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2022-04-21 09:04

#53 山川惣治さんがマンガ、アニメへ与えた影響についての話

山川惣治さんが生まれた郡山市の場所と、山川さんがマンガ、アニメへ与えた影響についての話。

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はい、おはようございます。本日の放送は、2022年4月21日、木曜日です。
本日は第53回目のお話となります。
このチャンネルは、福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が
日々気になったことをタラタラと話をしていくという番組です。
そんな親父の一人言を聞きになりまして、
もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、ごめんなさい。
悪気がなかったんです。
ここにもこの番組に興味を持ってしまったら、
ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願いいたします。
そんなわけで、タラタラといかせていただきます。
前回ですね、山川壮司さんのお話をね、ちょっとさせていただきました。
山川壮司さんね、物語作家という方です。
現在の漫画、劇画につながる、
一時期非常にブームだったメディアというか物語だったんですね。
山川壮司さんなんですが、福島県との関わりというと郡山市出身ということですね。
さらにそこのところちょっと細かく言ってきますとですね、
1908年明治の頃なんですが、郡山市の大町で生まれたそうなんですよ。
郡山市で大町と言いますと、現在の郡山テアトル。
映画館があるんですが、その映画館のあたりからちょっと奥まったところというかね、
町中の方に入ったところ、その辺が大町になります。
生まれたところはそこらしいんですが、
その家に持っているところはですね、ちょっと別なところだったらしいんですよ。
大中川を渡ったところだっていうんで、
大中川ってどこなんだろうと私は思ったんですが、現在の大瀬川なんですね。
久保田というところだったんですね。
現在の郡山市の福山の久保田という地域があるんですが、
古い町並みの残るあたりです。
そこのあたりにですね、蔵が二つあるような大きな家に住んでたらしいんですよ。
ところがそこのところで親御さんが失敗しまして、
それで二歳の時にその大きな町を、大きな家を捨てて東京に出る形になってしまいます。
福山の久保田のところにはですね、古い地図などを見るとね、
このあたりに山川という名人の方が結構いらっしゃるんですね。
またですね、燃料店だとか花屋さんだとか山川という名前が載っているお店もあります。
もしかしたら山川さんの遠いご親戚の方がいらっしゃるのかもしれませんけどね。
その後はですね、福島県とはあまり縁がなくなってしまうんですね。
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その後山川さんは15歳で天犯所、印刷屋さんのところで勤めまして、
あと22歳で独立して別な仕事をやろうとして和菓子屋さんをやろうとするんですね。
とはそうでちょっと失敗しまして、山川さん自身の絵が上手いということを使いまして、
美術系のお仕事をしようとするんですね。
というので、その時にやったのが紙芝居屋さんなんですよ。
今ではですね、ごく当たり前のですね、紙芝居の裏に絵の制服が入っているってやつですね。
これがあることによって誰でもですね、パッと物語として皆さんに伝えることができるようになったと。
という本当に些細なアイディアなんですが、これによってですね、
山川さんの作った会社の作った紙芝居ってすごく売れるようになっちゃうんですね。
まるで映画みたいだっていうね。
というので紙芝居の会社なんだけども、掃除映画社というふうになってですね、作り始めるんですね。
そして少年王者少年タイガーという作品を描いて、紙芝居の世界で人気の作家となっていきます。
当時で一番のね、黄金バット。その黄金バットを脱いたと言われてるんですね。
でもうこの紙芝居の時ですね、少年王者少年タイガーという作品を描いているんですが、
12歳の時ですね、ルイジンエンターザンという映画を見たのがね、影響だという本にも語ってらっしゃいます。
ルイジンエンターザンね、エドガーライス・バローズという作家さんの作品なんですが、
タザン以外にですね、火星シリーズだとかね、あとペルシダシリーズだとかね、いろんなSFだとそれに影響させた作家さんです。
個人的に面白いなと思うのは、当時その時でもね、ヒーローは大人なんですよね、海外ではね。
あとはこの時に日本のね、紙芝居のところでは少年が主人公になっていると。
というので今のですね、漫画の主人公、アニメの主人公が中学生や高校というのは、この当時からの影響なのかなと思いますよね。
今川さんはですね、紙芝居で稼いだお金を使ってですね、大学に行って絵をもう一度勉強し直すんですよね。
すごいですよね。
それでですね、その学んだ力を使って、もう時代は紙芝居の時代から雑誌の時代になったというので、雑誌の方で絵物語っていうのを始めるんですね。
山川さんの絵物語というのに感化されて続けて始めたのが小松崎茂さんという方です。
小松崎茂さんと山川壮司さんの二人でですね、絵物語というのをグイグイと盛り上げていったんですよね。
というわけで、この小松崎茂さんは、実を言うとその日本の漫画界に大きな影響を与えましたね。
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石ノ森正太夫さんだとか藤子富次郎さんとか、このように小松崎茂さんの影響を受けたと言ってますから。
というので、後の漫画界、アニメ界への影響というのがこの絵物語があるんですよね。
それからあと、山川壮司さんが15歳から17歳の頃に、小松崎茂さんの絵物語を始めたんですよね。
20歳までで働いた印刷屋さんで働いたとは知りましても、同僚にですね、ボクシングをしていたですね、方がいるんですよ。
木村九郎さんという方なんですが、この方はですね、アメリカに渡ってですね、世界的なボクサーになっちゃうんですね。
というので、その友人の話を使いたい作品がノックアウト9という作品です。
この作品をですね、子供時代に読んで非常に気に入ったのが梶原一騎さん。
それがノックアウト9に影響されてから作ったのが明日の城なんですよね。
というわけで、もしもですね、この山川さんのね、この作品を見ながらやったら明日の城も存在しないわけですよ。
あと、小屋の少年という絵物語を描いているのは、前回話しましたように川崎昇さんが漫画化しまして、
当時巨人の星だとかね、田舎っぺ大将、アニマルワンとかね、非常に人気だった漫画家さんです。
その他が漫画化されて、それのうちにアニメ化になったのね。これ前回話した通りです。
また影響されたかどうかわかりませんけども、虎の人という作品がありましてね、虎の頭をしている人がヒーローです。
ありきたりなアイディアと言えばアイディアなんですけどもね、当時ピープロの解決ライオンまでとかね、鉄人タイガーセブンとかね、
ここら辺に影響させたんじゃないかなと勝手に思っています。これ勝手な話ですよ。
紙芝居を行った時ですね、その時ですね、弟子の方がいたんですが、その弟子の方を教えたのが白人三平さんですよ。
上川壮司さんの絵に白人三平さんの絵って似てますよね。
というわけで、白人三平さんがなければガロもなかったわけですし、またそういう白人三平さんに影響を受けて始める辻吉三平の矢口多幸さんもいらっしゃらないわけですよね。
というわけで、いろんな方に山川壮司さんは影響を与えてたんですよね。
まあそういうわけでね、この郡山出身のこの方が非常に漫画アニメに与えた影響ってのはすごかったなあというのでね、
ぜひとも郡山市で取り上げてほしいなと思ったわけですよ。
はい、それではまた次回ですね、よろしければピョン吉のお宅話にお会いしましょう。
ご視聴ありがとうございました。
ご視聴ありがとうございました。
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