おはようございます、STUDIO Kitschの三月裕蘭です。
さあ、今回は前回からの続きですけども、脳にジェンダーはあるのかという問いに本格的に入っていくところですね。
まず最初に見ていくのが、脳の特徴とか精査というものが、それが生まれつきのものなのか。
生まれつき特徴を持って、精査を持って生まれてくるのが私たちの脳なのか。
ここを見ていきたいと思います。
まず最初に、脳の精査はすべて正徳的だと思いますか?
これは前々回か前々々回にRATの実験を説明しましたよね。
RATにストレスを与えたりすると、オスの特徴とメスの特徴が反転したりするというところを説明しましたよね。
で、あそこで行った時にすぐストレスを与えたり、そういう環境要因とかで脳が変化してしまうという特徴を説明しました。
というのを思い出せばなんとなく答えがわかりそうですよね。
そうです。脳の仮想性というものを見ていきたいと思います。
脳の仮想性、難しい言葉ですけど簡単です。
仮想性というのは、変化する性質のことを仮想性と言います。
難しく言うとですね、仮想性って物理用語で、変化する性質だと思ってください。
脳というのは、配線が固定された機械とは違ってですね、極めて柔軟で、さらに私たちの一生を通じて変化するものなんです。
そういう性質を持っているのが私たちの脳なんです。
例えば、ロンドンのタクシー運転手の人を例にします。
ロンドンのタクシー運転手、多分超忙しいでしょうけど、ロンドンのタクシー運転手の人は、
カイバという部分が、脳のカイバという部分が、めちゃめちゃ大きいんで、体積が普通の人に比べてすごく増大しているんですね。
カイバっていうのは、空間認識能力に欠かせない精神構造体のことなんですけど、ここのカイバがめちゃめちゃでかいんです。
つまり、ロンドンのタクシー運転手、毎日ロンドンの街を駆け巡る。
街のスポットとか道をどんどん覚えていくにつれて、その空間能力を司るカイバっていうのがどんどん大きくなってきているわけです。
つまりこれは、その人の行動によって脳が変化しているということです。
それは何年もやったら変化するんじゃないかと思われますけど、実は毎日15分だけの運動をさせるだけでも脳って変化するんですよ。
これ面白い実験があって、毎日15分、手の親指とその他の決められた指をくっつけるような依頼をとあるグループに依頼したら、この動きをするときに活性化する大脳皮質の部位が増大しました。
大きくなったんです。
つまり毎日15分変わった指の運動をするだけでも脳っていうのは変化するんです。
簡単に変化するんです。
これが脳の過疎性ということ、脳の変化する性質のこと。
度重なる経験や新しい作業を学ぶことが人の脳を改変させるということ。
さあまずそのジェンダーの影響を受けるかどうかを検討していく前に、まずジェンダーについて整理していきたいと思います。
ジェンダーという言葉の定義を知らない人はほぼいないと思います。
だってさっきやったから、さっきというか、いつかな。
第何回目か2、3回目かどっかにやったはずです。
ジェンダーっていうのは社会的な性、文化的な性っていうふうに呼ばれたりします。
ちなみにジェンダーっていう言葉はいつから出てきた言葉なのかっていうと、
もともとは社会的な性とか文化的な性を表す言葉ではなかったんですね。
もともとは文法用語なんですよ。
というか文法性というものを表す用語でした。
日本語にはないんですけど、例えばドイツ語とかには名詞に性別があったりします。
女性名詞、男性名詞、中性名詞っていうふうに名詞に性別があるんですよ。
例えばドイツ語の図書館、ディ・ビブリオテイクって言いますけど、
ディ・ビブリオテイク、この単語は女性名詞です。
図書館というのは女性名詞。
逆にドイツ語の犬はデア・フンツ。
これ犬って言うんですけど、このデア・フンツは男性名詞です。
そして車、ドイツ語で言うとダス・アオ・トー。
ダス・アオ・トーっていうのは中性名詞です。
このようにドイツ語とかのいわゆるゲルマン系の言語とかロマンス系の言語、
フランス語とかにも名詞に性別があったりするんですよね。
フランス語には確か中性名詞はないですけど、女性名詞、男性名詞はあります。
こういう名詞の性別を表すのは文法性という風に言って文法上の性別のことを表す単語がジェンダーだったんです。
この名詞のジェンダーは男性、この名詞のジェンダーは女性。
だから例えばディ・ビブリオテイクのジェンダーは女性とかね。
こういう風に使っていた言葉が元々のジェンダーという言葉でした。
そしてジェンダーはですね、それから転じて男女にふさわしい特徴という風なものを示すようになっていきます。
つまり男らしさ、女らしさ、社会的文化的な性のことです。
これを表すようになってきたんです。
そして現代ではそこから飛躍してジェンダーというのは権力のアクセスのこととか、他者との関係とか人生のね、所属面に影響する。
その社会体制とかも表したりしますよね。
どんどんどんどん意味が膨れ上がってきているジェンダーですけど。
ここで使うジェンダーは社会的文化的な性とかって思ってもらって大丈夫です。
では典型的なジェンダーをいくつか紹介しておくと、
例えば男性と関連付けられた特質とかは強さとか強固な意思、そして競争心とか攻撃性とか。
こういうのが男性と結びつけられてますよね。
逆に女性と結びつけられたのは弱さ、優しさ、親切心、感受性、温かさ、共感、面倒見なさとか。
これはなんか女性と結びつけられているわけです。
こういうのを社会的文化的に作られたジェンダーというふうに呼ぶわけです。
ジェンダーの意味を確認した上で、実は筋肉量の男女差というのはジェンダーの影響を受けているかもしれないというふうに呼ばれています。
実は競争に参加することでテストステロンの分泌量が上昇するんです。
このテストステロンというのはいわゆる男性ホルモンと呼ばれるやつですけど、この血中濃度は競争とかのいわゆる外的な要因によって変化することが知られています。
そして競争というものは男性には積極的な参加が望まれ、女性には不参加が期待される。
そんな状況がありますよね。
つまりここにはジェンダーがありますよね。
競争に関するジェンダーがあります。
このジェンダーのゆえにテストステロンの分泌量が分かれてしまう。
男性には積極的な競争に参加が望まれて競争に参加して結果テストステロンの分泌量が上がる。
そして筋肉量が増えるとか。
女性には不参加が望まれて女性は競争に参加することができなくて結果テストステロンの分泌量が下がり筋肉量が落ちるとか。
そういう状況があり得るんです。
なぜなら競争することでテストステロンの分泌量が上がるから。
そして競争にはジェンダーが結び付いているから。
一番有名な実験があります。
それはシェイビッツ夫妻のMRIの実験というものがあります。
シェイビッツ夫妻という人たちがMRI、
細かく言うとFMRIというものを用いて、
様々な言語処理タスクを行わせて精査を調べたという実験がありました。
この実験によると男の人の方が左半球が活性化して、
女性は両半球が活性化したと。
それで女性の言語能力の方がどうたらこうたらみたいな言説が登場し始めて、
これは当時メディアにも大分大きな話題を呼んでいて、
大分取り上げられていて、
例えばニューヨークタイムズが当時出したこの記事、
この実験についての記事の見出しは、
研究者は語る。男性と女性とでは脳の使い方が異なる。
というふうにニューヨークタイムズの見出しで出たり、
結構半球を呼んだそうで、逆にこれが一般の人にも結構知れ渡って、
これを根拠に未だに女性の方が言語能力高いというふうに思っている人が結構いるらしいですね。
ちなみにこの研究はですね、その後追試が行われていて、
実際に正しいのか、再現性がある実験だったのかということを追試が行われていたんですが、
その結論としては言語能力に精差はないという結論が追試で出ました。
追試の方法としては、このようなシェビツ夫妻のような実験が26個あって、その26個を比較検討します。
つまりこの26個の精差に関する分析を分析したんですね。
メタ分析って言ったりしますけど、分析を分析する。
この26個の研究をメタ分析して調査した全ての研究を総括すると、
目立った男女差はないということがわかったそうですね。
現在わかっていることとしては、左右の脳を使った言語処理方法に男女差というのはわずかしか認められていなくて、
非常に特殊な作業を行った場合のみ男女差が認められるということです。
ちなみに左右の脳といったのは、このシェビツ夫妻の実験が脳の使い方、
左右の脳どっちを使うかとか両方使うかで男女差が出ますよというふうに言って、
結果としてその結論として女性の方が言語能力かという結論を出していたので、
現在わかっていることとしては、左右の脳を使った言語処理というのは男女差がほとんど認められないということです。
この研究がニューヨークタイムズとかに注目を浴びたわけですけど、
当時出たこの研究に対して日本の神経学者の新井康政という人は辞書の中でこう述べています。
男女差がはっきりと認められたのは3番目のテストであり、課題が黙読に近いテストなので、
発語の活動と関係していると考えて良い。
女性は右半球も使って喋っていると推測され、右半球の働きが女性の言葉の流暢さに現れているのではないかと思われると述べており、
これはあくまで推測であるよということを明示して断言はしていないという状況なんですね。
ただしメディアは断言をしてしまったので、それが僕らに伝わってきているので、
メディアと同じような受け取り方はしていないんですね。
そもそも研究というものは発見された事実を公表することと、
それに対する研究者自身の推測を提示するこの2つの側面があるんですよね、研究というのは。
言語学や歴史学とかの他の人文学の分野においても、
研究者の推測というのが重宝されることはもちろんあります。
例えばドイツ語とフランス語と英語の歴史的な連環の形とか、
それこそさっきの文法性の話をドイツ語とフランス語と英語で確かめてみて、
こういうことなんじゃないかな、昔はこういう風な形だったんじゃないかなという風に思いますみたいな、
もう昔のことだから分からないけど、そういう推測は大事ですね。
という側面も言語学にあるし、歴史学においては、これは俗説かもしれないけど、
日本人イコールフェニキア人説とかね、あれも一種の推測ではあるんですよね。
ほぼ違うかなみたいな、でも実際そうかもみたいな、そんな感じも歴史学の推測ではあるんですけど、
こういう推測が研究というものにおいて大事なのは当たり前のことです。
推測なしに研究というのはできません。
ただしですね、ことジェンダー研究においては、この研究者の推測というのがあたかもそれが生物学的な事実のように扱われて、
社会的差別の醸成や、もしくはその正当化に使われたりする、利用されたりするということがあり、
ここは他の学問の推測とは異なって、私たちが気をつけなければいけないところではあるんです。
ここはジェンダー研究と他の学問で全く異なる場所です。
というのが、一番有名な実験、MRIを用いた実験ということでした。
さあ他にもいろいろな実験があります。