Reel Friends in TOKYOにようこそ!この番組は話題の新作、黄年の名作、謎を聞き作からぶっ飛びB級映画まで、あらゆるフィルムを倫理、宗教、歴史に陰謀、多様な視点から切りまくる映画専門チャンネルです。お相手は、パーソナリティのマコと
オーマです。よろしくお願いします。
画面がカクついたと思ったらね、ちょっと音声がね、やや途切れがちになってきてるんだよね。
あ、ほんと?こっち全然問題ないんだよ。
で、インターネットどこと調べたんだけど、こっち全然大丈夫なのよ。
おかしいね。でも俺の方はっていうと、そこまでよ。
マジか。
全然普通に聞こえてるし。
うん。
俺も全然普通に聞こえてるんだよ。
え、なんだろうね。
だから、変な話ね。収録は完璧にできてるってことですから。
まあまあじゃあいいか。
うん、大丈夫だと思います。ごめんね、オーマがあんまり聞き取りにくくなってるのは確かだと思いますけど。
あるいは、今噛ませたエフェクターの接触が悪いのかですね。
それはそれで怖ぇな。
いやでもね、俺のところに俺の声がちゃんと戻ってきてるってことは回線に問題はないはずなんだよ。
インターフェースにはちゃんと入ってるところだからね。入った音が返ってきてるので。
ネットか。
ネットだな。
今、有線ゲート02ってやつでスピードテストしたんですけど、ダウンロード1789のアップロードが155って出てるから全然問題ないんですよね。
そうなんだ。じゃあ大丈夫じゃない?
まあいけるか。
うん、そう信じましょう。で、どうすか最近っていう。
寒い。
寒いね。めっきり冷え込みましたね本当に。12月ぐらいって、いや今年も大したことなかったねって勝手に思っちゃうんだけど、本番ってこっからだよねっていう。
そうなんだよね。
そう、なんかやっぱ年末を迎えるあたりが勝手にピークなつもりでいて、全然そんなこと例年ないのに、毎年忘れて12月ぐらいに、いや今年は割といけたなとか思っちゃう節があるんだよな俺。
なんかセンター前後から一気に冷え込む気がするんだよね。
そうね、それはあるかもしれない。でまたなんか冬だしさ、でなんかボーナスも入ったばっかりだからつってさ、なんかちょっと調子に乗ってあったかい服買いすぎるんだよね。本当に。なんかよくわかんないけど。あったかいコートとかなんか欲しくなっちゃったりしてさ。なんか余計にいっぱい買っちゃうんですよ僕。ちょっとね、どうしようかなって。今もう欲しいコートが今2つあってね。
コート2つ持っててどうすんの?
いやあのね、ロマンを買ってんだよだから。そこなのやっぱりね。今俺が欲しいのは、えっとね、フィルソンのマッキーノジャケットっていうやつね。
マッキーノジャケット?
マッキーノ。
あ、マッキーノね。
マッキーノジャケットっていうやつで。
すげえ日本ぽい名前じゃんって思っちゃった。
マッキーノジャケット。
そんな黄色なんだよ。パディントンぐらい黄色いのかなと思って。
中学時代の同級生にマッキーって呼ばれてるやつがいましたから、マッキーノジャケットって言ったらマッキーノジャケットなのかなっていうふうにちょっと思っちゃうっていう。
サッカー部の彼ね。
これがね、厚手のウールでできたジャケットで、もう100年以上の歴史があるんですよ。
で、もともと林業をやってる男性が使ってたらしくて、非常に湿度も高く、時には雨に濡れながら作業しても決して重くならない厚手のウールという。
なんかさ、ネルシャツっぽいね。
そうそうそう。本当に伝統的なのは赤のバファローチェックのやつだと思うんですけど。
ウールは林とか着てそう。
着てそう着てそう。
俺も本当は赤のバファローチェックのやつが欲しいけど、ちょっと合わせんの難しいというか、もう本当にコテコテのアメリカンなファッションじゃないと合わない気がするんで。
無地物を買ったほうがいいかなというふうにはちょっと思ってますけども。
これかわいいねこれね。
そうなんですよ。こんなんね、キャンプ行くんだったらもうめっちゃ重宝するんじゃないですかって思いますけどね。
いやちょっと欲しいな。
これにカーハートのつなぎだったりオーバーウォールとか合わせたらもう完璧よねっていう。
オーバーウォールは多分寒いから着ないけど。
カーハートのオーバーウォールは内側にインサレーションが入ってるやつあったりするんですよ。
中綿のやつあったりして。そんなの合わせたらいよいよアメリカンなアウトドアメインになりますから。
いいね。スイクンで垂らして狂気乱舞するやつじゃん。
だから古着屋巡りに行くならこの辺を狙っていきたいなとか思ったりしますよね。
いいね。これはちょっと俺も欲しいわ。
特にこれを一番初めに作ったのがフィルソンっていうメーカーなんですよ。
このフィルソンのMade in USAのラインを買うというのが一つのね。大事なの。やっぱりアメリカ、Made in USAが大事だから。品質とかじゃない。
Made in USAってタグがついてるかどうかが大事。情報を送ってる。それが大事だからやっぱり。背景みたいな。
そういうのがね。なるほどね。
そこにこだわりたいみたいなのがありますからね。
えー。でもこのカーハートのやつの茶色のジャケット可愛いな。
カーハートいいよね。茶色のジャケット。ワーカージャケット。
そうそうそう。おじさんが着てるような。
そうそうそう。いいんすよ。ワークジャケットはね。
可愛い。
これもね、そのダック地でできてて。で、ワークジャケットなんかはもともとね、そこまでとにかく丈夫なんですよ。
はいはいはい。
ただカーハートはもうほんとね、なんていうの。ブランド力がもうちょっと尽きすぎてて。
フルギアでカーハートのこの手のワークジャケット買おうとすると、物によりけりですが、運満用意しといたほうがいいですね。
マジか。
3万あれば、状態によりますが買えますみたいな感じ。
ちょっと僕の財布からはかなり渋られる値段ですな。
そうなんですよ。でも、その分ガチで一生着れると思う。
なるほど。
そう。でね、俺実はカーハートのオーバーオール持ってんすよ。
おー。
俺はメキシコ製のやつを新品のキトンキトンで買ったんですけど、まあ着心地悪いのなんのね。
あー。
やっぱね、10年着てやれてこないと全く言うことを聞かない張り。
なるほど。
そう。だから、やっぱね、カーハートは古着で買うべきなんですよ、もはや。
なるほどね。
育てられない。一回洗濯した程度じゃん。
ジジイだってから。
そう。ようやく、あ、馴染んできたな、みたいな。そんなレベルよ。
で、最近のラインはメイドインUSAないから、そもそも多分。
あ、そうなんだ。
そう。だからもうこのアメリカワークウェアのもう本当もうキングオブキングみたいな感じのブランドなんですが、
USSAを探っていって、なおかつ着心地の良さみたいなところを行くならば、間違いなく古着で狙っていくべきブランドではありますねっていう感じなんで。
あー。
これこそね、ちょっと大間と見に行きたいですね。大間なんて型いいから絶対似合うやつありますよ。
多分この手の服がね、僕似合うんですよね。
しかもね。
ネルシャツとかすごく似合うから。
そうだからネルシャツの上にこれなんて羽織ったらもういよいよね。バキバキにアメリカンですから。
そうね。
はい。これは行きたいですね。
なんか安いキャップ被ってヒゲもたくわえて。
そうね。安いキャップは本当に安く買えるからね。古着だったら。
そうだね。
ワンコインで買えるまであるから、全然。
全然よくわかんないキャップをとりあえず被るみたいな。
そうそうそう。ありだと思います。
いやーなんかね、この流れで行くと全く今日の作品に繋がっていかないんですけど。
そうね。早く宿題しなさいみたいな感じで怒られちゃうかもしれないね。
そこはさ、殿下の方とダジャレで持ってってほしかったかな。
まあまあまあ。
ちょっと死にかけなんでもう行きます。それでは本日も参りましょう。
まあなんか古着の話だからね。買ったらすぐそのまま着るみたいなこと言うのかなと思ったら。
あーうまいね。
果たしてママとは一体誰なのか、幻覚なのか、それとも何か意味のある怨念なのか、ご覧ください。
はい、ということでね。
まあ今回は、面白かったですよ。
そうですね。
わりと好きは好き。
っていうか考察のしがいのあるいい作品だったなと思います。
まあ一応でそのママって誰みたいなところから、2人が唯一覚えてたのがママって言葉だけなんですよね。
で、まあなんかまあまあまあ言ってるけどママじゃねえぞみたいな感じでみんななんかリアクションしてたんだけど、どうやらマジでママっていう奴がその謎の背負くにいたらしいぞと。
え、本当に?つってね。
いやそれビクトリアがね、姉の方のビクトリアがなんかこうイマジナリーフレンド的な感じで言ってんじゃないのとか、あるいはもうビクトリア自身の中にいるオルタエゴなんじゃないのみたいな感じでやってくんですけれども、
やがて説明のつかない事態が起き始めてですね、あ、ガチでいるってことになると。
で、その正体が実はみたいな感じで展開していくわけですよね。
ここから先はですね、ぜひみんな見た後で聞いてほしいんですけれども。
はい、見ましたね。
はい、じゃあ引き続きいきますけれども。
で、正体が19世紀にその小屋の近くにあった精神病院に入院していたイーディス・ブレナンという女性の亡霊だったと。
で、そのイーディス・ブレナンは自分の子供を奪い返してですね、精神病院として精神病棟として機能していた修道院から逃げ出して、でも逃げられなくて崖から身投げをすると。
ところが落ちてる途中で、その崖から生えてる木に赤ん坊だけが引っかかってしまって、一人で死んじゃって、それ以来自分の子供をずっと探し続けていた。
そこにですね、二人の姉妹が出会って、その面倒を見ていたという。
なんかそれだけ聞くとですね、なんかちょっと日本の階段にもそういうの出てくるじゃないですか。
子供を育てて。
やっぱりよくありますよね。
娘とかそうでじゃなかったっけね。
娘とかそうですね。
赤ちゃんを育てる亡霊みたいな感じで。
なんかちょっとこうお涙頂戴的な感じなのかなと思ったら、がっつり怨霊だったっていう感じですね。
子供たちが大事なのか大事じゃないのかっていうのがわからないみたいな。
結構ネットでもですね、このママを見た人にダイナミック産骨みたいなふうに言うんですけれども。
ラストシーンで二人を連れ去ろうとするママに対して、アナベルとルーカスがですね、赤ん坊の遺体を無事手に入れてですね。
その遺骨をママに渡してですね、成仏させようという作戦を取るんですけど。
残念ながら失敗してですね。
ママは自分の子供の骨を思いっきり投げ捨てるんですよね。
パシャーって。
えーって。
で、リリー。
一番ショッキングな映像でしたね。
ショッキングな映像ですね。
ここでもう物語が締まっていくのかなと思いきや、ダイナミック産骨を決めてですね。
最終的に姉妹のうちの妹のリリーを連れ去ってしまうと。
で、物語が終わっていくというふうな。
あっ、子供の死を描くんだっていう驚きもありましたし。
結構ね、その辺厳しいじゃないですか、向こうは。
成人の遺体はどんなにコミカルにバラバラにして、ミンチにして人に食わせてもいいみたいな感じなのに。
子供の死だけは徹底してなるべく描かないという。
そんな謎のモラルのラインがあって。
なかなかないんですけど、今回ママではガッツリ目に幼い子供を亡霊が連れ去って殺してしまうというふうなお話でした。
なかなか衝撃的でしたけどね。
じゃあちょっとダイナミック産骨以外にジャブがあれば、そこから行きましょうか。
いいですか。
ちょっとママ以外にも言えることではあるんですけど、
向こうのホラー全般っていうところの草紙になっちゃうんですけど、
正体が出始めてから一気にB級臭くなる問題。これどうにかならんのかなっていう。
今回特に正体出すの早ないっていう。
早い。
早かったよね。
最後の最後だけでいいのよ。
だからママが出てくるの早くない?
早い。
すごい早かったよね。
最後の最後までちょろ出しでよかったんじゃないってちょっと思ってた。
俺なんだったらさ、2人がママってずっと言ってて、
それはさっきも言ったけど、
イマジナリーフレンドなりオルターエゴかもしれないっていう路線で、
周りの人たちがリアクションしていろいろとやろうとするっていうのを描くんだったら、
一番初めの導入の段階で影を明確に見せなくてよかったんじゃないかっていう。
あー確かに。それはそうだね。
だからジェフリーが殺される瞬間とかもあんなはっきり描かなくてよくて、
もうなんだったら2人を残してジェフリーは自分で死んじゃってもよかったし、
いっそね。
で、あるいはもうジェフリーがどんなに2人が呼んでもいい。
呼び声が、返事がなくて、いつの間にか消えてるとかでもいいと思うんですよ。
あんな露骨にもうあの場所でですね、ママに襲われてベキョベキョにされるジェフリーを見せなくても、
それを見せちゃったらその後の周りの人たちの気持ちに寄り添って見れないっていう。
もう我々は知ってるから。
あそこにはあのなんかキモい黒い影がいて、人間ベキョベキョにしちゃうんだって。
それをママって呼んでるんだなっていうのを分かった状態で見ちゃうから、
なんかいるかもしれない。いやでも違うかもしれないのを一応スタンスを
初めのうちは取れるようにした状態で見たかったなっていうのはちょっと思いましたね。
あー確かにね。それはあるね。
そうね。
ジャブ。
でも結構ね、あっこは良かった。
ママの姿を何か見せるのか見せないのかの地割らせ方は結構好きで、
特に俺おおーって思ったのがあの毛布の引っ張り合いのシーン。
あーいいですねあれね。
あれはすごく良かったと思う。
えーリリーが。
えーお前こっちか?みたいな。
そうリリーがドアの向こう側で毛布の引っ張り合いをして遊んでるんですよね。
で誰かと一緒に遊んでると。
でまあ見てる人たちからしたら当然子供部屋にいるから、
姉のフェルナンドじゃなくて何だっけビクトリア。
ジェニー。
姉のビクトリアと一緒に遊んでるのかなと思ったら、
ビクトリアが別のところからフレームインしてきて、
おおーってなるっていう。
ああいうのはすごくいいよね。
すごく良かった。
すごく良かった。
あれはものすごく良かったですね。
演出の妙でしたね。
あんなんだってお金全く使わないからね。
映ってないところでスタッフが毛布引っ張ってればいいんだからさ。
全くSFXは使う必要ないんですよね。
だからそういうところで工夫次第で、
いくらでもコストをかけずに恐怖描写ってできるんだなっていう。
やっぱああいうところの工夫というかアイディアというか、
とても光った瞬間だったなってすごく思いましたね。
すごく良かった。
あとね、あまりコストをかけずにいい感じっていうので言うと、
もう一個俺すごくあって。
怖さではないんですけど、
オープニングのナウシカシステムですね。
絵画で経緯を説明するという。
ああ。
確かにナウシカシステムだわ。
ナウシカシステム。
そうだね。
今回導入で、
子どもたちが山小屋の中にたった二人で残された後、
オープニングが始まるんですよ。
このオープニングの時におそらく姉のビクトリアが描いたであろう、
壁の落書きがひたすら映ってくるんだけど、
それがどうも絵日記みたいになっていて、
その二人の、たった二人残された二人がどうやってその後過ごしてきたのかっていうのが、
それを見ていくとわかるみたいな。
これ完全にですね、ナウシカのオープニングでタペストリーに描かれた、
黒い日曜日じゃなくて火のなんちゃらかんちゃらみたいな。
火の七日間か。
その中の出来事がそこを見ればわかりますよ的なシステムになってて、
結構面白かったし、あそこで描かれているのが結構面白いですよね。
妹が先に四足歩行を始めるんだよね。
そう。妹が先に四足歩行を始めて、いつの間にか姉も四足歩行になって。
妹は初め荒井熊に襲われてたし、その後荒井熊殺してるし。
その後多分ネズミを食ったんだよね、妹が。
たぶんそれってなんか吐いてたよね。
ネズミ食って血吐いてる妹がいて、姉が泣いてるみたいな。
そのうち二人で四つん這いで歩くようになってみたいな感じの描かれ方がされてて。
たぶん着想を得たのはアマラとカマラだと思うんですよ。
インドかどっかで見つかったとされる狼に育てられた姉妹みたいな。
ただもっと遡れば狼に育てられた兄弟ロムルスとなんちゃらがいますよね。
ヨーロッパの方にもいたよね。
ロムルスじゃなくて。
あ、ロムルスか。
アマラが先に死んじゃうんだよね。
アマラとカマラが死んじゃうし、どこまでマジだったのかっていうのは野生児の話って謎が多いんだよね。
やっぱりこのアマラとカマラも結局創作が含まれてるみたいな話があって。
割と野生児関係って調べれば調べるほどロマンがなくなっていくっていう。
これよくありますね。
よくある。
オカルトの定番みたいな感じになってますけれども。
でも今回はそこに着想を得て、おそらくは削撃されたのかなというふうに思いましたね。
今日は?
一個いいですか?
ベリー食いすぎ問題。
さくらんぼ万能説っていうのをね。
5年にしてもっていう。
5年にしても食いすぎよ。
5年にしても食いすぎないよ、あれどう考えても。
えげつねえ量の種がね、キッチンに置いてあるんですよ。
父の実家が山形なんですけど、毎年父の実家に帰ると、山のようにさくらんぼを食わせてくれるんですよ。
一回、食いすぎて風呂でさくらんぼ風呂を楽しんだことがあって。
あるいはまあ外国にもあるんかね、そういう視点って。異界のものを口にするみたいな。
確かに西洋文化でも異世界的なところっていうのはよく出てくる話ではあるんだよね。
例えば地底世界とか、あるいはよく言われてたのが妖精に連れ去られたっていう視点がよく出てくるんだけども。
何て言うんだっけそういうの。ミッシングリングだっけ?
ミッシングチャイルドインビデオテープ。
何て言うんだっけ忘れちゃったな。
今調べるっていうね。妖精に連れ去られること。
妖精こっちじゃない。持ってる方になっちゃった。
妖精に連れ去られることは何と言いますか。取り替え語だ。
カタカナ語にしてよ。
チェンジリング。
そうチェンジリングだ。チェンジリングっていう映画があったもん。
あるあるある。
だいたいこういうのって、よくよくひも解いていくと、障害児のメタファーになってるんだよね。
発達障害だったりとかなんとかっていうのが、戻ってきたときにチェンジリングされて、
全然言葉が通じなくなっちゃったとか、わけわかんなくなっちゃったみたいなことがあって。
おそらくひも解いていくと、識字障害がある子だったりとか、あるいは自閉傾向のある子っていうのが、
このチェンジリングとして言われてたんじゃないかなっていうのは、僕の勝手な推論なんだけど。
でもなんかこの夜持ち精神みたいな、そういう文化ってあんまり西洋であんまり聞いたことないな。
あるみたいです、今調べたら。
あ、そうなんだ。
しかももう、ギリシャ神話からあるみたいです。
ギリシャ神話?
ペルセポネがハデスの下でザクロの実を食って地上に戻れなくなるっていう話が、もうすでに確認できるわけですね。
じゃあ結構どこでもある話なのかね。
みたいよ。ケルトでもあるみたいですね。
妖精の里で飯食うと人間界に戻れない。戻れたとしても数十年数百年が経過してるっていう浦島太郎的な演出もあるみたいですね。
全然関係ない話していい?
はい。
俺何十年生きてきたけどさ、いまだにザクロの正しい食べ方がわかんないんだよね。
あんなもんだから口の中入れてチュパチュパしてその後ペッて吐くだけだろうがよ。正解もクソもねえやんのも。
一粒ずつやるのか。でも一回ね、なんだか忘れたけど、映画でザクロ食ってるシーンを見たことあるんだよ。
豪快にかぶりついてクッチャクッチャクッチャしてペッて吐き出すっていうシーンがあって、これが正しいのかっていう疑問が俺の中で何も消えなくて。
小学校にザクロの木があったのよ。だからよく昼休みとか勝手に取って食ってたの。
バコってやったらさ、ムシャってついてるじゃん。あれを一個一個シャブシャブするじゃん。
でも割っても割ってもさ、つぶつぶがさ、絶対出てくるじゃん。
これどう食べるのが正解なんだみたいなのもね、いまだにわかんない。
俺の中ではザクロは観賞用です。
うわぁ、ルビーみたいつって。
終わりですね。そんな好んで飲むよう、なんか食べるような、僕の中では味ではないので。
それこそじいちゃん家の畑にあったんで、毎年送られてきましたけど、きれいだねって言って、
おかんと姉ちゃんが食うのをひたすら見てるだけっていう。
めんどくさくて食わないっていう感じでしたね。
ザクロは確かに謎ですね。
もし正しい食べ方を知ってらっしゃる方がいたらこちらまで。
そうですね。
ちなみに北欧神話のヘルヘイムでも、死者の食事を取ったら生者として戻ることはできない。
ヒンドゥにおいてもそういうのが見られるみたいな感じで。
よもつへぐいにあたるような逸話っていうのは結構いろんなところにあるみたいですね。
やっぱりそういうところを引用してるのかなという感じですね。
あと何かありますか?
あと何かあったっけな。
何か言おうと思ったのあったんだけど、ちょっと忘れちゃったわ。
ほんと。しゃべりながら思い出したら是非って感じですけどね。
じゃあちょっと本題に行きますか?
行きますか。
どっちから行く?
どっちからでもいいですよ。
だってあなたしゃべってないでしょ。
しゃべってないね。
だからホラーからいきなりだから。
いいですか?
いいですよ。
じゃあ、映画ママ。社会教育論の偶話説。
ほー。ほー。
というところでちょっと話していこうと思います。
はい、お願いします。
映画ママについて今回はホラー映画じゃなくて、社会教育論の偶話として読み解いていきたいなと思って。
この映画初見でポッて見たときに、プラトンのイデアロンの話がまずちょっと僕の頭の中に出てきて、
特に洞窟の比喩の話に非常によく似てるんじゃないかなっていうところを思ったんね。
洞窟の比喩って知っとる?
洞窟の比喩?
洞窟の比喩?ちょっと話してみて。
俺が知ってるのはたぶんソフィーの世界で言及されているか否かだから。
あれ話したっけな?わかんない。
とりあえずそのイデアの話の中で出てきた話なんだけども、
洞窟の奥で身動きできずにずっと生まれながらにして育ってきた人々がいますと。
その人は真正面しか見れません。
自分らの後ろには焚火が焚かれています。
焚火と自分らの前に小道があって、いろんな人が通るわけね。
何かを抱えた人とか、酔っ払いが歩いたりとかって言って。
声と自分らが見れるのはその洞窟に映った影しか見れないわけさ。
その中の一人があるとき、なぜか脱出できて外の世界を見たことがあると。
もう一回洞窟に戻ってきたときに、
いやいや、あれは背中からいっぱい棘が生えてる人間じゃなくて、
背中に道具を背負った人間なんだよ。
道具っていうのはね、みたいな話をしていても、それは影なんだよ、みたいなことを言ったとしても、
洞窟の人が、いやいやお前頭おかしくなったんじゃねえの?っていうような逸話。
なるほどね。
プラトのイデア論の洞窟の逸話っていうところの話なんですけども、
この映画で重要になってくるのが、人が世界をそのまま見てるっていうわけではなくて、
学習した枠組みのみで世界ってものを理解してるよねっていう話になってくるんですよ。
この視点でママを見ていくと、この映画には明らかにこの2つの愛入れない世界っていうのが同時に成立しているんです。
それが自分が認識しているようなこちら側の世界っていうところと、ママが生きているママの世界っていう。
この映画を見ていたときに、この2つっていうのは善悪の違いっていうよりかは、
社会としての前提が異なる世界だっていうふうに解釈をしたいなと思っていて。
そもそも社会っていうのはなんぞやというと、共通の文化とか価値観とか規範、ルールですよね。
それを共有して人々が持続的な関係の中で相互に影響を与えながら生活する集団や場のことを指すと。
辞書に書いてありました。
そこにはうまくなじめる人もいればなじめない人もいて、それ自体は悪いことではないと。
悪っていうのは何かっていうと、ここで言うところで言うと、道徳的な善悪っていうよりかは、
社会として維持できなくなる状態っていうことを悪というのを指しますというのが、
哲学的な社会悪と言われることなのね。
悪が成立するとしたらそれは集団や他者っていうのに実害が及ぶっていうことそのものが、
悪ということなのであるっていうような言われ方をしていて。
この前提を持ってリリーとビクトリアを振り返っていきたいんですけども、
まずリリーは幼児の初期からママの世界だけで生きてきた。
ママ以外の世界の認識をまだ持っていない状態の子ども。
文化観も価値観も安全の基準みたいなのも全てはママ基準で社会化されている存在。
彼女にとってママは異常な環境というわけではなくてもう唯一の社会、
その子の中の理解枠として捉えられている唯一の社会になっている。
一方ビクトリアは幼児後期までこちら側の世界で生きてきた。
その子を見つかるまでの間ママの世界で生きることになって、
つまり彼女は2つの社会こちら側の世界とママ側の世界を知っている人間になっている。
いわば帰国主義者みたいなものですよね。
この差がすごく決定的になっていてプラトン的に解釈するんだったら
こちら側の世界は例えばイデアを知っている側。
イデアを知っている人間から見ればママの世界は未熟で危険で不完全みたいに映る。
だけどママの世界しか知らない者にとってはどうかというと
そこには十分意味があり価値があり、ある意味秩序も存在している。
本人にとってのエラーが生じるっていうような結果になってくるんじゃないかなと
だからそのママっていうのがホラー映画としても単純に成立はしているんだけれども
社会が成立するために何が必要なのかっていうところを
描いた偶話になってくるんじゃないかなというのが
僕の読み取りなんだけど
すっごいめっちゃ短くなっちゃった
どうしよう
いやでもなんだろうな
ビクトリアとリリーはやっぱり明らかに対比して描かれているなっていうのは僕も感じましたね
ビクトリアじゃあなぜ助かってリリーは助からなかったのかっていうところが
人間社会要するに社会ですよね
社会とのつながりっていうものを構築できたかできなかったかっていうところが
やっぱり分岐点であるというふうに考えられるし
そう考えたときに非常に極めてですね
わかりやすく記号として働いていた小道具があって
それはメガネですね
そうだね
メガネっていうのはやっぱり非常に文化的な日常日用品ですし
それがですねビクトリアはあの出来事が起きる直前にメガネが壊れてしまった
でそして人間社会に帰ってきてルーカスだっけ
ルーカスじゃなかったっけ
ルーカス
合ってるか
確かルーカス
だっけ
ルーカスだったと思うけど
を認識してたのもメガネをかけたからなんだよね
だから社会と接続される世界の実像を焦点を合わせてみることができるようになるっていうのが
実にですねその自分が今どこにいるのかであったりだとか
自分を取り巻く環境とは一体どのように自分に影響を与えているのかみたいなものを
見出す上では非常に重要であるっていうことが
あそこに込められていたんじゃないのかなって気がするんだよね
だからあのメガネは非常に意味があったなっていうふうに思うし
その視点で言ってもオーマの読みは非常にまといているんじゃないのかという
ふうに思って聞きました
素敵でした
ものすごい短くてごめんね
素敵でした素晴らしかったです
本当によかった
本当によかったし多分なんだろうな
それをベースにして僕も話をしていく
つもりです
ということで僕の論も言っていいですか
はい
じゃあいきますよ
哲学者の名前が出てくるんだ
映画ママ
母性と
エゴの
話し説
ごめんちょっと説の名前考えてなかったわ
説のタイトリング忘れてたからちょっと困りましたね
ということでねやっていこうかなと思いますけど
いやー
なるほどね母性とエゴね
そうだからねこの多分ねオーマは
そんな感じで読んでくれたわけですけど
忘れちゃならないのが
そもこの映画のタイトルは何なのかというところなんですよね
だからそれがやっぱり本当に中心に据えられたテーマ性だろうなっていうふうに思うと
やはりママですから
ママって何なのっていうお話を
モロに描いてるんじゃないかと
すなわちですね皆さんにも一緒に考えてほしいんですけど
母親になるってつまりどういうことなんですかと
いうことですね
まあなんだろうな子供を産む
とても素晴らしいことだし我々男性にはね全く真似ができないわけですよ
アーノルドシュワレスの映画以外は
そうだね
じゃあこう産んだらね自動的に母になるのか
っていうところは非常に議論の余地があるところで
だとするとそれを経験できない我々は絶対に父になれないわけじゃないですか
そうだね
そうっていうふうに考えたときに果たして母なる母性とは一体何
母なる証とは一体何なのかという話が非常に重要になってくるだろうし
ある種ですね本作が描いているのは母親あるいは母であるということが
いわゆる新自由主義社会において商品化されてやしないかと
勲章化してないかとあるいは装置として使われていないかっていう非常にですね
切れ味の鋭い批判をしているんじゃないのかなっていうふうに思って僕は見たんですね
はいだからある意味では本作はその怪物系のホラーの予想をよしつつ
なんだろう人間がここまで繁栄してきた根幹を支え続けてきた母性っていうものが
人間社会から阻害されていくという今現在まさに起きているホラーを描いているんじゃないのかと
いうふうに言いたいですね
なるほどね
ちょっと整理していきますけれども
2013年っていうことですけど2008年にリーマンショックの
リーマンショックって2008かもうちょい前か
とりあえず不況だったことは確かなんですけど
とことん不況になっていったときに一体何が起きるのかっていうふうに考えて
要するに小銭でもなんとか稼がないといけないっていうふうになってくるわけですね
そうするといわゆる中流階級でやってきた保守的な生活も一変させていかなければならないと
すなわちですね2馬力で頑張っていく女性が社会進出してワーキングマザーになるっていうふうな現象が
一般化していく普及して一般化していくっていう過程にあった時期かなと
当然そういう過程はいくらでもあったと思うんだけれどもそれが広く普及していくことによって
待機児童問題っていうものが本当に表面化してきたのもこのあたり
ワンオペ育児だったりだとかワーママみたいなねママさんでトラック運転やってますとか
そんなねお話っていうものがどんどん表に出てきた時代でもあったかなというふうに思います
さらに言えばねSNSも広がっていく中で理想のママ論みたいなものが出てくるし
アメリカなんかは日本よりもよっぽどポッドキャストの土壌が早い段階で展開されていく中で
ママとはこうあるべきみたいな発信をしてきた人たちもいっぱいいるわけなんですよ
でそれが一大コンテンツになっていくみたいなことが起きていくわけですね
さらには当然待機児童問題にこうする形でケアをする子どもたちのケアをすることが
ビジネスとして広くケアのビジネス化ですねがどんどん起きていく
それは罪でもなんでもないんだけれども一方でですね社会が面倒を見る
ちょっとした小さな共同体の中で村の中で子どもたちを別に誰が決めているわけでもないし
そこに給与が発生するわけでもないんだけれども地域社会で子どもを育ててますよみたいな風潮はなくなって
そこに利害関係が発生し金銭の従事が発生していくっていうふうな出来事が
そうして別にこの時点で起きたとかじゃなくて表に出てきた
普及してきた一般化してきたっていうふうな時期の作品なのかなっていうふうに思うんです
学術的なお話を僕は引っ張るつもりが実は今回なくて
その辺はもう大間にお任せしようかなと思いますけれども
まましいといえば疎外っていう言葉はあれですからね
マルクスの言葉だったと思いますけれども疎外っていうのは人間が作ったものによって
人間自身が切り離されていくという
そういう関連性の言葉ですけれども
今回ねじゃあママっていうタイトルで考えた時に本作にママって何人出てきたかな
ママ何人だったでしょうクイズ
ママ単純に考えると2人だよね
でもクイズにするってことはそうじゃないということね
でもそうか産んだ母っていうところも考えれば3人が確実になってくるのか
ある意味ヤングケアラーとしてはヴィクトリアもママなんだよね
そこは俺カウントしてなかったな
でも考えてもいいかもしれないね
とりあえず今思いつくのは3かな
この辺でしょうねと考えていった時に
まずね実の母は死んでしまったわけですねオープニングと同時に
もう出てきやしない
多分死んでんだなっていうか報道のアナウンスで知ることになるんですけど視聴者は
あれはだからあそこで母の不在が決定されるという装置として使われている
血縁状の母っていうものが失われた時に幼い子供たちが一体どのように成長していくのか
そこに母性が不在の時に一体何が起きるのかみたいなね
そういった形でまず実の母っていうものが描かれていたんじゃないのかと
じゃあそこにねまず出てくるママは当然まずはイーディスですよね
音量と化したイーディス
じゃあ彼女の持つ母性とは一体何だったのかという話をしていきたいんですけれども
彼女はね母性の何だろうな
過剰欲求というか
なんていうか 自己愛性母性みたいな
うまく言えないですけどちょっとここを整理していくんだけれども
彼女は精神疾患を抱えて精神病棟に入棟していた
彼女には赤ちゃんがいたんだけれども赤ちゃんから引き離されてしまった
実の子を我が手に抱くために彼女は脱出して
我が子と共に逃げたけれども逃げ切れなかったから共に死を選ぼうとしたと
ところがまた運命の悪戯で引き離されてしまったから死後も赤ん坊を求めて徘徊をしていると
彼女の目から見るとそれは愛を求めて
我が子を自分の胸に抱くために
っていう本当になんていうかな母性ゆえの正義の執行なんだよね彼女の世界では
それはだからそこで一貫したストーリーが展開されているんだよ
ただじゃあこれを一歩引いた目線でそこで起きた出来事を見ていくとどう映るか
まず精神疾患を抱えていておそらくは柔度であったろう
自立した社会生活が伊藤を舐めない状況にあるイーリスが
果たして赤ちゃんの世話を見るだけの余裕があったのかどうか
まずここが否であるからこそ赤ちゃんと引き離される形で入党していたのではないかという整理が一つ
そして最終的に彼女が選んだ選択は何だったのかそれは無理真珠でしかないんだよね
これは子供の未来ではなくて母である自分っていうものを確保するための選択でしかないんだよね
そう考えた時に母性ってなんだろうそれは子供を守るための生物的な本能的な感情であったりだとか
あるいはもっと社会的なところで言うと子供たちの未来を明日に繋いでいくためにみたいなそういった欲求かもしれない
そういったところで考えた時に果たして彼女のイーリスの選択は本物の母性であるかというとそうではないよねと
でそれを証明するのがジャブでも言ったダイナミック産骨なんですよ
彼女は実の子の遺骨を放り投げて捨てるんですよねそれは一体なぜなのかっていうところなんだけれども
それは直前に起きた出来事がすべてを物語っていて直前にリリーがママのことをママと呼ぶんだよね
ここに対比があって遺骨は喋らないんですよ
だから彼女は結局自分のことをママと呼んでくれる存在が欲しかった
だから我が子であっても遺骨になってしまった我が子には用はなくなってしまうんですよ
今目の前に自分をママと呼んでくれる存在がいるからね
というふうに考えると結局この音量化してしまったイーリスっていうのは
母である自分っていうその自分自身の価値みたいなものを守るために必死になっていて
結局我が子の未来を守るだとか自分の子の命を生命を守るみたいな
本質的な意味での母性ではない巨像の母性っていうものを持ってしまった存在として描かれていたんじゃないのかと
いうふうに考えられるのかなというふうに思うんですね
続いてなんですけれどもママの成り損ないが一人出てくるんですよ
ママ損ないが ママ損ないが
寺院おばさんですね ママ損ない
あーなるほど
彼女はおばにあたる人物で冒頭で殺された母の姉妹にあたる人物なんですよね
で彼女は姉妹が発見された直後に養育権を主張して裁判で争うことになるんですけれども
ただここの裁判で明確になるのはそもそも姉妹の捜索を一切してないんですね彼女は
そうだね
おじのルーカスだっけ シンファーじゃなくてなんかいた
本当にルーカスだって言ってるのこれ 本当にルーカスだって言ってるのこれ
ルーカスかあってるあってる多分ルーカス ルーカスが必死に5年間ずっと探し続けてたんだよね
見世によはたいてね そう
おばの父は一切探してないわけですそれを裁判でルーカスサイドも言及していたんだけれども
ところが見つかった途端に養育権を主張していく
ここに一体どんな裏があるのかっていうふうに考えた時に
そもそも姉妹のことが本当に心配だったら初めから捜索をしてますよねっていうのが一つ挙げられるし
じゃあその上で彼女たちを自分のもとに来させようとする理由は一体何なのか
これはあくまで推論に過ぎないんだけれどもある意味では自らが姉妹の子供であった女児たちを引き取ることによって
社会的な賞賛を得たい社会的な信頼を得たいっていうふうな欲求がそこに見え隠れしているんじゃないのか
ある意味では母性っていうものを社会資本として消費するかのような
母性っていうものを手に手中に収めるために自分には母性がありますよっていうふうに懸念するためにこそ
そのツールとして姉妹を利用しているように見えてしまう
そこがはっきりわかってくるのがやっぱりその後の行動で
ある意味ではですねアナベルとの間は確か始めはギクシャクしていたかもしれないけれども
少しずつその一般社会の中での生活を取り戻そうとしているビクトリアと
リリーのその胸中を細かく聞き取るわけでもなく初めから
こんなところにいるのは良くないだとかアナベルにはその養育する能力はないみたいなことを決めつけて
一方的にその生活を壊すために盗撮をしに来るわけですよ
つまりは結局ジーンも本物の母性は手にしていなくてむしろ母性という商品を買いに来た人物でしかないんだよね
っていうふうに考えるとここでも母性とは一体何なのかでその母性っていうものが
商品化されて扱われてしまっていることへの皮肉であったりだとかあるいはそれの虚しさであったり
あるいはバカバカしさみたいなものがこのホラーの作品の中で言及されているのかなっていうふうに見えてくる
何より一番面白いのは本作において本当に母性を発揮している人物というのが
一切何の血縁関係もないアナベルにあるというところなんですよ
ここが非常に面白くて彼女はルーカスの恋人だから何の血縁もないです
さらに言えば冒頭で彼女が妊娠検査薬を見ているシーンがあるんですよね
で妊娠検査薬を見て反応なしで みたいな感じで
だから彼女は母親になる準備も心の中でできてないわけです
つまり作品のスタートの時点で彼女には血縁的な母性、血縁的な母という繋がりもなければ
彼女自身の精神性にも母性は一切宿っていない状態
さらに面白いのは彼女自身は売れないバンドでなけなしの金で生きている
しかも別にそれでいいと思ってるわけですよ
もう絶対に成功してやるぜみたいな着替えみたいなそんなセリフは一切出てこないんですよ
これつまりは社会的な称賛、承認も全く必要としてないんですよ彼女は
人員とも対比されてるわけですよねだから
誰かに認めてもらいたいとかじゃないんですよ
だから自分自身を商品化してないんですよね
何か自分に付加価値を加えてもっと人からよく見られたいだとか
そしてそのツールとして母性を使おうなんていうそんな根担は一切そこに存在しない人物として描かれている
すでに初めからこの辺が非常に丁寧だったなっていうふうに思いました
ビクトリアと徐々に絆を形成していく中で
結局彼女は最後までこの私にあなたはどうしたいのかっていうのを動きも荒げながら
対話をずっと続けるわけですよ
それは本当に不器用だからうまくはいってないんだけれども
それでも結局対話を諦めずにずっと続けていくアナベルの姿勢みたいなものは
結局最終的にビクトリアの信頼を勝ち取ったわけだよね
っていうふうに考えるとじゃあ母性って何なんだと
それは血のつながりなんかも超えたものだろうしおそらくは
子供たちのことを本当に思うって結局何なのかって言ったらこれこそそうだろうと
母であることっていうものは決して商品化されるものではない
母であるっていうのはただ目の前の子供を守り抜くっていう
精神性の部分であってそれを社会に向けて発信する必要などないじゃないかと
だからその辺りをすごく感じて
たくさんママが出てきた中でここなんだっていう
アナベルが見せてくれたものっていうのが本質的な母性っていうものの
理想形なんじゃないのかなみたいなことを我々に伝えてくれてるんじゃないのかなっていう風に
思ったんですよね
だからそのためにこそ偽りの母性っていうものを徹底的に描き抜くしかもそれを
様々な種類で提示するっていうところが重要だったのかなっていう風に思ってみました
なかなかだからね
感動ともまた違って
上手に丁寧に描いたなっていう感じなんですよね
この僕は論を展開する上で
リリーとビクトリアの対比みたいなところには一切言及ができないので
ここだとだからさっきオウマがそれを言ってくれたんで良かったです
どっちかっていうと多分あれだよね
オウマがマクロ的に見てマンコちゃんがちょっとミクロ的に見てくれた感じになってくるから
分配ちょうど良かったね
もうちょっとちゃんとしっかり解説するかと思った
でもだから一番やっぱり良くないのは子供っていうものが道具になってしまうっていう社会だと思うんだよね
それってやっぱりSNSが加速していく中で
ひょっとしたらこの2013年当時よりもいよいよ問題になってきてるなっていう風には思っていて
やっぱりSNS文化の中で子供を出して
再生数を稼ぐだとか
子供を使ってだね
うちの教育方針はこうでこれは大変素晴らしいから子供はいつも笑顔ですみたいな
そういう発信をする
果たしてっていう風に思うんだけどそこに映る子供たちの笑顔っていうのが僕は理理の笑顔に見えてしょうがないんですよね
極めて閉じた世界で
エゴにまみれた母性の被護のもとにある彼ら彼女たちは
結局外側の世界を知らぬままここが本当に幸せだと思い込んでしまうっていう
でも怖いことに
ママの方が先に死ぬわけですからその後被護を失った後に
歪んだ倫理道徳の中でどうやって一般社会に溶け込んで生きていくかってなった時に
やっぱりそれは難しいだろうっていう風に考えると非常に
心配だなって思うしある意味ママは2013年時点で
そういうことを既に訴えようとしてたんじゃないのかなって思うとかなり戦権の命があるなという風に思ってますよ
そうだねでも確かに本当にこの昨今
ラベルっていうのがあまりに重要視されて過ぎているっていうのがあって
それはその社会的ステータスであったりとか財産であったりとかっていうところの一つに
例えばイケメンとか美女とかお金持ちっていうのと同じように
母親父親っていうのがあまりに商品化されすぎてきてるなっていう嫌いはすごくあるんだよね
すごく僕がめちゃめちゃ違和感を強く感じたのが
イクメンっていう言葉が出てきた時
あれが僕の中でものすごく一番違和感がすごく強くて
僕の中で個人的にはすごく嫌悪感の強い言葉なんですね
それは育児するでしょうが
育児をしないっていうところを前提に育児をする男っていうところが
ラベル化されてもてはやされるっていうのが
あれって表に出す話じゃないよねっていうのは
今真子ちゃんが言ってくれたようにすごく感じたところの一つだったよね
前提が歪んでるから生まれる言葉だよねってことだよね
前提として男性は育児をしないものだから
育児をする男性にこういう名詞がつくみたいなことだよね
だから理系上にも俺は同じ響きを感じるよ
前提として女性は理系の道に進まないからみたいな風になっちゃうじゃん
それを持ち上げちゃうと
そんなことないし理系の道に進む女性もいるしみたいな
きゅりー夫人とかどうなるんだって話だもんね
っていう話だから
前提が少ないかもしれないけどいるんだからっていう
そこをもてはやしてしまうとちょっとなーという気は確かにするかな
だからラベルのために何かを消費するっていうこと自体が
ちょっとそろそろ違和感感じてもいいんじゃないっていうのは
ものすごくこの映画の主張としては
すごく納得できる説だなっていうのは思うね
たしかに
まあなんか今日そんな感じですになっちゃった
なんか綺麗にまとまっちゃったんだよな
そうだね
まあいいんじゃないそんな日があっても