2026-01-17 1:52:44

リスナーリクエスト 風刺ホラー映画『#NOCEBO』 ファッション業界が抱える罪悪感のお話

“If you believe something will harm you, it probably will.”


ーーーーー


毎度どうも。映画談義パーソナリティのまこです。

今回取り上げるのは#NOCEBO です。

リスナーリクエストということでそれなりに気張って取り組んでみましたがいかがでしたでしょうか。


メッセージが多く、まだまだ取りこぼしたテーマがいっぱいありそうです。

消費者として、あるいは生産者として、どこか「環境」という2文字だけをみていないか。

私たちが日々消費しているものには常に、それを生産している見えない人の苦労が詰まっている。


そんな当たり前を僕らはどこかで透明化してしまっているようです。


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podcasterの まこ(@_macobana)が、メインチャンネル『ポケットに沼を』(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#ポケ沼⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ )では語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『#よもやまこばなし 』(#まこばな )にて展開された映画談義がついに専門チャンネルに。

語りたい映画なんて尽きることない!

エピソードの公開は毎週or隔週となります。


ご感想は是非 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#リルパル #ReelPalツイートをお願いします。

いただいたツイートは番組の中で取り上げることがあります。


公式noteもやってます。

https://note.com/mako_reel_pal/n/n17867575e9f5


テーマトーク投稿フォームはこちら↓

https://forms.gle/4PT2GBA7TY8vAoCx7


直接のメッセージを送る場合はこちらまで↓

⁠⁠yomoyamakobanashi@gmail.com⁠⁠


これからも番組をよろしくお願いします。


サマリー

ポッドキャストのエピソードでは、映画『#NOCEBO』が取り上げられ、ファッション業界の罪悪感やその影響について深く掘り下げられています。特に、物語の主人公クリスティンの苦悩を通じて、現代社会のジレンマが考察されています。風刺ホラー映画『#NOCEBO』を通じてファッション業界の問題点が探求され、クリスティンと家政婦ダイアナとの関係を通じて、成功者の苦悩やメンタルヘルスが描かれ、映画の終盤での衝撃的な展開に注目が集まります。また、映画『#NOCEBO』を通してファッション業界の闇とそこに潜む倫理的な問題についても語られており、作品は成功や評価が人々のアイデンティティや価値観にどのように影響を与えるかを探求し、プラセボとノセボの概念を通じて観客に深い思索を促しています。風刺ホラー映画『#NOCEBO』は、ファッション業界の罪悪感とその影響を探る物語であり、主人公がプラセボ効果によって自己評価を高めつつ、やがてはその思い込みが崩壊する様子が描かれています。また、エシカルファッションやサステナブルな思想の表面だけの使用についても批判的に考察されています。このエピソードでは、映画『#NOCEBO』を通じてファッション業界における罪悪感や評価の影響が考察されており、消費社会の構造やその倫理的な問題提起が行われています。特に、プラセボ効果やラベリングの問題が浮き彫りにされ、視聴者に何を信じるべきかを再考させる内容となっています。日本のファッション業界における罪悪感を描いたホラー映画『#NOCEBO』では、主人公が加害者か被害者か曖昧な立場に置かれ、倫理的なジレンマを体現しています。映画を通じて、複雑な責任とその影響が掘り下げられ、観客に深い思索を促します。ポッドキャストでは、映画『#NOCEBO』を通じてファッション業界の倫理や責任について議論が展開され、特に労働搾取や資本主義社会の深い構造がテーマとリンクし、クリスティーンというキャラクターを通じた暴力の正当化が問題視されています。今回のエピソードでは、風刺ホラー映画『#NOCEBO』をテーマにファッション業界が抱える罪悪感について深掘りされています。この映画を通じて現代社会へのシニカルな視点が提示されています。

番組の紹介とゲストの紹介
Reel Friends in TOKYOにようこそ。この番組は話題の新作、黄年の名作、謎を聞き作からぶっ飛びB級映画まで、あらゆるフィルムを倫理宗教歴史に陰謀、多様な視点から切りまくる映画専門チャンネルです。お相手は、パーソナリティーのマコと
オーマです。よろしくお願いします。
おつかれさまです。
おつかれさまです。
おつかれさまです。
おつかれさまです。
おつかれさまです。
神奈川県の某駅でね、女性職員が清掃しておりますっていう看板があったの。これ断り切れてオッケーだったらさ、男性トイレ女性、女性トイレ男性が清掃してますもん。あれじゃね?
まあそうなんだよね。だから、なんでなのっていう文化というか、あれの一つですよね。
なんか、女性は男性のところ入ってオッケーだけど、その逆はダメみたいなさ、意味わかんないし、意味わかんないっていうのは、少なくとも僕は、女性がトイレ清掃してるところで、うまく出なくなっちゃうのよ、どっちも。
わからなくもないね。
こうキュンってしちゃってさ、看板が壊れてたら俺厳しく返しますもん。
はいはいはい。
グッバイって。
僕は何にも気にしないタイプではあるんですよ、それは。
おつかれ。
でもなんか、なんだろうな、その辺の線引き?
現代は結局女性のスタッフさんが男性のトイレしかり、なんだったら、銭湯も清掃で女性入ってくるじゃないですか。
ああそうだね。
全然普通に。
サウナマットの交換とかはいきますからね。
当たり前のように入ってきますけど、あれもだから、今ではそっちだけ残ってるじゃん。
女性の銭湯に男性の清掃員が当たり前に入ってることないじゃないですか。
まあ、その辺が大らかなのって銭湯のバンダイぐらいですかね。
バンダイどころか、江戸時代はサンスケっていうのがいて、
女風呂で女性の体を洗う係の男性がいるんですよ。
俺やりたい。
やめてください、ほんとに。
そういう人じゃないから。
そういうのじゃないんですよ。
普通に背中流してみたいな。
流し台みたいな別料金を払って、サンスケさんに体を洗ってもらうみたいな。
それは昔のアンマさんみたいな形の職業なのかな。
分かんない。でも何かしらの障害を持ってらっしゃる方がやってたかどうかっていうのは分かんないですけど、詳しくは知らないんで。
ただ、雑用的なところをいろいろやってくれる人っていう感じです。
さすがに現代にはいないと思いますけどね。
ちょっと聞いたことないね。
日本最後のサンスケみたいな人がいるかもしれないですけどね。
ちょっと調べてみようかな。
ちょっと繋いでて調べてみよう。
たぶんテレビで撮られてそうですよね。
だれだれさんはサンスケの仕事を父親から継いでみたいな。
と思ってびっくりなんだけど。
思ったより最近までいましたね。
最後のサンスケって、わりとしっかり取材されてる?
東京バッシング、東京銭湯っていうののやつの記事に、杉原さん77歳という方がサンスケをやっていらっしゃって、2013年までやらってらっしゃったみたいです。
でもなんかあるみたいですよ。
2018年、これWikipedia情報なんでどこまであったかわからないですけど、
目黒区みどりが丘にあるみどり湯っていうところが、
しあつしによる現代版サンスケサービスを復活させた。
サンスケじゃない?
サンスケじゃない。
サンスケ?
なぜかアルファベットで書かれてる。
伝統を守りたいのか守りたくないのかさっぱりわからないサンスケっていうのがありますけど。
しかも古代中国にルーツを持つんだね。
サンスケはアンマの一種だったんだ。
面白いね、こういう文化って。
やっぱり入浴しに行ってリフレッシュというか、
日本人にとっての入浴ってすごく大きな意味を持つじゃないですか。
そこでしっかりとスッキリしたいみたいなのがあるのかなっていうのはすごい思うんですけど。
ただちょっとね、やっぱりはじめの話に戻るけど、
僕、男性にやってもらいたいっていうのはすごくあって。
やっぱり筋肉量違うんで、
視圧とかマッサージみたいなのも結構男性にやってもらうとすごいうわーってなるっていうのもあって。
で、あのね、なんだっけな。
ユアン・マクレがイギリスの俳優ですよね。
スターウォーズエピソード1,2,3でオビワン役をやった彼ですけど。
彼が、彼すごいバイクとかスキなんですよ。
イギリスのドキュメンタリー番組の企画で、
彼自身が持ってきた企画なんですけど、
プライベートでもこういうのあるもう一人イギリス人俳優の方とものすごい仲がいいので、
二人でバイクで大陸を横断するっていうドキュメンタリーを撮っているんですね。
で、それがApple TVの見放題に確か入ってたんですよ。
多分ね、オウマ鼻血出ると思いますよ。
マジか、何乗ってんだろう。
あのね、初めはね、結局最終的にBMになったんかな。
BMの何かになったと思うんですけど。
なんかその、スポンサーとして契約してもらえるかどうかでちょっといろいろあって。
初め上手くいきそうだったのに、話がいきなりカットされて、
めちゃくちゃとあるメーカーに対して悪態つきまくってるシーンがあるんですけど。
最終的にBMのバイクに決まるんですけど。
何ていう番組?
ちゃんとあれだね、アドベンチャー乗ってんだねBMの。
これ何だろうな、R1200?
R1200のGSかな?多分。
全然何かわかんないですけどね。
多分そうですね、クソ高いバイクですね。
高いですね。ロングウェイラウンド、大陸横断バイクの旅ってやつなんですけど。
これね、ほんとね、すごい密着なんですよ。
だからもうシーズン1のエピソード1は準備で終わります。
ちょっと意味がわかんない。
いやだから、もう本当の準備だ。
だから大陸を横断するわけじゃないですか。
これも相当前の話ですから。
やっぱりこう、情勢が全然安定してないところとかにも当然渡り歩くことになるわけで。
だから国境をまたぐときに、いかに警戒されないかみたいな。
ちょっとでもなんか変なことやろうもんなら、最悪銃殺される可能性もあるから。
だからどうやって相手を刺激しないかみたいなののレッスン受けたりだとか。
あと誘拐されそうになったらこうしましょうみたいなのとか。
めちゃくちゃ遠くまで行くから、お尻鍛えないといけないから、ケツのひたすらフィットネスをやったりとか。
っていう、もうもろもろ散々やりまくってる間にもう1話終わるんですよ。
だからもうね、すっげえ面白くてこれ。
それこそさ、サンスケ連れてけばよかったんじゃない?
それでね、多分あれトルコなのかな?だと思うんですけど、
トルコ風呂に行くシーンあるんですよ。
トルコ風呂。
トルコ風呂。日本だとかつて全然違う意味で使われていてですね。
まあそうですね。
で、それを知ったトルコ人留学生がブチギレてですね、運動を起こして、その名称を使わないことになったっていう。
で、今現在の名称になったっていう、そういうものがあるんですけど、それはまあ今、本題ではないので置いといて。
そうですね。
置いといて。だから本来的なトルコ風呂に行くんですね、現地の。
はいはいはいはい。
でも本当にね、もう屈強なもう、何?もうオスモさんみたいなすごいマッチョな人が、めっちゃ体洗ってくれるんですよ。
いいね。
で、それもすごい素敵な画に映されて。もうユーマクレガーとかもほぼ裸なんですけど。ほぼっていうかもう全裸なんですけど。
めっちゃ現れながら、なんか二人が照れ笑いしてるんですよ。俺ら何やってんだみたいな。こんな体験することになるとはみたいな感じになってて結構面白くて。
本当になんかもう、世界を渡るってこういうことなのかなっていう風なものを本当にライブで見てるような感覚になれるんで、これはすごくおすすめなドキュメンタリーでしたね。
なんか僕の大好きなさ、フィルのハラペコなんとか旅みたいなね、ネットフリックスの番組があるんですけど。
はいはいはい。
それでもなんかトルコ風呂入ってて。びっくりするほどの泡に包まれるんですよね。そんなにいるかってくらいの泡に包まれて。
最後なんかバケツでバシャー水かけられて。なんかあの、痴漢とかなんか泥棒とかを撃退するのかっていうぐらいの水をの勢いでバシャーかけられて。
フィルが最後なんかすっごいしょんぼりした顔をしながら、お前このシーン本当に撮るつもりだったのかみたいなことを、
プロデューサーが弟さんなんだけど、多少キレながら言ってましたね。
これ必要だった?みたいな。
嫌だったんかいみたいな。
まあね、そういうすれ違いはきっとあるんじゃないでしょうかね。
新年始まったところで、みなさんもスーパー戦闘行ってみながら、すっきりして、このポトキャストを聞いて。
でもね、長風呂には注意ですよね。
のぼせるからですよ。
ダジャレつなぎやめよって。
というわけでね、今回はちょっとのぼせないようにということで。
そんな感じのエピソード紹介になるかと思います。
はい、というわけで本日も参りましょう。
はい、ということでね。
今のどうしたの?何があったの?
ちょっと効果音入れて、ダックされてるんで、終わり切らないと僕の声が入らない設定になったんで。
ああ、そういうことか。
すみません、ちょっと不安にさせるまですみません。
映画『#NOCEBO』のあらすじ
はい、ということで本日のテーマは、リスナーリクエスト風刺ホラー映画のせぼ。
ファッション業界が抱える罪悪感のお話ということで。
はい。
やらせていただきたいと思います。
はい。
ここに至るまでね、だいぶ待たせましたんで。
そうですね。
本当にすいませんでしたって感じなんですけど。
君なんかあれだもんな。
なんですか?
松永の散歩なんか入れちゃって。
え?お散歩?
お散歩。
でもお散歩も聞いてくださった方がいれれば嬉しいんですけどね。
もう全部聞きましたよ。
全部聞きました。
あの、とあるリスナーさんから僕の方にご意見届きまして。
はいはい。
大間はどうしたと。
大間の声が聞きたくて再生したら、全然知らん人出てきたって言ってちょっとキレてる人がいましたんで。
マジで?マジで言ってんの?
本当にお前良かったねっていうのと。
愛されてんの?
ジョナサンごめんなさいっていう。
誘われて登場してね、その結果ちょっとキレられるっていうちょっとかわいそうな扱いになったんで。
いずれはうちの番組でしっかりテーマトークというかね、映画についても語っていただきたいなと思っておりますので。
ちょっと一本ね、ジョナサンとコラボしたいなっていうのは一本ありますんで。
はいはいはい。
それはちょっと今後ね、出演依頼を出して。
つい君と共に。
そうですね、4人とかで語れたら面白いかもしれないですね。
うん。
そんなわけでですね、今回お寄せいただいたのはなべさんでしたよね。
あれ?
そうだね。
なべさん?
なべさんだったと思うよ。
あれ?ちょっと待って。
なべさんが。
なべさんじゃない、なべさんからはあれをいただいたんですよ。
感想コメントいただいて、ベッチさんからいただいたリクエストでございます。
いただいたのだいぶ前になるんでね、本当にお待たせして申し訳ありませんでした。
というわけでベッチさんからいただいた2023年公開、ロルカンフィネガン監督ののせぼについてね、お話をしていきたいんですけど。
まずはあらすじ紹介からですね、ちょっと聞き慣れないタイトルなんで、どんな作品なのかっていうのをちょっと簡単に2分間でお話ししていきたいと思います。
じゃあいきますよ。
よーい、ドン。
ということで今回見たのは映画のせぼでございます。
ファッション業界で成功を収めた女性を主人公にしたサイコスキラーみたいな映画でございました。
ファッション業界の課題
物語の中心となるのは高級な子供服ブランドのデザイナーのクリスティン。
仕事でも家庭でも順調にキャリアウーマンって感じの方なんですけれども、ある日を境に原因不明の重い皮膚症状に悩まされるようになります。
寝る時もちょっと酸素マスクなんかつけたりしてね、だいぶ体調も悪く、仕事の方もなかなか手につかなくなっていく。
病院で検査を受けても明確な原因は特定されず、処方されたお薬を飲んで精神安定を測っていく。
夫のフェリックスは治療には強力的ですが、夫婦関係もだんだんとギツギツしている様子。
その中ですね、クリスティンの家にフィリピン出身の家政婦ダイアナが雇われることになります。
ダイアナはですね、クリスティンに寄り添って丁寧に仕事をこなして、
なおかつですね、薬ではなく独自の民間療法みたいな形でクリスティンの体調を整えていきます。
クリスティン自身はですね、それが意外とこう、そしてだいぶ仕事にもだんだん戻れていくような感じがあったんですけれども、
だんだんと急に深刻化していってですね、いよいよ家庭も仕事も一切手がつかなくなっていく。
物語が進むにつれてですね、徐々にダイアナが一体何者なのか、
彼女の過去に一体何があったのか、そしてなぜ彼女がこの家に来たのか、その理由が明らかになっていきます。
映画のテーマと批評
そしてそこに関わってくるクリスティン自身の過去、
成功者としてのクリスティンと、そしてですね、雇われの家政婦としてのダイアナ、
一体彼女たちの人生はどこでクロスしてしまったのか。
終盤、クリスティンはとある場所へと導かれ、時代は一気にクライマックスへと進んでいきます。
乗せ棒の意味とは一体何だったのか。
そしてですね、映画の終盤に明かされる最終的なエンディング、衝撃的なエンディングに目を離さないで。
確実に過ぎた。
なんて言えばいいか分からなくなっちゃったね。
お楽しみくださいが出てこなかった。
いやあ、正月ボケですね。すいません。
正月ボケですね。
そんなわけでね、ファッション業界っていう題材とホラーっていうジャンル、なかなか組み合わさらないというか、
マッチしなさそうというか、なかなかない組み合わせなんですけど。
続けていったらちょっとなんか、うさんくさい感じになっちゃうもんね。
続けていったらうさんくさいってこと?
ファッションホラーなんて言ったらさ、ちょっとホラー語ってるみたいなさ。
あ、でもなんかそのファッションっていう言葉が持ってる、そのマイナスな要素がまさにそこに重なってくるわな。
今回の作品にも重なってくる。
ファッションなんちゃらっていうと、いわゆる虚色というかね、中身のないというか、見た目だけのみたいな意味合いで使われるわけですけれども、
本作に関しても結構ファッションというものに対して、結構批判的な姿勢で描かれた作品であることは確かだなと思いますね。
まず、率直な感想どうでした?
いや、でも面白かった。
面白かったね。
面白かった。
どこに行くんだろうっていうお話だし、
メタファーとしては比較的僕は早期にピントは来てしまったんですけど、ダニとかね、出てきて、この話どこ行くのって思わせてくれるし、
あらすじ紹介でも言わせてもらいましたけど、ダイアナが一体どこで関わってくるのか。
ダイアナはなぜここに来たのかみたいな、程よく謎が散りばめられているので、それが気になって先が見たくなるみたいな。
そんな上手な構成で最後まで引っ張っていただきましたので、面白かったですね。
面白かった。
多分社会風刺系の映画なんだろうなっていうところは割と前半部分ぐらいで、
オチは読めるんだけど、オチに対してどう落とすのかなっていうワクワクの方がかったっていう、
割と珍しいタイプかなって思う。
たぶん僕らがこうやってピンと来たっていうのも、そういう世の中だからなんですよね。
衝撃的な結末と反響
まあそりゃそうなんだよね。
今まさにそのなんていうのかな、いわゆるその。
ゲームトレード的なね。
その辺は後でお話するとして、まずはジャブから。
はい。
いきましょうか。なんかあります?
ちょっと最初からぶっこんでいい?
うん。
主人公の一人であるダイアナなんですけど。
ダイアナね。
ちょっとオカリナに似てない?
似てますね、確かに。
似てるよね。
似てますね。
俺ずっとオカリナに見えてさ、逆にすっごいシリアスなシーンがオカリナがふてくされてるようにしか見えなくてちょっと面白かったんだよね。
オカリナさん。オカリナさん最近見ないですね。
いやでもイテキューとかにいるんじゃない?
最近見ないっていうのは僕が見てないだけの話なんで。
そうだね。
テレビを見ないから。
あのイテキューでおばさんじゃないや、ご夫人たちがわちゃわちゃしてるコーナーにいつも出て。
僕は笑かしてもらってますよ。
温泉同好会みたいなやつ。
あの方確かただ飯食ってるだけの動画をYouTubeにたくさん出してるっていう。
大丈夫?
何も喋らずただ飯食ってる。サムネイルがすごい顔になってる。
確かそんなのがネット記事になってた気がするんですけど。
オカリナYouTube動画って調べたら出てくるんじゃないかな。
なんでこのサムネイル選んだの?
割と再生数あるみたいな話を聞きましたけどどうなんですか?
時々オカリナっていう番組ですね。
チャンネルとか。
いやでもすごいですよ。
我々にも勝るとも劣らない再生数ですね。
本当ですか?
4万とか2万とか多いやつだと12万とかありますよ。
すごいですね。
我々はもう6千兆万再生ぐらいなんで。
ガッポガッポや。
いい勝負。
いい勝負。
すいません、オカリナさんちょっと分けてください。
いいね。夜ご飯で12分が79万再生されてます。
すごいですよね、オカリナさん。
なんかさ、何フェチ?
やっぱりさ、オカリナさんしかり、ダイアナしかりですね。
ミステリアスなんですよ、表情。
何を考えているんだろうとか、どう思ってるんだろうっていうのを読ませないっていうところが多分あるんじゃないかなって気がして。
確かにね。
だから作品見ててもすごい引き込まれましたからね。
確かに人が盛り盛り飯食ってるのって気持ちいいよね。
そう考えるとちょっと今度、じゃあこれで撮るか。
いいです。
やんない?
やらないですね。
じゃあ僕からもジャブいいですか?
はいお願いします。
いったじゃんって万能だよねっていう。
これダイアナ戦法なんですけど。
ダイアナは作中で2回このいったじゃん戦法を使うんですね。
そもそもこの家に来た時も、今日からお世話になります、ダイアナですみたいな感じで来て。
で、クリスティンがどういうこと?みたいな感じで言ったら、
いやあなたが私のこと雇うって言ったんですよ。それでいけちゃうっていう。
確かにさ、相手に席があるみたいな感じだからさ、ごめんねみたいな気にもなるから断りにくくなるもんね。
クリスティン自身がちょっと記憶障害というか精神不安定で、自分がやってることもちょっとよくわかんないみたいな状況になってたからっていうのもあるんだけれども、
言ったじゃんって推しが強ければなんとかなるんだなっていうことを学ばせていただいたんで、
僕も今後自分が悪いのかどうかちょっとわかんないときは、お前が言ったんじゃんでなんとか済ませようと思います。
それ僕に使ってきたらヘンリーハセ歌うから。
それもね、ちょっともうカオスになるんでやめていただきたいです。
じゃあ何かあります?
いいですか?
もう一個ダイアナ関係なんですけど。
ダイアナ人気ですね。
ハウスキープします、お手伝いしますって言ってさ、
いきなり自国文化バリバリのハウスキープされたらさ、もうちょっと元の生活守ってあげようよ。
そこは大事じゃん。ルーツを大事にするっていう姿勢。
お前のルーツはお前で大切にしてくれればいいんだけども、
それを人んじんに持ち込んで、いやこっちの方がいいですからみたいなことを顔されたら、
それは旦那切れるよ。
つまりさ、別に卵とトーストでいいじゃん。
でもこういう料理もありますよって言って出すんだったらさ、いいよ。
これもおいしいじゃんっていう新しい発見があるっていうのはいいと思うの。
こっちの方がいいですから。
パン、はっ!みたいな感じでやってくんじゃん。
あれはね、押し付けは良くないよ。価値観の。
とりあえず夫を早く追い出したかったんでしょうね。
たぶんね、イライラさせたかったんだろうね。
それで言うと僕のジャブも重なるんですけど、
ただただ夫がかわいそうなだけの映画だったな。
確かにね。
言うほど何も悪くない気がするんだよね。
ただただ踊らされて、みんなから敵扱いされて追い出されるっていう。
しかも全身ボッコボコにされて。
ボッコボコにされて。かわいそうだな。
一番の被害者は娘だけどね。
娘ね。娘かわいそうですね、本当にね。
オカリナの顔を見ながらずっと一生過ごさなきゃいけないんだもんね。
常に見られてるから。
どっか見たらオカリナいるんでしょうね。
でも仲良しだから。
それ言ったらオカリナさんの方があれですよ。
いつもあのミステリアスな婆さんがずっと見てるんでしょう。
めっちゃ怖いでしょ。
めちゃくちゃ怖いでしょ、あれ。
あのお婆さん怖すぎるでしょ、仙台。
でもさ、仙台はまだいいんだよ、出方は。
普通に立ってんじゃん。
ダイヤの木の隙間からシャイニングよろしくさ。
こんなになってるじゃん。もうちょっと出てあげろよってさ。
そりゃそうかもしれないけどね。
Hey Johnny!みたいな感じでさ。
いやでもな、俺も次たいな、あれ。
次どうすんの?
世界を理解したい。
俺の周りでマックのやつブクブクブクやりながらさ、お前今良くなったよ。
水濁ってるでしょ。
めっちゃいいじゃん、あれ。めっちゃ金稼げるじゃん。
確かにな。
本当に良くなるわけでしょ、だってそれで。
もちろんだよ。
ならそれに越したことはないでしょ。
確かにね。
そういう稼ぎ方するか?このポッドキャスト。
それをね、この世界で普通にやったら冷感処方なの。
それダメなの。
それはダメ。
映画の世界で本当に良くなってるんだったら全然いいんだけどね。
でも俺一時期結構真面目にオーラ鍛えてたからさ。
本当に付き合わされる身にもなってくるんだね。
みんな困ってたよ。
なんで?みんな喜んでた?
中学時代みんな困ってたよ。
気がどうのこうのっていつも手をこうやって。
球体みたいになる。
そうそう、それが基本なのよ。
球体感じるようになるからこうやって。
オーラのこの玉をね。
みんな困ってたけどそれ。
今だから言えるかもしれないけどみんな困ってた。
そうか。
確かに隣の教室に
その頃霊符の呪法っていうね本を買って
いろんなねお札の柄が載ってる説明書が
1200円くらいであって今実家にこの間行ったらあったんだけどさまだ。
それのやつを試し書きにさ黒板にこう書き連ねてたっていうのを
自分のクラスじゃなくて隣のクラスにやってたっていうのはやりすぎだったなって今反省してる。
そうだよね。
だいたいそういうよくわかんないもの書かれた時に
みんなえー何これとかじゃないからね。
普通にスルーしてたから。
たまに誰かが。
誰も何も言ってくれないの?
たまに誰かがそれ見て何だろうって思ったところで
オーマでしょで終わるっていう。
それが何かみたいな話に誰も興味関心持ってないからね。
オーマでしょで終わるっていう。
もうねオカルト神秘イコールオーマみたいな感じはありましたから。
ありましたから。
じゃあちょっと僕最後のジャブいいですか。
はいはいはい。
子供服のCMの曲ダサくねっていう。
めっちゃダサくて耳にも残らないっていうね。
あれセンス良かったなと思って逆に。
多分そう見せるためにやってるから。
うんうんうん。
いや見事だなって思いましたよ。
ファッション業界の闇
あれもやっぱスノーカーなんかで作ってるんですかね。
いやーちゃんとやってるでしょそこは。
そこやってるからね。
面白かったですね。
はい。
もうないですか。
あと1個この映画に文句があるとしたら。
僕パロサント結構好きなんですよ。
パロサント。
あの鉱木ですよね。
そうそうそうそう。
あのサンダルウッドとかさ色々結構買い込んでさ。
最近できてないですね。
できてない。
うんなんかもうダイアナいるんじゃないかって思って怖くなっちゃった。
鉱木炊くと後ろから見られてるじゃん。
なんか出てくんじゃないかと思って怖くてね。
全然炊けないの。
面白すぎるでしょそれ。
後ろ見たらいるでしょ。
うおーって座って。
なんなら今画面に映ってるカーテンの隙間からダイアナ顔出すんじゃないかと思って結構ヒヤヒヤしてるからね。
怖いですね。
怖いよ。
ダイアナ怖いよ。
なんだろうな。ホラー的なシーンがそこまで多かったかというとそうでもないような気がするんだけど。
ダイアナ渾身の木琴演奏がね。鉄筋か。鉄筋演奏。
あれはちょっとねうおーってなりましたけどね。
あっこだけ僕本当に謎なんだけどさ。
他はなんか呪術的ななんかを感じるのよ。
鉄筋だけ?なんで鉄筋ってなった?
あれだから娘の持ち物でしょ。
そういうことか。
そうでしょ。やっぱり娘の怨念みたいなのを届けるためにより白として娘の持ち物を使ってるんじゃないか。
なるほどね。
そんなもんだと思いますよ。
ちなみにあの全く同じだと思われる方のやつが僕も実家にあるんですよあの鉄筋。
見たくないですだからちょっと。
実家帰りたくないですね。
あれですね。たぶんあれ叩いたらダイアナがその辺に来るよ。
カーテンの隙間から。
おーおーって。
顔見せてるみたいな可能性ありますけどね。
じゃあちょっと今日の説に入っていきましょうか。
そうですね。どっちからいきます?
どっちがいいですか?
前回は?
前回何やった?
去年だから忘れてた。
前回がリルパルの2025の最後がジングルオールザウェイですね。
あー。先オーマー?
俺が先に行ったんだっけ?
かな?
じゃあマゴちゃん先どうぞ。
今日俺でも長いっすよ。
マジっすか?
いきますよじゃあ。
これでいいのかな?
まあまあちょっと話しながら変わってきちゃうかもしれないですけど。
評価イコール呪術説というのを唱えたいなと思っています。
それはね、感化するといいですね。
上から来るな。
いやあのね、古代から伝わる呪いっていうのは評価のことなんですね。
そうなんですか?
そうなんですよ。
じゃあまあその話は後で。
はい、ということでね。
ちょっとじゃあなるべくサクッといけるようにやりたいと思いますけど。
まずこれが一体何の映画なのかっていうのが、
ファッション業界の闇を暴く映画として一応作られてる感じはあるんだけれども、
一方で確信はそこでも実はないんじゃないのかなって気はしてるんですね。
というのも本作において、
クリスティーンは結局彼女自身が手掛けているファッション、高級子供服のデザインをしている中で、
その制作現場というかね、工場に視察に行ったときに、
生産体制をより高めるために軽い気持ちでですね、
門に鍵をかけろとか、もっと人の出入りを監視しろだとか、
生産体制をもっと上げろみたいな話をして、それが実は引き金になってですね、
火災が起きてたくさんの人が死んだっていうことが実はあって。
これがまさしく、いわゆるファストファッション業界における非人道的なというか、
低価格を実現するために人件費の安い国で行われている、
評価とアイデンティティ
非常によろしくない労働環境に対する批判的な姿勢の作品であるということが提示されるんですけれども、
一方で、もっといろんなところに散りばめられているメッセージもあるなっていう気がするんですよね。
それが結局、私たちの生活のほぼ全てが、いわゆる物事をこれはこうであるって評価する、
それによって生まれる暗示、プラセボによって成立してるんじゃないのかっていうふうな事実なんです。
今回のこのタイトルになってるのセボっていうのは、僕は全く聞いたことのない言葉だったんですけれども、
いわゆるプラセボの対義語として作られた言葉だと思うんですが、
プラセボは効果があると信じることで実際に効果が生まれるっていうふうな関係性。
それの対義するところとして、害があると思ってしまうことによって害が生まれるみたいな。
要するにどちらにしろ効果を信じると効果が起きるっていうだけの話ではあるんですけれども、
そういった言葉であるよということなんですね。
本作においてはそのプラセボというか、
要するに思い込みによって生じる何かっていうものがたくさん散りばめられている。
例えばまずファッション業界っていう舞台装置自体が、
いわゆる評価と思い込みによって成立してる世界じゃないのっていう。
例えば洋服っていろんなものがあっていろんな価値がついてるんだけれども、
その評価って服そのものよりも、それが社会的にどう評価されているかっていうことによって、
いいものかそうでないものかっていうのが見えてくる。
見えてくるとかそう感じるしそう思うわけじゃない。
価値はそうやって創出される。
例えばこれは高級ブランドの服である。だから価値がある。
これは倫理的な生産を行っている。フェアトレードでできている。だからいいもの。
この服は進歩的なデザインを、有名デザイナーが手掛けている。
だからいいものだ。
でもじゃあ、最近その例えばさ、かっこいい服着てますかみたいな話になった時にさ、
いやじゃあそしたらダサい格好とかっこいい格好って一体何が違うのって話になるわけ。
それもある意味では思い込みによって生じている部分はきっとあって、
僕らはかっこいいって思う服とダサいと思う服っていうのがそれぞれあるんだけど、
それも結構社会的な刺激によって作られている節はどうしてもあるんじゃないかなと思うんですね。
例えば僕は今あのめちゃくちゃダッフルコートが欲しいんですよ。
なぜかって言ったらダッフルコートってやっぱりイギリス発祥の結構トラッドな服装で、
バシッと決めたらかっこいいと僕は思うんですね。
一方でそういう話をですね、箱べらにするとですね、
高校生御用達ファッションだよねって言われるんですよ。
まあ実際僕もそうだった。
あるいは僕からするとダッフルコートのボリューム層は中学生だと思ってるんですけど、
ただね、これすごく悲しい思い出があって、
中学時代僕はキャメルのダッフルコートを持ってたんですよ。
あ、着てたね。
一瞬ね。本当に一瞬。中1の一瞬ですよ。
なんでかっていうと僕がキャメルのダッフルコート着てたら、
しょうもない男子にですね、女の子みたいだなってからかわれて笑われたんですよ。
しょうもない。
すっげえムカついて。
でも俺も嫌だったからもう二度と言われたくなくて着れなくなっちゃったわけね。
はいはいはい。
だから僕自身もある意味ではそういう外側からの評価によって、
自分の行動を大きく左右されてしまったなっていう過去があるわけですよ。
僕にとってダッフルコートっていうのは別にそういうものでも何でもなかったんだけれども、
人からそういうふうに言われることによって着るの嫌だなって思うような対象になってしまった。
実際だから物の価値っていうものがそういう評価、
あるいは思い込みによって左右されてしまうっていうふうなものはあるんじゃないのかなって気がするよね。
で、じゃあ本作に戻っていくけれども、
クリスティーン自身は主人公の成功体験っていうものは一体どういうふうに成立してたのかっていうと、
彼女自身が自分の仕事っていうものが正しいものである。
上役に評価されている。
そして選ばれて昇進していく。
結局そういう体験、成功体験っていうものが、
ある種、自分自身を安定させる精神安定剤だったわけだよね。
彼女自身は社会的な成功っていうものを
よりどころにして、自分っていう価値を構成していたわけだ。
それが結局、向上加細が引き起こされたことによって、
自分を支えてたものがなくなってしまったわけだよね。
だからその瞬間までは、ある意味では、
彼女が自分のアイデンティティを実感する瞬間っていうもの、
あるいは自分には価値があるって思うためのよりどころっていうのは、
人から評価される、仕事を評価されるっていうことが、
ある種、彼女のアイデンティティを支えてたわけなんだけれども、
ある種、それも結局効果、効能だよね。
別に人から評価されているからといって、
自分に価値があるかどうかっていうのは、別にそんなイコールではないわけじゃない。
人から評価される仕事をしているかどうかなんていうものと、
自分とは一体何なのかっていうのは全然イコールではないんだけれども、
彼女からすると、その人からの社会的な仕事としての評価っていうものが、
自分自身の価値を喪失してるんだっていう思い込みがそこにあるから、
実際それが効果、効能として出ていたわけだよね。
それでまた強固な自我っていうのを作っていくっていう、
そういうプラセボが働いてたんだけれども、
一方それが結局向上化されによって完全に逆転してしまうわけだよね。
つまり自分がしたことっていうものが、自分自身のアイデンティティを崩壊させていく。
だから悪いことをしてしまった。だから私は悪い人間なんだ。
これが完全なプラセボからノセボへと切り替わった瞬間なんじゃないかなって気がするんですね。
思い込みの力
あともっと露骨にプラセボが散りばめられているところは、やっぱりダイアナですよね。
ダイアナの民間療法。あれなんかもう完全にプラセボの世界じゃないですか。
まあインチキですからね。
だから科学的に正しいかどうかなんていうのは二の次なわけですよ。
でも実際にそれによって治ってしまうっていう面があるのがプラセボの面白いところで、
結果が同じなら別にプロセスってどうでもよくねっていう視点もなくはないと思うわけですよ。
例えば彼女自身は震えが止まらなかった。
それを薬によって抑えていた。
でも薬を使わないでダイアナはくすぐりによってそれを止めてしまう。
でも実際クリスティーンからすると震えを止めたいっていうその欲求がそこで満たされているわけだから、
そのプロセスが薬だろうがくすぐりだろうが、ちょっと面白いね。
薬だろうがくすぐりだろうが別に関係ないわけだよね。
だからあの瞬間、ダイアナのことを信じるためのステップ1が始まっていくんだけれども、
信じた瞬間から体はどんどんそれに従い始めていく。
ダイアナの民間療法っていうのはクリスティーンに確かに効くものになっていく。
なぜならそれはプラセボだから。
彼女はくすぐりによってもうそれを信じさせたわけだから、その後の全てが効いてしまうわけだよね。
だから最後の最後彼女がクリスティーンにかけた呪いが本当にダイアナの体を、
クリスティーンの体を完全に焼き切ったのも、あれは要するにダイアナを信じてしまっていたからだよね。
プラセボがとことん効いていたから、それがノセボになってもやっぱり効いてしまうというふうな造形になっている。
主人公が見ている世界っていうのは、この作品において全て思い込みで構成されているんじゃないのかなっていうふうに思うんですね。
例えば主人公は一貫して様々なことを疑っていない。
社会的に成功している自分、正しい仕事をしている自分、評価されている自分。
だから自分はいい人間である。
だから自分は良い母親でもあるはずっていうふうに思っている。
だから一番初めから娘との関係は全然うまくいってないわけだよね。
結局それ何でかって言ったら、彼女自身は自分はいい人間であるって思い込んでるからだと思うんですよ。
だから彼女自身は折れないわけだ。
娘を通じたプラセボの考察
だから彼女から娘への評価っていうのは、本当にうちの娘はモンスターだっていう、そういう評価になってしまう。
娘はただ自分に気づいてほしい、自分を見てほしい、だから反発しているだけかもしれないっていうふうな発想が全く出てこないんだよね。
それは結局、仕事を拠り所にして自分は正しい、自分はすごい、自分はいい人間だっていうものを固めてしまっているから、
そのプラセボがもうがっつり引きすぎてしまって、自分自身に会議的な視点を向けることができていないっていうところがあるのかなって気がする。
だから結果として娘の現実が一切見えてこない。
娘は学校でいじめに会っている、孤立している。
で、その状況の中で心理的に非常に追い詰められている。
けれどもそれに気づかない。
で、娘は何とかしてそれを伝えたいんだけれども伝える手段がないから反発する。
非常によろしくない関係性がそこに起きているよね。
ある種だからこれもプラセボによって自分の思い込みっていうのが強くなっていくっていうふうな、
いわゆる自分で自分に賭けている自術的な効果がそこに生まれているんじゃないのかなっていうのをちょっと思ったわけですね。
赤い靴とその象徴
で、もう一個本作の中でがっつり見せてくるプラセボが、
彼女自身が自分に賭けていくその赤い靴のおまじないなんですよね。
ラッキーシューズ、ラッキーシューズ。
そう、ラッキーシューズです。
赤い靴、勝負靴が多分彼女の中ではあって、
で、その勝負靴を履いて一番大事な仕事に乗り込んでいくっていうシーンが何度も出てくるんだけれども、
僕らの日常もやっぱり評価によって作り込むプラセボで満ちてるんじゃないのかなって気がするんですね。
彼女と同じように、例えばこの服を着ると自信が湧いてくるぞとか、
あるいはこの資格を持っておくと将来安心だぞとか。
ありますよね。別に使う予定もねえようなしょうもない資格取ってちょっとイエーイみたいな。
ありますね。
なんで野菜ソムリエってみたいなね。それちょっとさとおき。
この会社に入れたからもう安泰だとか。
そうだね。
あとは賛成する人が多いからこの意見は正しいとかね。
あとは肩書きが大きい人が信用できるとかね。
その手のバイアスもいっぱいあると思いますけれども、
結局僕らはそういう何か全く関係性のない評価から何かその価値というものを信じてしまうというふうな状況にあるなと。
だからその本質的な価値みたいなものを実は見てないということがこの社会全体において常にあって、
僕らもそういう枠の組の中で生きてるなというふうに思います。
だからただそれらっていうのは結局気づけないのはプラセボっていうのはさっきも言ったように、
思い込みだろうが本当にそういう効果があるわけだから。
だからその聞くから信じてしまうし、信じるから聞くんだよね。
プラセボは信じてるから聞くんだけれども、結局信じてるから聞いたんだけど、聞いたからまた信じるっていうその無限ループがそこに成立してしまうから、
ここから抜け出すのってすげー難しいなっていう。
確かに。
もうずっとそこはもう変わらないんだよね。
でもここで恐ろしいのは結局その思い込みのその力っていうのは強いから、
プラセボっていうのがノセボに転じた瞬間に全てが崩壊する可能性はあるよねっていうのが、
結局本作において一番出してるポイントになってくるんじゃないのかなって気がするんだよね。
だから例えば聞いていたはずのものが聞かなくなった瞬間、それまでの信仰や努力や選択っていうものが全て自分を否定してくる。
彼女に起きたことも全てそれだよね。
仕事を拠り所にして自分を強化してたんだけど、それが一転してものすごい過ちを犯してしまったことによって彼女は自分自身を許せなくなってしまう。
自分の価値っていうものを一切失ってしまう。
それってすげー怖いことだなっていうふうに思って。
本作において彼女が赤い靴だけを残してやけ死んだところも非常に象徴的で、
アンデルセンの赤い靴ですよね、あれ。
そういうことか。
おそらくは。
すげー不気味な童話で、僕は初めて読み聞かせてもらったときに、なんじゃこれって思ったんですけど、
本当にね、なんだったんだろうな、あれっていう感じなんですけど。
これ合ってるかどうかわかんないですけど、貧しい少女が出てくるんだよね。
そうだね。
で、赤い靴を見て、もうすげー綺麗だと私は絶対これ履きたいんだっていうふうに執着してしまうんだよね。
で、なんだっけな、葬式?わかんないな。教会に履いてっちゃうんだよね、赤い靴。黒い服着ていかなきゃいけない日かな。
なんか、戒律かなんかですごい厳しいときに、無事の服を着なきゃいけないときにあの靴を履いてったみたいな。
みたいな感じだよね。だから、履いちゃいけないときに履くんだよね。
だから大人たちに言われても、いや私絶対履くわ、みたいな感じで教会に入っていって、そしたら靴が勝手に踊りだして、止まらなくなっちゃうんだよね。
そうだね。
で、立ち止まれないまま、靴も脱ぐことができない、休むこともできないまま、ずーっと苦しみながら踊り続け、
で、しまいにはもう靴が脱げないけど脱ぎたいから自分の足ごと切り落としてしまう。
で、切り落とした足と赤い靴は踊り続けてどっか行っちゃうんだっけ。
燃えるまで踊るんだっけ。その辺忘れたんだよね。バリエーションあんのかな。どっか行っただと思うんですけど、確かアデルセンは。
最終的に少女は悔い改めて、神から救済される的な話だと思いますけど。
そうだね。
信仰って大事だねみたいな話にたぶん落とし込むんだと思うんだけども。
ただやっぱりこの童話の本質としてはやっぱり非常にクリスティーンと重なるというか、クリスティーンを重ねているので。
つまり赤い靴を履くのは自分の選択だよねっていうことが実は一番大事なんじゃないかと。
アンデルセンの赤い靴でも別に赤い靴を履かされたわけじゃないんだよね。
クリスティーン自身も自分でその靴を履くことを選んでいる。
つまり彼女は結局あれだけのことを犯しておきながらも、やっぱり勝負靴を捨てることができない。
他の仕事を捨てることができない。
脅威にまみれた中で自分をもう一度持ち上げようとしてしまう。
結局だから、自分で信じようと選択したものっていうのはなかなか手放すことはできないんじゃないのかなっていうことだと思うんですね。
ファッション業界への批判
そしてそれはいずれ自分の身の破滅を導いてしまうと。
正しいと信じて選んだものっていうものが結局どこかで自分自身を苦しめる呪いに変わってしまう。
当初は自分をプラセボとして引き上げてくれたものが、
のせぼに転じて自分の崩壊を導いてしまうっていう風なものが、
こののせぼにおいて描かれている物語なんじゃないのかと。
そういった文脈の中でファッション業界への批判を行っているっていう風な組み立てなんじゃないのかなっていう風に思ったんですね。
だからやっぱり本作のタイトルがファッションだとなんだのっていうものじゃなくて、
あくまでのせぼっていう風になっているのは、そこがすごく大事なところだからなのかなっていう風に思いました。
で、なんで今それを描いてきたのかって言ったら、それはやっぱり社会的な背景がいろいろあって、
例えば、これ何年の映画だっけ?2023とか?
そんな新しい?
2022ですね。
2022?
コロナだよね。
そうだね、ポストコロナですね、完全に。
で、ある種本当にその時って人が何を信じるかっていうのが、
人の評価に結構つながるような時期だったと思うんですよね。
例えばそのパンデミック後の世界において、民間療法を信じる人とか、
あるいはワクチンっていうものを打つか打たねえかみたいな話とか。
はいはい。
行動においてもその自己責任なのか、それとも社会責任なのかみたいな。
マスクつけてないと怒られるみたいな。
もろもろそういうところで人々が何を信じるのかっていうものが、
それぞれに違うことによっていろいろと衝突も起きるような時期だったと思うんですよね。
そういった中で何を信じるべきなのか、あるいは信じないべきなのかみたいな、
そういったものが作品のテーマにつながっていきやすいような時期だったのかなっていうふうに思いました。
プラスアルファですごく思ったのが、これはファッションの話にはなってくるんだけれども、
いわゆるサステナブルとか、フェアトレードとか、SDGsとか、あとエシカルファッションですね。
最後だけわからなかった。
エシカルも環境にいいよっていうような。
これら自体は全然間違ってない思想だと思うし、否定すべきものではないと思うんだけれども、
結局これらの言葉の使われ方って一体どうなのかなっていうのはすごくあると思うんですよね。
エシカルっていうのは本来的にはその行為の姿勢ですよね。
生産を行っていく上で環境への配慮をしていくだとか、
継続的にそれを行っていくっていうところは実は大事なんだけれども、
現実的にはこれっていうのが、こういうさまざまな言葉がね、
ラベリングとか、称号とか、あるいは下手したら免罪符として使われている。
だからなんかこう。
いわゆるファッションになっちゃってるってことだよね。
違う意味でのね。
だからなんだろうな、これはエシカルファッションですみたいな。
これはサステナブルな生産方法でとか、書かれてたらそれで終わりなんだよね。
実態がどうなのかとか、それによってどの程度環境にどういう配慮ができているのかとか、
あるいはそれが継続的にどの程度行われてきたのかだとか、
そういった背景を一切実は消費者は考えてなくて、
そのラベルを見て自分もいいことをしたと思ってしまうみたいな。
あの、ロラックスおじさんの不思議な種みたいなアニメがあって。
全然知らない。おじさんの種?
ロラックスおじさんのなんちらかんちらってやつがあるんですよ。
これ種かな?
これちゃんと見た大人って多分日本全国で俺だけなんじゃないかなって思ってるんですけど。
これでもね、あれなんですよ。イルミネーションスタジオが作ってるんですよ。
ミニオンを生み出した後なのか、生み出す前なのか。
見たこと、映画は絶対見たことないんだけど、ロラックスおじさんはわかる。
これね、あれなんですよ。帽子かぶった猫いるじゃん。長い赤い帽子かぶった黒い猫。
あれ、ジングルオールザウェイのパレードに実は紛れてたんですけど、有名な絵本。
それ描いてる人が描いた作品なんですけどね、ロラックスっていう。
それのアニメ版なんですけど、それはミニオンを作り出したイルミネーションスタジオが作ってる。
ドリームワークスかな、IQは。
これがですね、すごく面白くて、これも環境破壊っていうものを絵本の世界で描いていくんですけど、
そこでものすごく面白いのが、企業が売り上げの一部は何々に使われますみたいなのを言うんだけれども、
結局それって、生産工程の中で汚してる環境への悪影響の何割にも満たないよね、みたいな。
でもそういう言葉を言うことによって、結局全てが許されるかのような雰囲気になってしまうっていうのはすごくあると思うんだよね。
で、またそれが、この構造の怖いところって、疑うと悪になってしまうっていう。
そうなんだよね。
エシカルエシカルとか言うけどさ、とか。
結局それが善意を疑う、人の良心を疑うみたいな構図になって、
そういった環境への入るもののラベル、その本質的な問いを持ってないんじゃないのかみたいなことを、
疑義として目を向けると、いや冷たい人ですね、みたいな。
道徳的な、道徳的正義パンチみたいなのが飛んできて、
批判ができないみたいな構造になってしまうっていうのはすごく怖いなというふうに思うんですね。
だからなんかこう、何だろうな。
善意を装った評価の体系っていうものがそこにあると、結局反論不能になってしまって、
結局そこに従わざるを得ないみたいなところはどうしてもあって。
だからなんか、なんていうのかな。
ある種、正しいことをしてるつもりの人間っていうものが押し付けてくるものってすごく怖いし、
プラセボと評価の関係
それを結局僕らは疑えなくなっていくから、気づかないままだんだんプラセボの世界に引きずり込まれていってしまうみたいな。
なんかそんな怖さもちょっと描いてるのかな、なんていうことをちょっと感じさせてもらいました。
まとめますと、僕らは結局評価によって価値が生まれる世界に生きているんだよね。
でもそれはもう間違いないなと。
またその評価っていうのは時に自分を救ってくれたりもするんだけれども、それは同時に自分への縛りでもある。
その行為を通して、その信仰を通して見た価値っていうものによって、この物事の価値を決めていくから、
ある種その思い込みっていうものが外れない限りはそこはもう変わらないんだよね。
だからある種プラセボっていうものは自分を良くするための呪いなんでね。
その呪いの対語で言えば祝いと言っておきましょうかね。
祝ってやるって。
そうそう祝ってんだね、自分をね。
でも結局一度履いた赤い靴は絶対脱げないわけですよ。
つまり自分が選択して信じようと決めたものっていうものはなかなか脱げないわけだから、
だからその思い込みの根本が揺らがされたときに、僕らはのせぼに陥って、
自分が正しいと思ったことが分からなくなってきてしまう。
そのリスクを知った上で僕らは世界をちゃんと見ていかないといけない。
今信じているものは果たして本当に信じていいのかと。
だからそれは時として企業が作るイメージ戦略やラベリングという形で目の前に迫ってくるんだけれども、
そこに一度疑義を向けていかないと、いつの間にかそれに加担する人間になってしまうんじゃないのか。
だからのせぼはファッション業界というものを一つの例として挙げているのであって、
何もファッションだけを批判しているわけではなくて、
僕らはその人が作ったラベル、人が作った評価のラベルでものを見すぎてしまっているから、
もっと自分の目で見て何を信じるべきか、何を信じないべきかっていうことを考えていかなきゃいけないんだよっていうのを教えられたような気分がしましたと。
ファッション業界の影響
なるほど。
はい。ということで評価イコール呪術説ということで。
はい。
だから本作において呪術師は一人出てきて、ダイアナなんですけど、
でも実際はクリスティーンが所属するファッション業界こそ、本作に出てくる最も大きな呪術師なんですよね。
そうだね。
そう。
中でもう呪術回線が開かれているみたいな感じがあるね。
領域展開がされているわけですよ。
だから子供服はまさにそれで、ああいう劣悪な環境の中で自分が着たい服も着れないとか洗濯もできない中で一着をずっと着ているような子供がいるような人たちが、
富裕層のための服を作って、そんな劣悪な環境で生み出された服っていうものが高級ラインに乗っかって、
全く厳しい世界を知らない子供たちがそれを着て呑気に踊っているっていう。
呑気に間抜けな曲で踊っているっていう。
これおかしくない?っていうことなんでしょうね。
しかもその子供たちが素晴らしいと言われている服を着て何も喜んでないっていうのも痛烈な皮肉だよね。
モデルになって踊る子役たちっていうのがさ、選ばれる場でぬぼーっと立って、しかも服まで汚してみたいな。
別にそこに価値を感じてないからね。
そうそうそうそう。
だからなんなら、そういう意味では象徴的な真実だなと思ったのがさ、
服を汚した子が一人いて、早く着替えなさい。綺麗な服にしろって言うんだけれども、
あれって本来的には逆で、この子供ってどうしても遊ぶとか、外で過ごしたりとか家で過ごしたりとか、
家で過言をまだ覚えられないっていうところだから、
汚したり壊したりとか、ある意味破壊行動をすることで事故を覚えていくっていうことも、
それも教育の一環だとは思うんだよね。
だとすると、その綺麗なおべべを着て、過言を知らずに壊して、
ああどうしようっていう、そこからリカバリするっていう学習ができない限りは、
何を学んできたの?とかっていうことがすごくあやふやになるよねっていうのの、
すごく通列な際になるなーって思ってあのシーンを見てた。
だから、子供に寄り添ったプロダクトじゃないということなんですよね。
さらにそれを、汚れた服を早く着替えなさいって言ってる時点で、
彼女自身がやっぱりその服の価値っていうものを感じてないよね。
別に彼女自身は価値を感じてないから、
平気でもうそんなもん捨てて早く綺麗なの着てCM撮影するわよになるわけで。
僕がその一番印象に残っている、
某事務所のアイドル堂本浩一さんの名言があってね。
高級なTシャツを見て、布だぜっていう。
彼は本当にファッションにあまり興味がないというか、
Tシャツはもう無地でいいみたいな人なんですよ。
だから高級な運営するTシャツを見て、
なんでそんな長くするの?布だぜっていう有名なセリフがあるんですけど、
そこに詰まってますよねっていう。
だから価値って物の価値ではなくて、
そこに文脈的に何が組み込まれて、
社会の中でどう消費されているかっていうところに結局尽きていて。
だからこそそういう形で価格がついてくるし。
でもその一方でそれを作ってるのは、洋服一つ買えないような人たちなんだけどね。
自分で作ってるその服を今着ることもできないという中で、
トロッコ問題と倫理
何個も大勢でいくつもいくつも作ってるっていう。
怖いねっていうお話ですね。
怖いね。
なんかもうユニクロ以外の服、コート以外は何も持ってない僕からするとさ、
例えば白のTシャツってなったらさ、
GucciだろうとLouis Vuittonだろうとさ、
ロゴ入ってなかったらさ、ユニクロと一緒じゃね?って思っちゃうんだけどさ。
ユニクロと一緒かどうかで言うと、
下手したらユニクロの方がいい可能性もあるからね。
そうなんだ。
縫製とか見ていったとき。分かんないですよ、物見ないと。
どこで作ってるかにもよりますし。
でもなんかやっぱこう、現地生産の何かにお金払いたいっていうのもたまにあったりはしますよね。
アメリカ製にこだわるみたいな。
そうね。
そういう意味で言うと僕もキャンプ道具はモンベルにこだわりたいみたいなのあるから、
ある意味プラセボだよね。
まあそうだよ、それもそうだね。
モンベルだからいいはずだみたいな。
俺はブランド料払ってないみたいな。
みたいなね。ありますけど。
あとなんかの番組で街歩いてる日本に移住してきた人のインタビューが、
バングラディッシュ人がいて、
日本に来てやったーっつって日本の服買うぞって言って、服買ったらバングラディッシュ生ばっかりだみたいな。
わざわざ日本に来て自分の国のもの買ってるみたいなね、そんな笑い話がありましたけど。
本当にね、だからやっぱりいかに製品を安く仕上げるかっていう中で、
労働っていうものが安く消費されていくっていうふうな構図っていうのはどこの国にもあるので、
やっぱこれを見直していくっていうのはすごく大事だと思いますし。
やっぱりそういう話も、そういう話が今日メインテーマだと思うんですけれども、
真の部分ではもっと大きな話をしていく。
何を信じるか信じないかみたいな、そういう作品だったんじゃないかなっていうのが僕からのお話でした。
なるほど。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
僕の方から。
はい。
ちょっと似たようで、ちょっとかすめてあさっての方向に飛んでいく説なんですけれども。
あさっての方向に飛んでいくのね。
結構あさってに飛んでいきますね。
のせぼ。成立しないトロッコ問題説。
ほう。
というところなんですけれども、たぶんね、僕の感想、第一感想としてはね、
これまあ幽霊とか呪いみたいなのが怖い映画っていうタイプのホラーではなかったし、
で、見終わった後に何がなったかっていうのは怖かったっていう感想よりも、
なんかもう逃げ場がねえなっていう感じの感覚だったのね。
で、この逃げ場の無さってその画面の暗さとか物の怖さとかっていうことじゃなくて、
なんかもうちょっと根本的なところから来てるなっていうところがあったんよね。
で、最初に見たとき僕も、これその消費社会とかグローブルの資本主義みたいなところの批判かなっていうところに思ったし、
その衣服の産業だったり、街中の工場だったりとか、劣悪な労働環境とか、
なんかその社会映画みたいなところの記号が全部揃っていってるんだけれども、
でも僕自身考えれば考えるだけで、なんかねえ、違うなっていう感覚になっていったのよ。
で、なんか告発みたいなこともないし、なんか正解もないし、
なんかどうすりゃよかったんだよっていうところにも答えていかない映画だったから、
なんかしっくりこないなと思ってたんですよ。
なんで、ちょっと社会批判映画としてのだけ読むのをちょっと一回脇に置いて、
倫理が成立しないトロッコ問題っていうところ。
で、この正しい選択を迫られるとか考えさせる映画っていうところじゃなくて、
そもそも選択形式自体が壊れているんじゃないのっていうことを提示したかったのかなっていう、
そういう映画なんじゃないかという説で、こののせ棒をちょっと整理していきたいと思うんですよ。
で、先ほどその社会批判映画に見えるっていうところも、
まこちゃんが言ってもらった通りなんだけれども、
そのガイチュウだったりサプライチェーンだったりとか、
どこで誰が作ってるかよくわかんないまま商品だけ届いて、
なんかいいよねっていうような構造っていうのは、
まあ皆々様うすうすわかってると。
だから映画でこの工場と火災が起きてした瞬間に、
無自覚な先進国の消費者がどこの誰かを傷つけるかわかんないじゃないかみたいな、
正義パンチが飛んでくるんじゃないかみたいな、
こんな感じのテンプレみたいなのがノリをよぎったんだと思うんですよ。
で、この映画そのテンプレに観客乗せておきながら途中で卸すんですよ。
なんでかっていうと、映画がやってないことを考えるとちょっとわかりやすいんですけど、
企業の悪を暴くみたいな展開にしないし、
あと何よりも主人公に改心したとか悪かったみたいなことのスピーチを絶対にさせないんですよ、これ。
最後まで別に反省はしたのかどうかわかんないけど、
恐怖はしたけど反省はしてないじゃない。
だから、なんかこう、ある意味この手の社会派映画って、
そういうフェアトレードのところの素晴らしさっていうところに気づいたあなた、いいですね。
正しい側に立ち回りましたよみたいなところを結構提示する映画が多いかなっていうふうに思ってるんだけれども、
その手の出口をちょっと用意してないなっていうのを思ったの。
ここで大事なのが、この映画が社会構造を否定しているわけではないっていう点で、
構造は確かにあるんだけれども、作手もあるんだけれども、
本当にこれで描いていってるのが構造そのものよりも、
この構造の上で普通に暮らせちゃってるよっていう自分たちの在り方。
あとは普通に暮らしているときに発生する見えない責任の感触みたいなところが、
社会批判として読み切ろうとすると薄くなっちゃうんじゃないかなっていうのがこの映画だった。
で、のせぼの医学用語の言葉については、さっき話してくれたから全部飛ばそう。
まずちょっとこのトロッコ問題っていったところを、
ちょっとまず普通のトロッコ問題として噛み砕いていきたいと思うんですけども、
もともとトロッコ問題って一言で言うと、どっちを選んでも罪悪感が残る選択で、
あなたは倫理をどういうふうに考えますかっていうような話なんだけども、
何もしなければAが死ぬ。レバーを引けばBが死ぬ。
じゃああなたはどっちを選びますかっていう選択肢が明確で、
責任の形っていうのもはっきりしている。だから倫理学の教材になって、
ある意味トロッコ問題って残酷な思考実験なんだけれども、非常に整っている。
どこからどこが責任で、どこからどこが倫理なのっていうところが、
すごく明確になるっていうのがあったのね。
で、こののせぼがこのトロッコ問題に当てはめた時に全然整わないんですよ。
主人公の倫理的ジレンマ
なんでかっていうと、主人公自体レバーを引いた感覚っていうところをしっかり持ってない。
自分が加害したよねっていうところに、最終的なところの本質的なところはちゃんと考えられていないっていうところ。
だけどもそのトロッコの設計、つまり工場であったりとか火災であったりとかっていうところには関わっている。
しかももう誰かがその火災によって亡くなっている。30人だとかなんだかって言って。
だからその、例えばその主人公がフェアトレードに切り替えましょうよとか、そこに気づくみたいなような選択を起こすとかっていうところの前に事故が起きていて、
誰がこのトロッコのレバーを引いて、どこが自分の責任かっていうところが確定できない。
だから償うためのルートみたいなのが、主人公がよくわかってないよっていうところが一番最悪なトロッコ問題になっちゃってるなと。
ここで起きてくるのが倫理的なジレンマっていうよりは、この処理ができないっていうところ。
倫理っていうのは本来は行動の指針になるはずであって、こうすればいいとかこういうふうなことを避けるほうがいいっていうことを考える上で、
選択肢が壊れていると倫理指針にならなくなって、なんか嫌だったなっていうところにだけになっちゃう。
だけどもこの映画の場合、その罪悪感っていうのは言語化しづらくて、
主人公がやってないとも言えるし、無関係とも言えないっていう、すごく中途半端な立ち位置に立たされている。
主人公にとってのトロッコを整理すると、彼女は家族を守るためだったりとか、自分のためっていうところに仕事をしていたじゃないですか。
そこは多分いろんな人が共感できると思うね。生きるために働くとか生活を維持するとか、家族の安定を守るみたいな。
そのために会社で責任になるポジションにいる。ここまでは普通だと思うんですよ。
その仕事がサプライチェーンの先に外注工事を持ってて、そこで事故が起こった。
ここで問題になるのが、主人公が直接火をつけた人ではないと言えば、彼女は雇われなんですよね。
会社の社長でもなんでもないと。
工場の現場の現場管理をしていたかというと、そうでもない。
ここはちょっと明言されてないから、なんとも言えないところではあるけれども、
シーンを見る限りでは現場監督者というよりかは、受注工場をただ視察に来ただけっていう人じゃない。
彼女の立ち位置ってめちゃめちゃグレーなんですよね。
だから生産工場にもっと環境を良くしろみたいな話ができた立場の人間だったのか、
それともできない人間だったのかみたいなところが、全然どちらとも言えない状況に起こられている。
このフェアテレートの批判に見えてしまうっていうのは、
主人公がその辺の良くなさみたいなところを見えなかった側にいて、
主人公が現場の加害者として描かれているわけでもないし、
彼女は彼女なりの仕組みの中にいて、
自分の利益だったり家族の利益だったりとか社会のために動いていた歯車の一つであった。
じゃあその歯車がどこまで責任を負えるのかっていうところが問われているっていうのが、
このすごく映画の嫌な部分だなと。
だから、ここで主人公が本当に殺されるほどの悪だったのかなっていう疑問が、
ちょっと俺の中にはすごく湧いたのね。
プラス、ダイアナのところを見ていくと、もっとはっきりしてきて、
彼女は被害者として一貫として描かれているんだけれども、
よくよく要素を見れば、めちゃめちゃ加害者にもなっているんだよね。
で、何のためにあっこにいたかっていうと、
生活基盤を整えるためとか、
なんかよくわからないけど村から追い出されてどうのこうのみたいなことがいろいろあったから生活が苦しかった。
ここは多分間違いはないんだよね。
じゃあなんだけれども、その生活を支えるために工場に勤めました。
娘がそこの工場火災で亡くなりましたってなったんだけど、
そもそも工場に子供連れてくるなって散々言われているのに、
子供を連れてきたのは誰か、ダイアナだよね。
しかも火が起こった原因となったのは誰か、工場長。
で、じゃあその工場を持っている会社はどこか。
主人公の勤めている会社。
だから、ある意味その主人公のこの女の人がちょっと名前忘れちゃったんだけど、なんだっけ、誰だっけ。
クリスティーン。
クリスティーンか。
そのクリスティーンっていうのはたまたま被災に来たっていう人だけで、
だからそこの代表っぽく見えてしまうっていうだけで、
恨みを持ってしまったダイアナっていうような構造もなくはないと思うんさ。
だからそのダイアナっていうのは別に正義の執行みたいなことをしているんじゃなくて、
どこかで納得できる位置を探しているのかなと。
だからそのクリスティーンにとっては数字の詩でしかなかったもの。
だからどこどこの工場で火災がありました。
いくらの損失です。
いくら誰々何人が死にました。
どういう規模の火災でしたっていうところが、
ダイアナにとっては現実の体験としてある。
だけどもそこって道義のトロッコで測れる問題なのかなっていうとそうじゃないなと。
むしろ主人公はある意味ダイアナの生活を支えていた側でもあったのに、
復讐の標的の答えになるのかっていうのがすごく疑問で、
自分なりに考えた結果なんですけども、
主人公のクリスティーンにダイアナが噛み付いたっていうのは、
ある意味すごく自分の意思とか自分の復讐の心みたいなのが届けられる一番安易な結果だったのではないかなっていうところが思ったのさ。
だから別に正義を執行したってダイアナ本人は思ってるけれども、
客観的に全体像を見ていればダイアナが納得して殺したかったっていうそれだけのところになる。
だから主人公のトロッコっていうのは生活と責任っていうところがすごくグレーになっているっていうところ。
ダイアナのトロッコっていうのは自分が体験した喪失の意味をどう回収していくかっていうところが乗っかってきて、
でもそれはちょっと同じ土俵に置けないよ。
だって倫理が、倫理って結局、倫理問題っていろんな全問答みたいなことがされるけど、
何でかっていうと立場が変わってしまったら同列に語れない。
だけどもどっちも正しいよねっていうのが倫理問題なわけさ。
だから主人公にとっての倫理の問題とダイアナにとっての倫理の問題っていうのは同じ言葉で解けないと。
主人公はある意味善とも悪とも取れるし、ダイヤモンドも善とも悪とも取れる。
この映画の中でどちらかを善とか悪として固定した瞬間、もう片方はやっぱり悪とか善とかって固定される。
倫理の問題だよねっていうところで土地をすると必ずどこかにすごく矛盾が生まれて切り捨てられる。
で、切り捨てられた側は未処理のまま終わる。
ダイアナの復讐心
そこが僕の中でものすごくモヤモヤとして残ってしまう点で。
だから、なんて言ったらいいんだろうな。
そこのそのモヤモヤっていうのがどういうふうに出るかっていうのが、
そのモヤモヤを意識しないまま身体症状として現れるっていうのをのせぼという言葉にのせたのかなっていうのが、
僕の映画の見方なんよね。
つまり答えを用意してない映画です。
答えを用意…
みんなモヤモヤしてくれっていう。
そうだね。ある意味答えを用意しないことが答えみたいな。
単純にフェアトレードをしましょうよっていう構造というよりかは、
それによって生活を支えられている面もあった、壊される面もあった。
じゃあダイアナが完全な復讐者として正義を執行していたかっていうと、
そうでもない面もあるよねみたいな。
ダイアナが正義じゃないのは確かだと思う。
別に彼女も正義だと多分思ってないと思うんだけど、
ただクリスティーは絶対に悪いでしょっていうのは確かにあって、
結局あいつが生産耐性を上げる。
要するに生産効率を上げるために1時間あたりの生産枚数を引き上げるように指示しつつ、
商品が紛失しないように施錠しろってドアを閉めさせた。
なおかつ錠もかけさせたことによって、
彼女は結局数秒の滞在しかあの状況を見てないから、
夏にどれだけ暑くなってとんでもない蒸し風呂状態になるかも全く理解してないから、
あの火災の状況の中で彼女が結局娘を置いて飲み物を買いに行かなきゃいけなくなったのだって、
換気のためのドアが閉まってたっていうのもあるし。
結局クリスティーンがやったことっていうのは、やっぱり全く理解してなかったわけだよね、あの状況。
ちょっともう少し整理したほうがいいなと思ったのは、
面白いなと思ったのはトロッコ問題に例えるっていうのはすごく面白くて、
ちょっとトロッコ問題そのものをもう少し整理しておくと、
何もしなかったらAが死ぬ、何かしたらBが死ぬだけじゃなくて、
何もしなかったらABCDが死ぬ、何かしたらEが死ぬっていうふうな、
そこが天秤が釣り合ってないところがトロッコ問題のすごく大事なところで、
クリスティーンの選択
要するに今暴走しているトロッコがいますと、リスナーのためにお話してますけど、
暴走しているトロッコが線路を走っていて、線路の先には5人なり10人の作業員がいて、
このまま行ったら5人なり10人が死ぬと。
で、あなたの目の前にはスイッチがあって、そのスイッチをレバーを切り替えれば、
暴走するトロッコはもう1本の車線に入っていくと。
で、スイッチされたその線路の先には1人の作業員がいると。
つまり、5人なり10人の命を救うために、
意図的に1人の犠牲を出すっていうのは果たしていいのか悪いのかっていう、
倫理のジレンマ問題なんだけれども、
ここで重要なのはそこが天秤が釣り合ってなくて、
で、釣り合ってないものに対して果たしてその意図して、
多数の幸福を取っていいのかというお話なんですよね。
ベンサムの公理主義の話の中でこれは確か出てきたジレンマだと思うんだけれども、
要は最大多数の幸福を追求するのが公理主義の考え方だから、
それはスイッチを入れるのが公理主義の考え方では正しい選択になるわけなんだけれども、
これをだから今回の話に置き換えると、
クリスティーンが何をしたのかっていうと、
これは労働者の労働環境というものを犠牲にして、
生産効率を上げ、
安く大量生産する、福を大量生産するという利益を取ったんだよね。
そうだね。
で、それはクリスティーンからしたら当然のスイッチングなんだけれども、
ダイアナからしたらそれは当然でも何でもなくて、
あり得ない破壊的なスイッチなんだよね。
だからここが結局すれ違いの原因になっていて、
ただやっぱりクリスティーンのそれっていうのは、
結局彼女が、
あの映画では彼女が決めてましたから間違いなく。
彼女は、すごく大事なのは彼女はその道のプロじゃないってことが大事だと思うんですよ。
その道のプロでも何でもないただのデザイナーが意見をして、
労働環境を変えて、その結果あの事態になってるっていうところが、
ダイアナからしたら絶対に許せないポイントなんだろうね。
やっぱりそのクリスティーン自身のそのスイッチの切り替えね。
要するにこう安くて、
安くていいものっていうのをたくさん作るっていうのを、
平気で選択してしまうっていうところにこそ、
その彼女自身の、
思い込みというか、
彼女の倫理っていうものがそういう方向にぶれてるっていうところが、
この映画で一番のホラーなんじゃないのっていう、
ところなのかなっていうのは今聞いてて思いましたけど。
ごめんなさいね。
そこですごく思うのが、
彼女自体に、
クリスティーン自体に、
責任がどこまでのしかからなきゃいけないのっていうところもあってさ、
そもそも本当に元をたどれば、
そんな現場のこと全然よくわかんないだろうっていうただのデザイナーに、
工場視察で現場改善の受注効率を上げるようにやってこいって指示した会社も、
あるいはその経営人、
っていうのに従ったクリスティーンでもあったじゃない。
だから多分それが一番怖いところなんじゃない。
映画『#NOCEBO』の紹介
別にクリスティーンはそれを頼まれたわけでもないかもしれないよね。
ああ、そっか。
そうそうそうそう。
でもクリスティーンは結局、
自分の正しさっていうものを疑ってないから、
ただ現場視察に来ただけなのにもかかわらず、
要求をしてしまうわけだよね。
で、そして資本主義社会の構造的に、
結局生産工場の現場監督らしきあのおっさんが、
それにNOなんて言えるわけがないわけだよね。
そうだね。
彼は別に一応そういう場にいるけれども、
会社に意見を言えるような立場でもなんでもないわけだから、
その会社から来ましたって人が、
ああせいこうせいって言ったら従わざるを得ないっていう、
その完全な上下関係がある中で、
何の専門家でもない奴が、
本社から頼まれたわけでもなさそうなことをペッて言っちゃう。
しかもそれに結局舌は絶対突きつたがなきゃいけないっていうところが、
ガチモンのホラーなんじゃないのっていう。
やっぱりクリスティーンがやったことっていうのは、
明らかに火災の被害者を量産するような体制ですね。
要するに焼き殺し部屋を作ったわけですから。
むしべをね。
そこが怖いところですよねっていうことなのかなっていう。
だからクリスティーンの責任っていうものは確かにあるよねっていう形で絶対に描いてるなっていうのは、
僕はそこは思った。
ただダイアナが正義じゃないっていうのはもう間違いないね、それはね。
だって呪いで人焼き殺していいわけじゃないですから。
責任と倫理の探求
彼女が恨むべき相手はたくさんいるんだと思うんだけれども、
ただやっぱり一番許せなかったことっていうのは一体何かって言ったらやっぱり、
娘を殺されたというか娘が死んだきっかけを作ったっていうのはもちろんそうなのかもしれないけども、
それ以上に安い労働力で作らせたものにありえない価値をつけて売っているっていう。
しかもその形のない価値っていうものをかけがえのない命と天秤にかけられたことに切れてるっていうところがあるのかな。
もしね、僕がすごく納得できる形があるとすれば、クリスティーンが最後の一人だったらまだ納得できるんですよ。
工場長も呪い殺した後です。会社の社長も呪い殺しました。あとはお前だって言っていくんだったら、
まだそのバックストーリーがあるんだったら、クリスティーン殺されてもしゃあないかな。
納得はできないけど理解はできるなって思うんだけど、
初っ端クリスティーンはちゃうやろって思っちゃったんよね。
もう早い話がさ。別にクリスティーンがあんなことしなかったら誰も死んでないって話じゃないの。
だって全部ドア開いてるんだよ。ぼやで終わるはずなんだよね。
まあね。
終えたところでみんなだって階段下りれば逃げられたんだから。
そうか。
そう。だからクリスティーンがいなかったら誰も死んでないんだよ。
素敵な原因は工場長なんじゃないの?
工場長はだってさ、うっかり火出しちゃっただけでしょ。
うっかりでもね、直接的な。ガチ直接的な人間じゃん。
でもそれってどうしようもないことというか、そこはまた違うんじゃない。
たぶんもう一回見ればわかると思うけど、クリスティーンの要求のせいで明らかに火災が起きてるし。
そこは理解できる。そこはわかるんだけど。
なんでそこまでクリスティーンにのみ執着してるのかなっていうのは何か納得できないなっていうところ。
そこは結局あれなんじゃないのかな。もちろん現場監督みたいなおっさんに何も思ってなかったわけじゃないとは思いますけれども。
やっぱりその構造的なところでね、僕らは結局日本っていうね、資本主義社会、こっちのなんかね、もちろん貧困であえいでますけど我々も。
ただやっぱりレベルが違うわけですよ。
やっぱりそういう社会構造というか世界の構造の中で、やっぱり使われる側の人間から見たときに、
他所から来てね、注文だけつけて帰っていくあの連中に対して思うことっていうのは全然違うんじゃないですか。
自分たちが一生かかって稼いだ金でも買えないような服を着て、無茶な要求をして去っていく。
そしてそれによって人が大勢死ぬ。自分の娘までも。ってなったときに裏も相手はどう考えてもそいつでしょっていう。
顔も知ってるしな。
っていう風に考えると、まあクリスティーンは彼女から見たら絶対悪でしょうねっていう。
ダニーにしか見えてないんですよ。
まあ寄生虫だよね。
そうそうそう。あれはでもね、僕あんまり好きじゃなかった。
ダイアナがすごく丁寧にダニーの話しするところ。
クリスティーンに対してね、あんたらは寄生虫でダニーだみたいなこと言うじゃない。
そんな説明的なセリフ言わなくてもみんなわかるって。
みんなわかるよもう。ダニーだって。
あれはちょっとうるさかったね。
あれいらないと思うんだよね。だからなんかこう野良犬がダニーを運んでくるじゃない。
あのメタファーもすごくいいなと思って。
結局その野良犬が結局彼女たちなんだろうなって僕は思うんですね。
必死に生きてるわけですよ。その汚れながらも。
貧困の中でね、明日食べるものもない中で、
必死に生きている犬にこびりついて血を吸って、
なけなしの栄養をとっていく寄生虫なわけですから。
だからすごくメタファーとしてはっきりしていたし。
で、それをもう本当に汚物としてしか見ないクリスティーンっていう。
なんか汚い犬が入ってきたわねっていう。
やっぱりそういうところもすごくピッタリなメタファーだったなというふうに思ったので、
そんなセリフ言わなくていいです。
多分わかってって思っちゃったのかなって。
最後多分もう監督の思いが溢れ出しちゃった。
バーって出ちゃったのかなと思うんだけど、
別にそんなに説明しなくてもちゃんとみんなわかってくれてるはずだよっていう。
ただクリスティーン役の女優さん大好きですね。
綺麗ですごい神経質な感じ。
ジョニー・デップト出てなかった?なんかに。
魔女的な役で。
まさに魔女って感じの。
どれだ?
え、300?
あ、300出てたね。
あ、ダークシャドウじゃん。
ダークシャドウに出てた。
出てたわ。
ダークシャドウの敵役というか。
ダンボーも出てるらしいですよ。
じゃああれですね。
ティム・バートに気に入られてるんでしょうね。
そうですね。
というエヴァグリーンさんですけれども、いい演技でしたよ。
これはね、本当に面白かった。
すごく面白かった。
どんな読み方ができるのかっていうのは、
皆さんも試していただきたいなと思いますし。
洋服選びでじゃあ一体僕ら何ができるんだっていう。
そこが多分、オーマのモヤモヤポイントの一つでもあると思うんだよね。
そうだね。
じゃあ何ができるのっていう。
裸で生きる。
そこがすごく難しいなというふうに思いますね。
やっぱり僕らって結局、この社会の中で異色獣を確保していかなきゃいけないので、
その都度都度いろんなものを買っていくわけですけれども、
一つ一つの商品に対してどの程度責任を持てるのかとか、
どういう生産の方で本当にどういうふうに踏んでるのかっていうのを、
全部把握する形で選んでいくっていうのがすごく難しいなと思うので。
しかもこれ難しいのがさ、
消費者の視点
高い服買おうと安い服買おうと、
どちらにも噛んでる可能性はあるっていうところが怖いよね。
すごく怖いですね。だって何だったらあれですからね。
原料になってるコットンが、
チベットで強制労働されてる人たちが集めてる面である可能性もあるっていう。
さかのぼっていくと本当に全くダーティーなところがないプロダクトっていうのを見つけるのって、
結構博打に近いというか。絶対的にいいものってなかなかないですよね。
博打どころか不可能でしょ。
なんならその製品を考えてる人のさ、
飲んでるコーヒーはエチオピアから搾取された?みたいなコーヒーだったかもしれないとか。
そこまで考えるともう言う。
それはちょっと行き過ぎだろ。
作ってる人が飲んでるものの時点でもうそれ間接だろ。
間接の間接だからそれ分かんないわ。
だからそういうものを根掘り葉掘りしていったときに、
完全な正義ってああいうのはありえないよねというところの自覚は持つべきだし、
だとするんだったらそこを突き詰めていくよりかは、
正直フェアトレードとかっていうところを意識するっていうのもすごく大事なんだけれども、
この資本主義社会なわけじゃない?
そこにものすごくどっぷりつかれということもあんまり言いたくないんだけれども、
でも売り買いしてる時点でそこのレールには乗っかってるじゃない?
だとするんだったら、でもフェアトレードがなんだっていうと、
生産効率は落ちていくわけだよね確実に。
貨幣としての。
だとするんだったら、別の形での社会への還元の仕方っていうところは、
模索してもいいんじゃないかなって気がする。
いいものにちゃんとお金を出せって話だよね。
まあね。
いいものを安くっていう発想が、やっぱり消費者を呼び込むから、
結果としてそれがどんどん加速して劣悪な環境下で搾取される人々が生まれるのであって、
いいものにお金を出しなさいと消費者が。
安くていいもの、安くていいものっていう方向で考えるんだと。
いいものを高く買えという話でした。
ので今後、のせぼ見た方はですね、
お惣菜コーナーで半額シールが貼られるのを待っちゃダメということですね。
それは無理だな。
待っちゃうもん。
待っちゃうよね。
待っちゃうし難しいスーパーでさ、バイトしてるとさ、
本当にゾンビみたいに寄ってくんだよね。
すごいおばちゃんいるよね。
これ貼らないの?って直接。
貼って!って言ってくる人いるよね。
ちょっと腹立つからずっとね。
ああ、それは貼らないやつです。
嘘ついて、後で貼ってた。
最悪ね。
それは意地悪です。
すごく意地悪だったと。
まあ、当時大学生の僕はね。
意地悪しました。ごめんなさい。
いや、まだ貼ってたらいいのよ。
おいこれ!って言ってくるおじさんとかおばさんとかいたからさ。
あ、貼らないです。
それは良くないですよね。
話がそれたんで、この辺にしときますかね。
そうしましょうか。
はい。というわけで、楽しい映画でしたのでご紹介いただき、
ベッチさんありがとうございました。
こんな感じでご満足いただけたでしょうか。
すいません、ちょっとね、正月明けでだいぶ期間を挟んでしまったので、
なんかちょっと話がまとまったのかまとまってないのか、
ちょっとよくわかんない感じになってしまって。
申し訳ないですけど。
一旦CMです。
またかよ。
いや、なんかさ、時間すごいことになってるからさ、
うっかり忘れちゃったよ。
何か言い残したことあったの?
あったよ。
すごい大事なことあったんだよ。
何ですか何ですか。
明日センター試験頑張るよって。
あ、なるほどね。
それは言いたかったよ。
ツイッチネタを今日中に俺が編集して出すかどうかもわからないのに、
ぶっ込んで無理やり今日中に編集して出させようとしてたということですね。
そうそうそうそう。
絶対やらない。
明日の朝には多分アップされてるだろうな。
もうやらないじゃん。
じゃあやらない。
半額死ぬと同じ現象だよ。
じゃあやらない。
風刺ホラー映画『#NOCEBO』の紹介
週明けてからこっそり発信するから。
センター試験はおつかれ。
両方ね、両方言うと。
頑張れよ、おつかれ。
両方言うと。
もうセンター試験じゃないでしょ、だって。
なんだっけ、中央、なんだっけ、統一模試だ。
え、模試なの?
模試なの?
統一試験だっけ?え、なんだっけ?
統一試験だっけ?
共通テストじゃないの?
共通テスト、大学入学共通テスト。
共定だよね、今共定になってる。
センターから共定になりました。
共通一致、共定です。
チケット持って水場に向かって叫んでるみたいな。
させーさせーみたいな、共定。
え?
あー共定?
共定。
ボートレースのこと?
そうそうそうそう。
伝わらないのよ。
はい。
伝わんないの、共定なんて見に行ったことないし。
僕もないです。
あのすぐ隣、入口の隣歩いたことありますけど、中に入ったことないですね。
なんかね、でもじいちゃん、じいちゃん見てたっぽいな。
なんか共定の話してた覚えがある。
へー。
静岡の人なんだよ。
静岡って有名なんですか、共定。
知らないです。
共定知識ゼロですか?
共定知識ゼロなのに、共定ネタぶっ込んできたってこと?
おかしくない?
共定知識はないんだよね。
ないんですね。
わかんない。CMでやってる情報が僕の知識の全てです。
CMでいろいろやってますけど、あれもうわかんないですね。
あれマシン全部同じなんですか?
あれ見る限り、プロペラは自分でいじってそうだけどね。
プロペラ自分で選べんの?
でもプロペラ持って装着してるじゃん。
そうなの?
CMではね。
めっちゃ改造すればいいじゃん。
ダメなのかな。
わかんない。その辺は本当に詳しい人がいたらこちらまで。
AIとか搭載して自動運転とかにしたらダメなのかな。
それが実装されてるんだったら、もうちょっとホンダの車とかの機能いいと思うよ。
改造して一定だけ潜水艇にしちゃうみたいな。
絶対遅いじゃん。
急にゴールに浮上してくる。
でも誰も見てないから一周もしないで一回沈んで出てきただけ。
でゴールしたことに。
回りましたけどみたいな。
行ったもん勝ちダイアナシステムですね。
俺行ったからみたいな。
回ったからって言えば勝てる。
次どうします?
そうなんですよね。リクエストはちょっと一回お休みしようかなと。
やっぱりリクエスト、リクエストじゃないみたいな感じで回していきたいなと。
正月企画とかもちょっとピンとおきませんしね。
最近見て面白かったのあります?
モンハンやるか。
いいよ。いいよ。いいよ。
最近俺見て面白かったの2つあって。
どんとルックアップでもいいね。
どんとルックアップも面白かった。
あれは語りがいがあるんだけど、
でものせぼとちょっとかぶってくるね。
現代社会への風刺みたいな感じでかぶるんで、
また時間置いてもいいかなって気がしますけど。
あと見たのは懐かしい映画でビッグ。
うわー超懐けい。トム・ハンクスじゃん。
ビッグ見ました。やっぱり面白かったです。
トム・ハンクスつながりで僕フォレスト・ガンプ見ました。
あーそうですね。記事書いてましたね。
フォレスト・ガンプは語ってもいいのかな。
語るほどの映画かなって正直僕は思っちゃってる節があって。
アメリカ人がUSAしたくて見るだけの映画なんじゃないのっていう風な感じで僕は見てるんでね。
それがこの間のインターミッションでロン・パールマン記念日が決まったじゃん。
ロン・パールマン見ますか?
そしたらモンハンかドン・ドルックアップしかないじゃん。
わかんないよ。ヘルボーイに行くとかさ。
ヘルボーイで語ることないってもう絶対ない。
わかんないよ。
絶対ないんだから別に。
ヘルボーイで語ることなんてもうね、原作のキャラデザを忠実に踏襲してるなってことぐらいですね。
ロン・パールマンの骨格が。顔面の骨格がね。
あともう一個僕が見て面白かったのはポルカキングってやつ。
あれじゃん。ジャック・ブラックじゃないですか。
いいね。ポルカキング面白かったな。ポルカキングにするか。
見たの?
昔見た。内容全く覚えてない。
ジャック・ブラックだなと思いながら見ましたけど。
でもその辺だな。
ロン・パールマンどうしても行きたいならモンハンでもいいよ。
そんな感じでお楽しみにですね。
楽しみにしましょうか。
楽しみに。
リサーノの皆さんは何ロン・パールマンが来るのかというのを期待しながらお待ちください。
じゃあそんなわけでよろしいですかね。
はい。ではお聞きいただきましたのはリール・フレンズ・イントーキョー。
今回はリスナーリクエストから風刺ホラー映画の背後とファッション業界が抱える罪悪感について語ってきました。
リスナーからのフィードバック
番組ではですね、投稿フォームを通じて寄せられた感想やリクエストを実際に番組のテーマや構成に反映しながら制作しております。
面白かったな、ここは引っかかったななど短い言葉でも結構です。
あわせてXでハッシュタグリルーパールをつけたポストも受け取っております。
いただいた声は番組内で紹介させてもらうこともありますので、無理のない形で参加してもらえたら幸いです。
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お相手はまこと
大間でした。
それじゃあまたねー。
またねー。
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