はじらぢさんでぃ、新しい一週間が始まりました。
はい、10月20日、日曜日、はじらぢさんでぃ。
いつもは午前中に収録するんですが、今日はもう2時50分、もうすぐ3時になろうとしています。
ちょっとタイミングを失ってしまいましたが、頑張って今日も配信したいと思います。
札幌、10月20日、7年ぶりの10月の初雪。
初雪といってもあられが降ったんですけどね。朝、あられがパラパラパラパラと結構降りました。
そんな感じで気温も下がって寒い札幌ですけれども、午後の収録になると、冬一郎くんが邪魔をするんですが、頑張って収録したいと思います。
今日のタイトルは、救えないこともある、救えないこともある。
まあ、ちょっとネガティブなタイトルが続いてるんでね。
ネガティブなテーマが続いているので、少しポジティブなテーマにしようと思ったんですが、気分的に救えないこともあると選びました。
ということで、今日も第1コーナー、人生いろいろ。
第2コーナー、頑張れホモ・サピエンス。
第3コーナー、SNSあれこれ。
そして第4コーナー、ザ・冬一郎さんぽでお送りしてまいります。
今日も最後までお聴きください。
はじめるラジオキャンパス シーズン5 プレゼンテッドバイ キャンパス
はい、はじらぢさんでぃ10月20日日曜日。
寒い寒い札幌からお送りしてまいります。
朝、天気悪かったんですが、今、晴れ間が出てきて、羊雲がゆっくりと流れていますね。
穏やかな。空を見る限り穏やかな天気なんですが、風が冷たい。
ちょっと昨日の夜がすごい風が強かったんですね。
そんな感じでだんだんだんだん一歩一歩、冬が近づいてきたなぁと。
そんな札幌です。
人生いろいろ、救えないこともある。
これはたくさんありすぎて、何をお話ししようかな。
まあそもそもね、救えると思う方が間違ってるという部分もあって、
何でもかんでも救えるわけじゃない。
子供時代おまつりに行って金魚救い、下手くそでね。金魚すくえないという。
すくえないことだらけで、すくえたことがあんまりないということなんですが、
救えないこともあるっていうのは金魚すくいの話ではなくて、
いろんな意味で人に限らず何かを救うということができない瞬間はたくさんあったわけですよね。
命だったり人だったりあるいは物だったり、いろんな意味で救う。
まあ救うというのは結局いろんな意味あるんですけど、
まあ生きながらえさせるだけじゃなくて、
やっぱりこうある程度、不幸を感じている時に少し幸せな気分になるとかね、
いうことも含めて救いようがある状態になることを言うんだろうなと思うんですけれども、
だけどやっぱりどうにもならないっていうかな、救えない。
救いようがない人っていうのもいたけど、それはまた別の問題だね。
救いたいけど救えないということはありましたね。
逆にこう若い時期っていうのは救えると思ってやって、
逆に失敗してもっと救いようのない状態になってしまうっていうね。
これ、だったら最初から手を出さなきゃよかったみたいな、
そんな思いに駆られたことも結構いくつかあるんですけれども。
それからは、そんな失敗をしたこともあるんでしょうが、
もう救えないものは救えないっていう、ある意味、見極めですけどね。
もちろんこれはちょっと救いようがないし救えないよと思いながらも、
いや救えるはずだと思って救うようなこともあったんですが。
どちらかというとそっちの方が多かったような気もするんですけれども。
でもやっぱりどうにもこうにもやっぱり救えないという時には、
逆に若気の至りで手を出した時あるんですが、
結局、自分の無力を思い知らされて終わることが多かったのでね。
そういう意味でやっぱり自分にそれだけの力がないことについては、
これはもう涙を飲んでも見送るということも必要なんだなっていうのを
学び始めたのがでも30近くなってからなのかなという気がしますよね。
それ以前は、救いたい気持ちがあって救えると思って、
でも結局何にもできなかったということの方が多くて、
逆に今度はいろんなことがそれなりにできるようになったのに、
それでもこれはどうにもならないっていう。
ここでむしろ手を出すことが必ずしもプラスにならない。
アレクサ君がピンポン言いましたが、
これはおそらくアマゾン君からの配達が届くんでしょうね。
コーヒーフィルターを頼みました。
それが届きますという、そういうお知らせだと思うんですね。
たぶん配送先出たんでしょうね。配送元か。
アレクサお知らせは? ということでコーヒーフィルターね。
これ実はコーヒーフィルターまだあるんですけど、
だいぶ在庫が減ってきたこともあって、
最近コーヒーよく飲むんですよね。
それで実は今アマゾンの感謝セールか何かやってて、
ある一定額使うとポイントが増量になる、増える。
ポイントが増えるっていうことで、
あと2円です。
あと2円ってまた微妙なところで、プライム感謝祭か。
あと2円でポイントアップとかになったら、
あと2円だと何か買わなきゃと思いながら、
2円のものってあんまなくて。
コーヒーフィルターも一人用のやつですね。
一番ちっちゃいやつね。
これを200円ぐらいだったかな、300円ぐらいだったかな。
これ買っとけってことでそれを1個買いました。
コーヒーフィルター1個、
アマゾンプライムだからただで配達してくれるんですけど、
これただで配達する方も大変だろうなと思うんですが。
とにかくそれが届くという通知が来たので、
もうすぐ届くんでしょうねきっとね。
ここのところ少しいろんな買い物をちょっとだけしましたね。
冬一郎くんのおやつも買ったし、
他にもちょっと家庭用品というか、
本当に雑貨ですね。
雑貨を少し、トイレットペーパー含めて宅配で、
だいたいもう買い物行かないんで、
コロナ以降買い物行ってないですね。
全部宅配で楽天かアマゾンかをメインに頼んでしまうという、
何の話してるのかわかりませんが、
救えないこともある。
だいぶ話外れましたね、
今の話と救えないこともあるは。
ちょっと繋げようと思いながら喋り続けたんですが、
繋げようがないね。ちょっと救いようがないですね。
はい、救いようがない。
救いようがない脇道に逸れてしまいました。
失礼しました。
これも全てアレクサくん、アマゾンくんのせいですね。
ぴぽ、ぴぽって言ったので。
それでちょっと救いようがない方に横道に逸れてしまいました。
あとは何か具体的な話を本当はできるといいんですけど、
この救えないこともある話の具体例っていうのは、
なかなか話しにくいですよね。
具体的に話すのが非常に難しい。
ある意味、見捨てたわけだよね。ある意味、見捨てた。
あるいは見捨てざるを得ないっていうか、
でも見捨てるって言い方もおこがましいっていうかね。
見捨てるも何も最初からそれはね、
それは自分がなんとかできると思ってても見捨てるしかないみたいな言い方になっちゃうんだけど、
それもちょっとね、尊大な言い方なので。
そうじゃなくて、別に知らんぷりしたわけじゃなくて、
自分なりにやっぱり考えて考えてどこまでできるかシミュレーションもして、
だけどこれはどうやっても無理だっていうことはあるんだよね。
これはもうやっぱ諦めるしかない。諦めだね。諦め。
見捨てるじゃなくて諦めですね。諦めの境地ってやつですね。
最初から別に諦めるわけじゃなくて、
それはでも石にかじりついてでもやった方がいいっていう人もいるわけね。根性論でね。
最近そういう人減りましたけどね。
最近はむしろみんな見て見ぬふりをするというか、
そもそも救いようがあるというか、
救うとか、そういう発想自体がなくなっちゃってる気がするんですけど。
まあだけどできることなら救えるものは救いたいと。
やっぱりそういう気持ちの方が強い人間なので、
だけどそれでもどうにもならないときはもう涙を飲むしかないですね。
もう自分の無力を抱きしめるしかないっていうか噛みしめるしかないっていうか。
それでもう少し自分の力をつけるみたいな方向で、
そこで関わるよりもという選択をしてきたんでしょうね、きっとね。
まあこの先もうそういうことをやることはないです。
今はもう世捨て人のように、世捨て人のようにね。
もう救うもくそもないという。
そんなことを考えるのもおこがましいと。
ただの年金生活者なんで。こっちが救われてるわけね。ある意味ね。
まあ冬一郎にも救われ、公的年金制度にも救われ、
まあいろんなものに救われながら生きているなという、そんな還暦オヤジでした。
ということで人生いろいろ、救いようがない話でしたけど、
まあこんな感じで救えないこともあるということで。
カラスも自分の子は救うという。
だからまずは子供でしょうね。
子を救おうとする行動はやっぱり取るようになったんでしょうね。
ネズミじゃなくてイナバのクロウサギでしたっけ。
クロウサギ。
昨日テレビ見てたらクロウサギが出てきて、
自分の子供を子供用の巣穴を作って、
そこで、アマミのクロウサギか、アマミのクロウサギですね。
子供用の巣穴を作って、あそこはハブね、ヘビのハブね。
ハブが天敵だそうで、
ハブから子供のウサギを守るためにウサギの子供用の巣穴を作って、
餌だけ与えたらまたその子は巣の穴に戻ってくわけね。
土の中に戻ってく。
その穴を埋めるんですね。
生き埋めにするのかと思いがちなんですが、
入り口を塞ぐんですね。
ウサギ、すごいなと思いましたね。
やっぱり救おうとしてるわけですよね。
他にも鳥とかでやっぱり大きな鳥にヒナが襲われるのに対して、
それを救おうとする鳥の映像なんてたくさん見たことあるし、
やっぱり子供を救うっていう感覚は出てくると思うんですが。
今度は仲間を救うとか、あるいは他人を救うというね、
そういう感覚っていつからどんな風に生まれるんだろうなっていうのをとても思うんですよね。
仲間を救うっていうのは、ある意味ちょっと家族に近いところがあるんで、
親密性でね、やっぱり仲間意識、家族意識みたいなのが、
家族と仲間の境界ってどこにあるのかっていう問題もあるんでしょうけども、
そういう気持ちはわかるんですけども、他人でも救おうとするじゃないですか。
これはなかなか高度な話なんだと思うんですけど、
最近のホモ・サピエンスはね、他人が殴られても蹴られてても、
何があってもこけても誰も救おうとしないっていうね、見て見ぬふりをする。
逆にスマホで映像を撮ってるみたいな、動画撮ってるみたいな人が増えちゃいましたけどね。
救いようがないなと思うんですが、そういうのを見てるとね。
それこそこれいつだったかな。名古屋だったかな。何年前?10年くらい前ですかね。
あるそんなに年取ってないんですけど、60代、70いってたかどうか。
女性、おばあさんがいきなりつまずいてこけたんですね。
歯から、口から血出しちゃって、歯が折れちゃったんですね。
入れ歯だったと思うけど。入れ歯が折れちゃった感じで、
もうなんかこう口から血出ちゃって大変だったんですが。
私、大丈夫ですかって言ったんですけど、
そしたらそのおばあさんが言ってたのが、
最近こういう人いないよねって言ってくれたんですけど、
そうなんですかって逆にこっちはびっくりしたんですが。
ホモ・サピエンス、他人を救わなくなったホモ・サピエンスは、
今度いつからなぜ救わなくなってしまったのか。
そんなこともちょっと思ったりするんですけど、
これは一度考えてみる必要があるかなと思うんですけどね。
ということで、中身ないですけれども。
そういえばもう一個、ボノボ。
ボノボの映像、これYouTubeですね。
ボノボがボノボをかばうんですね。
仲間をかばう。
これ家族じゃなくて他人だと思うんですけど、
一緒に暮らしてるから仲間意識があるんでしょうが。
人間に怒られてるボノボの後輩というかな、
をかばうんですね。
そんなに怒るなよって人間を諌めるみたいな。
かばおうとするみたいな。
こういう相手をかばうみたいなね
気持ちはどこからどんな風に生まれて、
そしてどうやるとそれを失っていくのかっていうね。
なんかそんなこともとても気になりますね。
何なんでしょうねこれはね。
少し思うのはやっぱりなんだろうな。
生身の痛みですね。
生身の痛みを知ってるかどうかじゃないですかね。
これ心の痛みにも想像力発揮して、
そういう想像力でそれも理解するんでしょうけど、
やっぱり生身の痛みね。
殴られたら痛いとか怒られたら辛いとか。
そういう共感能力ですね。
共感能力ですね。
そういう共感能力がやっぱり芽生えるんでしょうね。
ところが最近そういう共感能力がどんどんどんどん
失われてきているような気がするんですけどね。
やっぱりこれは生身の実体験がなくなってるからじゃないかな。
昔は兄弟喧嘩もあったし、
近所には学年違った年齢の違うガキ大将集団があって、
そこでいじめたりいじめられたり、
そこでかばったりかばわれたりみたいなことがあったんだけど、
そういうことから隔離されてるんじゃないですかね。
今の子どもたちはね。
そういう経験がないという。
群れの中でちょっといじめたりいじめられたりした中で
かばうかばいあうみたいな関係がなくなっちゃって、
欠如したまんま小学生中学生になって
いじめが起きてもみんな見て見ぬふりをするみたいなね。
やっぱりもうちょっと生身のぶつかり合い。
それこそうちの娘はどこまでそういうことできるのか知らないけども。
保育所ですよね。
ちょっと共同保育所的な保育所にお世話になって。
保育所で育ったみたいな感じなんだけど、
そこはやっぱり面白いんですよね。
子どもと赤ちゃん同士というか2歳児3歳児4歳児が
もうつねったり殴ったり蹴ったりやるわけですけどね。
やっぱりなんかああいうぶつかり合いを
集団的にやる経験がなくなっちゃった。
つまり群れですね。
動物の群れとしての経験がなくなっちゃったことで
ホモ・サピエンスは共感能力とか相手をかばう能力とか
他人を救いたいみたいな気持ちが
どんどん育たないまま大人になっちゃうみたいなね。
いう風になってきたのかなっていう気も
ちょっとしなくもないですね。