2025-07-02 33:34

【2-8】中世は暗黒時代か~西洋美術史の観点から~【RADIO Kitsch ルネサンス女性美編】

人か、神(聖人)か。

来週からジェンダー論×ルネサンスの話に入ります!



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【参考文献】

池上俊一『ヨーロッパ史入門 原型から近代への胎動』岩波ジュニア新書、2021年

袁歆「近代日本における「男性美」の実相 : 1910年代を中心に」『日本語・日本文化研究』第30巻、2020年、156-166頁

岡田温司『ルネサンスの美人論』人文書院、1997年

小宮友根「表象はなぜフェミニズムの問題になるのか」『WEB世界』〈https://websekai.iwanami.co.jp/posts/2828 〉(2024年9月21日閲覧)

中井義明ほか『教養のための西洋史入門』ミネルヴァ書房、2007年

森田義之「イタリア・ルネサンス美術におけるジェンダーとセクシュアリティ」『美術とジェンダー―非対称の視線』ブリュッケ、1997年

アレッサンドロ・ピッコロ―ミニ『ルネサンスの女性論1 女性の良き作法について』ありな書房、2000年

ジャック・ル=ゴフ『中世の身体』藤原書店、2006年

フィレンツオーラ『ルネサンスの女性論2 女性の美しさについて』ありな書房、2000年

「世界の歴史」編集員会編『新もういちど読む山川世界史』山川出版社、2017年

Web Gallery of Art「Fresco cycle in the Palazzo Venturi, Siena (1519-23)」〈https://www.wga.hu/html_m/b/beccafum/1/index.html 〉(2024年9月21日閲覧)



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サマリー

中世美術はしばしば「暗黒時代」と称され、主に宗教画が中心です。しかし、ルネサンスの発展によってその表現は変化します。このエピソードでは、イタリアルネサンスからフランスへの美術の移行と、マニュリズムという新たなスタイルについて議論されています。また、中世の美術が「暗黒時代」と呼ばれる理由や、それに対する文学的および歴史的視点が探求されます。聖母マリアの絵を中心に、宗教画が写実性を欠く背景やルネサンスの革新について語られ、美術史の変遷に影響を与えた要因が考察されます。さらに、ルネサンス期の西洋美術における聖人の人間化の過程も扱われ、特にマサッチョやレオナルド・ダ・ヴィンチの作品を通じて、信仰対象がどのように描かれたかが考察されています。

中世美術の特徴
おはようございます。スタジオキッチュの三月裕蘭です。ということで、ラジオキッチュ前回からの続きです。今回はですね、暗黒時代、そういうふうに言われた中世美術、そしてその中世美術から発展してできているネサンス。
こういう状態にある中世のこと、その中世の美術のことを暗黒時代というふうに言ってよいのか、そういう話をしていきたいと思います。
まずはですね、前回、ルネサンス自体の歴史の部分を言い残したところが少しあったので、イタリア後のルネサンスですね。イタリアルネサンスが終わった後のルネサンスはどこに行ったのかという話をちょこっとしてから、その中世美術の評価、そしてあとルネサンス絵画論みたいなところまでお話してきたのなというふうに思います。
まずはちょっと歴史の話になるので、もう知ってるよとか、あまり興味ないよという方は飛ばしていただいて大丈夫です。
前回ですね、メディチケとか、パトロンとかローマ曲を含めて、どういうふうに美術、芸術っていうものがルネサンスのイタリアの中で作られてきたのか、こういう話をしました。
そしてイタリアのルネサンスがいろんな要因があって終わってしまったんだよという話もしました。
じゃあですよ、その後のルネサンスはどうなったかというと、実はですね、イタリアを離れてフランスに広がっていきますね。
だがフランスに入った後のルネサンスっていうのはもうルネサンスというふうに呼ぶことはできなくて、美術史の用語で言うとマニュリスムというふうに言います。
マニュリスムの時代に入ったというふうに言えますね。
まずおさらいですけど、14世紀ぐらいにルネサンスが始まりますよね。
そのルネサンスが約200年ぐらい、約200年で終焉を迎えるわけです。
終わってしまうんですね。
そうした結果フランスに中心が移って、フランス以降のルネサンスのことをマニュリスムというふうに言います。
マニュリスム、説明が難しいんですけど、作品自体も難しいんですけど、簡単に言うとですね、マニュリスムフランス語なんですけど、英語に直すとマンネリズムですね。
マンネリです。
要はいろんな芸術活動をやりまくったんですよ。
芸術の芸術の芸術をやりまくった結果、もうやることがなくなって、どんどんどんどんものが複雑になっていくんですね。
みんなが絵とか建築とかそういうものを作っていく上で、全部全部複雑になっていったんですよ。
全部難しくなっていったんですね。
で、この難しくなっていった時代のことを、そうしてマニュリズムというふうに言うわけです。
つまりマンネリズム、マンネリですね。
ちょっとやりすぎちゃってるかなっていうふうな時代に入ってきますね。
例えばですけど、このジェンダー系のなんだっけ、ルネサンス女性美編忘れてた、自分で自分のあれシリーズ名を忘れた。
ルネサンス女性美編なんで、ルネサンス女性美みたいなところも話したいんですけど、
例えば女性の肖像画、女性の肖像画がもちろんこのマンネリズムのマニュリズム、女性の肖像画がマニュリズムの時代にも描かれているんですけど、
当初のルネサンス、イタリアルネサンスの作品とは少し特徴が違っていて、例えば女性の体がS字に埋めるんですね。
すごいくねくねするんですよ。
そして首が長くなる、手足が長くなる、胴が長くなるっていう。
全部スラーッとした理想的な身体みたいなものを目指そうとした結果、全部腕とか手とか首とか全部伸びていく、その結果くねーっとしたS字型の身体が描かれていくと。
皆さんご存知の通り、レオナルド・ダ・ピンチが理想的な身体みたいな話をしていたように、実はルネサンスの時代というのは、人間の身体の理想像っていうのはどういうとこなんだみたいな話もされていた時代なんですね。
特にこの女性美みたいな話でいうと、例えば女性の体はどういうものが美しいからなんだとか、どういうものが理想的な女性の体か、こういう議論も一応あったんですね。
そういうふうな身体の理想像みたいなものを追いかけるのがイタリアルネサンスだったんです。
このイタリアルネサンス後に起こったマニュアリズムの風潮の中では、理想像みたいなもの、理想の身体みたいなものを追求しすぎた結果、理想を超えてしまって、逆にやりすぎだろお前みたいな感じの描かれ方がされてしまうんだ。
それがさっき言ったSGにくねくね曲がった身体とか、手足が伸びたり首が伸びたり、本当にひどいですマニュアリズムの絵っていうのは。
あと人がやたら筋肉多かったり、やたら人が多かったり、やたら描き込み多かったり、こういうことはあんまり使いたくないですけど、ある意味生成AIっぽい、そういう絵もマニュアリズムの中には登場してきますね。
ただこのマニュアリズムのやつが終わったらバロックに行きますから、なのでちょっと辛抱していただければもっと綺麗な絵が見れるようになるんですけど、そういう風なマニュアリズムという風な時代に入っていくのがイタリアルネサンス後のルネサンスの芸術活動ですね。
フランスへの移行
ちなみに、なんでフランスが芸術の中心になったかっていうと、フランス国王ですね。フランス国王がルネサンス好きになったから、ただそれだけの理由です。
嘘です。本当はいろいろな理由があるんですよ。理由はあるんですけど、単純に言うとこのフランス国王フランスは一世、わかりやすい名前ですね。フランスの国王フランスは一世です。
どうでもいい。国王がフランスは一世がルネサンスの芸術活動に対してすごく興味があるタイプの人だったので、文化人だったので、イタリアルネサンスで芸術活動をしていた芸術家っていうのを多数フランスの宮廷に招いたんですね。
そうした結果、フランスの方に芸術の活動の中心が移っていったんですね。前回ちょっと話したんですけど、当時イタリア戦争っていうのがあって、フランスとドイツ、シンセロモ帝国ですね。
フランスとドイツでイタリアの覇権を巡って争っていたので、このイタリア戦争を機にフランスはグルネサンスというものの文化に触れていて、芸術面とかそういう面でドイツを超えようとして芸術活動を行った戦略として行ったのかもしれないみたいな話もあります。
なので理由が一つというわけではないですけど、国王がグルネサンスに興味があったからとか、国としても政治的に芸術活動っていうものを支援するという意義があったからというようないろんな理由があって、フランスの方に芸術の中心が移っていったんですね。
ルネサンスでちょっと貝殻編の話をしてたので、ここら辺で別の分野の話もちょこっとだけしたいなと思うんですけど、ちなみに科学にもいろいろ影響がありまして、ルネサンスってさっき言ったように十字軍の後に、さっきじゃねえな。
前回前回前回、覚えてないですけど、歴史の話をしてたわけですね。まだヨーロッパ史の話をしているときに話したと思うんですけど、十字軍っていう活動が起こった後に起こるのがルネサンスなんですね。
なのでそもそも十字軍って教皇権とか宗教的な影響力や権力っていうのが失墜していった出来事でしたよね。なのでこの十字軍後に起こったルネサンスでももちろんこの宗教の影響っていうのは離れて薄れていていましたね。
なので古代神話の影響、古代神話、いわゆるキリスト教神話ではない別の宗教の神話を題材にして絵を描くみたいなことが許されていた時代だったんですよ。つまりこれ宗教の影響っていうのが少しずつ希薄になっていっていた。そういうふうな時代だったんですけど、これ芸術活動だけじゃなくて科学にも影響しています。
このより宗教の影響から離れていった結果、自然科学が発達したんですよ。世界の説明というのをしていたのは教会だったんですね。なので教会がイエスと言えばイエス、教会がノーと言えばノー、ただそれだけの世界に過ぎなかったんです。なので宗教の影響が強いと科学って発展しないんですよ。
これはヨーロッパに限った話ですよ。ヨーロッパに限った話で言うと、宗教の影響力が強いと科学の発展っていうのは見込めないんですけど、今回ルネサンスっていうのが起こった結果、宗教改革とかも後々起こるんですけど、こういうふうに科学の発展が促されていったんですね。
これは教会の影響力の4割、その結果だと思いますね。
一応同時期に望遠鏡とか顕微鏡とかの発明もあったので、そういうふうな自分で観察しようと、誰か教会の言うことを聞くんじゃなくて、自分で見て自分で分析してみようみたいな風潮があったとも言えますね。
そういうのが相まって観察とか実験とかっていうのがすごく頻繁に行われるようになったし、より精密になっていった。そういうふうな結果、自然科学っていうのは発達していきました。
これはルネサンス時代の話ですけど、これが終わった後17世紀くらいかなになると、科学革命っていうのが起きますよね。
いわゆるガリレオとかケプラとかデガルトとかニュートンとか、あいつらが出てくる時代がやってくるので、このルネサンス、皆さんこのルネサンスの話をいろいろ聞いてきたと思いますけど、ルネサンス、宗教の影響が外れましたよ、宗教の影響が薄くなってこうなりましたよ、みたいなことがあったんですけど。
こういうことが起こってくれた結果、17世紀の科学革命、ガリレオ、ケプラ、ニュートン、それくらいの奴らがいろいろ頑張ってくれるということ。
あとは啓蒙シーンの時代も後々聞きますから、これがルネサンスを踏み台にして起こっていた出来事っていうのがすごく重要な歴史的な意義というところではすごく重要なものになってきますね。
というのがザットルネサンスの歴史みたいなところではこれくらいでいいですかね。なかなか本題に入れてないのでちょっとこれから少しだけ本題に入ります。本格的に本題に入るのは次回です。
ただ今回で少しだけ歴史ではなく、そもそもルネサンス時代の芸術ってどういうものだったのって話をしていきたいと思います。
いつか言ったかな。最初の方の放送から言ったか言ってないかもう覚えてないんですけど、このシリーズの最初撮ったのが半年くらい前だからもう全く覚えてないんですけど、覚えてないという程で皆さんも覚えてないでしょうから、一から説明しますね。
疲れると思いますが頑張ってついてきてください。ルネサンス以前の芸術というものを皆さん覚えてますか。いわゆるですね、宗教画、宗教絵画、宗教芸術がメインの時代でした。
通称暗黒時代とも言われてましたね。これ今回の冒頭に言ったやつです。暗黒時代とも言われるほど全くリアルじゃない絵を描く。全く写実的に描かない。それが中世の芸術だったんです。
ルネサンスとマニュリズム
素人目からすると本当はピカソが描いてるんじゃないかっていうのも変わらないぐらいの絵ですよ。そのぐらいの画風なんですね。よく描かれていったのは聖母子とかね。
お母さんが子供を持ってるやつ。聖母マリアがイエスを抱いてるやつね。ああいうのとか。そういう宗教画がメインの時代で全くリアルではない絵を描いていた。そういう時代通称暗黒時代っていうのがルネサンス以前の芸術でした。
なんでこれだけ写実的じゃないよ、全く絵が下手なんですよっていうことを、それが中世なんですよっていうことを強調してるかというとですね、実は古代の方が絵がリアルなんですよ。写実的なんですよ。
というのもですね、皆さんが古代の、要は古代ギリシャ古代ローマの芸術って言われて、皆さんは何を想像できますか。
なんか、これは知り合いに古代芸術で言って何か思いつくものあるって聞いてみたんですけど、そいつは何も思いつかないとか言ってて。
もしかしたら、あんまり美術史に詳しくない人からしたら全く想像ができないのかもしれないのかもしれないですけど、古代芸術といえば僕が思い浮かべるのは壺絵とかですね。
古代ギリシャとかで古代オリンピックの様子を壺に掘って壺焼いて、現代にも残ってるやつが僕のイメージの古代芸術なんですけど、あの壺絵だけが古代の芸術ではないんですね。
というのも、基本的に今古代芸術とかで調べると壺絵が出てくるんですけど、それは昔に描かれた、それこそ壁画とか、遺体があったのかわかんないけど、あったとしても遺体がね、そういうものってどうしても保存されてないんですよ。
だから消失してしまってるケースが多いんですね。
なので壺ぐらいしか古代芸術、古代の美術を見てみようと思っても壺ぐらいしか見れないっていうのが一応現状なんですけど、だから僕みたいな人間は古代の美術って言われたら壺しか思いつかないんですけど、実はですね、古代ローマの絵がですね、残っている場所が一箇所ありまして、どこだと思います?
これは世界知識がいるかもしれない。
ポンペイですね。
ポンペイって火山噴火によって町ごと全部埋まったところなんですけど、大量の人が死んで、だいぶ悲惨な事故が起こった場所なんですけど、古代ローマですね、このポンペイだけは町ごと埋まってくれた結果、絵が残ってるんですよ。
壁画とかが残ってるんですね。
なのでポンペイに残された絵を見ると、古代の人の絵がわかる。
古代に描かれていた芸術がどういうものなのかっていうのがわかるんですね。
で、調べると出てきますよ。
ポンペイのアートとか古代ローマの壁画とか調べたら全然出てくるんですけど、これすごくて遠近法を使ってるんですよ。
古代ローマの人遠近法を使うんですよ。
遠近法を使うんですよ。
それすごくないですか?
みんなが知ってる遠近法ってちょうどルネサンスの時期に開発された、最後の晩餐とかね、そういうやつ、喪失点がある遠近法。
あれを作ってるのが、あれが作られたのがルネサンスだったんですけど、実は古代ローマにもつまり古代にも遠近法があったんですよ。
つまりですよ、これは面白くて、古代には遠近法が存在していた。
だけど時代が中世に移ると宗教画しか描かなくなったから、宗教画っていうのはイコンですね。
イコンと呼ばれる、いわゆる全くリアルに描いてはいけないという絵。
聖人とか神の絵なんだから、これは偶像ではないというふうに言い張れるように、リアルに描いてはいけない絵というのを描くような時代になった。
その時代が終わってルネサンスが始まって、そこでいろんな写実的な絵を生み出していく結果、遠近法が生まれるっていう。
遠近法は開発された後に一回失われてもう一回復活するという形なんですよ。
遠近法の発明ってね、あれルネサンス時代に再発明してるだけなんですよ。
車輪の再発明と同じですね。
っていうのが実際なんですよね。
ちなみに筋肉の描き方とかも古代はめっちゃリアルですよ。
あのルネサンスの初期の画家って筋肉下手なんですよ。
解剖しちゃいけなかったから。
だから人間の体がどういう作りになってたかっていうのを理解せずに描いてたから、特にルネサンス初期とか、
有名なところで言うとミケランジェロが若い時に描いた作品っていうのは、人間の筋肉の描き方がすごく雑ですね。
なんですけど、だんだん宗教の影響が薄れていった結果、解剖OKですよみたいな社会になるんですね。
そしたら解剖したことある画家が描くとか彫刻家がいろんな作品を残すといって、その作品たちっていうのは筋肉がすごくうまい。
細部まで細かく作られている。細かく描かれている。そういうような筋肉になっていくんですね。
筋肉の描き方も、一回古代で発明されて、中世の後にそれが失われて、もう一回ルネサンスで再発明される。
こういうような時代の変遷を辿っていると。
そういうのが、古代とルネサンス対比、そして中世とかの話もすると、こういうことが言えるんですね。
さっきチラッと言ったんですけど、なんで中世の絵が下手かっていうと、それはあくまでイコンだから、つまりアイコンだからってことですね。
中世の宗教絵画っていうのは普通の絵画ではないんですね。
これは神を表すための象徴物にすぎない。だからこれ自身は神ではないよ。そういうふうなことを言えるためにわざとリアルに描かない。
それはキリスト教時代が偶像崇拝の禁止というようなルールがあるから、ここに起因している問題なんですね。
キリスト教というのは偶像崇拝が禁止です。つまり、神の絵とか聖人の絵、聖母マリアの絵とか、そういうようなものを拝んではいけないんですね。そういう宗教なんです。
なので、聖母マリアのすっげえリアルに描いた絵、これに手を合わせたらルール違反なんです。なのでリアルに描かなきゃいいんじゃねっていうふうに誰かどっかの天才かアホか神ひとえみたいなところがありますけど、そういうやつが思いついて、
そのアンポンタンがリアルに描かない絵みたいなものを作り始めるんですよ。それが流行っていくんですね。どうしても布教のためにはみんなに聖書を読んでもらうみたいなことをやるのが一番なんですけど、色情質低いですから、本読んでね、聖書読んでねって言っても読めない人が多数なので、やっぱりイラスト、アイコンを使っていくしかないんですね。
なので、ほんと説中なんですよね。キリスト教のルールを守りたいんだけど、けど布教はしたい。よし、リアルじゃない宗教画を描くか。そういうふうにやっていくんですね。だから結構発明品なんですよ。
この中世の宗教画って絵としては全然リアルじゃないし、見ても何これって、何ですかこの絵はみたいな感じに見えるのが中世の絵画なんですけど、ただそれには意味がある。
その結果キリスト教徒って拡大に増えていくので、意味はあったというふうに言えるんじゃないかなと思います。だから訳があってリアルに描かないんです。
なので、中世芸術っていうのは暗黒時代というふうに言われることもあるし、教科書によってはそういうものを書いてるのかな。最近の教科書偉いですから書いてないのかもしれないですけど、別に中世の芸術は暗黒時代ではないよと、そういうふうに言えるという話ですね。
ルネサンスの革新
ちなみに教科書の話をしましたけど、ここから雑談みたいな感じになるんですけど、教科書批判をする人いるじゃないですか。教科書にはこういうふうに書いてあると思うんですけど、実際は違うんですよねみたいな。
特に世界史界では多いんですよ、そういうやつ。世界史の教科書だとこういうふうに書いてると思うんですけど、みたいなやついるんですけど、最近の世界史の教科書って本当にすごいですからね。全部正確に書いてますから。
怪しいことは言い切らないっていうふうな書き方してるんで、もしかしたらこういうことがあったかもしれないと一部の論文では言われてるみたいな書き方してるのが最近の教科書なんで。教科書ではこういうふうに書いてると思うんですけど、みたいなたわけを言ってる奴らは本当にアホだと思います。
嘘ですよ。思ってないです。冗談ですよ。最近の教科書すごいですね。だから別に暗黒時代っていうことは載ってないんじゃないかな。どうなんだろう。実際僕の時は載ってなかったような気がするんで、今はどんな教科書も載ってないんじゃないですかね。なんかそんな気がします。
ということで、そういうのが中世があって、その中世の後に来るルネサンスですね。ルネサンス初期からちょっとだけこの絵画論みたいな話もしていきたいと思いますね。
ルネサンスの時代、さっき言ったように宗教画の時代から世俗画の時代に移っていくというような時代、芸術活動の風潮というふうな感じなんですけど。
さっき言ったように、キリスト教の絵画を描くのと、あとはそのキリスト教じゃない古代神話とかの異教神話を描いたり、そういうふうなどっちも描いていったんですけど、別にキリスト教絵画がルネサンス時代に廃れたというわけではなくて、キリスト教絵画も古代神話絵画もどちらも描いていったのがルネサンスなんですね。
なので別に、ルネサンス時代にも宗教絵画がめちゃめちゃ描かれてるんですよ。ただ、中世とは明らかに描き方が違ってます。リアルになってるんですね。
それは筋肉の細部の描き方の再発明だったり、遠近法の再発明だったり、そういうところだけじゃなくて、明らかに聖人とか神を人として描こうとするんですよ。これがルネサンスの特徴だと言えると思いますね。
あのね、やばいですよ。この歴史。ちょっとずつやっていきたいと思いますね。まずジョット。ジョット、美術師やるとそこそこ出てくるんですけど、やらない人にはあんまり見なじみない画家かなと思います。
ルネサンスの初期ですかね。初期の初期ですね。本当はパイオニアぐらいの画家なんですけど、つまりルネサンス初期の画家なんですけど、この人は遠近法と陰影を強めた聖物を描くんですよ。
つまりですね、聖物を描いてるんだけど、そこに遠近法があったり、あと陰影、要はその影がついていたり、つまり実物として描こうとし始めたんですよ。この人が。いいですか皆さん。聖物なんてものは聖人なんですよ。聖人と神なんですよ。
これは実際の人間ではないんですよ。だけど、わざと遠近法とか陰影とか、そういうところまで細部にこだわって聖物を描いちゃうんですよ。そうすると聖物が実際のもののように見えてくる。こういうのやっちゃうんですね、ジョットが。
でもその後ですね、聖物っていうのはだいぶ、このジョット以降の聖物っていうのは、それまでの聖物とは全く経路が変わってきますね。マルティーニとか、あと誰だろうな、ダブリアーノとか、そういうやつらが描いた聖物はですね、ジョットより後の時代なんですけど、よりジョットより陰影が強くなってる。影、濃く描かれてるんですね。
聖人の人間化の始まり
さらに、ちゃんと描こうとしてくるから、より3Dに近づくというか、実物感があるような聖物が描かれて、あとマサッチョも、マサッチョはね、とんでもないことやりますよ。聖物描くんですけど、聖物だけじゃなくって聖アンナを描くんですね。
聖アンナっていうのは、聖母マリアのお母さんなので、キリストから言うとおばあちゃんかな。それを一応聖母神の後ろ側に聖アンナを描いたんですけど、この聖アンナがおばあさんとして描かれてるんですよ。これのヤバさわかります?いいですか?聖人は年取らないんですよ。
だから、聖アンナがいくら聖母マリアのお母さん、キリストのおばあさんだと言っても、老人として描いちゃいけないんですよ。なのにここでは聖アンナがおばあさん、つまり老人として描かれてるんですよ。これはつまり、もう完全に人間として描いてますよね。
なので、ここに来て、聖人っていうのがどんどんどんどん人間化していくんですね。これをやったのがマサッチョですね。マサッチョはこれをやるんですけど、このマサッチョの200年後にカラパッチョが同じことをやって、教会から怒られてますね。
だから、ここでだいぶマサッチョは先進的なことをやってる。先進的なことをやってるというか、やんちゃして怒られずに住んでるだけみたいな風に言えるかもしれないんですけど、そのぐらいのことをマサッチョはやりますね。だいぶ挑戦的な挑戦的ですね。
でもこれがやってしまうような風潮にはなってきたということは言えるかもしれないですね。
レオナルド・ダ・ヴィンチに入ってきますけど、レオナルド・ダ・ヴィンチをもっとやりますよ。やるというか、やらかすというか、聖母子かな?聖母マリアとキリストと、あとどうだろう?先烈者聖ヨハネがいたかな?ちょっと覚えてないんですけど、少なくとも聖母マリアが映っている絵を描くんですね。
この聖母マリアはね、まあひどいことに地べたに座ってるんですよ。これやっちゃいけないんですよ。聖人とか神っていうのは聖なる人ですから、ホーリーなね、崇高な存在ですから、絶対に椅子に座るもしくは浮いてなきゃいけない。
けど、レオナルドはマリアを地べたに座らせるんですよ。もうなんかお前、お前この聖人のこと聖人だと思ってないだろ?みたいな。お前完全に人間だと思ってるでしょ?みたいな。そんな感じで聖母マリアを描いちゃうのがレオナルド・ダ・ヴィンチですね。
こういうふうにですね、ちょっとふざけながら紹介しちゃったんですけど、ジョット、マルティーにマサッチを、あとはレオナルド・ダ・ヴィンチのように、どんどんどんどん聖人っていうのが人間化していくんですね。人間のように描かれるようになっていく。これがルネサンスなんですね。
で、なんでこんなどうでもいいように思える話をしているかというと、これがこの後々つながってくるからなんですけど。こういうふうなことをやられていたのがルネサンスということですね。
次回はキリスト教とルネサンス芸術ということで、実際ルネサンスにおけるキリスト教との関わり合い、あるいはキリスト教をどれだけどれだけ薄めればルネサンスというものになっていくのか、その関わり具合のところの話をしていきたいと思います。
なのでそこからはですね、ちょっとジェンダーセクシュアリティの話になったり、女性表彰の話になったり、あと根本的にルネサンス芸術というものが何を背負って生まれてきたのかみたいな話もできればいいなというふうに思っているので、次回からは少し難しい話にはなるかもしれないですけど、
ルネサンス女性美というふうな名前、シリーズ名にするにはそれにふさわしいような内容になってくるかなと思います。ということで今回はこれぐらいで終わろうかなというふうに思います。ということで今回は以上です。次回の配信をお楽しみに。
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