2022-04-16 07:26

#48 ピープロの作った謎のアニメ「われらサラリーマン党」についての話

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1970年にピープロが作ったテレビアニメ「われらサラリーマン党」。

当時、郡山市出身の漫画家佐藤六朗さんが「われらサラリーマン党」というマンガを描いていました。

どんな関係があるのか気になります。

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はい、おはようございまーす。このチャンネルは福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が
響きになったことをダラダラと話をしていくという番組です。
そんな親父の一言を聞きになりまして、もしもあなたの心に何か残ってしまったらごめんなさい。
悪意はなかったんですぅ。
過去にもこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご卑怯のほどよろしくお願いいたします。
そんなわけで、ダラダラといかせていただきます。
改めまして、おはようございます。このチャンネルのナビゲーターのピョン吉です。
本日の放送は2022年の4月16日、土曜日です。
本日は第48回目のお話となります。
東京オリンピックの開会式で、ドラえもんがトンネルを掘って、安倍首相がマリオとなって登場するっていうですね。
アニメーションと言って言えば、すっかりクールジャパンの代表となっております。
そんな日本のアニメーションについて全て記録が残っているかというとですね、実はわかっていないことって結構多いんですよね。
以前、日本成功イヤワっていうね、幻のアニメ映画の話をいたしました。
1970年代にそんな感じで幻の作品って結構あるんですね。
例えば1970年に放映された、我らサラリーマントウっていうですね、5分間アニメーションがあるんですよ。
これがわかってないんですね。
制作したのはPプロダクションという会社です。
Pプロと言えばですね、マグマ大使、スペクトルマン、ライオンマルとかね、私たち特設ファンにとっては有名な作品を作っていた会社です。
こういった特策作品が残っているんですかもね。
例えば、巨大なヒーローを戦う特撮ヒーローものっていうとですね、ウルトラマンよりマグマ大使の方が1週間早かったりします。
というわけで、粒谷英二さんのライバルと思うかもしれませんけども、このPプロダクション、もともと牛尾壮司さんて漫画家が作った映像会社なんですが、
ところがですね、粒谷英二さんの弟子みたいな関係なんですよね。
そのため粒谷英二さんがウルトラマンよりマグマ大使の方を気にかけていたというようなエピソードがあるぐらいです。
この会社はアニメーションも当時作っていたんですよ。
実際、週刊少年キングで連載されていた辻尚貴さんの漫画作品強戦ハヤトを1964年に作っています。
1964年というとですね、鉄腕アトムが制作している最中ですよ。
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鉄腕アトムが放映始まってまだ1年経ってない時、その頃にですね、放映しちゃうんですね。
ちなみにこの辻尚貴さんというと、私たちにとってはタイガーマスクの作者ですよ。
あの他が作っている戦争もの漫画だったんですね。
当時はですね、海塚博史さんとかね、そういった戦争ものの漫画とかもたくさんあったんですね。
その中でアニメ化された作品です。
というわけで、ピープロダクションアニメーションを作っていて、鉄腕アトムの一部もですね、実はピープロダクションをやっているんですよね。
このピープロダクションを作っている会社の牛尾壮司さん、息子さんの名前をサギス・シロさんと言います。
サギス・シロというと、シン・ゴジラの音楽を担当している方ですよ。
つまりエヴァンゲリオンの音楽を担当されている方。
すごい家族ですね。
というわけで、そのピープロダクションが1970年に作ったアニメーション、我らサラリーマンと、
これはですね、どんな作品かは全くわかってないんですね。
フィルムが残ってないんですよ。
ただ、原作者が鈴木義司さんだろうと言われています。
鈴木義司さんというと、お笑い漫画道場というテレビ番組がありました。
で、漫画家さんでね、痩せている方。
いつも土管の中で寝ている絵を描かれている方です。
その鈴木義司さんがアニメーションの原作だと言われてるんですね。
ですが、鈴木義司さんはそんな漫画のタイトルの作品を描いてないんですよね。
ところが一方ですね、郡山出身の漫画家さんの佐藤六郎さんという方がいまして、
その方がですね、我らサラリーマンとという漫画を描いているんですよ。
もしかしたらこの方は本当の原作者じゃないのかなと気になっているんですよね。
佐藤六郎さんなんですが、1926年生まれということで、
まだ顕在かどうかもはっきりしていないんですよね。
というわけで、この方が言わない限りはそれが分からないというような状況なんですね。
ちなみにですね、佐藤六郎さんというのはですね、
朝霞高校出身で現在の杉浦工業大学を卒業された方です。
役員会社に勤めていた時の倒産者で、郡山市に戻って実家の投げ家を手伝いながら漫画を描いていたという方なんですよね。
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1955年にまた上京して、佐藤六郎さんの世話で漫画集団に参加して漫画を描いていたと。
昔、スタードッキン丸日報告という番組がありました。
その番組でですね、オープニングでレポーターが内容を紹介する際のボードのイラストは佐藤六郎さんが作っていたんですね。
というので、テレビにも実は関係している方だったんです。
で、その方がですね、現在は郡山市のほうに持っていらっしゃるんだか、
一時ですね、もう10年くらい前ですかね、郡山市のタウン市にイラストを描いていたんですね。
現在なら是非ともですね、我らサラリーマントについて誰かが聞いてほしいなと思うんですよね。
はい、というわけでですね、この幻のアニメーション作品、我らサラリーマントというのがあって、
原作者も発揮していないんだよって話をいたしました。
それではまた次回ですね、よろしくはピョン吉のオタクの話にも付き合いくださいね。
今日も一日頑張りましょう。
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