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  2. 健康における主観と客観
2025-05-01 38:33

健康における主観と客観

https://x.com/rethink_health_

サマリー

今回のエピソードでは、健康における主観と客観の違いについて考察されています。WHOの健康定義を踏まえ、主観的な健康感の重要性や客観的な指標との関連について話し合われています。健康の分野では、主観と客観のバランスが重要であり、一方だけに偏らずに両方を取り入れることが望ましいとされています。特に、個々の体験や価値観に基づく判断が、実際の結果や効果とともに考慮されるべきであることが強調されています。このエピソードでは、健康における主観と客観の違い、特に主観的な痛みの理解が難しいという問題について語られています。心理的な要因が関わることで、身体的な問題がないにもかかわらず強い痛みを感じるケースが取り上げられ、予防やパフォーマンス向上においても主観の重要性が強調されています。

健康における主観と客観の理解
さまざまなトピックを取り上げて、健康について考え直す番組、Rethink Healthということで、今回は通常メンバーの織野くんと一緒に話していこうと思います。よろしくお願いします。
お願いします。
今回はですね、健康における主観と客観みたいなテーマをしゃべってみようかなと思うんですけど、健康っていう言葉の定義もWHOのものとかは一般的にあるけど、いろいろ考え方があるし、
健康診断とか受ければ、数値的に健康状態がどうかみたいな見方もするけど、あくまで健康感というか、自分が健康に感じるかどうかみたいなところは、主観に委ねられるところもあってみたいな。
自分たちはベースが理学療法士だったりとか、最近事業を通しても関わろうとしてるけど、健康に関する何かサービス提供しようとしたときに客観的なものに変化を与えるのかとか、主観的な感じ方を変えるのかとか、どう向き合っていったらいいんだろうなみたいなことを結構お互いいろいろ考えたりしてると思うし、
改めてその違いとかどういうふうに考えていったらいいんだろうなみたいなことをしゃべってみようと思います。
お話聞いてて思ったんですけど、自分が病院に行くときに客観的な指標を変えようと思って行くことってあんまりないですよね。
そうね。シンボル院とか。
CPRの数値を下げにいこうみたいなとか、血糖値上げにいこうとか、まだ近い気がしますけど、どっちかっていうとやっぱり主観的なものを何とかしてほしいっていうモチベーションになりますよね。
やっぱり自分個人のことで考えると、特に問題ないときって特に健康のことも考えないし、健康診断で数値ちょっともし悪かったとしても、いや別にしんどくないしなとか思うといかないとかもあるけど、やっぱなんか熱あるなとか苦しいとかそういうのあると病院行こうかなってなると思うし、
そうですね。
いかに客観的な指標がなんか悪いとされてても、自分がこう主観的に感じてなかったらやっぱ動かないっていうのはあると思うから、個人で言うとやっぱりこう主観的な、客観的なっていうよりも主観的な方が大事に思いやすいみたいな特徴はあるかもしれないよね。
確かになんか初動で動くのは主観な気がしますね。
うん。
なんか後から確かめに行くのは客観とか定期的に見るのは客観が多い気がするんですけどね、体重とか。
うん。
でもなんか最初になんか体を動かされるのは主観っていう、健康診断とかも客観が下がってるとか悪くなってるとかあるんですかね。
まあその、だからある程度リテラシーが必要だよね。だから多分この未来を見据えたときにこういう数値だと5年後とか10年後とか年取った後に悪くなる可能性があるみたいなことを知ってると、今こういう数値だとあ、やばい改善しなきゃとか考えるかもしれないけど、だから主観とやっぱ客観のこう見据え方が違うって感じなのかな。
確かに確かに。今ここって感じですね、主観は。
主観はね、今ここ。だけど多分客観指標は未来イメージなのか、まあまあ過去のあれが原因なのかなみたいなこう過去思い返すきっかけにもなるかもしれないけど、ほど変えようと思ってたぶん未来思考がないとなかなか変わんないのかなって感じがするかな。
まあ未来もあるし、例えばなんかスポーツとか走る速さ早くなりたいとか、自分もずっとボートとか水泳とか結構数字で客観的に自分のパフォーマンスが出るようなことをしてた感じだから、まあここまで持ってきたいっていうと逆算して考えるとか結構数値ベースで行動してたところはあるかもしれないけど、
目標、数値的な目標を持っているのかどうかみたいなとこはあるかな、もともとのその考え方というかやりたいこととして。
そうですね、自分の物を察しがパキッとある人とない人っていうのはまあそれぞれのものがありますよね。
だから健康診断で数値見てこう行動変える人は長生きしたいとか長生きするためにはどうしたらいいとかっていうのがある程度知ってる人って感じなのかな。
確かに確かに、あとはなんか上下動がなかったらあんまり見なくなりますよね。
例えば僕会社の健康診断毎年1回受けて結果が返ってくるんですけど、やっぱりなんか基本はそんなに悪くないんですけどここはなんか変動しやすいなところが目につくようになるので、
逆にそれ以外のものはもうどんどん見なくなっている気がしますね。
そうだよね、特にまだ若いからお互いまだ20から30とかそのぐらいだと基本的にはまあまあそんな問題なくてその中で一部こう悪いものが見つかるかどうかみたいな感じだと思うし、
どうなんだろう逆にこう年取った後だといろいろこう悪いものがいろいろ目立ち始めるというか、その中で何を優先するかみたいなことはなんか変わってきそうな気がするね。
確かに確かに、なんかまあ自分よりだいぶ年の上の50代60代の人からともうだいたいなんか会ったらすぐ健康診断を話しするみたいな。
主観的な健康感の重要性
なんかよく聞きますよね。
ここではどっちの話をしてるんでしょうね。やっぱり客観的な話なんですかね。
うーんそうだろうね、まあどうなんだ、まあ健康診断数値の話するとしたら多分その客観的なとこだし、なんか最近しんどいんだよねとか腰とか膝痛いんだよねみたいな感じだとこう主観的な情報を共有してるみたいな感じかもしれないし。
どっちもありそうな気がするね。
なんか今の話で思い出したのが、あの藤畑さんの本で自分聞いてもらう技術、聞いてもらう技術っていうのがあったと思うんですけど、
この中で聞いてもらう技術の時に出てきた例が、自分体調の話をするみたいなのが確か出てきた記憶があって、
なんかこう、いや最近ちょっとなんか調子悪くてとかなんかこれ目覚ましに薬飲んでる仕草とか言ったりするとなんか親同士だもんみたいな、
そういうその主観をこう、なんですかね、の見せ方というかいうところからなんか話が始まりやすいっていうところもありますよね。
そうね、なんかそこほんと周りから目に見えないところだし、ちょっとこう内面を出してる感というか共感もしやすいから、
体調の話っていうのはしやすいっていうのがあるのかな。
確かに確かに。
逆に客観的な指標の方が話しとしてはしやすいっていう側面もあるんですかね。
そうね、あくまで主観って感じだから、正確にもよると思うけど、例えば自分だと腰痛の研究してたとかっていうと、
腰痛って言っても痛みだとこうVisual Analog Scaleのバスで10点中何点とか、いろいろアンケートの指標とかもあったりするし、
あとこう痛いっていうどういうふうに痛いとかあると思うけど、
だから人によってなんか普段全然痛がらない人なのに、ちょっと痛いんだよねって言ったら心配になるかもしれないし、
なんかどっかしら痛いって言ってる人とかだと、まあまあまた言ってるよねみたいな感じになると思うし、
それでも客観的に多分その印象の数値とかめっちゃ高いってなれば、それ心配だなみたいになるかもしれないし、
例えば痛みっていうのでも、主観的に訴えたこととか客観的に訴えたことが、その人の性格とかその特性によってどう反応するかみたいなの結構違う気がしたかな。
確かに。その人なりの二人口とか表現の仕方って、痛みはなんか独特なものがある気がしますね。
なんか自分もこう痛みのこといろいろ考えたけど、だからスポーツ選手とか関わってると、痛みがあるっていうのも結構ポジティブに受け取っちゃうというか、
どう乗り越えていくかみたいなことを前向きに考えるとか、自分のボートとかだと痛みあるってことは動きの変な癖があったりとかがあるから、
今のうちに痛みが起こらないようなフォーム身につけようとか、そういうふうな切り替えができたりするけど、
結構慢性的になってる一般の人というか、世の中そんなにスポーツみたいな強い目標がなかったっていうと、
なんかのらりくらりこうどうしようどうしようとか、ぐるぐる悩みがちだったりするから、
なんかその辺で主観的な、本人の結構考え方とかやりたいことによって違うなーみたいなことをよく感じるから。
確かに確かに。スポーツだと乗り越えるものみたいな先がある感じで、
慢性的な痛みだと避けるみたいな、今どうやったら避けられるかっていう。
治しにいくっていうのもあるけど、なんかちょっと捉え方が違うところはあるんですかね。
まあそうね、痛みだとどちらかというとネガティブなもの、体にとっては。
だけど森野くんの場合だと香りとかポジティブなものっていうか、主観と客観みたいなものもあるような気がするけど、
その辺なんか考えてるコツとかあるかな。
おーですね。香りって、特に香水が一番イメージしやすいと思うんですけど、
香水をつけるっていうのはどちらかというと、お出かけする時とか、デートとか、
そういう時につけるっていうものの一方で、逆になんか、何ですかね、ネガティブな方、
セルフケアとして、ちょっと落ちてるなーっていう時とかに香りをつけたりするっていう、
そういう、つける時のモチベーションっていうのは、
最近だとネガティブの方も、もっと香り使ってケアしていこうっていうのは広がってるような気はしますかね。
なるほどね。
なるほど。だからまあ、主観と客観でポジティブネガティブでもいろいろあるかなと思うけど、
まあ、どちらかというとセラピストとか、今も事業を開発していくっていうと、
健康にまつわる何かしらの客観的な指標を改善しようとするか、
こう、何だろう、感じ方というか、こういうふうなことを感じている人にはこういうのを提供しようみたいなことがあると思うけど、
どちらかというと、自分たちだと大学院とかも行ってると客観的な方をまず考えがちだったりするかな、多分。
そうですね。何か実際に記述するときに、こう、ビフォーアフターとして見せやすいとか、
統計的に比較するっていうのがもう前提になっている気がするので、
もう基本客観的なものがベースになりますよね。
そうね。そうすると、だから身体機能を部分で分けたりとかして、数値化して、
これのぐらいだったら正常だなとか、このちょっと異常な悪い状態を改善しようみたいな感じで考えると、
まあやっぱ科学的に、何だろうな、疫学調査したりとか、介入研究したりとか、
まあそんな感じだよね、やり方としては。
そうですね。
だから主観で言うと、難しいよね。
今、健康で考えると、今健康に感じてないっていう人を、
よりこう、自分健康だなと思ってもらえるようにするにはどうしたらいいのかみたいな、
まあ認知行動力みたいなやり方もあるかもしれないけど、
それもなんか全体的な健康っていうふうにするか、
その主観的な部分に分けたもので考えるかによっても、何か違うような気がしてくるかな。
そうですね。
まあ数値がこう変わるっていうことは、なんか目に見えてわかりやすいですね。
例えば何パーセント改善しましたとかって、
10のものが5に下がりましたとかってわかりやすいなと思うんですけど、
なんか自分が学生の時に出会って覚えてるのが、
僕はがんの患者さんのQOLがどうなってるのかっていうのを研究したんですけど、
ここで出てきて、これは確かに重要だなと思ったのが、
ミニマリーインポータントディファレンスっていう考え方なんですけど、
特にQOLで使われる評価で、
これぐらいQOLのスコアが10から15になりましたっていうことが、
実際臨床的に意味があるのかっていうことを考える指標なんですよね。
それって例えば、何ですかね、10から12に変わったとしても、
正直あんまり大きな変化は自分としては感じられないけれども、
実際10から15に変わったら、何ですかね、
QOLの患者さんで腕がなかなか上がらないとか、
そういう副作用があんまり感じられなくなります。
一般的にはみたいな。
っていうその変化の意味っていうところが身近に感じられると、
その客観的な評価が意味を帯びてくるっていうことはありますよね。
確かに。どのぐらいの変化が本人にとって意味を持つかっていうのは、
なかなか統一は難しいんだよね、たぶん。
そうですね。
本人がこれまでこういうふうに生きてきて、
今後こういうふうにしていきたいんだったら、
このぐらいの変化は意味があるんだろうみたいな感じ。
そうですね。変化量だけじゃなく、
どこからどこへの変化っていうか、
イフォーというか、そこも関わってくるので、
あとはその本人のニーズっていうところですよね。
その辺りを確立化するのは難しいんでしょうけど、
提示することはできるかもしれないですね。
リハビリする上でもこれぐらい変化、
ここまで例えばMMTが3から4になったら、
こういう日常生活が変わりますよとか、
そこを描写して伝えられるのは、
セラピストの一つの役割かもしれないですね。
臨床だと多分、無意識的にでもそうしてると思うんだよね。
たぶんいろいろ課題はあるかもしれないけど、
本人の今後の生活とか仕事とか考えると、
優先順位的にここがやっぱり強いから、
ここを改善することを目指しましょうみたいなのを、
主観と客観の重要性
なんか客観的なエビデンスだけじゃなくて、
本人の価値観とかを聞いた上で考えていく。
たぶんシェアドディシジョンメイキングとか、
そういう考え方に近いかもしれないけど、
そういう対話しながら本人のことを考えてというか、
お互いに意見をすり合わせて目標を決めてやっていきましょう、
みたいな感じだから。
そこが客観と主観のミックス的なモデルなのかなって感じがしたけどね。
そうですね、確かに。
EBMとかエビデンスベースドメディセンみたいな考え方も、
基本的に客観的なエビデンスと本人の価値観と、
今使えるリソースを混ぜ合わせて考えた中で、
結局ここを決めましょうみたいな感じだから、
基本的にはそんな感じだと思うけど、
だから完全に客観とか完全に主観とかじゃなくて、
両方をバランスとよくやるのがいいんだろうねって感じだよね。
数値と体験のバランス
確かに。
でもたぶん、一個人で言えばそうだけど、
もうちょっとマクロに考えていく、
地域とかビジネスとして商品サービス開発するっていうと、
結構客観だけを考えがちになるのかな。
そうですね。
特にこれ導入したらどういう変化があるんですかとかっていうのは、
僕らめっちゃ言われるのが、
僕らは香りの空間に香りを噴霧するっていうディフューザーを販売したりするんですけど、
これ置いたらどの数値がどれくらい変わるのかとかの資料ってありますかって、
もう100回くらい言われるんですけど、
確かに分かりやすいと思うんですね。
例えば生産性が何パーセント向上しますとか、
それって分かりやすいっていういい意味がある一方で、
逆にそれだけあればいいのって僕は思っちゃったりするんですよね。
そのアンケート、正直そんなインパクト、意味がある数字だとあんまり思えないなって思う時もあって、
この数値リンギを通すためとかいろいろあるんでしょうけど、
なんかどうなんだろうなって思うことはよくありますね。
そうね。でも実際に多分そういう何か数字で出てるとか、
どっかで発表されてるとか、
結構商品サービス導入するとき、特に法人向けにとかやるときは、
結構それが大事みたいなこともあったりするからね。
そうですね。
数字の細かいところに、
まあそれはそれとしてあるけど、
だからちょっと客観的なものが全てっていうか、
それに囚われすぎるのも良くないよねって感じがするよね。
確かに。
逆になんかその通販とかで言うと、
私こんだけ変わりましたみたいな、
あっちが一人でもめちゃめちゃ刺さってる人がいた方が、
刺さることもあると思うじゃない。
めちゃくちゃありますね。
だから会社のリンギ通すとか、
複数の人に納得してもらうというか、
そうすると多分客観的な変化があった方が納得しやすい。
けど個人で言うと、最初の方でもあったけどやっぱ主観の方が大事だから、
主観的な方が動きやすいとか、
どういう人をどういう風に動かすかによって、
多分情報の出し方は違ってくるんだよね。
確かに確かに。
間違いないですね。
なんかこう販売の人とか、
こうやって見せて販売するあるじゃないですか、
デパートとか包丁の切れ味とか、
手の泡切りとか、
そういうのってやっぱりすごい、
何パーセントとかじゃなくて、
実際に実演してるんで目に見えますけど、
その人の語り口がやたら引き込まれるとか、
すごい感情を話してるとか、
そういうことで動かされるっていうのはある気がするんですけど、
さっきの法人に対してだったら客観的な数値が分かりやすいっていうのは、
結構ハックされ尽くしてるような気はしていて、
みんながみんなそういうフォーマットで資料を作ってると思うんですけど、
逆にこう主観性で説得できるように
ハックしてやりたいなって思っちゃいますね。
なんかまだその企業とかの方は、
主観の客観も入るような気がして、
去年とか結構自分は行政とか自治体とか、
そっちもちょっと関わりがあったりしたんだけど、
もうそっちの方が結構数値数値って結構言われやすかったような気がする。
本当にカチッとした感じというか。
まあ多分自然科学系の大学院の研究とかもそうなんだけど、
結構やっぱ公的に近いところは客観重視になっているのかなって感じもしたかな。
なるほど。
ここで逆に主観性が重視されてくるシナリオってあるんですかね。
どうなんだろうね。
でもさっき言った通り通販みたいな、
個人に指すみたいなとこだと、
客観的に数値云々っていうよりも、
体験してもらって、
いいなと思ってもらうとかあるだろうし、
どうなんだろう。
ストーリー的な物語で聞いた方が動く人とか、
そういうのもあんのかな。
政治とかは側面が客観ありますよね。
確かに。
だから行政とか自治体から出す資料は多分客観的に出すけど、
裏側でどのぐらいの予算を使うかとか、
そういうのって多分、
どの人がこうやって言ってるとか結局、
組織内の政治で言ってるところもあるかもしれないから、
主観の価値
結構そういう歴史とか、
そういうのに影響しそうな感じはするよね。
確かに確かに。
選挙とかも、
なんか引いてはもう一人一人が、
候補者のあの人に惹かれてっていうのの相対だと思うので、
そこもなんかある種、
主観というか、
ストーリーとかで動かされるものなのかなと思いますけど、
それがなんか、
あ、そっちにみんな行っちゃうんだみたいなことも結構、
最近多いですよね。
そうね。
だから、
そうね、
多分なんか選挙とか考えると、
投票っていうとやっぱ主観にどうしてもよる。
政策云々とかっていうよりも、
その人が好きかどうかとかに動かされるから、
逆にそれが良くないんじゃないかっていうので、
なりたゆうすけさんとかも、
22世紀の民主主義とか、
ああいう本で書いたりしたけど、
なんかそのアルゴリズムによっても、
なんだろう、
政治家とか必要なくても、
猫とかキャラクターでいいんじゃないみたいな、
世の中も客観的なデータに基づいて、
こういう意思決定して、
こういう数値を改善していくっていう、
だから結構客観よりの、
マネジメントが未来のあり方なんじゃないか、
みたいなこと提唱してたりするし、
なるほど。
まあだから主観だけでも、
まあ客観だけでも、
それでもそれ難しいじゃないみたいな、
また批判もあったりするんだけど、
どこに落ち着いていくのかなって気がするね。
なんか今思い出したのが、
なりたさんの本、まだ僕読んではないんですけど、
それってなんかこう、
人間はもう合理的な判断ができないから、
どうしたほうがいいんじゃないかっていう、
前提のもとなのかなっていうのは、
受け取ったんですけど、
まあそれって人間のこう、
大々にしてある性質じゃないですか、
間違いを犯すっていう、
だからそれで、
たまたま昨日まで読んでた本なんですけど、
言語の本質っていう、
言語学とか認知科学とかを研究してる方が書いた本で、
2023年に出た、
結構新書大賞とかも取ってて、
割とベストセラーだと思うんですけど、
出てたのが、
人間っていうのは、
エラーを起こすから学習していくっていう、
その性質があって、
例えばその、
この言葉ってこういう場面では使わないんだな、
っていうその手にオファーレベルのこととか、
このワード自体とかの典型性とか、
っていうところを、
いろいろエラーを起こすから、
すごく強化的に学習されて早くなっていって、
言語っていう複雑なシステムをマスターしていくと、
そこのデータってじゃあ完璧なのかとか、
そういうところのエラーを前提にしない、
っていうところは若干のそういう面で怖さがあるな、
とも思いますね。
そうなんかデータって、
数値のデータって言うと結構パキッとこう分けちゃう感じがあるけど、
言葉の方がもうちょっとこうグレーっていうか、
曖昧な部分もあると思うから、
なんだろう、
その辺が多分主観的なものを表現するときには、
そう、主観的なものを多分数字で表現するってなかなか難しくて、
だから主観的なものをやっぱ言葉で表現するのかなって気もしたし、
なんかさっきの政治の流れで、
最近ジョージ・オウェルの1984年っていう、
なんかディストピア小説で結構有名なやつ、
ちょうど読んでたんだけど、
その中だと、
もう大衆を考え方を制限するために辞書を作り変えて、
言葉を制限していくみたいな動きが行われてて、
なんか言語の多様性と、
考えを制限しようと思ったら言葉減らしちゃえば、
制限しやすくなるみたいなのもあるだろうから、
なんかなんだろうな、
日本人って結構、
色の表現とか、
自然の環境の描写が結構細かいみたいなことって言われてた気がするんだけど、
だからなんかなんだろうな、
その主観的なものの繊細さ、
今回だって健康に関するところだと、
体の表現とかも文化によっても違うだろうし、
香りで言っても多分、
言葉の表現の仕方とかによってもだいぶ違うよね。
いやー、だと思いますね。
日本は特に香水とかの文化は、
西洋に比べて、間違って言うと香辛国って言われるんですけど、
西洋とかってすごいなんか、
シェイクスピアの劇局みたいな、
すごいポエミな表現で、
バラの香りを語ったりするんですよ。
日本はどっちかというとそっくりに順次てるような表現が多いですよね。
ほぼ翻訳したみたいな、
なんじゃこの日本語みたいな、
正直僕も思うときあるんですけど、
日本は日本の言葉とか話し方でもっと違う表現ができるような気もするんですけどね。
確かに。
だから、さっきの自然環境の表現とかで言うと、
視覚とか聴覚の表現はいろいろあるけど、
意外と嗅覚とかは少なくて、
味覚はそれなりにあるのかな。
そうですね、味覚。
それこそオノマトペとかはやっぱり日本語独特なものがありますしね。
表現の幅っていうのは広い気がしますけどね。
うんうんうん。
なるほど。
多分その痛みとかっていうのも出てきたけど、
それも言葉で表現しようと思うと結構いろんな表現の仕方あると思うし、
痛みの文化史みたいな確か本もあったりして、
国によって痛みの捉え方とかも結構違うみたいな感じだろうから、
なんかこれまで自分も客観的な形で数値化してっていうのが多かったけど、
結構その主観的について考えていくと、
言葉の表現によってもいろいろあるだろうから、
なんかこう関わり方の幅が広がるのかなって感じは最近してるんだよね。
確かに確かに。
なんかこの主観的っていうのも最近よく考えるのも、
やっぱさっき言った自分のその痛みみたいなものっていうのが、
客観的にこうセラピストとしては考えるけど、
なんだろうな、同じ刺激受けたとしても、
痛いっていう人とめちゃめちゃ痛いみたいな人と違うから、
それをなんか客観的な方と主観的な方どっちを優先した方がいいんだろうな、
みたいなことを感じてて、
やっぱりなんだろう、本人が訴えてたらそれはもうあるもんだから、
なんかそっちを変えていかないとしょうがないかもなっていうのを感じてて、
最近結構主観の方に考えてるって感じなんだよね。
そこがなんか主観と客観が両方の、
この冊子で見たりしたらそこもわかるのかもしれないですけど、
なかなかそうはいかないですね。
そうだね。
主観のゲージ下がったら客観のゲージも一緒に下がったなとかって、
まあ見えなくはないのかもしれないですけど、
あんまりないですね。
そうだね。
でもまあその腰痛でいくと、
まず特異的腰痛と非特異的腰痛っていうようなものに分かれて、
特異的だとヘルニアとか何かこう、
追加ヘルニアとか脊柱環境作症とか、
主観と客観の違い
そっちはもう結構診断つくからいいんだけど、
非特異的っていうと、
あんまり診断がつかなくてでも痛いって言ってるパターンで、
その中でも純粋に関節の可動域が硬いとか筋力弱いとか、
物理的な刺激が運動機の問題で起きてるパターンと、
その心理的な問題が絡むパターンみたいのがあって、
だから運動機の問題がないけど、
なんか物理的な刺激が上回ってて、
めちゃめちゃ痛いって言ってる人は、
多分その主観の特効が原因として強いからか、
感受性が高いのかそっちだから、
そこはそういうふうに関わるって感じだし、
身体的な問題があればそれは関わったらいいんだけど、
身体的な問題はあんまりないんだけど、
めちゃめちゃ痛いって言ってるみたいな人が、
今何だろう、身の回りでも関わったりすると一番困ってて、
だからそこにどう対処したらいいのかな、
みたいなことを結構個人的には考えてるね。
ここが一番困り、度合いが大きくなるんですね。
何していいか分かんなくなっちゃうっていうか。
なるほど。
自分たちどっちかっていうと身体面は理解してて、
客観的な問題を解決する方法っていうのは、
運動とか物理療法とかでよく分かってるけど、
心とか精神みたいなものがなかなか分からんなと困ってる。
心理的要因と健康
でもビジネスとかで考えたとしても多分、
客観的な課題がもう表面に出てる対象とかっていうのは、
多分やりやすいかもしれないけど、
結局その商品を利用するとか、
っていうのは多分主観的にいいなと思ってもらうとか、
それ課題だなって感じてもらわないと使わない人いるだろうから、
だから心の理解みたいなものが結構共通するとこかなって感じがするよね。
組織でもありそうですよね。
売上が下がってるとかだと何とか仕様があるかもしれないですけど、
例えばなんか空気悪いなとか、
なんか辞める人多いなとかって、
なんかお店にお客さん来ないとかって、
結構どうしていいか分からないっていう表情は近しいものがありそうですね。
そうね、だから何か予防みたいなものって多分客観的に捉えづらいっていうか、
でも何か感覚的にちょっと悪くなりそうとかっていうのはあるかもしれないから、
だからその予防するタイミングっていうか、
そこは結構主観の方が逆に察知しやすいのかもしれないなとちょっと思ったかな。
確かに確かに。
もう客観的に悪くなってるんだったらそれはもう改善しようとするけど、
そうだね。
まあそうだな、そんな感じがした。
で、何かパフォーマンス上げたいとか、
さっき途中にも出てきたスポーツで今より良くしていきたいっていうのは
未来の目標があればそれに向かって客観的に数値をベースにいけるけど、
何かその予防するタイミングみたいなのはちょっと主観じゃないと察知しづらいのかなって感じたな。
確かに確かに。
予防するタイミング。
まあなんとなくいろいろ飛んでるけど。
そうですね。
なんかそう客観的な評価とかこの検証の仕方にちょっと限界を感じてるみたいなのがちょっと今のタイミングで、
なんかあれだっけ、その客観性の落とし穴とかだっけ。
最近読みました。
その本はヤングケアラーの方とか障害のある方とかの語りをインタビューで言いながら、
現象学的なアプローチでそこに向き合ってるって方だったんですけど、
なんかまあやっぱり前段とか同じように客観性っていうものがもう深刻化されてきていてっていうところは、
すごく継承をならしていて、
ただ、そこでそぎ落とされてしまうものっていうのを本当に一人一人の語りっていうところから見つめ直していくっていうのは、
やっぱり僕自身も主観大事だなと思いながら読んでたんですけど、
それでもやっぱりそこに向き合うのって相当にエネルギーがいるというか、
やっぱり一人一人の本当に語尾一つ、言葉のチョイス一つっていうのをじっくりじっくり聞いてっていうことが必要になってくるので、
そこをじゃあ効率的に録音してとか、AIで解析してっていうのはできなくはないと思うんですけど、
結局堂々巡りになりそうな気がして、
じゃあこれをこういうふうに変えていける兆しは見えるけど、
じゃあそれを実践していくためにどうしたらというか、
何ですかね、企業活動としてそこの大事さ分かって、じゃあどうしようっていう悩む僕みたいな人は結構多そうな気がしましたね。
なるほど。
自分も結構客観的なことについて考えてきたとこから限界を感じて、
結構主観も大事なんじゃないとまだ思い始めてる段階というか、
臨床場面とかだと主観的な感じ方とかを引き出して、それに対して関わるみたいな感覚的にやってるけど、
もうちょっと体系的にどう聞いたらいいのかとか、聞いた内容によってどう情報提供したりとか関わったりしたらいいのかみたいなところっていうのは、
ちょっとまだ分かってないところだし、
医療的だと認知行動療法みたいな考え方あるけど、その辺もちょっとまだ理解が甘いところだから、
今回はざっくり客観と主観の違いってあるよねとか、それぞれこんな感じの特徴ありそうだよねみたいな話がしてたけど、
もうちょっと具体的にお客さんとか患者さんとかの主観を感じ取った上で、
どう伺ったらいいのかみたいなことはもうちょっとこれから勉強して深めていきたいなと思いましたね。
そうですね。
お互い多分違うフィールドでも実践しながらその辺考える機会が増えそうな気がするので、また喋っていきましょう。
はい。
はい。ありがとうございます。
ありがとうございます。
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