1. はじめる radio キャンパス
  2. #010 はじらぢさんでぃ [no mu..
2024-03-10 46:44

#010 はじらぢさんでぃ [no music] HRC season4

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▶︎はじらぢ Sunday /はじめるradioキャンパス season4

人生いろいろ/思い出の一曲/北海道あれこれ/SNSあれこれ/今週の一曲/ザ・冬一郎さんぽ
 

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サマリー

#010では、はじらぢさんがHRC season4について話しています。彼は自身の名古屋と札幌での暮らしや大学生活について語ります。名古屋と札幌を結ぶ思い出の一曲で名古屋の学生時代と札幌でのコミュニティFMについて話しています。北海道のコミュニティFM文化については、札幌市内の各区にほぼコミュニティFM局があり、ラジオ文化が根付いていることが語られています。また、冬一郎君の散歩の様子も取り上げられ、寒い朝や溶け始めた雪などの季節の風景が描かれています。札幌の冬も終わりに近づき、春の訪れを感じる中、最後の配信となるシーズン4の第10回目のエピソードが公開されています。

名古屋と札幌での暮らし
はじらぢさんでぃ、新しい一週間が始まりました。
3月10日日曜日、朝9時15分、名古屋ウイメンズマラソンがスタートを切りました。
ウイメンズマラソンを見ながら、はじらぢさんでぃ、収録したいと思います。
今日は、シーズン4が始まって10個目のエピソードですね。
札幌は、昨日の夜から結構、雪が降りまして、20センチぐらい積もりましたかね。
ただ、もうすでに雪は止んで、朝のお散歩中は雪が結構降ってたんですが、もう止んで、今晴れてますね。
これから気温が、今日から明日にかけて気温が上がるので、もうあまり雪かきはせずに、自然に雪が溶けていくのを待とうかなーなんて思っている、そんな朝の札幌です。
ということで、はじらぢさんでぃシーズン4、エピソード10をお送りしていきたいと思います。
第1コーナー、人生いろいろ。第2コーナー、思い出の一曲。第3コーナー、SNSあれこれ。そして第4コーナー、ザ・冬一郎散歩でお送りしてまいります。
今日も最後までお付き合いください。
はじめるラジオキャンパス シーズン4
プレゼンテッドバイキャンパス
はじらぢさんでぃ、3月10日。シーズン4、10個目のエピソードです。
第1コーナー、人生いろいろ。今日はちょうどテレビで名古屋ウイメンズマラソンやってるので、少し名古屋のことを思い出して、私と名古屋の関わりについてね、お話しようかなと思ってます。
今札幌に住んでるんですが、札幌に越してきたのは7年前。それまでは名古屋に住んでました。35年、結局35年住んでましたね。
私は父親は北海道の旭川出身で、ただ私は東京で、戦後を迎えた父親が東京で結婚したんですね、栃木の女性と結婚して東京に住んで、町田で生まれたんですね。
私は1963年ですけれども、去年還暦を迎えたわけですが、その町田に2歳まで住んだ後は神奈川県秦野市という秦野、小田原の近くですね。秦野市。
二宮尊徳が生まれた生家からも近い地域で、タバコが有名でしたね。秦野。落花生もとれたけど、タバコの方が有名でしたね。タバコ祭りっていうのがあって、タバコで松明を焚くんですね。水無川っていうのがあって、あれもなかなか見物でしたけどね。
もう今はやってないんでしょうか。水はあっても水無川と言ってました。そんな神奈川県秦野市で小学校2年の終わりまでですね、過ごした後、小学校3年生から栃木に引っ越したわけですね。母親の実家がある栃木に引っ越して、高校3年生まで10年間、栃木で過ごしたと。
だから2年、8年、10年?18?あ、違う。2年、6年、10年。で、18歳まで関東で過ごして。その後、大学1年生から名古屋に住んで。名古屋は縁もゆかりもない土地で、身寄りもない、知り合いもゼロ。誰も知らない知られちゃいけない名古屋に1人で行ったわけですね。18歳の
若者が。誰も、知ってる人が誰もいないところに行きたかったんですね。なるべく実家から離れたかったということもあって名古屋に行ったんですが。
他のとこ行ってもよかったんですけどね。北関東の高校だったので、同級生とか、みんなだいたい東京か京都か、あとは北にのぼるんですよね。仙台とか札幌とかね。そっちも魅力だったんですが、私は誰もいない、誰も行かない名古屋に行ったという話なんですが。
なんで名古屋に行ったかっていう話は置いといて、とにかく大学4年間だけ名古屋で過ごそうと。また関東に戻ってくるもんだと自分では思っていたにもかかわらず、結果的には35年間も名古屋に住んでしまった。
最初名古屋に行ったときはね、暑い。夏が。とにかく。それが嫌でしたね。すっごい暑いなぁと。名古屋の人はみんな地下街に避難するんですね。札幌は雪があるから地下街に避難するんですけど、名古屋はね、暑いから地下街に避難するという。そういう地域でしたね。
札幌も名古屋も結構似てまして、街のつくりとか、地下街が結構発達してるとか、地下鉄もね、似たようなタコ足で伸びてったとかね、そんなのも特に似てるんですが。大通りも似てるし、テレビ塔も似てるし、街中にすすきのと栄に観覧車があるのも似てるしね。
とても街のつくりも似てるんですが、それはさておき。都市の規模も、名古屋の人口と札幌の人口はほぼ近いんですよね。名古屋の次が札幌ですので。そういう意味ではとても似た都市ですが、何が違うかというと、名古屋は灼熱の夏、札幌は雪の多い冬というね。
こういう違いがあるわけですが、それはさておき、名古屋にとにかくなんで35年もいたのかと。大学4年間でさっさと終わりにすればよかったんですが、名古屋に長居をしてしまった。そしてなぜか札幌に来てしまったという。想定外の人生ですけども。
それもこれも名古屋に行ったとこから全ては始まったわけですね。今日は何を、話すことがありすぎるんですが、名古屋に行ってとにかく大学は6年間、学部と教養部やりましたね。
大学での学生生活
結構、人生に悩んだわけじゃないけれども、いろいろ、授業も出ずに別のことばっかりやってたので、結構長いこと大学はいたんですね。最初6年間いて。本当は5年で出れたんですけど、6年目大学院に行こうと思ってね。それでもう1年いたんですけど、学部に。
それはさておき、その後、大学の教員になっちゃったわけですけど、学生に言ったのは、単位が足りなくて卒業できないんです、なんとかしてくださいって頼みに来た学生に、大学は4年で卒業するのもったいないよって。
僕も6年いたし、5年目ぐらい、そんな生き急いでも、何歳で死ぬかわかんないんだから、急がなくていいよって言いながら、単位を上げずに留年した学生も何人かいますけど。
下手にそこで卒業させちゃうと、結局その後の人生を失敗すると思ったんで、そういう選択をしたわけですけども。それもさておき、その後、大学院に行って大学院マスター2年、ドクター3年、助手3年と
やって、大学院と助手で8年いたわけですね。だからその大学には結局14年、学生時代含めていたわけで、その後、今度は大学教員になるしか道がなくなっちゃったので、いろいろ応募するわけですよね。
そこでたまたま拾われたのが名古屋の音楽大学だったということで、そこはもう3年か5年でやめようと。
私は音楽が専門じゃないので、政治学が専門なので、法学部政治学科、できれば政治学科。やっぱり専門教育をしたかったですよね。音楽大学では教養科目としてしか教えられないので、それはそれでやりがいはあったんですけども、やっぱり専門教育をしっかりとやりたかったですけどね。
ただ、そこの、音楽大学という特殊性、そして私立大学という特殊性、しかもそこに就職したのは1996年なんですけど、少子化の波がやってき始めた時期ですよね。
これから私学経営は困難な時代を迎えると。その割には全く危機感がない。打つべき手も打ててない。そんなふうに思っちゃったんだね。思わなきゃよかったんですが。思っちゃったもんだから。
最初は自分がやってもどうかなと思ったんで、やらずに傍観してたんですが、傍観もしてられなくなっちゃって、手出しちゃったら。その後の人生はあちこちで語ったんでもう語りませんけどね。それでいろいろやってるうちに、なんと35年ですね、名古屋。
その大学に21年も勤めちゃったという。人生の何分の1かわかりませんが、かなり多くを過ごしちゃったわけですね。その後、札幌の私立大学で4年。結局25年間私立大学に勤めた。14年間、国立大学で学生時代を含めていたという形ですね。
名古屋話。今ウメンズマラソン走ってますけど。あれ、コマーシャルになっちゃった。名古屋の街を走ってて、ちょうど私が住んでたマンションからもう歩いて2,3分歩くとね、ウメンズマラソンとか名古屋のマラソンコースのコースに出るんですよね。だからもうすぐ近くで見れたんですけど。
これ札幌もそうですね。札幌もマラソンコース、ここから結構近いんで。見に行こうと思えば10分も歩けばマラソンコース見れるんですけどね。見に行ったことはないですけども。そういう意味でも環境が似てるんですね。
なんにも名古屋の思い出になってませんが、何の話しようかな、名古屋の。とにかく長居をしてしまったことで、人生がそこで終わったわけじゃないけど、過ごしちゃいましたね。
だから名古屋は、結局、東京、神奈川、栃木。2年、6年、10年。で、名古屋35年、札幌7年。名古屋が一番長いわけですよね。35年。人生の半分以上がやっぱり名古屋で過ごした形になりますね。
これで今60歳だから70歳前に死ねば、人生の半分以上が名古屋だったということになるわけですが、70歳を超えて生きたら人生の半分以下がね、半分近くが名古屋だったってことになるんで、やっぱり名古屋で生きたというのは自分の人生の中に刻印されてしまったのかな。
人生の故郷となった名古屋
そういう意味ではとても愛着もあるしね。第二の故郷というか、そもそも第一の故郷がどこなのかわかんないですよね。結構引っ越しも転校もあったので。そんな頻繁ではないけどやっぱり、東京町田の思い出はないけど、神奈川の思い出は結構ありますし。幼少期過ごしてね。
だけどやっぱり栃木かな。栃木がやっぱり最初の故郷になるのかな、10年間。でも結局名古屋の方がどっぷりつかりましたね。中身ないですね。
ウイメンズマラソン、今まだスタートして20分ぐらいしか経ってませんけど、今日はどんな感じになるんでしょう。声日記界隈でもね、名古屋ウイメンズマラソン出てる方いるみたいですけれども。
例によって高橋尚子さん。この人も岐阜出身だったっけ。愛知名古屋に縁がある人ですけれども。今日も解説してますね。取り留めがなくなってきました。
よく聞かれるのが、札幌で4年で大学辞めるつもりはなかったんですが、辞めた後名古屋戻るんですかとか、あるいは名古屋の人から戻ってきてくださいというアピールが結構あったんですが。
名古屋帰ってきてくださいとか、戻ってこないんですかって言われたんですけど、ここは悩みどころでしたね。結局戻らなかった。
というのは、やっぱりそもそも縁もゆかりもないっていうか、身寄りも何もない土地だったので、戻ったところで、昔の仲間はいるにしてもやっぱり最後に住む土地ということでもないなと思ったんですよね。
むしろ北海道、札幌も縁もゆかりもないんだけど、やっぱり父親が、自分の実のオヤジの出身が北海道、旭川。
祖先はずっとやっぱり北海道で過ごしてきた。かなり古い時期から北海道に住んでた感じですね、うちの祖先はね。
どうも元をたどるとね。
屯田兵なのかそれより前なのかわかんないんですけどね。ルーツ探ってみたい気もしなくもないけど。そこまでやる気もないですけどね。
そんなことで自分のアイデンティティというか本拠地というか、まあふるさとというかね。今はもうみんなふるさと持たない人多いですけれども。
どこなのかなと思いつつ、今札幌でのんびり最後の人生の余生を北海道犬冬一郎君と過ごしていると。
ポッドキャストをやりながら、民泊ゲストハウスをやりながら、何の名古屋の思い出にもなってませんが、とりあえず名古屋ウィメンズマラソンを見ながら人生をいろいろ語ってみました。
第2コーナー、思い出の1曲です。
はじらぢさんでぃ、3月10日、シーズン4、10回目の配信です。
思い出の1曲、第2コーナーですね。
今日はまあ人生いろいろだったり、少し名古屋に25年、35年も済んじゃったんだよって話をしたので。
その名古屋の思い出といえばやっぱりこの曲ですね。
ちょうど名古屋の大学に進学して18歳で、学生生活を送るわけね。
これは楽しいわけです。やっぱり自由なわけですよね。
今だから言えるけど、やっぱり当時はコンパとかいっぱいありまして、コンパしまくりですよね。
大学1年生からコンパコンパの連続で、コンパばっかり。合コンも全盛期でしたしね。
まだバブルは始まってないですけども、だんだんバブリーな時代に向かっていく。
そんな時代でしたね、1982年ですかね。
今ちょうど「ふてほど」、「不適切にもほどがある」というドラマをテレビでやってます。
あれが1986年です。ちょうどあんな時代ですよね。
合コンもやったし、イッキイッキもはやったしね。いろんなことをやりました。
そんな名古屋で、夜の街を気持ちよく歩いていると、友人たちと。流れてきたのがこの曲ですね。
花ぬすびとの明日香さん。
これは当時はもう本当に知らなかったんですが、
私大学1年生で、名古屋の夜の境の街をいい気分で歩いてると流れてた曲です。
ヤマハのポプコンで優秀賞かな、とったんですが。
後で知ったんですけど、それを誰が歌ってるのかも当時は知らなかったんです。
後で知ったんですね。これ10年後ぐらいに知ったんですけど。
なんとその後、14年後か。
14年後に勤めた大学が名古屋のとある音楽大学だったんですが、
この明日香さんは私が大学1年生のときに、私が14年後に就職した大学の1年生だったと。
大学、音大の1年生でプロデビューしたというね。
この花ぬすびとが結構ヒットしたんですよね。
そうなんです。当時あみんも出てきた時期なんですけど、
この明日香、花ぬすびとが結構名古屋では流れたんですよね。
全然知らなかったですね、同級生が
歌ってた。
しかもその大学に私は就職して、しかもそこで学長にもなっちゃった。
明日香さんとは結局会えなかったんですよね。
癌で亡くなってしまったので。
だけど私が学長時代に音楽祭を提案して、
第一回音楽祭っていうのをやるときのスペシャルゲストがこの明日香さんだったんですが、
その本番の数日前に亡くなったということで。
とても本当に、出演したくて会いたくてって言ってくれてたんですが、残念でしたね。
お母様と娘さんと息子さんにはお会いしていろんな話をしたんですけどね。
そんな思い出がある方ですね。
さらに札幌に越してきて、実はこの明日香さん札幌に住んでた時期がありまして、
札幌のとあるコミュニティFMでラジオパーソナリティを数年間にわたってやってたんですね、明日香さんね。
私も実は札幌に来て、来た年の9月にゲストでそこに出させていただいて、
そこのコミュニティFMの会長さん、立ち上げた方ね、女性の方と、
この明日香さんの思い出話をしたんですね、ラジオでね。
それ音源も残ってるんですけども。
だから札幌に来ても縁があるという。コミュニティFMでラジオパーソナリティをやってた。
名古屋でも実は大学1年のときに何気なく聴いてた歌が、
歌ってたのが、私がその後勤めることになった大学の1年生で同級生で同い年で、
しかも最初の音楽祭に呼ぶことになってたのに結局会えずに終わってしまって、
札幌に来たらまたそこで彼女の縁で繋がりがあって、
コミュニティFMのラジオパーソナリティを私も7年やらせてもらう、
7年じゃないか、5年ぐらいか、やらせてもらうことになった。
本当に会ってもいないのに同級生で早く亡くなってしまって、
そんな人ですね。
一度お会いしたかったですね。
そんな明日香さんの花ぬすびと。思い出の一曲です。お聴きください。
はじらぢさんでぃ、プレゼンテッドバイキャンパス。
明日香さんとの思い出
はじらぢさんでぃ第3コーナー。
SNSあれこれにしようって言ってたんですが、最初に。
でもやっぱり急遽変えて、北海道あれこれに変えたいと思います。
人生いろいろで少し名古屋時代の話をして、
そして思い出の一曲で名古屋と札幌とつなぐ明日香さんの話をして、
そしたらやっぱり札幌の北海道の話をね、
少ししたほうがいいかなという気になってきたので、
その思い出の一曲で聴いていただいた明日香さんの曲、
明日香さんの思い出を含めて、
そして札幌北海道に来てからコミュニティFMに関わったんですけども、
そこでのつながり。
ここも明日香さんが取り持ってくれた縁なんですけどね。
もうその頃は天国に見えたんですが。
その話を少ししようかな、北海道あれこれ。
私がなぜ札幌に来て、北海道でコミュニティFMをやったという。
これ前にも喋ってるんですけど、
明日香さん絡みの話を少ししようかなと思っています。
7年前に札幌にやってきました。
なんで来たかは他で語ったので、今日は語りませんがとにかくやってきて、
そしたらコミュニティFMのね、
けっこう有名な、北海道では老舗のコミュニティFMの会長さん。
立ち上げた女性の方が大学にご挨拶に来てくれて、
それでなぜか、今度ゲストで出てくださいって言われて、
そのコミュニティFMにゲストで出て、9月ですね。
そこでいろいろ話したのが、先ほど思い出の一曲で流した明日香さんの思い出話をね、
いっぱい語ったんですね。
不思議な縁ですねって話で語ったんです。
この話、これからちょっとしますけれども。
それが縁になって、12月からそのコミュニティFMで2時間の生番組、
月1回金曜日2時間生番組を5年ほどやらせていただきましたね。
トータル60回。コロナ禍で休んだ回もあったんですが、
60回配信させていただきましたね、毎月1回ね。
これも過去音源が残ってて全部手元にあって。
FM局の方は最初使わせてくれないって言ってたんですが、
著作権云々って言ってたんですけど、使わせてくれることになったんでね。
一度、「札幌五輪招致失敗」ということで別の番組でその音源、
ちょっとだけ使わせていただいたんですが、
これからこの音源もどっかで使わせていただこうかなと。
過去5年間ぐらいのいろんなことを語ってますので、
大学のこと、政治のこと、もったいないんでね。
もうお蔵入りになっちゃってもしょうがないんで。
これはこれでどっかで加工して使いたいなと思ったんですが、
それはさておき、そのコミュニティFMの会長さんもとても素敵な女性の方だったんですが、
やっぱり明日香さんと同じ病気で亡くなられてしまったんですけど、その後。
でもすごくよくしてくれて。
いろんな引き出し持ってそうなので、ぜひやってくださいって本当に頼まれてね。
ゲスト出演した後に、お礼の食事でもってことで、食事に行って、
そこで実はパーソナリティやってほしいんですって言われて、
こちらこそ光栄ですと言ってね、やらせてもらったんですね。
ノリが軽い学長だったんで。
まあね、現役の学長がコミュニティFMで生放送で番組もつっていうのは、
あんまり日本の大学では、ないんですけど。
ノリ軽く当時53歳、54歳になったところですね。
楽しくやらせていただいて、好き放題語らせていただいたといってもやっぱり制約ありましたね、当時はね。
あんまり好き放題語れない。
学長を辞めてからもずっとやらせてもらってたんですね。
去年の5月までやらせていただいてたので、結構学長終わってから好き放題しゃべってましたね。
足枷が外れたかのように好き放題語ってるんで、これもいずれね、過去音源を流したいと思いますが。
そんなわけで札幌に来てからも、
コミュニティFMとかで楽しくやらせていただいたということなんですが、
ちょっと戻って、思い出の一曲で語った、名古屋の私と同級生で、
結局会うこともなかった、明日香さん。
この方、コミュニティFMで何年ぐらいかな。結構早い時期に。
若いときにね、ちょうど子供が生まれたころだ。
札幌のコミュニティFM
子連れでママゾネスって言ってましたかね。
ママゾネスという番組があったそうですね。
これ日替わりで平日にやってたのかな。何人かのパーソナリティさんがいて。
今でもやってる方もいるみたいですけど。
それでやってて、その明日香の思い出を、
コミュニティFMの会長さんが語るわけですよね、いろいろね。
本当に同級生で、なおかつ名古屋で、しかも彼女がいた大学に勤めて、
音楽祭で最初にお呼びする形になって。
彼女は本一冊出してるんですね。本というよりブログですが、
これはてなブログだったんじゃないかな。ちょっと後で見てみます。
明日香さん本出してまして、ブログやってたんですね。
そのブログの始まりが、私が勤めた名古屋の音大の話から始まって、
最後の記事がなんと、私が学長時代に、
その音大で企画した第一回の音楽祭の話で終わるというね。
始まりも終わりも結構縁があるという。
なんなんだろうなと思いますけど。
そんな彼女がやっぱりそこでパーソナリティやってたからですよね。
私に興味を持ってくれたのは、たぶんコミュニティFMの会長さんがね
興味を持ってくれたのは、もともと興味を持ってくれてたんだけど、
やっぱりそれもさらに輪をかけてね
北海道のコミュニティFM文化
興味を持ってくれたことにつながってるんじゃないかなというふうに思います。
それぐらいかな。
北海道だけじゃないと思いますけど、コミュニティFMの歴史って結構あって。
札幌より北海道は函館のコミュニティFMと、それから札幌の市内のもう一つ、
私が関わったのは西区ですけど、もう一つ早めに立ち上げたコミュニティFMがあって、
結構コミュニティFM文化って根深いというか深いんですよね。あるんですよね。
札幌市内の各区ごとにほぼコミュニティFM局あるんじゃないかな、たぶんね。
それぐらいコミュニティFMっていうラジオ文化が根付いてるのが札幌ですよね。
意外とそれがいろんなお店とか喫茶店とかでも流れてるということなんですよね。
だからラジオ文化があるんですよね。
これがポッドキャスト文化になるのかな、分かりませんけれども。
そういう意味ではコミュニティFM自体がもう少しポッドキャスト化してしまっていいような気もするんですけど、
やっぱりあれはオンデマンドじゃなくてリアルタイムで流れる。
もちろん収録もあるんだけども、やっぱりオンエアですよね。
オンエアで流れてオンデマンド化しないっていうところにも意味があるのかもしれないですけどね。
この辺どうなんでしょうね。
分かりません。
ラジオ文化と、いわゆるこういうオンデマンドのポッドキャスト文化。
つまりリアルタイムでしか聞けないものと、オンデマンドでいつでも聞けるものと、
音声配信にはやっぱり2通りが未だにあって、
ラジオ文化っていった時にやっぱりオンデマンドではなく、
オンデマンド化してるラジオ文化もいっぱい出てきてるし、必然的にそうなっていくんですけど、
やっぱりリアルタイムでしか流れないものの良さもね、あるといえばあるんですよね。
その時にならないと聞けないと。
オンデマンドだけになっちゃったらやっぱり面白くないこともあるのかなと。
そういう意味ではコミュニティFM自体の存在っていうのは結構大事なような気はしてるんですけどね。
冬一郎君の散歩の様子
辞めた人間が何言ってんだと思うかもしれませんが。
そんなことで、今日の北海道あれこれ。
なんとなく北海道の話ではないですけれども、
私の名古屋人生、そして思い出の一曲からのつながりで、北海道札幌でのコミュニティFMですね。
その思い出の一曲で取り上げた明日香さんとのつながりについて、ちょっと簡単に触れさせていただきました。
この話はまたいずれどこかでね、別の番組で少し思い出を含めてまとめとこうかなーなんて思っています。
さて今週の一曲は、もう一曲、明日香さん行っちゃおうかな。
この曲あるかな。Spotifyで探してみます。
今週の一曲、この曲です。
ということで、第4コーナー、ザ・冬一郎散歩のコーナーです。
今日も収録音源からお聞きいただきます。
3月4日月曜日から3月10日の日曜日の朝までですね。
3月4日の朝はにゃんこに会いにまた行ったと。
それからサイレン、救急車かな?消防車かな?のサイレンに呼応する遠吠え冬一郎。
そして3月5日の午後。
そして3月6日の朝と夕方。この日は結構マイナス8度まで下がったんですね。
それから7日の朝、ちょっと雪が10センチぐらい降りましたっていう話と午後のお散歩。
そして8日金曜日の朝が結構冷たい朝でした。
これもまたにゃんこに会いに行って、にゃんこに会えたんですけど見つめ合ってましたね。
そして夕方はお散歩終えた後、家の前の雪山で15分ぐらい番犬。寒いんですね、これがね。
そして9日の夕方散歩、そして今朝10日日曜日の朝。
雪が20センチぐらい降ったんですね。雪もちらつく中の、結構降る中の散歩でした。
今晴れてるんですけども、雪国の景色の中の散歩までお聞きください。
3月4日朝7時。一目散に冬一郎君は若いにゃんこの元へやってきたけど窓が閉まっててにゃんこはいません。
諦めろと言ってるんですが、おしっこもせずに一目散にやってきました。
おしっこ溜まってんでしょ?おしっこしてからまた戻ってこよ、ここに。
にゃんこまだ出てこない。冬一郎。にゃんこまだ出てこないよ。行くよ?置いてっちゃうよ?
はい、そんな感じで。今日も冷たい朝ですね。
気温マイナス4度か5度ぐらいですね、でもね。ちょっと気温上がったかな。
はい、そんな気持ちのいい札幌です。
民泊のお客さん2泊目終わって今夜が3泊目。まだ寝てましたね。
昨日は朝早くお出かけになったんですが、今日は寝てるみたい。
昨日25キロ歩いて疲れたって言ってました。
ということでではまた。
朝7時10分。ようやくにゃんこのところを離れておしっこを2箇所でして、
さあお散歩行こうって言ったらまたにゃんこのところに戻ってきた冬一郎君です。
ではまた。
おしまい。
3月5日午後4時12分。
冬一郎君は5日連続で年下のにゃんこの家のところに来てます。
動きません。
もう疲れちゃう。
ということでではまた。
今日は穏やかですね、天気はね。寒くもなく。
冬一郎君、お前銅像になっちゃうぞ。雪像になっちゃうぞお前。
動きません。ではまた。
3月6日水曜日朝7時50分。
お散歩出てきました。
今朝はマイナス8度まで冷え込んでますね。
まあでも風もなく日差しもあって穏やかな日です。
冬一郎君は朝お散歩出ておしっこ一発した後、
早速にゃんこ、年下のにゃんこのところに来ました。
にゃんこいないね。
にゃんこいないね。だいぶにゃんこ熱も冷めてきたかな。
前ほど真剣じゃなくなってきました。
これでもう6日目くらいですね。
にゃんこのところ毎朝毎晩通って。
さあお散歩行くぞ冬一郎。にゃんこいない。
季節の風景
にゃんこいない。行くぞ。
ということでではまた。
3月6日水曜日午後4時45分。
今日は夜8時か9時ぐらいに民泊のお客さんがやってくるということで、
今お散歩中なんですが、
冬一郎君は年下のにゃんこのお家の前で、
お家の前というかお家の裏で、
正座座りして、銅像座りして、
けなげに待ってますが、
どうやらにゃんこに嫌われたみたいです。
冬一郎君寂しいね。にゃんこ出てこないね。
けなげに待ってます。
雪がちらついてきました。
このまま雪像になるかもしれません。
早くお家に帰ってご飯食べて、
ぬくぬくしたいと思ってんですが、
雪降ってきましたね。ちらちらとね。
ちょっと大雪注意報かなんか出てるみたいですね。
ということでまた雪が降るのかな。
はい冬一郎君帰るよ。また眠たいんでしょ。
ではまた。
3月7日木曜日朝6時55分。
気温はマイナス6度。
今日はマイナス9度まで下がるみたいですね。
大雪注意報も出てるようです。
今は晴れてますね。
昨日よりちょっと10センチぐらい降って、
はい冷たい朝ですが気持ちいい朝ですね。
空気が冷たくて気持ちいい。
冬一郎君はおしっこをして、
年下のにゃんこのところにやってきました。
民泊のお客さんが見えました。
香港のチャーミングな女性。いいですね。
とてもねアクティブな感じで。
今日は富良野と旭川と、
そして稚内まで行くって言うんですけど、
稚内、遠いよ。
はい。ね。
うちでのんびりしていけばいいのに。
ということでではまた。
3月7日木曜日。
午後4時6分。
夕方の散歩出てきました。
ちょっと雪降ったけど止みました。
まだ降るみたいですけど、
来週からは気温が一気に上がって雪解けを迎えるみたいですね。
今年は春が早そうです。
どうした冬一郎。
のんこちゃんいたかのんこちゃん。
ということでではまた。
3月8日金曜日朝7時50分。
冷たいです。手が冷たい。
マイナス6度7度8度ぐらいですか。
マイナス8度ぐらい。
冬一郎君はまた近所の年下のにゃんこの家の裏でにゃんこと見つめ合ってます。
にゃんこちゃんも今日は逃げずに窓の向こう側で窓というかお家の中の窓の向こう側で冬一郎君を見つめてます。
冬一郎君も見つめてます。
2人で見つめ合ってます。
寒いです。こっちは手が冷たいです。
はいもうスマホしまいます。ではまた。
7時じゃないや5時14分。
日が長くなりましたね。
冬一郎君はお家の前で番犬中。
もう番犬やらないと1日が終わらない冬一郎君ね。
怪しい人が来ないかどうか。
この冬一郎がお家を守ってるという感じの使命感バリバリですね。
後ろ姿が凛々しいです。ではまた。
3月9日土曜日。夕方4時13分。
散歩出てきました。ちょっと溶けてますね路面がね。滑りやすいですね。微妙に溶けて。
はい冬一郎君はおしっこおしっこです。シャーベット状になってますね。
来週に向けて気温が上がるみたいです。ではまた。
3月10日朝7時53分。雪が降りましたね。また20センチぐらい。
降りました。今も降ってます。雪国の朝です。風はないので穏やかですけど。
気温もそんな低くないし。
まあ来週気温が上がるんで溶けるでしょうね。一気にね。
最後の雪かな。そうでもないのかな。
冬一郎君はニャンコのところに行きました。長い長いおしっこをして。
鼻でおしっこの匂い隠して。ちゃんと雪で埋めて。
それからニャンコのところにやってきました。冬一郎君。日曜日。静かな日曜日です。
誰もいません。ということでではまた。
ということで3月上旬のお散歩音源をお聞きいただきました。
気温はそこそこ寒かったんですが、結構穏やかな日が続きましたね。
昨日の夜も雪は結構降ったんですが、穏やかに静かに降ってたと。
気がつけば朝20センチ積もってるということですが、今天気回復して、もうこれから気温も明日に向けて。
明日から来週というか今週は気温がだいぶ上がるみたいなんで、一気に雪どけが進むんじゃないですかね。
びちゃびちゃな道路になるような気がしますね。
シャーベットになり水たまりができて道路が海になるような
1週間に今週はなるんじゃないかな。そんな気がします。
春の訪れ間近ということで、今週の1曲は明日香さんの曲ね。
もう一つの、本当は別の「鵜飼開き」を聴いてもらおうと思ったんですが、どうもSpotifyに見当たらなかったので、「卒業白書」というね。
これ聴くと栃木の中学校時代を思い出しちゃうんですけどね。
こんな曲も今日は聴いていただきました。
ということで、ザ・冬一郎散歩のコーナーでした。最後エンディングです。
はじらぢさんでぃ、3月10日の配信を聴いていただきました。最後までお聞きいただきありがとうございました。
シーズン4第10回目の配信
これがシーズン4入って10個目の配信ということで、このシーズン4は20回で終了ということで、あと残すところ10回ということになります。
5月末までの命、余命わずかということですが、ぜひお付き合いいただければと思います。
今日は人生いろいろ、名古屋話、ウイメンズマラソン見ながら、まだ走ってますね、ウイメンズマラソン。
それから思い出の1曲は名古屋と札幌に、両方につながるお話。
北海道話はコミュニティFMの話をさせていただきました。
ザ・冬一郎散歩ですね。
冬一郎くんの名前の由来あてクイズはそろそろ再開したいなと思ってますが、
考えてる方いるんでしょうか、いないんでしょうか、やる意味あるんでしょうかとか思いながら、
今日も配信をさせていただきました。
はじらぢさんでぃ、次回は3月17日ですね。
3月も下旬になって卒業式も終わり、春休みですね。
春休み札幌でお待ちしてます。ではまた。
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