2024-02-18 09:59

#721 スタジオダブの元アニメーター西村誠芳さんのインタビューを読んで思った話

海外のアニメ研究サイト、フルフロンタルモエによるスタジオダブの元アニメーター西村誠芳さんのインタビューが公開されました。いわき市にあったスタジオダブは、サンライズの名作アニメに深く関わったアニメスタジオ。ダブの名前が決まる前から参加している西村さんの貴重な話は、80年代、90年代のサンライズ関連のアニメ制作の状況がわかってとても興味深かかったです。個人的には前半の福島県のアニメファンたちのアニメにかける思いみたいなのをいろいろ思い出してました。

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はい、おはようございまーす。本日の放送は2024年2月18日、日曜日です。
本日は第721回目のお話となりまーす。 このチャンネルは福島県小泉市在住の特撮アニメ漫画大好きお爺のピョン吉が響きになったことを
誰かが話をしていくという番組です。 そんなお爺の一言が大きくなりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら
ごめんなさい、我にはなかったんです。 この番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願いいたします。
昨日ですね、スタジオダブの元アニメーターの西村誠芳さんがロングインタビューされたのね。
それが公開されていたんですね。 それでそれをですね、深く読みました。
インタビューしたのはですね、海外のね、アニメ研究のサイトのね、フルフロンタル萌えっていうところみたいです。
フルフロンタル萌え。フルフロンタル、全面的なという意味ですし、萌えっていうのは多分日本のね、萌えるの萌えなんでしょうね。
萌えはね、明らかにするとかいう意味なんでしょうね。 アニメ、漫画、オタク、カルチャーに特化したですね、ウェブサイトのようです。
お気に入りのね、アニメ、漫画、ビデオゲーム、その舞台裏でね、何が起こっているのかをね、人々にね、伝えてね、なぜ素晴らしいのかね、説明したいと考えているサイトみたいなんですね。
そこのですね、マテオワッキーさんってことですかね、その人がインタビューされたみたいです。 そして、サクラエスプレッソというですね、コーナーがありましてね、そのエスプレッソを飲みながらですね、
楽しめるアニメーションについてのね、制作者についての話を聞くっていう意味らしいんですよね。
読むのは無料なんですけどね、良ければ3ドル寄付をどうぞって感じになってますね。 いつまでね、これ無料で読めるかわかんないんですよね。興味ある方はですね、読んだ方がいいと思います。
元はね、英語で書かれていますんでね、自分のパソコンなどね、自動翻訳になってましてね、そういう表示されるんですね。
日本語版もちゃんと用意されてるんですよね。そちらの方で読んだ方がいいですね。 例えば、今回スタジオダブの話ですかね。
ダブっていう字がですね、海の方の点々がついてる。 モイスチャーケアシャンプーでダブってあるじゃないですか。
あっちの方のダブになってるんですよ。 もともと英語で字は同じなんですよ。野生の鳩っていう意味なんですね。
で、アニメのスタジオの方はですね、鳥のマークついてるんですね。 シャンプーのダブと違ってですね、アニメスタジオの方のダブはですね、
フに点々の方なんですね。 またですね、西村さんの名前の方もですね、まことに方向字の方で信吉さんとお読みするんですが、
勝手に適当なね、信吉っていうなんか適当な字をね、当てはまってるやつもできちゃうんですね。
ですからちゃんとね、日本語版というページで読むべきなんですよね。 でもそれでもね、日本語的におかしいところちょっとあったんですかね。
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それにしても海外の人が書いたものがね、このように自動翻訳されて読みてしまうってことはですね、 日本語のね、書いたものをですね、海外の人自動翻訳で読んでるってことも多いんでしょうね。
これからネットにね、文章を書くときではですね、海外の人もね、自動翻訳で読んでる可能性があるところをね、
禁止など書かなきゃいけないなーってことをちょっと思ったりしました。 で、話を戻しまして、西村信吉さんです。
いわき市にありましたね。スタジオダブルでですね、80年代、90年代に活躍されたアニメーターの方です。
シティハンターとかね、ダーティペア、機動警察パトレーバーのテレビバージョンだとかね、サンライズのね、最も代表的な作品のいくつかを勧めましたし、
またですね、機動戦士ビクトリーガンダム、機動武道伝Gガンダム、新機動戦記ガンダムウィングなどのローテーションの大事な一人としましたね。
機動新世紀ガンダムXのキャラクターデザイナーとしてね、平成ガンダムの非常に重要な役割を果たした方です。
この方はね、スタジオダブルなんですね。ダブルっていう名前になる前から参加されてですね、知らなかったなーって話がたくさんありましたね。面白かったです。
例えばね、スタジオダブルの打ち合わせはですね、東京で行われることが多いんで、車で行って行ったって話なんですね。
夕焼け島ですね、常磐自動車道が開通したのは1981年ですからね。ちょうどダブルがね、始まった頃と重なるんですね。
だからその常磐自動車道の開通もですね、このダブルの設立のきっかけになったのかなぁなんていうふうに思いました。
東京以外にもですね、ダブルはですね、仙台、水戸、郡山にスタジオがあったって話なんですね。
郡山と水戸はですね、なんか記憶があるんですね。仙台とのちょっと記憶の中があったんですね。
あと韓国だとかね、話に出てきませんけど、中国の上海ダブルってもあったと思うんですね。
それはベトナムのダブル、それもありましたよね。
それから劇場版が公開された後にですね、ビデオ版で修正ってね、その作業もされていたっていう話でね、
ああ当時そういうのって結構多かったなぁなんて思い出しましたね。
それから日前さんの先輩、小泉さんという方がいらっしゃるんですね。
小泉浩二さんという方です。福島大学のSF研にいた方なんですよね。
第4代のSF研究会の会長の方なんですよ。小泉浩二さん。
福島大学を卒業された頃にね、スタジオダブルに入ったらしいんですね。
ちなみにスタジオダブルのね、ロゴもですね、小泉さんによるものと聞いております。
逆収納者、作画の1割をですね、担当されたということで有名な方でしたよね。
非常に才能が優れた方だったんですが、28歳の時ですね、高通じくらい亡くなったんですね。
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そういえばそんな方ね、本当にいらっしゃったなぁと思い出しました。
あと佐久間新一さんという方がね、小里山出身ということも知りました。
スタジオダブルの小里山スタジオができた時にですね、高校生だったんですね。
高校に通いながらですね、スタジオダブルの小里山スタジオ、そちらの方で活動していたと。
小里山スタジオがなくなった時にですね、弱木市の方に行きまして、
現在のね、弱木市のバンダイナムコピクチャーズ、弱木クリエイタールーム、そちらの方でね、活用されている方ですよね。
その方がね、小里山出身ということを知って、はぁーと思いましたね。
ちなみにその小里山スタジオができた時にですね、当時小里山のね、園校にある人たち、友人たちたくさんいたんですが、
それでそこにね、行こうかどうかって非常に悩んでいましたね。
自分ですね、小里山市内のね、SF小説のね、同人サークルにいたんですけどね。
女性メンバーですね、絵が上手いって話を聞いたことがない人がですね、突然ですね、その小里山スタジオの方でね、働きに行っているっていう話を聞いてびっくりしたことがありますよね。
そんな感じですね。当時ですね、小里山にね、小里山スタジオができたということでね、すごい色めきだってた。そんな風な記憶があります。
ですけどね、その小里山スタジオね、数年でなくなっちゃったんですかね。
その後のね、西村さんの各作品についての話も非常に面白かったです。
あ、こんな風なね、逸話が隠されていたんだってことでね、知ってね、面白かったですね。
そして、昔のアニメっていうのはですね、話数ごとにね、絵が違っていたんですね、微妙にね。
今みたいにですね、作画崩壊とかね、騒がれる時代じゃなかったですね。ファンの方もですね、その作画する人、その人の癖だとかね、それを見て楽しんでいましたし、
作家による修正、それもね、その違いなども見て楽しんでいたんですね。
90年代になりましてね、そういうのが許されなくなっちゃうんですね。
だんだんね、個性というのを許されない時代になってきたんですね。現在はね、そういう厳しい時代ですよね。
また、スタジオダブルとしてね、作品を量産しなきゃいけないんですね。元々、絵が好きでね、アニメーター、原画マンとね、アニメーターの世界に入ったのにね、
それはできない。作家の仕事ばっかりしている。それがしんどくなったと。
そしてさらにその当時ですね、ジュラシックパークを始めるとすると、CGですね、それが非常に伸びてきていると。
ゲームの方でですね、アニメ的に表現がね、可能性ができてきた、ということがあったんですね。
それでですね、アニメーターとして活動されていたんですが、ゲーム業界の方、そちらの方にね、転身された、どどらしいんですね。
なるほど、と。ちょうど自分たちはですね、ヤマトとかガンダムとかね、アニメの波が来たぞ、と、その波を感じましてね。
のれながら今、という感じでね、アニメに入る人たちがね、非常にいたわけですね。
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そして今度ね、90年代の頃ですね、わりごろにCGだ、ゲームだ、その波が来たぞ、というわけでね、そちらの方にね、移動した、ということなんでしょうね。
非常によくわかるような気がします。
というわけでですね、今回はですね、スタジオダブで活躍されました元アニメーターの西村信吉さんのインタビューを見ましてね、
当時のね、福島県のね、アニメファンがね、どういうふうに思っていたのかというのをちょっと思い出しました、という話でした。
ぜひね、大勢の方にね、読んでもらいたいインタビューだと思いました。
はい、それではまた次回よろしくお願いいたします。
ご視聴ありがとうございました。
本日もありがとうございました。
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