この番組は身の回りのものや現象など、あらゆる対象の本質を探求し、それにふさわしい名前を命名します。
さまざまな視点で対象を捉え直し、新たな発見を一緒に楽しんで参りましょう。 本日はどんな命名が誕生するのでしょうか。
こんにちは、カンタです。 こんにちは、上水優輝です。
今日も命題が来ておりますので、張り切って命名を呼び出していきましょう。
はい。 それでは命題をお願いします。
命名 トマトやアボカドなどの野菜と果物の間で揺れる食べ物
ちなみにトマトは植物学的な分類では果物、農林水産省の分類では野菜、アボカドは果物らしいですが、野菜コーナーで売られていることが多い。
これ、野菜果物問題ですね。
そういうのあるんですか?
例えばメロンは野菜みたいなやつですね。
メロンは野菜なんだ。
メロンは野菜です。
トマトも野菜っちゃ野菜のはずなんですよね。
木になるやつは果物で、葉っぱになるやつが野菜みたいなんですね。
ざっくり。
メロンとかスイカは木じゃなくて葉っぱになるんで、葉っぱというか草になるんで、野菜なんだけど、
消費のされ方としては糖度で結構分類されるじゃないですか。
甘いものが果物で、甘くないものが野菜みたいな。
トマトが結構境界線上にいますよね。
甘さ分類で言ったら果物になりそうだけど、分類学上も野菜だし、認知としても甘くても野菜感あるみたいな。
フルーツトマトみたいな謎の分類もありますもんね。
確かにある。
結構深い問題だなと思います、これ。
ジャンル崩壊してるってことですよね。
ジャンルって難しいですよね。
分類上の正しさと人の認知っていう2つの軸があるじゃないですか。
前職、eコマースの会社にいたときに、
ジャンル分けの難しさってあって、
例えば、リボビタンデーってあるじゃないですか。
あれは飲み物なのか健康食品なのかみたいな。
うわー。
どっちでもあるみたいなやつですね。
でもカテゴリー分類して、どっちかのカテゴリーにしか属せないみたいなシステムになってると、どっちなんだ問題が発生するんですよね。
確かにね。リポビタンデーむずいよね。
むずいです。
スーパーとかは結局売るのが目的で、正しくカテゴライズすることが目的じゃないから、
みんなが何として認知してるかで並べてるじゃないですか。
だから、例えば、米は穀物コーナーにあり、パンはパンコーナーにあり、
じゃがいもは野菜コーナーにあるわけじゃないですか。
でも、全部主食っちゃ主食じゃないですか。
主食コーナー作ったら、じゃがいもとパンと米同じとこにあってほしいなとかなるじゃないですか。
はいはいはい。確かに。
結構むずいなーって思いますね。
そうね。棚に並べないといけないってなった瞬間、その難しさが出てくるのか。
分類しなきゃいけなくなるんで。
こういうやついますよね。
名前をつけるのか、そういうやつね。
分類できないから、なんか間にいるから名前がどっち?ってなってるけど、
どういうこと?これは、トマトやアボカドなどの、そこに厳禁して、
曖昧なやつ。境界線上にいるやつですよね。
もっと抽象化してそういうやつに名前をつけるって感じか。
野菜と果物の中間に揺れてるものに名前をつけるわけではないわけですね。
多分これ、抽象化すると論理と認知のコンフリクトが起きてるやつだと思うんですよね。
ロジカルに分類すると、スイカは野菜なんですけど、認知上はデザートとして食されるみたいなコンテキストによって、
果物として認知されてるっていうことの、そこの矛盾というか、そこがコンフリクトしてるというやつですよね。
なるほどね。
よくありますよね、そういう抽象化するとね。
あるある。よくある。
どうするかな。
俺、どっちで捉えるかみたいなのがあるなと思っているのが、
間で揺れてるみたいな捉え方もできるけど、どっちの顔もできるみたいな捉え方もできるじゃないですか。
ああ、そうですね。確かに。
野菜とも言えるし、果物とも言えるんだぜ、俺みたいな。
そっちのはちょっとポジティブな感じしません?
そうね。アイデンティティー喪失して、こう、辛くなってる人とは違いますよね。
そうそう。俺どっちなんだーじゃなくて、コンテキストによってはどっちでもありますみたいな。
どっちもいけちゃいます。
そうね。でも、野菜とか、この果物で言うと、本人たちは別に変わってないじゃないですか。
だから、見る側が勝手にこっちに行ったらこっちに行って適応している状態っていう。
どの文脈で見るかによってカテゴリーが変わっているだけですからね。
だよねだよね。でも、どっちも、まあそうだよねって感じになるんですね。
果物と言われれば、まあ果物だね、みたいな。植物で言えば植物だね。
植物じゃない。野菜か。
全体的に植物か。
野菜だね。
なんかそのアプローチとして、例えばアクションゲームとRPGゲームのどっちだみたいなときに、
アクションRPGみたいな、くっつけたカテゴリー作っちゃうパターンあるじゃないですか。
ありますね。音楽とかもよくありますもんね。
どんどんジャンルがもう、でも無限にジャンルが増えていくから。
組み合わせジャンルが無限に増えていくパターンで、野菜と果物のどっちも兼ねてるみたいな、
そういうカテゴリーを作っちゃうみたいなパターンもあるなって思ったのと、
あとさっきの一人二役系の、
そのスイカ目線でとかトマト目線でのこう、
名前をつける、命名していくっていう方向もあるなって思ったのと、
あとその狭間みたいなもの自体に名前をつけるみたいな。
どの路線でいくかでなんかちょっと考える方向が変わりそうだなって思った。
狭間につけましょうよ狭間に。
特に理由はないですけど。
狭間に名前をつけるんだったら、何なんだろうな。
結局でも、どの角度からそれを捉えるかによってどっちにもなるみたいなことですよね。
だから、実体を例えば円柱なんだけど、
上から見ると丸だし横から見ると四角って言われるみたいなことですよね。
まさにまさに、そうだと思う。
だから二次元で捉えようとするからそういうことになるって話ですよね。
円柱の例でいくと。
そうですね。
次元が足りてないってこと?
次元が足りてない。
次元不足ですか?
次元不足。
次元不足。
それでいきましょう。
じゃあ次の命題お願いします。
命名。
レストランで同行者と注文するものを被りたくない気持ち。
これ僕からの命題ですね。
はいはい。
なんか誰かと一緒にご飯食べに行って、
例えばパスタのランチセット4種類ありますみたいな、あるじゃないですかよく。
うんうん。
なんかトマトソースと、何だ、何も具体的に言ってこなかった。
カルボナーラと何とか。
ペペロンチーノとみたいな。
なんかそういう時に一緒にいる人が注文したのと、
自分が今注文しようと思ってるのが被ってると、
なんか違うのにしたくなる気持ちありません。
うん。
ほとんど食べたいものが決まってるっていう以外は結構なるかも。
で、なんか、じゃあ別の注文してシェアするかって言うと別にしないじゃないですか。
しないですね。
うん。
なのになんで違う。
なんならしたくないと思ってる。
そうですよね。
だから別にバラす意味全くないのになって思うんですけど。
うんうんうん。
なんか被りたくない気持ちが芽生えちゃうの不思議だなって。
あれなんなんでしょうね。
うん。
食べ物、でもカンタさん食べ物解像度高いですよね。
普通に料理食べてどういう味なのかみたいなのを結構分析できるタイプですよね、料理。
いや、多分上水さんが出来なすぎるだけで。
平均以下ではあると思いますよ。
平均以下か。
なんかそこ関係してる気がするんですよね。
解像度が荒いと、なんかもうビジュアルとかしか楽しめるなこれ。
違うのが、明らかに違うものが出てきたみたいななんか。
なるほどね。
あー、確かにな。
そこの多様性がないことに対して気持ちはそうなんですね、食卓に。
そう。色とか見た目みたいなものにすごく採用されるというか。
どういう気持ちなんだろうな。
でも確かになんか色どりでなんか全部同じみたいなのがのっぺりした印象を持つとかはあるかもしれないですね。
ねえねえねえねえ。
まあでも関係ないっちゃ関係ないですもんね。
各々食べたいもの食べればええかなって話で。
そうそうね。
かぶっても何の問題もないですからね。
なんかエンタメを求めてるのかな、どっか心の奥底で。
あとなんか次にまた行く可能性があるお店とかだったら、そっちどうだったみたいなので、
じゃあ次食べてみようみたいな。
そういう会話は起こりうるかもしれないですね。
同じのにしますっていう時もあるじゃないですか。
あれとの違いは何なんですかね。
あれで同じのくださいとかあるじゃないですか。
なんか誰かに連れてってもらった店とかだと、連れてってくれた人と同じの頼むとか。
確かに分かってる人のおすすめなんだろうなっていうところで。
おいしいだろうと思ってると。
人数多くて4,5人とかで行って、なんか注文バラつくと店員さんめんどくさそうだなみたいな時は。
じゃあ一緒でみたいな。
公共性発揮すればいいのね。
そうですね。
あとなんか何でもいいなみたいな時、決めかねてる時は誰かに乗っかるとかあるかもしれないですね。
確かに。
決め手にかけるみたいな時に。
でもそういう時あれだな。
逆にどっちでもいいなって思って、相手がAって言ったら僕はBって言うみたいな感じでバラしかしかも。
やっぱ見たことないもの見たいみたいなものはあるんですかね。
なんかバラエティ、バリエーションを増やしたくなる。
ねえねえねえ。
何の意味もない。
でも食べ物に対してそんなにコメントもしてないじゃないですか。
すごい食が好きでいろいろ食べてみたいみたいなのでいっぱい頼んで、それこそいっぱい食べ合ってコメントし合うみたいなのとちょっと違うじゃないですか。
違う違うそうなんですよ。
だから完全に無意味なんですよ、バラすことが。
ねえねえねえですよね。
バラしてんのに一言もそれについてのコメントがないまま普通に会話しますもんね。
完全に意味がないのになんかやっちゃうんで不思議だなって思ったんですよね。
ねえ、なんでしょうね。
まあなんかでもスマホとかもいろいろカラーバリあるじゃないですか、PCとかのカラーバリエーションがいろいろ。
ある方が選べていいねみたいな感じ、なんか雰囲気としてあるじゃないですか。
うんうんうん。
なんかそれに感覚近いんですかね。
なんか選択肢が、でも結局もう選択した後だもんな。
うんうん。
なんかバリエーションがいろいろあるのは良いことだみたいな感覚ちょっとありますよね。
うん。
なんかなんでしょうね、選んだ満足感?
うん。
なんなんだろうなあ。
分かんないなあ。
こんなに意識もしてないよね多分ね。
違うだろうみたいな。
なんとなく被ったら嫌だなって思うとか、被りそうだったらあえて違うのにするとかっていう行動をしたうなっていうのが。
ありますよね、無意識、ほぼ無意識でやってるかも。
気持ちとかじゃない。
ほぼ無意識でやってる。
真相真理みたいなのがあるんじゃない。
でもなんか、例えばメニューが4種類あるのに、そのうちの1種類しか見ていないみたいなことにちょっともったいない感があるのかもしれないですね。
せっかくここの店来たし、見たことない、これも見てみたいな。
なんかそこの、なんていうんですかね、好奇心。
好奇心っていうほどの好奇心でもないんだけど、なんかそこの変化の乏しさみたいなのにもったいない感があるというか、刺激が足りなくなる感じがあるかもしれないですね。
やっぱそっちのニュアンスですよね。
例えばですけど、洋服とかじゃ起こり得ないじゃないですか。
その店で絶対決めないといけないとか、そういうことないけど、仮にあったとして、ユニクロに一緒に行きましたと。
ここで全部揃えてくださいという時に、あ、じゃあちょっと神田さんと一緒にしますとはならないじゃないですか。
なんか表現しようとするから、その表現みたいなその欲求があるとか、違いをこう演出しようとするみたいなのは明らかにその意識として存在するけど、
食事でそれがないからなっていう。だからやっぱその、どうしたら自分の中にあるものというよりは、お店のまだ見ぬ何かを見たいという方向に寄っている気がしますね。
ね、見るだけだからあんまり意味はないんだけど、なんとなくストーンした気持ちになるというか。
それはあるかも。
見たかっただけで説あるね。
あー、ありますね。
で、ご飯が本当に好きな人は、それを食べるまでそのセットになっているというか、それもこの味もその味も食べたいみたいな。
僕とか言われますもん。あ、これちょっと食べる?とか言うと別に、あ、いいですとなるんです。別に食べたいわけじゃなくてみたいな。見て満足みたいなところがある。
あー、だから箱が4つあったら、極力いろんな箱を開けたいみたいな感じですかね。
1個しか開けなかったら残りの3つ気になるなみたいな。
それだと思う。それだと思う。それは一番近い。
開けてどうってわけじゃないんだけど、なんとなく全部開けたくなるみたいな。
子供とかやっちゃうんですよ。意味もないけど中開けちゃったら。
開けちゃって中見て、中見て何ってわけでもないんだけど、見てないやつがあるとすごい気になっちゃうみたいな。
見てないやつがあるとすごい気になって開けちゃう気持ちようじゃん。
別の感じですね。そういう子供心にね。
かぶりたくないんじゃないんだなっていうのを今話してて思いましたね。
食事はたぶんかぶりたくないではない気がする。
見たいだけですね。
フロンティア精神じゃないですか。
いいですね。いいですね。
前向きな感じしますね。相手が頼もうと思ったやつ頼んだら、ちょっとフロンティア精神で便注です。
それでいきましょう。
じゃあ次の命題お願いします。
お便りフォームからいただいております。ひとのこさんからですね。
妻の母が水素水耐用の浄水器を勧めてきて、いや往々なく我が家で使っていますが、
正直言って水素水は何の意味もないと考えています。
でも妻は関西の女性で安いときと場所を把握していて、
通常の同等浄水器より安い上に浄水カートリッジそのものはちゃんとしたものなので、
断る理由はない。ただただ私は信用していない水素水を毎日飲むことになる。
このように信じていないものを別の要因で受け入れざるを得ない状況について命名していただけませんでしょうか。
わかってるねーみたいな感じになって余計に盛り上がってしまって、
特にそのスピリチュアルのとこに興味がないことを言い出しにくくなるとかっていうのはよくありましたね。
もうそうなっちゃうと、もう買っていくしかないみたいなってあるじゃないですか。
なんぞ。
そうするとなんか、個人的に連絡先とかしてたりすると、
この神社行ってこんなことをしてきてましたみたいなのを報告してくれたりして、
そっか、ごめん、そっち興味ないんだけど、よかったねみたいになるっていう。
あるなー。
まあね、その場合は自業自得なんで、
なんかこのね、ひとの子さんのシチュエーションとちょっと違いますけどね。
あんまり自分で選択肢がないパターンですもんね、これね。
家族付き合いですよね、妻の母。
仕方ないって感じですよね。
でもこれ例えば、ちょっと話違うんですけど、
ノミニケーションみたいな話ってよくね、最近否定されがちですけど、
昔よくあったじゃないですか。
はいはい。
あれって、なんか、本質的に必要性はさておき、
それが必要だと思っている人たちがいるコミュニティにおいては、
やっぱそれが実態を持って必要性が生じるじゃないですか。
うん。
なんかそういうことを信じてる人たちの中では、
なんかそれは、なんていうんですかね、あるかないかというよりは、
生じるみたいなことあるじゃないですか、その必要性というか、
そういうことが。
うん。
だから一緒に、やっぱ酒飲んで話さないと、やっぱ本音ってわかんないから、
酒飲んで話さないと信用できないんだよね、みたいな人がいたときに、
実際にそうか別として、そういう人が存在することによって、
そのお酒を組み交わさないと信用しないっていう現象が生じるみたいな。
うんうん。
パターンに結構似てるなと思うんですけど、
自分がお酒飲まないとわかんないと別に思ってなくても、
そういう人がいると、そういうことになるし、
そういうことになるということは、
それが現実世界になんか現象として生じてしまうみたいなやつですね。
うんうん。
でもなんかそれにいちいちなんか抗ってたんですけど、昔は。
はいはい。
抗っててもいいことないなって思ったのと、
あれって言ったら毛づくろいみたいなもんで、
別にそれが正しいかどうか正しくなかろうが、
そこでそういうコミュニケーションが発生して、
コミュニケーションをするという、
その蓄積で関係性が構築されるみたいなことだなと思ったら、
なんか酒を組み合わすことによって信頼関係が生まれるかはさておき、
コミュニケーションをたくさん重ねることが、
信頼関係とか関係性を構築することに寄与するっていうところは、
まあなんかそうだなと思うから、