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おはようございます! 鶴岡慶子と花火と天気と、日本の秋田県から発信しています。
今回、野城の花火の本番を迎えるにあたって、いろんな天気図を書き集めて天気の予報をしました。
こんな風に天気図が読めることが武器になるんだって、初めて知りました。
いや、これまでも勉強する前と今ではずいぶん違うってことはわかってるんですが、
花火大会自体が3年ぶりだったということもあって、3年前はまだちゃんと天気図が読める状態ではなかったんですね。
不思議なもので、野城の花火って秋田県内のいろんなところで雨、
何だったら、もう土砂降りだった時も、野城の花火の会場周辺だけは晴れてるっていうことが、この20年間でずいぶんたくさんあったんですよ。
なので、こちら土砂降りですけれどとか、警報出てるんですけどどうですか、野城は晴れてますっていうことがすごくたくさんあったんですね。
それぐらい本当に予報の難しい場所ではあるんです。
地形の関係もあるし、花火会場は港で行われるので、まあまあ海なんですよ。
なので海風、海からの風、その水蒸気の量であるとか、山の地形の関係であるとか、まあ予想のしづらい場所ではあるんですけど、
それも加味していろんな天気図を書き集めた結果、これはこういうことかっていうのを、今回初めてくじできて、自分で予想ができたっていうのはすっごい嬉しいことでした。
港がありますのでね、やっぱり船舶の方とか建設会社とか、皆さん天気図読めるんですよ。
今まで、この後風向きが変わってねとか、この雲が抜けるとどうのっていろんなこと言ってるのを聞きながら、なんでそんなことわかるんだろうって、すごく不思議だったんですよ。
でも今ならその意味がわかると思います。
今回そういうことを経験して、やっぱりこの勉強してよかったと私自身は思っています。
そもそもどうして気象予報士を目指そうかと思ったかっていうと、ラジオ番組で気象コーナーがあったんですね。
天気のニュース原稿を読むということは当たり前にしていました。
さらにワイド番組の中で午前の8時台と午前の10時台に2回天気情報のコーナーというのがあって、その時間は気象予報士に電話をつないで、
今日この後どうですか、そして明日はどうですか、1週間後はどうですかっていうことを対話しながらこの後の気象状況を聞くというコーナーがありました。
5分ぐらいのコーナーなんですけどね。
あのやっぱりイメージできないことは伝わらないと思ったので、イメージしながらこの場面をもっと深くリスナーの方に伝えられたらいいなっていうことを思ってきていました。
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災害も多くなってきていたので、災害に関することもきちんと私が分かった上でお話をしたいというふうに強く思うようになって、やっぱり勉強しようっていうふうになりました。
で、さあチャレンジしようっていうことになったんです。
最初にそう思ったのは10年ぐらい前の話です。
2009年のお話なんですけど、その時にフジテレビのアナウンサーの菊間幸乃さんが、元アナウンサーですね、菊間幸乃さんが司法試験に合格したというニュースが飛び込んできました。
そのニュースを見て、年も近かったのでこの年からも頑張ってもいいんだと思ったんです。
日々努力はしているんだけど、何か大きなチャレンジをするというイメージがもう持てなくなっていたんです。
でも持てないながらも何かあるんじゃないかってぼんやりは思っていたところに、そのニュースが飛び込んできたので、
よし何か頑張ろうっていうことと、さっきのワイド番組の話と仲が合致して、よし希少保持だって思ったんです。
でもその当時、これはワイブルですと言われていた本、一般希少学っていう本があるんですけど、
一般希少学っていうのは、例えば希少大学校とかで大学の教科書として使われるような本なんですよ。
だから書いてあることが、単純なこともすごく難しく書いてあるんですよね。
で今見ると、ああそういうことかってすごくわかるんですけど、基礎もない私が当時見た時には、なんだこれと思って、開いたんだけどすぐ閉じたんですよ。
本当にわかんないと思って、これが希少保持のレベルだったら、受けてるイメージも持てなかったし、ましてや合格するイメージなんてとてもじゃないけど持てなかったんです。
さらに言うと、ちょっと勉強している間に父の当病生活が始まって、そして毎日のように病院に行ったり実家に行ったりっていうようなことを繰り返すようになって、
姉は公務員なので、私の方が自由に時間を組み立てられるということで、私が割とよく動いてたんですよね。
そういうこともあって、その父を理由にもう諦めてしまおうと思って、その本は永久に葬ったつもりだったんですが、
父の七階期にあたる2018年の夏に実家の整理をしたんですよ。
実家の整理をしたら、やっぱり持ってくるものを持ってきたりして、こっちの今の自宅に持ってくるものを持ってきたりして、自動的に今の家も整理することになったんですよね。
整理していたら、一般希少学が出てきたんですよね。これ捨ててなかったんだと思ってびっくりしたんですけど。
そして、希少予報士試験って夏と冬と年間2回あって、夏に見つけたので、次の試験は1月だと思いました。
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で、そういうことはもう覚えてるんですよね。で、1月の試験日を見たら、1月27日って書いてありました。
1月27日は父の誕生日だったので、これはもう父を理由に諦めた10年前を、なんか叱られているような気がして。
これはもう、やろうって本当に思いました。
で、10年経っていたら、大学で使われているような一般希少学じゃなくて、希少予報士試験という試験に絞った本っていうのがたくさん出ていたんですよ。
当時はなかったんですけど。で、そのいろんな本が出ていて、それを見たら、なんかちょっと手が届くような気がしたんです。
数式も本当に限定的で、微分析文とか使われてなかったんですよね。それ、試験に出ないんですよ。
それって、大気の状態を表すのに微分析文というのは必要なんですけど、それが試験に出るわけではないんですね。
そんなことがだんだんだんだんわかるようになってきて、試験問題もなんか解けるかもっていうふうに思ったんですよ。
で、そこから3年かけて取得していくっていうことになりましたが、
天気図が本当に読めるようになって、大きな大きな武器を得たと、今回本当に思いました。
どういうふうな勉強を具体的にはしたのかっていうことと、それから一体総額いくらかかったのかっていう話を、また次回お話ししようと思います。
今日もお聞きいただきありがとうございました。
鶴賀恵子でした。