母の女の子として育てられる中、真の安らげを得られるのは、父が退出にしている本の中にいる時だけだった。トーベは決意する、私も詩人になる。子供時代の話ですね。
次が青春時代です。高校進学を諦め、メイドやタイピストの仕事を転々とする生活が始まる。憧れの恋愛と求める愛の間で揺れ動く日々。
そんなある日、子供の頃からノートに書き溜めていた詩の導きで、文芸師・野生の小麦の編集者・美豪Fとの運命的な巡り合いを果たす。
次が三部作最後の結婚読ですね。
詩集出版の夢が叶い、作家としての道が開かれていく。だが有名になりにつれ、詩的な生活は混乱を増していく。
四度の結婚、薬物依存、トーベは自滅へと向かっていく。
自らの経験のすべてを題材として、女性のアイデンティティを巡る葛藤をオートフィクション・乾燥期として世に出したトーベ。
自分に正直にあろうとする人間の生きる難しさを文学と人生で表した。
ナチスドイツの影が迫り来る時代のコペンハーゲンを舞台に描かれる記念碑的三部作を一貫にして贈る。
というのが刃元からのあらすじでございます。かなりしっかりしたあらすじで。
私もこれミス・ジョボウさんに私が紹介して持ち込みという形で出してもらったんですけれども、
もともと他にキノコの慰めっていう本をミス・ジョボウさんで翻訳させていただいて、
編集者さんのことを知っていたんですけれども、作品の内容について掴む。
作者がどういうことを伝えたいのかっていうのを掴むのがすごい上手な編集者さんだなと思って、
編集者さんにお願いしたんですけれども、この本を訳していて、私は自分は東部だって思ってたんですよ。
入り込みすぎちゃって、東部は私だって思ってたんですよ。恥ずかしいんですけど。
この帯のところの背の部分に東部は私だって書いてあるんですけれども、
大きくトンと書かれてますよね。
よくぞその言葉を寄り抜いて背の部分に使ってくれたなっていうのがすごい衝撃を受けて。
帯のことは平西さんからじゃなくて、編集者の方が考えていただいたんですね。
そうです。そのレジュメとかでこの東部のブームについてまとめていたんですけれども、
デンマークの人たちっていうのはもう50年以上経ったこの作品について、
特に新鋭の作家さんですね、オルガラウンさんとか若い作家さんが東部作品を読み直して、
またフォーカスを当てて彼女の詩とか短編とか面白い作品というのを寄り抜いて一冊の本を出したりしたんですね。
またそういう新しい作家さんたちが若い人たちがこの古い作家なのに、自分と同じだなっていう風に東部のことを思って、
むしろ私は東部なんだっていう風に自己を投影していたんですね。
私もこの東部の作品を訳していって、自分と同じだった。
私も日本っていう離れた文化も全然違う国で、もう50年以上経ってるのに、自分は東部だって思えたっていうのは、
多分それが文学の価値というか、私も一緒だった。文化が違っても私もそう思ってたんだよ。
分かる。でもそれをこの人が言葉にしてくれたんだって思えるっていうのが、文学の面白さだと私は思うんですね。
編集者さんもこのまとめてあるのって、すごい気持ちが乗ってるなって私はすごい思って。
とっても素晴らしいまとめをしてくださって、そのオピンのところもすごい良かったし、
その本を出来上がった後ですね、メールとかでやり取りをしたりするときに、本が出来上がって、
この編集者さんはもう長く働いている方で、ベテランの方なので何冊も本を作ったことがある方なんですよね。
もちろん編集者さんって年に何冊も本を作るじゃないですか。
ミスズ処方さん、丁寧に作っていらっしゃる出版社さんだと思うんですけど、そういう編集者さんが、たぶん彼女の中にもトーベが乗り移ってたと思うんですよ。
それでこの本が出来上がった本を枕元に置いて、大事にしたいっていうふうにメールに書いてくださったんです。
ちょっと文法が違ったかもしれないんですけど、本当に少女みたいなことを書いてらっしゃって、
それってトーベの青春時代の中で、トーベが初めての詩集を出版した時の気持ちが描かれているんですけど、
まるで編集者さんもトーベになったみたいに、その本が出来上がったことを少女のように喜んでくれたことがすごい嬉しかったなって。
またそれがトーベの作家としての力だなっていうのをすごいその時感じました。
例えばその青春時代の256ページのところに、トーベが初めての詩集を出版した時の気持ちが描かれているんですね。
なんかそれが私の気持ちと編集者さんの気持ちとトーベの気持ちが一つになったような気がして、
この256ページの初めての詩集を出した時のやつってちょっと読んでみてもいいですか、ここで。
青春時代の最後ですね。
ある晩、家に戻ると机の上に大きな包み紙が置いてあった。私は震える手でそれを開けてみた。
私の本だ。私はそれを手に取り、これまで感じた。
彼女の感情とも似ていない大細かな幸福を感じた。
トーベ・ディトゥレス演作、少女の心。もう戻れやしない。やり直しもきかない。
私の運命がどこに向かおうと、居合をなくこの本はこの世に存在し続けるのだ。
私は本を一冊開け、通譯を読んだ。
印刷されたその詩は奇妙に遠く他人のものに思えた。
もう一冊開けてみた。全部の本に同じように印刷されているとは思えなくて、でも実際は同じだった。
ひょっとしたら私の本は図書館に収蔵されるかもしれない。
詩を密かに愛するどこかの子供がいつかこの本を見つけ、私の詩を読み、周囲の人たちから理解されない保有の感情を抱くのかもしれない。
そして私はその奇妙な子供と決して知り合うことはないのだ。
その子は私が他の人たちと同じように働き食事し眠る生身の若い娘だとは考えないのかもしれない。
私は子供の頃本を読んでもそんなことを考えたこともなかったから。
本を書いた人の名前も覚えていることは滅多になかった。
私の本は図書館に入り、さらに本屋さんの賞文堂に並べられるかもしれない。
500部がすられ、そのうちの10冊をもらえたので、490人がそれを買い読んでくれることになる。
ひょっとしたらその人たちの家族もそれを読み、また他の人に貸すかもしれない。
黒牛が私に本を貸したみたいに。
美好Fに本を見せに行くのは明日まで待とう。
本屋は一人、この本と過ごしたい。
私にどれほどの奇跡が起きたのか、誰も真に分かりはしないのだから。
初めての刺繍が出来上がって、その本と一緒に今夜は過ごしたいというふうに東部は思ったんですね。
その気持ちを編集者さんも同じように何冊も出している編集者さんが感じて、東部が乗り移ったんだと思って。
すごいびっくりして、ピュアな気持ちになったんだなと思って。
あとは本というものの価値っていうか、
昔は一つの本を印刷されて、500冊も同じ文章が印刷されているというのは東部は信じられなかったという気持ちがあって、
本というもののありがたさとか価値っていうのが、特に青春時代を読むと感じられて、みずみずしい気持ちに私も訳していってなりました。
分かります。私ここを付箋してますね。
ここはだいぶ感動しましたね。
本を出された人とかはかなり気持ちが乗るところかもしれないなと思いましたし。
今の時代、なかなかなくなりつつある気持ちかなと思います。
そうですよね。この周囲の人たちから理解されない、こういうの感情を抱くのかもしれないってところにすごい気持ちが動かされて、
自分もやっぱり幼い頃読んだ本とか、それこそ書いた人が自分と同じ生身の人間だっていうのをイメージすることさえもできなかったし、こういう感情を抱いたことを覚えてますね。
もうちょっとひかりさんにお聞きしたいところは、今これは本当に昔に書かれた本。デンマークでは昔に書かれた本ですけれども、現在結構この東米フィーバーというかまた英語圏で結構ブームになっているというのが役者あとがけにも書かれていましたけれども、このあたりお伺いしてもいいですか。
東米ジツルセンの作品が世界で今東米フィーバーと呼ばれるブームになっていると、今ご紹介いただいたんですけれども、確かにおっしゃる通り、この今回の3部作っていうのは今からもう50年以上前に出された作品で、1作目の子供時代と青春時代は1967年に出されていて、
私好きです、ここ。
じゃあ行きますね。261ページの結婚読の始め、出だしの部分。261ページの部分をちょっと今大地さんが紹介してくださったところちょっと読ませてください。
リビングは何もかもが緑だった。壁も絨毯もカーテンも。私は絵の中の人物みたいに常にそこにいた。
毎朝5時ぐらいに起き、寒さで思わず足の指を縮こまれながら執筆に取り隠ろうとベッドの隅に腰掛ける。
5月ももう半ばだったから暖房をつけていなかった。
B5Fが長らく独身で他人と同じベッドで眠るのに慣れなかったので、私は一人リビングで寝た。
彼の気持ちもよくわかったし、私にとっても都合がよかった。
おかげで早朝の時間を思う存分一人で過ごせるのだから、私は初めての小説を書いていた。
でもB5Fには内緒だ。
知られてしまったら文芸師、野生の小麦の若い作家たちにするみたいに直しを入れたり、下り顔でアドバイスしてきたりするのに決まっている。
そんなことされようものなら、頭の中を一日中駆け巡っていた文章の流れが止まってしまう。
私はいつもクリーム色のザラシに手書きをする。
国立博物館で展示されていそうな彼の古臭いタイプライターを使うと、うるさくて彼を起こしてしまうから。
中庭に面した寝室で眠る彼を起こすのは8時になってからだというところですね。
その後、眠っていたB5Fが起き出して、そのB5Fに朝食を用意する場面。
B5Fを出勤するところを送り出す場面が描かれています。
めちゃめちゃ印象に残ってまして。
もともとこのB5Fにいろいろ紹介してもらって詩を出してという流れがあったはずだと思うんですけども、
このB5Fにさえも内緒で書きたいみたいな。
理由なんかはちゃんと述べられてはいるんですけれども。
やっぱり編集者さんなので、若い作家さんとか詩人を支援する立場でアドバイスをするような立場の方で、
でもそのB5Fに今小説を書いているっていうのがバレてしまったら、
また他の若手作家にするみたいに下り顔でアドバイスされるに決まっていると。
そうするとB5Fがいない仕事に行っている間に、一人で考えていた、
温めていたアイディアっていうのが思考が全部一気に飛んでしまうと。
そんなことをされたくないからB5Fには内緒にしていたっていうのが書いてあって、
創作への情熱と自分自身の作家としての才能っていうのも知っていたんだなというか、
自信を持っていたんだなというのがこの部分から読み取れますよね。
確かに。B5Fに依存していないって質問で。
そうですね。B5Fのことを編集者として尊敬していた部分っていうのはおそらくあったと思うんですね。
B5Fが昼間会社勤めをしながら、それでお金を稼いで、
それでその手弁当で彼は若い作家さんや詩人がデビューできるように、
野生の小麦っていう文芸誌を運営してたんですね。
彼が自分でお金を出して手弁当でやっていたので、利益をそんなに出ていなかったと思うんですね。
そういうB5Fが詩とか文学っていうものをいかに愛していたかっていうのが、
当部はすごく知っていたと思うんですね。
その編集作業をしている様子っていうのも一緒に暮らしながら見ていて、
健康をすごく大事に扱っている様子、宝物みたいに扱っているっていうのを当部は見ていて、
そういう編集者としてのB5Fの尊敬のねっていうのもありつつも、
今読み上げたところの後でB5Fの様子をちょっと太っていて、
年配で二重顎でみたいなそういうB5Fの様子をちょっとおかしく描いているとか皮肉っぽく描いている部分もあったりして、
夫としてのB5Fについてはちょっと皮肉っぽくブラックユーモアを交えながら描いているのが結婚読ですね。
なるほど、確かに。
B5Fについてはちょっと話みたいなっていうところだったんですけど、
結構この人物像が何というか、この三部作読んだ中だと一番つかめなかったのは私実はB5Fなんですね。
そうなんですね。
というのはその青春時代のB5Fと結婚読、結婚して離婚してその後また会うことはないけれども、
話の中に出てくるB5Fっていう人物が結構このいろんな面を持っていて、
ちょっとここは気になってるので、
ちょっと後で、そうですねここは少し後で話したいなと思います。
ストーリーの後に、確かにちょっと今話し当たるかもしれないんでちょっと後に入れたいと思います。
改めてちょっとストーリーをですね、三部作流れに沿ってちょっとお伝えしたいと思います。
まず子供時代ですね。これがやがて国民的な作家になる東部の幼少期が描かれます。
5歳あたりから献身令まで描かれるのが子供時代になっています。
なので14、15歳ぐらいまでの時代が描かれますね。
一家が描かれますね。社会主義者の父、どこか厚かましい母、自分勝手な兄と暮らしている東部という形になっています。
7歳の時でしたかね。お父さんが失業してしまって結構家庭に暗い影を落としている。結構ギスギスしている感じになってきますね。
そんないわゆる労働階級という意味でありながら、詩を書く喜びに目覚め、詩人を目指すようになっていきます。
ただ、詩人になる道として出版関係の人と出会うことが叶ったんですが、
この詩を自分が書いた詩をですね、その人に見せた時に子供の詩だねと評価されてしまって、その場では何もなかったと。
ただ、2、3年後来なさいと言われて、希望を生み出しながら彼女は過ごしていきます。
そして、わずか13歳で働きに出て、その中で出版関係の人の不幸を新聞で見て絶望するというところが描かれていたりします。
その後、青春時代、2部目ですが、ここでは働きながら、紆余曲折を経て自身の詩集を出版するまでが描かれていきます。
14歳から働き始めた遠部ですが、職を点々としますね。家政婦だったり、印刷所の事務、職なんかを点々としていきます。
その中で描かれるのは、女性という立場の悪さ、かなり労働的に立場が悪い状態で仕事をさせられていました。
印刷所で出会った同じ同僚の男の子とデートもしていくんですが、この辺りは恋の辺りも描かれていきます。
最終的に、野生の小麦という文芸詩を出版している美郷Fミラーという人物と知り合うことになり、そこに彼女の初めての詩が掲載されます。
これにより評価も得ていきます。この美郷の計らいで、彼女の初の詩集が刊行するというところになります。
そこでちょっと青春時代という話は終わっていきますね。
最後、結婚読。これがかなり内容的にはハードなんですけれども、7日となって美郷Fと結婚した遠部なんですが、結婚生活がなかなか安定しないというか、うまくいきません。
その結果、いろいろ話している通り、3度の離婚と4度の結婚を経験し、そして3回目の結婚ですね。
ここでは薬物中毒も経験してしまい、かなり苦しい体験というのが描かれていきます。
まず1人目の結婚相手、美郷なんですけれども、これが結構30歳以上年上で、そもそもずっと独身を貫いていた美郷と遠部は結婚するんですけれども、
この美郷との結婚生活というのは、かなり思い描いていたものとは違っていたというところですね。
美郷に隠れて少数執筆するという遠部。さっきちょっとお話になったところですね。
そんな折、誘われたパーティーで、エッペという結構美男な大学生と出会い、恋に落ちます。
エッペと関係を持つようになり、美郷と離婚して、エッペとの間に子供を授かります。
でも、ちょっと子供を妊娠したせいでというか、出産したせいでとか、そのあたりでエッペとの生活も思うようにいかなくなっていきます。
そんな中、またちょっと新しい男性なんですけど、カールという医師と出会い、また結婚します。
この時にカールは遠部に痛み止めとして、ペチジンという薬を投与したりするんですけども、それが遠部を薬物依存へと導いていきます。
結果的に、そんな生活から救ってくれた男性が、ヴィクターという男性で、ヴィクターと結婚して、薬物依存から少しずつ回復していくというところが描かれていき、
そして、そんな中でもどんな場面でも、トーベは薬物依存の時、ちょっと頭がはっきりしなかったりとかいうところがあるんですけれども、しあしょうすを描き続けていくという姿が描かれていく三部作となっています。
すごい大枠で、結構駆け足なんですが、かなり細かい話が先ほどから出ているようにあって、トーベという人物を読み手はかなり身近に、それこそ自分自身に重なるぐらい感じるような作品になっています。
なかなかのボリュームの話で、あれですよね、登場人物がすごい多いんですよね。
この今のストーリーの紹介では触れていないんですけど、トーベは本当にたくさんの男性と出会いました。
ピート・ハイン、ピート・ハインです。
あ、そうですよね。今飛ばしちゃいましたけど、えっぺとの前にね。
編集者のビゴ・F・ミラーと結婚しているときに、ビゴ・F・ミラーはトーベが30歳年下だったのもあって、
若い芸術家、他の詩人とかと作家と交流があった方がいいんじゃないかっていうふうに、親心的な編集者として思ったんですね。
若き芸術家たちのクラブっていうのを、ビゴ・F・ミラーがよかれと思って結成してくれたんですけれども、
そこに出入りし始めて、そこで出会った詩人のピート・ハインと。
ピートはひどい人物ですよね。その後、結局トーベを捨てられてしまって。
ピート・ハインはすごい才能にあふれている詩人だったんですね。
潔気盛んというか、若者で自分の才能っていうのをよくわかっていて、
そういうピートは、年長の編集者の奥さんであるトーベと不倫をしながら、ビゴのことをすごい批判するんですね。
他の若い詩人や作家たちは、ビゴにすごい感謝してたんですね。
自分たちにチャンスをくれた編集者だから、だからビゴの周りに色んな作家たちが集まってきていたし、
会合に顔を出しながらも、ピートはすごいトーベにビゴの悪口を言って、
あいつは自分に才能がないのに、その才能のある自分たちにパラサイトしてるんだ、とか言ったりして。
そう言われた時に、トーベはピートと不倫しながらも、ビゴ、そういうこと言うのやめてって。
もう気分が悪くなるからやめてちょうだいっていう場面とかも出てきます。
自分が書く人からすると、もしかしたら編集者って自分が書く才能がないくせにっていうふうに見る人ももしかしたらいるかもしれないけれども、
同時にそういう他の人の才能を、こういう部分がすごく光ってるっていうのを見出して、
こういう文章が素晴らしい、こういうところが素晴らしいっていうのを世に送り出す、手助けをする人っていうのもやっぱりどうしても必要だと思うんですね。
そのことをトーベっていうのは、ビゴのことを散々辛辣に書きつつも、彼に対する編集者っていう職業に対するリスペクトっていうのもすごい持っていたんじゃないかなと思います。
そうですね、わかります。ちょっとさっきビゴの人物像のところを話したくて、ちょっと止めたとこあったと思うんですけど、
私はやっぱりビゴが一番掴みきれなくて、自分の出している文芸誌とか詩とかを大切そうにノートに切り張りするシーン、
トーベの視点から描かれると思うんですけど、結構感動するシーンだなと思っていて、
面白かったですね。
君は現実をただアレのままに描いているだけ、それは文学じゃないみたいなことを、
彼は文学の素人というかプロの作家ではないのに批判してみせるというところは嫉妬と混じった感情みたいな。
だけど自分は経済を勉強しているという状況だったんですよね。
登場人物が法定式ばっかり解いていて、エッペの友達とかみんなこれはエッペのことが書かれているんだってわかってしまうっていう。
すごい怒ってるんですよね。
友達とかみんなその出てくる登場人物がエッペを重ねて書いているっていうのがわかって、
お前のことだろって言って笑われちゃうと。
で、エッペは怒って俺のこと書いただろって怒っちゃう場面とかも書かれてましたよね。
今日ちょっと行ったり来たりしながらいろんな話をしてきて、本当に何というか語るべきポイントの多い作品だなと思っていて、
最後、独語の印象のあたりを少し3人で話して、最後どんな人に読んでもらいたいかなみたいな話もできたらなと思っています。
じゃあちょっと私の方から。
今回改めて話してみて、すごく自分の中に小さな小さなフックがたくさん埋め込まれて、
東部という人生に自分を投影しながら読んでいたんだなと改めて思いました。
彼女が経験したってことは、あまり詳しくはストーリーでも話してないですけど、
薬物中毒のところとか私結構すごかったなって思っていて、そこから回復できて、回復しきれてないのかもしれないですけれども、
ただその後にこういう作品を残せるぐらいに力を取り戻していて、こういう作品を世に残してくれて、
現代である自分にまで届いていて、ひたにさんが訳していただいたおかげですけれども、届いていて、読めて、そして共感できているってやっぱり本当にすごいなって思いました。
子供時代、青春時代、結婚毒、それぞれ終わりぐらいに無性に感動するような、胸に迫ってくるようなものがあって、
やっぱりこれってもちろん彼女は途中で自分の死を選んでしまわれましたけれども、この人生ってやっぱり連続で、そして変遷があるんだなっていうことを、
日本語だと420ページぐらいだと思うんですけど、でもすごい読みやすい文章で、文体で展開で伝えてくれている本なので、本当に読めてよかったなと思っています。
人生を割と丸っとまではいかないんですけども、でも割と細かいところまで描いている作品なので、これ読むとちょっと自分の人生を振り返ったりすることができると思うので、
ちょっとそういうタイミングに差し掛かった人は、ぜひ手に取っていただけたらなと思います。
そうですね、やっぱり最後の結婚読の第3部の話が結構強烈でインパクトがあって、この時東部は人気作家にすでになっているんですけど、作品の中ではあまりそこに対して何かチヤホヤされたとかですね、