00:00
はいおはようございます。本日の放送は2023年の4月26日水曜日です。 本日は第423回目のお話となります。
このチャンネルは福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が響きになったことをたらたら話をしていくという番組です。
そんな親父の一言を聞きながらまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、ごめんなさい。
我にはなかったんです。購入この番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願い致します。
今回はですね、特撮アニメ漫画とは関係ないんですけどね。異世界、異界って言ったでしょうかね。
そういうのに近い体験ができるところをちょっとご紹介したいと思っております。
20年くらい前ですけどね、川内村の山の中を走って行ったとき、道路の脇に爆原人村という看板を見つけたんですよ。
爆原人村。 縄文時代の生活を体験できる縄文村とかそういうのがありますけどね。
原人村かぁ。 しかしですね、その爆原人村、道路から覗いてみても、そんな施設があるとは思えないんですよね。
なんだこれは、と思ったんですね。 当時ですね、インターネットでね、検索してもね、何にも情報が入ってこないんですよ。
今はね、検索するとね、たくさんの資料が出てきますけどね。 2000年代の初めの頃の話ですからね。
なんなんだこれは、と思ったわけですね。
それから少ししましてね、インターネットで川内村に住む人とね、試合になったんですね。
その川内村の人と聞いてみたんですね。 そしたらですね、実は自分もね、そこに行きましてね、一緒にね、家を建てたことあるんだよって話したんですね。
この方もですね、爆原人村の生き方、それにね、影響されまして、実を言うと、都会からですね、この川内村に移り住んできた方なんですね。
年に1回ですね、満月祭ってお祭りやってるそうなんですよ。 そしたら、それが縁でですね、福島県内に移り住んだ人たちがいるんだそうですよね。
その方の話を聞きますとね、1960年代にですね、ヒッピームーブメントってなってるんですね。
そのマサイさんっていうね、マサイさんね、そういう方がね、いましてね、その方が1970年代頃にですね、川内村のね、この山の奥にですね、謎のね、開かれた土地があるっていうのを見つけたらしいんですね。
そこにですね、数人の仲間たちともですね、勝手にですね、移り住みましてね、コミューン、自給自足の共同土台を形成したそうなんですよ。
当時ですね、日本各地にですね、このようなね、コミューン、こういったのが作られたそうなんですね。
03:05
でもね、2000年の頃にはですね、もうほとんどなくなっていたんですね。
このね、あのー、幕原寿村もね、残っていたのはたった一軒だけっていうような状況だったんですね。
で、夏にですね、満月の期間中にですね、満月祭って思わず一週間かけてあるんですよね。
その時になりますね、日本全国のね、元のね、ヒッピームーブメントの流れの人たち、そういう人たちがね、集まってくるんだそうですよ。
そのためにですね、場所、その場所をね、一緒に建設したっていうんですね。
後でですね、知るんですけどね、なぜ川内村のね、山の中にですね、木を切り減らしてね、開かれた土地があったのかって言いますとね、これ常磐炭鉱に関係するらしいんですね。
常磐炭鉱の時ですね、炭鉱の中、鉱内をですね、補強するためにですね、木材が大量に必要だったらしいんですね。
それで、川内村のね、山の中から木が切り出されたそうなんですよ。
その木を切り出す時にですね、その木をね、積んでおくところが必要だというのね。
というわけでね、その積んでおくところの場所をですね、切り減らしたそうなんですね。
ところがですね、常磐炭鉱がね、閉鎖となりまして、木材が入れられなくなっちゃった。
というわけで、その収積所だけがですね、残っていたということらしいんですね。
そこをですね、正井さんたちがね、見つけてね、移り住んだということらしいですね。
そんなわけでですね、満月祭が行われるというので、テントをですね、車に積み込んでね、行ったわけですよ。
自分のイメージとしましてはね、宮沢賢治に出てくるですね、ポラーノの広場、それに登場するポラーノの広場ね、それをですね、イメージしてたんですね。
先ほど言いました、あの幕原寺村という看板の立つですね、舗装されたね、道路からですね、かなりですね、車でね、
あっちこっちですね、難所をくり抜けてね、どうにかね、辿り着いたんですね。
そして、そこでね、控えてた人に入場料を払ったんですね。
この来る途中の道路もですね、実を言うとね、指導でね、このお祭りが好きな人たちがね、ボランティアでね、直してるそうなんですよね。
えーと、案内されてね、駐車スペースのところに車を停めましてね、そこからですね、みんながね、テントを張っているところにね、
えーと、荷物をね、あのー、荷物を運び込みましてね、テントを張ったんですね。
当時でも1,000人ぐらいの人が来てたんでしょうかね。
この川内間の山の中、ここに、それらの人数、それらが集まるんですよ。
不思議な光景でしたねー。
で、テントを張り終えた後ですね、広場の方に行きましたね。広場の真ん中にですね、火を灯すとこがありましてね。
で、火事を絶やさないですね、一晩中ですね、あの木がね、くべられるんですね。
06:03
その周りのところがね、メインのね、商店街みたいになってましたね。
本当に日本じゃないみたいなんですね。アフリカ丼っていうね、丼ぶりもの、そういうものをね、出すお店だとかあるんですね。
その売ってる人が黒人の人なんですね。
その後、完全なインド風なカレーっていうやつをね、販売してる人なんかもいるんですね。
そんな風な食品だけじゃなくてですね、全て自然素材から作ったっていうTシャツ、そういったのを販売する人もいますしね。
自分でね、染めましたっていうね、布を何度も販売してる人もいますし、
またあと、手作りのね、非常に変わったネックレス、そういったのを販売してる人もいるんですね。
また太鼓だとかね、そういったものを売ってる人もいるんですね。もう様々なんですね。
申し込めばですね、誰でもですね、ここで販売できるらしいんですね。
で、一旦ですね、テントに戻ってみますとね、自分のテントの横にはですね、外国の人がいたんですね。
どうもね、その言葉がですね、英語でもないんですよ。何かなと思ったらですね、ドイツ人の方がですね、ドイツ人の親子の方がですね、テントを張ってたんですね。
というわけで、このところですね、日本だけじゃなくて世界中のね、いろんなヒッピーの人、それに興味ある人がね、よく集まるところらしいんですね。
で、テントからですね、お酒を今度掴んできましてね、今度はステージの方に行ったわけですよ。
そうするとですね、あの中東風の衣装でね、ベリーダンスする方があった。そのベリーダンスの方がね、そういう人たちがね、ダンスしてるんですね。
で、そのステージのところで様々な催しがされるんですね。この世界のところでね、かなり有名な人たちが多いんですね。
例えばですね、あの、サヨナラ人類っていうヒット曲がありますよね。タマっていう人たちがいますよね。
あの元タマのですね、チクさん。その方なんかもね、このよく歌われる方なんですね。
それからですね、石巻のね、レゲエシンガーのね、千田玄人さん。
千田玄人さんっていうのはね、本当にどこの国の人って感じのね、格好してらっしゃるんですね。
で、そのような感じでね、そのステージのところで流れてくる音楽に合わせてですね、そのステージの前でね、お酒を飲みながらですね、踊っている人たちとかいう人がいるんですね。
また、大人も子供もね、いろんな人たちが混じって踊っているんですね。
ということで、自分もそこに混じってね、踊ったりとかしてました。
で、真夜中になりますね。ステージの方も終わりますね。今度はね、アフリカのね、太鼓のジャンベ。
そういう人たちが現れてきましたね。で、その中で本当に実際にアフリカの出身の人たちとも混じってたんですね。
その人たちとのね、叩く太鼓の音。その音に合わせて踊ったりとかね、お酒飲んでたりするんですね。
そして、明け方明るくなりますよね。あの精霊の祈りっていうね、インドのね、ヨガ風な体操みたいな。
そういう人たちが出ましたね。で、そこで休憩みたいな感じになっちゃうんですね。
人々はね、テントに戻って寝たりとかね。またですね、あの逆にですね、これからね、起きてきてね、活動を開始する人、そういう人もいるんですね。
09:07
というわけで、ここは何だ?本当に日本なのか?っていう感じの世界だったんですよ。
これはね、5日間行われるんですよね。こういうお祭りがですね、40年以上にわたって行われてきたんですね。
というわけで、それは全然ですね、マスコミとかそういうのに流れることなく行われてきたんですね。
これはすごいなぁと思ったんで、それからね、あの5、6年ですね、私毎年このお祭りに参加するようになったんですね。
まあね、自分の場合はですね、家庭もね、仕事もありますんでね、一晩だけでも参加ですからね。
ところがですね、それがね、自分の終わることになるんですね。東日本大震災ですよ。
この幕原寺村がある川内村はですね、福島第一原発からね、そんなに離れてないんですね。
というわけで、あの原発事故によりましてね、避難区域に指定されたんですね。
さすがにですね、この年明けに満月祭も中止するだろうなぁと思ったですね、マサイさんはですね、科学的にね、独自にですね、放射線などを測りましたね。
この場所は安全だと確認しましたね。そしてね、避難しなかったんですね。
そしてね、ちゃんとですね、満月祭というのを開催したんですね。そしたらですね、全国から集まってくる人がいたんですね。
自分はですね、家族が不安があるだろうからというね、2011年から実は参加していないんですよね。
でもそれからずっとですね、まだね、この満月祭は続いてるんですね。
このコロナでね、いろんなイベントが中止された時、その時もね、ずっと満月祭は開催されて続けたんですよ。
いや、本当にすごいお祭りですよね。
でですね、ここ数年ですね、また行きたいという思いが強くなってきたんですね。
まあ、子供も離れましたんでね、不安がある人たちもあんまりいませんのでね。
ということでね、今年こそですね、また行こうかなという風に考えてるんですね。
うまくですね、仕事とおり合いがつけばね、ぜひとも行きたいなという風に思っています。
というわけでね、興味のある人いましたら、ぜひともね、行ってみたらどうでしょうか。
はい、それではまた次回、吉川ぴょん吉のお宝の話をお付き合いくださいね。
本日もお聞きくださいまして、誠にありがとうございました。