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はい、おはようございます。
本日の放送は2023年の1月30日、月曜日です。
本日は第337回目のお話となります。
このチャンネルは福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が
響きになったことをダラダラ話をしていくという番組です。
そんな親父の一言を気になりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら
ごめんなさい、悪意がなかったんです。
不幸にもこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願いいたします。
昨日はですね、宮城県留市のね、石の森正太郎ふるさと記念館
そちらの方に行ってきました。
そこで行われましたね、バンダイスケ氏、早瀬雅人氏トークショー
それに参加してきたんですね。
今回はね、その様子をご紹介したいと思います。
今回行ったのはね、私ピョン吉とあと東米さんとね
あと東米さんの息子さんのジュニアさんの3人で行ってまいりました。
郡山市をね、出発したのはね、午前の6時30分頃ですかね。
あの、九里県あたりですね、雪があってね、ちょっとね、心配したんですよね。
無事に、午前9時10分頃にね、到着いたしました。
入口の前にね、並んでいる列のところに並びましたね。
6、7、8番目をゲットいたしました。
入場生理券ね、40番までしかもらえませんよね。
というので心配して早めに来たんですかね。
というわけで、9時30分にね、入場券とともにですね、その券をもらいましたね。
そしてあと、オリジナルの缶バッジ、これもいただきました。
で、除雪点を見たんですよね。
奥のね、あの本も置いてあるところのレイアウトがね、少し変わってましたね。
それからあと、見たことのないイラストなども増えておりました。
それからあと、仮面ライダーV3が立つですね。
V3公園、そちらの方に行こうとしたんですかね。
ちょっとルートを間違えましてね、遠間になっちゃったんですね。
ちょうどなんかスタンプラリーやってるんですかね。
V3公園のところにもね、人がいたんですね。
結構、そのスタンプラリーに参加されてる方も多かったみたいです。
で、その後私たちはね、石上翔太夫さんのね、ご成果が生まれたところ、そちらの方に行きましてね。
そこでね、今回楽しみにしていたのがですね、福島市の方でね、お店を開いていました。
上野山光一さんが先日亡くなられたんでね。
そのお世話を被っていた帽子がですね、そちらの方に昨年の7月からね、展示されてるっていうんでね。
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昨年の7月から展示されてるというね、こちらの方に来たわけですね。
というわけで、見させていただきました。
後にですね、バン大助さんもね、いらっしゃったみたいで、その帽子にサインをしたそうなんですよ。
で、またあと3時間以上あるっていうね、天気も良いしっていうんでね、石巻漫画館の方に行きました。
40分以上ですかね、かけまして到着。
まずは腹ごしらえということでね、地元のラーメン屋さんおいしそうなところを見つけましてね、食べました。
おいしいラーメン屋さんでしたね。
その後ですね、駐車場に車を停めまして、石巻を散策しました。
そして漫画館を入館と。
12個クッキーのね、イラストでおなじみのね、山田明宏さんね、そのイラスト展の方を見てきましたね。
非常にですね、緻密な絵、それからね、繊細な色使いでね、すごいなーって感じでしたね。
なんでこの漫画館でね、山田さんの絵なのかな、展示会なのかなと思ったらですね、最後にわかったんですね。
仮面ライダーガイム、その怪人、要するにインベスですね。
そのインベスたちのキャラクターデザイン、これですね、山田明宏さんが担当していたからなんですね。
これ気づかなかったです。
山田さんのね、非常に美しいキャラクターなんですよね。
いやーこれいいなーと思ったんですが、造形する人たちはね、多分泣いたでしょうね。
かなり大変だったと思いますよ、これをね。
というわけで、石巻の方もね、軽く散策いたしました。
で、バーッとね、戻ってまいりまして、会場ね、1時30分ギリギリ戻ってまいりました。
入場席の順に並んだんでね、というので早めの方に入ることができましたんで、
前から1列目、2列目のね、中央辺りのベストなポジションで聞くことができたんですね。
というわけで、2時になっていよいよトークショーの開会と。
いやー面白かったです。
いろんなね、話を聞くことができました。
で、バン・ダイスケさんがね、石ノ森翔太郎さんとね、最後に会ったのがですね、
名前をね、ダイスケに戻しましたっていう挨拶の時ってことなんですね。
あの機械打算家っていう本を出したわけですね。という方が、1997年の時ですよね。
バン・ダイスケっていうお名前はですね、石ノ森翔太郎さんが命名したものなんですかね。
ただですね、バン・ダイスケさんはですね、それを途中でね、バン・ナオヤっていう名前に変えてしまったんですね。
それで、石ノ森翔太郎さんが怒っていたって話をね、聞いていたっていうんですね。
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早田はですね、早瀬さんの話はですね、早瀬さんはね、10年間石ノ森翔太郎さんのアシスタントされていたんですかね。
ですけどね、その期間中ですね、石ノ森翔太郎さんが怒ったのを見たことがないっていうんですね。
というので、機械打算のね、プロデューサーの吉川進プロデューサーがですね、
忖度してね、怒っているっていうことをね、極めたんじゃないかっていう話を言ってましたね。
ちなみにバン・ダイスケさんがね、機械打算に抜擢されたのはですね、その吉川プロデューサーの奥さん。
その奥さんがね、選んだから、というので決まったそうなんですね。
その話もされていましたね。
で、その謝りに行った時ですけどね、実を言いますと、もう一言ね、機械打算01のね、
生田俊輔さん、そちらの方もですね、原作のようなね、コミカルな演技をね、していなかったと。
クラマ天群みたいな演技してたと。
ということでね、石ノ森翔太郎さんのところで謝りに行ったとそうなんですよ。
というわけで、ちょうど二人でですね、謝りに行く時ですね、
その時にですね、林さんもね、その場所に立ち会っていたって話なんですね。
それからと稲妻ふらしでね、一緒だった上野山光一さん。
その話も出てきましてね。
いや、上野山光一さんがね、息子さん、下の息子さんとね、バンダイスケさんに親しくしていらっしゃるそうなんですよ。
というわけで、亡くなった時もね、電話の方でね、電話をいただいたそうなんですね。
で、バンダイスケさんはね、自分だったらこういう風にするよってことをね、お話をしたらしいんですね。
またと水木一郎さんもね、渡辺駿明さんも亡くなったということでね、その話とかもあったんですね。
本当に破壊台の歌とかね、よかったのにって話でしたね。
林さんからね、歌詞は石上翔太郎さんが作ったというんですね。
右手のガンに炎が走るってね、というような歌詞があるんですが、
ところがですね、破壊台の演技した方、俳優さん、それから中に入っていた人、その人もですね、2人ともですね、たまたま左利きだったらしいんですよ。
というわけで、画面の破壊台は常にですね、左手に銃を持ってるらしいんですね。
そんな面白いエピソードもありました。
またバンダ・エスケさんもね、水木一郎さんと飲んだときにですね、稲妻フラッシュの歌をね、歌ってもらったというね、感激した話をしてましたね。
稲妻フラッシュの歌はですね、下野正聡さんが歌った歌なんですね。
だから本当は水木一郎さんの持ち歌ではないんですね。
でもそれをね、歌ったんだからそうだそう。
そしてね、90歳過ぎともね、現役で歌っているトニー・ベネット、これを目指すってね、水木さん言っていたのになあ、という話ですね。
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そんな話も聞きました。
その後、バンダ・エスケさんはね、父親からね、いろいろね、映画を見せてもらったのがね、その原因となって俳優になったと、らしいですね。
しかしですね、実際に俳優になったというね、反対されたという話ですね。
実は後で、トークショーの後でですね、あの、そのお父さんはね、福島県出身って聞いたことがあるんだけども、というね、バンさんに聞いたんですよ。
そしたらね、残念ながらですね、地名がすぐさんは出てこないと、ただですね、宮城県の方に近いところだったという話なんですね。
でもね、長年のね、あの、福島県のね、どこら辺なのか分からないんですけども、
でもね、長年のね、あの、福島県のね、どこら辺なのかっていうのはね、だいたい分かったんでね、満足いたしました。
そして、15時になりまして、場所をですね、変えてライブが始まりました。
昨年50周年、俳優生活50周年を記念しましたね。
その後、渡辺柱銘さんのね、ツイートの意味で出されましたね。
ハルクレバー2022、そしたらの方のね、曲、そしたらの方のお披露目っていう感じだったんですね。
というわけで、ゴーゴーキカイダーの歌とですね、ハルクレバー2022、そしたらの方をね、聴くことができました。
ハルクレバーはですね、実を言いますと、作詞の方はですね、
尾道町出身で郡山育ちの岡俊夫さんが作詞した曲なんですよね。
作詞した曲なんですよ。もちろん曲は渡辺柱銘さんが作曲したものです。
というわけで、そのCDのサインもらって、そしてですね、バンさんと一緒に写真を撮ってね、もらったんですね。
というわけで、非常に満足いたしました。
というわけで、その後帰ったわけですね。
その後ですね、いろいろと面白い話聞いたんですけどね、まあそれはあとね、秘密って感じですかね。
非常に楽しい旅となりました。
はい、それではまた次回、吉川ピョン吉のお宝の話をお付き合いくださいね。
本日もお聞き下さいまして、誠にありがとうございました。