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こんにちは、あきです。今日もパリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
今月は、さゆみさんと会えずということで、私一人でさせていただきます。
またね、3月どこかで復活して一緒にやりたいと思ってます。
実はですね、今ちょうどね、パリはバカンスに入ったところなんですよね。
2月のいわゆるスキーバカンスというんですかね。
2月から3月にかけて3地区に分かれて、1週間ずつずれてバカンスがあるんですけども、
ちょうどパリのエリアと、パリと付随しているエリアがバカンスに入ったところです。
今回はですね、この2月冬場の話をしたいんですけども、
実はですね、冬場っていうのは狩り、狩猟ですね。
フランスは狩猟が盛んなんですよ。
ジビエっていう名前を聞いたことがあるでしょうか。
ジビエっていうのはね、今最近レストラン行ってもジビエって普通に言ったりするところも出てきてるみたいなので、
ご存知の方もすごく多いんじゃないかなと思うんですけども、
その狩猟対象の野生の長獣ですよね。
で、そのお肉のことをジビエと言います。
要は動物とお肉を指すんですけども、
例えばどういうものがあるかっていうと、もちろんアヒル系ですよね。
カモとかね、あの辺のものであるとか、
あとはキジ。
キジっていうのもね、やっぱりポピュラーなんですよね。
はい、そういったね、いろんなもの。
あとはノウサギ、ウサギとか、シカ、イノシシ。
この辺りがフランスでは多いかなと思います。
なので、イノシシなんてやっぱ大きいですからね。
これを持って帰ってきて、血抜きしたりとか処理をして、
で、みんなで分けて食べるみたいな感じでやっていました。
今回ね、実は今に始まったことではないんですけれども、
ちょっとした事件があって、
今ってこの冬の時期っていうのがこのハンティングの山場なんですよ。
ちょうど木で生い茂ってるものも今なくなって、
結構動物たちも動いてるのが見えるっていう状態の中でね、
やっぱりハンティングをやっている人たちも結構多くて、
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そのハンティングをしているところに、
ハイキングコースで歩いてた人たちが、
ハンティングの流れ玉が当たって亡くなったっていう話なんですよね。
そういうニュースが出ました。
実際にそのハンティングに参加してたのは、
イノシシ狩りに来ていたグループの17歳の女の子で、
16歳の時に狩猟免許を取得したと。
そんな早く取れるんだって、ちょっと私もびっくりしたんですけども、
そういうニュースです。
フィエ王国なので、フランスは。
そういう意味では、ハンターが欧州の中でも多い国だそうなんですよね。
許可書を持つハンターが約100万人ぐらいいるということで、
今回の死亡事故によって狩猟規制の強化、
ちょうどね、実はこの4月が大統領選挙なんですよ、フランスは。
なので、その辺の狩猟規制に対する議論というのも出てくるんじゃないか、
みたいな話が出てきています。
考えてみたらですよ、
うちの家族は、もちろん全然狩猟に興味があるというわけではないんですが、
私のギリの父は狩猟免許を持っています。
今はもうやらないですけど、全然。
やっぱり日曜日になると、みんなで一緒にグループでハンティングして、
例えばさっき言った大きなイノシシだったら、イノシシを大きいのでみんなで分けたりとか、
シカとかね、その辺はよくやっていたと、家に持ちかけていたという話は聞きました。
あとは考えたらね、そのギリの弟、夫の弟なんですけど、
彼も免許持ってますね。
だからそういうのに興味がある人たちが結構まあまあ身近にはいますよね。
特に田舎に住んでいると、そういうのが結構当たり前かなと思います。
やっぱりこの時期しか食べれないものでもあるので、
おいしく調理をすればおいしい。
で、生地とかって普通あんまり食べる機会ないじゃないですか。
やっぱり全然違うんですよね。おいしいし。
私はカモ好きなんで、もともとカモは好きなんですけど、
養育されたカモとまたちょっと違うっていうのもあるんですけども、
ジビエそうですね。
でも私の場合はあんまりジビエを喜んで食べるっていうタイプではないですかね。
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あったら食べるっていうだけで、
この季節だからジビエが食べたいっていう感じではないかな。
人によってはね、本当ジビエが大好きで、
臭みも全然ないんですよ、シカとかもね。
だけど、ジビエならではのお肉の感じが好きっていう方もいらっしゃいます。
やっぱり、もともと農業国じゃないですか。
今もね、以前お話ししたかもしれないんですけど、森に住んでるんですよ。
森に住んでるというか、週末だけ行く森の家があるんですけど、
結構ね、道路に近いところなんですよ。
それなのに普通にシカとかウサギとかピョンピョン飛び跳ねてるわけですよ。
で、考えたらうちの森のお隣さんが農家というかね、
何を作物を植えてるんだろうな。
ちょっと忘れちゃったんですけど、
もしかしたらシリアル系かもしれないし野菜だったかな。
今真冬だからもうサラチのようになってるわけですね。
隣の畑が。トウモロコシ畑かな。
ちょっと覚えてないんですけど、
その辺をピョンピョンピョンピョン横断しながらうちの森に入ってきて、
っていうのはね、結構見ます。
なので、ウサちゃんとかシカとかは見ますかね。
キイジはね、見かけたかな。見かけてないよね。
で、ちょっと近くの大きなフォンテーヌブローの森っていう有名な森があるんですけど、
本当の森ですよ。
あそこに行くとね、時々ね、イノシシがバーっと通ってくる。
でも子供たちだったな。
でも子供たちのそばにきっと親もいたんだろうなっていう。
だからそんな大きなイノシシではなかったですけど、
ササササッと豚さんみたいに走り抜けていくイノシシを見かけたりとか、
やっぱりあるんですよね。
だから、そういう意味では冬の風物詩みたいなところはあります。
見ても良し、食べても良しみたいな、そういう世界ではあるんですけど、
ハンティングって結局生態系を守る意味もあるのでね、
そのハンティングそのものが悪いっていう感じでは、
私はもう意識は全然ないんですけれどもね。
でもやっぱりこうやって犠牲者が出てしまう、
ハンティングしてる人たちとハイキングしてる人たちが重なってしまうっていう、
そういうことはゼロではないので、
ちょっとこれはね、今後どうしていくかっていうのは見物かなとは思ってます。
09:00
それでは本編スタートです。
はい、本編です。
今回はですね、久しぶりのインタビューなんですけれども、
ライフスタイルアドバイザー、横田夏子さんにインタビューをさせていただいてます。
もともと彼女は1年の半分以上は海外という、
1年に多い時は18カ国も行っている、
ワールドビューティーインフルエンサーみたいな形でね、
ずっと旅をしながらお仕事をしていた方なんですけども、
今回ね、コロナのこともきっかけにして、
今、方向転換をされています。
今回のその前半は、その旅をしていた時代の、
そこに至るまでの奇跡も含めてお話を伺っています。
ぜひ聞いてください。
こんにちは、秋です。
今日も素敵なゲストの方に来ていただいています。
ライフスタイルアドバイザーの横田夏子さんです。
夏子さんどうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
夏子さんとは実は1回だけね、お会いしてるんですけど、
もういつだか、もうちょっと忘れちゃったくらいの。
東京でお会いしたんですよね、あの時ね。
秋さんが東京にいらした時に、私もすごく憧れてる
ライフスタイルオフライスの秋さんをずっと知っていたので、
すごく嬉しかったです。
銀座でしたよね、お会いしたのね。
素敵なお店で。
ありがとうございました、あの時は。
それからもうちょっと時間も経ってしまって、
私も夏子さんの過去というか、
それまでの活動とかは知ってたんですけども、
最近どうしてるのかなっていう興味もありつつ、
今回ゲストに来ていただいたという形なんですけども、
今はどんな活動をされていらっしゃるんですか?
今はですね、今まで6年間コロナになる前は、
スーツケース2つで世界を飛び回りながら、
四つ星、五つ星ホテルで旅するライフスタイルっていう
ライフスタイルを送ってきたんですね。
コロナで日本にいることが多くて、
本当に自分の心の中に豊かさというものを見つけるようになってから、
本当の意味で心が豊かになる、
心地よく生きていくライフスタイルの作り方っていうのを、
いろんなメディアを使って教えさせていただいたり、
お届けしたり、ライフスタイルアドバイザーとして活動しております。
だから全然コロナ前と全く変わってきちゃったって感じですよね、生活の。
ですね、ものすごく変わりましたね。
ちなみに後でね、ちょっと詳しく聞きますと、
12:00
6年間旅をしてた時ってどのくらいの割合というか、
何カ国とかね、月にどれくらい、年にどれくらいって言ってたんですか?
そうですね、一番行ってた時は年18カ国ぐらい結構。
えー、18?
一番多い時は、夜の周遊とかしたら何カ国も行けたりするし、
結構月の半分以上はもう海外に行っていたっていうライフスタイルを送っていましたね。
それはそれですごく楽しかったですね。
日本にいるよりも海外にいる方が長かった?
そうですね、海外の方が長かったです。
どういうところが多かったんですか?
もうあちこちだったとは思うんですけど、
どの国が多かったとかあるんですか?エリア的には。
そうですね、エリア的にはアジアの方とか、
あとは一回ヨーロッパ行くとヨーロッパで周遊できるじゃないですか、
だから一回行ったらヨーロッパ周遊するとか、長期周遊するとかしてたりとか、
アメリカの方はあんまり行かなかったですね。
例えばクルーズに行くってなるとヨーロッパクルーズよりもアメリカの方が安いんですよ。
ヨーロッパクルーズって結構高いけど、アメリカクルーズは結構安いので、
アメリカはクルーズで結構本土回るっていうか、
クルーズで結構ちょこちょこいろいろ回ってたりとか、
結構そうですね、いろんなところ行きました。
いろんなところっていうのはもう口で言えないくらいあちこちって感じなんだろうなっていう感じはしてたんですけど、
そういう旅をしながらいろんなことを伝えていくインフルエンサーみたいなイメージだったけど、
合ってますよね、私の。
合ってます。
コロナ前はワールドビューティーインフルエンサーという形で世界のレポートをさせていただいておりました。
SNSで発信されてたりとかね、そういうことされていらっしゃいましたよね。
それがまた今は違った形で、旅とは違うところでライフスタイルの提案をされてらっしゃるということでね。
夏子さんのことをやっぱり知るには、私は夏子さんっていろんなアクティブでいろんなことされてるってイメージがあったんですよ。
だから夏子さんの今に至るまでの経験というかそういうところも聞きたいんですけど、
一気に陽時期になっちゃうかもしれないんですけど、小っころって夏子さんってどういう子どもだったんですか?
小さい時は勉強はあんまりできなかったんですけれども、
父が小学校のスポーツの先生だったので、すごくスポーツを父に教わって、
本当に真血以来のスポーツ女子でした。ものすごく。
へー、運動系だったんだ。
15:01
そうなんですよ。すごく運動系で、努力と根性でみたいな。
へー、そうだったんですね。
今のね、ロングヘアーですごくエレガントな夏子さんとちょっとイメージがやっぱりあんまり結びつかないところもあるんですけど、
結構アクブな感じ。
そうですね、だからずっと多分小学校中学校は結構スポーツやっていて、あんまり女子らしさっていうのはなかったので、
高校を上がるぐらいからもっと女の子らしくなりたいと思って、そこで多分美意識が高まっていったんですよ。
おー、そういうきっかけだったわけですね。
そうですね。
なるほど、それから普通に学生生活送られて就職したんですか、その後は。
そう、そこからやっぱりすごい美を追求するようになって、私も美しくなりたいし、美しくみんなをしてあげたいなと思うようになって美容学校に歩んだんですね。
なるほどね、そっかそっか。
美容学校に行った後に美容師にはあんまりなりたいと思えなくて、その後エスティシャンとしてエステの道に歩んだんです。
そうなんですね。
いわゆるそういうエステティックサロンみたいなところで施術をされている人だったってことですよね。
そうなんです。
その時はどうでしたか、その時代の自分を振り返っていただくと。
そうですね、その時は本当に今まで努力と根性でしか生きてきたことがなかったので、本当に自分の心に素直にならないで、何だろう、会社のためなんとかのため、本当に努力と根性で自分を見失って生きていたなーってすごく思いました。
その時に結構エステの業界ってブラック的な働き方のところが多くて、そこでもう心と体のバランスを崩してしまってパニック症候群になっちゃったんですよね。
それって働き始めてどれくらい経ってから?
3年くらいですね。
3年こうギリギリの生活を送ってきてて、もう自分の症状として出ちゃったみたいなところがあったのかもしれないですよね。
もう限界で、本当にその時に20代前半だったんですね。
20代前半でこんなに体が辛いんだったら、本当に長生きしたくないって思って、これからの人生どうしようって、本当に通勤中の特急電車に自分の身を投げたらここで楽になれるのになーとか、本当に考えていたぐらいだったんですよね。
かなり追い詰められてた感じですね。
そうなんですよ。
そんな時に、どん底に落ちた人生なんだから、一度くらい自分の好きなことを挑戦してみてもいいのかなーみたいな、ある意味吹っ切れたみたいな人生をよくしようっていうことに対して、これ以上どん底に落ちるわけもないから、思いっきり好きなことをやってみたいなーって思ったのがきっかけで独立をしていったんですよね。
18:15
じゃあ、ちょっと体調を崩されて3年ぐらいで、もうすぐそういう方向性を見出されたのか、そう思いながら結構悩んでた時期があったのか、そのあたりはどうなんですか?
エステもある大手のブラック企業で働いていて、自分を変えたいという思いで、いろいろネット検索をしていたら、ハワイのデトックスツアーっていうのがあったんですよ。
必要だった感じですよね、夏子さんにはね。
これに行ったらなんか人生変わりそうって思って、そこに行ったんですよ。
そこで海洋新村水を飲んで腸の中をデトックスするっていうものだったんですけども、私は本当にそこであまりにデトックスされすぎて高熱が出て、
そのヒーラーさんにヒーリングしてもらった時に、言いたいことを言えないですごく生きてきたねって、やっぱりチャクラのところが喉のチャクラになんかあったみたいで、本当にそうだったんですよね。
そこでハワイで結構浄化されて、これから自分がどうやって生きていきたいんだろうって思った時に、やっぱり自分の好きなことにして生きていきたいって思って帰国をして、すぐに退職届を出して、
あっという間に決まっちゃった感じですね、ハワイに行って。
そうですね。それで当時お付き合いしていた彼が自分自身でお仕事をしていたので、その彼のお仕事を手伝いをしながら、当時の彼はインターネット系の仕事をしていたので、
私もインターネットのことをそこで学んだから、SNSを始めたら、YouTubeとかFacebookとかがすごく人気になっていただいて、フォロワーが21万人ぐらいになって。
え、流石っこい。
じゃあ、2000何年ぐらいですか、その辞めて、SNSを始めた。2011とか12とかあのあたりですか。
約10年ぐらい前なので。
じゃあ、やっぱり2012年のあたりってことか。
そうですね。
で、その時、流石っこさんは何を発信されてたんですか。
その時は、YouTubeはヘアアレンジを発信していったんですよね。
私も最初に流石っこさんを認識したのはそれだったんですよ。
うれしい。
ヘアアレンジのちっちゃな動画とかもアップしてたりとか写真とかしてたので、
私は元々、その後ね、ほら、ワンピースとかその後でしたよね。
はい、その後です。
ですよね。だから、私の認識は最初は髪の毛の人だったんですよ。
そうですね。
初期の頃から見てたってことですね、私はね。
21:02
へー。
そう、だからヘアアレンジをやってらっしゃる方っていうイメージだったんです、最初のイメージ。
そっか、それをじゃあそれでも本当に、当時やってる方はいませんでしたよね。
美容系の方はいらっしゃったと思いますけど、
ああいうヘアアレンジを写真とか動画とかなんかで上げてる方って珍しかったかもしれないですよね、あの時は。
当時はね、日本ではあんまりいなくて、海外ではいたので、
なんかこれ日本語で届けたらいいんじゃないかなみたいな感じで思ったら、
そう、たくさんの方が見てくださって。
そうだったんだ。
じゃあもうエッセのブラックから、SNSっていう全然違う世界に入っていったって感じですね。
本当にそうですね。
その後じゃあ、ワンピースのオンラインショップでしたっけ。
そうですね、なんかやっぱり自分が何していきたいのかなと思った時に、海外にすごく憧れがあって、
海外とつながれるお仕事したいなーって思った時に、
まず輸入ビジネスをやってたんですね。
輸入ビジネスやってた時に、自分でオンラインショップ作った方がいいなと思って、
自分でワンピースのオンラインショップを作ってたんですね。
輸入をされた時も最初からワンピースって決めてたのか、
例えば美容系もいろいろあったりするし、ファッション系だっていろいろあるわけで、
夏子さんの中では決まってたんですか、その輸入ビジネスを始める時に。
そう、なんかファッションバイヤーってかっこいいなーと思って、
ファッションバイヤーになりたかったので、
ただそれだけで始めました。ファッションバイヤーになったらかっこいいなーと思ったので、
それでワンピースが好きだったので、ワンピースに特化していこうと思ったんです。
そこはブレてないんだね。
そうなんですよ。
結構輸入で、要は元々日本では入ってきてないブランドとかを入れたってことですか。
そうですそうです。
でもそれはインターネットでできちゃってたので、海外に行くってことがあんまりなかったんですね。
海外の展示会とかに行けるバイヤーになりたいなと思って、
海外の展示会にちょっと顔を出すようになったりして、
海外の展示会に行ってバイヤーするのって結構大変で、
そんな時に海外の旅行代理店のお話をもらって、
その海外の旅行の代理店をするようになってから海外に招待されるようになったりとか、
ホテルに無料で泊まれるようになったりとか、
そういう風に旅して配信してたら航空会社とか、
飛行機の航空ラウンジの会社とかから、
うちの会社のラウンジもレポートしてもらえませんか、
うちのホテルもレポートしてもらえませんか、
24:00
みたいな感じで旅ブロガーになっていったみたいな。
じゃあ元々はその輸入ビジネスをやろうと思って、
海外の展示会に行きたいなーってところからスタートして、
そこから旅行代理店的な仕事をもらったところからスタートだったんですか。
そうですね、海外にめちゃくちゃ行きまくるっていうのはそこから始まりました。
なるほどね。
その時はどうだったの?
自分でやりたいことを見つかったって感じだったのか、
よくわからないままとりあえずやってみちゃったみたいな感じだったのか、
夏子さんとしてどんな感じだったの、その時。
私的にはやりたいことがこれだって思ったんですね。
バイヤーもやってみて思ったのが、海外に本当に仕事で行っても楽しめないんですよ。
結局バイヤーで展示会とかに行っても1週間はその展示会に行き来したりとか、
あとは1週間でヨーロッパに滞在するってなったら航空券も含めて結構高いじゃないですか。
結局仕事で海外に行ってもめちゃくちゃお金かかるし楽しめてないし、
なんか違うなーって思ってたんですけども、
旅行の代理店のお仕事だとその会社のおかげでホテルに無料で泊まれたりとか、
あとは自分がいろんなホテルを見てきて良かったことを発信して、
そして就任につながっていくっていう、本当に旅が仕事になるみたいな感じだったので、
これだなーって思ったんですよね。
ストレスもないしね、展示会にずっと行き続けなきゃいけないとかね、
そういう感じではないですもんね。
そうなんですよ、本当に自分のライフスタイルが生活の一部みたいな感じになったので、
仕事でもありライフスタイルの一部みたいな感じになってたので。
そういう5つ星ホテルのレポートとかね、ラウンジのレポートとかね、
いろいろやってらっしゃったと思うんですけど、
やっぱり高級と言われるラグジュアリーホテルとかにずっと滞在されて、
海外もそれだけたくさんいらっしゃっていて、
夏子さんの中で気づいたこと、感じたこと、
そういうホテルならではのことでもいいですし、
私が知らないことたくさん知ってらっしゃると思うので、
教えてほしいなと思ったんですけど、何かありますか?
そうですね、気づいたこと。
まず観光客だからっていうのもあるかもしれないですけど、
観光客として海外行くと、
日本人ってすごく外国の方から見て、
信頼度が高いんだなっていうのを感じて、
見た目としてはアジアの方だから、どこの国かわからないじゃないですか、
中にはあんまり好かれない人種の方がいらっしゃるわけですよね。
でもパスポート出しちゃったのに、すごくウェルカムみたいな感じだったとか、
それはフランスでもイギリスでも全然違くて、
27:02
本当に日本人でよかったなって、
今までのご先祖様に感謝だなって。
そうなんだ、日本のパスポート強しですね。
住んでる秋さんとまた違う視点だと思うんですけど、
観光客で行く分にはすごくそれを感じましたね。
面白い。それだけ数いろんな国行っててもそうだったってことですよね。
そうですね。どこでも本当に歓迎してもらえるというか。
何なんだと思います?これって。
多分おそらく今まで私たちのご先祖様というか、
昔の方々が多分それだけ世界に貢献してきていたりとか、
昔の方々がホテルに行ってもいい行いをしてきたからこそ、
多分日本人は礼儀正しくて、
部屋も綺麗に使って、
たぶんそういう風にイメージがあるんでしょうね。
それで本当に昔の方のおかげだなって思いますね。
確かにやっぱりイメージってあって、
そのさっきの部屋を汚く使う人たちもいますからね。
本当に。
海外の方ですか?
海外の人で、日本人って汚く使う人もいるんだけど、
そのレベル感が違うんだと思うんですよ。
平均的に見た場合、丁寧に使ってるし、
物がなくなるとかそういうのもないだろうし、
だから多分日本人はきちんとしているっていうような
イメージっていうのはあるんだろうなとは確かに思いますよね。
私ですね、ヨーロッパに行った時ですね、
まだ旅慣れてない時にバスタオルを畳んで置いといたんですね。
畳んで置いといて、私はもうこれ使いましたっていう感じにしてたんですけど、
畳んで置いてたら、いつも片付けてくれなくて、
そしたらね、結構あってなくて、
ぐっちゃぐちゃにしてお風呂の中に放り投げて置くぐらいでいいんですよね。
そうなんですよ。
使った感をちゃんと出した方がいいっていう感じですよね。
だから結構本当床に入れたり、バスタオルのところにポーンと入れてたりとか、
それが普通なんだけど、日本の人って結構丁寧に畳んでおくから、
そこをこづけられなかったってことがあったってことですね。
そうなんですよ。だからそれから海外に行ったらぐちゃぐちゃにして、
バスタオルを置いておいて、だから逆になれるのが大変でした、それが。
知らないかもしれないですよね、私たちね。
いついちゃったんだって。
そう、綺麗にしてるから、向こうとしてはまだ新品ならんぐらいの感覚なんだろうなって。
あと海外にあちこちいらっしゃって、仕事と旅とセットになっていって、
旅してた時間の中での気づきってありますか?
そうですね。海外にたくさん行ってよかったなって思うことって、
30:04
私にとって海外旅行って価値観のアップデートだなと思っていて、
日本だけにいると日本だけの価値観にとらわれてしまうんですよね、
ルールとか価値観とかにとらわれてしまうんですけれども、
海外に行くと日本の常識が常識じゃないじゃないですか、
それがいろんな国によって常識だったりとかルールだったりとか違うんですよ。
それを見たときにいろんな考え方の方がいるし、
いろんな考え方があっていいんだなってそこで自分の価値観とか制限がパカーンと外れたんですよね。
そうなったことによってルールにとらわれない人間になれたので、
すごくアイデア力が出てきたりとか、
日本に静まってた時よりも心も大らかになることができたし、
こういった考えの方がいるんだ、こういう世界があるんだって知れてから、
すごく自分の世界観というのが広がりましたね。
世界がパカーンと明るくなったというか。
例えば1国だけじゃないと思うんですけど、
夏子さんの世界を海岸させてくれた国とか場所とかってあります?
エリアでもいいしモデルでもいいんだけど。
そうですね、一番私が初めて行った海外がバリ島だったんですね。
その時は学生の時に行ったんですけれども、
日本が悪いわけじゃないんですけども、ある意味良くも悪くも結構ルールがしっかりしている国じゃないですか。
でも仕事中サボるとかも私の中でありえないことだったし、
でもバリ島に行った時に美術館の警備員さんが本当に座りながら太鼓を叩いていたりとか、
美術館で?
美術館の警備員さんとか、みんな仕事適当だし、
運転手さんに、なんでバリ島の人は仕事が適当なの?みたいな感じで聞いたら、
僕たちは仕事が人生のメインじゃなくて、人生のメインは家族なんだ、楽しいことなんだって言ってて、
それまで私は仕事が自分の人生になっちゃったんですよ。
でも海外の方って、多分フランスとかも分からないですけども、
私からしたらそうなんじゃないかなって思うんですけども、
日本人は仕事が人生になっちゃってるけど、海外の方って自分の人生を楽しむ中に、
その中に仕事っていうのがあるなってすごく感じたんですよね。
だからそれを見て、なんかもっと気楽に生きていいんだなってすごく思いました。
でも分かります、私もだから最初に海外来た時はロンドンだったんですけど、
旅行じゃなくて生活をしたのがロンドンだったんですけど、
私もそれまでも仕事、仕事、仕事って感じだったのが、ある意味パカーンと外れて、
33:05
私の場合はもっと最悪で、最悪でっていうか、もともとイギリスの会社の日本だったんですよ。
だからその本社を見に行ったんですね。
で、私と同じような肩書きの人が6時に帰っていくわけですよ、普通に。
定時に。
定時に、でも今日はコンサートに行くんだとか、今日はフィットネス行くんだ、デートに行くんだって、
さよならって帰っていくわけ。
同じ仕事してるわけですよ、正直。
理由が違うだけで。
なんで私は毎日11時まで働いて、休日出勤までして、
これおかしくないっていうのが最初の私の開眼のきっかけだったんですよね。
そうなったんですね。
だから同じです、そういう意味では。
やっぱり仕事に対する価値観とかは。
別にまあ、私はね、後から思うと20代の時にあれだけ死ぬほどきつい仕事っていうかね、
そういう環境で働くのも一定期間あっていいと自分では経験としては思ったんだけれども、
これはもう続かないじゃないですか。
夏子さんもそうだったように。
実際にそれで辞めてるしね、お互い辞めてるんだけど、
でもそこを最初から知ってたらまたちょっと考え方も違ってたかもなーとか思ったりもしたので、
すごい気持ちはわかる。
秋さんもそんな時代があったんですね。
今、優雅なお姿しか見てないので、まさか。
夏子さんはそのエステ時代に仕事オンリーで、
多分相当パフォーマンス的にも高い感じでやってらっしゃったとは思うんですけど、
でもご本人はね、疲弊してたわけじゃないですか。
だからそういうところで、海外の仕事しながら叩きながらやっちゃったと見ると、
やっぱ衝撃ですよね、確かにね。
衝撃でした。
この番組は毎週日本時間の木曜日の夜に配信されています。
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また週2回FacebookとInstagramでライブを行っています。
Podcastとはまた違う視点でマインドについて願望を叶えることについてお伝えしていますので、
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