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2022-01-03 23:00

番外編 第15回 初の公開収録!「どのように本と出会い、好きになっていくのか」

spotify

あけましておめでとうございます! 

本年も当ラジオをよろしくお願いします! 

新年初回の配信は番外編ということで作品紹介のない回になっております! 

そして初の公開収録となっております! 

こちら2021年12月30日に開催したZOOMオフ会にて収録した内容をお届けいたします! 

特に年始感のないテーマですが、皆様も自分が好きな本を知ったきっかけを思い出しながらお聴き頂ければと思います。 

【ベストエピソード投票】 

今年もリスナーの皆様が選ぶベストエピソードを決めます。2020年はコーマック・マッカーシーの「ザ・ロード」が選ばれましたが、2021年はどのエピソードが選ばれるのか。 

昨年に配信した本編39本、番外編10本から、気に入ったエピソードや本を手にするきっかけになったエピソードなど、思い思いにぜひ熱い一票を投じていただけると嬉しいです。 

もちろん全部聴いていなくても大丈夫です。全然聴いてない人でも、たまたま聴いた回が良かったなら、それを投票してください! 

ベストエピソードの結果発表は1月下旬の配信で予定です。また質問やリクエスト、メッセージも同時に募っています。ぜひお楽しみください! 

■募集期間:1月15日(土)まで 

■投票方法:以下フォームより受付しています。 

https://forms.gle/bdB88ytVmVEaeaq67 


【JAPAN PODCAST AWARDS】 

日本一のpodcast番組を決める祭典! 

リスナー投票で決まる「リスナーズ・チョイス」がございますので 是非「文学ラジオ空飛び猫たち」に1票を!! https://ssl.1242.com/aplform/form/aplform.php?fcode=jpa2021_listener 

【初のリアルイベント、二人で一日店長します】

 BOOK SHOP 無用之用さんでダイチとミエが一日店長をします。実 は一年半ラジオをして、リアルで会うのは初めて。 

イベントをするのか、お越しいただいた方とワイワイ話すのか、何をするかは未定ですが、よろしければ遊びに来てください! 

また無用之用にはダイチが文学ラジオ空飛び猫たち名義で一箱出店していますので、本をお買い求めいただけます。 

■日時:1月23日(日)16時〜20時 

■会場:BOOK SHOP 無用之用 

東京都千代田区神田神保町1丁目15-3 サンサイド神保町ビル3F 神保町駅A7出口より徒歩2分 

https://issueplusdesign.jp/muyonoyo/ 

【番組内で紹介したトピック】

 ■『CONTEXT DESIGN』渡邉康太郎著 出版:Takram 

https://aoyamabc.jp/products/context-design 

【文学ラジオ空飛び猫たちとは】

硬派な文学作品を楽もう!をコンセプトに文学好きの二人がゆる~く文学作品を紹介するラジオ番組です。

案内役の二人は、 東京都内で読書会を主催する「小説が好き!の会」のダイチ

京都の祇園で本の話ができるカフェを運営する「羊をめぐるカフェ」のミエ

文学のプロではない二人ですが、 お互いに好きな作品を東京と京都を繋ぎ、

読書会のようなテイストで、それぞれの視点で紹介していきます!

毎週月曜日朝7時に配信しています。

【SNSでご投稿ください】

番組の感想・リクエスト・本を読むきっかけになったなど、 #空飛び猫たち をつけて、ぜひSNSに投稿してください!

よろしくお願いします!

■twitter https://twitter.com/radiocatwings

■Instagram https://www.instagram.com/radiocatwings/?hl=ja

■Gmailでも受付中です bungakucafe.catwings@gmail.com

■ダイチ「小説家が好き!の会」

Twitter https://twitter.com/welovestory 

Instagram https://www.instagram.com/booklogd/?hl=ja

■ミエ「羊をめぐるカフェ」

Twitter https://twitter.com/hitsuji_meguru 

Instagram https://www.instagram.com/hitsujiwomeguru.cafe/

#本 #小説 #読書 #読書会 #文学 #海外文学 #ブック

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どうもみなさん、こんにちは。文学ラジオ空飛び猫たちです。この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな2人がゆるーくトークするラジオ番組です。お相手は、私小説が好きの甲斐のダイチと
羊を巡るカフェのミエの2人でお送りします。文学のプロではない2人ですが、東京と京都をつないでお互いに好きな作品をそれぞれの視点で紹介していく番組です。
番組概要欄に詳細情報を記載しているので、初めてお聞きになる方などそちらを見ていただけるとありがたいです。
新年明けましておめでとうございます。今年最初の配信となっております。今回は番外編となっており、作品紹介がない回になっております。
そしてですね、これ12月30日収録しているんですが、公開収録となっております。ちょっと人の前で今話しています。
だいぶ緊張しますね。たぶん今までにない固さが見えてると思うんですよね。
ゆるーくっていう感じが損なわれているんじゃないかな心配しながらやっております。
ミエさんはコーヒー飲んでますけど、私は今ビール飲みながら収録してますんで、ちょっとその辺で自分の中で緊張が解ければいいなと思ってます。
じゃあ本編入る前にですね、お知らせをさせてください。まず今回1点だけなんですけど、ポッドキャストアワードというのが今開催しております。
日本一のポッドキャストを決める祭典ですので、ぜひ我々文学ラジオ空飛猫たちにですね、一票いただけたら大変ありがたいです。
リスナー投票で決まるアワードもあるので、ぜひ1位にはならなくても注目されるぐらいになれたら嬉しいなと思ってます。
こちらのポッドキャストアワードが1月14日まで募集期限になりますので、ぜひ投票いただけるとありがたいです。よろしくお願いします。
今回のテーマなんですけれども、特にこれ年末に撮っちゃってるんで、特に我々まだ年始感が全然なくてですね、年始感がある配信は年明けてから撮った一発目、来週配信のものにさせていただきたいなと思ってまして、
今回はちょっと話したいテーマを私の方からちょっと持ってきてまして、それがですね、どうやって本と出会い、どうやって好きになっていくのかという話をちょっとさせていただきたいなと思います。
これなんですけれども、ちょっとあることがあって、人が何かを好きになるきっかけってのを最近よく考えるんですけど、
なんかそれって結構最初緩く入ってきて、なんかぼんやり好きかもなみたいなものが、気づくとなんか自分の中で大きな価値観になっていってるっていうのが結構多いなぁと思ってまして、
何て言うんですかね、なんか何かを好きになったきっかけを思い返してみると、割とそんなとこから始まったんだみたいなことが結構多いかなって個人的には思ってるんですよ。
例えば、友達に勧められたとか、本とかだったら本を見てたまたま見かけた、ジャケ買いしたとか、いろいろあると思うんですけど、たまたまそれで手に取ったものがすごく好きになるってことがあるなぁと思っていて、
で、最近読んだ本で、三重さんはわかると思うんですけど、タクラムの渡辺幸太郎さん、わかりやすいところで言うと古典ラジオの深井龍之介さんと、
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あと、ボイシーで毎日ブックカフェを更新している荒木裕之さんと、超相対性理論っていう番組をポッドキャスト番組でやってる渡辺幸太郎さんの本を読みまして、
それがコンテクストデザインって本なんですけど、そもそもコンテクストデザインってなんだってみたいなところもあると思うんですけど、
この本自体はコンテクストデザインとは何かってことについて書かれてるんですけど、
読んだんですけど、めちゃめちゃいい本で、わかりやすかったんですけど、でもちょっと捉えきれてないところもあって、
あるんですけど、要は文脈を作るっていうことなのかな、文脈をデザインしていくってことなのかなとちょっと私はこの本を読んで捉えました。
で、この中ですごく面白かった話が、強い文脈と弱い文脈があるっていう話があって、
強い文脈っていうのは、不変的な流通性というか、決まりきったこと、例えば社会が求めていること、言ってしまえば法律とか、そういうことが当てはまるのかなと思うんですけど、
逆に弱い文脈っていうのは、個人の解釈とか、その幅がある形、絶対的ではないものっていうのをこの中で言ってて、
この渡辺幸太郎さんは、弱い文脈っていうのがこれから必要になってくるというか、求められてくるって言ってるのか、だったんですけど、言ってました。
で、この文脈の強弱っていうことに関して、すごい面白いなと思って、読んでる側からいろんなことを考えちゃったんですけど、
結果ですね、この渡辺幸太郎さんが言ってる文脈の強弱っていうところとはちょっと外れた形で、
なんかこの弱く入ってきたものが、すごく自分の中で強くなっていくことっていうのはすごい多いなと思ってまして、
文学作品とかそうなんですけど、本とかそうなんですけど、そのことをちょっと今日は話したいなとは思ってます。
で、一応この渡辺幸太郎さんのですね、文章を引用すると、でもだいぶ俺はもう誤読しちゃってるんで、あれなんですけど。
あのそれがもう弱い文脈?
そうそう。
誤読が弱い文脈になる。
これのねコンテクストデザインの14ページから始まるところで、これ第一章なんですけど、語り直すことっていうことがあって、
このちょっと引用させてもらうと、
作品は時を空けて語り直される。これは時効的なもの。人は美術館の後、カフェで語り合い、夜にバーの隣席で映画について議論し、かつて読んだ本のことをソーシャルメディアに書き込む。
そこで語られるのは往々にして自分自身のエピソードだ。生活のこと、仕事のこと、自らの思想を作品に投影し解釈する。
それはあくまで個人的なものであり、時には誤読ですらある。でもその作品について真に語りたい欲求があるとき、人は誤読を恐れない。
そこでは他者による作品と自身による解釈は一体化する。
この語りによって単なる即時的消費を超えて、読み手は作品と新たな関わりを結ぶ。そしてその瞬間に読み手は書き手に入れ替わる。
結果生じるのは作品との主体的な関わりと多義的な解釈だ。
作者が作品に込めたメッセージやテーマ、強い文脈をきっかけに、読み手一人一人の解釈や読み解き、弱い文脈が主役になる。
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っていうことが書いてあるんですけど、だいぶ難しい言葉なんであれなんですけど、これを自分はもう誤読しちゃってるんですけど、
やっぱり強い文脈と弱い文脈っていうのがあって、基本的になんかわからないんですけど、直感的なんですけど、人が本当に好きになるのは多分弱い文脈から入ってきたものがすごく好きになるんではないかなと思っています。
思いました。特に本はこれをきっかけにいろいろ振り替えたんですけど、そうだったんじゃないかなと思ってます。
それで、本をどう出会ってどう好きになっていくかっていうのを、最初大地さん言ってたみたいに、緩く好きになったものとか、たまたまで会った本が自分の中で大きな価値観のものになっていくっていう、そういうことですかね。
そうですね。このラジオも多分すごい弱い文脈なんだろうなってこの本を読んだときに、まさにラジオでやってることはこのまんまだなと思って、自分たちの勝手な解釈を作品投影して、個人的なエピソードと結びつけて発信してるっていうのがすごく弱い文脈を作ってるのかなっていうのを感じて、いろんなことを考えてしまったもんだったんで。
ちょっとこのことについて、このコンテクトデザインっていう文脈とはまた違うかもしれないんですけど、ちょっとこの後、本を好きになったきっかけについて、いろいろ話してみたいなと思ってます。
じゃあ、せっかくなんで、大地さんからいきます。
わかりました。ちょっと私がですね、好きになったきっかけについて、ちょっと一つ話させてもらいたいのは、居坂幸太郎さんめっちゃ好きなんですよ。全然このラジオで話してないですけど。
居坂幸太郎さんすごい好きで、最近、今2,3年くらいちょっとサボりがちなんですけど、それまではほとんど出た作品は出た瞬間に読んでました。
めちゃくちゃ居坂幸太郎のヘビーファンみたいな感じに多分見えると思います。
でもね、この居坂幸太郎さんって、私一番最初に好きになったのが、16ピエロっていう小説があるんですけど、それが発売したときなんで、20年近く前、まだ居坂幸太郎さん3作のとこだったんで、
あんまり、今すごい有名な作家さんになられてますけれども、そのときはまだ駆け出しのときかな。全然、こんなに居坂幸太郎って言ってわかってもらえるようなレベルではなかったときだったんですけど、
そのときたまたま大学受験を控えてたのかな。本屋に参考書買いに行ったんですけど、ハードカバーだったんですけど、ピエロが飛んでる絵なんですよ。
ジャケットが。それ見て、なんかちょっと面白そうだなと思って買って帰って読んで、めちゃくちゃ面白いなと思って、その後に面白かったから図書館でラッシュライフかっていうのを書いて読んだんですけど、それも面白かったんですけど、その後デビュー作のオーディボンの祈りっていうのを読んだら、
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デビュー作がそのときは一番面白いなと思ったんですけど、そっから面白いなと思ってて、大学受験控えた学生だったんで、お金ないから買えないじゃないですか、その本とか。
で、そのときによく覚えてるのは池袋の純工堂さんに、なぜか居坂幸太郎の新刊が入るとサイン本だったんですよ。
だったんで、そのアヒルトカモのコロンロッカーってやつと、陽気なギャングが地球を回すと、あともう一冊ぐらい?魔王?魔王じゃない?魔王だったかな?サイン本で買ってて、ってなるとなんか話も面白いし、なんか珍しいサイン本も手に入っちゃったし、
あのそのとき泣けなしの小遣いを、そこに。そのときね、一応朝バイトしたんだけど、デニーで。なんですけど、それで稼いだちょっとお金とかをそこに使ってしまって、なんかハマっちゃったんですよね。
で、自分の中で、多分そこから15、6年?まあ今もとりあえず新刊出たら買ってるんですけど、なんか居坂幸太郎の本はもう必ず読むっていうこの価値観が生まれていて、で、最初やっぱちょっと表紙見てなんかちょっと面白そうだなと思って緩く入ってきたものが、もう気づいたらものすごい自分の中で強いものになっていったなっていうのはあるので、なんかやっぱ本ってこういう風に好きになっていくんじゃないかなと、ちょっと思った次第です。はい。
じゃあ居坂幸太郎、最初に読むきっかけみたいなところに、その居坂幸太郎作品の魅力というか、まあそういうところが。いやきっかけはマジでね、あの表紙だったんですよ。
なんかすごいあの自由にこう、まあ知ってる人は知ってるかもしれないですけど、なんかちっちゃい人形みたいなピエロが飛んでる。文庫も一緒だと思うんだよね。
ちなみにそれ初版でしたね。だから全然内容とか何も関係なく16ピエロっていう、あ、でもなんかもしかしたら帯にちょっとやられた可能性はあるんだけど。どんな帯だったか覚えてないけど。
じゃあ表紙のなんだろう、世界観というか、そういうのが好みだったとか。そうですね。そういうことなんですかね。
あと、まあ読んでるうち、読んでる途中、作品を知る中だと思うんですけど、その時まだ本当にみんな居坂幸太郎知らなかったんですよ、周りが。
だからなんか自分だけ知ってるすごい面白い作家感があった。 あ、なるほど。メジャーになる前のバンドを見つけた。
バンドでもそうなんだけど、売れ出すとちょっとなんか、なんか知らないけど、居坂幸太郎今はそんな読まなくなっちゃってるからなんだけど。なんかそういうのあるよね。
うん、そうですよね。何なんだろうね、あれもね。ちょっとそれも一回掘ってみると面白いかも。そんなところにしておきますか。
Bさんのなんか好きになったきっかけを教えてください。わかりました。そしたら、ちょっと2冊あって共通してるところがあるので、まとめて言ってしまおうかなと思いまして。
僕の場合、結構本当にちょっとした好奇心がきっかけになって、本がすごく好きになったというのがありまして。
1つがロレンス・ダレルというイギリスの作家が書いたアレクサンドリア・シジューソーという、僕の好きな小説のトップ3に入っているものなんですけども、
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これ確か十数年前に、解約で発売されたんですけども、単行本が。池澤夏樹さんが確か新聞の書評欄に書いていて、
そこで若い時にこの本に魅了されて、実際にアレクサンドリアに自分は行ったというのを書いていて、そこにちょっと惹かれたんですね。
タイトルのアレクサンドリア・シジューソーという名前からして面白そうだし、池澤夏樹さんが実際にその本読んで影響を受けて町に行ってしまったっていう、これはすごく面白そうというので読んだんですけども、
そこで最初はそっちの好奇心ですね。何かタイトルであったり醸し出しているエキゾチックな響きというか、ここに惹かれたんですけども、
実際読んでみると、すごくロレンス・ダレーという作家の文章が本当に上手で、またそれを翻訳している高松裕一さんという人の日本語の文章もとんでもなくすごいと思っていて、
その文章が書いているアレクサンドリアというのが確かにすごく魅力的に思えて、内容豪華という、本当にその文章というところにすごく惹かれたんですけども、それ以来自分好みなその文章というかですね、
何かそういうのにちょっと出会ったような気がして、いろんな本を読む時でも本当に好きになるような本って、結構その文章が自分好みかどうかというところがあるなぁと思っていて、
何かそういうのに自分の中で気づけた一冊目というので、アレクサンドリア氏ですので、何かそんな自分の中では文章がどうこうとか全然考えてなかったんですけども、
生沢夏樹さんの書評を読んだきっかけで、まさかそっちの自分の好みが見つかるなんていう意外な、そんなのがあったりするので、もう一つちょっと続けて話したいなと思うのが、
ロベルト・ボラーニュという、これはチリの作家が書いた2666というすごい長編小説なんですけども、実はこれ、うちの母親が図書館で借りてきた本で、もう確か十数年前から、数年前からそのくらいだと思うんですけども、
これもおそらく母親が新聞の書評欄とかそういうのを見て、なんとなく面白そうと思って借りてきたと思うんですけども、ただそのすごい分厚くて、
9百何十ページかあるんですね。図書館で借りれる記念が2週間で、ちょっと読むのが難しいというので、ちょっと僕の手元に母親から届いて、自分が読めないから代わりに読んでみたらどうという感じで渡されてですね。
突然渡された本ではあるんですけど、確かにその本の紹介のところとか読んでると面白そうだな、結構僕は南米の世界観というか、そういうのはもともと好きではあったので、
そういう面白そうだなと思って読んだんですけども、これもそのボラーニョがすごいやっぱり面白い話を書く作家で、読んでいくうちに一気にハマってもう1週間ぐらいで読んでしまったんですけども、
そこで世の中にこんなに面白いプロセスがあるんだというのをすごく驚いて読んで、すごく興奮しながら読んだなと覚えています。
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で、このボラーニョの世界観というのは中南米であったり、ヨーロッパが舞台なんですけども、そういう点では日本で住んでいて、実際の生活とはすごくかけ離れた世界のことを書いてるんですけど、
ボラーニョが書いてるこのユーモアなところであったり、ちょっと裏社会的なブラックなところであったり、そういうのがですね、自分の中に残っていて、
何かその自分が生きていく中で、ボラーニョっていうのはもう多分消えないんだろうなぁと思って、自分の中に何か残っている、そういう作家なんだなぁと、
その本当に興奮しながら読んでその時思ってですね、そういったときにはすごく、本当に生きていく上で重要なものになったんじゃないかなって思うぐらい影響を受けた本になりまして、
これも本当にきっかけは本当にちょっとしたことなんですけども、やっぱり読んでみるとすごく大事なものになったなという、そういう本ですね。
2666をお母さんから渡されて読むっていう家庭がすごいですね。
そこが一番面白かったけどね。
この時もね、僕一人暮らししてたんですけど、たまたま家にお母さんが来たときに、そうなんですよ、図書館で借りたけど、こんなの読めないからというので持ってきた本ですね。
みえさんはここで、アレクサンドリア・シジューソーとかをきっかけに、文体っていうのに注目するようになったわけですね。
そうですね。自分が何が好きかっていうところで、文章とか文体とかそういうのだなというのに気づきましたね。
みえさんとラジオやっていろんな話を、作品の話をしてると、結構その文体とか文章の話をすることがやっぱり多いから、そこはすごく注目される方なんだろうなと思う。
やっぱりそれって予期せぬ形で入ってきたところが、みえさんの中で強くなってきたってことですよね。
今まで読んできた本とは、ちょっと違った文章を書いてる作家かなと思っていて、ダレエルもボラジオも、そういうところでインパクトをすごく受けたなという感じです。
読むつもりがなかったというか、なんていうのかな。
どっちも、多分今だったら、例えば3体とかはもうさ、リュージキンの小説とかはさ、とりあえず出たら読もうみたいな気持ちが絶対今あるじゃん。
でもこの時は全然、ロレン・ダレルもボラジオも、たぶんみえさんの人生の中で読む予定が組み込まれてなかったものが入ってきてるってことだもんね。
それで全然違うものと出会えるってことだもんね。
そうですね。きっかけは本当に弱い文脈だと思うんですね。ちょっとした本当にワクワクした心っていうのがあったんですけど、実際はだんだんそれが大事なものになっていくっていう感じでは。
でもやっぱりそうやって好きになるとなんかハマっちゃいますよね、不思議と。
最初の目的は本当に面白いものが読めたらいいなぐらいの軽い目的だったと思うんですけども、
読んでいるうちにだんだんちょっと違う方向に自分の意識が傾いていくというか、そういうのが本のいいところかなというかちょっと思いましたね。
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そうですね、そうなんだよな。なんかやっぱりそうだよね、今話してて思ったけど、本って予告編がないからさ、映画とかと違ってさ、読むまでわかんないから。
だから読んでドハマりするかそうでもないかってのはどんどん分かれていくよね。
そうですよね。本に関しては本当に自力で急かすのもあると思うんですけど、結構人からの紹介とか、そういうのに出会うのは多いと思うので。
どうやって好きになっていくかっていうところからちょっとずれちゃうけど、多分人から勧められたものであれ、誰かから渡されたものとか、たまたま自分がちょっと見かけたものを取ってあれ、なんでもそうなんだけど、
結局本って読まないとわかんないから、多分自分で好きになっていく感が強いものなんだろうね。
そういう感覚が結構俺は好きなので、本にハマっちゃってんだろうなってちょっと今思った。
それはあるかもしれないですね。やっぱり好きな小説とかって、読む前と読んだ後で全然思い描いていたものが違ったりするんですけど、そういう本が好きになりますね。
3体もそうだったと思うんですけど、最初は面白いSFがあるっていうので、1巻目を読んだ時、単純なSFではなかった。
予想裏切られるほど面白かったんで。
どうしよう、とりあえず時間も来てるからこの辺でまとめておきましょうか。
まぁでもまぁちょっとまとまったかもしれないから、ちょっとこれぐらいにしておきましょうか。
で、ちょっとチャットを見てみると。
どうもありがとうございます。
結構感想を見えたものが多いな。
参加されている方からチャットでいただいていることで、弱い文脈で読むかっこ受信ことはできなくはないのですが、それを書いている話したり発信しようとすると強い文脈を意識してしまいます。
孤独を恐れずにという姿勢を持ち続けていくには結構強い自分が必要なのではないでしょうか、というコメントをいただいていて、
すごく共感するんですが、俺たちもビビりながらね、ラジオを発信してるからね。
自分の日記に書いたりするとかだったらね、もうこんなことってないんですけど、やっぱり人に向けて発信ってなると、確かに強い姿勢。
でも私さっき紹介したこのコンテクストデザインって本を読んだ時に、一番なんかホッとしたのが、その孤独のところで、なんか孤独を恐れなくてもいいって言われてる気がして、この本から。
何かを、作品を自分のこととして語るときはいいっていう、なんか何だろうな、孤独を恐れなくてもいいのかなっていうことをちょっと自分は感じたので、ちょっとなんか気持ちが楽になりました、この本を読んで。
そうですね、まあ確かに。あと発信もその感想とかを発信するのと、なんかその評論を発信するのとではまた違うかなと思うんで。
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自分がどう思ったかとかだったら、やっぱり自分の素直な気持ちを発信できるといいなと思うんですけどね。確かにでもね、そういうのも気にしちゃいますもんね。
でも一方で多分、すごく孤独っていうか解釈の幅、孤独と解釈の幅がイコールかイコールじゃないかちょっとわかんないんだけど、解釈の幅がある作品、孤独しやすい作品っていうのが、個人的にはすごくいい作品ではないかなとは思うから。
あんまり孤独恐れずに突き進むというか、いろいろ考えてみるのが、まあ発信するかしないか置いておいてあれかもしれないですけど、大学入社の時に現代文でさ、この時のこの人の気持ちを何か答えよみたいな問題とかあるじゃないですか。
あれって何だか孤独しないように読まなきゃいけないかもしれないけど、でも文学作品って孤独してもいいものだと思うので、何かああいうのと真逆にあるんだろうなとちょっと思いましたね。
確かに。まあそもそも文学作品だったら、いろんな読み方あるほうが、むしろ自然なのかなっていうのは思ったりしますよね。
ちょっとそのとこでいいコメントいただきましてありがとうございました。じゃあちょっと最後ですね、このまま次回予告しちゃいましょう。
次回予告させていただきます。次回は2022年2度目の回となりまして、こちらもですね作品紹介はない予定でございます。
年始の収録一発目ということで、こちらの方はちょっと年始感出るんじゃないかなと、我々のラジオ、また私と三重さんの活動についてちょっと話すことになると思うので、ぜひお楽しみにしていただければなと思います。
それでは番組の関数やリクエスト、またこのラジオを聞いて紹介された本を読みました、読み返しましたでございましたら、ハッシュタグ空飛猫たちをつけて教えていただけると嬉しいです。
ツイッターやインスタのDMやリプライなどでもお待ちしております。メールアドレスも番組情報欄に載せておりますので、せっかく的に拡散共有したけれど助かります。ではまた。ありがとうございました。
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