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2026-03-17 04:05

【1383】2026/03/17 株式会社和火屋(花火シリーズ) インタビュー記事

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2026/03/17

🟣インタビュー記事

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おはようございます。花火鑑賞士、気象予報士の鶴岡慶子です。 この配信では、花火や天気、言葉に関することなどをお話ししています。
今日はインタビュー記事の発行日です。 今日は花火シリーズです。登場いただくのは、秋田県の和火屋です。
秋田県の花火屋さんとしては、3社目ということになりました。 お話を伺ったのは、4代目の久米川和幸さんです。
私は野代の花火でご一緒したことがあります。 確か2006年の花火ですけれども、アンダルシアっていうタイトルの花火がもう忘れられないんですね。
ベニノセンリンの花火でした。 それをインタビューの時に、4代目に話したら、それを覚えててくれるなんて、とすごく喜んでいました。
空一面にベニノ花火が咲くわけで、真っ赤になるわけですよ。 夜空が。
パッションを感じる素晴らしい花火だったなって思います。 今現場をご一緒してないので、またご一緒できればいいなって思います。
和美屋の創業は明治34年なんですが、これは秋田県から 塩化製造許可を取得したその日ということで、もっと実は前から。
江戸時代、大名の岡海花火市として始まったのが、和美屋のルーツだということでした。 県内の花火大会のかなり多く手がけてきたのが和美屋です。
野城の花火の第一回、昭和33年ですけれども、これもそうですし、 本城の花火大会の第一回、これは1950年代なんですが、これも和美屋が担当していました。
ところが2代目が40代で倒れてしまうんです。 その時3代目はまだ16歳でした。
3代目は18歳で高校を卒業する時に、国鉄の試験を受けて就職も決まっていたんですけれども、 思い直して和美屋を継ぐことにしたんです。
若すぎる3代目は本当大変な思いをしたと思うんですけれども、そこから何とか続けてきたところで、 4代目の和之幸さんにバトンタッチをする時がやってきます。
4代目は花火が身近なある環境で育つわけで、強く花火師になりたいと思ったわけではないけれども、 まあそうなるんだろうなぁという思いで大阪芸大に進むんです。
大学を卒業してすぐに秋田に帰ってきて花火の仕事に就きました。 色の魔術師と言われる和美屋ですが、本格的に色にこだわるようになったのは、
花火業界に入って初めてのコンクールの時でした。 当時はまだ若くて、大御所の方々と戦うことを考えた時に、形とか花火の種類では勝負できないので、
じゃあどうやったら同じ土俵に乗れるかなと考えた時に、色への挑戦が始まりました。 10色の色鉛筆よりも20色、30色の色鉛筆に憧れた感覚で、
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一色でも多いと心が躍ると、その感覚を花火でも表現したいということだったんです。 今娘さんが大学生で東京の花火屋さんでアルバイトをしているそうです。
ご自身は花火屋になりたいと強く思っていたというよりは、花火屋になるんだろうなぁという感覚だった。
ご自身の言葉を借りるなら、子供の頃は花火屋の手伝いから逃げることばかり考えていたということなんですが、
娘さんはそうではないようだと。 これからの花火屋も注目していきたいと思いました。
花火を作る人に会いに行く。株式会社は花火屋のインタビュー記事は今日正午公開です。 ぜひご覧ください。
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リッスンではこの配信のテキスト版を公開しています。 合わせてご覧ください。
それではまた明日。
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