Season-9 Episode-8 退職するにあたり、この無謀にも近い挑戦についてきてくださった皆さんとの思い出を振り返りながら、今後、こうやって上手くいってほしいという願いを込めて、共に働いた皆さんへ最後のメッセージです。

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00:05
今はこんなに悲しくて涙も枯れ果てても
二度と笑顔にはなれそうもないけど
こんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう
回る回るよ
はい。回る回る言ってばっかの運営じゃダメですよでお馴染み。
今日はね、あんなこともあったなぁこんなこともあったなぁといつか話せる日が来ました
皆さんにこの4年間の振り返りをお話ししていこうかなと思います。ここからが本番です。
ちょっとなんか前に多分別のラジオを挟み込んでると思うんですけど
あっちは偽物です。
えっと
まあね
何から話したらいいか
何から伝えればいいのか
わからないまま時は流れて
歌がありますが
なんかねこう聞いてて面白い1時間にしたいので
えっと
できる限り中身の濃い話をちょっと続けていこうかなと思って
普段ラジオを撮るときは運転してたりとかね他のことしながらなことが多いんですが
今日はあえて何もしてないです
パソコンを目の前においてそれこそLINE WORKSでも見ながら振り返りながら過去のトークをとか思ったんだけど
03:07
それしたらちょっとインチキだしなぁと思って何というかその過去のトークを見て
あの人とこんな話してたとかね
やっぱりこう何だろうな記録に残ってるから
それを読み上げますっていう作業よりは
記憶に残ってて
そこにあなたがいて私がいてっていう
なんて思い出記憶
そういったものがきちんとそこに積み上がっていることに価値があると思うんですよ
本当にだからあえて何も見ないで
自分の記憶をたどりながらお話をしていきたいなと思います
まずは講師として入ったのが2019年の8月今から3年11ヶ月前ですね
1ヶ月後には社員になろうかなっていう話になってます
8月はおそらく今もう知ってる人は誰もいないと思うんですが
キッシー永田っていう2名ですね
1人じゃないですこれ2人ですね
キッシー永田の2名だけ関わりがあったのは
キッシーのライブ見に行ったりとかしてましたね
2人ともフレッシャー員ですね
そして講師の子たちとも仲良くしてたので
当時はまだ私も講師だったのでね
田川板駅前教室っていう教室でみんなで楽しくワイワイしてました
9月ごろシフトを出すっていう時になって
結構絞ったんですね
ちょっとシフト回収してくる人たちがあんまり好きじゃなかったっていうこともあり
こっちはちゃんと出してるのにここ出れませんとか電話してくるでしょ
知らない人が急に
いやいや出れるところ全部出してるのになんで電話してくんのみたいな
出れないって言ってんじゃんみたいなのがあって
しかも座席スコアを上げるかなんか知らないけど
入ってた授業が急にその日の夕方になって消されたりとかしたことがあって
なんかひどいなーって思いました
ひどい会社だなって思いました
だからもうシフト出さないで東京に行ってましたね
東京で友達と遊んだり
次の仕事何しよっかなーって探したりしてました
そこからちょっといろいろあって
人から誘われてばっかりで自分の仕事を決めてて
06:03
自分の意思で自分の仕事を決めたことっていうのがあんまりないんですね
新人の大学生から社会人になるときは自分の意思で決めてるんだろうけど
でも右も左もわかってないんでねその時は
改めて給料とかその仕事の格とか価値とかそういったものじゃなく
なんかこう地べた這いつくばって下から這い上がっていくみたいなのがやりたくて
自分の力を全く関係ないフィールドでどこまで活かせるんだっていうのを
試してみたかったっていうのも結構ありました
それでスタンダードに入ることにして給料も安いけど大丈夫って
あの専務と社長には言われまして
全然大丈夫ですよ今1020円でバイトしてますんで工事でとかってね
あの入りました最初の持ち場が北九州営業所
日渡し君っていう今の運行管理とか経理のやってる社員さんが
当時司書長から営業所長になったばっかりで
その日私の営業所長と私の部長っていうこの2人が新人みたいな形で
北九州の旧高台ライブラリーの狭いライブラリーに私たち2人だけじゃなく
今もどっかで部長さんやってる小木野とかもいました
小木野は当時人材マネジメントの社員さんでしたね
なんか3人でああでもないこうでもないこうした方がいいやした方がいいとかって話をたくさんしました
会社の未来の話ですね
その当時はまだ全然目先のトゥーズーチャット手配に追われて
面談もいつの間にかフレ社員が言って何の報告もなくて
やったのかやってないのかもわかんないようなとっても大変な状況でした
面談やってると思ったら親から電話かかってきて
誰もいないんですけどとかね本人に連絡しても繋がらなくて
フレ社員がそのレベルでしたたまに講師でいますけどね
当時20人ぐらいいたフレ社員のうち北九州営業者に今も20人ぐらいいるんですが
そのうち半分の10名もうちょっとかな13名ぐらいはですね
ほぼどこで何やってるかわからない感じの人でした
なのでちょっと申し訳ないんだけどって言って
今もフレ社員として活躍してくれてる中里君とかね
君やる気ないでしょうコマを取る気ないでしょう
だって僕勉強しなくても全然拝者なれますしみたいな
09:03
僕勉強したことないんでみたいな私学部の子がいてね
君と制度違うからって言ってももういいや
じゃあ君はもうちょっとライブラリーに出勤しなさいって言って
そこでトゥードゥとかチャットとかコンサルをひたすらやらせる方にシフトチェンジしました
入会取るはいいけど教材なんかもうなくても大丈夫ですよ
そこら辺コピーして使えますんでみたいなこと言ってすぐ解約出す中原君っていうのもいました
上手い子と言って調子のいい子というのがねとても得意な子でね
本当にね口から生まれてきたんじゃないかっていうような
とてもそういう子だったんですけどね
中原君は大学生同士のコミュニケーションぐらいだったらとても上手にできるので
これは人材マネジメントにしたらもしかしたら北九州が
その休校台以外の場所で運営できるかもしれないと思って
城野っていう今はもう師匠になってますけどね
小倉南師匠っていうところになったんですが
そこの城野っていうところで出勤して仕事してくださいってお願いしました
まあこれがね見事にはまって北九州一律大のフレ社員とか
あの師科大の講師さんとかねたくさん増えてくれまして本当に良かったと思います
それから岡くんね中原君の先輩の岡淳二くん
後の日本全国にてんてんと動いていってくれている
あの岡淳二くんですが今大阪にいますがね
岡くんも岡くんはね面談で遠くに行くのを楽しそうにして
いつも行ってくれてましたんで
まあ最後に師匠化する時は岡くんは下の席だなっていう風に思いました
面談はねそんなに強くはなかったんですが
まあちょっとずつちょっとずつ力をつけてきて
やっぱり部下ができるとあの力がつくっていうタイプだなと思って
部下をつけてねそれが見事にはまったんじゃないかなと思います
あとは後残って今いる人はいないかな
今あの折尾師匠っていう三位大のね
師匠をやってる杉本雄生くんのお姉ちゃんがそこの最初の師匠さんでしたね
杉本雄一さんねその子も旧古代のライブラリーに出勤してきてくれてました
本当に今から振り返ると
あの北九州でね残ったメンバーっていうのは初期からずっと一緒に働いてるんで
12:00
あの本当にとても強く日本全国を支えてくれるメンバーになったなって思います
それはえっと
あの小木野とか日渡氏も含めてですけどね
今のスタンダードって半分までは言わないけど3分の1ぐらいは
北九州営業所に何かしらの関わりがあった人たちっていうのが
広がっていってるんだよねっていうのを感じたりしたこともありました
奥村君とかね後の福岡南営業所長になった子なんですけど
初対面の時に
あどうも
そんなことより講師の給料上げてくださいよ
こんな安いんじゃみんなやめちゃうんですよすぐって言ってました
それでいろんな話聞いて
あーそんなんなんだーって分かった
それじゃあ
今すぐあげるねって言ってやるわけにはいかないけど
いつかそうなるように動くねって
正面突破でやりたいことをやろうとしてもうまくいかなくて
周りを巻き込んでいって
徐々にそうならざるを得ない方向に持っていくっていうのが私の強みなんですけど
奥村君も信用はしてなかったと思いますが
約束したことを3,4ヶ月遅れで結構不可能なことを可能にしていくっていうのをね
繰り返していくとそこにやっぱ信頼関係が生まれて
奥村君もいろいろ不可能を可能にしてくれた人だし
信頼関係っていうのはどんどん築かれていくなって感じます
そうこうしているうちにですね
北九州は割となんとかなりそうだなと日渡氏君も
テキパキちょっと捌けるようになって
フレ社員の段取りも見てあげられるようになってね
北九州営業所に飯塚と田川っていうところをくっつけて
一つの大きな北九州にしたんですけど
田川には司書は当時なかったんでね
今も皆さんご存知かもしれないですが
児玉さんっていうね
これは入金管理のお電話のコールセンターの仕事をしてるんですけどね
児玉さんが初代の田川の司書長というか出張助長になってくれまして
農型教室で下の隅っこの方で
煙草吸いながら頑張って働いてくれてました
児玉さんが見てくれてた時はまだフレ社員がいなくて
田川は一応大学があって福岡県立大学が
ただほとんど講師もいないし
フレ社員もいない中でのスタートだったんで
最初に冒頭に出てきたのキッシー長田っていうね
15:00
この2名だけだったので
ここからどう広げていくかなっていうので
キッシーはメンダー長田はプールっていう
その2つの仕事だけを与えて
プールがうまくいきまして
ドカドカドカーっといろんな人が入ってきてくれました
そのプールがうまくいって
ドカドカドカーっと入ってきてくれたうちの一人が
浜上さんであり
ちょっと遅れて入ってきてくれたのが橋口さんですね
特に橋口さんは
その最初の1年の影響がなんとなく残ってたからか
本当に福岡県立大の子じゃないんじゃないかと思うぐらい
バイタリティが強くて
そんなにエネルギーのあるタイプの人じゃないんですが
とにかく頑張るっていうのをね
よくやってくれました
もう途中から明らかにね
自分のできる範囲を超えて頑張るっていうゾーンに入ってしまってて
無理だろうこれっていうのが
もう知らない子じゃないんでね
だんだん分かってしまって
最後には無理やりやめてもらうことにしました
無理をし続けてて
やっぱ若いからね無理って気づかないしね
もうちょっと頑張れるとかってやっちゃうんでね
それでねほら
スポーツ選手で言うところの骨折でもしたらみたいな感じでね
なっちゃうんで
彼女の場合は
なんだろうなこれ以上無理したら
不幸な未来が訪れるとしたら
なんだろうな
就職できなくてスタンダードでも働けなくて
ずっと寝たきりの生活になるとかね
そういう可能性が若干見えてきたなと思って
まだまだあと半年続けてたらみたいな話ですけど
彼女がいなくなれば
周りの子たちがもっと伸び伸びとできるので
別にお客さんにとってマイナスっていうのはそんなにないんでね
やっぱりどうしても強くて
自分一人で活躍する人がいてしまうと
他の人が活躍できなくなるんですね
サッカー選手でもそうでね
マラドーナがボール持ってドリブルしてずっと進んでいくから
他の選手はスペース空けに行く動きぐらいしかできなくて
他の選手はドリブルできないわけですよ
マラドーナがドリブルしてるとね
メッシーでもいいですけどね
メッシーはもうちょっと周り使うのが上手になってね
最近はなってますけど
そんなこともあり
ちょうどいい頃合いで
田川はようやく一般化されたなって感じです
私がどうしてもいたところなんでなかなか一般化されてなくて
なんかちょっと特別な感じがずっとあったんですが
18:03
博多ちゃんそれから橋口さんという続いて
ようやくそれが佐藤留奈という子
佐藤留奈もまたこれ最近ちょっと頑張りすぎてるから
ちょっとどうしたもんかなって思いますが
まあまあだいぶ一般化されてきたなとは思います
何より講師が増えたのがね一番良かったです
飯塚はね
まあ旧高大飯塚っていうのが大学があって
ここを盛り上げなきゃいけないので
ようやく今まだスタートラインに立ったところなんですが
まあここもいろんな人が本当に
ここは歴代の司書長の数で言うと日本全国で一番なんですよ
飯塚は
これみんな名前言えます?
多分ね誰も言えないと思う
飯塚司書の歴代司書長
一番最初が笠木さん
笠木美行さん
次が笠木さんはね
日本全国で一番最初に大学生で司書長になった人です
2020年の1月になりました
でその後2月に北九州でバババッと司書長を立てて
その後全国でもバババッと立てに行ったんですけど
笠木さんが一番最初でした
笠木さんでもその後2ヶ月後には退職
卒業で退職だったので
その後引き継いだのが
田代さんっていう次4年生になる子
この子は仕事が本当にテキパキできる子で
優秀でした
専務からBMW1000万円するやつ
うちに入社するんだったらこれあげるよって言われてました
仕事ができる子っていうのがわかったんでしょうね
会話のテンポとかもとても良くて
素早くラリーのできる子で
でもそんなにガツガツしてなくて
営業とかもとても上手になれる
そういう一材だったと思います
営業というよりはマネジメント向きかもしれないですけどね
田代さんが抜けると同時に
ここから金銘記に入るんですが
順当に行くとですね
博多さんっていう子になりそうなったところが
博多さんが田川での支所長になって
飯塚の支所長はここで金井くんになります
金井くんは大学院生ですね
あんまり目立たないタイプの
メガネをかけてポケモンをかけてるっていう子なんだけど
支所長になったことでね
とても責任感を持って
面談でも応募を取ったりしてくれるようになって
部下の育成とかもちゃんとしてくれる
とても頼りがいのある子になってくれました
金井くんが言って卒業があるということで抜けて
そこで次になったのが坂本くん
坂本くんぐらいになると
ちょっと誰も知らないかなって思いますが
21:01
坂本くんはですね
自分が支所長になりたいと
金井くんじゃなく自分がなりたいと
言って金井くんはもうすぐ辞めるから
じゃあ譲りますって言って
専務面接したらまさかの受かってしまって
で所長になったんですが
なった直後に1ヶ月間東京に旅行に行くという
謎の行動に出まして
所長不在っていうね
それで怒られて
じゃあもう辞めますっていうことで
退職になりました
坂本くんは所長になったことで
ちょっと満足してしまった感が
それまでだいぶ本当に私からいろいろ
鍛えられてた子で
本当に苦労してた子だったんで
ここら辺で終わりでいいかなっていう
終わり方だったとは思います
やっぱりどうしても
講師を増やしたり
フレッシャーインを増やしたりっていう
動きができないと
どっかで詰まって潰れちゃうんでね
所長とかなるような人は
やっぱり何人採用した?
その人が講師を何人グリップして採用して
フレッシャーインを何人採用して
だからこの人が所長なんだって言えるようになった方がいいです
みんな元からいた人とか
誰も採用したことない人が所長になっても
まあ上手くいかないです
その典型が坂本くんだったんじゃないかなって思います
ここで次がまだいてですね
坂本くんが抜けて
次に所長になったのは誰だっけ
一旦CM行きます
ここからは橋口さんが兼任しましたね
坂本くんの次は橋口さんが兼任してました
それでその後長澤くんにかかりますね
そして今の長澤くんが
6人目の所長なのかな
1,2,3,4,5,6
6代目
長澤くんっていう感じになってます
とても多い
3年間で6人なんで
多分日本全国で一番多いんじゃないかと思います
そんなこんなでね
飯塚はもう人もいっぱい
田川と飯塚に人いっぱいセットしてきたこともあって
2020年の3月
ちょうど社員になってからは
10,11,12の3ヶ月様子見して
その後の1,2,3で司書化して
3月には私が抜けることになります
24:02
部長としてはそのまま在籍は残ってたんですが
実際はそこから先の皆さんの北九州は本当に
達成もずっと1位1位1位みたいな年だったんですがその後
この活躍はもうほとんど全部日渡しくんですね
私は本当に何もやってない
ただ北九州をライバル視しながら周りで
他の営業所を立ち上げようとしていたっていう感じでした
その後を持ったのが山口営業所
ここは下の席が本当にしんどくって
三木さんってね
まだいるメンバーは三木さんのこと知ってる人もいると思いますが
三木さんと松尾くんと2人でどうやって頑張っていくかなーっていう
本村さんのところもいたんですけどね
本当に講師がいなくて
北九州から講師を送る
送ってほしいって言われて
兼任になったんですが
それはちょっとって思いながらどうしたもんかなって
三木さんが本当にプールをよく成功させてくれて
今の馬谷くんたちが入ってきました
3教室だったんでね
一旦円滑に運営でき始めたら
後は固まっていくのを待つだけっていうのでね
本当に馬谷くん今でも辛抱強く
ずっと中心になってやってってくれてますが
これ馬谷くんが抜けたら後はもっと盛り上がると思います
今メンバーも豊富ですし
山口もね
下関と同じぐらいの感じだったんですが
ここでね
実はこの北九州の司書化をした時に
優秀だった当時
私よりも歴が長いフレッシャインさんたちですね
私の先輩方が
何名かいて
それを順番に各地の
司書長に当てていったんですが
二人司書長になれるのになれない
場所がないっていう人がいたんですね
そのうちの一人が
今大阪で司書長をやってる
岡淳二くんですね
岡くんは
もうすぐ車を買うとかって言ってたので
もしよかったらちょっとの間だけ
下関で司書長やってみない?って言って
仙武とか大城さんとかにも
だいぶ反対はされちゃったんですが
無理やり押し通して
最初は電車で通ってくれてて
下関と小倉はね
車だと1時間弱ぐらいかな
電車でもそれぐらいかな
そのぐらいかかる地域だったので
ギリ不可能ではなかったんですが
この下関の岡くんっていうのが誕生してね
その前に
不責を討つために何回かヘルプで
下関に連れては行ってたんですね
杉本さんと岡くんと
それから板本くんとかね
あの辺を連れて行って
一緒になってやってたんですが
27:00
牧野さんとかね
そのうち一番ハマりが良かったのが
やっぱり岡くんだったんで
ここには生の状態で
トゥードゥの触り方も知らない
後輩がいるよと
だから頑張って教えてあげてくれ
っていうことで
岡くんが司書長になってから
山口は全てのスタートだったと思います
もともと板山口の
今はもう誰もいないんですが
フレッシャー委員さんたちも
そこそこ優秀だったし
坂本くんとかね
中村さんとかね
あと山
吉野の
名前が出てこないですね
あと吉野さんもいましたね
その辺のメンバーが
抜けることになるんですが
その時に岡くんが
小倉に戻ってきたいって言ってたのに
下関から今度は山口に移動したいって
言い出したんですよね
結局山口の営業所長になるんですが
もうだから私は部長として
山口を持ってから
岡くんが最後ちゃんと
今の山口営業所のベースを作って
佐藤くんが今の形で運営していって
この3年間の間
全く手出ししてないですね
まあそれこそ教室と面談等ぐらいは
全部行ったことありますけど
社員教育とかね
そういう面では
その前の人たちだけですね
いろいろコミュニケーション取ってたのは
新しくなってから
もうほとんど岡順治ですね
これはすごいと思います本当に
そんで
それと同時に持ったのが大分
それから山
佐賀大分佐賀
ここはちょっと前まで行った
樋口さんっていう方が営業所長やってて
佐賀はもう辞められた方がやってたんですが
ここはまあアフレ社員が
ちょっと足りないというような感じだったのが
佐賀だったので採用に回って
面談ヘルプもたくさん入りましたね
総講師する前に長崎がね
ちょっと問題が多くて
山小路さんっていう方が営業所長だったんですが
その山小路さんに対して
その悪態をついているフレ社員っていうのがいてね
LINE WORKSで
私がそれに飛び込んで
自分が部長になった次の日にね
そんな口の聞き方をするもんじゃないですよと
怒ったんですね
そしたらその女の子が精神的苦痛になりました
みたいなことを言ってね
退職いたしますみたいなこと言って
なんかその山小路さん電話かけて
山小路さん電話
山小路さんからその女の子の電話がかかってきてて
そしたらその子は一切山小路さんの電話には出ずに
なぜ電話をかけてくるんでしょうか
みんなの前でLINE WORKSで話せない理由でもあるんでしょうか
30:00
みたいなことをLINE WORKSに書くような子だったんですよ
まあ優秀なやろうなぁと思ってですね
優秀な子なんやし
きっと仲直りしたら強くなるなと思って
電話かけたんですけど
私の電話にも出てくれなくて
私が彼女の文章をコピペして
そのどうして電話出てくれないんでしょうか
なんだったらLINE WORKSで話しますか
みたいな感じで返っても返事こなくって退職したんですけどね
その時にその女の子はやっぱり優秀だったみたいで
その子が辞めるんだったら自分も辞めるっていうことでね
ざわっと長崎のフレッシャーイン辞めちゃって
長崎の営業所長をやってる山口千恵子さんも当時いたんですが
レギュラー社員としてね
その中で僕は全然関係ないんで残りますよって言って残ったのが
今ITでまだ大学2年生やってる上前くんですね
当時大学の2年生でした
関係ないんでとか言っときながら
上前くんはその子たちとすごい仲が良かったことは知ってるんですが
なんかその精神的な部分と物質的な部分でちゃんと線が
ちゃんと線引きができているタイプの子だったんでしょうね
その後まだ新人だった古川くん川上くん
それからもうベテランですぐ司書長に上げようとしていた
上がったんですが金地区さん池戸くん
そして新しく採用した坂本陸くん
もうすぐ多分戻ってくるんじゃないかなどっか福岡かどっかで
坂本陸くんそれから山本昌健くん
今も長崎で活躍してます
西田力也くんっていうとこかな一応
省庁になったんかな
この辺のメンバーがね
他にもいますがもう辞めちゃった子たちなんでちょっとお伝えしますが
中心になって本当にとにかく盛り上がってるっていう営業所を作りました
私はここで初めて営業所長になりました
北九州は日渡しくんがいたんでその影に隠れてたんですが
ここは自分でやるしかなかったので
自分が営業所長になって
本当に楽しくお祭りみたいなことばっかりやってました
毎日面談なったらすぐ寄せてできる限り連続にして
一コマの中で終わらせて即決っていう
3連即決当たり前5連即決取ったら誰が誰に何買うみたいな
そんな新規面談のためだけにあるみたいな
一回その出勤したらね朝10時にですよ
みんないたんですよ
33:00
何してんのみんなって言ったら
あと1日であと6件でこのまま行ったら5件は取れると
プラス1がどうしてもないから
マイキャンバックしてますって言って
3年前にかかってきた問い合わせのマイキャンに電話してるんですよ
3年前の中学生今高校生やろみたいな
まだ高校生でいるじゃないですかとか言いながら
マイキャン営業してね
あと1人で生徒数目標達成する
生徒数目標さえ達成すれば人件費予算が増えるから
もっとたくさん人を採用できるようになる
その当時人件費予算が非常に少なかったので
そこをなんとかして達成して
生徒数目標がクリアできたら
もう偉そうに俺たちちゃんと達成してるんだから
だからもっと人件費使わせてくれって言えるよって言って
それで頑張ってやってました
本当にね生徒はねめちゃめちゃ増えたんですよその夏
頑張ったから
だから最近になって問い合わせが少ないとかね
どうして増えないんだろうとか
いろいろ言ってるじゃないですか皆さん
広告とかいろんな問題はあると思いますけど
私はね答えが半分わかってるんですよ
盛り上がってないからです
だってあの当時の長崎は問い合わせがめちゃくちゃ多かった
なんでかってだって
暇さえあったらマクドナルドの前でビラ配ってましたもん
本当にあの道のうのマックで配ってましたもん
上に塾あるからおいでって言って高校生に
ちょっと時間あるし行こうってそんな時給とか発説しないですよ
全部自分たちが新規取るためにやることですよ
それを誰に言われるわけでもなく
みんなやってました
私も教室巡回に行ったら必ず全部の机の上に紹介カードを置いてから帰ってました
なんとしてでも生徒を増やす
数字を目標に生かせるっていう
もうこれだけで頑張ってました
だから契約率なんか当たり前に上がるんですよ
だって広告売ってネットで検索かける広告売ってきたお客さんとわけが違うんだから
こっちの熱意が伝わったお客さんの契約率上がるに決まってるでしょ
だって今はそんなことできないでしょ
だって社員いないんだもん
だから
まあ
フレ社員が勝手に盛り上がってやってくれればいいですけど
まあ
そこそこお金使わんといかんですね
そこそこお金使わんといかんですね
それは焼肉屋行ったりとか
そういうところにお金はかかってました
一回なんかすごい怒ってね
あのもう俺今日払わねえからって言って
なんだっけあれ
なんか何かで負けたとかかなその子がね
36:01
それでそいつが全部払うっていうことになって
払ってくれたんですけど
6万円7万円の会計
でいつか会った時返さなきゃな返さなきゃなと思ったまんまずっと返してないんで
もうその子は卒業しちゃったんでね
いつか東京かなんかで会った時に返してあげようかなって思います
富永くんですね
そんな僕の初めての営業所長体験は本当に楽しくていい思い出でした
最後は上前くんにねその席を譲って
自分は離れることになるんですが
本当にあの6ヶ月間ぐらいはしてたかな
古川くんも川上くんも金地区さんも池戸くんも
上前くんはまだ辞めてないですが
富永くんも他誰かいたっけな
ちょろっとで辞めてた子たちとかもいますけど
辞めてたメンバーはねみんな
すごい長いLINE WORKSを送ってきてくれました
長文で
なんか言いたかったんでしょうね
なんか言いたかったんでしょうねっておかしいでしょ
なんか言ってるわけだからね
そんな感じです
そして走行してるうちにですね
次が来るんですが
長崎がひと段落したので
じゃあ私が行きましょうかと言って
ここら辺で部長に昇格して
福岡、福岡、南、熊本とこの辺りも一気に持つことになりました
当時吉松さんが福岡の営業所長をやってたんですが
夏の手配でちょっと詰まっちゃって
この手配の問題を大城さんがね
ちょっと見かねて入っていって
これはまずいよ何とかしなきゃって言って
それで私が入っていくことになるんですが
採用に動いたり
吉松さん採用が結構上手だったので
清掃チェックしたりとか
あとは教育、動機づけ
これを一人一人の社員にやっていきました
熊本はちょっとまた別なんですが
熊本はこの後もまだうだうだ
もう1年うだうだするんですが
そうですね
熊本はもうまた夏になったら来るしかないかなっていうような
終わり方でしたね
夏は
福岡は当時いた別のレギュラー社員さんを
福岡南に動かしたり
いろいろやって何とか切り抜けて
給代があるんでね
なんやかんやで結構強いんですけどね
それで次の広島に向かいました
39:01
広島は
ましのくんっていうレギュラー社員がいたんですが
もう退職間際で
織本さんってつい最近卒業した方と
これがまだ新人だった頃ですね
八内くんってね有名人になったこと
これが広島西です
他にも
もっと早く辞めちゃった方たち
卒業してた方たちがいっぱいいるんですが
その直後に入ってきたのが
村口くん
今も原生党で活躍してくれてますね
村口くん
そして
一回辞めて戻ってきた
名前が出てこない
なんだっけ
杉本じゃなくて
増本じゃなくて
名前が出てこないな
辞めるからだよもう
ちょいちょい電話来るんですけどね仕事中に
今ちょっといいですか
あれ何?実元
実元が現れます
実元くんはどうしても君に
君はとてもいいと思うんでフレッシャーインにしたいって
私がLINEワークス送ったら
二つ返事でなってくれた子なんですけど
その辺のメンバーで
当時の広島西といえば
全国でダントツの契約率95%とかだった数字だったんで
これをいかに支出するかっていうので
前感謝
やっぱ違いは前感謝でした
フレッシャーインの子が携帯電話を家に持って帰ってて
問い合わせ通知が来たらすぐ電話かけてましたね
そりゃ取れるわって情熱がとてもすごかったと思います
でもまぁちょっと撤退なんかが相次いだ所あたりからね
だんだんだんだん寂しい感じになってきて
今はもう契約率普通に落ちてしまいましたが
あれもやっぱりその契約率が低くなっちゃった理由は
問い合わせが少なくなっちゃった理由は同じなんですよ
これも長崎と
盛り上がりがないからなんですよ
やっぱりその
なんていうのかな
情熱の穂先が新規にあったら
それは上がるんですよね数字は
でも一人だとどうしたらいいか分からないでしょ
一人だとどうしたらいいか分からないんですよ
これがとても大事で
でも責任者って一人じゃないですか
孤独じゃないですか
どこの地域に行っても責任者は一人なんですよ
だからうまくいかないんです
責任者が二人いて
責任者が三人いて楽しくやってたらうまくいくんですよ
だからちゃんと支所長を私は全部立てたいと思ってたし
なんかその例えば今の広島西は
織田帰り君しか支所長がいないんだけど
織田帰りがいるからいいじゃんみたいな考え方をする人もいるわけです
でもそうじゃないんですよ
42:01
支所長が三人いて初めて織田帰りは織田帰りの仕事ができるようになるって私は思うんです
それを一人いるからいいって言って
その人がまあそれも穴がち悪くないと思ってリーダーシップを発揮したところで
その新しく採用した人と織田帰りとの間の壁はどんどん分厚くなっていくんですよ
薄くなることはまずないの
だって経歴が違うんだから
支所長なんて雲の上の存在なんだから最初は
その分厚い壁をぶち破って盛り上がっていいアイデア出してなんてできるわけがないんだから
私が最初の頃の長崎でうまくいったのは私が新人だったからなんですよ
何も知らない新人で残ってるメンバーも新人で
みんな分かんなくて何も分かんなくて
マエキャンってどういう意味って言いながらマエキャンバックに電話してたんですよ僕らは
知らないとか言いながらキャンだからキャンセルじゃないから
不可って何?マエキャン不可
不可能なんじゃない?じゃあ不可能の方はやっぱり難しいってことかみたいな
知ってる人と知らない人になっちゃったらこんな風にはいかないんですよ
だからもっと仲間を作るっていう余裕が会社組織にないと
組織論はその効率化ばっかり求めてやっても絶対にうまくはいかないと思います
だからこそあえて司書家っていうのを私が考えたのはこの仲間を作るためなんです
営業所にするとリーダー一人とかになってたんです当時はね
リーダー一人グループリーダー一人何とかグループ2ででかいところは2とか作って
グループリーダー二人目みたいなやってたんですけど
司書家することで北九州は6人のリーダーができたんですよ
この6人のリーダーが曜日で持ち回りでちゃんとお互いのフォローしあってっていうのができたんですよ
これが大きいんですとっても
なので司書長は早く全部立ててください
もうあとちょっとで全国全部立つからあとちょっとだから
今申請あげてない子は急いであげなさい何してるの
今月はみんな申請あげる月なんだよ知ってる?周り見てる?ちゃんとって思います
当時の広島西もそんな感じで私は司書長全員立てました
4つじゃなくて3つだったっけな
南っていうのはなかったんで五日市方面と市外と
それから朝来たねここで八内と後折元に変わりますが
まずは西岡さんですね
五日市方面が折元さんになる前くのぎ君っていうね
司書長とどどっと立ててそれですぐ安定しました
リギュラー社員もいたんでね
ちょっときつい間は西には東のメンバーがヘルプに来てくれてました
今度は東に行きます
45:00
藤川くんそれから三沢くんね
当時まだ大学の3年生ぐらいでしたね
変な子たちでした本当に言ってることはよくわかんないし
それがですねみたいな喋り方ばっかりするし
ですので
そうですって言うんです
なんだこれはと思ってすごい変なところだなって思いました
なぜかはちょっと知らないんですけど
でも当時まだいたわ
まだ私が部長で入った時は森ゆうすけさんが営業所長でいました
カブトムシをね死んだカブトムシをデスクの上に置いているっていうとんでもない人でしたね
ここの立て直しは立て直しっていうほど難しくなかったです
メンバーもちゃんといたし若干辞めたり入ったりはしましたが
平岡銀河君っていう新人がとても周りをリードしてぶち抜けてくれたこともあり
山田純平って今もいますが
この辺もとってもいい人材マネジメントでしたよ
今運行管理ってやって車のことばっかりやってるから
みんな山田君が多分人材だったって知らないと思うんですよね
でも山田君の人材マネジメントの仕事は本当にすごかったですよ
あれがいいんですよアイデア力があるんですよ
イノベーティブなんですよ山田君は
だからちょっとしたことで新しいことを考えて
星5をつけてもらうとか名札をどうこうするとか
その一つ一つが小さなことなんですけど
結果として数字を作っていくんですよ
それは私とかが生徒の成績を上げたら
数字はついてくるからみたいなことはざっくり言いますけど
それを具体的に落とし込んでやっていく
イノベーティブさっていうのが彼にはあって
だから銀河とじゅんぺいと三沢と
あともう今いないんかな
わかんないな他のメンバーはどうなんでしょうね今
いるんかな
でも辞めた子が多いんかな
まあいいや
日本全国でも指導評価率とか高い感じになりました
でね彼らは何がいいっていうのは
僕は彼らのこと大好きなんですけどね
お金がかからない本当に
全国の営業所の中で一番お金がかかってないのはね
広島東ですね
なぜってね毎回ね
おごるのがね松屋なんですよ
松屋に行くんですよ仕事終わって
だからね私も一緒になって松屋に行くんですけどね
まあお金かかんないんでね
48:00
それは助かりました
こんなにリーズナブルでいいんだろうかって感じでしたね
広島東って言うとね
ざっくりその辺の広大をね
皆さん想像してる方多いと思うんですが
島並みって言ってね
もう一個向こう側に福山
尾道っていうのと福山っていうのとこの2個があって
こっちが地獄だったんですよ
だからこっちがそのない前提だったら
まあそれは簡単なんですが
こっちがあるんでね一気に難易度が上がるんですね
でまあ尾道は尾道市立大学っていう大学があって
割とバイトも少ないので
山口とか下関にいた感じでですね
一旦安定させればサクサクと運営できるようになって
ここはもう教室も綺麗やし
まあ供給拠点としての機能しかないような地域なんですが
こっちはいいんです問題はね福山なんですね
福山はね大学がないんですね大学がなくて
一応あるんです福山大学福山市立大学
あるんですが役学部の子たちは
松永っていう教室の周りにいてくれてるんですが
福山にはね教室が多いんですよ5個あるんですよ
でも福山市立大学はねそんなに大きくないんですよ
まあ私あの一人でプールとかも行ってたんですけどね
あのねあえて3人ですね福山市立大学生
本当に誰もいない人がいない
ライブラリーは2年間誰も入ってなかったっていう状態でした
でここは本当にあの頭を抱えてね
あの私は引っ越しを決意して
あの引っ越しました
でその当時田川に田川に住んでて
田川から全部仕事してたんですがちょっと不便だったんで
能型の高速道路の入り口のところに引っ越してたんですが
そこから福山に初めて引っ越しました
それぐらいやっぱり重たかったんですね福山は
まあこれはもう本当になんか気が狂いそうになるぐらい
大変だったの覚えてます手配が回らないから
ずっと車運転してあっち行ったりこっち行ったり
だから未だにあの福山出身って聞くとちょっと嬉しくなるんです
あのこれ手配回るわみたいに思っちゃうんでね
帰省するとか言っちゃう癖ができてしまってます
それぐらい本当にしんどかったです福山は
あのめさき君っていう男の子が
頑張って福山出身の子がいて頑張ってフレッシャインやってくれてたんですが
私とめさき2人で本当に
まあしんどい思いをした時期があって
でもそれは広大の子たちがまずはその日クオリティを上げて
自分たちの仕事に自信を持ってもらうために福山まで
いつまでも面倒をかけさせてるわけにはいかんということで
できる限り彼らが来なくていいように1年間やりました
51:04
その後じわーっと戻ってきて今も完全にまた元の
福山と広大はワンセットっていう風になりましたが
多分違う結果になってくれてるんじゃないかなって思います
自信があるんで皆さんのフレッシャインの中にですね
その自信の分違う結果になってくれてるんじゃないかなと
講師もねよくなってるんじゃないかなと思います
これはもう長い長い
耐えるっていう仕事がありましたね
本当に小関っていう支所長もね
塚本さんバッテリー上がったんですけどとか言ってね電話してきて
いやこれないと困りますとか言うんですよあの子
いやこれないと困りますとか自分車運転なんか
怖いから時速30キロでしか走れないとか言いながら
ちょろちょろしか走んないくせに
今すぐバッテリー直しに来いと
行ってもあのカーケーブルないから
近くのホンダの残業してるおっちゃんにすいません
って言ってケーブル貸してもらえませんかって言ってケーブル借りたりして
修理したりしました
まあね本当にあの頃は一つ一つが大変でしたね
なんか1日1日を過ごしていくのが精一杯っていう感じでした
まあだんだんだんだん安定してきて
まあめさきくんがね波に乗ってきてくれて
フレッシャーリーの採用とかもうまくいってきて
っていうところで今度は3位ですね
おぎのが持ってた3位が
おぎのが離れることになり自分の手元に来ます
ここで出会うのが長松くんですね
中芝春也
今残ってるのはこの2人かな
あと富永くん大樹
富永くんも
私よりちょっと後ぐらいに多分なってる人なんで
ほぼ同じ人ですね
鳥取側はその時はいたかな
まあその後入ってきたぐらいではいる
でも私が初めて鳥取に行った時は
中根くん原はるま
もういましたねいました
この2人ですね
長い付き合いだね
君らの大学生活全部私だねっていうぐらい
長い付き合いだと思いますが本当に
中根くんとは最初は馬娘の話しかしてないですね
私全然ちょろっとしか育成やってなかったんで
すごいそんなんしてやるんやとかって
いろいろ教えてもらってました
原くんはなんかよくわかんない子だったです
既読がつかないって言って泣いてましたね
誰か
辞めたいって言ってきてるフレッシャインとの
ラインとかだったと思いますが
夜中の3時に既読なんかつくわけねえだろって言いながら
54:00
みんなでバカにしてましたね
鳥取島では教室が汚いとかいうのもあったりとかで
いろいろ鳥取の方はね特に教室汚かったりして
片付けの大変だったりとか
面談はまあまあ
環境大学の方がいっぱいいたんで
なんとかだったり
倉吉がちょっと重たいかなぐらいでしたね
島根の方は出雲っていうのが結構重たくて
これは運行ありきの2教室があるんですが
広金さんとね
2人で作戦会議みたいなことも何回もしましたね
広金さんとはね
出雲はかなり孤立した街なんで
外の情報もあんまり入ってこないし
広金さんはそういうタイプの性格でもあって
なかなかこう
周りと有効なコミュニケーションが取れてなかったので
一個一個教えてあげながら
人をオープンマインドで頑張ってるんですが
なかなか伝わらないみたいです
みたいななんかわけのわかんないことを
言ったりしてましたね
後に出雲もフレ社員も増えてくれて
講師も増えてくれて
松江もやっぱ中川くんあたりがね
中川くん新人の時は本当に
大丈夫かなこの子って感じでしたけどね
中川くんあたりのところから安定感が一気に増して
やっぱ1人コミットメントが強い人間がいるとね
あれもリーダーシップで輝くタイプの子なんですけどね
周りがやっぱり拡充していきますんでね
それで参院も安心して見てられる
長松が完全に浮いていい感じに暇そうにして
余裕があるっていうのが
この余裕のある長松がまたいい仕事ができるっていう
好循環に入ってますね
ちょっと春馬は今やることなくなっちゃって
自分の成長とかがもう感じられなくなって
ここちょっと春馬今厳しいところやなっていうところですが
もう4年生なんでね
1年生みたいに振る舞うのはもう無理ってことですね
そこもままならないまま
次がやってくるわけですね
島根は特にないけど鳥取は
広島勢のヘルプで成立させた時期とかもあったりして
広島の西の方は
ここでもっと余裕になった日渡し君をヘルプに入れたんですね
1週間2週間
そのヘルプで結構お互いにバシッとうまくいったなっていう印象でした
今度はその隣の姫路に行くんですが
姫路は結構悲惨でボロボロな状態でした
57:04
でも4年生チームがまだ残ってくれてたんで
その4年生チームを適材適所に切り分けて
つい最近までいた大谷くん
4年生ではないですが
その当時はね大谷くんだったりだとか
大谷くん大森くんとかね
あとは木村くんね
ちょっと全員の名前出したらキリがないですが
いる人の名前は出しとかなっていかんから
原野由紀さんですね
この原野さんとかを中心に持っていこうと思って
いろいろグネグネしながら
当時佐賀にいたなんとかさんっていう社員さんを
姫路に持ってきて
その繋ぎで2、3ヶ月繋いでる間に採用やっていって
その後日渡しくんが入ってくることになるんですが
一旦はこれで仕上がったかなーぐらいの状態にはして離れました
採用もたくさんして
樋口ゆずさんとかねその時に採用された人
もうちょっと前に採用されたのが船田舞ちゃんね
船田舞ちゃんはちょっと仕事ができないっていう感じの子だったんで
一生懸命育てましたね
育てたっていうかいろいろなことを教えましたね
大丈夫だよっていつか一番できるようになるからって
本当にちゃんとできるようになってくれて
ランキングとかにも名前乗るようになってくれて
それは私はとても誇らしかったのを覚えてます
走行してる間に破滅の地域って
ドラゴンボールみたいにね
だんだん敵が強くなっていくみたいな感じなんですが
破滅の地域神戸っていうのがやってきます
神戸は本当に破滅地域で
まず三田学園の方を何とかしなきゃいけないということで
営業所を切り分けて原野さんに姫路として持たせて
その間に小さくなった神戸を何とかしていこうみたいな感じでやっていきました
神戸と姫路でワンセットでやろうとしてたので
それはダメよって言ってね
ここには森下くんがいて新井くんがいて細谷さんがいて
他にも当時はその3人よりももっと早々たるメンバーがたくさんいてくれて
皆さんも知ってるような
なんだっけな
やめた人は名前出てこないね
村長さん
村岡さん
大西くん
大西くんは違うわ
大石くんみたいな名前
大内くん
大西さん女性学園として
そして東田さん
この辺が結構ちゃんとコミットメント強く働いてくれてまして
1:00:00
新井くんね
新井くんは当時もダメダメ
大西散る奴隷なんですけどね
新井くんも大丈夫よいつかできるようになるからって言ってました
大西さんは信用してくれてませんでしたが
新井が活躍するのは4年生になってからだから
それまでは全部いいんだよ今のままでって言って
私は大西さんにずっと言ってました
今4年生になって新井くん活躍してくれてますかね
大丈夫ですかね
してくれてますね
米田はちょっと変わったやつだったんで
こいつはずっと逃がした方がいいなと思って
ずっと神戸の中には入れませんでした
本社側の仕事をてんてんとさせて
川上くんみたいな長崎の川上くんも同じ戦略だったんですが
独立再産生みたいな感じでやっていった方がいいかなと思って
外に置いておきましたが
無事最後の最後には
市署長市署長長関市署長って言ってね
どんどん神戸全体を見れる子になってくれてます
最初はね4年あいつ仕事しないとかね
クレームはすごかったですけどね
まあいいんだよって仕事してなくて
今サボればサボる分だけ4年生になった時に
全部跳ね返ってくるようなタイプのやつやろって言ってました
あの時サボってたしな頑張ろうってなってくれるから
だからいいんだよって言ってましたね
そんな感じかな
神戸で今残ってるのはそんなもんかな
これはまあ私も営業署長またここで営業署長に戻るんですが
長崎以来のどっぷり使った営業署長になるんですが
ここは本当にいろいろこねくり回して
三木尾野だけじゃなくてね
スズランダイとかも大変でしたんでね
細谷さんには本当にいろいろお世話になりましたね
もう奇跡の人ですねこの人もね
細谷さんがいてくれたから
今の神戸のあの作戦は全部成立したっていうところは
本当に大きいかなと思います
細谷中心に物事を考えてたんでね
その2年後にもう1回神戸が
新井の変っていう新井事変っていうのがあってね
ぶっ壊れた時に私と細谷でちょっと立て直ししようとするんですが
ある程度目処が立ったところで細谷さんに
姫路と神戸どっち持ちたいって聞いたんですね
三田から三田の方は考えなくていいって言って
福崎かさえも考えなくていい
それは俺が持つからどっちかの方でって言って
どっちでもいいよって言ったら神戸って言ったんですよね
だって姫路とかもう訳わからんぐらい大変そうじゃないですかって言って
じゃあわかったって言って三田側から
福崎かさえを引っ込まして
姫路が持つっていうこのようやく長年誰もできなかった
福崎かさえは姫路やろっていうのを
とうとう成し遂げた瞬間でもありましたが
1:03:01
まあ無事今ちゃんとバスもまた動くようになってくれて
本当に良かったな
この違和感がなくなったのが本当に良かったなって思ってます
そして神戸もあの時に
長谷さんが神戸って言ってくれたことで
最終的な立て直しが本当にうまくいったんだなって思います
姫路はちなみに初めて入った時に大谷君っていう子に会って
君は司書長無理だねって言ったんですよね
そしたらじゃあ僕辞めますって言って
そっか残念だったねって言って
最終出勤日にチョコレートあげたんですよ
大谷君今日最後でしょこれチョコあげる
今までありがとうねって言った
その話なんですけど
やっぱりもうちょっと続けようかなと思ってって言ってね
あの時は確かにもうちょっとって言ったんですよね大谷君
そっから卒業でいなくなるまで2年半ずっと厳しい時も
一人で姫路を支えてくれましたね
結局大谷がいたから姫路は今があるっていうことだと思います
あれもし大谷君がいなかったら
姫路の教室はもっと減ってたと思います
今回今の姫路もこうなんとなく未来が見えかけてるのは
あの大谷君の踏ん張りがあったからで
私も姫路の最後の建て直しの時は
姫路は全部で3回建て直しに入ってるんですが
最後の建て直しの時にようやく気づいたんですね
これは姫路駅前がおかしいんだと
みんながここに集まってるのがおかしいんだと
集まるべきのは初社なんだっていうのに気づいて
初社に本拠地を移動させるんですが
車がないからそんな移動なんかできないから
車を与えたんですよ
で大谷君にこれを使ってフレ社員の創芸をしなさいと
で今森下君が使ってるんで
森下君がみんなのこと創芸してくれてると思いますが
創芸で変わるから
創芸がないと姫路はフレ社員が10時まで働けないんだよ
だから家まで送っていってあげてくださいって言って
そうするとご飯行ったりするでしょ
これでやっぱり良くなりました
前は一緒にご飯なんか行ってなかったんでみんな本当に
これがやっぱり一番勝負の分かれ目だったなーって
3回目の建て直しうまくいった理由は実はそこなんですね
それで神戸の建て直しも何回も何回も
新井事変の時はね
プールの問題があって新井君が出勤してプールして
こんだけしか撮ってないのにこれサボりやんけって言われて
じゃあやめますって言って全員引き連れてやめちゃったんですね
いや俺は連れてってないですよって新井君は言うんだけどね
それでしょうがないから僕はプールに入ったりして
学園都市で一生懸命プールしてね4年とかね
1:06:03
保線も来たか
そんな感じでやってたんですがね
その時にプールはやっぱ夏暑いからねしんどいですね
パンダの着ぐるみとか着てやるの
でこのしんどいプールでうまくいかなかったどうしよう
みたいなところで思いついたのがインスタプールで
これが結構ハマっていろんな地域で講師ぼちぼち増やしてくれて
インスタで入りましたっていう人とかも増えて
これが次の大阪につながっていくんですが
神戸の建て直しはね
私は営業所長の時代に1回やってそれがまた新井事変でぶっ壊れて
その後2、3ヶ月様子見てたんですがどうしようもねえなってことで
もう1回入ってでも2回目の建て直しはすぐ終わったんですが
これと比べたら大阪の1回目は本当に絶望でした
最初に行った時は社員さんがいて全部握ってて
その人がいなくなったことでフレ社員もみんないなくなっちゃって
とにかく人が足りないっていう状態でした
人が足りない地域ばっかりですがここまではないよっていうぐらい
明日の見てはい10教室とかだったんで
本当にどうしようってなってました
本当に
その鍵の開け方もわからない教室に5分前に着くような段取りで
もうやらないと回らないとか
その中で頑張ってくれたフレ社員はね
やっぱり私は特別だと思うんですよ
だから最後辞める時に本当になんか
みんなから追い出されるような辞め方だけはしないでほしいなとか
追い出すんだったら私がこの手で追い出したいなって思うんですけど
本当に踏ん張ってくれた当時のメンバーは今でも感謝してます
サムラキ君とかもそうだし
杉田さんもそうです
河西はもう杉田さん一人で頑張ってくれてた時期もとっても長いし
杉田さんあんな言われ方するのはおかしいと思う
あんな言われ方ってどんな言われ方か知らないけど
みんなから邪魔者みたいな扱いをされるのは
ちょっと違うんじゃないかなって私は思います
今残っている人だと原田さんって原田夏美さんっていう
幽霊部員みたいな人がいるんですけど
原田さんも所長面接は1回受けてるもんね
あの大兄弟の時にね
原田さんもずっと頑張ってくれてます
それから
上山君っていうね日本全国の
全国軍だった上山リーダーを見つけたのもこの大阪でした
でもこれだけじゃどうしても人が足りないので
私はこれも過去の経験から
外部からヘルプに入れるっていうことをだいぶ覚えてきてて
ここでもうとびっきりのプランを出します
これまずはどこでもドアみたいにして出てくる井上君
1:09:03
井上君を大阪に1ヶ月間ヘルプで突っ込みます
その時に各地からまず大阪南を建て直そうと思って
今タデムラ君とかがいるとこなんですが
この大阪南に森下君を持ってきます
神戸からですね
当時新井君が頑張って伸びてたので
もう森下いらないでしょって言って
大阪にもらうよって言って
森下君は大阪の近畿大学が通学してる大学だったんで
近畿大学の師匠に入れました
近代師匠っていうのを作ってね
入れました
でこの近畿大師匠を作るっていうのが
そんな無茶なっていう感じだったんですが
森下君のおかげで何とかの形になりそうになって
ここで大阪北で問題を起こして
ちょっとセクハラみたいなので
追い出されそうになって
トレーニーに合格してもうやめないでやり直したいって言ってくれた
何君だっけ
名前忘れちゃった
忘れちゃった
大阪北の寛大前出張所の出張所長
司書長さんだった
この子はすごい優秀な子がいるんですよ
森下と気にならないぐらい優秀なんですが
まいたに君っていうね
ぶっ飛んだ方は覚えてるんだけどね
名前が出てこないね
この子をなんやかんや理由つけて
合格みたいなことを言って
セクハラとか言われてるから近寄るなとか言いながら
本当は私は南を建て直すために
なんとして南に来てほしかったんですね
彼を大阪南に入れます
小野優吾君ですね
卒業するまでずっと最後
めっちゃ高い焼肉をおごりに行きました
小野優吾にはちょっと
いろいろ申し訳ないこともしたし
それでも耐えて最後まで頑張ってくれて
こんな風にして最後まで頑張ってくれる人って
なかなかいないので
本当にお礼を言いに行きました
それが2人目で
これだけじゃまだ足りないってことで
3人目に岡山で見つけた
フリーターみたいになってた
堀川大成君っていうのを大阪に連れてきました
大阪で一人暮らしさせて
大学退学したって言ったんで
今は夢叶って
デザイナーの会社で
ウェブデザイナーの会社で
ウェブデザインの会社で
ウェブデザイナーとして働いてます
堀川君も本当に
その夢を叶えたいから
僕にもっと仕事くださいって言って
フレッシャーインの仕事を
大阪でやってくださいっていうことになったんですけど
とても良かったと思います
そんでさらにもう一人
広島から
私が広島西の建て直しの時に
体験講師として知り合って
その後フレッシャーインとして採用した
1:12:00
渡辺彩香さんっていう女の子
この子は元気が良くて
とても求心力のある子なんでね
この子がいれば
講師が増えるっていうことで
この子も大阪のど真ん中に
大学通ってたので
フレッシャーインとして戻しました
この大阪4人の採用が
もう本当に知恵を振り絞って
出てきた4人の採用で
なんとか南側は建て直しの目処がついて
豊島くんを最後の一人目として
呼び寄せて
5人の新しいメンバーを中心に
南を建て直す
大阪北はどうしようもなかったので
私が持って
反対性であれば
おそらく私が持って
ああだこうだやってれば
そのうちなんとかなると思ってたら
その通り
黒キリンくんが
それに応えてくれました
黒キリンくんの友達たちも
もう辞めていなくなっちゃったんですが
私がそれこそ大阪の営業所長だったら
ずっともっとうまく
生かせられたんだろうなっていう
あまりにやっぱりここは
どうしようもなさすぎて
その塚本さんがいるから
っていうのをやっぱり
消すことができなかった
日本全国
全部なんですけど
塚本さんがいるから
っていう風にならないように
自分たちがいるから
自分たちのために
っていう風になるように
嫌われに行ったり
仕組みをうまいこと
他の人にバトンタッチしたりしながら
自分の存在感を薄くして
消しに行くんですが
やっぱ反対性だけはどうしても無理でした
最後の最後まで
自分の存在感を消せなかったかな
と思います
何でなんだろうね
仲良くしすぎた部分もあるんだけど
簡単
イージーだったんだよね
とっても簡単で
とってもイージーで
だからこそ雑で
私もあんまり行かなかったりして
なんかそういうのが
良くなかったんかなって
今になって思います
簡単に落とした
何とかは何とか
何とかみたいな感じですね
ことわざ
ことわざかっていうとね
そんな感じでした
まあまあ
でもミトさんがきっと
次の世代を作っていってくれると思います
今の教室数だったら
多分余裕で何とかなります
京都
京都はね
とにかく兄弟生と仲良くして
兄弟生を何とかして
モノにして
オンラインを別世界に変えていきたいっていう
これでやってて
同志社っていう大学は
ちょっとあんまり
偏差値とかが高くないので
同志社大学の子が
日本全国のオンラインの拠点になるっていうのに
私はちょっと違和感があって
関西の人は名前ぐらい聞いたことあるかもしれないですけど
関東に住んでると
同志社ってラーメン屋かなっていうぐらい聞かないので
その辺は
1:15:03
ちょっとバサバサっと
特別扱いされてたんですね
同志社っていうのは
ライブラリーにすごい機材が置いてあって
小池くんって営業所長は
パソコン3台使ってマイクも設置してて
なんやねんゴイズみたいな感じで
とてもこう
自分たち特別感がすごい強くて
数字が全然上がってなかったので
一旦全部綺麗にしてっていうのを
岡本さんとか含めてやってもらって
兄弟はね
結局青木くんっていう優秀な子を
何とかして何とかしてって
こねくり回しながら今の位置まで持ってこれて
何とか形には
なり始めたかなっていうところ
小池のが今ね
行って頑張ってやろうとしてるんで
小池のがダメだったら
ダメだったらというか
ダメだったらもう遅いんで
小池のがちょっと詰まったら
やっぱりそこに井上くんを入れた方がいいと思います
井上くんは
小池のとは仲良くした方がいいと思います
きっと合います
二人が
合わないみたいな風になってしまってるのは
第一印象だったり
初動がおかしいだけで
でも二人ともだって私からしてみたら
気色悪いことしか言わない
ネクラの陰キャで
同類ですもん
日本全国で100人中
二人のうちの一人が小池ので
一人が井上で
2%の同類子ですよ
君たち
だからきっと仲良くできると思います
福井はね
建て直しはそこまで入ってなくて
スーッと行ったんですけど
豊島くんとかが福井に入ってるときは
いろいろ私も裏では支えてました
北海道の建て直ししてるときは
福井も私が持ってて
2年前の第一事業部かな
そのときに
チャット会したり
電話対応したり
フレッシャインの子たち教育したり
面談もしに行きましたね
そういう細かいことはやっていきました
松本くんがね
本当によく頑張ってくれて
松本くん結局1回も会えてないんでね
それはちょっと心残りではあるんですが
でも松本くんのいない福井大前は
3回ぐらい行ってますね私ね
あれなんで
あれ
1回何しに行ったんだろうって感じで
言ったことありますが
何しに行ったんだっけ
車を取りに来たとかかな
なんか車を運ぶとかだと思いますね
その後
石川県
石川金沢はね
結構重たくて立て直しが
本当に
中西さんと
辻くんしかいないっていう状態ですね
あと何人かいたんですが
それもやめちゃって
ハンドボーラーとかもうすぐ戻ってくんじゃないかな
と思うんですけどねもう誰も知らないよね
吉村さんって後で入った子も
なんとかなりたいなと思ったらやめちゃって
近藤さんって子は
とても良かったんですが
1:18:00
専務が余計なことしてやめちゃって
まあなかなか
まあでも石川今3教室だから
まあこんなもんかなとは思いますが
もうちょっと金沢大学は
ポテンシャルあるんで
ちょっとライトな感じの人が入っていって
ザーッと立ち上げたらもっと力がつくと思います
ライブラリーも立派やし
まあ立派っていうほど広くはないけど
森の里って
拠点的にもいい場所にあるんで
あそこをもうちょっと盛り上げた方が
全国的に上手くいくと思います
誰か旅行がてら
行ったらいいと思う本当に
中西さんも多分
中西さんは給料の問題があってね
辞めるってなって辞めちゃいましたが
給料が遅れたことにより
って書いてましたけど
教員採用試験があったんですね
どっちにしてもね
だから教員採用試験の7月が終わるまでは
どっちにしてもって言ってたところだったんで
いいキリがいいとこだったではあるんですが
それ終わったらまた戻ってくる
っていう未来も見えますし
中西さん自体
の優秀な部分を
他の人たちに伝えるっていうのが
高岡のメンバーにはできてても
埼玉くんとかね
近代の方に
誰もいないことでそれができてないのが
もったいないので近代は
やっぱもう1回早く誰か立ち上げた方がいい
って私は思います
早川くん
早川くんちょっと新潟からじゃ遠いからね
それは
あの
三藤と早川だけじゃない
他の誰かを突っ込むっていう
その私のこれまでのやってきた
あの立て直しのやり方
これ全部そうなんです
全部他のところから誰かを
連れてきてってやるんです
その人がずっといる前提じゃなくていいんです
人が来て
そこでそのなんていうのかな
楽しいじゃないですか人がいると
人がいないと楽しくないから
立て直しってそれは私が楽しいんじゃなくて
その現地に残ってる
孔子そのカスカスになって
誰もいない中で
残って頑張ってくれてる人っていうのは
もうこの人に動機づけなんか
する必要ないんですよ
誰から何も言われなくても頑張ってくれてるわけ
この人は
ただ心の糸が
切れないように頑張ってくれてるわけ
切れたら終わりなわけ
じゃあ僕らができることって何なのって
自分を与えることでしょう
じゃあ楽しみって何なの
他の場所で自分と同じように一生懸命
働いてる人と知り合いになって
自分だけじゃなかったんだ
って思うことなんですよ
これなんですよ
杉本のお姉ちゃんが言ってました
初めてフレ社員に会った時に
自分だけじゃなかったんだって思ったんです
それがとても嬉しくて
だから私は
自分がフレ社員になって
自分と同じように生徒のために
頑張りたいっていう人だけを
集めてチームにしたいんですって
金が目的みたいな人は
採用したくないんです
っていうような時のくだりなんですけど
厳しい子でした杉本さんは
1:21:00
こないだ北海道で
良さこい踊ってましたけどね
それが終わり
富山は
なんと高岡の方だけだったんですけどね
富山市の方と新潟の方は
私はまともに
管轄として持ったことはあるんですが
行ってしっかり入ってっていうのはないんですね
立て直しっていうのがだから存在してないですね
新潟は
自分が立て直しするって言って
三浦樹君とあと神村さん
今フレ社員に戻っている神村さんね
これもいつもながらの戦略で
まず踏ん張って頑張ってる人に
無理しなくていいよ
辞めたかったら辞めていいよ
いつでもどうぞって君がいなくても
なんとかなるから大丈夫よって言うんですが
そしたら神村さんは
スパッと辞めてくれました
また戻りたいなと思ったら
戻ってきてねって言ったら
戻ってきてくれました
その頃には他のメンバーが増えてて
立て直しがうまくいってるね
っていう状態になる
このために誰を突っ込むかなって迷ってたら
そこで手を挙げてくれたのが
当時西川君
今コールセンターの西川君と一緒に
ヘルプに入ってた早川君でした
早川君が僕行きたいですって
言ってくれたのが
本当に僕の中では大きくて
そのおかげで早川君とだけ話しして
新潟の立て直しは
全部150%早川君で終わってます
本当にそんな感じでした
さっきの
西川の立て直しは実は
最初豊島を突っ込もうと思ったんですが
豊島大阪に入れたので
代わりにということで
吉竹君を突っ込んだんですね
吉竹君でうまくいかせたっていうのが
そこから先2年間ですね
そして
1時間経つので一旦
休憩入ります
そしてね
次はですね東京に飛ぶんですね
藤尾君その前の
茂野さんっていう方が
所長だった時ですね
茂野さんが退職する直前に
私が管轄として持つことになって
その後藤尾君にすぐ変わるんですが
藤尾君もやっぱり
孤立ですね
東京ってあんまり人がいないので
分からないってことが多くて
いろんなことを教えながら
一緒にいろいろやっていきました
周りの人とたくさん話すのが
大事なんだよって