1. ピョン吉のAI日誌
  2. #273 伝説の本屋と消えた駅前..
2026-02-19 04:46

#273 伝説の本屋と消えた駅前文化、郡山市と伝説の東北書店

spotify

ピョン吉の航星日誌「#1453 本屋が街の中心だった頃、郡山市にあった東北書店の思い出の話」をNotebookLMでポッドキャスト化したものです。

00:00
ピョン吉@福島県 さて、今回はですね、送ってくださった方の文章をもとに、かつて郡山市にあったという伝説の書店、東北書店について深掘りしていきたいと思います。
東北書店。
そうなんです。始まりがすごく印象的で、Xに投稿されたたった一枚の写真から、これだけの記憶があふれ出てくるっていう。
2007年に閉店したこの場所が、なぜ今も誰かの心にこれほど強く残っているのか、その理由を探っていきたいなと。
これは一つの書店の物語ですけど、同時にこの30年で多くの地方都市が経験してきた変化の、なんていうか、蓄図のようにも読めますよね。
ああ、なるほど。
単なる思い出話じゃなくて、場所が持つ手触りとは何か、みたいな普遍的なテーマにつながりそうです。
まさに。で、文章の中で特に私の心に残ったのが、店の前に停められた自転車の光景なんです。
自転車ですか?
はい。当時は駅前の店先に自転車を停めるのが当たり前で、入口を塞がないでくださいね、なんて店員さんが整理するくらいだったと。
罰金の看板なんてない。何とも大らかな空気感で。
ああ、いい時代ですね。その自転車の描写が当時の駅前全体の活気を象徴してるんですね。
そういうことですか。
自転車って単なる移動手段じゃなくて、若者たちのエネルギーの象徴だったんじゃないかなと。
本屋だけじゃなく、映画館、デパート、ゲームセンターまで、彼らは自転車で自由に行き来していた。
つまり駅前全体が一つの大きな広場として機能してたわけです。
その誰もが集める広場の熱気が、でもだんだんと失われていくんですよね。
きっかけが、有料駐輪場の整備で駅前が少し不便になったこと。
そして決定的になったのが、1998年の郊外型ショッピングセンターの誕生だったと。
ああ、イオンタウン。
車で居てる。駐車しやすい。店がまとまってる。
もうこの合理性と利便性の前では、なかなかね。
いやー、こがえないですよね。
人間の行動がいかに便利さに導かれるかっていう、本当に典型的な例です。
送ってくださった方が、現在の駅前の利用目的を飲み会か新幹線とまで言い切っているのが、もう全てを物語ってますよね。
確かに。それはすごく象徴的ですね。
そう。駅前は街の顔から単なる玄関に変わってしまった。
人々が偶然に出会う広場としての機能が、便利さと引き換えに失われてしまったというわけですね。
では、その失われた街の顔の中心にあった東北書店とは、一体どんな場所だったんでしょうか。
ここからが本当に面白くて。
はい。
まずこの店を、合法的長時間滞在施設と呼んでるんですよ。
合法的ですか?
はい。
90年代は立ち読み放題で、時間を忘れて過ごせる空間だったと。
03:01
なるほど。今でいうセレクトショップの先駆けみたいな存在だったのかもしれないですね。
そうかもしれません。
Amazonのアルゴリズムとは全く違う、その店の人のキュレーションによる予期せぬ本との出会いがそこにはあったと。
本当ですね。そのキュレーションの質がまたすごかったようで、他の書店にはないマニアックな出版社のSFとかミステリーが普通に棚に並んでいたそうなんです。
うわ、それはすごい。
ネット通販がない時代ですから、ここはまさに文化的な命綱だったんですね。
そして、物としての本だけじゃなくて、文化的な交流点でもあったっていうのが決定的ですよね。
交流点?
階段の壁が同人誌サークルの案内の掲示板になっていたという描写、これをSNSの原始形態と表現されているのが見事だなと。
SNSの原始形態ですか。上手い表現ですね。
単なる交流点じゃなくて、文化が生まれる場所であり、精神的なインフラだった。今私たちの街にこれに代わる場所ってあるんでしょうかね。
送ってくださった方は最後にこう締めくくっています。
本はネットで買える。でも場所は買えない。空気は買えない。偶然の出会いは買えない。
これは東北書店が提供していた価値の本質をもう完璧に言い当てていますよね。
まさに。この話は私たち全員に問いを投げかけているのかもしれないですね。
効率とか便利さだけを追い求めた結果、私たちはこういう偶然の出会いが生まれる文化的な場所を少しずつ失っているんじゃないかと。
送ってくださった方の文章からそんなことを深く考えさせられました。
次回の配信も楽しみに。さよなら。
04:46

コメント

スクロール