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2023-03-06 53:26

第110回 ルーツをめぐるオートフィクション「ポーランドのボクサー」エドゥアルド・ハルフォン 著

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【今回の紹介本】

■『ポーランドのボクサー』エドゥアルド・ハルフォン 著 松本健二訳 白水社

少数派として生きる人々との出会いを通じ、自らのルーツとアイデンティティを探し求める

ラテンアメリカ文学の新世代として、国際的な注目を集めるグアテマラ出身の、鬼才による日本オリジナル短篇集。

是非お聞きください!

【番組内で紹介したトピック】

■『ポーランドのボクサー』エドゥアルド・ハルフォン 著 松本健二訳 白水社

https://www.hakusuisha.co.jp/book/b222652.html

【文学ラジオ空飛び猫たちを初めて聞く人向けのnote記事】

声で届ける文学!Podcast番組「文学ラジオ空飛び猫たち」おすすめエピソード特集

https://note.com/cafecatwings/n/nab636ad54a35

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【文学ラジオ空飛び猫たちとは】

硬派な文学作品を楽もう!をコンセプトに文学好きの二人がゆる~く文学作品を紹介するラジオ番組です。

案内役の二人は、 東京都内で読書会を主催する「小説が好き!の会」のダイチ

京都の祇園で本の話ができるカフェを運営する「羊をめぐるカフェ」のミエ

文学のプロではない二人ですが、 お互いに好きな作品を東京と京都を繋ぎ、

読書会のようなテイストで、それぞれの視点で紹介していきます!

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#本 #小説 #読書 #読書会 #文学 #海外文学 #ブック

00:01
文学ラジオ空飛び猫たち。 少数派として生きる人々との出会いを通じて、自らのルーツとアイデンティティを探し求める。
ラテンアメリカ文学の新世代として国際的な注目を集める グアテマラ出身の記載による日本オリジナルの短編集
ポーランドのボクサーを紹介します。 どうも皆さんこんにちは文学ラジオ空飛び猫たちです。
この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな二人がゆるーくトークするポッドキャストです。
お相手は、私小説が好きなおかえりのダイチと羊をめぐるカフェのミエの二人でお送りします。
文学のプロではない二人ですが、東京と京都をつないでお互いに好きな作品をそれぞれの視点で紹介していく番組です。
今回紹介するのは、エドワルド・ハルフォンのポーランドのボクサーになります。松本賢治さん役で白水社から2016年に出版された本になります。
こちら、我々がいつも暑い暑いと言っている日本法薬大賞受賞作品でございますね。
第3回ですね。
第3回といえばですね、私が大好きなアンソニー童話の全ての見えない光も受賞した時ですね。
だからこの2冊が受賞作だったわけですが、存在はもちろん知ってましたが実は未読でして、今回読んですごい作品だったんで、
冷静に考えれば全ての見えない光と同じくらいすごい作品であるのは間違いない。
なぜ今までスルーしてきたんだっていう後悔が滲んだ作品ですね。
短編集なんですけど、1本目からかなり面白い作品が入ってきてるんで、すごい作品だなと思いました。
みなさんこれ知ってたよね、もちろん。
これは僕はもう発売当初に購入していて、翻訳が松本賢治さんで、ロベルト・ボラーニョ、僕の好きな作家の翻訳とかしている人の最新の翻訳が出たというので、
しかもちょっと内容を見ると結構面白そうで、なんかボラーニョに通じそうなものがありそうというので注目をしていたんですけども、
これを読むとですね、多分6年くらいから買ってその続きがしたままだったんで。
2016年だもんね、発売がね。
人生のどこかで読まないといけないなと思いつつ、ちょっと読めてなかったんで、今回すごい良い機会にちょっと読むことができましたね。
で、ちょっと今回何紹介しようかってなった時にめいさんがポンってこれでっていう話をいただいたので、私もそれですぐ買って。
今回に関してはやっぱり前回紹介した雨に打たれてという作品が作者の自伝的要素があるというのはオートフィクションの形の作品で、
03:06
しかもねちょっとその戦時中の時代背景というのもあって、だからそこと今回のポーランドのボクサーは重なるところがあると思ってですね。
一方はスイス、一方はグアテマラというですね。なかなかちょっと土地柄も面白そうというので、今回これにしましたね。
なるほど。ちょっとね、この実は収録が今回雨に打たれてとポーランドのボクサーを同日に収録してるので、ほぼ同時期に今回読んでるんですけど、
これが良かったのか悪かったのかがね、ちょっと未だ判断がつかない。
混ぜるのは危険だったのか、比較してオートフィクションに関しての解像度が上がったのか、ちょっと現段階ではまだ判断できないけど、
昨日の構成案を書いた段階で結構なんか自分の中で混じっちゃったなっていう感じは正直ちょっとあったけどね。
まあでもそこも続けて聞いてくれてる人は楽しめるんじゃないかなと思いますね。
あと表紙から、表紙というかタイトルも含めてか、このポーランドのボクサーっていうのが表紙がね、もう完全にポーランドのボクサーみたいな人が通し抜き出しにした絵が書かれていて、
この絵とタイトルから受ける印象と内容がですね、結構違うんで、ちょっとこれ毎回我々キャッチコピーつけてますけど、エピソードの時に。
ちょっと今から考えておかないと、ちょっといいやつがつけられないんじゃないかなっていう。
そうですね。これちなみにボクシング小説ではなくてですね、このポーランドのボクサーというのは結構精神的な部分でちょくちょく出てくるんですけども。
でも重要なキーにもなってはいるんだけれども、なんかバリバリボクシングやりますみたいな、そういうタイプの。
あ、ていうかボクシングシーンなんか一回も出てこない。
そうですね。ポーランドのボクサーだった人がちょろっと出てくるだけなんですけども。
なのでちょっとこのタイトルと表紙との相互をですね、どう埋めて伝えるかっていうのは最初ちょっと非常に重要なんじゃないかなと思いましたね。
間違いなくいい作品なので、なんか多くの人には手を取ってもらいたいんだけれども、発売から時間経ってるけれども。
ここはキャッチコピーどうしよう問題がかなり浮上してますね、私の中で。
ちょっと考えないと。
収録から多分これ配信されるのいつなんだろう、結構先になるんで、その時までには考えつきたいなと思ってますけど、
どんなキャッチコピーをつけてるか配信されてる時聞いてる皆さんはもうわかってると思うので、
どういう思いでつけたのかなみたいなのを想像してもらえると助かります。
でハードル上げるっていうね。
キャッチコピーいつもはね、あれなんですよね。
ほんと配信の直前にねギリギリで、これかなみたいなものをね、出し合って決めるんですけど。
だいたい日曜日の夜に決めるからさ、俺編集終わって結構頭がもう疲れ切ってて、
みえさんカフェの営業終わって疲れ切っててみたいな時が多分あるから、結構勢いで決めてるところがあるからね。
そうね、なんかじっくり考えてってなかなかねできてないんです。
06:02
まあでも今回はね、時間がちょっとあるんで。
いや今回ちょっとちゃんとここはした方がいい。
しないとちょっと伝わるものも伝わらなくなる気がする。
そうですね、これ間違えてね、ボクシング関連のキャッチコピーとかつけてたら面白いですよね、ここまで喋ってて。
迷いに迷ってそこなんだみたいな。
ちょっとそこもちょっと考えていきましょう。
で、今回なんですけど、ポーランドのボクサーなんですが、実はですね、これ、
ポーランドのボクサーっていうのはもちろんですね、グアマテラ本国でも出版されてるんですけれども、
それとは内容がかなり違った日本オリジナルの作品となっております。
作者のエドワールドさんがですね、書いた3つの短編集を1つにした本でして、
しかも例えばこのポーランドのボクサーから始まって、もう1個の短編集、もう1個の短編集みたいな感じで、
ちゃんと区切られてるわけじゃなくて、その中でもシャッフルされて並び替えられてるっていうですね、
日本でしかないオリジナルの短編集となっております。
結構独特な作品ですね。
ではですね、著者のエドワールド・ハルフォンさんについて紹介したいと思います。
1971年、グアテマラシティ生まれて、中南米の国の生まれの人になります。
両親ともにですね、ユダヤ系のルーツを持っている方になります。
内戦があった国ですので、10歳の時に一家でアメリカに移住して、
そのままアメリカの大学で学ぶんですけど、社会人になってグアテマラに帰ってきて、
このグアテマラの大学で文学を教える、大学の教員をしながら執筆活動を書いた作品で注目を浴びて、
2007年の時には、39歳以下のラテンアメリカ文学の注目作家を一人に選ばれて、
その後ですね、ポーランドのボクサーが国際的な注目を集めて、
世界的な境になっていたという方になります。
その後ですね、今回の日本オリジナルのポーランドのボクサーに収録されている中編小説、
ピルエットや、を出してですね、いろんな賞を取って、
その後シュードインという作品も出版して、
ポーランドのボクサー、ピルエット、シュードイン、この3作で今回ですね、
日本のオリジナル短編集が組まれたというですね、ちょっとそのような作家さんになります。
グアテマラ出身の作家って、多分初めて読んだと思います。
僕も初めて読んでですね。
でも全然読みやすかったけどね。
そうですね。
経歴としては面白いですよね。
一回理系かな、工学部の方に行ってから文学に転校するっていう、
たまにあるタイプの方ですよね。
経歴だけいうと、そうなんだという感じなんですけど、
この作中で結構自伝的要素も多いんでね、
この主人公が文学やり直した話とかね、
そういうのすごい面白かったです。
作品紹介に移っていきたいと思います。
ラス字を引用させていただくと、
少数派として生きる人々との出会いを通じ、
09:03
自らのルーツとアイデンティティを、
独特のオートフィクション的手法で探求する
十二の物語。
ポーランド生まれの祖父の左腕には、
色あせた緑の五桁の数字があった。
アウシュ・ビッツを生き延び、戦後、
グアテマラにたどり着いた
祖父の物語の謎をめぐる表題作法家
異色の連作十二編。
ラテンアメリカ文学の新世代として、
国際的な注目を集めるグアテマラ出身の記載。
初の日本オリジナル短編集。
となっています。
このあらすじからですね、
あまり分かることがないので、
オートフィクションだなっていうところと、
祖父がですね、左腕に数字が刻まれていて、
それがですね、実はアウシュ・ビッツの記憶と
結びつくという作品になっております。
じゃあちょっと具体的に話をしていきたいんですが、
まずですね、何を置いてもですね、
ちょっとこのオートフィクションの話は
今回避けれないので、
オートフィクションの話をしていきたいと思います。
今回のおそらくちょっとまだ収録が始まったばかりと言えば
始まったばかりなんで、
あれなんですが、おそらくなんですけど、
最初この辺の話が厚くなって、
ストーリーに関してはですね、
そこまで深く話さなくてもいいかなと思ってます。
というのは、前段のこの魅力みたいなところが伝われば、
おそらくもう読みたくなると思うんですね。
なんで、ここをちょっと厚めに
いきたいなと思っております。
ストーリーに関してはもう
さらっとしていきたいなと思っています。
そんなわけで、
オートフィクションの話をさせていただきたいんですが、
オートフィクションというのはですね、
まず言葉の意味としては、
オートは自分自身という意味です。
結構古くからある文学のジャンルの一つではあるんですが、
要は作者と語り手、視点ですね。
小説の中の視点が同一人物であり、
自伝的要素を入れながら作り上げていく物語、
フィクションとなっています。
日本語で言う詩小説と訳されることが多いです。
詩小説とはちょっと自分のイメージなんですけども、
結構古くからあって、
太宰治のイメージがすごく強いですね。
最近だと金原ひとみさんが
オートフィクションというタイトルで
詩小説を書いていたっぽいんですが、
ちょっと私未読なので内容わからないんですが、
まあおそらく詩小説なんだろうなと思います。
海外だと去年ノーベル文学賞を受賞した
フランスのアニエルノなんかも
オートフィクションの作家としては知られています。
今回ですね、ポーランドのボクサーの
役者あと書きにも出てきたんですけど、
ノルウェーのカール・オーベ・クラウス・ゴール
という方がいらっしゃるんですが、
これノルウェーでめちゃめちゃ売れている作家ですね。
売れすぎちゃって、
ノルウェーに住めなくなった作家ですね。
この我が闘争っていうのを
私第1部だけ読んでるんですけど、
これぞオートフィクションと言われている作品で、
本当自分の人生を全部書き切ろうという
勢いを感じる全6部作かな、
の作品なんですけど、
日本では確か2部までしか
訳されてないかな、現状で。
この方にめちゃめちゃ今回の
エドワルドさんは近い感じがしました。
前回のアンネマリーの雨に打たれて、
12:02
オートフィクションとしては
書かれているかなと思うんですけれども、
全然ノルウェーの
カール・オーベ・クラウス・ゴールに近い感じがします。
というのは目にしたもの全てを
描き切ろうとするような
姿勢があって、スタイルがあって、
これがそのまま描いていく感じ
があるんですよ。
これは雨に打たれてはもちろん
自然的なこととか見たことを
描写しようということはあるんですけど、
それよりは何ていうのかな、
本当見たまんま、
細かいところから描いていく感じがあって、
そうするとですね、
この作者の人生っていうものが
全部浮かび上がってくる感じがしていて、
この作り方は独特だなと思いました。
この我が闘争を読んだ時もですね、
このあたりはすごく強く感じたんですけど、
個人的にはこの描き方によって、
原稿化しにくい自分の感覚とか、
感情とか状況なんかを
原稿化しないことで
さらけ出すことに成功している気がしていて、
これはですね、
我が闘争を読んだ時に
一番感動したポイントで、
今回もですね、同じく感動したポイントですね。
多分文学ってこういうものなのかもしれないって
自分はちょっと思ったところはあります。
なんか言語化しにくいことを、
言葉を使って、
言語化してないのに、
言葉で表現しているみたいな。
なんて言っていいのか。
でもこれってやっぱ小説にしかできないことだなと思ってますね。
それは直接的に言うわけじゃなく、
物語としてとか、
比喩表現としてとかで。
そうそうそうそう。
比喩表現っていうか、
見たまんま描くから、
多分ね、
多分なんだけど、
エドワールドさんは多分ね、
究極もしかしたら言語化したくない人なのかもしれないと思ってて、
言葉にしないで伝えたい人なの。
しかも言葉を使ってみたいな。
そういう匂いがする。
ちょっとややこしいですね。
なるほどね。
なんかこれ伝わるか伝わらないか
すげえ分かんないと思いながら話してるけど。
主砲は小説なんで、
言葉は使うんですけど、
でも本当にもしかすると、
これだっていう、
言葉っていうのは使ってなくて、
うんうん。むしろ避けてるんじゃないかな。
多分。
うん。
分かんないけど。
ちょっとミニさんがどう感じたか分かんないけど。
そう考えたら結構なかなか面白いですね。
僕ちょっとそこまではイメージできなかったんですけど。
うんうんうん。
いや多分これね、
我が闘争を読んでるから感じてるんだと思う。
すごく似てるから。
このやり方めちゃめちゃ好きなんだけど、
おそらくね、
人物になっちゃうんだけど、
どうでもいいこともね、結構多く書かれてるんですよ。
なんか正直無駄でしょって思うようなことも、
多分書かれてると思う。
だから人によってはね、
多分もしかしたらすごく洗練されてない印象を
受けるかもしれないなとは思います。
なんでこここだまんのとか、
ポーランドの僕さんは物語の進行上とか、
15:00
伝えるべきポイントっていうのを整理していくと、
絶対不必要な描写っていうのはすごくあると思います。
例えば、
移動中見てるものとか、
なんだけど猫が出てきたりしたんだけど、
猫が動くのか動かないのかみたいな、
ずっと見てるみたいな。
あの猫は死んでるんだろうか死んないんだろうかみたいな。
ぬいぐるみなのかみたいな。
そういうのを考えながら見てるシーンとかあるんだけど、
物語の進行上ちょっと必要だった部分では
少しあるんだけど、
でもそこをそんな細かく書かなくてもいいわけだし、
逐一書いてる感はある。
そういう意味では、
もしかしたら洗練されてない印象を受けるかもしれないけど、
自分はやっぱりこれによって
成功してるものがたくさんあるなとは
思ってるので、
この書き方は結構好きなんですよね。
なんか自分がたまに小説を書くときに、
なんかこういうことをしちゃうんですよね。
そこを割と実体験の、
実体験ってあれね、
感情の動きじゃなくて、
自分が置かれてる場所っていうか、
例えばバスに乗って移動してるときに
見たものとかを書いたりして、
そこを足掛かりに
リアリティを持たせてるみたいな感覚はすごく
自分が小説を書きたいなと思ったときには
使うやり方が多いかなと。
うんうん。
で、これでやっぱ上手くいってる人たちっていうのは
すごく信用してしまう部分がどうしても自分はあって、
もしかしたらちょっと他の小説を
たくさん読んでる人たちは
感覚が違うかもしれないけど、
俺のと思ってるけど、
でも俺はこういうやり方好きだね。
うんうん。
ある意味ね、確かに自分を
さらけ出しているっていうのは、
そういうことだと思いますしね。
無駄あるのかもしれないけど、
見たものを思ったことを書いていくっていう。
うん。
ちょっとこのオートフィクションのやり方っていうのは
なんかちょっと他のオートフィクションとまた違う
オートフィクションだなと思ってますね。
僕はポーランドのボクサーを読んで思ったのは
オートフィクションなんですけど、
すごいスケール大きいと思いましたね。
うんうんうん。
どこまでが自伝的な話で、
どこまでが完全な創作かっていうのは
わからないんですけども、
特に収録されている中編2つ、
ピルエットとシュードインという作品は
最終的にそんなところに行くんだっていう
ところにたどり着いていてですね、
2つとも。
これが書けるっていうのは、
これ本当にあったらすごい話だと思うんですけど
うんうんうん。
特にピルエットそうですけど。
ピルエットね。
これが創作でやったとしても
すごいと思うんですね。
自分の自伝的なものを書こうとしたときに
そこまでのスケールを生み出せるかっていうところがですね、
この辺はやっぱり
想像力、
自分のスケールを
この辺はやっぱり
想像力なのか、
もうちょっと違う部分もあるかもしれないんですけども、
僕そういうのすごい好きで、
ちょっと思い出したのは
バスク文学のキルメン・ウリウェーという作家の
ムシェという作品ですね。
ムシェ、小さな英雄の物語。
これもオートフィクションで
自伝的要素が
あるんですけど、
結構ですね、世界が広がっていく感覚が
あるような作品でですね、
スケールが大きかったんですけども、
そういった点ではね、
そことちょっと近いと思うところもあって、
18:00
僕もすごい好きなタイプのオートフィクションの
作風でしたね。
ちょっとムシェ、私読んでないんで、
これも日本翻訳大臣賞してるから、
いつか読もうと思って積んでますけど。
なるほど。
わかりました。
ちょっとこの辺りのことも踏まえて
読んでみると、たぶんね、
いろいろ見えてくるものがあると思います。
でも、ちょっとここの話
続けちゃうとあれなんだけど、
例えばさ、これどこまでが
フィクションで、どこまでが自分の
体験したことなのか、自分が
見たものなのかっていうのがちょっと曖昧っていうか
境界線がわからないじゃないですか、読んでる側は。
で、この
例えばこの、自分のことだけ
描いてるわけじゃないじゃないですか、
この例えば、ストーリーで話すけど、
ミランっていう人物が出てきたり
とか、いろんな人物が出てくると思うんですけど、
そうなるとなんか、
この人たちってどこまでが
この現実の
この人で、どっからが虚構の
この人でみたいな、境界線が
わかんなくなる感じも、たぶんすごく
面白いんだと思う。
で、ちょっと次の話に移って
いきたいんですけど、これはですね、
12本かな?の短編が
入ってまして、で、
もちろん一つ一つが
独立しているようで、全く独立しない
タイプの話が連なっていて、
明らかに次の話の
不責になっているような文章も
あれば、ほぼほぼ独立
しているな、みたいなものもあったり、
あと、完全に違う話を保管する
役割を持った短編もあります。
で、前段でも述べた通り、
2本オリジナルの短編集で、
ポーランドのボクサー、ピルエット、
修道院という3つの短編集を
再構築して、
一緒にしちゃった上、並べ替えて
一冊にした作品です。で、これ並べ替えるときに
おそらく話が理解しやすいように
並べ替えていると思うので、
たぶん3つを個別に読むよりも、
このエドワルドさんが描きたいもの
というのを理解するのには、かなり役立っている
構成なんじゃないかなと思います。
僕も思ったのは、
読みやすさというか、最後の
読み終わったときの感覚は、
並べ替えたほうが絶対良かったと思いましたね。
1個1個順番にくるり、
同時進行に
3つが進んでいくような感覚があって、
その辺、
これ多分意図してたところかもしれないですけど、
今回の
この再構築した
というところは、すごいね、
最高だったなと思ってますね。
これ原作通りの順番だったら、
わけわからなかったかもしれない。
そうですね。1個1個がちょっとね、
こじんまりと受け止められたかもしれないですけど。
そうかもしれない。
確かに。
ポーランドのボクサー、これで終わり。
ペルエット、これで終わりみたいなね。
1個の流れというのはちょっと見えなかったかもしれないですね。
そうなんですよ。だから、
この3つをうまく並べ替えることによって、
このいくつも分かれた物語がですね、
この語り手、エドワルドさんのアイデンティティを
ぐっと浮き上がらせることに成功していて、
そのなんか、
味わい深さみたいなのは、
非常に感じることができる1つでしたね。
で、基本的には結構
特評してもないことも多少あるんだけど、
おそらくほぼ、作者の方、エドワルドさんが
体験したことなんじゃないかなと思います。
21:00
なので、非常に自分のアイデンティティに
深く結びついている出来事を
描いてるんじゃないかなと思います。
で、その中でですね、やっぱり結構この
ポーランドのボクサーっていう話の中で出てくる
大きなキーとなるのは、
ユダヤ系のルーツがあるんですけども、
ユダヤ人の祖父がですね、
アウシュビッシュで
捕らえられていて、
そこから生き延びたということ。
これにポーランドのボクサーというのが
非常に絡んできて、タイトルにもなっているんですけども。
あとはやっぱりこのジプシーの
音楽との出会いとか、
妹の結婚式に出るために訪れた
イスラエルで出会った女性なんかの話が
色々語られていて、
そこと対面することによって、
自分とは何なんだろうみたいな部分。
そこで彼が考える
自分のアイデンティティみたいなもの。
でも正直これは答えはないんですけど、
答えはない中で、
自分とは何だっていうことを探っていく過程
っていうのが描かれている作品ですね。
個人的にはすごく
惹かれてしまった部分は、
この主人公の視点なんですけど、
エドワルドさんの視点だと思うんですけれども、
自分のスタンスを決められないように
自分は見受けられました。
なんだろうな、
明確にこうしたいとか、
こうありたいとか、
こういう自分なんだみたいなものっていうのは
なかなか決められなくて、
相手に対しても
こうあってほしいみたいなことも
なかなか決められない。
そんなふうな揺らぎのようなものを
持っていて、
もしかしてこれは
エドワルドさんがですね、
ユダヤ系のルーツなんかがあると思うんですけども、
そのルーツをどう捉えていいかわからないのかもしれない。
どう捉えていいかわからないと思っていることに
起因するのかもしれないと思いました。
これがですね、
作中結構繰り返し描かれるので、
自分は結構ここがフックになって、
この物語の中に、この小説の中にですね、
惹かれてしまったところではあるなと思います。
で、正直ちょっとこう
揺れ動かされ続けた感があるので、
一度読んだだけではですね、
ちょっと読み取れない部分は
多かったんじゃないかなとは思います。
ハルフォンさんの
アイデンティティの部分でちょっと思ったのは、
もしかすると、
グアテマラにいたら
自分が何者かよく分からないまま、
だからルーツを
巡ったり、ジプシーの
音楽に惹かれて
外に出たり、妹の結婚式は
偶然というか、
そこも宗教が
かなり絡んできて
いますけど、ユダヤ教という
そこの問題提供されたりとか、
そういう意味では面白いなと思ったのは、
グアテマラにいたら起きないであろうことが
違うところに行くと
起きる、自分のアイデンティティを
考えさせられるみたいなのが
あって、こういうのは
ドラマがあって、どの短編もね
もしかすると共通しているところがあるんじゃないかな
と思うんですけども、やや
読み応えがありましたね。
たぶんこういう
感覚を持っている方っていうのは
たぶん一定数いるから
すごくそれで評価されたりとか読まれるんだろうね。
このエドワルドさんね。
人間のね、ちょっと
もしかすると
24:00
何かの顔を持っているのかなと思うところがあって
中の
ハルフォンさんがグアテマラにいるときって
後でストーリー紹介する
カナタノっていう作品は
グアテマラの中にいる話で
そんなに、なんていうんですかね
ハルフォンさん自身はそんな深刻な話ではないんですけども
でも
やっぱり違う話になって
もっと自分のアイデンティティを
揺さぶられるような出来事に
直面していくと
キャラクター性がね、若干変わっていったり
するのかなと思うんで
そういう人の持っているいろんな一面っていうのが
見えるなというのは
やっぱりこの短編集という形でちょっと思いましたね
そうですね
じゃあちょっと具体的にストーリーいきましょうか
これからちょっとストーリー話しますが
まずですね、最初に
この短編集の一番最初に入っている
カナタノっていう短編をご紹介します
これが一番非常に
この作品の中では
割りかしシンプルで
これがだけ独立しても非常に楽しめる
かつめちゃめちゃいい短編だったので
これ読んだ時に
めちゃめちゃこの小説
ヤバいと思いました
そうですね、それは本当に思いました
一発目からこんな
いいやつくんの?みたいな
この作品が一番付箋張ってますから
あーわかるわかる
俺も最初から全然張り巻くつったから
ヤバいなこの本と思ったんだけど
その後ね、ちょっと
もっとグッとこのエドワルドさんの
アイデンティティに関わる話が
続いていって
そのあたりもちょっと
いくつかの作品またがって紹介して
今日はこの作品紹介していきたいと思います
じゃあまず
そのみえさんも
大絶賛のカナタノを
ちょっとご紹介したいと思いますね
じゃあちょっとあらすじを
グアテマラシティの大学で
短編小説の授業を講じる
私は隠れた死の才能を
隠れた死の才能を持つ
学生ファンカレルと出会う
だがある日を境に
突然事業に彼は出てこなくなり
その後退学したということが判明する
彼の身を案じる私はファンの実家を訪ねて
先住民の村へ向かう
そこで彼の置かれた
状況を知ることとなる
というあらすじだけで言うとこんな感じで
これも裏拍子に書かれてたもの
ほぼほぼ引用してちょっと付け加えただけなんですけど
数字としては
割とシンプルっちゃシンプルです
ただやっぱりこの
前段でもお話してますけど
フォトフィクションの中で話しましたけど
結構見たことが描かれたりするんで
授業の風景とか
ファンカレルが
どういう風に私を
待っていたとか
結構描かれて
個人的にはその辺の描写は
結構エモく感じましたね
ちょっとあらすじは出てないんですけど
なぜかこの私とですね
女学生との変な交流も
あったりしてちょっと何なんだろうこれ
とか思いながら読んでましたけど
話としては最終的に結構
なんだろうな
悲しみじゃないけど
ちょっとどうしようもない諦めみたいなところに
ちょっと終焉していくので
なかなか文学として非常にいい
27:00
作品だったなと思いましたね
カナタのいくつか
印象的なシーンあったんですけど
例えばもう一番最初ですね
このファンカレルというね
生徒と出会う前にですね
主人公が文学部の先生をしてるんですけども
大学生ですね
文学部の授業に来る
バカにした表現があって
それがねすごい面白くて
ほとんど文字すら読めない
ウケウケの大学生を相手に文学を教えて
一体何をしていたのか
自分でもわからないっていういきなり
そんなこと書いてて
年度が変わる度にいじけた子犬みたいな
匂いをまだ漂わす
若者が入学してきた
彼らはかなり道に迷っていたが
登れたことにいやそんなことはない
自分はもう全てわかっている
宇宙をつかさどる秘密について
究極の知識を得ていると信じ込んでいた
だから文学なんて
やっても意味はない
つまらない授業のこれまたつまらない教師による
さらにつまらない文学談期
本がいかに素晴らしいか
本がいかに大切かなんていう
おたま話をなぜ聞かねばならないのか
それよりもう構わないでくれ
本などなくても文学は大切だと
今なお信じている
鬱陶しい奴の助けを借りずとも
自分一人でやっていける
私たちはそんな風に考えているのだと思う
って書いてあって
先生目線で文学部の生徒をどう見ているか
というところで
だいぶ笑える文字が結構最初の方に書いてあって
うまいですよねこの辺ね
この辺ね本当に面白い
なんかスラスラ読めていけるんですけども
書いたりしつつ結構ね
やっぱり文学の先生なんて
文学話もいいこと書いてあって
一つの短編は
常に二つの物語を語る
とかって
これ一番最初にページに書いてあるんですが
これが結構後々になってもね
その二つを物語るっていうのがですね
結構そこが
キーになってきたりしてですね
江戸川アランポーの
解釈があったりとか
好きだった文学話の中で
全ての芸術は
ある種の鏡と霞んだ
っていう言葉があって
これは文学も芸術もそうですけども
本当に勇気と自信を持って書いたもの
っていうのは鏡と霞ということで
その作品として自分も
見ることができる重ねることができる
っていうですね結構僕その感覚を
小説には
持っていてですね
それがうまく表現されていて
ちょっと自分の中ではね
これはちょっといい言葉だなと思いましたね
そうですねとにかくこの
カナタノっていう短編は多分完成度が
高いというか最初言った通り
一つの短編は常に二つの物語を
語るっていう流れを
ちゃんと生かした終わり方もしてるし
要所要所で言うけどね
文学感みたいな文学とは
短編小説とは芸術とは
みたいな話とかも結構刺さるしね
うまいなとは思いますね
これをまずは
何が置いてもとりあえず読んでもらいたいですね
これはねハマる人多いと思いますね
うん
単純に面白い
見たままを描いているような
感覚ってのもすごくあるから
30:00
そのあたりも踏まえて読んでもらえると
非常に導入の一本としては
いい作品だなと思いましたね
話としてはやっぱりファンカレルとの交流
みたいなのがメインなんで
他の学生をバカにしている私がですね
ファンカレルという才能を見出し
こいつと一緒に
いろいろ話したいみたいな
ところも描かれていて
そのあたりも結構いい小説だなと思いました
ちょっと最後
悲しい結末がありますけど
じゃあちょっとそんなところにして
次行きたいんですけど
次はですねペルエットっていう
短編集が中心になって描かれている
ミランという人物との話ですね
これが結構
割とこの小説の中でも中核を
短編集の中でも中核になっている
部分ではあるかなと思います
まずミランという人物なんですけど
これまずエピストロフィーという短編で
私とミランは出会います
これはアンティグアナで開かれた
文化フェスティバルで私は
セルビア人のピアニスト
ミラン・ラキッチと知り合う
自由な精神の持ち主であるミランの演奏に
魅了された私は
彼がジプシーの血をひいているということを知る
というのが導入みたいなもんですね
この後ですね
絵葉書という短編があって
ミランから
旅した先からですね
旅先とは全く関係ない写真とか
絵だったりもするんですけど
非常に文章量の
多い絵葉書がですね送られてきます
である日
その絵葉書が届くのが
途絶えてしまい
1年2年とたつという状況になってきます
で私はですね
決心してミランを探しに
彼が消息を絶った
あれかなベオグラードを訪れることにします
っていうまでがこの
ピルエットっていう作品の手前までの話ですね
絵葉書となんだっけ
幽霊か
という短編で描かれますね
ピルエットっていうのは結構長めの作品で
これは私がミランを探し
さまゆう話ですね
ちょっと裏拍子にあるピルエットの
あらすじを引用しますと
ノマドのように世界を渡り歩くミランから
次々と送られてくる謎めいた絵葉書
最後に届いた一枚を
頼りに私はベオグラードを訪れ
本番のジプシー音楽と
ミランの影を追い求めて
戦争の傷跡を残る街をさまゆい歩く
という内容なんですけれども
もちろんこれもさらっと書くと
これぐらいなんですけれども
実際にはですね私が見たものを
いろいろ盛り込んでいるので
いろんな描写があります
どんな風に誰を頼って
行ったかとか
結構詳細で描かれますね
入国する時に大変だったこととかも描かれます
このあたりはやっぱり細かくて
彼が置かれている不在なさのような
不安定な感じがちょっと
描かれているなと思いましたね
この最後
ピルエットという作品で
ミランとの通りというのは
一旦幕は閉じるんですけれども
最後のピルエットに関しては
オートフィクションなので
どこまで自伝的
本当にあった話なのかっていうのは
すごい気になりましたね
結構ねこの
33:00
ベオグラウドでの出来事が
結構やばいやつ多いからね
でも本当
異国に行って
ジプシーを探るために
いろんなちょっと
怖い人たちと話したりもするしね
そうですよね
このすごい
最後のピルエット
好きな作品で
短編の中でも本当に
あったことにしても
創作で描いたことにしても
主人公のこのハルフォンにとっては
これはジプシーの
ミラン探しの旅であると同時に
結構自分探しの旅でもあるな
という
それをねすごい感じて
そういうものだよね
カナタの面白い文学部の先生と
違った一面があって
ピルエットは好きでしたね
このおそらく
ミエさんも今言ったけど
自分探しであるのは間違いないけれども
まずなぜミランに惹かれているのか
ミランという人物を探してしまうのか
っていうところが
そこの感情の理由の部分みたいなのは
あんまり描かれてないから
ここを原稿化しないで描いている感じは
あって自分はすごくこの話は好きで
ピルエットっていう
タイトルの意味が
踊り方なんだっけ
ジプシーが突然
飛んでくるっていう回転
することですね
これの意味をよく分からないんですよね
この中で
定義付けられるものでもないし
理由なんかないみたいな話も出てくるし
そのことをすることに対して
いや理由をあって何か
意味があるんだみたいなところも
言ったり来たりするんだけど
そこもすごく面白くて
結構この一連の流れは魅了されてしまう
小説でしたね
印象的だったのはエピストロフィーという
エピストロフィーの中で
ハルフォンがですね
ミランと自分を重ね合わせることがあって
このミランっていうのが
ジプシーで
音楽エリートというんですかね
ピアニストとして
世界的に
エリートの位置付けにいるんですけど
ただそういう
エリートみたいな
演奏とかではなくて
自分がしたいのは本当に
ジプシーの血を引き継いでいて
自分が演奏したいというのに
恋焦がれていて
ミランは先祖から
引き継いだものに執着していると
そこを求めていると
一方で
ハルフォンはユデア人
なんですけども先祖から
逃れたいと
ただ逃れようとしても逃れられないと
いうですね
先祖に近づきたくても近づけない
先祖から逃れたくても逃れられない
というですね
この重ねて比べる
印象的な描写とかあって
そういうことがすごい
読んでてよかったところですね
あともう一個の中核をなす話
修道院ですね
ということについてちょっと触れたいと思います
修道院はもうこれ
最後に入っている作品なんですけれども
この系譜というか
36:00
この流れに至る
話はちょいちょいいくつかで描かれていて
もともとは
正統派ユダヤ教徒と結婚する
ことになった妹がいるため
これは私と
弟とか他の家族から
するとちょっとそれはどうなんだみたいな感じ
になるんだけれども
とにかく結婚することになった妹のために
私と家族は初めて
エルサレムを訪れるという話になっています
ユダヤ教の
ですね考えの狭さに
ヘキヘキした私は
結婚式には出ないと宣言します
式の当日偶然再会した
旧知のイスラエル人女性
タマラという女性がいるんですけれども
彼女とも
司会ですね
塩の海に向かい
自らのユダヤ教について思いを巡らせるという
話になっておりますが
ざっと裏拍子に書いてある
ちょっと膨らませたことを言うとこの程度なんですけれども
これも
タマラという女性と
実際にはこの話の前にいろんなやり取りがあって
仲良くなった
方なんですけれども
彼女と2人でぷかぷか
視界に浮かんでいるところが
ラストシーン付近で
泳ぎ終えたというか
リフレッシュした後に
2人で並んで横になっているところで
いろんな話をして終わるというところなんですけど
この会話が
結構
いいというかある意味
ダメというか
男としては終わっているなって思う
なんだけど
気持ちはわかる
という感じですね
自分のことしか
自分のことばっか話すというね
そうですね
これもやっぱ
すごい話だなと思ったんですよ
タマラってエルサレムで再会したんですけど
その前が
あれだっけ出会ったところ
スコティッシュバーで
グアテマラですよね
グアテマラにあるスコティッシュバーで
出会って
この時にタマラというのは
ヒッピーみたいな生活をしている
性的なこととかも
全部オープンな感じの女性で
結構エロい話をしたり
してたんですけど
そういう人がまた最後にふっと出てきて
主人公も
性的な目で
見ちゃったりしつつ
自分のアイデンティティの話を
真面目にしたりとか
結構最後状況的にはすごい面白い
主人公の
心の中と実際に喋っている
話の内容との
コミュニケーションというかね
これが絶妙に良くて
確かに
タマラは急に出てくるけど
ちゃんと出会った時のことも描かれるし
結構面白い
小説としてはしっかりした作りだなと
ここは思いましたね
あとこれ妹の結婚式に
本当は出るためにエルサレンも
来たんですけど
主人公はやっぱり出ないと言って
ただこの妹との
シーンというのも
これも短編の
テルアビブはかまどのような
39:00
暑さだったというのに妹がね
いきなりこの
政党派ユダヤ教徒の人と
結婚するからめっちゃもう厳格な
ユダヤ教徒になって家族全員
ユダヤ人としてはダメだみたいなこと言って
お母さんとかを泣かしてしまうんですけど
それで人が変わったように
妹がなっちゃったんですけど
主人公が妹の子供の頃を
回想して
初めてミッキーと会った時
小さいネズミと思ってたら
デカいネズミで妹が
それに残念があった
そういうのを思い出して
ニヤニヤして
そこの描写が泣けるような
描き方をされて
妹との関係というのも
ちゃんと手前で描かれている
すごい良かったんですけど
その流れがこの最後の
シュードインで
もう一つ好きな
やっぱ最後グッてきたのは
ポーランドのボクサー
ちょろっと出てきて
おじいさんについて
おじいさんが本当はこうだったみたいな
話があって
自分の名前ですね
エドアルドの
名前の
ルーツというか由来というか
そこの話とかあって
最後は本当に
しっとりの人物の歴史的な部分まで
一気に
回収したかのような
すごい終わり方していて
やっぱりこの
シュードインで幕を閉じる
これは本当に
一冊の本としてすごくよくできていると思いました
これもあれだもんね
妹が
俺の知っている妹はどこへ行ってしまったんだみたいな
ところから
引き金はなっているもんね
自分とは一体
何なんだみたいな
ユダヤ人の血を引いている俺は何なんだみたいな
そうですよね
シュードイン
これちゃんと話すとシュードインにあるだもんね
シュードインというのは
主人公の私のおじいちゃんが
シュードインで隠れていたと
その時は男性だったけど
男の子だったけど女の子のふりして
でも
本当の名前を左手の中に書いていたから
それだけ絶対誰も見られないように
自分でも忘れないように守るために
左の拳は何があっても固めていた
という話が
シュードインでずっとそういう風にして暮らした
という話があって
主人公もラストシーンでずっと
左手をグッとするという描写もあって
そこもすごく
いいなって感動したし
この辺の作り方はうまいね
回収の仕方ね
うん
これも本当の中でどこまでがあって
思っちゃうんですけど
やっぱあれだなこれは
もう一回読まないと
分かんねえな
どこがどう繋がっててみたいのは
順番を変えて
元々の順番通り
読んでみても面白そうだな
って思いましたね
そっちの方がちゃんと理解できそうですしね
じゃあそんなところなんですが
他なんかちょっと印象に残ったところ
簡単なところであるかな
42:00
っていうところで
私が気になったのは結構ギャグ
多かったなっていうか
ちょっとふざけてる感じ
たまに出てきますよね
具体例が今パッと出てこないんだけど
最初のかなたんは
学生に対する
スタンスとかもそうなんだけど
なんだっけ
難しい政治の話をされると
性的なことを考えてしまうみたいな
なんか描写があったと思うんだけど
現実逃避なのか何なのか
話題がつまんないから何なのか分かんないけど
ちょっとギャグっぽいところが
出てきてちょっと
人をおちょくってんのかなって思えるような
描写もたまにあったりしますね
そのあたりも結構うまいな
っていうところで
読んでるとちょっとくすっと
わたってしまうような描写もあると思います
あとはちょっと話も
タマラとのやりとりもあるんですけど
性的な描写が結構多い作品ですね
ただ描き方は
ちょっとライトな方なんじゃないかなとは
ちょっと思います
そんなグロテスクかつ生々しい
性的な描写あんまなかったかなとは
思うんですが
一応アラートとしておきたいのは
苦手な人は苦手かもしれないと思いましたね
そういうところオープンな感じですよね
なんかね
村上春樹にもよく性的な描写出てくるけど
村上春樹ってなんかちょっと
おしゃれに描こうってしてるところが
私はあるなと思うんだけど
こっちはね単的にストレートに
描いてる
中南米っぽさかもしれないですね
確かに確かに
あるかもしれない
あとこれ
たびたび私気になったんですけど
このエドワルドさんピンクのコート着てるじゃないですか
しわくちゃなって
ちょっと全くイメージができなくて
ここ
多分グアテマラだから
割と色が黒っこく
色黒の肌の色をしてると思うので
イメージだけど
ピンクのコート
みたいな
ちょっと全くイメージができない
気にならなかった?みえさん
一応ね気になりましたよ
なんか旅先で
出会う人がみんな
なんかその視線を落とさずに
やっぱね見られてしまう
どんな感じなんだよみたいな
ちょっとこれは写真で見たいなと思いましたね
じゃあ
テーマトークに移っていきたいと思います
今回はですねオートフィクションで
自分だったら何を描きたい?
みたいなことについて
ちょっと話したいと思います
こんな瞬間のこんな感じを描きたいみたいな
ことをちょっと話せたら
面白いんじゃないかなと思いました
そうですよねオートフィクション
自伝ですよ
自伝自分の人生に重ね合わせて
ですもんね
でも一個思ったのがやっぱりちょっと書きたい
小説書きたい願望っていうのがあってですね
これ完全に創作で
時々そんな起きてないことなんですけど
そうだこれオートフィクションって言えるのかな
自分がだから小説家になって
一旗上げたいって思ってる時に
45:00
自分と全くキャラ同じで
顔とかめっちゃ似てる人が
世に出てきて
自分の書きたいと思ってるような
作品も書いちゃって
見た目もほぼ一緒で
年齢も一緒で
自分はこの先多分世に出れることは
なくなったっていうですね
絶望感のあるような話とかは
昔ちょっと考えたことありました
それはフィクションですね
面白い
その話
なんかありそうだし
ちょっとその下心があって
特に若い時ですね
若くして世に出れたら
自分になれるんじゃないかとかね
ちょっと野心的なものを持ってる時に
同じ人がなんで現れるんだ
その感じですね
なるほどちょっと面白いな
誰か書いてそう
そうですよね
ホラー小説
エンタメ小説みたいな
ちょっとエンタメチックなイメージ
自分の中では
面白いのが文章力とかね
あんま自分と差はない
実力そんな大したことないっていう
そりゃないね向こうは有名になっていく
先起こされた感じゃなくて
なんで同じ能力なのみたいな
そうそう
私あれですねオートフィクションっていうか
自伝というか自分の感情を描きたいな
って思った時に
ちょっと描きたい感情は
なんかちょっとした
人に理解されるかどうか分からないぐらいの
感情を描きたいなと思っていて
なんとなくなんですけど
例えばこれから長時間移動しなきゃいけません
って状況の時に
鞄の中に
読みたいと思ってた本を忘れてしまった時の
話をすごく長く書きたい
そういうのがいいですね
それはなんですかやっぱり
不安感とか焦りとか
不安というか
なんだろうな
その時感じるやってしまった感と
そこから
どう過ごさなきゃいけないんだみたいな
分かんない
途中で駅で
諦めて違う本を買う
で読んでみる
でも読みたかったのこれじゃないみたいな
そういうのをグダグダ書いてみたい
どこにも行くつかないかもしれないけど
なるほどね
映画を見ようとしているか
じゃなくてちゃんと悩むんですね
読みたかった本がない状態に
長時間さされることを
オートフィクションとして
感情とか
その場所のどう思ったかみたいなのを
細かく書きたい
自分がちょっと落ち着かなくなっている状況とか
いいですね
そういうちょっと焦ってるような
状況って
いいですよね面白そう
実際に多分経験したことがあるんで
そうですよねなんかありそうですよね
それをフックに感情を書いてみたいなって
思ったことはあります
結構リアリティのある
イメージできる設定かなと思うんですけど
ちょっと今回の
ポーランドの僕さんのように
話を膨らませるとしたら
そこに何か加えられるものって
48:00
どうなんでしょうね
でもポーランドの僕さんも
多分急に話がグッと展開する
瞬間あって
描いている中でさらされるっていうか
事態にさらされるみたいなことが
アピュレートとかあったと思うんですけど
あんな風に急に差し込んでいかないと
動かないかもしれないですね物語としては
横にいる人が急に本を読み出したとか
それが
僕が読みたかったやつだったみたいな
あれって
それかこの前読んだけど全然
面白くなかった本だったとか
何かフックに書かれるような
でもやっぱそれを通して
自分がどういう
感情を抱くんだろうみたいなこと
気づく瞬間みたいのを
ちょっと浮き上がらせていくと
今回のポーランドの僕さんみたいな
作品になっていくんじゃないかなってちょっと
思った
こんなとこでやめときますか
そうですね
あれですねちょっと一回は
書いてみたいですね
オートフィクション
じゃあいつも通り感想とどんな人に読んでもらいたいか
話して終わりたいと思います
じゃあ私の方から
今回ですね一本目を読んだ時から
めっちゃ自分の好きなタイプのソフトが来たと
しかも結構これ話しやすいかもと思って
これは紹介めちゃめちゃできるぞと思って
読み進めていくうちにですね
どんどん紹介するのが難しいなと思うようになった
ちょっと面白い小説でした
多分
一見すごく真面目で重い
話なんですけれども
すごくこの自分ごととしてですね
描いているので
すごく受け止めやすい形になって
きているなと思っていて
この形だからこそ読み進められた
小説だったなと思っています
普段自分たちはやっぱりアイデンティティを
考えずに生きているなと思いました
でも今回のこのポーランドの僕さんを
読んでですね
このことを意識する小説だと思うので
我々は聞いてくれる
多くの方が日本人だと思うので
自分は島国で
生きていて言語も一つで統一されていて
他の国の文化が
非常に入りにくい日本という
環境で生きているということを
痛烈に感じさせられる一冊でした
なんかやっぱ
自分のアイデンティティって何なんだろうってちょっと思ってしまうような
小説ですね
万人受けする小説ではないと思うんですけれども
個人的にはですね
このポーランドの僕さんという本はですね
ぜひ多くの特にやっぱ日本人ですね
日本の方に手に取ってもらいたいなと思った作品です
僕もやっぱり一本目の
カナタノという作品を
読んだ時
すごい面白くて中南米らしい
かなりユーモアなる作品集なのかなと
思っていたら
案外違う方向に途中から話が進んでいく
というので
特に二つの中編がポーランドの
僕さんがシャッフルされているわけなんですけれども
個人的に一番やっぱり好きだったのは
最後終盤で
二つの中編
ピルエットとシュードインが
連続して終わりを迎えていくんですけれども
結構自分の中では
強烈な読書体験になったなと思いました
やっぱりこうやって
村から離れてルーツを巡る
二つの旅が
51:00
同時進行で行われて
というのでしかも最後の終わり方が
どっちもなかなか良くてですね
すごい印象に残る
作品集になったなと思っています
オートフィクションというと
ちょっと自伝的要素が強いと
自伝的要素が強いと
身の回りのミニマルな
話なのじゃないかなと思い
がちだったんですけれども
エドワルド・ハルフォンさんに関しては
そこからものすごい膨らます
自分という人間の背後に
こんなすごい世界が広がっているんだ
というのをですね
感じさせてくれる
意味でも本当に読めて良かったですし
アイデンティティとかルーツとか
興味があるという方はですね
結構そこがやっぱり
一人の人の背後には
その辺りすごい膨らむものがあるんだ
というのを感じれるので
面白い作品になっていると思います
いやーでも面白かったですね
良かったですね
このタイミングで私読めて非常に良かった
少女でした
今回ミエさんにセレクトしてもらって感謝してます
じゃあ次回告知で終わりましょうか
次回はですねゲスト回となります
もうちょっとお馴染みになりつつ
ありますが
昨年もですねコラボしました
デジマゲラジオさんに今年も出ていただくことになりました
お楽しみに
番組の最後になりますがメールマガ会員を募集しております
メールマガは無料版有料版とありまして
無料版は毎回のエピソードで長すぎて
カットした部分を
音源化して配布しております
もっと我々のエピソードが来たい人のためになっております
有料版はサポーター特典
という形になっていて
我々を応援したいなと思う人のために
設けているものです
お返しとしてはささやかですが
テキストベースで
編集講義を毎週お届けしております
割とここではセキュラルな話をしてますね
詳しいことは
番組概要欄に記載しておりますので
ぜひご確認ください
番組の感想やリクエスト
またこのラジオを聞いて紹介された本を読みました
読み返しましたのでございましたら
ハッシュタグ空飛猫たちをつけて
教えていただけると大変嬉しいです
ツイッターやインスタのDMや投稿などで
お待ちしております
本も番組情報欄に載せておりますので
ぜひぜひ何でもいいので
お寄せください
定期的にお便り紹介会やって読ませていただきます
ではこの番組
気に入っていただけましたら積極的に
拡散共有していただけると助かります
またSpotifyとかApple Podcastの
フォローするボタン押してもらうと大変嬉しいです
ではまた来週
ありがとうございました
53:26

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