で、映画見た人はやっぱり気になると思うんですよ。原作どうなってるのかって。
でも、読んでもらいたいんですけど、なかなかですね、この400ページの小説を急に提出して結構勇気がいることだと思うので、ぜひ聞いて興味を持ったら読んでいただけたらなと思います。
次はですね、著者のマーティン・エイミスさんについてちょっとご紹介したいと思います。
マーティン・エイミスさんは1949年生まれ、実はですね、2023年5月に亡くなっています。
この映画が公開されてる時にはもう亡くなってたのかな?
本国では2023年に映画家なので、ギリギリ生きてた人ですから、ちょっとすいません、ちょっとわからないんですが、もう亡くなりになった方ですね。
フォード大学を卒業後に文芸史の編集者、評論家として活動していて、
73年長編20歳への時間割りで作家デビュー、3作目サクセスで結構話題になったと。
その後も長編をいくつか出していて、
時の矢、あるいは罪の性質という作品と、イエロードックという作品では物価賞の候補にもなっていたと。
2008年タイムズ誌では彼を1945年以降最も偉大な作家の50人のうちの一人と挙げていたというところです。
この関心領域は2014年に発表されたもので、この方の後期の長編作品にあたるというところです。
という方ですね、その方が書いた作品が今回映画化されて翻訳されたというところですね。
この翻訳は北田恵理子さんがやっていて、北田恵理子さんは私ずっと読みたいなと思ってるんですけど、
グレートサークルとか結構訳されている方で。
グレートサークルもすごいドンキボーンですよね。
うん、でも絶対面白いよね。
面白そうですからね。
めちゃでかい本です。
マギー・シプステッドさんのグレートサークルですね。
これ去年出たかな?とか、あと結構ミステリー系を訳されているのかな?という方で、
今回早川さんからこの本が出来るというところになっています。
じゃあもうサクサク先に紹介入っていきたいと思います。
まずホームページから引用しますね。
サクの原作となっておりますというところですね。
この辺りはもう先週の配信聞いてもらえれば色々分かるところかなと思いますが、
もう既に何やらちょっと違う話だなってのは分かってもらえたかなと思います。
そうですね、なんか登場人物が多そうですもんね。
あ、そうだね。
確かに。
で、その辺りも含めてこの本を紹介していきますね。
まずストーリーも含めて言っちゃうんですけど、
これはですね、ナチス側の人間を描いたブラックな群蔵劇となっています。
で、3人の視点で順番に語られていって、
何章構成だったかな?8章くらいだったかな?6章か。6章構成なんですけれども、
1章の中に3人の視点が順番に語られていくという形になっています。
結構ですね、これ映画と違って時間のスパンが長くて、
ナチスがユダヤを迫害し始めて、攻撃し始めて、
強制収容所に入れ始めてとか、その辺りですね。
その辺りから終戦するまで、その後ぐらいまでの時間軸を描いています。
なので、映画だと割と短いスパンを切り取っていたかと思うんですけれども、
この作品では結構長めのスパンで描かれるというところですね。
視点の3人紹介します。
1人目はアンゼルス・トムゼンという男性。
軽落、商工注意という立場で、羊がいいので恵まれてきたことが伺えます。
女好きで自分自身を持っているというタイプの男性ですね。
2人目がパウルドル、強制収容所の所長になります。
映画だとルドルフ・ヘスにあたる人物ですね。
ただこれは架空の人物なんだろうなと思いますね。
モデルはいたかもしれませんけど架空の人物だと思います。
大酒飲みで周囲からあまりよく思われていない。
ちょっと上にいるけど嫌なやつみたいな感じかなですね。
3人目、これが全く映画にない視点かなと思うところで、
シュムルという人物が描かれます。
シュムルという人物の視点で話が進んできます。
彼はユダヤ人であって、ユダヤ人を処理することを手伝わされている人物です。
実際にこういうポジションの人がこの当時アウスビッシュにはいたんだと思うんですけど、
なかなかしんどい立場ですね。
もうちょっとだけ詳しく、ストーリーを話すには必要な情報があるので、
人物の話をしていきたいんですが、
まず1人目のトムゼなんですけれども、
このトムゼは言ってしまえば彼が主人公かなっていうところなんですけど、
ナチスの感覚に染まりながらもパウルドルの妻であるハンナに一目惚れして出会い、
ハンナがちょっとしたナチスなんだけど、
ナチス側からすると少し体制に反対するような思想を持っているので、
このハンナの影響でトムゼもいろんなことを疑問に持つようになってきます。
とはいえ結局彼もナチスのまま話を進んでいきますね。
そのことをですね、結構これは自分は感動したんですけど、
ラスト、彼のセリフにはいろんな思いが込められて語られていきます。
設定なんですけど、おじさんが実はいて、
おじさんがヒトラーの秘書という立場なので、
実はトムゼめちゃくちゃこのナチスの中ではですね、
だいぶなんていうか優位な状態の存在ですね。
なんか結構なんか地位も恵まれて、
おじさんが恵まれていて、
ちょっとスネをかじってるような感じの、
ちょっとやんちゃなタイプの若者で、
結構なんか典型的な白人金髪のドイツ人で、
体格も良くてっていう。
そんな恵まれてるっていう人間ですよね。
次がパウルドルですね。
これがある意味主人公画ではあるんですが、
実際には映画だと彼の立場がメインで描かれているんですけど、
名前は全く違いますけどね。
あと考え方とか挙動なんかも結構違うんですけど、
パウルドルというこの強制収容所の所長の視点で描かれるのが2つ目の視点ですね。
彼は自分の目的が都合のためなら何でもしてしまうというタイプの人間で、
それができるかできないかが結構いろいろあって、
できなかった時の悔しさみたいなとか結構描かれるんですけど、
基本的にはもう自分の都合のために何でもやってしまおうという人間。
ちょっと体の関係も今なくなっていて、
すごくそのことに対してパウルドルはフラストレッションを溜めてますね。
そもそもパウルドルはですね、
もうちょっとハンナを言う通りにするために、
かつてハンナが好きだった男タバコを利用したりしたんですね。
このあたりがもうちょっとパウルドルが腐っているあたりなんですけど。
トムゼンはそんなハンナに近づいていきますと。
ハンナの考えに感化されていき、
ハンナの依頼で、
かつてハンナが好きだった男などですね、
も含めた人物の調査を頼まれます。
その調査を通して彼自身ですね、
無しに疑問を持つようになっていくという流れになっていきます。
話は進んでいきですね、
ハンナをおとましく思い始めたパウルドルはですね、
もう自分が言う通りにできるシュルム、
ユダヤ人のシュブルですね、
ハンナを殺すように命令し始めます。
これはですね、もうこの命令を通すためにですね、
命令を聞かせるためにですね、
遠く離れた場所にいるシュブルの妻を見つけ出して、
人質のように使い始めますね。
もうパウルドルのこの本当になんていうか、
これ聞いてるだけでめちゃめちゃ悪意しか感じないんですけど、
パウルドルの中でね、悪意一切感じないんですよね、
この文章を読んでると。
もうこのあたりがね、パウルドルやばいなっていうところですね。
実際にはこの3人の視点からいろんなこと、
かなり痛々しいことまで含めて描かれていて、
その中で人間の本質っていうのが描かれていく作品ですね。
このあたりは映画と変わりません。
そしてもうトムゼン、パウルドル、ハンナ、
このハンナでさえもですね、
おそらく自らの関心領域から出ることはないかなというところですね。
そういうのが描かれていくという作品になっております。
ざっくりこんなところかなというところです。
400ページあるんで、もっといろんなドラマあるんですけど、
大枠はこんな感じですね。
けっこう軍蔵劇っていうところで、
人と人との関係がメインになってくる話ではありますよね。
このトムゼンがちょっとハンナを狙っていて、
それによっていろんな人物が絡んでくるっていう。
映画とはやっぱり全然違いますよね。
この人物の出てくる人数もそうだし、
人間ドラマ的なところとか。
けっこう感情が描かれるから、
パウルドルも含めてね、トムゼンも含めて。
だから映画って状況しか見せてくれないけれども、
特にしかもこれ、一人称の語りなので、
かなりトムゼン・パウルドルの内面っていうのは描かれてきますね。
その辺りはもうだいぶ映画とは違うし、
言い方はあれだけど読みやすい部分でもあります。
話を読み進めることができる部分でもありますね。
1点やっぱり、パウルドルがなかなか最悪なんですけど、
見落としてなければあれなんだけど、
もしかしたらどっかに書かれてたのかもしれないけど、
パウルドルの章も含めて、他の人の章も含めてなのかもしれないけど、
特にパウルドルの章は自分で記録を取ってる感じだよね。
こんなことを書きたくないがとか言う言葉がたまに出てくるんで、
これは手記なのかなんだかわかんないけど、
何かに記録してる体を取ってるよね。
だからパウルドルの章は、パウルドルに都合の悪いことは何も書かれてないんだよね。
なるほど、そういう。
あざのこととか、あざが結構重要になるんですけどこの話。
パウルドルにある日あざができるんだけど、
それがなんでできたかっていうのは、他の人の章を読まないとわからないし、
パウルドルがやろうとしてることとか、正当化しちゃってるから、
本当はこういうことをしてたんだみたいのも、他の人の章からじゃないとわからなかったりする。
特にパウルドルの章は自分の主規観、自分の主観でしか描こうとしていないことの連続なので、
そこは読み手、最初ちょっと俺ね、惑わされてました。
これどういうこととかちょっと思ったりしながら読んでたんだけど、なんか通じつまわねえなみたいな。
あ、そうか、もうパウルドルはもう繰り返し繰り返し自分は正常だって書き続けてるんだけど、
もう正常じゃなくなっているっていうことですね。
なるほど。
かなと思いましたね。
でもやっぱりトムゼンもパウルドルも女好きで、
ナチスの男性陣がことごとくみんな女性のことしか興味がないっていうか、みんな女好きで。
そこも関心領域だね。
話の中心はそんな話で、ハンナがいいとかのあれですよね。
トムゼンがヒトラーの視聴しているおじさんと会話したりするときとかも結構女性の話ばっかりとかで、
なかなかのちょっと皮肉かなと思うんですけども、ナチスがユダヤを迫害してっていう、
そこにナチスなりの理屈とかあるとして、じゃあ実際そのナチス側の人ってどんな人なのかっていうときに、
もうめっちゃ低俗な人間ばっかりっていうですね。
そういう人たちが自分たちの関心の中心にある女性をめぐって、
ごとごとの人間ドラマになっていくんですけど、それによってアレですよね。
このシュルムのようなユダヤ人が、それのちょっとね、被害を受けたりとかっていうかなりますし、
この辺のかなり不条理な感じがね、面白いと言うとアレですけど、なかなかブラックでユーモアもあってって思いましたね。
関心領域ということになってますけど。
それで言うとパウルドルがトムゼンを気に食わないわけですよ。
ハンナに近づいてきてるって分かってるし、分かってきてる。
分かってきてるし、どっかでトムゼンのことをなんか芸扱いするんですね、心の中で。
それでそうやって下げることで、このトムゼンに対するなんだろう、優越感に浸ろうとしてるのかなんだかわからないけれども、
そういうこともちょっと心の中で思ったりとかしてて。
本当この強制収容所で行われていることがあるにもかかわらず、
この自分たちの政治ゲームだったり、思い通りにしたいことにしか関心がない人たちっていうのがね、描かれていく話ですよね。
そうですよね。確かにパウルドルとトムゼン、どっちもどっちに対して悪口言ってますもんね。
確かに女装野郎って言ってましたね。
そうそうそう。もう何なんだって感じだけど。
そもそもパウルドルはみんなから大酒飲みの親父っていう頭がつけられてね、下に見られ、下?軽蔑されているわけですけどね。
というところなんですけど、話が進んでいくにつれて結構ナチス側の情勢が悪くなっていくわけですよ。
終戦に向けて自分たちが占領した場所が危ないだろうなみたいな感覚になってくる。空撃が始まるとかがいろいろ描かれています。
結局これ終わるわけですが、どこまで話すかあるけど、結構ラスト好きで、トムゼンとハンナの会話が良くて。
結局ナチスドイツがやってしまったことがありましたと。アウスビッシュがあったと。
アウスビッシュの人たちは生き残った方たちもいて、生き残った人たちって、これが豪華深いのは死んでいってしまった仲間に対して罪の意識を持ってたりするわけですよ。
もちろんナチスドイツは許せないけれども自分たちも許せないっていう複雑な気持ちを持っていると。
それに対してそれを知ってしまっているトムゼンやハンナですね。ナチス側で生き残ってしまった人たち。
彼らはただ単純に生き延びたわけじゃなくて、いろんな流れの中で終戦後、自由でいられるというか。
ちょっとそこはいろいろ描かれるんですけど、ある流れがあって自由でいられるわけだけれども、
ハンナももうね、再婚とかを考えているわけでもなく、子供はいるけどね、生きていくという決断をしていて。
そうなんだよね。で、結構このトムゼンとハンナで遊びし中における苦しみに対して結構同じように意識しながら違う喧嘩を持ってたりとかして、
そこがちょっと最後出てきて面白いとこなんですけど。これあれかな?ネタバレにならないかな?
ちょっと抽象化して言えば大丈夫じゃないですかね。
そうだね。苦しみを相対的に見るのか、絶対的に見るのかみたいな話があって、ナチスとして関わってたがゆえに、
このことから立ち直る権利が俺たちにはあるのかっていう話が出てくるんですね。
だからまあ俺たちにはどんな権利があるんだみたいなことになるんだけど、
おそらくハンナはもう全くそういうわけじゃないと思うんだけど、幸せになるのはもうダメなんだろうと思っているんじゃないかなと思う。
ハンナはあれでしたね。だから自分は被害者だって思ってますよね。
ポルドルっていうずっと軍人と結婚してしまったがための。
そうだね。
自分はもうこの戦争も負けたし、今はもう被害者みたいな感じなんですよ。
ハンナはそこから出ていかなかったから、関心領域って言い方をしたらそこに閉じこもっていたと。
それに対してトムゼンがそこに対して指摘するんだよね。
だからこの2人のラストの会話っていうのは、このラストの2人の会話っていうのはかなりこの関心領域の中では印象に残るところで、
終わってしまったことに対してどういうスタンスでいるかっていうのが問われる、問いてくるところですね。
最後このトムゼンとハンナの会話ってやっぱり印象的だと思うんですけども、
今大正時代みたいにハンナが立ち直ろうと立ち直ることができない、自分悲しんでると言うんですけど、
トムゼンはそんな権利はない、君に言える権利はないと。
だからそれは本当にその戦争被害者、イギリス人のような迫害する人たちが持つ権利で、
じゃあハンナはいやそんなことないと、自分も悲しんでるとっていうので、
そこでね、ちょっと話がトムゼンはいやそうじゃないと、で、ハンナはいや自分悲しんでるっていうので、
最後、まあなんていうか、ちょっと尻切れトンボみたいな会話で終わるかなと思うんですけども。
そうですね。
なんかこれで思ったのは、ハンナはハンナで、やっぱりどうしても自分がっていうか、
自分のことがやっぱりもう中心に考えてしまっていて、
なかなかね、やっぱりユダヤ人の対してのやってきたこととか、
本当にそんなことをそこまで思いは多分馳せてないんだろうなと思いますし、
でトムゼンはトムゼンで、やっぱりナチスが先日中、やっぱりそのナチス側でやってきたわけで、
トムゼンがでもこんなハンナに対して指摘するっていうのも、これもちょっとおかしいな話じゃないかなって思いますし、
これも最後、すごいトムゼンが真っ当なこと言ってるように見せかけて、
なかなかの強烈な風刺で最後終わってるのかなって思いましたね。
そうなんだよね、結局このナチス側で生き残った2人っていうことで、
このユダヤの方々がね、アースペシューで受けた苦しみというかね、痛みみたいのは、
彼らは分かる、知ってはいるんだろうけどね、知ってはいるんだろうけどってところで、
でもこの時トムゼンが言う通りで、限界まで傷つけられてしまった人たちは話すことができないようなことを多分言ってたと思うんだけど、
まさにその通りだと思っていて、それ言ってしまったら、我々も何も知らないわけなんですけども、
でもそれを知るためには証言が必要だと思うんですけど、その証言っていうのは言えるもんではないのかなっていうところもあるんだなと思って、
本当の証言っていうのは本当に苦しんでしまった人は出てこないのかっていうところもあるのかなっていうのはちょっと思ったりもしましたというところですかね。
あとはあれですね、HHHH読んだ時に出てきたハイドリヒですね。
チェコンに就任したナチスのナンバー3ぐらいまでだったのかな。
もう直接は出てこないんですけど、ちょくちょく作品の中で言及されていて、そういうハイドリヒが出てくるとまたHHHH思い出したりして、こういうふうに繋がってくるんだっていうですね。
そういうのをちょっと読んでて、いろいろ繋がったって思ったこととかありましたね。
ちょっとこの辺のナチスドイツのことを描いた作品っていうのは本当多いと思うんだけれども、我々のラジオでもいくつか取り上げてきましたけれども、またこれからきっと触れることになると思うし、
この辺の話っていうのは多分絡めた作品を紹介することになると思うので、もうちょっとやっぱりこのナチスドイツのことは知りたいなってちょっと思ってしまったんだけど、どれぐらい抑えるかっていうのはあるけれども、