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2025-07-10 30:50

Ep.051「信じていないものを別の要因で受け入れざるを得ない状況」

野菜果物どっちなんだ問題/箱は全部開けたいタイプ/ツルツルの現代社会で毛繕いするには


:::::::::::::::::::::::: 今週のめい題 ::::::::::::::::::::::::


「トマトやアボカドなどの野菜と果物の間で揺れる食べ物」


「レストランで同行者と注文するものが被りたくない気持ち」


「信じていないものを別の要因で受け入れざるを得ない状況」(hitonokoさん)


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【出演】

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・上水優輝 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/y_uemizu⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


【企画・構成】

・sowa ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://x.com/sowa_ice_cream⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


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サマリー

このエピソードでは、食べ物の分類の難しさや、果物と野菜の間にある曖昧な境界について掘り下げます。また、レストランでの注文に関する被りたくない気持ちや、コミュニケーションにおける多様性が必要であることについても考察されます。水素水や風水に対する信頼の欠如と、そうした状況を受け入れざるを得ない現実についても議論されます。特に、日常生活での選択や価値観がどのように影響を与えるのかに焦点が当てられます。さらに、このエピソードでは、グルーミングの重要性や、信じていないものを受け入れることのネガティブな側面について取り上げられます。また、グルーミングをポジティブに捉えるための新しい視点も提案されています。

食べ物のカテゴライズ
この番組は身の回りのものや現象など、あらゆる対象の本質を探求し、それにふさわしい名前を命名します。
さまざまな視点で対象を捉え直し、新たな発見を一緒に楽しんで参りましょう。 本日はどんな命名が誕生するのでしょうか。
こんにちは、カンタです。 こんにちは、上水優輝です。
今日も命題が来ておりますので、張り切って命名を呼び出していきましょう。
はい。 それでは命題をお願いします。
命名 トマトやアボカドなどの野菜と果物の間で揺れる食べ物
ちなみにトマトは植物学的な分類では果物、農林水産省の分類では野菜、アボカドは果物らしいですが、野菜コーナーで売られていることが多い。
これ、野菜果物問題ですね。
そういうのあるんですか?
例えばメロンは野菜みたいなやつですね。
メロンは野菜なんだ。
メロンは野菜です。
トマトも野菜っちゃ野菜のはずなんですよね。
木になるやつは果物で、葉っぱになるやつが野菜みたいなんですね。
ざっくり。
メロンとかスイカは木じゃなくて葉っぱになるんで、葉っぱというか草になるんで、野菜なんだけど、
消費のされ方としては糖度で結構分類されるじゃないですか。
甘いものが果物で、甘くないものが野菜みたいな。
トマトが結構境界線上にいますよね。
甘さ分類で言ったら果物になりそうだけど、分類学上も野菜だし、認知としても甘くても野菜感あるみたいな。
フルーツトマトみたいな謎の分類もありますもんね。
確かにある。
結構深い問題だなと思います、これ。
ジャンル崩壊してるってことですよね。
ジャンルって難しいですよね。
分類上の正しさと人の認知っていう2つの軸があるじゃないですか。
前職、eコマースの会社にいたときに、
ジャンル分けの難しさってあって、
例えば、リボビタンデーってあるじゃないですか。
あれは飲み物なのか健康食品なのかみたいな。
うわー。
どっちでもあるみたいなやつですね。
でもカテゴリー分類して、どっちかのカテゴリーにしか属せないみたいなシステムになってると、どっちなんだ問題が発生するんですよね。
確かにね。リポビタンデーむずいよね。
むずいです。
スーパーとかは結局売るのが目的で、正しくカテゴライズすることが目的じゃないから、
みんなが何として認知してるかで並べてるじゃないですか。
だから、例えば、米は穀物コーナーにあり、パンはパンコーナーにあり、
じゃがいもは野菜コーナーにあるわけじゃないですか。
でも、全部主食っちゃ主食じゃないですか。
主食コーナー作ったら、じゃがいもとパンと米同じとこにあってほしいなとかなるじゃないですか。
はいはいはい。確かに。
結構むずいなーって思いますね。
そうね。棚に並べないといけないってなった瞬間、その難しさが出てくるのか。
分類しなきゃいけなくなるんで。
こういうやついますよね。
名前をつけるのか、そういうやつね。
分類できないから、なんか間にいるから名前がどっち?ってなってるけど、
どういうこと?これは、トマトやアボカドなどの、そこに厳禁して、
曖昧なやつ。境界線上にいるやつですよね。
もっと抽象化してそういうやつに名前をつけるって感じか。
野菜と果物の中間に揺れてるものに名前をつけるわけではないわけですね。
多分これ、抽象化すると論理と認知のコンフリクトが起きてるやつだと思うんですよね。
ロジカルに分類すると、スイカは野菜なんですけど、認知上はデザートとして食されるみたいなコンテキストによって、
果物として認知されてるっていうことの、そこの矛盾というか、そこがコンフリクトしてるというやつですよね。
なるほどね。
被りたくない気持ち
よくありますよね、そういう抽象化するとね。
あるある。よくある。
どうするかな。
俺、どっちで捉えるかみたいなのがあるなと思っているのが、
間で揺れてるみたいな捉え方もできるけど、どっちの顔もできるみたいな捉え方もできるじゃないですか。
ああ、そうですね。確かに。
野菜とも言えるし、果物とも言えるんだぜ、俺みたいな。
そっちのはちょっとポジティブな感じしません?
そうね。アイデンティティー喪失して、こう、辛くなってる人とは違いますよね。
そうそう。俺どっちなんだーじゃなくて、コンテキストによってはどっちでもありますみたいな。
どっちもいけちゃいます。
そうね。でも、野菜とか、この果物で言うと、本人たちは別に変わってないじゃないですか。
だから、見る側が勝手にこっちに行ったらこっちに行って適応している状態っていう。
どの文脈で見るかによってカテゴリーが変わっているだけですからね。
だよねだよね。でも、どっちも、まあそうだよねって感じになるんですね。
果物と言われれば、まあ果物だね、みたいな。植物で言えば植物だね。
植物じゃない。野菜か。
全体的に植物か。
野菜だね。
なんかそのアプローチとして、例えばアクションゲームとRPGゲームのどっちだみたいなときに、
アクションRPGみたいな、くっつけたカテゴリー作っちゃうパターンあるじゃないですか。
ありますね。音楽とかもよくありますもんね。
どんどんジャンルがもう、でも無限にジャンルが増えていくから。
組み合わせジャンルが無限に増えていくパターンで、野菜と果物のどっちも兼ねてるみたいな、
そういうカテゴリーを作っちゃうみたいなパターンもあるなって思ったのと、
あとさっきの一人二役系の、
そのスイカ目線でとかトマト目線でのこう、
名前をつける、命名していくっていう方向もあるなって思ったのと、
あとその狭間みたいなもの自体に名前をつけるみたいな。
どの路線でいくかでなんかちょっと考える方向が変わりそうだなって思った。
狭間につけましょうよ狭間に。
特に理由はないですけど。
狭間に名前をつけるんだったら、何なんだろうな。
結局でも、どの角度からそれを捉えるかによってどっちにもなるみたいなことですよね。
だから、実体を例えば円柱なんだけど、
上から見ると丸だし横から見ると四角って言われるみたいなことですよね。
まさにまさに、そうだと思う。
だから二次元で捉えようとするからそういうことになるって話ですよね。
円柱の例でいくと。
そうですね。
次元が足りてないってこと?
次元が足りてない。
次元不足ですか?
次元不足。
次元不足。
それでいきましょう。
じゃあ次の命題お願いします。
命名。
レストランで同行者と注文するものを被りたくない気持ち。
これ僕からの命題ですね。
はいはい。
なんか誰かと一緒にご飯食べに行って、
例えばパスタのランチセット4種類ありますみたいな、あるじゃないですかよく。
うんうん。
なんかトマトソースと、何だ、何も具体的に言ってこなかった。
カルボナーラと何とか。
ペペロンチーノとみたいな。
なんかそういう時に一緒にいる人が注文したのと、
自分が今注文しようと思ってるのが被ってると、
なんか違うのにしたくなる気持ちありません。
うん。
ほとんど食べたいものが決まってるっていう以外は結構なるかも。
で、なんか、じゃあ別の注文してシェアするかって言うと別にしないじゃないですか。
しないですね。
うん。
なのになんで違う。
なんならしたくないと思ってる。
そうですよね。
だから別にバラす意味全くないのになって思うんですけど。
うんうんうん。
なんか被りたくない気持ちが芽生えちゃうの不思議だなって。
あれなんなんでしょうね。
うん。
食べ物、でもカンタさん食べ物解像度高いですよね。
普通に料理食べてどういう味なのかみたいなのを結構分析できるタイプですよね、料理。
いや、多分上水さんが出来なすぎるだけで。
平均以下ではあると思いますよ。
平均以下か。
なんかそこ関係してる気がするんですよね。
解像度が荒いと、なんかもうビジュアルとかしか楽しめるなこれ。
違うのが、明らかに違うものが出てきたみたいななんか。
なるほどね。
あー、確かにな。
そこの多様性がないことに対して気持ちはそうなんですね、食卓に。
そう。色とか見た目みたいなものにすごく採用されるというか。
どういう気持ちなんだろうな。
でも確かになんか色どりでなんか全部同じみたいなのがのっぺりした印象を持つとかはあるかもしれないですね。
ねえねえねえねえ。
まあでも関係ないっちゃ関係ないですもんね。
各々食べたいもの食べればええかなって話で。
そうそうね。
かぶっても何の問題もないですからね。
なんかエンタメを求めてるのかな、どっか心の奥底で。
あとなんか次にまた行く可能性があるお店とかだったら、そっちどうだったみたいなので、
じゃあ次食べてみようみたいな。
そういう会話は起こりうるかもしれないですね。
同じのにしますっていう時もあるじゃないですか。
あれとの違いは何なんですかね。
あれで同じのくださいとかあるじゃないですか。
なんか誰かに連れてってもらった店とかだと、連れてってくれた人と同じの頼むとか。
確かに分かってる人のおすすめなんだろうなっていうところで。
おいしいだろうと思ってると。
人数多くて4,5人とかで行って、なんか注文バラつくと店員さんめんどくさそうだなみたいな時は。
じゃあ一緒でみたいな。
公共性発揮すればいいのね。
そうですね。
あとなんか何でもいいなみたいな時、決めかねてる時は誰かに乗っかるとかあるかもしれないですね。
確かに。
決め手にかけるみたいな時に。
でもそういう時あれだな。
逆にどっちでもいいなって思って、相手がAって言ったら僕はBって言うみたいな感じでバラしかしかも。
やっぱ見たことないもの見たいみたいなものはあるんですかね。
なんかバラエティ、バリエーションを増やしたくなる。
ねえねえねえ。
何の意味もない。
でも食べ物に対してそんなにコメントもしてないじゃないですか。
すごい食が好きでいろいろ食べてみたいみたいなのでいっぱい頼んで、それこそいっぱい食べ合ってコメントし合うみたいなのとちょっと違うじゃないですか。
違う違うそうなんですよ。
だから完全に無意味なんですよ、バラすことが。
ねえねえねえですよね。
信じられないものを受け入れる
バラしてんのに一言もそれについてのコメントがないまま普通に会話しますもんね。
完全に意味がないのになんかやっちゃうんで不思議だなって思ったんですよね。
ねえ、なんでしょうね。
まあなんかでもスマホとかもいろいろカラーバリあるじゃないですか、PCとかのカラーバリエーションがいろいろ。
ある方が選べていいねみたいな感じ、なんか雰囲気としてあるじゃないですか。
うんうんうん。
なんかそれに感覚近いんですかね。
なんか選択肢が、でも結局もう選択した後だもんな。
うんうん。
なんかバリエーションがいろいろあるのは良いことだみたいな感覚ちょっとありますよね。
うん。
なんかなんでしょうね、選んだ満足感?
うん。
なんなんだろうなあ。
分かんないなあ。
こんなに意識もしてないよね多分ね。
違うだろうみたいな。
なんとなく被ったら嫌だなって思うとか、被りそうだったらあえて違うのにするとかっていう行動をしたうなっていうのが。
ありますよね、無意識、ほぼ無意識でやってるかも。
気持ちとかじゃない。
ほぼ無意識でやってる。
真相真理みたいなのがあるんじゃない。
でもなんか、例えばメニューが4種類あるのに、そのうちの1種類しか見ていないみたいなことにちょっともったいない感があるのかもしれないですね。
せっかくここの店来たし、見たことない、これも見てみたいな。
なんかそこの、なんていうんですかね、好奇心。
好奇心っていうほどの好奇心でもないんだけど、なんかそこの変化の乏しさみたいなのにもったいない感があるというか、刺激が足りなくなる感じがあるかもしれないですね。
やっぱそっちのニュアンスですよね。
例えばですけど、洋服とかじゃ起こり得ないじゃないですか。
その店で絶対決めないといけないとか、そういうことないけど、仮にあったとして、ユニクロに一緒に行きましたと。
ここで全部揃えてくださいという時に、あ、じゃあちょっと神田さんと一緒にしますとはならないじゃないですか。
なんか表現しようとするから、その表現みたいなその欲求があるとか、違いをこう演出しようとするみたいなのは明らかにその意識として存在するけど、
食事でそれがないからなっていう。だからやっぱその、どうしたら自分の中にあるものというよりは、お店のまだ見ぬ何かを見たいという方向に寄っている気がしますね。
ね、見るだけだからあんまり意味はないんだけど、なんとなくストーンした気持ちになるというか。
それはあるかも。
見たかっただけで説あるね。
あー、ありますね。
で、ご飯が本当に好きな人は、それを食べるまでそのセットになっているというか、それもこの味もその味も食べたいみたいな。
僕とか言われますもん。あ、これちょっと食べる?とか言うと別に、あ、いいですとなるんです。別に食べたいわけじゃなくてみたいな。見て満足みたいなところがある。
あー、だから箱が4つあったら、極力いろんな箱を開けたいみたいな感じですかね。
1個しか開けなかったら残りの3つ気になるなみたいな。
それだと思う。それだと思う。それは一番近い。
開けてどうってわけじゃないんだけど、なんとなく全部開けたくなるみたいな。
子供とかやっちゃうんですよ。意味もないけど中開けちゃったら。
開けちゃって中見て、中見て何ってわけでもないんだけど、見てないやつがあるとすごい気になっちゃうみたいな。
見てないやつがあるとすごい気になって開けちゃう気持ちようじゃん。
別の感じですね。そういう子供心にね。
かぶりたくないんじゃないんだなっていうのを今話してて思いましたね。
食事はたぶんかぶりたくないではない気がする。
見たいだけですね。
フロンティア精神じゃないですか。
いいですね。いいですね。
前向きな感じしますね。相手が頼もうと思ったやつ頼んだら、ちょっとフロンティア精神で便注です。
それでいきましょう。
じゃあ次の命題お願いします。
お便りフォームからいただいております。ひとのこさんからですね。
妻の母が水素水耐用の浄水器を勧めてきて、いや往々なく我が家で使っていますが、
正直言って水素水は何の意味もないと考えています。
でも妻は関西の女性で安いときと場所を把握していて、
通常の同等浄水器より安い上に浄水カートリッジそのものはちゃんとしたものなので、
断る理由はない。ただただ私は信用していない水素水を毎日飲むことになる。
このように信じていないものを別の要因で受け入れざるを得ない状況について命名していただけませんでしょうか。
日常生活における選択
とのことです。
なるほど。ありがとうございました。
ありがとうございます。
こういうことよくありますよね。
ありますね。
僕なんか何でも自分なりに納得しないと受け入れられないタイプなんで、
それやってると、なんていうんですか、日常生活ままならないから、
一旦納得は言ってないけど、そういうことならそういうことで受け入れとくかみたいなこともよくあるんで、
結構この状態のやつありますね。
水素水状態のやつは。
まあ、濃毒化状態みたいですね。
体にいいって言われるやつ基本的にこういう感じですね。
確かにね。
なんか自分で深掘りするほどメカニズムはよくわかってないから、
結構疑ってるんだけど、別に悪くなくて、
これが体にいいんですよってキラキラした顔で言われたときに、
あえて本当にそうなんですかって聞くのもあれだから、
なるほどって言って受け入れとくみたいなやつ。
はいはいはい。
よくありますよね。
あるかも。
これはだから水素水が体にいいかどうかあまり関係ないんですよね、もはやね。
そうですね。
そう信じている人とどのようにコミュニケーションするかっていう話で、
損がないなら受け入れとくかみたいになるやつですよね。
これでもなんか気持ち悪さがあるのが、
その水素水がいいか悪いかは別として、
自分が信じてないとしたときに、
なんかこの飲んでるっていうことによって、
なんか水素水というものを肯定している気持ちになって、
それがちょっと嫌だっていうのはなんかありそうですよね。
それはね、あるのかもしれない。
僕とかはね、風水とかそうでしたね。
受け入れざるを得ない状況になって、
風水のセッションを受けるっていうのがあったりとかなんですけど。
占い好きですからね。
いろいろ付き合いがありまして、
受けざるを得ない状況になって、
風水のセッションを受けるとかはありましたね。
僕、最近ちょっとあんまり聞いてないんですけど、
神社好きで、神社よく行ってた時期があって、
神話とかがファンタジーとして好きだったりするんですよ。
でもなんかスピリチュアルなものを別に信じてるわけじゃないから、
でもなんか神社好きっていう中に、
スピリチュアル方面の人って結構いるじゃないですか。
なんかそれでわかるみたいな感じで、
そのスピリチュアルな話をされて、
わからんなーって思いつつ、
なんかそこで仲間見つけたみたいな感じで、
楽しそうに喋ってるのに水足すのもなーって思って。
で、その神話のストーリーの話から、
派生しているスピリチュアルなこういう語尾訳みたいな話に大体なってるんで、
元の方の、なんか古事記でこういう話があって、
それがルーツなんですよねみたいな話をすると、
コミュニケーションの重要性
わかってるねーみたいな感じになって余計に盛り上がってしまって、
特にそのスピリチュアルのとこに興味がないことを言い出しにくくなるとかっていうのはよくありましたね。
もうそうなっちゃうと、もう買っていくしかないみたいなってあるじゃないですか。
なんぞ。
そうするとなんか、個人的に連絡先とかしてたりすると、
この神社行ってこんなことをしてきてましたみたいなのを報告してくれたりして、
そっか、ごめん、そっち興味ないんだけど、よかったねみたいになるっていう。
あるなー。
まあね、その場合は自業自得なんで、
なんかこのね、ひとの子さんのシチュエーションとちょっと違いますけどね。
あんまり自分で選択肢がないパターンですもんね、これね。
家族付き合いですよね、妻の母。
仕方ないって感じですよね。
でもこれ例えば、ちょっと話違うんですけど、
ノミニケーションみたいな話ってよくね、最近否定されがちですけど、
昔よくあったじゃないですか。
はいはい。
あれって、なんか、本質的に必要性はさておき、
それが必要だと思っている人たちがいるコミュニティにおいては、
やっぱそれが実態を持って必要性が生じるじゃないですか。
うん。
なんかそういうことを信じてる人たちの中では、
なんかそれは、なんていうんですかね、あるかないかというよりは、
生じるみたいなことあるじゃないですか、その必要性というか、
そういうことが。
うん。
だから一緒に、やっぱ酒飲んで話さないと、やっぱ本音ってわかんないから、
酒飲んで話さないと信用できないんだよね、みたいな人がいたときに、
実際にそうか別として、そういう人が存在することによって、
そのお酒を組み交わさないと信用しないっていう現象が生じるみたいな。
うんうん。
パターンに結構似てるなと思うんですけど、
自分がお酒飲まないとわかんないと別に思ってなくても、
そういう人がいると、そういうことになるし、
そういうことになるということは、
それが現実世界になんか現象として生じてしまうみたいなやつですね。
うんうん。
でもなんかそれにいちいちなんか抗ってたんですけど、昔は。
はいはい。
抗っててもいいことないなって思ったのと、
あれって言ったら毛づくろいみたいなもんで、
別にそれが正しいかどうか正しくなかろうが、
そこでそういうコミュニケーションが発生して、
コミュニケーションをするという、
その蓄積で関係性が構築されるみたいなことだなと思ったら、
なんか酒を組み合わすことによって信頼関係が生まれるかはさておき、
コミュニケーションをたくさん重ねることが、
信頼関係とか関係性を構築することに寄与するっていうところは、
まあなんかそうだなと思うから、
グルーミングとその重要性
まあそういうことにしとくかみたいなやつ。
うんうんうん。
僕はもうグルーミングだと思って言ってますね、そういうときは。
この状況も結局は広い意味でもグルーミングになりますよね。
うん。
広い意味でもね。
そこで水素水使って、
水素水いいですよって、
フィードバック返すことで、やっぱりいいでしょっていう、
ここのコミュニケーションが関係になるみたいな。
親族付き合いっていう意味でのグルーミングですよね。
ねえねえねえ。
で捉えると、なんか水素水がどうかはさておき、
グルーミングだし仕方ないなみたいな。
グルーミングだと、まあ自分は乗り切りではないが、
グルーミングだと割り切ってグルーミングしてることに名前つけましょう。
そうですね。
いやあ、めっちゃあるなあ。
でもこれね、なんか最近思ってるのが、
そうでもしないとグルーミングする機会なくなるんですよね。
そうですね。
でなんか、街のお祭りとかも結局そうじゃそうで、
やっぱりよう作って集まって、なんか共同作業しない限りは、
やっぱ関係性って構築されないから、
関係性は構築されないと、なんかこう問題が生じたときに
強調できないとかがやっぱ起きますよね。
そうですね。
だからまあよう作ってグルーミングするしかないんだなっていう意味では、
まあようの中身なんでもよくて、
そこに共感できるかできないかとか、
あんま関係ないなっていうのはちょっと最近思ってますね。
いやそうですね。
なんか社会が機械とか何とかで便利になればなるほど、
人と人が連携しなくても機械で何とかなったりすることもあるじゃないですか。
ようなくなるんですよね。
そう、ようがなくなる。
昔は連携せざるを得なかったから、
さらにようを作って、信頼関係も作って、
まあコミュニケーションしないといけないんだったらそこで、
信頼関係がある上でやったほうがいいよねっていうのはあったけど、
今って本当にようがないから誰とも関わらなくなっちゃうっていうね。
そうそうそうそう。
問題が、違う問題が生じるから、
関わることそのものを目的化するっていう意味でやっぱ、
グルーミングが必要になってきてる時代かなとは思いますね。
グルーミングのポジティブなアプローチ
グルーミングのネタを作ってくれてるんだぐらいの。
ねえねえねえねえ。
ありがとうぐらいの気持ちで。
水素水ありがとうですね。
水素水ありがとう。
思えるような名前つけたいな。
だから水素水はグルーミングで言う毛ってことですね。
毛がないから毛作りできなくなってますからね、現代社会で。
うんうんうん。確かにね。
ツルッツルですからね、普通に効率を追求すると。
そうですね。
その用の方には別に共感してないんだけど、
グルーミングするための大義名分かと思って浮き入れてる状況ですよね。
うんうん。
で、たぶん相談者さん、相談じゃない。
お題提供、明大提供の人の子さんは、
信じていないものを別の要因で受け入れざるを得ない状況っていう、
まあ受け入れざるを得ないっていう意味で結構ネガティブなニュアンスだと思うんですけど、
僕はこれをね、自らグルーミングなんだなと思って、
じゃあグルーミングのためにグルーミングするよって、
ポジティブな方に名前つけれた方が使いどころがあるんじゃないかなと思ったりしたんで、
ポジティブに変換したいですね。
グルーミングのためのグルーミングいいんじゃないですか?
ちょっと長いですね。
グルーミングのためのグルーミング。
ぐるぐるですね、じゃあ。
ぐるぐる。
グルーミングのためのグルーミング。
ぐるぐるで。
今日はこんなところですかね。
はい、まとめに入りたいと思います。
今日は3つの明大に命名してきました。
1つ目。
トマトやアボカドなどの野菜と果物の間で揺れる食べ物。
次元不足。
2つ目。
レストランで同行者と注文するものが被りたくない気持ち。
フロンティア精神。
3つ目。
信じていないものを別の要因で受け入れざるを得ない状況。
ぐるぐる。
ぐるぐる。
グルーミングのためのグルーミングですね。
今日3つ命名してきましたけど、どうでしたか?
社会派ポッドキャストみたいになってますね、最近ね。
あ、そうですね。
もうちょっとこう、何も考えずに喋れる。
トマト、アボカド、何も考えずに喋れるやつだったと思います。
確かに確かに。
やっぱり必要以上に抽象化しすぎてるんじゃないかっていうちょっと反省をしました。
なんか話をややこしくしてるかもしれません。
気をつけたいなと思います。
はい、というわけで今日は以上です。ありがとうございました。
ありがとうございました。
番組では、感想や皆様からの命名のご依頼をお待ちしております。
ハッシュタグ、命名でXにポストしていただくか、概要欄の投稿フォームからメッセージをお送りいただけますと幸いです。
それではまた次回お会いしましょう。
ありがとうございました。
30:50

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