1. RadiCro
  2. ゲスト:安藤美冬 RyonRyonの..
2020-10-15 1:00:00

ゲスト:安藤美冬 RyonRyonのTHE New BLACK 前編

かつて「ノマドワーキング」という新しい働き方をつくり上げ、現在多岐にわたり活動中の安藤美冬さんをゲストに迎えお話を伺いました。 大手出版社の集英社に勤めていながら「自分らしく、自由に働く」ことを求めて30歳で退社。「元集英社」以外、何の実績もない状態でTwitterで名前や顔も出して発信し始めました。 そこから、肩書や専門領域にとらわれず多種多様な仕事を手掛ける独自のノマドワーク&ライフスタイルを一体どうやって確立したのか? 『職業:安藤美冬』という安藤さんをRyonRyonがナビゲートします。 現在、書籍や連載の執筆、商品企画、大学講師、コメンテーター、広告&イベント出演など出演多数。TBS系列『情熱大陸』、NHK Eテレ『ニッポンのジレンマ』などメディア出演多数。著書に『「行動力」の育て方』(SBクリエイティブ)『ビジネスパーソンのためのセブ英語留学』(東洋経済新聞社)など。

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RyonRyonのTHE New BLACK、この番組は、タレント俳優ダンサー振付師、そしてプロデューサーでもあるRyonRyonが長年身を置いてきたエンターテインメントの世界や美と健康のこと、ライフスタイルについて語ります。
RyonRyonの視点で選んだ気になるゲストをお迎えいたしまして、エンターテインメントの流行や旬な話題、ダンスや旅のお話、そして、いろんな知らない世界の話を聞きたいと思います。
お楽しみに〜
はい、11月にもなりましてですね、天皇のパレードとかも終わって、まさに日本は新しいムードになっていると思うんですけれども、11月21日、皆さんどうお過ごしでしょうか?
えっと、そうですね、最近私やってるのは、ちょっと新しい新作の作品を作ってたりとかですね、また来年発表できると思うので、なんかそれをちょっと皆さんお楽しみにしていただきたいなと思ってるんですけど、
今日ちょっとね、あのゲスト、どんな人なんだろうってちょっとね、丸解剖していきたいなと思うんですけれども、
そうですね、ちょっとプロフィールから言っちゃうと、東京育ち、慶応技術大学在学中にアムステルダム大学に交換留学を経験、株式会社就営者を経て独立、組織に属さない、フリーランスとしてソーシャルメディアでの発信を駆使した、
肩書や専門領域にとらわれない独自のワーク&ライフスタイルを実践、注目を浴びる、月間4,000万PVを記録する人気ウェブメディア、タビーラボ、これ見てました、エッジランナーを連載してまして、
アートトリエナレオフィシャルサポーターなどを務めるほか、商品企画、大学講師、コメンテーター、広告、イベント出演など幅広く活動、これまで世界50カ国以上を旅した経験を生かし、海外取材、内閣府、世界青年の船、ファシリテーター、ピースボート、水崎案内人なども行う、
TBS系列情熱大陸出たい、NHKイーテレ日本のジレンマなど、メディア出演多数、著書に20代のうちにやりたいこと、手帳、ビジネスパーソンのためのセブ英語留学などがある、オンラインサロンとかもやっているということで主催を、ワンターランドというのを主催しているということで、皆さんこれ聞いてわかる人いるんでしょうね、きっとね、
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あの人、あの人、あの人みたいな感じなんですけど、安藤美冬さんです。よろしくお願いします。すごいこの経歴、口が回らなかった、久しぶりに。
えちごつまわり、わからないですよね。そうなんです、私ちょっとつまを飛ばしてしまいました、つまわりを飛ばしてしまいました。
そこで3年に1回アートイベントをやっていて、日本最大級なんですけど、そこのPRというかそういうのを手伝っています。
今言ってたこのすごいキャリアをですね、どうやってやったのかというのは、見たら結果が出ているのでわかるじゃないですか、どういうふうにそこに、
なんかそれを作ってそういうふうに入っていって、どういうふうにやってたのか、やってこういうふうになったのか、みたいなことをみんな知りたいのかなと思うんですけど。
そうですね、多分日本の個人で働くフリーランスの女性として、本を出したり、大学でメディアを教えたりとかだけではなくて、観光庁とかいろんな団体企業と、これだけの規模で仕事をしている人というのはなかなかいないと思うので、
そんなキャリアの話なんかも中心にできたらいいなと思っています。
本当です。フリーランスっていうと、私も意外と同じ形でタレントなんですけども、振付とかいろんなことをやらせていただいているんですけど、
でもやっぱり、土地とか観光庁じゃないけど、そういうところとしっかりタッグを組んでやれるっていう、行動力とか信頼を置いてもらう。
そうですね、そういうのはかなり考えながらやってきた感じですね。
まず順を追っていくと、アムステルダム大学の交換留学を経験した後に、就営者を経て独立。
そうですね、もともと10代からジャーナリストになるっていうのが最初の夢だったんですね。
それで慶応大学に入って、マスコミを勉強して、当時、ソンゲン氏合法家とか、タイマーとかいろんな合法家になっているオランダの国の最先端な部分をご存知の方はいらっしゃると思うんですけれども、
そこに交換留学を1年間経験しまして、それで帰国して受けた就営者に内定をもらうことができて、
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そこからキャリアをスタートさせたのが24歳の時です。就職浪人したり留学したりしたので、大学は6年間通って、24歳の時に就営者に入社をしまして、
そこから6年半、会社員のOLとしてそこでキャリアを積んで、ちょうど30歳の時に独立をして、現在に至ります。もう9年目になります。
すごいですね。就営者はどの中では?
私はとても珍しい営業志望で、大体編集志望の人がほとんどだと思うんですけれども、
オランダに留学をしたという経歴からも分かるように、ものすごいマイノリティを突き進む方のタイプで、
みんなが編集だろう、アメリカだろうってなったら、私はオランダだなとか、みんなが編集だろうって言ったら、じゃあ私は営業部でトップを取るぞ、みたいな気持ちがあって、
そこで最初に配属されたのが広告部というところで、セブンティーンというティーン氏の広告の担当になったのが最初です。
当時、木村かえらさんとか、北川圭子さん、Aクラナナさんの産協の時代で、
桐谷ミレイさんがちょうどデビューした年が2004年だったんですけれども、そこでセブンティーンの仕事を1年半ぐらいやって、その後、
シュプールというファッション誌ですね、モード系のファッション誌の広告担当をやって、最初の3年間が過ぎたって感じです。
その後、宣伝部というところで、これも視聴者の方にはあまり、リスナーの方にはあまりなじみがない部署だと思うんですけれども、
例えば電車に乗ると、本の広告、中摺広告って言いますか、広告を見たりとか、新聞をパラッと1枚めくると、
そこに書籍の本の宣伝があったり、時々書店で講演会があったり、
週刊少年ジャンプという周囲者が誇る漫画誌では、ジャンプフェスタという大きなイベントが年に1回あったりと、
本にまつわるいろんなプロモーションを手掛けるのが宣伝部という部署で、そこで最初は小説、その後は週刊少年ジャンプ系の漫画とか、
いろんな宣伝を手掛けることになるんですけれども、それで約7年勤めて独立に至ります。
すごいですね。
普通のサラリーマンですから。
共通点は、今マイノリティを追求しているというところが、すごく嬉しいっていうか、そこでミュウちゃんと最初に会った時に、好きかもって思ったのかも。
私、りょんりょんさんのことを存じてたんですよ。知ってたんです。
もともと振り付け師として、すごく人気があるかったのは、なぜかというと、私自身は音楽とかすごく疎いんですけれども、
09:01
自分の大親友の女の子がダンスが好きで、全然違う仕事をしてるんですけれども、よくYouTubeとかTikTokで踊ってみたっていう系のダンスを投稿してる、
副業YouTuberみたいな友人がいて、彼女からりょんりょんさんの話をよく聞いてたんですよ。
いろんな業界の人の話を聞いていて、知ってました。
そうですか、嬉しい。
すごくりょんりょんさんの経歴とか経験見ていて、私はまたメディア畑で全然違う分野なんですけど、似てるなと思うのが、
仕事っていうのは、自己表現だっていうところが似てるんじゃないかなと思ってます。
タレントさんって結局そうですよね。自分自身が表現者であり、表現活動の一つとして仕事があると思うんですけど、
その仕事は別に一つに限定する必要はなくて、やりたいときにやりたいと心の底から思うことを自分の能力の限り目一杯やることが自分は仕事だと思っているので、
職業はあんどうみふゆだということを常々思っている。
いいですね。
りょんりょんさんはその先駆者、私よりも先輩だなと思って。
私がそこで弱かったのは、最近嫌とか言えるんですけど、前だったらなんで振付師さんなのに何やってるんですかって言うと、
いじいじとムカついてるっていう、なんでみたいな感じで。
でもそれをはっきりと、職業はあんどうみふゆですって言えるのは今日ちょっといただきました。
これを情熱再力で発言したときはものすごい、いろいろな物議を醸したんですけど、
私としてはもうそれが揺るぎない自分の確信で、
ちなみにこれはオリジナルの言葉ではなくて、寺山修司さんの言葉を丸パクリしただけです。
職業、寺山修司をパクっただけです。
なるほど、そこの3番目入ろうかな。
でもかっこいいじゃないですか、でもうらやましいのが情熱大陸とかも出てみたいなって思いながら、
なかなかいいなと思いながら大好きで見てたんですけど、
先にやっぱりやられてるということで、やっぱり時代をちゃんと掴んでると言ったら変ですけど、
旅ラボも見てましたし、しかも私なんかちょっとブックマークに入れてましたからね。
なんかオシャレな感じというか、あれですもんね。
旅ラボもこれも友人が起業した、2人で起業して、今1人が別の起業をして頑張ってるんですけど、
本当に周りの友人たちが立ち上げたメディアで、素晴らしいメディアに成長しましたよね。
知ってました、なんかいろいろ、当初はサーフィンしてて、どういうところが面白いのかなと思ったら、旅ラボってなんか記事の中身がちょっと興味深くて、
12:00
そういう感じだったんですね、友達だから、多分ちょっと興味ある文才に惹かれるというか、文面に惹かれてました。
でもそう、肩書きや専門領域にとらわれない独自のワーク&ライフスタイルを実践というところが、
これ丸パックしていいですか、みたいな。
ぜひ。
本当、これですよね。
でもこれって結果として、情熱再力とかNHKスペシャルとか、いろんな番組に出たんですね、コメンテーターとかもやったりしてたんですけど、
結果を見ると、今だとYouTubeで好きなことで仕事をするとか、ブランディングって言うんですかね、
SNS、インスタグラムのインフルエンサーとか、いろんなブロガーさんとか、いろいろあるので、今だと、もうそうだよねっていう方がすごく多いんですけど、
2010年当時って、私がその全職辞めた当時って、まだまだYouTubeでも広告が始まる前だったと思います。
それが仕事になる時代のちょっと前で、本当に大人が何を言ってるんだっていう感じの反応をもらったこともあります。
自分の周りの人たちは、ミフィーなら何かやるかもしれないよねっていう感じで、別に良心を含めて反対されることなく、スムーズに自分の独立に至ったんですけど、
今、上場している企業の社長さんとか、ちょっと前の世代の人たちからすると、フリーランスになるんだったら、肩書がないと信用してもらえないよとか、専門領域を決めないで、どうやって仕事をもらうつもりなんだ。
いや、私はツイッターでそれを実現しますって言ったんですけど、ツイッターの140文字のつぶやきが、仕事にどうなっていくんだっていう感じの反応が2010年でしたね。そんなに数多くなかったですけど、反対意見ってなかったんですけど。
でも私は当時から、これも確信だったんですけど、自分自身のいろんな好きなこととか、考えとかやりたいことを発信することによって、ちょっとスピリチャルな言い方ですけど、シンクロニシティって言葉あるじゃないですか。偶然を自分の中に引き寄せていって、それが仕事になるっていうことは、なんか分かってたんですよね。
周りの人がどういうことじゃなくて、自分がこれだって確信を持てる道を進むっていうことは決めていたので、全然迷いはなかったんですけどね。結果が出て良かったなと思ってます。
本当だと思います。でも確かに、シンクロニシティとかが信じれてる人が少ない時代でしたよね。
そうですね。
いたんでしょうけど、思っていない。
15:01
やっぱり今ほど、発信がお金になるとか、発信が仕事になるっていうのが、今よりも全然なかったはずなので、ごく一部の人が、例えば芸能人の方がブログで、どこかの商品を宣伝するとお金が入ってくる。
それは芸能人だからできるんでしょっていう時代だったんじゃないかなと思うんですけど、少しずつやってきた。
確かに。
実は私も文字とかで、あれ?って思う時があるんですよ。
多分、気になる人、合うだろうなと思う人の名前を見た時に、あって思う。
ありますね。
リョンリョンさんはすごくそれが、皆さん、私たちみんな持っている直感ってあるじゃないですか。変な能力とかじゃなくて。
この人仲良くなれそうだなとか、縁がありそうだなっていう。でもリョンリョンさんはそれすごい強いと思います。
本当ですか。
大体私、芸能界300人くらいは振付してるんですけど、大体テレビで見てて、会いたいかもって思うとCM決まったりとかするんですよ。
でもそれって今まではお手伝いさせていただいてたというか、お手伝いさせていただいてたっていう形なんですけど、
ここ本当、令和になってからは、そういうことの出会い方じゃなくて、自分がちゃんと確立した状態で人と出会うっていうのを決めて動き始めたので、
今までは向こうに引っ張られてたかもしれないとかね。仕事してる人に引き寄せてもらったかもとか思ってたんですけど、
ちょっとスタンスを変えようみたいな生き方で。でもそれ、優ちゃんは前からやってたっていうね。
そうですね。私の場合は、リョンリョンさんのように振付師とかでそこまで実績を作るとかっていう、そういう感じでは全然なくて、
ネガティブに言えば、これを絶対にやり遂げるんだっていう夢がなかったんですよね。
さっき言ったように、ジャーナリストになりたいと思って、それで大学を、慶応大学のメディアに強い大学に入って、
オランダに留学をして、尊厳死、合法化とか、ワークライフバランスがとても取れた国でもあるので、そういう働き方みたいなことを、
20代の前半に色々取材して見て回った割には、先ほど言ったように、アマノジェク的な気質があって、
編集の方に進まずに、営業職に行って、独立をして、そこでじゃあ、例えば作家一本とかでやっていく道もあったと思うんですけど、
そういう道ではなく、本も書きたいけど、でも大学で教えることもやりたいし、テレビのコメンテーターとかもやってみたいし、
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何なら色んな人たちと一緒に、コーワーキングスペースを作るとか、商品企画をするとか、色んなことをやりたいって、今でも1ミリも変わってないんですけど、
なので、私の場合はこれをやりたいって大きく旗を振ったというよりも、自分が色んなことを発信することによって周りの人に思いついてもらったというか、
受け身的であり、攻めでもありという感じで、そういうバランスの中で仕事を作ってきたという感じがあります。
そうですよね。やっぱりソーシャルメディアでの発信を駆使してっていう感じで、本当でも専門領域にとらわれない人みたいな感じのジャンルですね。
そうですね。でもこれから今もそうだと思うんですけど、どんどん増えてくると思いますね。
そうですね。
既に今企業は、例えばフジフィルムさんがカメラ事業だけじゃなくて、この数年前に化粧品事業に乗り出してたとか、
いろいろ今ファッションのブランドさんがホテルを作ったりとか、無印良品とか、そんな風に企業だったら多角的に経営をしていくって、生き残っていくためにもあるじゃないですか。
でも個人も同じで、生き残るための戦略っていうと面白くなくなっちゃうんで、そうではなくて個人が自分の人生を充実させていくために、
例えば自分のご飯のための仕事、本業っていうのは会社員でもいいんです。それがどんな仕事でもいいんですけども、振付師でもいいんですけど、
まずご飯を食べていくための仕事、ライスワークって呼んでいて、それと同時に、同時並行にライフワークですね。
自分の人生を輝かせていくための仕事っていうような感じで、住み分けて複数の仕事を持っていくっていうのは、
すごく個人の人生がより充実していく道の一つなんじゃないかなって私は思っているので、その実践者ではありたいなと思うんですけど。
いや本当そうだと思います。だから、全然規制概念とかそういうのにとらわれたくないっていう思いからずっといたんですけど、
なんでって言われるたびに、そこまで言えなかったんですけど、まさに全部言ってもらったって感じですね。
そういうことなんですよね。
そうなんです。だから表現者としての根っこはつながってるはずなんですよ。いろんな仕事をやっていても。
だから何やったっていいじゃんっていうのもありますよね。
私はそう思ってます。
本当本当。でも今まで私ちょっと思ってたのが、そういうこと言われてやってるんだけど、今一方、外にできれない分野もあったんですよ、私の中で。
それを止めてる何かがあるところも分野的にはあって、そういうのにそう思われるんじゃないかみたいな恐怖があったのかなと思うんですけど、
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結構最近はどう思われてもいいやって、ちょうど思い切ったときに出会えたんですよね。
そうなんですね。
ちょっと波動がそこであったのかなみたいな。
波長がね、嬉しい。
自分がこうなってから出会えたみたいな感覚なのかもしれないです。
そしてこのミュージシャンの本なんですけれども、行動力の育て方、自分を変える7プラス1の習慣ということなんですけど、どんな本なんですか。
これは2017年、2016年かなに出した本で、今日これリョンリョンさんにお渡ししたいなと思って持ってきて、これまで10冊ぐらい本を書いてるんですけど、これもすごくご縁で、
2000年代にアメリカのみならず、日本でも大ベストセラーになった7つの習慣、ウィンウィンとかね、いろんなそういう言葉を、ビジネス書がありますけれども、その7つの習慣のオフィシャルコラボ本なんですね。
7つの習慣を張訳本として、私がOLさんとかいろんな一般の人にもわかりやすい目線で、7つの習慣を語るっていう本。
というのは、元々の元祖がハーバードの大学院を出た、とてもインテリすぎるアメリカ人の男性なので、これ私が20代の時に読んだ時に、著者に対して何一つ共感を持てなかったんですよ。
こんなにすごい人が成功するのは当たり前だろうと。でも20代の時、なぜかこの本がしっくりこなかったわりにすごく気になっていたのは、7つの習慣で成功とされる習慣を一個もできてなかったんですよ、20代の私が。
人の愚痴を言わないとか、いやめちゃくちゃ言ってるなとか、ウィンウィンとか言って、私が勝とうとするか、相手を勝たせて悔しがってるかのどっちかだなとか、とにかく20代に何一つできてなくて、何かきっかかってたんですよ。
結構一個一個ムカつくなって思いながら、勝手ちょっとやっていた自分がいて、それからもう10年以上経って、それこそ就営者時代にお世話になっていた博報堂の局長の方から、7つの習慣の本を出さないかと、出版社とつながりがあるので安藤さんを紹介したいとか推薦したいということで決まった本なんですね。
まさか私がそれを10年以上の時を経て、書くことになるとは思わなかったんですけど。
へー、それも何かシンクロニシティじゃない?
引き寄せてきというか、ご縁だなと思って。
確かに、だって普通でも言うてもその当時、10年も前じゃない、約10年くらい前とかは、その1会社員みたいな人が出すって意外とすごかったんじゃないですか?
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時代的に。
そうですね。この本を出したのは、もう10年後の独立した会社員じゃない私ですけど、会社員当時の自分にとっては、そういう縁が広がっていくなんて、1ミリも想像したことがなかった。
ただね、これすごい不思議なんですけど、さっきりょんりょんさんが、人の名前を見るとこれなんか合うかもって、ちょっとわかるって言ってたじゃないですか。私、情熱大陸はわかったんですよ。直感で。
来るって。
しかも、情熱大陸に出られるような、全然そんな事実は、現実はなくってですよ。まだ当時、辞めて半年から1年くらいの時で、ちょっと前までOLさんだった自分が、月の売り上げ10万いくかいかないかくらいの時期だったんです。
でも夢にね、夜見る夢に出てきたんですよ。情熱大陸に出るっていうお告げみたいなのが出てきて。私、どうせ夢だからと思って、否定しなかったんですよ。そこで。
夢の中で否定しない。
夢の中でも否定しなかったし、起きてから、ただ面白がることにしたんですよ。私今月の10万円いくかいかないかだけど、超頑張ったら2、3年でいけるんじゃないかなくらいに思ったら、1週間後に来たんですよ、オファーが。1週間。
すごくない?
2012年の3月の旬分の日に来たんですよ。で、翌月放送。
早っ。
もう多分ね、史上最速スピードなんじゃないですかね。
それ、どれくらい密着されたんですか?
2週間。
へー。
で、オファーが来て3週間後には放映。つまり、ちょうど夢に出てきた1ヶ月後に放映。
へー。最速じゃないですか、その引き出し。
でもそれも不思議じゃないですか。私もこうやって語っていて、なんか自分の話じゃないみたいなんですけど、当時は、あ、まあそうだよねって感じはしたんですよ。
それは決して私が情熱大学に出る人だよねじゃなくって、事実そうじゃないから。
でも、なんかこれも、なんですかね、神様のお越し飯というか、ご縁なのかなって受け入れてる自分がいたんですよね。
確かに。
で、それが大反響を読んで、SNSのフォロワーさんが24分間の放送の間に2万4千人増えて、
もうスピードでTwitterのリプライを送っても6時間かかったり、
あの、Facebookのですね、友達申請が一気に来すぎてパンクしちゃって星マークになったんですよ。
例えば100人とか、赤く100とか出るじゃないですか、申請数。あれが星ってなったんですよ。来すぎて、何万と来て。
それが2012年の4月15日で。
27:00
反響すごいですね。
すごかったですよ。
あの、その番組の中で、岡本太郎さんの自分の中に毒を持てっていう文庫本を紹介したんです。
私はこれで会社を辞めましたっていう、すごいキャッチーな言葉とともに。
そしたら、Amazonの総合1位が72時間1位、その本が。
自分の本だったらね、印税入ってきたんですけど。
でも嬉しかったです。恩返しできたみたいな気持ちになって。
岡本太郎さんに。
確かに。
私も好きだからありがとうございますみたいな、今お礼を言ってみたんですけど。
でも、すごーい。
で、その時にこれがあったら。
そうですね。その年の秋に初著作が出たんですけど。
でもそういう感じで、すごく不思議なシンクロニシティというか、ご縁に導かれていった30代でしたね。
でもそれって小さい時はなかったですか?急に芽生えてないですよね。
あったのかもしれない。
なんかエピソードあるんじゃないですか?
ありますね。それこそ就営者に入社する時に、エントリーシートを見て、A46枚の印刷して当時はね。
これ、私ここ受かるって分かったんですよ。
でも現実はどうかっていうと、内定取りまくった人じゃなくて、80社落ち続けてたんですよ。
えーーー。
現実。
80社?
すごいショックでした。一応ね、いい大学いて、留学もしてるのに落ち続けたんですよ。見事に。
ちょっとドラマのようだよね。
しかも情けないんですけど、筆記試験で結構落ちたりとかして、情けなすぎる数学が私非常に苦手なんですけど、数学の試験で落ちたりとか。
入社試験で数学とかあるんですか?
あのね、入社試験なんですかね、Pなんとか試験ってあるんですよ。FBIじゃなくて、それの適正試験で落ち続けて、数学だけじゃないでしょうね。
で、その中での就営者、当時倍率が700倍とか800倍とか学生の中で1000倍って噂されていて、普通に考えたら落ち続けた私が、受かるっていう直感起きないと思うんですよ。
でも分かっちゃったんですよね。
で、実際に面接試験とか筆記試験も含めて6時ぐらいまであったんですけど、もう受かるのわかってるから、気持ちは余裕でした。
で、実際にご縁もらって入社するっていうか、そう言われてみると、人生の節目節目で結構そういうことが起きてる。
大きな直感として起きてる気がしますね。
ですよね。
さっき場所は違うところで初めて会って、今日待ち合わせっていうかさせてもらって、この収録の前にちょっとお話しさせていただいたときに、
本当に何か数言喋っただけで全体を掴んで、こういうことだよねって言ってくれたときに、わー!みたいな感じになって。
30:06
なかなか自分以外にそういう人っていないんだけど、嬉しかったですね。
結構マルチタスクじゃないですか。さっき読み上げていただいたプロフィールって、本を書いたり、喋ったり、商品を作ったり、コメンテーターの仕事とそもそも講演会の講演の仕事って全然違うじゃないですか。
そういうこともすごいマルチタスクが同時にできるんですよね。
それは才能だと思ってます。才能というのは自分がすごいって意味じゃなくて、自分の得意分野だと思うんですよ。
その代わり1個のことをずっとやるのが本当にできなくて落ち着きないですね。
まあ1つのことをずっとやるっていうのはこれからも難しいと思う。
なのでさっきのワークスタイルをちょっとかっこよく言うと、本当に専門領域にとらわれない肩書きと専門領域にとらわれないワークスタイルでSNSの発信を使ってっていう。
でもそれは私のコンプレックスの克服法でもあって、1つのことをやっぱり極めることが集中力も持たないと思うし飽きちゃうんだと思うんですよ。
でもまるで岡本太郎さんもそんな性格だったらしいんですけど、1つの絵をじっくりやるんじゃなくて、何枚かの絵を同時進行で、Aの絵に飽きたらBの絵を書いて、Cの絵を書いて、全部ほっぽり出してやる。
私は多分そういう感じなので、脳の使い方が、点と点が瞬間につながるんですよね。
だいたい1ってもらえると、外すこともあるでしょうけど、だいたい10、100はわかります。そういう脳だと思うんですよ。
確かに。ちなみにでも、まさにすごいと思うんですけど、似てるんですよ。
そういうワークスタイルの人はそうですよ、やっぱり。
しかも本当にちょっとちょっとちょっとってドーンって繋がるっていう。
だから、私たちに向いてる働き方を自分がやってるっていう、それだけのことなんですね。
そうですよね。私、家の中でも、例えばAをやろうと思って、途中でやろうと完成する前にBをやり、でもAはやらなきゃっていう宿題がありつつ、Bやり、でもCもやりって言って、だんだんまたAやって、Bやって、Cやってっていう部屋の過ごし方してます。
だから興味を向いたことにパッパッパッパ動いてます。
そう、それは、例えばABCが全部中途半端だと気分よくないじゃないですか。人にも迷惑かかっちゃうし。
でもそうじゃなくって、ABCっていうのをその瞬間その瞬間に一番情熱が傾けるものをやる。
岡本太郎さんもそういう絵の描き方ということらしいんですよ。
Aに飽きたらBに移る、Bに飽きたらCに移るってことは、ABCどれも一番ワクワクするときにその絵に向き合ってるっていうことなんで、完成の絵は100%の情熱の塊ですよね。
33:02
だからそれは全然いいことって。
嬉しいですね。
そういうこと。それが自分の脳の使い方に合っているっていうこと。
自分を知るっていうのはすごく大事で、こういう本を読んでくださったりする人も、私、安藤さんのような働き方やってみたいっておっしゃってくれる人いるんですけれども、私からすると一つのことを突き詰めていく人はそれは素晴らしい才能だし、何であれ自分に合ったやり方を選んでいくためにまず自分を知ることっていう。
そうですね。本当そう思いますね。
あともう一つ聞きたいのは、と言っても最近安藤さんSNS辞めましたよね。
辞めました。
っていう話ですよね。そこはなんでですかね。
2010年の1月に始めて、TwitterとまずFacebook、ブログも同じ頃ですね。
インスタグラムがやっぱり日本で流行ったのが少し遅かったので、2015年ぐらいだったと思うんですけど、4つやってたんですよ。
でもね、もう2017年ぐらいで、なんか違うなって感じ始めちゃったんですよね。
やっぱりSNSで嫌な目にあったからですかってよく聞かれるんですけど、変なリプライもらうとかね。
それもあるかもしれない、一つには。そんな綺麗な話はなくって、そういうのも嫌だなってのもあったかもしれないんだけど、決定的だったのは、もうSNSのない世界に行こうってふっと思ったんですよ。
それが2017年で、ただ、やっぱりインフルエンサーとしても著者としても、フリーランスでいろんな仕事をやるものにしても、合計で10万人ぐらいフォロワーさんがいてくださったんですけれども、
読んでくれてる人のためにも、また企業とか私に仕事オファーしてくれる人のために、その10万人がゼロになるっていうことは、私としても思いついちゃったものの踏ん切りをつけるのに2年かかったんですね。
2017年から1年半ぐらいかかったんですね。やっぱり辞めたら仕事来なくなるだろうなとか、自分の本どうやって告知すればいいのとか、自分の仕事をこれでもう来なくなるかもなって思ったんですよ。
でも自分の魂というか本当の本当の本心の部分は、嫌だから辞めるってこれあんまりハッピーじゃないけど、いやSNSがない世界があるぞって自分の中に選択肢としてすっごいワクワクしたんですよ。やってみようってやりたかったんですよ。
最初は土日だけやらないとか、朝起きてすぐSNSをやらないとか、次にアプリを削除する。スマホからアプリを削除する。それでパソコンだけでやってみる。やりにくいですよね。必然的に投稿回数減るんですよ。
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それでやってた結果2018年の7月にイスラエルにちょっと大使館の依頼で取材に行く10日間の取材があったんですけど、その前の日になんかイスラエルっていう結構スピリチャルスポットというか運命変わりそうなところに行く前にもうやめてしまおうと思って思い切ってアカウントをベースでも削除して、もう依頼もちろんやってないんですね。
どうなったかってこれがまた不思議な話なんですけど、偶然の一致が増えるんですよ。シンクロニシティが。
そうじゃなきゃいけない人たちがもっと濃いってことですよね。
そうです。朝この人のことを考えた。例えばねこれ本当にある話なんですけど、私が2017年にアメリカのスピリチュアルリーダーの人と対談本を出したんですよ。アメリカ人の人とロサンゼルスで収録をした。
未来を動かすっていう、バシャールという夢中存在というかスピリチュアル本なんですけども、その表紙を江戸ツワキさんにアートワークを書いてもらったんですね。書き下ろしでイラストを書いてもらったんですよ。
それは依頼したんですか。自分が好きで。
それはね同じバシャールファンということで。バシャールのメッセージに共感を持つ一人として、これもひょんな偶然で出会ってバシャールの本が出るんですって言ったら、じゃあ僕が表紙を書きますよって言ってくださって。
そこから仕事が終わったんでしばらく会ってなかったんですけど、今年の7月ぐらいに江戸さんのことを久しぶりに思い出してどうしてるかなと思ったんです。
その日とその翌日に江戸ツワキさんの話を友人としていて、ふっと思ったんですよ。これもしかしたら会うかもなって。
SNSやめてめちゃくちゃ研ぎ澄まされてるからさらに私が。
そしたらね、当時私渋谷区のある場所に住んでたんですけど、渋谷区のある場所の中学校の温水プールに週3日通ってたんです。通ってるんです。通ってたんです。
中学校のプール温水プール。プールに行ったんですよ。江戸さんが。
聞いたんですよ。江戸さんのことちょうど昨日今日話してて、会うかなと思ったら午後に会ったんですよ。午前中に思ったら午後に会って。
そしたら2年ぶりにふっと彼も彼で中学校のプールに泳ぎに来たんですって。2年ぶりに。
こういうことが繋がる。もうそんなことが頻発しますね。
友達にシンガポールか香港で講演会やりたいんだよねって言った瞬間に、瞬間にですよ。シンガポール講演会の依頼が来て。
10月5日にシンガポールで講演会してきたんですけど、そんな感じです。毎日。
39:01
あのバチェラー2のバチェラー気になると思って、深夜の2時半に親伊豆林太郎さんって言うんですけど調べまくってたんですよ。
あんまりね、SNSと同時にネット使わないんですけど、なんかすごい気になって深夜の2時半にムクッと起きて。
そしたら翌日の11時3分昼のトレンダーズって会社からトークショーやりませんか。バチェラー2の親伊豆林太郎さんと。
すごくない?
これが今月の29日にあります。
なるほど。
もしまだチケットがあったら是非検索していらしてください。
皆さん是非ちょっと行ってみましょう。
1000円で企業さんの主催なので、1000円の懇親会費だけで参加できるそうなんで。
そういうことが毎日のように頻発するんですよね。
逆にSNS立った瞬間にもう必要とするものしか来ないってことですね。
もちろんSNSをやめましょうって話じゃないんですよ。リスナーの皆さんなら分かってくださると思うんですけど。
私の場合は特にSNSの女王と言われていたぐらい、いろんなSNSの媒体使って発信をしまくっていた。
1日5、6時間ぐらい自分も発信したし人のも見てた。
そのぐらいの人生イコールSNSイコール仕事みたいな人だったので。
でもそれをやめた時に1日5、6時間分の余白ができた。
もちろんね、これもぶっちゃけますけど仕事減りました。
10万人のフォロワーさんがいなくなった時に、まずインフルエンサーじゃなくなるわけで。
商品宣伝もできない。
そういう仕事は来る時もあったんだけど、まず状況が分かっていない方でもなくなりました。
いろんなオファーも減ったんです。確かに減ったんです。
でも自分で決めたことなので、全然そこに迷いも葛藤もなかったんですけども。
でもその代わり、さっき言ったように余白部分にいろんな必要な情報とかご縁がリアルに出てきて
リアルの繋がりとしてバンバンやってくるようになって
ノイズと言ったら失礼なんですけど、SNSってノイズでもありますよね。
人のこと気になっちゃったり、自分が落ち込んでる時に人の見るとちょっとへこんじゃったりとか
感情に揺さばれたりとか、そういうノイズとしてのSNSが自分の人生からなくなったことで
自分の目的により集中できるようになったせいが、どんどんいろんなことが始まってきたんですね。
それがちょうど今年ですね。
へー面白い。
すごい面白いなと思って。
でもすごい良いですよね。だからマイノリティに行くみたいな。
マイノリティに行っちゃいました。
ようやくみんなYouTubeとかいろいろ、本当は遅れてる人たちが今ドーンと来てる時期なんで
42:03
すくんでいなくなったんでしょうね。
でもこれは予言じゃないんですけど、ここから3年から5年にかけて離脱する人がかなり増えていくと思いますね。
その人のライフスタイルに応じて変わっていくんじゃないかなと思うんですけど。
そうですよね。
でも確かに私、そうですよね。だから私でさえもあんまりやってるけどやってないみたいなところがあった中でも知ってましたからね。
アンド・ミフユって名前が。
そうですよね。やってる人は多分かなり知ってたんじゃないかなと思うんですけど。
1日発信し続けたって何について発信したんですか?
それもね、もう語ると本当に長いんですけど。
かいつまんで言うと、これリスナーの皆さんにも参考になるような話かとあえてしますけど、
TwitterかブログかYouTubeかInstagramか、いろんな今発信方法がありますね。発信の媒体が。
それはまず自分に合うものを見つけることなんですね。
例えば文章を書くのがクックにならず得意な人はブログを書いたほうがいいし、
そういうブログみたいな長文は苦手なんだけど、
毎日のいろんな思いつきっていうか、詩的なことというか思いつきをできるよって人はTwitterを書く。
拡散力なんで。
Instagramっていうのはやっぱりおしゃれなものとか、美的センスに優れていたりとか、
まさにそういうお店をやってるとか、何か絵で見せるものをやってる人なんかはInstagramがいいと思いますし、
YouTubeだとお料理とかね、そのなんか踊りとかもそうですよね。
それこそ動くものとか、あとは喋るとかね、そういったものに向いている人はTwitterがいいと思いますし、
動くものとか、あとは喋るとかね、そういったものに向いているなと思うとYouTubeを使うといいと思うんですね。
それも今ざっくりなんですけど、各SNSにもいろんな特性があって、ブログってストック型メディアなんですよ。
積み上がっていくもの、過去記事も検索されますよね。
りょんりょんさんのブログも検索される。
でも逆にTwitterって検索されるメディアではないですよね。
ハッシュタグっていう考え方ありますけど、Twitterそのものってじっくりつぶやきを見るというよりは、なんとなくタイムラインに入ってくるもの。
なので拡散型なんですよ。これリツイートしたりとかでやっぱり拡散されるじゃないですか。
だから自分の、例えば商品がある人だったら、例えば講演会とか、何でもいいですよ料理教室とか、
自分の売りたいものによって、しっかりブログで書いてTwitterで拡散していくみたいな、そういう使い分けが必要なんですね。
1日の投稿回数っていうのがめちゃくちゃ大事で、投稿する内容は大事です。
でもそれ後でしゃべるんですけど、その前に投稿回数っていうのがすごい大事なんです。
なんでかっていうと、例えばなんですけど、こういうりょんりょんさんと私も今しゃべり合ってるじゃないですか。
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りょんりょんさんが圧倒的にしゃべって、私が何もしゃべらなかったら、ラジオとして面白くないですよね。
例えばあんまり良くないんですけど、会議とか合コンとか、何でもいいですわ。
自分の知ってもらうために、合コンでも自分の魅力を知ってもらうためには、ある程度しゃべること大事ですよね。
でもしゃべりすぎたら嫌われちゃうかもしれない、周りから。
なので投稿っていうのは、投稿しなさすぎも良くないんですけど、投稿しすぎも良くないんですよ。
大体それが私が色々分析をした結果、たどり着いたのが、ツイッターは1日10回前後がベスト。
ブログは1日に1回、もしくは3日に1回でもいいです。
1日に5回投稿して受けるのは、エビゾーさんみたいな芸能人だけ。
フェイスブックは1日に1回ですね。
大体投稿時間もあるんです。
簡単に言うと、何か物を売りたい時っていうのは、日曜日の夜の10時前後とか、色んなゴールデンタイムがあるんですけど、
何を自分が書けば、色んな人に見てもらえるかっていうと、大体3つ絞ること。
例えば、りょんりょんさんだったら、ダンス、あとは本。
例えばですけど、ダンス、本、旅とか。
あと人によっては、グルメ、ファッション、○○みたいな感じで、犬みたいな感じで。
キーワードが1個だと、そこで何か強烈な個性を立てるってことは難しいんですよね。
そこで何か強烈な個性を立てるってことは難しいんですけども、
これよく言うのは、100人いる中で一番自分が詳しいと思うもの。
100人中の1位。これを目指していくんですね。
100人いたら、私が1番1位になれるものっていうのを3つ探すと、さっき言った3つ。
そうすると、100分の1×100分の1×100分の1は100万人分の1なんですよ。
それは行動力の育て方にも書いていて、この本の中にも。
自分が100万人中の1位になるにはっていう、当時私が立てた戦略はまさにそれで、
100人いたら、私の場合だったら、SNS、あとは旅だったかな、確か。
それを3つ立てて、そこを濃いめに発信をしていくと、覚えてもらいやすくなる。
確かにね。
そして、自分の趣味の話じゃなくて、10代の女の子とかだったらタレント的でいいんですけども、
やっぱり私は当時30代の女性でしたし、普通に一般人なので、情報を投稿するようにする。
例えば、大歓山のパンケーキおいしかったです。これはタレントさんならOK。料理のおさんみたいな。
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でも一般の人だったら感想でしょ。ただのそれは。情報じゃないですよね。
でも大歓山のこのパンケーキは、ここがこだわりで、平日の何時ぐらいだったら並ばずに入れるよ、だったら情報じゃないですか。
そうすると検索されたりフォローされやすくなるんですね。
だから感想もあってもいい。情報ばっかりだとあざとすぎるし、固すぎる。
でも中にちょっと役に立つような、ほーってなるようなことを混ぜ込んでいったりすると、
どんどん私の場合はフォロワーさんが増えていって、それが10万人ぐらいになっていったり。
何日ぐらいで10万人になったんですか。
全部ごめんなさい。これ合わせてなんで。
ツイッターで言うと、ツイッターを2010年の1月に始めた時に目標が東京ドームだったんです。
東京ドームって5万5千人ぐらいじゃないですか、5万人ぐらいですね。
東京ドームいっぱいの人、いっぱいにするって決めたんですよ。
実際5万4千人で辞めたんですけど。
それは初めて最初の1年で3500人ぐらい。
でもただのOLでしたから、OLにしてはだいぶある方だったと思います。
翌年には1万人ぐらいになってましたね。1年半で1万人ぐらいでしたね。
そういう戦略を立てて。
戦略を立てて、これはもう口パカーンみたいな感じ。
今は多分そういう戦略とか、そういうことは全然やらないと思うんですよ。
もう本当にワクワクする気持ちだけでやるんですけど、ただワクワクする気持ちにプラスして、
読んでくれる人の目線に立って発信していくっていうのはすごく大事なんじゃないかなと。
そうですね。だからそういう形で30代の女性の若きリーダーみたいな感じで出てたし、対談とかもたくさん出てましたもんね。
そうですね。対談も田原聡一郎さんとか宮台真嗣さん、勝馬和代さんみたいな、
すごいビジネスパーソンの人から、スポーツ選手とかタレントさんとか。
それはなんていうの?
何なら宇宙存在まで対談をするっていう。場所があるまで対談をするっていう。
外国人もいましたし、いろんな。
本当に見た気がします。田原聡一郎さんのやつとかも見たと思います。
そうですね。本も一緒に出させてもらったりとか、いろんなことを。
でも話してて、知性みたいなの感じるもんね。
ありがとうございます。
オタクとかじゃなくて、ちょっと知性というか、なんかすごいですよね。
いやいや、オタクでも嬉しいですけどね。
そう、オタクっていうか、私たちも結構エンタメオタクなんで。
憧れます、もちろん。
好きなことだけでやってるけど、それじゃなくて何か、
どっちかというと、外界ともちゃんとコミュニケートしてるみたいな。
素敵かどうかは皆さんが判断することなんですけど、
やっぱり出版社にいた頃からずっと、ジャーナリストになりたいっていうのがあったんで、
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どうやったら人に伝わるかなっていうのは、今もずっと考えてます。
いいですよね。でもいいですよね。
分かってもらうというか、伝え方っていうのはすごい、
いろいろ人間関係だったりとか、こういう人生についての、
ありとあらゆる詰まってると思うんですよ、バランスよく。
ちょっと自己啓発的な、あれですけどね。
でもやっぱり、こういう基盤っていうのは、
もう小さい時からちょっと持っていかないといけないと思うんですけど、
こういう基盤っていうのは、
流れってあったみたいですね。
もう本当に、
リョンリョンさんのようなアーティスト的な変わった、
もちろん良い意味で個性としてっていう感じではなかったと思うんですよ。
そんなに何かこう、
そういう感じでは、割と普通の個人的な、
何かこう、そういう感じでは、割と普通の子供だったんじゃないかなと思うんですけど、
でも、やっぱり10代の高校生ぐらいから、
自分の道っていうかを、もうかなりはっきりと決めていて、
自分は何になるかは、今も何でもいいと思ってる、別に。
でも、海外やっぱり世界中を股にかけたりとか、
自分を表現して生きるとか、
もうどうせ生まれてきたんだから、せっかく。
そこはもう自分を最大限にやるっていうのは、もう16ぐらいの時には決めていて、
ずっとだから、留学をするぞって決めたりも、留学もし、
出版社にも入り、独立をしっていう感じでやってきた。
なんかいいですね。本当でもだから、
自分を信じている、行動の積み重ねだけがあなたの人生を変えるって言ってるんですけど、
そういうのがすごいピッと見ると。
そうですね。また私が今めちゃくちゃ行動依存かというか、行動が100%かっていうと、
この3年前の本よりは、今は行動も大事なんだけども、
自分を整えていく。やっぱり自分との対話の方に結構置いてるんですけど、
思い込む力は強いっていうことはよく言われます。
自分が絶対できるっていうのをなぜか思い込んでるんです。
でも自分がすごいとかじゃないんですよ。むしろそれはあんま思ってないと思います。
だからすごいリアリティーに本当に、
未来から見てるんでしょうね、自分を。
自分は見てる。
未来がまず決定させて、っていう感じがあります。確かに。
そういう感じじゃないと、不安に思う人もいるだろうなって思う中に、
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未来から見れば大丈夫。だからこうだから、みたいになれるんじゃないかなって。
これが本当に、自分の良かったなって思うところは、思い込みの強さですね。
確かに。思い込んで、イメージをしたまま動いてるから、それが行動っていうことになってるだけで。
例えばね、自分が信じてた道なのに、
もし自分が、私が私自身のことをもっと信じることができず、
周りの人に認めてもらいたいという気持ちで動いていたら、
やっぱり肩書きを決めた方がいいよとか、専門力を決めた方がいいよっていうことに、
いちいち翻弄されて、多分できなかったと思うんですよ。
こういうワークスタイルを決めきれなかったと思うんですね。
周りの人に合わせるためにやってたと思うんです。
そのツイッターとかでそういった発信をすると、中には批判的な意見もあるんですよ。
それに立ち上がれなくなってたと思うんですね。
でもやっぱり自分を信じてるし、
でも同時に、周りの人にこの人の言う通りだなっていうこともすごいあったりとかして、
そういうバランスみたいなものは、自分を信じきっているからだと思うんですよ。
そういう批判も受け止められるっていうか。
だから多分今があるんだろうなって。
なんか前、あんまりだからなかったですね。
前をずっと見てたっていう感じですね。今もそうですね。
そうですね。
でも最大のミュージシャンの中で、たった今の中でのちょっと凹んだりとか失敗したなみたいなエピソードってあるんですか?
たくさんあるんですけどね。
何だろうな。
私、当時アシスタントがいたんですよ。
例えば批判されたことに対するってあるんですけど、それよりももっと大事な自分の失敗だなって感じることは、
当時私、個人のフリーランスでありつつも、業務委託でアシスタントの男の子がいたり、
いろんな企画の部分とか、資料作成とか、そういった部分を手伝ってくれる。
あとコミュニティ運営ですね。たくさんファンの方がいてたので、それをいろんな人たちにお願いしてたんですよ。
要はチームで、5、6人ぐらいのチームで動いていたんですね。最初の3年、4年ぐらい。
ただその最初の3年、4年っていうのが、私が本当に人間的にすごく未熟で、気持ちに余裕を持てなかった時期でも重なるんですね。
20代、OLというか、社会人をやめて、1年ぐらいで、先ほど申し上げたように情熱大陸に出て、
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その翌年には笑っていいと思うとか、NHKスペシャルとかどんどん出ていって、自分がそこは夢じゃなかったから決して。
テレビに出ること、コメンテーターはやりたいと思ったことはあったけど、有名になることを目指してやってたわけじゃない。
そこでね、やっぱり戸惑いがあったんですよ。すごいストレスがあったんですね。今だからこそ分かるんだけど、当時はね、
死に物狂いだったから、私ストレス受けてるなって思ってなかった。よく分かってなかったんだけど、やっぱり毎日寝るたびに心臓がドキドキしたりとか、
今日は田原聡一郎さんの対談がある。明日は勝馬和夫さんの対談がある。自分のマイルールとして、
その人のことを結構調べたり、礼儀として2冊以上本を読むとかっていろいろ課していたもんだから、
そうすると睡眠時間もなくなっていく。その道のプロの人たちと日々自分の連載に呼んで対談をするとか、
それこそ1000人規模の講演会に呼ばれて、何十万というお金をいただいてそういう一つ一つの仕事をするとか、
1年前だったら考えられなかったようなことがたくさんあって、やっぱりそこで余裕がなかったんですよね、自分に。
そこが自分の失敗だったなって思いますね。
確かにね。やっぱり目いっぱいやるからこそその失敗も見えてきたしみたいなところがあって、
ミフィちゃんもこうやってもがきながら突破してきたんですけど、
今週その話を聞きながら後半、来週続きを聞かせていただいてよろしいでしょうか。
よろしくお願いします。
今週どうでしたでしょうか。皆さん楽しんでいただけましたでしょうか。
ミフィちゃんのファンの人も聞いてると思うんですけど、
こんな一面もあるということで、また来週続きを聞きたいと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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