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2020-07-23 1:26:36

第三十九回:Tak.さんと自分で作るサイトについて

第三十九回:Tak.さんと自分で作るサイトについて
00:01
うちあわせCast第39回ということで、今回もゲストにたくさんお会いしております。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今週冒頭、ライファクトニュースってとこにないんで、いきなり本編に入るんですけども。
ないし、今あるんですね。
今日は自分で作るサイトっていう話で、
ブログ、昨今まで、ここ2020年まではブログっていうのが主体だったんですよ。
ちょっと最近、自分でサイト作るっていうのをハマってまして、
そういう話ができたらなと思うんですけども。
一番最近作ったのが、アドレスレターっていうサイトで、
アドレスっていうのが普通のスペルと違ってて、
addressでアドレスと読むんですけども、
最初は、宛名のない手紙っていうのを英語にしようと思ったんですよ。
あー、なるほど。
で、ノーアドレスほにゃららほにゃららとかってやってたんですけど、なんか長いんですよね。
で、アドレスっていうか、これレスってないって意味に使えるなって思ったんですよ。
あー、アドレスレスなんですね。
そう、アドレスレスなんで、
しかもこう、addが加えるって意味じゃないですか。
はいはいはい。
付け加えるものが何もないっていうふうに、
シンプルな、そのままのっていう意味にも読めるなって思って。
そういう高度な掛け言葉なんですね。
そうそうそうなんです。
決してアドレスのスペルを間違えたわけではないです。
それは間違えたわけではないです。
正式に言うと、日本語は最初は宛名のない手紙っていう題材のサイトを作ろうと思って、
それを英語にしたらこうなったってことなんですね。
なるほどなるほど。
これどういう意図で作られてるのかなっていうのを、
ちょっと実はここのところ気になってたんですけど。
ブログっていう、Rスタイルか、Rスタイルっていう文章を書く場所があって、
それとは別にメルマガがあって、
例えば本があってっていろいろ媒体があるんですよね。
それぞれにサイズとか想定読者みたいなのが違ってて、
文体も違ってるわけなんですね。
Rスタイルって結構僕の中では大きいこと、
トピックが3つぐらい絡まってるようなことを書く場所なんですよね。
だからそのトピックは逆に1個ぐらいしかないと、
ちょっとRスタイルには書けないよなっていう感じに最近なってるんですよ。
なるほど。
公開のスクラップボックスを始めてみたときに、
やっぱり小さく出せるのっていいなって思ったんですよ。
自分の中でもたまっていかないし、
いわゆる名前のない技術的なものが共有されやすくなるなと。
でもやっぱりね、スクラップボックスを公開続けて思ったんですけど、
スクラップボックスは読み物を書く場所ではないんですよね。
03:00
文章は文章なんですけども、
なんていうんかな。
どう言ったらいいんやろう。
ウィキ的なものになってしまうのよ、技術が。
非常によくわかりますね。
自分でもやろうとしてみてわかりましたけど。
いわゆるRスタイルで出てくるような文体的なものが
そぎ落とされるのがいいところなんですけど、
その情報、皮を剥いた情報だけをそのままやりとりするような感じかな。
それは別に情報の高速な伝達にはいいんですけど、
書き物を書きたい僕の欲求は乱されないなと。
最近、ノートのサークル機能でエヴァノートの共有をよくやってるっていうのはここでもよく言ってるんですけど、
そこではメモとちょっとした読み物の間ぐらいを書いてるんですよね。
やっぱりこれっていいよなって思ったんですよ。
メモとちょっとした読み物の間ぐらいのもの。
スクラップボックスに載せるぐらいのサイズだけども読み物の提出。
誰かに読まれることを想定した文章ってことですね。
それを書ける場所をちょっと作ってみたいなと思ってたのが動機の一つにあるんですね。
それと並行して裏側で走ってたのが、
lifehacking.jpというライフハックの大手サイトがあるんですけども、堀さんがやられている大手サイト。
少し前にWordpressというCMSを使われていたのをHugoという静的サイトジェネレーターのシステムに移行されたんですね。
これわからない方に説明しておくと、Wordpressというのは動的なんですね。
つまりこのページ見たいですって言われたときにデータを読み出してページを作ってるんですよね。
だから読み出されるたびに毎回新しくページが生成されてると。
静的サイトジェネレーターというのはもうHTMLを作っておいて、サーバーにリクエストが来たらそれをただ返すだけっていう形なんですよね。
より高度化できるのが当然動的な方なんですよ。
ただし、見せるだけでいいって言うんであれば静的の方が早いんですよね、ページの描写が。
Wordpressって最近どんどん高度化してきて重くなってるんですよね。
いろんな機能を実現しようと思ってプラグインとかを入れたら、そのプラグインの管理も大変なんですよ。
1個1個にセキュリティエラーが潜んでるんですよね。
データベースっていうのを使ってるんで、そのデータベースがハッキングされると全記事が危うい状況になるんですよね。
代わりに静的サイトジェネレーターはただページがあるだけなんで、そのデータベースの概念がないんでそれがハッキングされる恐れはないんですよね。
なのでいろいろな面から考えて、静的サイトの方が良い面が増えてきてるんですよね。
06:00
1回僕もやってみたんですけど、さすがにアウトサイトを直で何の挑戦もなくするのはちょっと怖かったんで、
何か別のもので1回ちょっと小さく試したいなという欲望が後ろにまた走ってたんですね。
それとさっきの小さい記事を公開したいっていうのが合わさって、
今アドレスエラーっていうのはHugoというシステムを使って自分でページ作ってますね。
あ、そうなんですね、あれは。
あれ実はデータを置いてるサーバーはGitHubなんですよ。
あ、なんかそう書いてましたね。
どこで書いてたのかわからなくなりましたけどどこかで言ってましたね。
GitHubに僕のローカルにあるファイルが、いわゆるGitの形式を使ってプッシュされるんですよね。
それがアップされたらそれをネットリフィっていうかサービスが無料でホスティングしてくれて、
特定のURLにそれを展開してくれるんですね。
だから僕は自分のサーバーにファイルを上げてるんじゃなくて、
GitHubに上げてGitHubのファイルをネットフリーっていうのがページに表示してくれてるんですよ。
作業としては自分のフォルダに保存するとそれがGitHubにアップされて。
ページとして表示されてる。
だから僕はFTP的なものを使ってないし、ブラウザにログインしてっていう作業も全部やってないんですよ。
ただ自分のローカルにMDファイルを書いて、Gitにプッシュしたらそれがウェブページとして公開されるって形になってるんですよね。
だから最後のプッシュ以外は全部ローカルでするんですよ。
これも結構手軽なんですよね。
いちいち文章を書こうって公開しようと思ったときに、ブラウザを立ち上げなくてもいいんで。
そうですね。
そういう気楽さもいい。
あと、書いたものが全部普通にMDファイルとして僕のローカルに残ってるんで、検索が楽なんですよね。
ブログに1回上げたものをブログ経由で検索するって結構めんどくさいんですけど、
ローカルのファイルは多分Macのスポットライトとかに検索できるんで、
案外情報の再利用度から言っても、ローカルに全部テキストファイルの形であったほうがいいんですよ。
データベースの形になるとやっぱり扱いがめんどくさくなるんですけど、テキストファイルってやっぱり扱いやすいんで。
だからそういう意味でも、上のサーバーに上げるのと別にテキストファイルをちゃんと持っとくっていうのはいい感じやなと最近思ってますね。
一周して時代が戻った感じですね。
感じはありますね。
だからサーバー的なサービスが便利になるほど、実体のファイルが僕らから離れていくんですよね。
そのサーバーが提供してくれる機能の中ではめちゃくちゃ便利に使えるんですけど、それ以外のことをしたくなったときに、途端にめんどくさくなるんですよね。
09:07
結構それは不自由なほうが多いんではないかなと最近思いますね。
だいたいワードポリスってもともとはブログを作るためのものというイメージだったんですけど、
日付順に公開されるようなものに便利なCMSというイメージだったものが、必ずしもブログではなくて、
動的なサイト全般を作るものみたいにどこかから変わってきたようなイメージがありますよね。
僕自分では使わないんですけど。
あ、そうか。一切これまでMovable Typeとかワードプレスとか全然使ってないんですか。
Movable Typeとかワードプレスとか使ってないです。いわゆる要するに大手のCMSは使ったことないです。
そうか。
Movable Type以前にあれがあったんですね。
Radio Userlandというのがありまして。
おー、知りませんけども。
それがブログ用のCMSの最初みたいなものだったんですけど、それを作ったのがDave Weinerなんですよ。
あ、そうなんや。
アウトラインを組み立てるとそれをブログに展開してくれるっていうのがあったね。
彼らしい発想ですね。
で、それを使ってみたことはあるんですけど、それ以降はないですね。
あれは日本語がちゃんと使えなかったんで、まあ使う方法はあったんでしょうけど、そのままじゃ使えなかったんで、本格的に厚くなずしまいだったんですけど。
今メインのブログって言うとどこになるんでしょう?
はてなブログですかね。
一応はてなブログですね、きっと。
ネットにもあまりにもあるんですけど。
ネットにもアカウントがあってコンテンツがあると。
それ以外は?
もともとあった本館と呼んでいた、いまワードピースホームという名前になってますけど、
あそこが改築中のままになっているような蒸気台ですね。
あれって独自ドメインでしたっけ?
違います。
あれも、もともと僕ブログ、十数年前にソネットブログで始めたんですよね。
で、そのときにソネットのホスティングサービスっていうか、
要するに独自ドメインとかじゃなくて、そのソネットの中のサービスとして場所を30メガぐらい使いますよみたいな。
12:02
ホームページサービスみたいなやつですね。
そうそう。昔のホームページサービス。
はいはいはい。なるほどなるほど。
そこにもともとFTPでコツコツ上げていたのが最初で。
あーそうなんや。ほんまですね。確かに独自ドメインじゃないんやな。
ないです。
そうかー。勝手にそんなイメージを持ってたけど。
そうそう。で、独自ドメイン取ったんですよ、実は。
取ったんですけど、自分のタイプ的に必ず更新が忘れるだろうなと思って。
更新が忘れてなんかに乗っ取られる未来がすごく見えたんですよ。
なるほどね。なるほどなるほど。
それが怖くて、もう95%ぐらいの確率でそうなると思ったんですよ。
怖くてできなかったです。
だから取ったんだけど、そのまま使わずに執行しましたね。
うーん、そうか。
ということは、すべてプラットフォームの中で自分の場所みたいなのは一応ないわけですね。
ないです。
あーそうか。結構珍しいですね、たぶん。
今どき珍しいでしょうね。
今後独自ドメイン持つことは考えられてないですか?
いやー、持ちたいとは常に考えてますけど、
自分でサーバーを建てない限り、結局その更新が忘れて乗っ取られるのが怖いんですよ。
乗っ取られるっていうかね、その名前が別の何かになっちゃって。
まあそれはありますよね。常につきまといますね、その問題は。
必ず忘れると思うんですよ。
一応そのハッピーアウトライナービックリマークは現在スクラップボックスにあるんですけど、
最初にその話したときに、あんまり釈然とせへん。
出来上がりがちょっと納得いかいみたいな話で、
移行作業を考えられてるとおっしゃってるんですけど、
移行作業はどこにしようと考えられてるんですか?
元の場所です。今作り直してるんです、この1ヶ月ぐらい。
たぶん一旦元の場所に公開すると思うんですけど、
その後もしかするとちょっと引っ越しを考えるかもしれないですけどね。
それこそ静的サイトですよ。
それはCMSの一種といえば一種なのかもしれないけど、お手軽CMSみたいな。
Bind for Web Lifeという、10年ぐらい前からあるデジタルステージという会社が作っている。
15:00
構造としてはCMSなんですね。
自分のローカルの環境で作って、それを自動的にアップしてくれるみたいな仕組みになってるんですけど。
ちょっと今ではそれが好きなわけではないんですけど、昔は好きだったんですけどね。
ただ元のサイトがそれで作られてるんで、一旦それで作り直してるっていう感じ。
ワードプレスを使う気にもならないし。
そのことを全部逆にハテナブログに入れちゃおうかと思ったんですけど。
記事自体は入れといて、どこかにきちんとしたインデックスがあればそれで記入しますけどね。
固定ページみたいなの作れるじゃないですか。
だからインデックス的なページだけ固定ページで作っておけば、できないことはないんですよね。
確かに。
ちょっとそれもどうかなと思いつつ。
そうなんですよね。手軽なのは手軽なんですけどね。
今回アドレスレターを作ってみて思ったんですけど、
ワードプレスって表現が難しいんですけど、
発想がワードプレスになってしまうというか、
何かを表現しようとしたときに、ワードプレスのできる範囲で物事を考えてしまうんですよね。
例えばトップページとかも、要するにどう考えても他のブログと同じになるんですよね。
ものすごくPHPをかけば全然違うものになるかもしれないですけど、そうは思わないんですよね。
あれは定型で処理されるから、例えば1ページに表示されるページ数はどのページでも同じになるんですよね。
記事数が12個出された次のページも10やしっていう風になるんですよね。
カテゴリーとかタグの扱い方も基本的にワードプレスの作法に沿ったものになるんですよね。
便利な反面、やっぱり不自由やなと思うんですよね。
不自由さに気づいてなかったなっていうのをここ最近思うんですよね。
もっといろんな作り方ができるはずやし、たぶんHTML日記のことはそれをやってたはずなんですけど、
いかにブログ、つまり記事だけ書いて、パブリッシュボタンを押したらもう終わってしまうんですよね。
その記事をどう配置するとか見せるとかいうことはもうほぼ考えなくなってしまってるんですね。
それはやっぱりもったいないなと思うんですよね。
18:00
ありますよね、そういうのは。
難しいんですけどね。
だからトップページをどうデザインするかって考えだすとキリがないんですけど、
今のように、例えばトップに人気の記事があって、
その下に最新記事が並んでいる構成だけがトップページの正解ではないと思うんですよ。
それこそランダムでもあったりもいいと思うんですよ。
最新の記事が1個あって、それ以外はランダムであってもいいと思うんですよ。
この前、ワードプレスにできたサイトを見たんですけど、
大鳥日記だったかな、ひらがなで大鳥さんという方がやってるサイトなんですけど、
ワードプレスなんですけど、すごい斬新なトップページで記事とつぶやきが同居してるんですよね。
そういうのも全然アリやなと思って。
ワードプレスでそれをやるとすると、まずPHPを勉強しましょうって話がなるんですよ。
それはあまりにも遠回りすぎるなと思って。
それだったら地道にコツコツHTMLを書いて、自分で作りたいページをデザインしたほうがはるかに早いんですよね。
だから昔コリコリとHTMLを書いていた頃のほうが幸せだった面はありますよね。
テーマはテーマだった分、自分のクリエイティビティが発揮される余地がだいぶありましたよね。
テーマがかかる分。
今はそれがなくなってて、メディアに表現が合わせられてしまってるというか。
だからそこは実はあんまり、知的生産性っていうのはアウトプットの数で計算したら知的生産性は上がってるかもしれませんけど、
質っていう言葉は難しいですけど、質から見たときに実はあんまり上昇してないのではないかなという気はしますね。
だから難しいなと思ったのは、僕も話戻りますけど、ハッピーアウトライニングを作り直してたんですけど、
文章がダメすぎて使えないところばっかりなんですよね。
もちろんだから昔、今よりもさらに下手だったっていうのはもちろんあるんですけど、
やっぱりCMSの中で書いてたというのがひとつあるんですよ。
やっぱりプリントアウトも含めて、一旦書いてみて読みながら、ここはダメだとかこれを入れ替えながらやって、
直しながらやらないと精度を高められないほうなので、それをやるのがすごく大変なんですよね。
ブラウザーに表示された画面を直したいと思ってもその場で直せないじゃないですか。
ワードプレスでも同じことが発生するんですけど、
21:03
そうやって作られた文章を作り直すために全部一旦プリントアウトして読み直してみたら、あまりに酷くてダメなんですよね。
10年分の成長を仮に成長があったと仮定してそれを差し引いてもあまりに酷いと思って。
特に本にするためにものすごい直しちゃった後なので、
アウトラインプロセッシング入門の半分ぐらいのベースがそこのハッピーアウトライニングだったんで、
あまりにも酷くて使い物にならないということが起こって。
だから、書くことと読むことが分離してるんですよね。
今のブログにしても、ワードプレスで作るようなサイトにしても、書いてあげて公開して読み物になるんですけど、
自分で読んでて書き加えたり書き直したりしたいと思ったときに簡単にはそれができないじゃないですか。
いかないですね、確かに。
それがすごく嫌というか、なんとかならないのかなと思います。
だからスクラップボックスはそこが一番優秀なんですよね、あれの偉いとこは。
そうですね。
そう思ってハッピーアウトライニングをスクラップボックスに移そうとしてみたんですけど、やっぱりダメなんですよね。
表現の幅がもっと極端に狭いんですよね。
最近、ポイックのウィキをスクラップボックスに移す作業を毎日コツコツやってるんですよね。
基本的に同じウィキといっても、情報の流度の、想定している流度の大きさが違うんで、
ちょっとコンテンツ的に無理なとこはいろいろあるんですよ。
スクラップボックス直す場合はたぶんもっと小さくページ作らなきゃいけない場合は。
見出しのレベルが2段階あるんで、あれを1段階にしなきゃいけないんですけど、
その話を置いておくにしても、
例えば、ポイックのウィキだと文章が左にあって、それを説明するための画像が右にあるんですよね。
あれはフローと回り込みを使ってるんですけど、
スクラップボックスは、一応できなくはないんですけど、
それをやるとひどくデザインが崩れるんですね。
あれは基本的に縦に並べるものなんですよ。
これだけでもだいぶ読み物としての体裁が変わってくるんですよね。
だからやっぱり、あのウィキは自分で書かれてるから自由な表現が可能ですけど、
ツールが便利になっていくうちに、
例えばワードプロセスで文章を書くときに、あんまり画像を回り込ませることはないと思うんですよ。
あれめんどくさいんでできるんですけど、
そういうことが普通に起こるんですよね。
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例えば、引用の形式は1個しかないじゃないですか。
スタイルって。
ワードプロセスだと。
でも別にあれをHTMLに書けば、ちょっと濃いグレーとかちょっと薄めのグレーとかで表現変えられますよね。
見出しの形でも実はパターンいろいろ作れますよね。
でもそういうことをしようとまず思わないんですよね。
ワードプロセスを使ってると。
やっぱりそれは良いところももちろんあって、
情報だけがまっすぐ前に出て、情報のことだけを考えればいいっていういわゆる切り分け、分離が進むんで書きやすくはあるんですけど、
表現のことを考えたときに実行できないんですよね。
だから結局考えなくなるんですよね。
視覚的な表現の自由度が狭まるっていうことですよね。
やればもちろんやれるんですけど、
やれへんわけじゃないんですけど、遠回りすぎて結局もうやらなくなるっていうことになってしまう。
やっぱりそれは内容も引っ張られるよなと思うんですけど。
それマークダウンとかでも発生しません?
マークダウンでも発生します。
だからやっぱり直書きのHTMLが一番いいですね。
一番いいっていうか一番幅がありますよね。
そうなんです。
ここの企画統一性と表現の自由度、バランスというか、
楽にしようとすればするほど、当然その表現の幅は狭まるはずなんですよね。
そうすると、ブログのいいところって結局そういうややこしい知識とかをHTMLとか考えずに、
そういう知識がない人でも文章を書けることだったんですよね。
それは今も変わってないんですけど、それっていいことだったかなっていう疑問が立ち上がるわけですよね。
もともとのブログっていうのは要するに時系列で記事をどんどん更新していくときに楽であるということで、
それ以上のものではなかったと思うんですよね。
そうですね。
そういう細かい表現をするものではそもそもなくて。
なかったね、はいはい。
ただその生のHTMLを書いていたんでは非常に手間がかかる。
下手したら1日何回も時系列に更新していくようなサイトを楽に作れるというぐらいのものだったような気がするんですよね、本当は。
だからブログの例明期の頃は、ブログを書いてる人は全部HTMLとCSSを知ってた上で書いてたわけですよね、楽屋から。
今多分、ブログを始めてHTMLがわかってない人のほうが多分多いでしょうね。
まあそうでしょうね。今は昔よりずっと二極化してますよね。
自分も含めて昔ちょっとHTML、すごくありふれた一般的なレベルではHTMLの知識があって、
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CSSもちょっとかけてみたいなレベルの人がたくさんいたのが、
今ってもうバリバリに、何でしょうね、
JavaScriptとかPythonを書けますみたいなのを含めて、CSSもものすごい細かく書きさまじできますっていうタイプの人と全く知らないような判断して、二極化しちゃってるようなとこありますよね。
やっぱり全く知らない人にとって、まず覚えようという動機づけがないですよね、別に。
覚えなくても書けるんだから。
そうすると、やっぱりウェブにおける表現力って一生高まらないんですよね、それでは。
例えば知識がちょっとでもあれば、こういうことをしたいと思ったときにこう調べればいいみたいなのがわかるじゃないですか。
でも知識がないと、まずそもそもこうしたいと思わないと思うんですよ、できるかどうかがわからないから。
だからやっぱりその根本的な知識、このHTML知識っていうのは表現に関する知識なんですけど、
なくても書ける上に覚える動機づけもないから、
想像力、クリエイティビティが広がらないというか、文章を書くことすらも上達してるのかわかりませんけど、
発信はできるけど、それ以上のステップアップの素材があんまりないって感じですね、きっと。
だから本当はそれがいいことなのかどうかっていうか。
難しいんですよね。だから最低限の知識を身につけましょうという考え方もあるし、
一方では文章を書くために、文章と関係のない知識をなぜ身につけなきゃいけないんだっていうか、
それを身につけなきゃいけないっていうのは何かおかしいんじゃないかっていう考え方もありますよね。
話だけ聞くと、なんか教養主義の現代版みたいな聞こえ方がするんですよね。
こういうことを知らんかったら語ったらあかんっていうのと同じようなニュアンスを感じるんですけど。
いやでもね、そうじゃない気はするんですよね。なんかこう微妙なところなんですけど。
よく言われますけど、今のWebの一番元になった、
一番最初のTim Berners-Leeが開発した、最初のワールドワイドウェブのブラウザで編集ができたっていう話があるじゃないですか。
ああ、そうですね。
もともとは、読むダメ系じゃなくて編集することも含まれてたわけですよね。
だがそれがなくなっちゃって、分離されたっていうところ。
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僕は元のブラウザっていうのはどういうものか見たことなかったんで、いろいろ探したら動画があったんですよね。
実際に編集している動画が。
当たり前で単純なんですよね。白い画面に黒い文字がここに来るだけで。
でも今見るとすごくそれが美しく感じるんですけど。
でもそうやってどんどん書いていって、どんどん公開して、リンクも貼ってっていうことを、
ほとんどその知識、技術的なことを意識しないでできる。
っていうのを見ると、やっぱり何か書いて表現して公開するっていうもののあり方としては、
こっちのほうが正しいんじゃないかなっていうふうに思われますよね。
もちろん今でもできるようなことは、そのやり方では何もできなくなるわけですけど、
純粋にテキストを公開するだけになっちゃうんですよね、やっぱり。
それでも十分やったはずなんですけどね、結局。
だからWikiが本当はそれだったんだろうかもしれないんですけど。
いやもちろんWikiは正当な後継者ですよね。
Wikiの一番最初っていうのは、開発者の方のページの一部が読んだ人でも編集できるよっていう形で始まったんで。
結局そういうことをしたり、つまり他社が自分のウェブサイトを書き換えられる機能を欲したっていうのは、
他社の知識をコレクトしてた人なんですよね、パターンっていうもので。
だからそういう動機があるとWiki的なものに確実に行き着きますよね。
この話は多分さっきの知識が必要やっていう話と、アウトラインの話が2回やってくるんですけど、
結局自分がやりたいことを実現するための道具を作れるかどうかっていうことだと思ったんですよ。
で、HTML、CSSの知識があればワードプレスも多少カスタマイズできるんですよね、自分で。
ちょっとPHEPの知識はいりますけども。そうすることによって自分の欲しているものに近づけることができるんですよね。
それは多分あらゆるツールにできることなんですけど、結構そのHTMLとCSSが持ってるJavaScriptもありますけど、可能性の領域ってめっちゃ広いんですよね。
テキストを扱う表現から画像まで含めて自分のやりたいことを結構できるはずなんですよ。
それができることは僕は良いことだと思うんですよ。だからそういうことがしたくなったときにきちんと学べた方がいいし、
そういう世界があるよっていうのはやっぱり示されてた方がいいよなと思うんですよね。
学びたくなるというか。だからみんなが12人自分の周りの人が同じワードプレスで同じ形式で発信してたら、そのカスタマイズ性に気づかないと思うんですよ。
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そこがやっぱりちょっと僕はもったいないなと思うっていうことなんですね。
それはその通りですよね。
だからやっぱり自分の道具を作るとか自分のツールを作るっていうことは、実はめちゃくちゃ大切なことじゃないかなと思うんですよ。
で、たぶん逆に日本ではそれが一番軽視されてる気がするんですよね。
日本では。
他海外の事情は知りませんけど、日本では特に自分の道具っていう概念はたぶんあんまり喜ばれないというか。
まあ喜ばれないですよね、きっと。
そういうのを探求することは良いことだと思われてないような気がするんですけど。
まあでも、制作、ダイレクトになるクリエイティビティというか、小説とか芸術だけじゃなくて、何か自分のものを作るときってやっぱり自分の道具がいると思うんですよね。
そうですね。
道具を拡張してシステムと言ってもいいんですけども、そういうものがないと不自由っていうかな、どう言ったらいいんかな、力を発揮できないと言ってもいいんですけど、
やっぱりちょっと疎後がありそうですよね、そこには。
だからそれこそ、文章を書くためのエディターっていうのを文章エディターと自分で呼んでるんですけど、
そういう理想的な文章エディターはまだないとかよく言うんですけど、
それって結局誰かが作ってくれるのを待ってるってことになるんですよね。
そういうことになりますね。
それは結局不自由でもあるし、ある意味では無責任なのかもしれないし、確かにそれを作れるのであれば理想ではありますよね。
だからやっぱり、プログラマーの方は理想的なエディターを作るんですよね。これは完璧にニーズと能力がマッチしてるからですけど。
そうなんですよ。
でも物書きは文章を書くだけでコードが書けないから、理想的なエディターについての文章しか書けないんですね。
僕は理想的なエディターについての文章も書けないんですよ。なぜなら何ができるかわからないから。
だからやっぱり知識は必要だと僕は思うんですよね。道具にまつわる知識っていうのは一定量必要で、
現代に起きる道具って結局プログラミングとHTMLなんで、この二つだと思うんで。
それはいわゆるデジタル一般教養と言ってもいいような気がするんですけど。
その意味ではもっとそれを習う場所があってもいい、どうだろうな。
それを求めてる人がどのくらいいるんでしょうね、文章を書く。確実にいるのは間違いないですけど。
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いやでもやっぱりね、僕最近テキストファイルをよく触ってるんですよ。
テキストファイルをよく触ってるっていうか、本当に2010年から2019年まではテキストファイルをテキしてたんで。
テキストファイルを作らないように知的生活を設計してたんで。
全部だから要するにネーバーノートで完結させたかったんですね。
ネーバーノートに保存するってことはテキストファイルを作らないってことだね、基本的には。
そういう意味ですね。
改めてテキストファイルを使ってみて思うのは、やっぱり自由度は高いなと。
自分の道具にできる。
これ今すごい当たり前なこと言ってると思うんですけど、僕の中では一瞬は当たり前だったんですよね。
ネーバーノートってめちゃくちゃ便利で、MacのAppleScriptっていうので操作できるんですけど、
そうは言っても限界があるんですよね。
で、やつの一番の問題はプレインテキストじゃないということなんですよね。
そうですね。
吐き出すのがHTMLなんですよね。XHTMLか。
なのでテキストファイルにしようと思ったら一回処理を施さないといけないんですよ。
それが結構めんどくさくて。
プレインになるとめちゃくちゃ使い勝手が広がるんですよね。
あれプレインで出力ってできないんですか、ネーバーノートって。
標準の出力ってHTMLとENMLか、ネーバーノートが拡張したHTMLの形式か普通のHTMLの2つしかエクスポートできないんですよ。
だからプレインでやろうと思ったらエディターで開いてクリックボードにコピーして別のところにペーストっていう方法しかないです。
それは知らなかったですね。
だからあれはもうだいぶデータベース持ってるんで、キャッツは。
もちろんプレインテキストに等しいぐらいHTMLファイルって寿命は多分長いと思うんですよね。
別にそんな難しい方法になってないんで。
それはそれでいいんですけど、スクリプトを使った自動操作ってことを考えた場合には圧倒的にプレインテキストだなと。
やっぱりこの最低限のプログラマーレベルというと1か2ぐらいの知識はデジタルで文章を書く人は一通り学ぶ方が僕はいいだろうなと思いましたね。
それをどんどん推し進めていくと、結局元の生のユニックスに戻っていくみたいな話になるんですかね。
コマンドラインを直接預かったらそれに多分近いと思うんだよね。
あらゆる拡張がそこでは可能なんで、パソコンにできる。
原理的にそれはターミナルでできることは何でもできるわけですから。
例えばプログラミングと文章書きというと、文章の構成ツールというのがあって、
例えばクトーテンの最高の丸が2個続いてたらエラー返すとかいう機能があるんですよね。チェックして。
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そういうのは普通に別に使っただけで文章力が落ちるわけないじゃないですか。
ミスが減るだけです。
みたいなので、ひらがなのというってよく使ってしまいがちで文章をだらけさせてしまうこともあるんですけど、
それが頻発したらエラー返してくれるとかいうのもあるんですよね。
こういうのって、いわゆるもの書きのためのエディターに近いところにいると思うんですよ、機能的には。
そういう機能を各自が実装して共有して広めていく形が一番いいと思うんですよね。
理想ですよね、それはね。
だからもの書きのエディターっていう一つの製品があるわけじゃなくて、
もの書き用のプラグインが良さってそれがインストールできるっていうのがたぶんいいと思うんですよね。
そうですね。
だからやっぱり、テキストファイルが一番自由で一番操作しやすくてっていうのはもちろんそうですよね。
だからさっき言ったターミナルとかのコマンドを広く受け付けてくれるんで、
正規表現による値段も一番やりやすいですし、さっきみたいなプログラマー走らせるのもやりやすいですし。
で、もともとがプレーンだった場合って、それをベースにして、例えば別の出力に置き換えることもそんなに難しくないんで。
だからやっぱりベースとして…
やっぱりユニックスしそうになってくるんじゃない?
なってくると思うんですよ。
ユニックスしそうになるってことは、要するにパソコンをユーザーの手に取り返すってことだと思うんですよ。
話が大きくなってきた。
だからアプリケーションっていうものが間に入ることによって、僕たちはパソコンのことを意識しなくても使えるようになったんですけど、
どんどんパソコンのことを知らなくなってるんですよね。
これってたぶんアラン・Kが描いた未来とは逆方向だと思うと思うんですよ。
ツールを深く知らなかったらツール作れませんから、そこって。
アウトプットができたらいいってもんではないと思うんですよ。
アウトプットのための道具を自分でアウトプットできるからこそ、成果は広がっていくわけで。
アラン・Kは結局誰もがプログラミングするようになることを想定したわけじゃないですか。
そういう未来がたぶん一番ベストだと思うんですよ。
パソコンを使うっていうのが、今やったワードとエクセルを使うっていう言葉に置き換えられてしまってますけど、
それは違うんではないか。
エクセルは一応VBAがあるから、ちょっとカウントプログラム寄りですけど。
そうですよね。
だからやっぱり今はテキストファイルベースでさっきのアドレスデータって作ってますけど、
42:00
それに限らず、テキストファイルって要するに汎用性ツールみたいなものなんですね、位置付け的に言うと。
そうですね。
だから結局テキストファイルだけでタスク管理もできるわけなんですね、原理的には。
できます、もちろん。
だからやっぱりそこを出発点にしたいなと最近は思ってますね。
そこからいろいろバージョンアップするのは結構ですけど、
最初にやっぱりテキストファイルで情報を扱っておくっていうのは、
一番いつでもここに帰ってこれる感があるんで。
まあそうですね。
今あらゆるシステムが使えなくなっても、別にテキストファイルによるタスク管理も別にできるはずなんで。
これ結構重要なことだと思うんですよ。
いや、そうだと思うんですよ。
はい、ごめんなさい。どうぞ。
アドレスレターがなぜGitHubなのかっていうことはもう一つ理由があって、
GitHubって僕のコードを保存してくれる場所でもあるんですけど、
世界中の人がそのコードに対して参加できる場所でもあるんですよね。
で、イメージスタンは僕がプロジェクトをリポジトリと言うんですけど、
プロジェクトをリポジトリを作って、そこにテキストを上げて文章をアップするっていう場所を作ると。
で、それを別の人がそこに参加すると。
で、その人も別のフォルダーに自分の文章を書くと。
そうすると、集合的なサイトが出来上がると。
はい。
で、これってブログではないし、
Wikiでもないんですよね。
そうですね。
これ何かはわからないんですけど、
そういう形のサイトがあってもいいなと。
で、それをすると何が面白いかっていうと、
Gitってローカルとサーバーのデータを同期してくれるんで、
他の人が上げた文章が僕のローカルにも入っていることになるんですよね。
ああ、はいはい。そうですね。
Webクリップとかしなくても。
その文章が僕の検索に引っかかるんですよね。
それってなんか面白いと思いません?
なるほどね。はいはいはい。
だからそういう形の、
どう言ったらいいんやろな、
今までローカルっていうのは自分の庭やったわけですよね。
はい。
それが人と交流する場所がそこに生まれるみたいなイメージなんですよ。
僕の中では。
そういうのをGitで使ってやったら面白いなと思って。
やっぱりブログでやると違うんですよ。
ブログ、特にワードプレスとかで管理者集めて、
そこで投稿してもらいましょうっていうのでは、
何か求めてるものとは違うものなんですよね。
かといってWikiを作りたいわけでもないんですよ。
だからそれぞれがそれぞれに作ったものが集まって何かが一つになってるっていうことですよね。
そう。一つのサイトからいろいろ巡るけど、
中にあるものはいろんな人が書いたものやっていう場所があったら面白いなと。
45:03
面白いですねそれは。
そういうのができたら、今までのブログとかWikiとかとは違った形で、
Webマガジンでもないし、よくわからないですけど、できたら面白いなって。
サーバーがGitHubなんで、マイクロソフトが作れない限りはそのページ情報は残ってるし、
そこにアクセスした人はそれをいくらでもテキストでダウンロードできるっていうのも魅力ですね。
あ、そうか。今はマイクロソフトなんだということを思い出しました。忘れてました。
だからめちゃめちゃ強力です。テキストを預けるサーキットとしては。
やっぱりGoogleは違うんですよね。
Googleにサイトを預けることはできないんで、一応Googleサイトってありますけど。
ブログとの違いってGitにあげておくと、一括でファイルをダウンロードできるんですよね。
あのブログ消えそうやからページを残しとこうって言われても、めちゃめちゃめんどくさいわけじゃないですか。
それが簡単にできるのはいいなと思うんですよ。
まさに今だから倉下さんが主導でやっているようなことをしなくて済むわけですよね。
そうそう。で、今考えているのはもう一個あって、
一応今、そのPOICのやつってページは全部映ってるんですけど、テキストの整形とかリンク付きが終わってないんで、まだ改訂中なんですけど、
全部終わったら、そのスクラップボックスのプロジェクトのエキスポートデータ、Jotsonっていうデータを誰でもダウンロードできるようにしようかなと。
そうしておくと、例えば何か他のサーバーが消えたとしてもJSONは残りますし、もっと言うと自分のプロジェクトにPOICの情報をインポートできるんですよね。
そういう情報のやり取りもあんまり最近のWebではなかったなと思って。
だからそういう他の人に使える形で知識を出していく、しかも長期間残るみたいなものをしていきたいなと。そういう試みですね。
その話って何回か前に話したデジタルで何ができるのか話に繋がりますよね。
繋がりますね。
ちょっと一瞬気になったんですけど、POICのサイトをサルベリにするときに、あれって著作権の扱いってどうなんでしょうね。
POICの元のサイトに著作権フリーのGNUが書いてあったから、ご自由に改編していい、コピーしていい、配布していいっていうのが書いてあったんで、安心して。
だからこそそれができるわけですね。
そうそうそうそう。
それはちょっと若干気になってたんですけど。
当然その規約はコピーされたものにも引き継がれるんで。
スクラボックスプロジェクトのPOICのやつは誰でもダウンロードできますし、できる形にすべきだと僕は思うんで。
48:05
そうですね。
そういう形を整えるのかな。
やっぱりそういうのがインターネットだと僕は思うんですよね。
そうだと思いますよ。古き良きと言うか、本来のと言うべきか。
あれもあのWikiにたどり着く前に、どっかの掲示板であのシステムの概要に応じて膨大な議論が行われて、
その成果物があそこに溜まってるわけなんですね。
あ、そうか。あの前は掲示板だったんですね。
そうそう。POICに関する、フェイコーシャシットなんかはどうかは知りませんけど、議論はやっぱり行われてたんですよね。
だからその2つかな、ストックペースによる意見の持ち寄りと、それらを誰でも使える形に外に出すっていう形の2つがやっぱりインターネット的なのと改めて思いましたね。
そうですね。
今のブログも特にそうなんですけど、個人の研究にとどまってるんですよね。
やっぱりそれは置く勇気がないというか。
そうですね。
だからそうなんですよ。難しいのは、ちょっと自分の個人的なところもあるんですけど、
共有をしてされている場所で頭が回らなくなるっていうところがあって、
出来上がったものを共有するのは全くかまわないというか、むしろどんどんそれだけなんだけど、
共有しながら何か作るっていうことはどうやってもできないんですよね。
頭が動かなくなるんですよ。
そういう場合もありますよね、確かに。
そういう得意・不得意みたいなものがあるんで、
どっちのタイプの人も、作っている段階から共有しながら作る人もいるから、
そのほうが創造性が高まるタイプの人もいれば、
一旦自分でこもって、何かひとまとまりを作った後で共有したいタイプの人もいるわけですよね。
たしかに。
たぶんその両方を許容してくれるものが欲しいというか、
そうでないと、ある人にとっては良いけどある人にとっては辛いみたいになっちゃうんですよね。
特に刑事版が一番そうなんですけど、
場っていう言葉があって、そこには継続性のニュアンスがあるんですけど、
ある程度長く続いてる場があって、
そこには毎日来てもいいし、期間空けても来てもいいし、
51:02
そこに何か出せばリアクションが返ってくるってことが期待できる場があるといいんですけど、
それが今のウェブにはないんですよね、残念ながら。
ないですね。ないですよね。
そう。ツイッターへと流れてしまいますし、
スラックだと参加者をあらかじめ決めておかないといけないんで、
あんまり不特定させる交流にはならないんですよね。
ならないですね。
だから例えば、最近考えたドマってどうですかっていうのをパッと出したときに、
当然ツイッターとかブログとかでリアクションをもらえる方もあるんですけど、
そうじゃない方も多くいて、
でもちょっとこう思ってることとかやってみた感想とかがここに返ってきたら、
やっぱりそれはシステムにとってプラスになると思うんですよ。
そういうのが昔はたぶん頻繁にあったと思うんですけど。
だからそういう意味では、一番最初の話に戻りますけど、
小さいものを書く場所として、
アドレスを作ったって言われてたじゃないですか。
どうしてもやっぱり、それはその趣旨はよくわかるんですけど、
どうしてそれが大きいものと混ざっていてはいけないのかというところが拭えないところがあるんですよね。
大きいものと言うと、たとえばRスタイルってことなんですけど。
Rスタイルの中に小さいものが混ざっていてはいけないのかとつい思ってしまうんですよね。
まあそう思ってしまわれるのは当然やと思うんですけど、いけないんです。
いけない、そう。
いけない。それはどの程度のいけないんだろうなー。
気持ち悪いというのも強いですし、
たとえば日本文学を載せてる雑誌にグラビアアイドルが出てるような感じというか、
そこじゃないんだよみたいな、そういうマジック感が。
それいいじゃんって思っちゃうんですよね。
吉幸潤之介を読んでいて、一枚めくるとグラビアアイドルが出てる。
そういうサイトの標準的な作り方の中でそれが混ざっているのがすごく気持ち悪いというのはすごくそうなってるのがわかるんですけど、
54:02
どうしても本来混ざっているべきなんじゃないかという。
日本文学とグラビアアイドルは文学として、大きいものと小さいものは混ざって、
別に混ぜなきゃいけないとは思わないんですけど、混ざっていてもいいよな。
自分が作ると混ぜちゃいそうだなと思うんですよね。
逆向きならありというか、アドレスレター、最終的に僕もRスタイルを集合にしようと思ってるんですけど、
そうなったら多分混ざってもいいでしょうね。混ぜるでしょうね。
要するに過渡期だから分かれてるって感じですか。
いやだから、疑問を別の形に直すと、なぜワードプレスのRスタイルにアドレスレターの記事が載らないかっていうと、
Rスタイルがワードプレスだからなんですよ。
例えばHugoにすると、カテゴリーごとに全く別のテンプレートが当てられるんですね。
なので見てる人にとって違うサイトに見えるんですよ。
そうすることが可能なんですね。
それは文字サイズから行間、サイドバーの感じまで全く違うものにできるんですよね。
ワードプレスも多分できるぐらいだと思うんですけど。
ワードプレスの場合はまずRスタイルっていうテンプレートに合わせて記事を書くんで。
長さとか含めて。
なので僕の中では、あのワードプレスに小さい記事を入れるのは気持ち悪いですけど、
逆にHugoの形だったら、ワードプレスの長い記事を入れてもいいですし、
逆にそれによってトップページのデザインは変わるでしょうね、きっと。
混ざってきたら、例えば短い記事の縦のリストと長い記事の縦のリストとか、
短い記事はタイトルだけで、長い記事は概要もついてるみたいな感じで分けるでしょうね。
そういうことが多分可能になっていくと思います。
それならば多分気持ち悪くない。
だからRスタイルっていうサイトは、読む人も多分Rスタイルを読むっていう気持ちでくると思うんですよ。
あれ検索で引っかかってくるようなサイトではないんで。
で、その時によくわからないことが書かれてると、ちょっとガクッとされるかなという思いもあるんで、書かないことが多いですけど。
だから混ざってることが当たり前になると、その読者の期待も変わってくるでしょうから。
そうですね。
おそらく変異ではないでしょうね。
やっぱり頭が古いというか、ブログだったら、
昔は記事といっていいレベルの2,000、3,000字あるものもあれば、
1行で終わっちゃう日もあるみたいなものがブログだったわけですよね、昔は。
57:05
混ざり具合が、人によって違うところが面白いという面があったんですよね。
逆にそういう混ざっているもの、カテゴリーとか規模とかで分かれていない、でもその人の作ったものだっていう。
その一点によってのみ、ひとつに束ねられているものの面白さというものが、
たぶん単純に好みとして好きなんだろうなと思うんですね、自分が。
だからたぶんね、アドレスレターを書き続けていくと、どっかでまた長い記事を書きやすと思うんですよね。
そうなってくると、もうアルフスタイルとの境目みたいなのがなくなってくると、たぶん予想されるものに近づくだろうなと。
なんとなくさっき話を聞いてると、たぶん気持ちとして書きやすそうなんですよね、アドレスレターの話を聞いてると。
だとすると、たぶんきっとそのうち倉下さんは長いものを書き始めるんじゃないかという気がするんですよ。
それは普通にあると思いますね。
だから、やっぱりあの長いものを、こういうまとまった思考を展開してきた人がポッと、
今だったらツイッターで済んじゃうようなこともポコッと軽く書いたようなのが、重いものの間に挟まってる。
その在り方というのがどうしても僕は忘れられないというか。
たとえばトップページの記事一覧で、長いものと短いものが見た目で区別なく並んでるほうが面白いですか。
僕はそう思います。
僕は、たとえば本であっても1行しかない章があってもいいと全然思っちゃうんですよね。
ただそれが許せない人がいるというのもわかります。
やっぱり、なんで1行しかないのに章を立てるんだよと思う気持ちも非常によくわかるんですけど。
でも逆に1行しかないものをあえて章立てするということに、そもそもそこに意志が働いてるわけですね。
当然ね。それは当然。
別にこれは完全に自分の好みの話をしちゃってるんですけど。
僕はね、短い記事と長い記事でCSSのスタイルを変えられるのと、
ツイッターで共有したときに後ろに出るじゃないですか、ブログの名前が。
それが短いのと長いのと違ってればたぶんそんなに気にならないです。
1:00:00
だから見た人が踏みに来るときの気持ちがたぶん違うと思うんで。
まあ確かにでもツイッターでブログ記事更新しましたってツイッターで流してクリックし読みに行ったら1行だったみたいなことは起こりますよね。
やっぱりRスタイルっていうのがついてるとそのコンテキストがやっぱりあるんで、存在してしまうんで。
逆にアドレスレターは気楽にクリックできると思うんですよ。
他の人がクリックしてるかどうか知らないですけど。短い記事限定なんで。今のところ短い記事だけなんで。
RSSもスクリプティングニュースもあるし、ひどい数飛んできますけど、それと同じようなことになるんですよね。
短い記事混ぜてしまうと。僕は短い記事だったらたぶん大量に書くんで。
そこで読み手のほうのことを考えてしまいますね、僕は。読み手というか受け手か。
だからRSSもある。デイブ・アイナーによれば、本来はタイトルのありだしって関係なかった。
だけど今のRSSリーダーはほとんどタイトルがあることが前提になっていて。
本来意図していたRSSは、デイブ・アイナーが意図していたRSSは、わりに今のツイッターに近いようなものですね。
彼のRSSはそうですね、確かに。
この記事が更新されたよってタイトルを飛ばしてくるようなものでは本来なくて、書いたことが全部流れてくる。
長い記事はタイトルが流れてくるみたいな、そういうイメージだったみたいですね。
ただ今の普通の記事の更新情報が流れてくるRSSの意識で彼のあれを受け取ると、ひどいことになりますよね。
結構鬱陶しいことになります。
でも確かにRSSのタイトル部分だけ見たら、ほぼ内容がわかるっていうことにはなってますけど。
そこにも違いがあるのか。
でもどうなのかな。
デイブ・ファイナーはブログを2000とか登録する人がいることはあんまり考えてなかったんでしょうね、きっと。
それはどうでしょうね。
仮にそれでああいうふうに全部あれになってきたらえらいことになると思いますけど。
多分ストリームを分けるみたいな言い方をしてますけどね。
だから今メールのヘイみたいな感じで、RSSのタイプごとにフィードを分けて表示するっていうのはあるでしょうね。
1:03:11
そうですね。
だからデイブ・ファイナーの言い方によれば、RSSというのも非常に大きな可能性を払っていたんだけれども、
Googleリーダーにごそっと持って行かれたまんま死なれてしまったということですね。
さすがGoogleさんですよね。
そうかー。
難しいなー。
でもアドレスのデータがどうなるかと思うのとして、
いろんな人が小さい文章を持ち寄る場所っていうのはちょっとやってみたいですね。
でもいろんな人の小さい文章というよりも、小さいものを読みたいっていうのがありますね。
小さいものって面白いんですよ。
小さいものがたぶん面白いでしょうか。
面白いですよ。
でも小さすぎてもいいわけじゃないですよね、きっと。
まあ、そうですよね。
ちょっと難しいんですよね。
難しいですね。
まあ僕は気にせず小さい記事を書いてしまうので、あんまり実は考えてないんですけど。
小ささっていうのはたぶんだから、気負いの小ささでもあるんだと思いますよ、きっと。
ちゃんとした記事を書かなきゃいけない記事っていうか。
そうですね。
今その場所がツイッターなんですけど、ツイッターはいろいろ問題があるんですよね。
いろいろ。
やっぱりノートの普通のブログ記事的なものとツイッター的なつぶやきが混ざって流れてくるみたいなのっていうのは、
そういうものに近いですね。
あらゆるその人の発信したものを同じ流れに乗せて放流するみたいなのを感じたんですけどね。
そうですね。確かに。
同じ川をどんばらこみたいな感じで流れてくる感じが。
そうかー。
うーん。
でもね、この話を聞いて、「あ、そうそう」って言う人もいれば、「やだよそんなの」って人は当然いるはずなんですよね。
いやでもまあ、「やだよ」って言う人は今のツイッターとかで満足されてると思うんで。
1:06:00
今のウェブに足りないものがいくつかあるはずなんですよね。
特にその知的生活において。
そのへんは探求したいですね。
そうですね。書いたものを気軽に編集したいですよね。
僕の場合はテキストファイルを開きっぱなしなんで、別に編集したかったらそのテキストファイルを編集したいだけの話なんで、そんなにステップはないですけど。
でもその意味ではスクラップボックスが圧倒的にこの面では優れてますね。
書いたことがそのまま編集できるおかげで、あそこには逆に気楽に書けるようになりましたね。
後で直せばいいか感が強いんで。
その意味でブログって、完成したものを送り出す場所っていう印象が強いですね。
そうなっちゃいましたね。
やっぱり生半可なものを出す場所ではないっていうのがどんどん強まってますね。
特にわりに強めのオピニオンを公開したときはあんまり公開しないですけど、
公開した後で変えようものなら、ちょっと良くないから変えただけのつもりでもこっそり書き換えたみたいな、受け取られかねない怖さもありますよね。
確かに。そういう意味でブログの場所性が変わってきてるのはありますね。
取り消し線を引いて、何月何日こういうふうに更新しましたみたいに、いちいち断らなきゃいけなくなっちゃってるとか。
確かに意見発表の場であればそういう態度は必要でしょうけど、
そういう姿勢が求められる上に出てこない情報っていうのが逆にあるってことですよね。
だからあれも、いつ最初に公開されてそれがいつ直されたかっていうのがちゃんとわかるように残ってれば、もうちょっと楽だような気もしますけど。
そうそう、その点Gitは公開されてる上に最終タッチから履歴をタッチで売れるっていうね。
まさにそのためのものね。
そういう意味でも全然使えるんですよね。
ただし、Gitを覚えてくださいって言う必要があるんですよ。
僕が今してるサイトに参加してもらおうと思ったら。
そこのハードルが低いのか高いのかわからないんですよね。
Macは標準でGit入ってるんですけど。
あ、そうなんでしたっけ。
Macは普通、Windows1出してるのでも多分ターミナルでGit underbarを-v化したらバージョン出ると思いますよ。もともと入ってると思います。
1:09:01
あとはGitHubのアカウント取るだけですね。
取るだけですねが、人によって問題が高いか低いかはわかんないですね。
それぐらいの資金を設けた方がいいかなとも思ってます。
誰でも気軽にが本当にいいかどうかは、僕はここ10年ぐらいずっと考えてたんですけど、
たぶん誰でも気軽にはよくはないと思いますね、きっと。
だから、カウンソルっていう場で皆さんの知的精査のワークトプットを出す場とは別に、
さっき言ったちっちゃな文章でノウハウを出す場所を作れたらなと。
それができると情報が分散しないんで、
そのサイトを見ればいろんな人の情報が見れるっていう形になるんで。
なるほど。
そっちのほうがいいかなと。
もちろんその文章を自分のブログに上げたい人がいたら別に勝手に上げてもらったら結構ですという形にして。
それとは別に、ただ皆さんの文章を集めて検索できる場所っていう。
だから結局Googleの検索がアホなのが最大の問題なんですけど。
そうですね。
結局そのドメインが強い情報しか拾えないことになってるんで、
さっき言った小さい文章の人たちってまず見つからないんですよね。
特殊なキーワードでない限りは。
見つからないでしょうね。
だからそこはやっぱり変えていかないとなとは思うんですよね。
今だからやっぱり今のウェブで例えば知的精査について検索したとしても、
結構大きい情報しか見つからないと思うんですよ。
見つからないでしょうね。
見つかる以上の大量のものがおそらくあるんだろうけれどもっていう感覚はありますけど。
エイバーノートで検索したとしても、やっぱり公式のサイトとアプリのダウンロードリンクと、
なんかよくわからないサイトが見つかるだけで、
個人の細かい使い方とかはたぶん見つからないです。
やっぱり個人の細かい使い方っていうのが大切だと思うんで。
それが一番実は大切なんですよね。
結局さっき言った自分の道具をいかに作るかって話と密接に関わってくるんで。
そうだからアウトライナーもね、もっといるはずなんですよね。
いやそりゃいるでしょ。
絶対いるはずなんだけど、見つからないんですよね。
いろいろ使ってて、そんな使い方してるんですか?みたいな人はいっぱいいると思うんですけど。
いや絶対いるはずだと思う。
まあ見つからないですね。
そういう人も例えばアンケートとか募集したら答えてくれる人はいるかもしれないですけど、
そもそもブログを書いてなかったりとか書いてても見つからなかったりするんで。
やっぱりそれはね、もったいない以上に僕らが面白くないですよね。
でもやっぱり、それこそ90年代初めの本とかをいろいろ漁っているとですね、
1:12:05
その時期にこういうことを言っていた人がこれだけいるんだから、
この人たちが全部死んじゃってるはずないと思うんだよな。
っていう思わされるものがいっぱいあるんですよね、90年代前半って。
90年から95年頃のジャストシステム出版の本のタイトルとか並べてみるとすごいですよ。
そういう話はブローカーなんかで読みたいですね。
最近、図書館の本の検索がネットでできるじゃないですか。
予約して近所の図書館で受け取ったりできるので、
今は90年から95年ぐらいのジャストシステム出版の本を順番に借りてるんですけども。
面白いですよ。
いいなあ。それもすごい立派な研究活動ですよね。
その5年間のジャストシステム出版は結構すごいですよ。
96年ぐらいから急激に変わってきましたけどね。
へー。90年かー。
そうかー。その頃はまだ何かが活発やってるんでしょうね。
そういう特定の編集者さんがいたのかわからないんですけど。
例えば、これは94年のジャストシステム出版から、
ジョージ・ランドゥという人のハイパーテクストという本がジャストシステム出版から出てるんですけども。
心惹かれるタイトルですね。
でもね、この発想がこんな昔にはあって、逆に今はなくなっちゃってるなというか、忘れられちゃってる。
この頃はまだインターネットが普通に使えない時代。
この本の翻訳で、これもとは90年頃に書かれたやつだと思うんで。
ネットがない時代のハイパーテクストの話をしてるんですよね。
でもここに書かれていることって、逆に今はもう忘れられちゃってる。
一般的には忘れられちゃってるけど、結構すごいこと考えてるよなとか思うんですよね。
むしろ今、そういう話をしてる人をされてるところを視点で見るとものすごく、
もちろん古く見えるところもありますけど。
っていうようなタイプの本が結構あったりしますよ。
編集者のための市太郎バージョン5みたいな本も書いてあることが、
今の市太郎の本とはちょっと運命の差で。
そりゃそうでしょうね。
こういうことをし始めると、歳だなあと思いますね。
1:15:04
木田純一郎さんとか、あの辺の人たちの本は結構、
この頃のジャストシステム出版から出てますね。
当然、自分の情報処理システムをつくろうみたいな話のブームは多分何回かは来てると思うんですけど、きっと。
ここは最近ほとんどないんですよね。
そうですね。
なんでしょうね。
わかんないです。
なくなっちゃったんですよね。
なくなっちゃったんですね。
たぶん情報カードしかり、一時的にシステム手帳しかり、
なんかあったじゃないですか、自分なりの何かをつくりましょう的な雰囲気が。
ありましたね。
カードの使い方の究極がポイックですよね、本当は。
そうですね。
ポイック以降にそういうシステムの話がほぼ出てないんですね。
僕は知らないだけもあるでしょうけど、一般に流通するレベルでは起きてない。
ない。
ね。
ないような気がしますね。
知らないだけかもしれないけど、結構探してるけどないですよね。
ないですよね、この手の議論が。
アウトラインフレッシングはアウトライナーの使い方であって、
情報データベースの作り方ではないですからね。
まあ、ではないですね。
エヴァノート以降消えてしまった感が。
エヴァノートが出てきた初期にちょっとそういう雰囲気を感じたけれども、すぐに終わっちゃいましたね。
一応、ノーションはそういう機能がたくさんあるんで可能性はあるんですけど、
あれは逆に難しすぎて使える人が少ないような気もするし。
ノーションなんて機能的には多分そういう方向で掘り下げようと思えばいくらでもいけるようなものを持ってると思いますけどね。
エヴァノート以上でしょうね、あれは。
フィルターの関数が使えるんで、表示させたい情報と表示させたくない情報を得り分けられるんで、
だいぶデータベース的な使い方ができますね。
そうですよね。
にも関わらず、バレット・ジャーナルのほうがそっち系で盛り上がった感じ。
でもあれも最近キラキラ系に映ってるんで、ちょっと違いますけども。
そう、バレット・ジャーナルの初期もちょっとそういうものを感じたし。
だから個人が自分の使い方を公開している段階で、そういう面白さがあってもそれが……
あんまり言うと語弊があるんであれですけど、なんでなくなるんでしょうね。
1:18:00
やっぱり2チャンネル的な議論というか、あるシステムに関するあれが高まらないんじゃないですかね、ノウハウが。
だから汎用性が獲得できないというか。
そう……どうなんでしょうね。
わかんないですけど。
なんか私はこれ使ってるんで終わってしまってるというか。
それ終わっても別にいいんですけど、システム的な広がり方がそこで起こらないというかね。
90年代の初期、前半はアナログで育ってきた人がデジタルに出会って、そこの感動というものが表明されていったという面はあるんですよね。
あとそれを学術的にきちんと体系づけようという流れもおそらくあったんですけど。
それがあまりにも当たり前のものになっちゃったときに、そういう目でそれを見ようという人が……
やっぱりどこの家にも電話があるときに、その電話機について深く考えようという人がいなくなるのと同じで。
そうですね、たしかに。
でもきっと電話の初期ってそういう感動を与えたと思うんですよね。
だからパソコンって何ができるんやろうという疑問が、正直疑問じゃなくてあったんですよね、初期の頃は。
そうなんですよ。
一応僕はそういう時代に一応、すでに物心がついて……。
90年代に物心ついたのに遅すぎるけど。
一応大人として存在していたので、そういう雰囲気を覚えてますけど。
やっぱり今の20代くらいの人たちとそれと違う形のものもあるかもしれないけども、そういうものはないですよね、きっとね。
気がついたんですけど、インターネット後になると、自分のデータベースという概念じゃなくて、
Googleをいかに使うかっていう概念になるんですね、きっと。
それはあるかもしれないですね。
だからそこの需要がそもそも消えるんでしょうね、きっと。
でもGoogleはなかったけど、95、6年以降に急に変わったっていうのは、
まさに時代的にはインターネットが一般に使えるようになって以降ってことですもんね。
だから最初のパソコンが来て、デジタル情報をどうやって整理するかっていうことに対する疑問に対するニーズがあったけど、
Googleさんがすべて私が解決しますよって言ったおかげで、個人はその悩みから解放されたかのように覚えたっていうようなところはあるかもしれない。
だから今だから、デジタル情報の情報整理について考えるっていうのは、たぶんほとんどレアな欲求なんでしょうね。
いかにググるかなんでしょうね、きっと今は。
とはいったって90年代の後半、Googleはなかったわけで。
1:21:05
ただやっぱりWindows95以降にパソコンがあらゆる家庭にも職場にも入ってきて、
何か強い動機を持っているわけじゃない人がパソコンを使うようになっていった。
なおかつネットが広まっていって、っていう変化と対応してるんでしょうね、きっとおそらく。
職場でパソコンを使う場合って言ったら、会社が指定した情報を携帯に乗っ取って使うだけで、
そこにカスタマイズした要素を持ってきたら怒られますから。
そう、それ大きいと思いますよ。好きなものを使うべきかないとね。
そうですね。
パソコンを使うというのは、ある規則に従って使うことであって、
どうやって使うかを考える道具ではないっていうことですね。
考えれば考えるほどストレスがたまるだけで。それできないんだから。
まあね、会社勤めるライブハッカーほどつらいものないですよね、たぶん。
いやー、そうなんですよ。
そうかー、それはもう社会的な問題からどうしようもないな。
そうですね。たぶんそういうことだと思いますよ。
しかもGoogleで検索したらいいじゃないですかって言われたら、もう言葉が返せないもんなー。
それはでもその階層構造から逃れられないわなー、逆に。
会社式やったら階層構造から逃れられないし、
Google式やったら自分で構築することはないし。
会社で困らないようにExcelとWordの使い方を勉強するとパソコンを覚えることになるわけですよ。
そうかー、別に。
いやーどうやろうなー、Wordの使い方を覚えるっていうのも結局操作を覚えるだけであって、
いわゆるデジタルライティングを覚えるわけじゃないですもんね。
そうです。だからWordの使い方を、
いまだにWordのアウトライン機能を使っている人をリアルで見たことはないです。
まあいいんですけど。
小学校とかにパソコンが導入されたときってライティングの授業をするんですかね?
Wordの使い方を教えるのかね。
いやー、その辺は、じゅんさんに。
Gitを使って編集履歴が遡れますから、いくらでも好き勝手に書いて後で直しましょうみたいな授業をされた人間と、
原稿用紙で書いた人間だったら、だいぶ違うでしょうね。
そうですね。
でもね、KOのSFCの初期の頃だって、
全員1年生がまずEmacsの使い方を覚えてみたいことを言ってました。
いやー、その先ではくぐり抜けるのとだいぶ違うと思いますよ。
1:24:04
結構ね、それで卒業して、普通の会社に就職して、絶望して辞めちゃった一生みたいな話をよく聞きましたよね、当時。
まあ、するでしょうね。それはすると思いますわ。
いやだって、ビューもそうですけど、Emacsってキーカスタマイズがめっちゃ細かくできるんですよね、ショートカットが。
自分のエディターができるんですね、あれ。
カスタマイズっていうかね、全部自分で決められるぐらいのものですね、あれね。
いやだから、それに慣れたらそれはないなと思いますけどね。
自分のツールを作るという自重はないということが確認されていましたが。
90分かかってそんなことを確認してしまったという。
逆に言うと、自分のツールを作るのはいいよって言っていかなあかんってことですね、きっと。
それは自明のことではないということですね、きっとね。
そうですね。そのことを伝えていくのはすごく有意義なことではないかなと思いますね。
そうですね。たぶん便利とか便利じゃないとかいう以上の価値がたぶんそこにはあるんですけど。
便利とは違うんですよ。便利でもあるけれどもちょっと違うんですよね。
何かがサクッとできるとかそういうことじゃないんですよっていう。
なかなかそれ伝わんないんですよね、最近。
アウトライナーを使ってもサクッと文章を書けないわけじゃないんですよっていうのがなかなか伝わらないなと思います。
まあそれはサクッと文章を書く要望を求めてる人が世の中でたっぷりいるからなんでしょうけど、きっと。
サクッと書くために使おうと思えば使えるますけど。
はい、そうですね、確かに。
はい、またこれは別の話になります。
はい、わかりました。
ということは、今回の感想等あれば、ハッシュタグ打ち合わせキャストでお願いします。
打ち合わせが平川で、キャストがラフェットCASTですと。
何かお知らせ等ありますかね。
特に大丈夫です。
はい、わかりました。
僕のほうも特にないんですが、まだ僕らの生存戦略の第2章を続けております。
2ヶ月近く続いておりますけども。
そろそろ出来上がるかなと。2章も出来上がるかなという感じですね。
じゃあこんなところにしたいと思います。お疲れ様です。
お疲れ様でした。ありがとうございます。
01:26:36

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