2025/04/18
サマリー
日本語の「てふ」という言葉の歴史や音の変化について語っています。これによって、言葉の柔軟性や表現の美しさが浮き彫りになります。
言葉の歴史と変化
おはようございます。花火鑑賞士、気象予報士の鶴岡慶子です。
この配信では、花火や天気、言葉に関することなどをお話ししています。
今日も最後までお付き合いください。
日本語のちょっと不思議で、でも知れば知るほど面白い話を今日はしようと思うんですが、
チューリップに泊まる蝶々、ありますよね?蝶々。平安時代や江戸時代には、「てふ、てふ。」と書いていました。
当時は、「てふ。」と書いて、蝶と読んでいたんです。
てふてふって見て、どうして蝶々と読むんだろう、ということなんですが、
昔の日本語では、てふのふの発音が、今よりも、hとかwに近い音だったんです。
fuのふよりも、huだったり、puに近かったと言われています。
なので、てふというのは、やがててうに近い音になり、さらに蝶のように変化していったということなんですね。
これは、音便化という現象です。音の便利を分けると書きます。
音便化という現象で、日本語では、とてもよく見られる変化なんです。
日本人は、柔軟性があって、アレンジが得意なので、言いやすいように、発音が自然に変わっていきます。
大阪も、あふさかと書いていた時代があります。
やはり、fuがuに変わっていく例の一つです。
昔の金使いでは、あふさかと書かれていました。
このあふというのが、現代のouにあたる音になっていくんです。
百人一首にも登場する、あふ。
日本語の音の変化とともに、声の表現としても、よく使われていました。
例えば、あいみてののちのこころにくらぶれば、むかしはものをおもあざりけり。
ごん、ちゅうなごん、あつただの一種ですが、この歌、あいみてのと読んじゃったんですけれども、表記は、あひみてのと書いてあります。
元の動詞は、あふ。つまり、あふ、あうと音が変化して、ここにもそんな流れがあるんです。
やっぱり、言葉って生き物みたいですよね。少しずつ姿を変えていくんですね。
現代の私たちからすると、てふとちょうというのは、全く別のように見えるんですけど、当時の人たちにとっては、それが自然で当たり前の感覚だったんですね。
表現の美しさ
ちょうど今の私たちが、いまのひにちと書いて、きょうと読みますよね。
これって、実はすごくむずかしい読み方だと思いませんか。
なのに、なんの違和感もなく使っている。これとおそらく似ています。
表記だけ見ていると、いまをきょうと読むのか、にちをうと読むのかというと、むずかしいですよね。
なのに、いまにちと書いてきょうと読んでいるのに、違和感を感じません。そういうことなんだろうと思うんですね。
なので、てふてふでちょうちょと読む。これ、なんの違和感もなく使っていたんだろうなと思います。
ちなみに、てふてふは、たんにちょうちょのちょを表すだけではなくて、ふわふわと舞うさまだったりとか、はかなさ、美しさを象徴する言葉として、
詩人たちにも愛されてきた表記です。
なので、いま一般的にはてふてふと書かないけれども、たとえば詩とか短歌にてふてふと書かれてあったら、
何かそこに込められた感情とか情景とか、別のものが伝わってくるような、プラスアルファで伝わってくるような気もします。
レトロなんだけど古くさくはない、美しさが伝わってくるような気もします。
私はラジオとかポッドキャストから情報を得ることが多かったり、オーディブルみたいなサービスでいろんな本を音で聞くというか、音で読むっていう感じをしている方もたくさんいるんじゃないかなと思うんですが、
文字を読むことでこういう出会いがまたあるんだなと思って、時間のパフォーマンスだけではなくて、文字を読むっていう時間も大切にしたいなと思いました。
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それではまた明日。
04:48
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