないじゃないですか。
- フルコミットですね。
- そこまで腰据えてやろうと思って。
責任感も出るし、
失敗してもリカバリするために何かアプローチしないといけないし、
そういう態度を立つというか。
そこまでガッツリ入り込んだらどうなるかってことをやってみたかったっていうのがあって。
住みながら。
- 僕、建築リノベーションの仕事をしてる。
もともとは兵庫県の川西にずっと長くて、
40年くらい住んでたんですよ。
今、引っ越ししてまた別のところに住んでいる。
宮崎に拠点を移していても、
住んでるところで何かしたいってなったことがなくて、
どんな感じなのかなと思って。
自治会とかは入ってます。
自治会の地域のおじいちゃんおばあちゃんと一緒に何かやる。
めっちゃやってます。
- それと何か違います?
私もその延長ではあります。
地域のことをいろいろやってるんですけど。
- 何やってるんですか?
- 今PTA、小学校抜けたんでPTA抜けて、
青少年指導委員というのをやってる。
地活協というのを役員やってるとか。
あと何やってるかな。
商店街のもちろん役員やってるし、
いろいろ地域のあらゆることを言われては断れず、
やりますって言って。
- それ、仕事とそこは全く別ですか?
- 別ですね。
- なるほど、そこすかね。
僕、たぶん、
そうだ、これね。
いっぱい、少々説がたくさんあるんですけど、
コミュニティは、
僕はコミュニティがデザインできるっていう考え方と、
結果ができてるのがコミュニティだね、みたいな。
どっちが正しいとかじゃなくて、
僕たぶん後者なんですよ。
何回やってた結果、
コミュニティで勝手にできてるもんだよね、みたいな。
それを、ある程度こんなコミュニティがいいなと思って、
ちょっと意図を加えることがあっても、
みたいなことがあって、
なんで結局人じゃねえのかなとかって考えるがまずあって、
だけど、この街づくりも結構同じで、
利益が生み出せる継続の仕組みがあって、
それが3つぐらい寄って、
迎えにもできてて、面になったら、
結果、エリアが良くなってるんじゃないですかっていう考え方なんで、
たぶんビジネスと、
空き家を活用して何々とかが結構直結してるから、
住んでるエリアにそういう要素がないからなんですかね。
ちゃんと考えたことないんですけど。
うちは本当に周りにいろいろお店増えてきてて、
そこ空いたところを知り屋に紹介したりとかして、
全然設計させてもらったりもしてるんですけど、
それは仕事ですよね。
それは仕事です。
で、それをやるのに、
全然違うエリアの人とかがそこに来るわけじゃないですか。知り合いだけで。
で、その人がコミュニティに入るために、
繋ぎ役ができるのは、そこにどっぷり入ってくるからだと思ってて。
だから、完全に分かれてるわけじゃなくて、
その地域活動をやってると。
そうですよね。
だから、生活と仕事が本当に表裏一体繋がってて、
今喋ってて思ったんですけど、
結局、僕たち地肯っていうエリアに行った理由が、
全部借地なので、地価が相当安いんですよね。
なので、僕らがそこの地域を良くして、
エリア上がったら、僕ら先に投資してるんで、
儲かりますよねっていう、めちゃくちゃゴリゴリビジネスやってるんですけど、
そもそも、冒頭に安く買えたっていうのがあって、
今価値が上がっていったら、
売ったら結局儲かるんですね。
売ることはないと思うんですけど。
だから、結局は一緒ですよね。
そうですね。
人が入る、商店街の価値が上がる、土地のエリアの価値が上がる、
お金、短期的っていうか、結果的に仕事ですよね。
所存はしないですね。エリアが良くなると。
でも地元のとこ、僕たぶん家がもともと住宅地やから。
川西がですか?
川西。
川西。
生まれも育ちもの場所ですよね。
引っ越し、地元からはちょっと引っ越ししてるんですけど、
川西なんで畑ばっかりのところから、いわゆる何々台みたいな住宅地に引っ越した、
もうめっちゃ山奥の。
地元の商店街文化の重要性
たぶんどっちもそんな感じにならなかったんですよね。
でもなんかね、一度言われてハッとしたことがあって、
商店街の昔から3代目の電気屋さんにされてる方がいて、
その人に言われたのが、岸上さんって言って、
これほんまに自分が生まれた地元でこんなことできるって言われたんですよ。
できひんわと思って。屋台とかやってたじゃないですか。
自分の親が住んでる地域で、屋台できひんなって思ったんですよ。
その人が言い張ったのは全然悪い意味じゃなくて、
僕らも商店街とか盛り上げたいんだけど、
なんかしたときに、いいも悪いも、いいことしたとしても、
自分のおじいさんの台とかもなくなってるけど、
その台からのいろんなのがあるから、下手な動きできひん。
なるほど、できへんと。
やりたくてもできひんけど、外から来たあなたやから逆にできてる。
今思ってます。
それ例えば、サルと加藤さんもこの話をしたことがあって、
なんでやろうなみたいな。
でも加藤さん、自分の住んでる町楽しくなったほうがええやんか。
それは僕も思ってるけど、でも思ったら、加藤さんも引っ越ししてるし、
そうですね。
ほんとは自分の地元やったらやりづらいなと思います。
帰ったときに絶対親には、
あんたこんなことして、あの人なんか言うてんねえって。
親に言われるのが、今やったら、近所のおばちゃんとかに言われることあっても、
謝りに行ったりとか関係性をそこから築けたりする。
親ってちょっと違うじゃないですか。
深いな。
てことは、でも商店街地元で活動してる人いてるじゃないですか。
よっぽど腹を振ってるってことですよね。
今までは、絶対そうでしょ。
多いですもんね。地方とか特にそうじゃないですか。
だし、それこそリノスクとかで行ったら、地元にはもうハッと振ってるやついるじゃないですか。
多分やべえってことですよね、みんなは。
なるほど、でもそうっすよね。
言われてハッとして。
その方は、今どんな感じなんですか。
自分で電気屋さんされてるんですけど、地域のこともやってくださったりするんですけど、
盛り上げるために何かっていう、あんまり飛び出て目立つことはできないっていう。
怒られたらしまいですもんね、僕らは。
言って10年住もうか15年住もうかよそもんですけど、代替わりしてとかないですもんね。
何かした時に親が何か言われるかもしれへんとか、自分以外のところに迷惑かかるって。
そうやなと思って。
僕らのちっこには商店街が2本あって、だからやっぱりいろいろ。
今その話を聞いて、あれもか、これもかなとか、すごい出てきたんですね。
宮崎で、今宮崎はすごい商店街文化で、駅と、一回宮崎に来てください。
日本で一番スナックの数が多いエリアで。
スナック大好き。
えぐいぐらいスナックと。
普通に飲んだ二次会が当たり前に100%みんなスナック。
最高ですね。
スナックが高くて、2000円から4000円ぐらいなんですよ。
で、歌って、行ってっていう文化で。
最高。
あ、終わった。
スナックで終わった。
スナックで終わった。
ちょっと何の話もできないので、宮崎来てくださいよ。
めっちゃ行きたいです。
その商店街文化で、駅と飲み屋街がちょっと離れてる間が全部商店街で繋がってて。
そこで今一緒にやってる方たちいるんですけど、僕ちょっと見方が変わったなと思う。
本当にすごい人たちだと思います。
地元で頑張ってるっていう人たち。
リスク、あれはえぐい。歴史ごと背負ってるということですよね。
今回、激高かった話がめちゃくちゃあって、
一回がお店で、上が住居みたいな、店舗兼住宅みたいな考え方、食住の話まで行きたかったんですけど、
全く行けなかったんで、自習で。
自習でそれをできたらなと思います。
地域活動へのリスペクト
番組へのリクエスト、質問、感想など、皆様からのメールもお待ちしております。
アーカイブはYouTube、スタンドFM、ポッドキャストではリッスンにて配信しております。
これまでのゲストの方々のアーカイブも残してますので、ぜひぜひお聞きください。
学生さんに向けての話もコーナーもできなかったですね。
これもまとめて。
医学生の話が出たときに来るかなと思ったけど、こっち側。
本になってしまってたんで。
多分、さっきのは深いよ。
住んでるからこそ、あなたはよそもんだからできるんだよ。
我々の建築ができてよそもんで、
そういうつなぎ役になるっていうのは、僕たちがやるべき領域かなと思ってますし、
地元でやってる人へのリスペクト感を持って、これからは接していきたいなと思います。
次回もよろしくお願いします。
ありがとうございました。
28:40

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