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みなさんこんにちは、Rayです。
Ray Wow FMの時間がやってまいりました。
前回の放送、以前の放送で、ペコッタというですね、予約代行アプリで、お店の予約をしましたという話をしたと思うんですけども、
先週もですね、ペコッタを使って、焼き鳥屋さんの予約の依頼をしていました。
鳥式、鳥式というですね、超予約困難な焼き鳥屋さんの予約の依頼をしたんですけれども、
例のごとくですね、予約困難店なので、予約のね、電話を取ろうとすると、なかなかもうすごい、めちゃくちゃ電話かけないといけないので、
ステーキをですね、購入して、490円なんですけども、ステーキを購入してですね、ペコッタにですね、ご褒美としてあげないと、電話してくれないというのがあったので、
ステーキを買ってですね、先週の金曜日に電話依頼をしたんですけども、実際に電話の開始はですね、17時、夕方の5時から電話の開始をしたんですけれども、
途中、報告がですね、
6時半ぐらいにあって、どういう報告かというとですね、
お電話がすでに3,500回を超えたペコ、まだまだ頑張るペコっていう形ですね、ありました。
あと30分ラストスパート頑張るペコリーっていう形でですね、8時30分にさらに中間報告が来て、最後にですね、9時14分に報告がありました。
ごめんペコ。
取引さん、7,216回お電話したんペコけど、お電話つながらなかったペコ。
残念ペコけど、このご依頼については対応終了とさせていただき、ステーキも消費済みとさせていただきますペコ。
という形でですね、連絡があって、その後ですね、最後の最後にですね、回数間違えてたペコリー。
7,216回。
7,216回じゃなくて、1万682回だったペコリーという形でですね、1万回電話したというですね、報告があって、終了となりました。
これ本当かなと思うんですけども、本当に1万回電話したのかなっていうのがですね、疑問に思いながら、ちょっとレビューですね、他のレビューを見たところ、結局10回ぐらい、ペコ。
ペコにですね、依頼しても全然電話できないみたいなのがあったので、これめちゃくちゃステーキ食べさせてですね、終わっちゃうのかなみたいな感じで、ちょっと心配しています。
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本題なんですけれども、主語が大きい否定語についてですね、主語が大きい否定語。
これはですね、例えばですけども、日本人は、
例えば、自分で物事を考える力がないとかですね、関西人は常に面白いことを言おうとしているとかしていて、
例えば自分のことばっかりしか考えていないとか、例えばですけども、そういうですね、極端に大きな主語に対して否定語ですかね、
それを否定するような言葉を使う場合の注意点という。
そういう話ですね。
で、実はですね、いみいみの社内のルール、あるいはガイドラインとしては、主語が大きい否定語に対しては、
示唆をしますよというか、それってどうなのというツッコミを入れますよというのを、一つのガイドラインとして定義しています。
実際にその示唆を行う、それってどうなのという形で、ツッコミを行うような、
その指令を行うチームを設置して、その言葉ですよね、言葉に対して疑問を投げかける。
それによって、その言葉を発した人が、ちゃんと自分の言葉というのはきちんと意図したものかどうか、適切なものかを考えるきっかけとしているんですけれども、
これってなかなか難しいんですよね。
何が難しいかというと、主語が大きい否定語って、
どこかで論理的なほころびがあるんですよね。
例えば、日本人は自分で物事を考えることができない、みたいな形で言ってしまったときに、
日本人の中でも、自分で物事を考えられない人と考えられる人というのが相対的にばらついていて、
全員が全員、物事を自分で考えることができない、事実ができていないというふうに言えないんですよ。
そういう形で、対象範囲が広すぎると、必ず例外があったり、違いは必ずあるので、一緒くたに同じように、これはできていないとか、ダメだとかという形で言えないんですよね。
そこの論理的な矛盾とかほころびがあるから、そこを突破口にされて、論理を崩されちゃうんですよね。
ポイントというのは、そういうふうに極端に、何か否定的な意見で物事を言いたいときって、
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別に裏の意図というか、別に主張したい意図があるんですね。
主張したい意見、意図があって、それをその程度の強さ、主張したいという思いを強く主張して伝えたい、
これだけ強く思っているんだよっていうのを、
理解してもらいたいがために、
集合が大きなものを持ち出して、できていない、ダメだとかっていうふうに言ってしまうんですよね。
これは会社とかでもよくありがちですね。
会社の中でも、何かできていないことを、いや絶対やるべきだとか、
この状況を解決するべきだって思いが強ければ強いほど、ついつい否定的な意見を使ってしまう。
この会社はこれができていないとか。
何々部門はこういうことができていないとか。
そういう形でやってしまったときに、厄介なのが、実際にはできている人がいたり、できているチームがいたり、
できている場面ですよね。人によってもできている時もあるんですよね。
そこまで全部否定してしまうっていうことで、結果として周りに敵を作っちゃうんですよね。
もっと言うと、全員的に回しちゃうっていう可能性があるんですよね。
なので、そういう言い方とか主張の仕方っていうところは、よっぽど気をつけないと、
結果としては、なんだ、ああいう否定的な意見を言う人って、ちょっと配慮できない人だよね、とか。
ああいう論理的に矛盾するようなことを言う人って、浅はかだよね。
っていうふうに思われてしまうんですよね。
配慮できない、浅はかだっていう形で。
そうすると、その主張している人の意見っていうのは、どんどんどんどん、社内で評価が下がっていってしまう。
で、いつなのにかもう軽視されてしまって、どんどんどんどん聞く耳、持たれない形になってしまうんですよね。
つまり、本来は、自分の強い思いや意見を聞いてほしいがために、主語が大きい否定語を持たない。
持ち出したことが、結果として、浅はかで配慮がない人だから、あの人のなんか喚いてることっていうのは、無視しようみたいな形で、どんどんどんどん軽視されてしまって、
結果として、本人が望んでいた、自分の意見を聞いてほしいという、そういう状態にならないんですよね。
要するに、下手くそ、下手くそなんですよね。
自分の思いを、うまくみんなに聞いてほしい。
自分の思いを、うまくみんなに聞いてほしい。
自分の思いを、うまくみんなに聞いてほしい。
自分の思いを、うまくみんなに聞いてほしい。
自分の思いを、うまくみんなに聞いてほしい。
気をつけて jugaさんを、無視しようと思ってないかもしれません。
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you have to listen to me.
批判だとさせましょうが、
きっと、今、みんな視察事項は、닝に違げてしまうのよ。
I好不好です。
So you can be the opposite.
I am ok with that.
そういう不要意な発言しない方がいいよ、それって本当にそうなのっていうのをちゃんとですね、示唆してあげる。
それが優しさというかですね、その人を守ることになるんじゃないかなっていうふうに思ってですね、
あらかじめ会社において、主語が大きい否定語は注意しましょうと。
別に禁止ではないですよ。禁止しているわけではないけれども、
よっぽどうまくですね、これやらないと自分にですね、グメラムのように返ってくる。因果応報ですね。
そういうところですね、会社だけではないんですけれども、いろんなコミュニティでもし強く主張したい場合は、
ストレートにですね、主張すればいいんですよ。
今の状況は良くないと思っている。だから私はこうするべきだと思っている。
みんな自分で考えても、
自分で物事を考えて自分で行動するべきだと思っている。
って言えばいいんですよね。
この会社では自立な人がいない。みんな会社の言われた通りにやっているんだ。
みたいな形で否定するんじゃなくて、主張した意見をストレートに、
なぜ自分がそう思っているのか、そしてなぜそういう自分で自立で物事を考えてやるべきか、
それがなぜ大切だと思っているか、そこに対して自分はどう努力しているか、
どう気をつけているか。
それを素直に、ストレートに思いを込めて伝えましょうということなんですよね。
はい、本日はですね、主語が大きい否定語についてでした。