間接的な時間の重要性
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。今回のテーマはですね、アイディア出しなどの時間の使い方、もしくはですね、
ソボ作とか、シゴクリ時間と言ってもいいんですが、要はその時間っていうのはですね、直接的にアイディアを出す、考えるだけじゃなくて、その周辺ですよね、間接的にインプットしたり、もしくはアウトプットした後とも含むんですが、要は前後のことをですね、
広い意味でね、間接的と言ってるんですけど、間接的な時間というのもアイディア出しの時間、もしくはアイディア時間、もしくはですね、創作時間、活動時間と捉えた方がいいんじゃないのかなと、そんな考え方について少し共有していければいいかなと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回はですね、アイディア出しの時間、もしくは活動時間、そもそも何かをする時間っていうのの考え方ですね。特にですね、直接的に何かをしている時間だけを指すのではないという話でね、いくつか話していければいいかなと思います。
まずですね、アイディアを出すと、このシゴクリラジオでも何度も言ってるんですが、初めての方向けにお話しすると、アイディアを出すにはインプットが必要で、何かを読んだり体験したりね、した上でその思考ですね、問いですね、考えたり連想させたり、紐づけたりしますと。
そうするとですね、アウトプットとして具体的にアイディアが出てくると。もしくはアイディアをまとめている形でもいいんですけど、実際にはインプットをしたりするときに出たり、考えているときに出たり、もしくはアウトプットとして話をしているときに出たりね、厳密にアウトプットというフェーズで出ているというわけじゃなくて、
わかりやすく言うとそうなっているということは注意というか留意していただきたいと。まあまあまあ、でもとりあえずインプット、思考するアウトプットという形で出ますと。じゃあアイディア出しというのが、何をインプットしているときにアイディア出しなのかと、何を考えているときにアイディアを出しているのか、もしくはアウトプットをしているときは何なのかと。
その時間という意味では、僕の感覚では例えば5時間ぐらいあったときに、4時間、だから8割ぐらいですよね、はもうインプットと思考なんですよね。最後の2割でまとめる、8対2って無理にしちゃうわけじゃなくて、そんな実践のデータがありますと、目安ですね。
ということはどういうことかというと、アイディア出しといってもほとんどリサーチと思考が必要で、最後に水面下ですね。氷山の一角じゃないんですが、氷の上から見えるアイディアの部分は最後の2割なんですが、下に水面下に8割ぐらい隠れているという感じです。
そのときに直接見える2割のアイディア、アウトプットを直接的にアイディアを出していると見えるのかなと思います。一般的に。リスナーのあらためにもそう見えるはずですが、こちらアイディアを出す側としては8割ですよね。水面下で埋まっているほうが重要だなと。
最後の出すところは自然にやるというのも伝わりづらいかもしれませんが、出てきたものを相手にわかりやすくまとめるということになります。
なので、もちろん2割もやらなきゃいけないし、8割もやらなきゃいけないんですが、どちらも重要ではあるんですが、水面下のほうが間接活動、間接時間でアイディアを出しているというのが2割、直接時間というふうになっていますね。
この時に見えない8割、見える2割と言ってもいいし、間接8割、直接2割と言ってもいいんですが、そういう時間があるときに今回のテーマとしては、時間としてアイディア出しをしている時間というのは一体いつなのか、2割なのか8割なのかというときにリスナーのあなたがどう考えるかという話となります。
特に初心者というか慣れていないとか、これから学ぶ人とかというところに行くと、これは別に偉そうに言うわけではないんですけど、直接見えるところを見るじゃないですか。
まさに学習における方というのは、見ている部分を何でできるかということで、その8割の間接的な見えないところを得るために真似をする、習得するために何度も繰り返すしかないんですよね、実際は。
何も種も仕掛けもありませんという形なんですけども、実際そうなります。
ただ、見えているから、わかるから、その通りに真似してできるかというと、例えば僕であればスケッチというのは、見た通りに描けない、描けない自信があるというところがありまして、
見た通り描けないので技術が不足していたり、練習量が不足しているわけですよね。
これもアイデア出しとかと一緒で、習得して技術として何度もやれば学べるはずなので、そういった部分で、別に僕が何でもできるわけじゃなくて、アイデア出しにおいてはそういう感覚があります。
話を戻しまして、今回のテーマとしては、直接見える2割を直接時間と捉えまして、間接的な8割を間接時間と捉えまして、両方とも活動時間に入れたほうがいいよねというのが僕の主張というか、別にそれが正しいわけじゃないんですけど、そういう感覚でいます。
全体時間の評価
なぜなら、例えば5時間あって、アイデア出しが直接やっている2割から1時間というものしかやっていないと比べると、実際の間接時間でやっている4時間は何なのってなるわけですよね。
スケッチもそうだと思っていまして、実際にスケッチをしている時間とそれを見て解釈している時間というのは、もちろん慣れている人だったらそのまま見て書いているかもしれないんですけど、見て解釈して書いて、見て書いて、消したりもしくは何度も修正したりという練習の時間とかを入れると、やはり5倍くらいは間接時間っているんじゃないかなという感覚があります。
他にもですね、例えば文字起こしなんていうものもあって、別に最近やっているわけじゃないんですけど、何かテープというかデータですね、録画とか録音の文字を起こす場合に、僕の目安でこれは仕事の実際の実績ですが、3倍くらいはかかるというのがあるわけですね。
例えば1時間の話を文字に起こすのであれば3時間、つまり1時間聞いてそれを3時間くらい言うので、1時間聞きながら3時間かかっているので、実際に4時間くらいかかるわけですけど、3倍はかかると。
今ってAIとか使えばもっと早くできるので、それをあえてやる必要性があるかは置いておいて、学習とか教育のためだったら必要だと思いますが、そうじゃなかったらなかなか効率化するということではなかなかいらないのかなというのもありますけど、それは教育と学習とかの分けた方がいいですよね。
その間接時間というものをアイディア出しでもいいし、スケッチでもいいし、今のテープ起こしというか文字起こしでもいいし、何でもいいんですよね。何かを生産したり創作したりするというところに活動ですよね。プロジェクト活動みたいなものに入れた方がいいんじゃないかなという話なんですよね。
入れた方がいいんじゃないかなと言っているのは逆でして、つまり一般的に見て直接見えるものをアイディア出しの時間とスケッチの時間だというふうに捉えられがちなんじゃないかなという認識、見え方、見られ方があるんじゃないのかなということですよね。
これは結構危険だと思っていまして、要は見える部分でしか判断しないというのはなんかシビアというか、そこしか見ないみたいなので、これリサーノの方もどう考えかによるんですけど、いいという人もいるわけですよね。見えるもので評価するでしょ、だよと。それがプロでしょみたいなね。
それはわかるんですよ。言い訳しない。要は間接で時間を頑張ってかけたから、出ているものはこれだけだけど、頑張ってますよということを別に言いたいわけじゃないんですよ。むしろ言いたいことは逆で、見える部分を出すには残りの8割をやっておかないと出ないわけですよ。
だから結論というか主張としては、見える部分のためには間接時間があって、見えない部分があって初めてできるよねという話になっていくんじゃないのかなと。むしろそれを知っている人は見える部分だけじゃなく、見えない部分も見ているんじゃないのかなという話ですね。
見える部分だけで評価するというのを別に否定するわけじゃないんですけど、見える部分を出すには見えない部分もやらないとできないわけですよ。これはよく言ってますけど、簡単に儲かるアイデアみたいなのがあって、それをどこかに落ちていて、それを実行すると簡単にお金が儲かるみたいな話があるわけないんですけど、
それをこの思考というかマインドセットがある。つまりこの思考というのは見える部分を真似させたり、もしくは見える部分をやれば簡単に得られるみたいなふうにお考えだとそのようなものがあって、うまい話があるというところに持っていかれるんだよなという話にも通じるわけですよ。
ここが通じているというふうに理解いただけるというか考えていただけるかということですよね。もう一方の関節時間があって見える時間がなるよねというふうに関節も直接もあってトータルで見て全体が見えているという人はなかなかそれに陥りづらいですよね。なぜなら見える部分だけ出してもその4倍3倍は時間がかかりますよね。学習も時間がかかりますよねというふうになるわけですね。
例えばAIの活用の仕方、先生やリスナーのあなたがどう使われているかわかりませんが、使っているときも出てくるものが簡単に出てくるけど、ぜひもしくは使えるかどうかは自分が使っている人が判断しなきゃいけないので、それを見なきゃいけないよね、判断しなきゃいけないよねということが問われますよね。
問われるんだけど、それが0か1かで決まるわけでもなく、いいものもあれば別に使えないものもあるし、もしくは使えるものもあるし、出してきたAIが出してきたものを判断する時間もありますし、それを考えてどういうふうに最終的にアウトプットをどう使うかというところがポイントになってくるので、それができるかどうかということですよね。
なかなか生成AIが出したものが使えるか使えないかという問いかけって正直荒いわけですね。
当初の頃だったらいいんですけど、初めて使う人はそういう問いかけをしてもいいんですけど、使っていって慣れていったときにそういう質問ってなかなか初心的な感じはします。
だから、使っている人はそういうことをあまり言わなくて、どう使えるかのほうに入っていく、成熟していくという感じはします。
話は違いますね。間接時間、直接時間というもので、全体を該当している時間、活動時間って入れたほうがいいよねという感覚なんですよね。
その全体が入っているというふうに見ると、全体時間で捉えているというふうに考えれば、水面上ですね、見えている部分だけで評価するとかがまずないじゃないですか。
間接時間の意義
何かが例えばできたり、何かが文章が得意とか、人の話を聞くのが得意とか、何かあるじゃないですか、そういうスキルみたいなものが。
スキルと言わなくてもいいですけどね。そういうものがあったときに、それって今までの蓄積ですよね、経験とか体験とかを伴って、
それがですね、発露と言いますか、具体的に今やっていることに落とし込めるというかね、つながっていくのかなと思ってます。
というふうに考えておけば、おのずと活動時間というものが増えるわけですね。
でですね、これも大事なんですけど、全然関係ないご飯を食べているときに、ふとアイデア出しのネタを思いついたとか、もしくはちょっと考えてみようとか、ちょっと思ったときですね。
それこそ何か違うことをやってて思いついたことっていうのは何かというと、それもですね、僕は間接時間だし、直接時間でもどちらでもいいんですけど、
ひらめいたとか。もう含まれるんじゃないかなという感覚があります。
という意味で、1日24時間だと言い過ぎですけど、寝る前にも考えたり、少しこういうときに考えるっていう、何だろう、常に考えられますよ。
もしくは考えても引き出せます。引き出しが近いですよね。引き出しとして持っておいて、いつでもそういえばこれどうだったかなって考えられることが、
習慣化というよりも、それ自体が習慣化にもなりますが、どちらかというとそういうふうに引き出しを持っておいて考えられますよっていう、何だろう、体制というか姿勢ですよね。
が非常に重要なんじゃないかなというところで、今日いろいろしてみました。
なので、手ごっくり的な仕事づくりにおいてというところでいくと、何度も申し上げているんですが、ついやってしまうような生産的、創作的、クリエイティブ的な意味で作るものをやってしまうとかやるのであれば、
まさにそれが手ごっくり的に言えば間接時間であろうが、直接的であろうが、時間を使っているってことになるかなと思います。
時間を使っているってことは、ついやしているってことは、投資でもいいし、ツインシャスでもどちらでも今回はいいんですけど、
時間の使い方
その時間が間接時間になるのでストックされて、それが直接的な何かしら成果物になるわけですよね。
例えばスケッチというもので絵を描く、何かを絵を描いてみる、ラフでも何でもいいんですけど、イラストでも何でもいいんですけど、
そういうのを描く時間ということにおいていえば、例えばわかりやすく何かを観察して、例えば今ここにワイヤレスイヤホンがあるんですけど、
そのイヤホンを見て模写するみたいなのも勉強というか一つじゃないですか。
でも何もなくて、想像してこんなキャラクターないかなとか、こんな動物いたら面白いねとか、こんなものあったらいいなみたいなのを何もないところで想像で描くこともあると思うんですよね。
それもスケッチというか絵を描くことじゃないですか。
絵を描くというのも手を動かして描くだけじゃなくて、パソコンとかツール、ITツール、タブレットでもいいですけど、
使って描くでもいいじゃないですか。
要は絵を描くというのの定義というか自分の中でどういうものを描くか、それこそ文章で描いて、
それで生成AIで画像生成AIで作らせるのも別に絵を描くって言ってもいいと思うんですね。
それは異論あるかもしれませんが、描くという行為でそれで触れることで自分で描いてみようと思う人もいればいいし、そうじゃない人もいるじゃないですか。
それは絵を描くという考え方と感覚になるので、それは当然生成AIの話でいくとクリアになっているとは思っていないんですけど、
著作権がどうなるかとか、それはまた別問題ですけど。
少なくとも自分がこの行為は完成時間、直接時間というのを考えるというよりも、
含めていいよねというのを緩めに持っておいた方が楽しくなるんじゃないのかなという厳密に決めて、
これしか対象にしません、カウントしませんというのは僕はあまりお勧めしないという話ですね。
そうやって緩めにしておくことで対象というか触れる機会が増えるわけですね。
例えばアイデア出しというのもスケッチとか文章を書くとかもそうなんですけど、
例えば本を読んでいます、興味があることをやっていますというのがあるじゃないですか。
例えば料理をしていますという時に、アイデアと関係ないかもしれないけど、
実は料理をしたことでスパイスを入れようとか調味料とかレシピの工程を変えてみようとか、
出し方料理、皿に入れるものを変えてみようとか、いろいろあるが出てくるわけですね。
何かやってみようというのがないと全く何も出てこないかもしれないですけど、
そういうのが出てくる時に、まさに料理をしている時の工夫をするということがアイデア出しの練習にはなりますし、
厳密な意味でこれをしないとアイデア出しではないというふうに決めてしまいすぎる、
あまり範囲を狭めてしまうと肩苦しいという感じがあるんじゃないかなと思ったりします。
この構造というか全体のイメージからいくと、再度整理すると、
物事に従事するとかプロジェクトとか活動とか仕事とか何でもいいんですけど、
その時間って何なのかといったときに、それに従事してやってますという時間というのは非常に限られるわけですね。
1日に集中できる時間って1時間、2時間しかないんじゃないか。
だから集中するんじゃなくて、もうちょっとぼんやりというのも変ですけど、脱精というのもちょっと良くないですね。
それに集中しなきゃいけないという感覚よりも、集中していてもう忘れてしまっている、まさにそれが集中ですが、
集中しているんだけど、そこまで意識を高めてやるぞって思わなくてもできるような、
まさにそれこそ脱精という意味ですけど、良い意味で集中していないんだけどできるというような間接時間ですね、8割。
集中が2割なら間接が8割じゃないですけど、そういう時間が非常に大事なんじゃないのかなという話となります。
だから主国理的な意味でいくと、間接時間を直接時間を増やすというのも全然ありなんですけど、
それだけだとちょっと堅苦しくて、堅くて全然できなかったり進まなかったりするんですよ。
目標でいうと、結果を仕事で売り上げを上げるとか、営業で何か契約するとか、そういう結果目標が近いですよね、直接的に。
アイデアの元
それも大事なんですけど、その手前というか前、前後ですね。前でも後でもいいんですけど、
それは循環しているので、1回やったら終わりじゃないですけど、何度も循環しているので、くるくる繰り返していく中で、
手前で前後というふうに言っているんですけど、その前でやろうが後でやろうが、やっていることですよね。
そのために、契約とか売上げとかそういうところも前で、前に何をやっていますか、コミュニケーションをしていますか、発信をしていますか、何でもいいんですけど、
勉強をしていますかもそうですよね。そういうものが含まれて初めて直接的になる、もしくは直接なものがある。
もしくは、結果目標であれば、行動目標と結果目標という言葉を使っているんですが、
結果として何か数値上げて売り上げ上げる、金額上げるみたいなものが結果であれば、行動目標というのはですね、
それをやるために何をしますかというのの考え方なんですよね。これは前、ラジオで話したような気がしますが、
よかったら検索してみてください。そういう中でですね、何だろう、間接的に動く、
要は結果目標みたいなものを動かしながら、行動目標みたいなものをやりながら間接的に動きつつ、それを8割ですね。
少しずつ蓄えつつ、それがですね、期欠というか結果的に結果目標なり直接の2割の方に繋がっていくというイメージですね。
があるかなと思います。ラクシュタイという人では逆がいいと。一気に今まで説明しましたけど、話しましたけど、2割で8割を得たいみたいなね。
レバレッジみたいなのが4倍ですよね。2割動いたら8割得られる。すごく分かるんですけど、基本的にはないですね。
で、唯一あるのは最初にそれを得て、直接間接直接とはまず得て、型が決まって、次の工程もしくは次の次とか応用として、
固まったものをさらに別のものに生かすってことではレバレッジというかテグの原理ってことですけど、
グッドは2割の時間で、だから2割というよりも固まったものでより何倍ものアウトプットを出すとかいうことはできるんじゃないかなと思っています。
いわゆるカルピスの原域みたいな話で、これはですね、AKBの秋本康さんというプロデューサーの方が本で書いて、企画術って書いてるんですけど、
確かね、カルピスの原域、カルピスの元みたいなのを作る。それが企画の元みたいなことを言ってて、アイデアの元ですね。
それをですね、カルピスソーダにするのかカルピスウォーターにするのか、何でもいいんですよそれは。料理にカルピス使うか、お菓子に使うか何でもいいんですけど、
元があるので、材料があって生成して加工した何か元があるので、それを使って具体的にアウトプットしていくということを繰り返していくと。
だから元の材料の部分は集めなきゃいけないし、それが間接的なものだと思いますし、蓄積しなきゃいけないんですよね。
ある程度固まったものっていうのは、原域というか原域を作るために材料が必要。原域を作ったら固まった濃いものがあるので、それを使って何かするのはいいわけですね。
ということは少なくとも2段階あって、最初は何もなかったら材料を集めなきゃいけない。材料を集めて原域を作ったら原域ができる。
原域ができたら次に3段階か、最初に材料を集めて原域を作ってそれを加工してアウトプットする。
何か適切なお客さんが欲しいものとかでもいいですし、自分が欲しいものでもいいんですけど、そういうのを作っていくことはできますよね。
できるので少なくとも最初に材料を集めてくるのは自分でやらなきゃいけないし、もしくは原域にするのもある程度自分でやらなければ、
使いこなせないわけですよね、自分の中で。最終的にそれがレバレッジじゃないですけど、テコの芸人としてうまく活かしてアウトプットできるというのは、
僕もあるんじゃないのかなと思っています。アイデア自体も自分で実現してもいいし、それをお客さんに提供して仕事にしてもいいし、
お客さんにやっていただくのもいいし、全然違う形でアウトプットするのもいいし、という感じで僕はアイデアを操作というかコントロールして、
間接時間の重要性
最初にアイデアを出して、それをいろんな箱ですよね、決められたサイズの箱、小さい箱だったり大きい箱だったり、変わった入れ物だったり、
ものにしていくと。箱というとイメージが正方形の何かと思われるかもしれませんが、大きかったり固かったり、さまざまな形があると考えていただけると、
映画は想像できるかもしれません。ちょっと長くなりましたけど、そういう形で、物事の取り組み方の時間というものを特に創作、仕事をクリエイトの仕事繰りですね、時間でも、
僕がやっている仕事のアイデア時間でも何でもいいんですけど、取り組んでいる時間で直接的にアウトプットする、見えている部分だけじゃなくては、
多分2割とか1割とか1割なんですよね。そうじゃなくて、水面下に隠れている8割。そちらの間接時間というのも重要で、どちらも重要だしやらなきゃいけないんだけど、
常に両方あるよねっていうことがあって、そういう姿勢で考えていただけると、仕事繰り的に蓄積したものが、さっきの話では、元気というか固まって、
それはさらに使えるようになるので、それまでは我慢じゃなくて忍耐ですね。忍耐して固まるまでですね。ある程度固まるまでは正直忍耐の部分があって、
ただ型さえ作ってしまえばそこから楽になる感じするので、その型が固まるまでの話と、またフェーズが別なので、
そういったところがあるんじゃないかと、仕事繰り的に役立つかわかりませんが、そんな話をしていました。
結果的にハードルというか、緩く厳密に今やっていることが仕事作りにつながるんですかとか、そういうことが不安になるわけじゃないですか。
企業でもビジネスでもなんでもいいんですけど、それが不安になるんですが、多分その不安というのは直接何か見える形にしないというところで不安になると思うんですね。
もちろん全部が100%やったことが全部それにつながっていくってこともあるんでしょうけど、多くはパケットロスじゃないんですけど、
コミュニケーションもそうですけど、全部自分が言ったことがこのラジオもそうですけど、伝わるというふうに考えるから、損したなと思うんじゃないかなと思っています。
8割ロスはちょっと大過ぎですけど、半分までいったらいいんじゃないか。
今回のラジオ話として10割伝わらなくても5割もしくは3割もしくは時間の中で1点でもここ面白いねと思ったら僕の中では成功ということなんですけど、
そういうふうに期待値を下げつつもやりつつ間接時間というものになっていくし、少しでも仕事を続けるにいきたらいいんじゃないかというふうに考えるのがいいんじゃないかなというふうに思っています。
少し長くなりましたがこんな形になります。
ぜひ直接的に何かやらなきゃいけないというふうに思ってしまう人は割とハマりがちなんですよね。
だから遊んでていいというよりも厳密に論理的に分けすぎて、今のやっていることはゼロか1か意味があるかないかみたいなとか、そういうふうに考える人がハマりがちなものかなと思います。
そういうふうにそこまで厳密に分けずに、いい意味でなんとなくとかいい加減でやってそれが繋がっていくみたいなイメージがあったり、全部をすべて生かそうとしすぎないっていうのも大事なのかなっていう。
ここが差事加減もあるし、人の性格もあるので、リスナーの中の性格とか資質とか、今ある考え方とかありますから、環境もありますから一概には言えないんですけども、あまりこだわりすぎるっていうのも、こだわったほうがいいこともありますが、こだわりすぎないっていうことも大事なのかなっていう話になります。
少しでも参考になれば幸いです。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。シゴクリラジオ大橋でした。