龍と恐れの国
りゅうのめのなみだ
南のほうに、ひとつの国がありました。
その国の山のどこかに、大きな龍がかくれていると、
人たちは、むかしから話してきました。
その龍は、目がらんらんと光っている。
口は耳までわれている。
その口からは、火のような真っ赤な舌をひらめかせる。
こわい龍、おそろしい龍。
子どもがよくないあさびをして、やめないときは叱られて、
「そら、龍がくる。いたずらっ子やわるい子を、 龍はねらっているんだぞ。」
そう言って、お父さんからおどされました。
「そんな龍がほんとにいるかい? 出てきてぼくらをのむのかい?」
「いるんだって。まるのみするって。」
そう話をして、子どもらはみんな龍をおそれていました。
不思議な子どもの心
それなのに、どこかのまちに、 ふしぎな子どもがいるという人のうわさがたちました。
その子は、龍の話をきいてもこわがりません。
あべこべに、龍の話をききたがるのでありました。
「ほんとにふしぎな子だよ。
たぶんあの子のお母さんは、きをつけて、 あの子のちいさい自分から、
龍はこわいということをきかせなかったにちがいない。」
さて、ある晩でありました。
そのふしぎな子が、ねどこにすわって、 しくしくとなきだしました。
「おや、おまえさん、どうしたの? おなかがちくちく?」
そうお母さんがききました。
こどもはすぐにあたまをよこにふりました。
「では、どうしたの?」
「龍が、龍が。」
おもいがけないそのことば。
お母さんははっとして、しんぱいそうにいいました。
「だいじょうぶなの。こわがらなくても。 おとなしい子を龍はさらっていきません。」
「ちがうちがう。こわくはないよ。」
「おや、そう。そんなら、なんでなきなさる?」
「だって、かわいそうなんだ。」
「まあ、かわいそう?」
こどものきもちがいったいどういうことなのか、 お母さんにはちっともわけがわかりません。
こどもはつづけていいました。
「ねえ、お母さん、どうしてだれも あの龍をかわいがってやらないの?」
「まあ、おまえさん、なにをいう? おかしいことをいいだして。」
「おかしくないよ。ぼく、ほんとうに かわいそうでならないよ。」
こどもはなみだをふきながら、 そうはっきりといいました。
どうしてこどもがそんなことをいいだしたのか、 お母さんにはわかりません。
たぶん、なにかおもいちがいをしたのであろうと お母さんはおもいました。
龍の変化と友情
そうするうちに、 ふしぎなこの子のおたんじょうびがちかづきました。
お母さんがそばにきて、 その子にやさしくいいました。
「ねえ、おまえさん、おたんじょうびのおいわいに だれとだれをよびましょう?」
すると、こどもはよろこんで、 それにこたえていいました。
「やまのりゅう、りゅうをよんでよ。」
お母さんはきいておこって かおをしかめていいました。
「いつまでふざけるつもりなの。 わるふざけの子はだいきらい。
あともうみっかふたばんねむればおたんじょうび。」
ふしぎなこどもはそのひをかぞえて、 あそのはやくおうちをでました。
まちのはずれのおかにのぼっていきました。
のはらがひろくみえました。
やまがいくつもむこうにならんでみえました。
なつのあついひ、やまのきわから、
しろいくも、にゅうどうくもが もくもくとたっていました。
やまのりゅう、おおきなりゅうが、
たしかにやまのかげにかくれて ねているようにおもわれました。
「いってみようや。」
そうきめてこどもはあるきだしました。
いちにちあるいてばんがたに、
こどもはつかれてきのしたに からだをねかしてねむりました。
よがあけました。
もりのことりがなきだして こどもをおこしてくれました。
やまにはやまもも、きいちごのきが あかいみをみせていました。
こどもはそのみをもぎとって あるきながらにたべました。
だんだんにやまにはいっていきました。
やまのたにまにきりがかかって、
ながれのおとがごうごうときこえていました。
うぐいすがやぶをわたってないていました。
すぎのたかいきのうえで からすがかあかあないていました。
きのしたをとおっていくと、
はのつゆがかたにぱらぱらかかりました。
けれどもやまはなんとひっそり、
もしおおごいをたてるなら、
やまのかげ、たにのおくまで きこえるのかもしれません。
おおごいをだしてみましょう。
するとそれをききつけて、きっとなにかが、
いえいえ、りゅうがでてくるようにおもわれました。
りゅうがでようとこどもはなにもおそれません。
ふかいたにまにめをむけて、
すしぎなこどもはこえたかくよびました。
「やまのりゅう、やまのりゅう。」
やまびこがまねをしました。
こえはたにまにひびいてきえていきました。
ほらなのおくにかくれて、
りゅうはひとりでねていましたが、
なおよばれるとめをかっとみひらきました。
おもいがけないひとのこえ。
だれだろう、おれをよぶとは。
だれがよぶのかおもいあたりがありません。
けれどもそれがだれであろうと、
なにものもおそれはしないおおきなりゅうでありました。
りゅうはあなからうなりのようにへんじをしました。
「おーい、なにやう、なんのよう。」
「でておいで。」
こえはたしかにこどものこえでありました。
りゅうにはそれがなんともふしぎにおもわれました。
「とにかくいちどでてみよう。」
ながいからだをごかして、
りゅうはくらいほらあなのおくのほうからはいだしました。
のろのろとくねると、
はら、めはらんらん、
くちはみみまでわれていました。
りゅうはこどものまえにきてくびをもたげていいました。
「おまえさんか、よんだのは。」
「そうだよ、よびにきたんだよ。」
こどもはりゅうをめずらしそうにながめまわしていいました。
「まだだれからもよばれたことがないだろう。」
「それはないとも。」
「だからぼくいっぺんよびにきたんだよ。
あしたぼくのおたんじょうび、ごちそうがたくさんでるよ。」
きいてりゅうはきょとんとしました。
まごつきながらいいました。
「いってもいいかい、このおれが。」
「いいとも。ぼくはおまえさんをにくみはしない。いじめはしない。
もしもだれかがかかってきたらいつだってかばってあげる。」
なんということであろうか。
このことばやさしいこころ。
りゅうはしばらくじぶんをわすれてこどものかおをみていました。
りゅうのするどいめのなかにやさしいひかりがちらつきました。
なんびゃくねんというあいだめのそこにとじこめられていたような
ふしぎなひかりでありました。
「ああ、ありがとう。ありがとう。」
りゅうはあたまをこどもにさげていいました。
「これまでわたしはにんげんからただのいちどもやさしいこえをかけてもらったことがない。
いや、それどころか、いつでもきらわれにくまれつづけてきたのだよ。」
りゅうのめからはなみだがながれだしました。
「わたしはそれでひどくうらんだ。ひねくれた。
にんげんたちをみるたびにわたしはこのめをひからせた。
はをむきだした。うなりをたてた。
ああしかし、それもきょうからやめるのだ。」
りゅうのなみだはあふれ、ながれてとまりません。
そばにいるこどもはいそいできにつかまっていいました。
「ほら、なみだがかわのよう。ぼくながされてしまうじゃないか。」
するとりゅうがいいました。
「しんぱいなさるな。さあ、このせなかにのりなさい。」
「のせてくれるの。それならいいが。」
こどもはすぐにきからはなれて、ひらりとかるくりゅうのせなかにとみのりました。
りゅうのなみだはかわのながれになりました。
あおぞらとやまとがうつってみえました。
かわのおもてにりゅうのからだはふねのようにうかびました。
りゅうはぐんぐんいさましくなみをけたててすすみました。
「なんとうれしい。こんなうれしいことはない。
わたしはこのままふねになろう。
ふねになってやさしいこどもをたくさんたくさんのせてやろう。
そうやってこのよのなかをあたらしいよいよのなかにしてやろう。」
りゅうはそうせなかのこどもにいいました。
かわのむこうにこどものまちがみえてきました。
するとおおきなりゅうのからだははしのほうからかわりはじめて、
りゅうとはちがうくろいすがたになってきました。
まもなくそれがふねのかたちにみえてきました。
こうしてずんずんすすんでいくまに、
りゅうのはなからはくいきはけむりにかわっていきました。
りゅうのなりはぽうぽうとひびくきてきとおんなじこえになりました。
まちのきんじょのひとたちはふねをみつけておどろきました。
めをまるくしてみたことのないくろいりっぱなおおきなふねがだんだんにちかづいてくるのをみました。
そしてそれにのっているひとりのこどもをみたときにびっくりしながらくちぐちにさけびのこえをたてました。
あれごらん、あのこがいるよ、ふしぎなあのこが。
うれしそうにみえるじゃないか。
そうとも、あんなにてをふって。