1. シゴクリラジオ!
  2. 同じこと言っている人は信頼で..
そこまでの「説」じゃないですが(笑)

価値観ベースや本音ベースで話すのに慣れている、またはそれが普通でやっていると、枝葉的な「些末な細かい違い」がどうでもよくなるんですね。

この人心からこのコトを言っているかどうか。
スピリチュアルでもなく、まあ話せばある程度見えると。逆に嘘を明らかについている人に対して「それは嘘ですよね」「はい論破」みたいなこともなくてですね、そっとしておくのが大人かなと思います。害があれば違いますが。

そういう中で、同じことを言い続ける人は、価値観ベースでそれがブレないというのもあるんですが、そこで人生を作ってきた、または根っこにあるから、そこから色々と考え判断しているからブレないんですよね。

一貫した主張をしてやろうは筋が悪くて、それは自分が思ったのでなくて「相手にどう思われるか」ベースなんですよね。そうでなく、自分がこう思ったからそれを伝える。そう思ったのは本音ベースであったので、それをもって、結果的に「主張が一貫している」と感じられることなんだと思います。

あくまで僕はですが、そういう主張として同じことを言い続ける人は結構好きで。ぶれてないなあというところを何度も確認しています。僕がそう思われるかはおいておいて、どんどん粘っていきたいですね(笑)
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00:09
シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回は、同じことを言っている人は、安心感が生まれるんじゃないか、信頼が生まれるんじゃないかということについて話していきたいと思います。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。
今回は、同じことを言っている人、これは良い意味で、同じ主張がある、一貫性があるというポジティブな意味で言っているのですが、そういう人は信頼ができるんじゃないかという話をしていこうと思います。
例えば、僕の擁護というか、手前無数で自分を褒めているというわけではないのですが、
例えば0か1かじゃないとか、正解があるとかじゃないとか言っているじゃないですか。
多分言っていると思うんですよ。本当にそう思っているので。
正解がないと言っているのに、正解はこれですと言い始めると、それはさすがにどうなのという話ですよね。
例えば0か1かじゃない、0、1じゃない、AかBかじゃない、二択じゃないと言っているのに、これはAですね、これはBですねと決めつけてしまう。
もちろんこれは重箱の隅で続くわけではないのですが、ある主張に対してはAかBかみたいな感じになるんだけど、他のことに関してはAかBかじゃないみたいなこともあるので、これは難しいんですよね。
ただ、AかBかとか、白黒はっきりさせないといけないみたいなことばかりではないというようなことを言っている人が、どちらかにさせようとするという心の動きですよね。
心の動きですよね、心理面、これ考え方、いわゆる信条というやつだと思うんですが、その人が信じている、僕が信じているような価値観とかですね、物語みたいな感じかもしれないですが、ナラティブと言いますか、その人が持っている物語かもしれません。
この主張です。
話を戻すと、そういうことを、別に0か1以下で決めているのがいいという人がいても全然いいんですよ。
いいんですけど、そういうことを言う人の背景がある程度理解できたところで、自分はどうだろうと置き換えたときに、なかなかしっくりこないなと思えば、全然しっくりこないというだけなので、そこで対立したいとかそういう話でもないと思っています。
03:00
状況によっては決めなきゃいけないときもあるので、絶対正解ないよと言って、ずっとやり続けていることがいいとか、うまくいくというわけでもないかなと思うので、この辺りが難しいところかなと思います。
そういう細かい話はあるんですが、基本的に主張としてある程度一貫性があった方が信頼されるんじゃないかなと思いまして、これは一貫したことを言い続けろというのもちょっとあるんですけど、どちらかというと、ある程度自分の考え方というのは、
大学じゃないですが、20歳くらいで固まっちゃうのかなと思っています。そんなことはないという意見があってもいいんですが、だいたい決まると。
そのとき、社会に対する考え方、世の中に対する考え方、人に対する考え方って結構決まっていて、もちろんそこからいろんな人に会ったり、いろんな仕事をしたり、いろんな経験をすることで変わることはもちろんあると思います。
あると思うんですが、基本的なところが決まっているという仮定をしておくと、そういったところで得たものというのが大きな価値観になるかなと思います。
その価値観というのをアウトプットすると、価値観みたいな結構固まったものをアウトプットすることが一つの主張になるかなと思います。
だから、何か一貫した主張をしようぜということを言いたいのではなくて、価値観ベースで決まっているので、要は根っこの部分で決まっているので、枝葉の部分はあまりどうでもいいと言ったら怒られますけど、そんなに気にしないでいいかなというふうに思っています。
そういう意味で、本質もしくは根っこのベースで話をしているという人は伝わりますし、分かりますから、この人が言っていることは変わらないなと。
同じことを言っているというのは良い意味であって、この人の考え方は根っこの部分でこういうふうになっているから、ブレないと言いますか、変わらないんだろうなということをちょっとふと思ったので話してみました。
僕自身も自分がブレていないということはあまり思っていないんですけど、主張が価値観がものすごく変わって、コロコロ変わって、こうだこうだという、もちろん間違いとか偏見とか思い込みとかももちろんありますし、誤りも多いわけですけど、失敗も多いですけど、何か自分の考え方というのはそう変わっていないなというのもあったりします。
例えば、傾向となるもぎごとなるなかれということわざみたいなのがあるんですが、大きいもののところで小さくやるというよりも小さいものですね、小集団のところで先頭になってやる方がいいみたいなのはかなり好きな考え方です。
長いものに巻かれろというのは大人っぽいかもしれませんが、そんな感じでしたっけみたいなカウンターと言いますか、反論と言いますか、反論じゃないですね、抗うみたいな感覚がすごく好きなので、自分も何クソやるぞみたいな感覚を大事にしていこうと。
06:21
そういうのがこのラジオで現れているかわからないんですけど、そういうのを思いながらやってますよという小さな灯火じゃないですが、少しずつやっていこうかなと思っています。
今回は以上となります。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
今日も一日お疲れ様でした。というわけで失礼いたします。
06:46

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