小林有香さんは、こういうふうに本を書くだけじゃなくて、漫画家としても活躍されたりとか、それからインスタレーション作品なんかも美術館で展示されたりと、非常に幅広く活動をされている方なんですけれども、
今回は現在の表現者としての活動をすることになる、その経緯をお聞きしたいなというふうに思っていたんですけれども、
前回の放送で、元々アンネ・フランクにすごくインスピレーションを受けて、小説家かジャーナリストになりたいというふうに目指していたということだったんですけれども、
ちょっと調べたところ、とはいえ必ずしも文系に進まれたわけじゃなかったというか、東京大学の大学院でコンピューターを専攻されたんですか?
大学院に進んで、指揮タスコンピューティングを勉強していました。
そもそもすごくテクノロジーに興味があったし、科学も好きだったし、コンピューターサイエンスもすごく興味があったので、ぜひ大学院で学んでみたいと思って学ばせていただきました。
リケジョだったってことですか?
そうですね。研究室初めての女子になりました。
すごいですね。そのまま進んでたら、もしかしたら科学者になってたってことですよね。
どうかな。でも、やっぱり作家になりたい、ジャーナリストになりたいっていう夢もすごくあって、
その教授にも背中を押していただいて、やりたいことをやった方がいいし、作家になるために頑張らなさいって言っていただいて、すごく応援していただきましたし、今もいただいてます。
そのままでは小説は書かれてたんですか?
そうですね。アニメーション作品を作ったりしていて、やっぱりその当時から核をテーマにしたアニメーション作品を作ったりしていて。
それ見れるんですか?
もうないですね。デビューが1999年か2000年くらいに放射能をテーマにしたっていうか、放射能と核をテーマにした短編アニメーションを作ってデビューしてたんですけれども。
そうだったんですね。それでデビューしたって、どこかでは発表された?
水戸の短編総裁で賞をいただいて、それが初めての賞で、そこから色々漫画を書きませんか?とか小説を書きませんか?みたいなお話を次々いただくようになって、そういうデビューだったでした。
それでは20代くらいですか?
そうですね。
すごいですね。転校して結構順調なスタートですね。
いやーどうなんでしょう。でもなんかそれ色々、核についてはなぜかわからないけれども、すごく興味がある。放射能とかその目に見えるもの。
興味があるって言ったままでも、なぜかわからないっていう風にずっと続いていたんですけれども、やっぱり転機になったのが、自分の父が80歳の誕生日だった時に、
実家に帰って父の誕生日を祝ってた時に、父の第二次世界大戦中の16歳から17歳に書き残していた日記をたまたま見たっていうのが、やっぱり一番大きな転換点になりました。
どんなことが書かれたんですか?
1ページ目を開いた時に、また一日命が延びたって書いてあって、要は父は金沢にいたんですけれども、空襲が始まっていて、本当にもう明日は命がないかもしれないっていう最中だったんですけれども、でもその後読むとバンチャがうまいみたいな。
しかもすごいドイツ語とか勉強して、数学の教科書をなんとか手に入れて、燃えないように土に埋めたりしてるんですよね。それを読んだ時に、すごく自分自身の父なので、父のことは何でも知ってるような気持ちになっていたけれども、
16歳の自分よりはるかに年下の父のことなんて想像もしたことがなかったし、戦争のことを聞いたりしても、いやなんかこうそんな、なんか飛行機作らされてたよねみたいな、学徒動員されたので、その後。
ぐらいのことしか言っていなかったけれども、やっぱり日記を見るとまた1日命が延びたって書いてあるぐらいの切実さがあって、なんかそのことをこんなに近しい人でも何もわからないし、それを知り得ないんだなと思ったことがすごく大きなきっかけで、かつその父がたまたま1929年の生まれ。
ちなみにアンネフランクと同じ誕生日、誕生日じゃない、アンネフランクと同じ年の生まれだったってことですよね。そうした時に、もしもアンネが生きていたとしたら、80歳だったのかもしれないっていうことにも初めて気づいて、
つまりおばさんになったアンネフランクとか、おばあさんになったアンネフランクの言葉を私は読めなかったんだっていうのを知って、アンネの日記と父の日記を2冊持って、アンネの亡くなったところから生まれたところまでを旅しながら、自分自身もその2冊の日記を読んで、日記をつけるというプロジェクトをして、
それが親愛なるキティたちへっていう本にまとまって、インスタレーションもいくつか作ったりして、そこが自分にとってのすごく大きな転換点になりました。
実際、旅をしていくと、例えば、ベルゲンベルゼンっていうアンネが亡くなった場所に着いた時、もしここがあと1ヶ月早く解放されていたら、アンネは死ななかったんじゃないかとか、アウシュビツに着いて、またあと1週間早くここが解放されていたら、
隠れ家に着いた時は、あと数日でも密告されていなかったとしたら、助かったはずなのにっていうふうに考えて、最後アンネフランクが生まれた家まで行った時に、もしも誰もナチに投票していなかったら、その十数年後、
一人の少女、アンネが死ぬことはなかったんじゃないかっていうことに気づいて、その時に実際自分の身をひるがえてみると、今私自身がとっている選択が、これから先の未来で誰か一人の人間を殺すかもしれないし、生かすことができるかもしれないっていうふうに、
すごく初めて気づいたのでした。今もやっぱりパレスチナで起きていることを目の当たりにすると、今私たちが一体どういう選択をすべきなのかっていうのはすごく考えさせられるし、
ちなみにマルゴーフランクっていうアンネフランクのお姉さんがいるんですけれども、彼女の将来の夢はパレスチナに行って女三子になることだったっていうふうに言ってるんですよね。
それをアンネが書いていて、それを読んだ時に、もしアンネがマルゴーが生きていて、今のパレスチナに対して起きていること、やっていることを見たら一体どういうふうなことを思うだろうとか、
同じように夢を持っている子どもたちがパレスチナの地で、今この瞬間にも殺されているっていうことを、私自身はどうしたらいいんだろうっていうことをすごく考えます。
そうですね、本当にいろんなことが世界の中で起きて、それが自分はどう答えていけばいいんだろうっていうことは本当にすごく難しいし、でもスタートとしてイリカさんがいろいろ書いてくださることっていうのが、
みんなの想像力を刺激して、もう少し他者に対しての共感っていうのを生むんじゃないかなっていうふうに思ってます。
加えてやっぱり自分の選択っていうものが、やっぱり誰か一人の人生を変えるかもしれないっていうことに対して、すごく切実でありたいなっていうふうには私もすごく思っていて、
だからもし私の本を読んでくれた人が、自分はこういう選択をしたいっていうことを考えるための手助けになってくれたらいいなってすごく思ってます。
そうですね、前回は女の子たち風船爆弾を作るだったんですけども、ほぼ同時期にもう一つエリカさんが出された本がありまして、それが彼女たちの戦争、嵐の中の囁きよという本なんですけども、
これはもう非常に様々な女性たちがこの中で紹介されているんですけども、ちょっとご紹介いただいてもいいですかね。
そうですね、例えば今お話ししたマルゴ・フランクとアンネ・フランクの姉妹に始まり、科学者のリーゼ・マイトナーという核分裂を発見したけれども、その業績を取られてしまって、ノーベル賞を彼女だけもらえない科学者であったりとか、
嵐の中の囁きよというタイトルにもさせてもらった本を書いた長谷川テル、スペラント語で言うとベルダ・マーヨという名前で、第二次世界大戦中、日本の帝国主義に反対してすごく活動をした女性のこととか、風船爆弾を作った少女たちについても書いています。
なんかこの中で、広島ガールスっていうのもご紹介されてたんですけれども、この広島ガールスっていうのはどういった。
原爆10日後、顔にケロイドがある女性たちを集めて、アメリカでそのケロイドを治療するというプロジェクトが立ち上がって、その時に選ばれた女性たちについての記事も書きました。
なんかちょっと私も無知で、今回の本でいろいろ初めて知る女性たちがいっぱいいて、大変勉強になりましたし、これは割といっぺんいっぺんが短くて読みやすいので、さらにこの女性たちについていろいろ知りたいなと思ったらば、また自分たちでも調べていくことができるような構成になっているなというふうに思いましたし、
ここでも参考文献がしっかりとエリカさんちゃんと入れてくださっているので、すごく参考になるなというふうに思ってたんですけれども、なんかこの女性たちに共通していることって何かありますかね。
そうですね、今回この特にポートレートの絵と文章をセットにしているっていう本なので、漫画でもないんですけれども、絵と文で一人一人の女性を紹介できるっていうのが、私としては結構初めての試みの本になります。
どういう女性たちを描いていきたいかっていうのを考えたんですけれども、ちなみにこれ、ちくま書房っていうところのPR紙の表紙の絵として1年間連載したものに、ウェブでさらに連載して描き下ろしも加えたものになるので、絵がメインとして最初あったりしたんですけれども、
どういう人たちを描きたいかって考えてた時に、光の子供っていう覚悟とか放射能と呼ばれるものの歴史を辿るようなコミックを描いてるんですけれども、その描いている最中に、何この人すごい私知りたい、もっと描きたいみたいな人がいくつか出てきて、
マリーキューリーっていうのが放射能っていうものの名付け親で2度ノーベル賞を取った女性みたいな形でよく知られていると思うんですけれども、マリーキューリーについてもこの本の中でも述べていて、他にも、実は放射能という研究分野ってすごく従来の科学に比べて新しいジャンルだったので、
すごく男性ばかりの科学に比べて女性が入りやすい分野だったから、女性が多いというふうに言われていて、リーゼ・マイトナーですとか、イレーヌ・キューリーっていうマリーキューリーのお嬢さんたちですとか、すごく女性と関わりが深い分野だったので、それを書いていく中ですごく、
女性の科学者のことだったり、なんでこんなふうな目に合わなきゃいけないんだろう、こんな優秀な人がとか、でももっとこの人すごいから知ってほしいし、私もっと人に言いたいみたいなのを、今回本にして伝えたいと思いました。
やっぱり書いていく中で、ノーベル賞を取ったから偉いとか、何か権威に評価されててすごいっていう女性じゃなくて、例えばミレバ・マリッチって表紙の真ん中にも置かせてもらった女性がいるんですけれども、彼女は本当に数学者として、今まで男子しか入れなかった高校に入学させてもらったような女性なんですけれども、
夫がという人がアルベルト・アインシュタインという科学者だったせいで、彼女の研究への道が閉ざされてしまう。彼女は子育てに追われながら自分の研究は進められないし、離婚して悪祭みたいな形でこれまでの歴史では描かれていたっていう人だったりして、
でも、それって私にとっては、彼女の人生ってすごく大事だと思うし、彼女が切り開いてくれたもののおかげで、続けて、彼女の道の後に続けた女性たちがいると思うんですよね。
で、その生きたことの尊さみたいなものをみんなにも共有したいし、その名前を知ってほしいと思っていて、彼女の夫の名前ばっかりすごく知られてるし、すごくもてはやされてるけれども、やっぱり私としてはミレバマ・リッチの名前を覚えてほしいし、
リーゼ・マイトナーっていう科学者の名前を覚えてほしいって思いながら、この本を書きました。
前回の風船爆弾を作るに出てきた少女たちもそうですけども、やっぱり歴史の中で思えてきた女性っていうのはすごくたくさんやっぱりいて、それは美術家の中でも最近になってこそ女性作家っていうのが取り上げられるようになってきましたけども、やっぱりなかなかまだ掘り起こされる様々な歴史的な事実であるのかなと思います。
特に女の子たち風船爆弾を作るの中ですと、本当に女性の名前っていうものがどれほど記されてないかっていうのがすごく切実に感じられて、やっぱり男性は大文字の歴史でもちろん、例えば軍人ですとか大臣ですとか政治家ですとか、いろいろ権力者の名前は残るんですけれども、
権力がない人であったとしても、兵士として取られると軍石簿に載るし、死ねば靖国神社に名前が残る。
でも女の子の場合は、看護師とか沖縄線の例外はあれど、死んでも何にも残らないと、名前さえ残らないっていうことを目の当たりにした時、自分だったらどうだろうっていうことを考えると、本当に名前を記すっていうことの重みをすごく感じます。
なので女の子たち風船爆弾を作るでも、できるだけ女の子の名前だけをきちっと記していくようにしていて、わかる限りの風船爆弾作りに関わった少女たちの名前を一つ一つ記載しています。
そういう感じで色を描かれたんですね。なんかこういう名刺いっぱい出てくるなというふうに思ってたんですけれども、こういった風船爆弾を作るは日本に関係するお話でしたけども、
確かエリカさんの本の中には海外でも紹介されてた作品っていうのもあって、トリニティ・トリニティ・トリニティという本が英訳化もされたっていうことだったんですけども、こういった核とか放射能っていうものに対して海外の方は読まれた方どんな反応でした?
そうですね、トリニティ・トリニティ・トリニティは特にオリンピック、1936年のベルリンオリンピック、その後に続く幻の東京オリンピックって言われた開催されなかったオリンピックと、2020年のオリンピックを舞台にしていて、当時2018年に発表したので近未来小説みたいな形で、
あと核と原子力発電、原爆の生存にまつわることを一つに混在させながら進んでいくような小説なんですけれども、
おととしに英訳版がブライアンバーグストームさんによって翻訳していただいて、アストラハウスという出版社から出たんですけれども、その後サンライズラディアンドストーリーズっていう短編集も出て、その2冊を持って翻訳者の方と一緒にアメリカの大学をいくつか回ってお話をさせていただく機会があったんですけれども、
それがすごく興味深かったです。やっぱりすごく日本にルーツのある方はこういうのを書いてくれて本当に嬉しいっていうふうに、やっぱりアメリカでまだ原爆投下についての議論がそこまでされていないから、こういう本を書いてくれてありがとうっていうふうに言われたことと、
あと本当に皆さんすごく丁寧に読んでくださって、2011年の東京電力福島第一原子力発電所の事故についても、ちょっと触れた短編があるんですけれども、そのことについてもこういう背景があったり、こういうことが起きているっていうのをすごく知らなかったので、
読めてよかったみたいに言っていただけたのはすごく嬉しかったです。
原爆投下をした国の方たちから見ても、この本は割とじゃあ好意的にと言いますか、受け止められたってことなんですかね。
そうですね、はい。
なんかあの、ちょっとこないだオッペンハイマーっていう映画も公開されましたけれども、これについてのエリカさんの見解と聞きしちゃってもいいですか。
そうですね、私オッペンハイマーの映画については、中国新聞さん、いわゆる広島をベースにしている方の記者さんにご取材いただいたこともあって、どう見られましたかって言っていただいて、私自身はすごく面白く見させていただいて、そもそも監督、私結構大好きで、
クリス・ノーラン。
そうですね、ノーラン監督が大好きなのもあるんですけど、やっぱりすごく強者の視点っていうか、科学者の、しかも白人の男性の視点、強者の視点から見ると、もちろん女性も見えない、投下先も見えないっていう、見えなさ、描かれないことで、
欠落している見えなさってものをすごく体感できるなと思っていて、その強者の視点に立った時には、原爆開発っていうのはこういうエキサイティングなことに思えたのかもしれないっていう視点に立って見ることができるっていうのはすごく面白いなと思いました。