で、その様子を見ていたもう一人の信仰、牧雄さん。牧雄さんは朝ちゃんのお母さんの妹である。
だから朝ちゃんにとっておばにあたる人だと。で、このおばの牧雄さんが無神経な話をする親族を一括して朝ちゃんを引き取ることになりました。
というところからこう話が始まるわけですね。で、朝ちゃんは何と言いますか、こう非常にこの15歳、16歳、中学生、高校生らしい子供と言えばいいのかなぁ。
表現が適切かどうかはちょっとわからないけれど、こういうふうにうちの子供が育ってくれたらとても安心して見ていられるんだろうなというふうな感じの性格をしているんですよね。
で、それに対してその朝ちゃんを引き取った牧雄さんはかなり不器用な人なんですね。
人見知りで人付き合いがあまりこう得意ではなくて、できることなら家の中に他人を入れたくない、知らない人を入れたくない、電話を取るのも疲れる、メールをするのも疲れる。
そんな2人が急に一緒に生活することになるので、なかなかうまくいかなくて、なかなかうまくいかないんだけど、牧雄さんは牧雄さんなりに小説家をして生計を立てられているような方なんですけど、
言葉を駆使してどうしたら朝ちゃんが両親を亡くしてこれからの人生をそんな中でもたくましく生き抜いていけるだろうかというのを、とにかく言葉を尽くして不器用ながらもどうにかこうにか伝えようとする。
朝ちゃんはその牧雄さんが難しい言葉をやたらめたら使うもんだから、ちょっと何言ってるかわかんないよって言って、まあその話を聞き入れたり聞き入れなかったりする。
2人の生活はどうなっていくのだろうか、てんてんてんという感じの話なのかな。かいつまんでまとめるとね。
僕はあの、この異国日記という漫画を読んで思ったのはですね、この漫画は愛とは何ぞやということを投げかけてくれている漫画だなというふうに思ったんです。
朝ちゃんが両親を事故で亡くされて、当然ながらそれはものすごく朝ちゃんにとっては大きな出来事で、それを朝ちゃん自身が噛み砕いて消化するのにもとてつもない時間がかかるし、とてつもないストレスがかかるし、
また、ご両親を亡くした子というふうな、ある意味色眼鏡で他の人から見られることによって、本当の朝ちゃん自身を知っている人がどこにいて、朝ちゃんにある意味無償の愛を注いでくれるであろう人が失われてしまったわけですよね。
で、そういう状態の中で、おばである牧尾さんに朝ちゃんが引き取られるわけですけど、牧尾さんが朝ちゃんを引き取るときに、あなたを愛せるかどうかはわからないって言うんですよね。
それってその捉えようによってはさ、かなり残酷な言葉というか、無償の愛を注いでくれる人がいなくなった。で、おばに引き取られた。ただし、おばは私を愛せるかどうかわからないと言っている。
じゃあ誰が私を愛してくれるの?みたいな状況に朝ちゃんはなるわけですね。
だから、そこからさらに話が進んでいって、朝ちゃんが果たして私は母に愛されていたのだろうか?父に愛されていたのだろうか?とか、まだ朝ちゃんはそれこそその中学生、高校生ぐらいなので、いわゆる性愛と地愛みたいなものをまだうまく区別できてないような描写がよく出てくるんです。
だから、自分が誰も好きにならねないから誰も私を愛してくれないのかもしれないとか、いわゆる恋人に対して向ける好きの延長線上にその愛する愛さないがあるのではないかみたいな、なんかそういう風な思考回路を描かれているように僕は受け取ったんですね。
なので、かなり終盤までずっと私は誰にも愛されていない、私を愛してくれる人はいないし、私も誰を愛することもできないみたいな、そんな感じの気持ちを抱えながら、それでもそれなりに学生生活を楽しみながら過ごすという風な描写がある。
ただ、マキオさん側の視点から今度同じ、その私はあなたを愛せるかどうかわからないっていう風な話を見ると、かなりこう誠実な言葉選びをしているというか、実際わかんないっすよね。
急に誰かそれぐらいの学生の子供を引き取ってその子を愛せるかどうかなんて。
実際この物語上では、おそらく朝ちゃんのご両親が亡くなった時に病院に駆けつけた時が初対面で、その翌日に葬儀があって朝ちゃんのことを私が引き取るということをマキオさんが決断されるわけですけど、ほぼ赤の他人ですよ、言うたら。
しかもそのマキオさんと朝ちゃんの母親、マキオさんの姉はあまり関係性がよろしくない。何なら相当嫌っているマキオさん側から。
なので嫌いだった姉の子供をそもそも愛せるかどうかもわからないし、自分は人見知りだし不器用だし、本当は自分の家に他の人が入るなんて耐えられないけど、
でも目の前のこの子は助けあげてあげなければならないという使命感のもとに朝ちゃんを引き取っている。
実際にはこのあなたを愛せるかどうかわからないのセリフの前後に、あなたを愛せるかどうかわからないけれども、私は決してあなたを踏みにじらない。
あなたの寝床はここにある。部屋は汚いし、私はだいたい不機嫌だけれども、あなたを愛せるかどうかわからないけれども、少なくともあなたは今ここにいていいから。
この私の家に帰ってきていいからという言葉なんですよね。全体を見ると。
だからあなたに愛情を注げるかどうかはともかくとしても、少なくともここにあなたの異色自由が保障されている環境は私は作るし、私はあなたの尊厳を傷つけるようなことはしない。
ってさ、もう愛じゃん。それって。
嫌いな姉の子供をさ、急に引き取って、異色自由は保障する。私はあなたを踏みにじらないし、あなたに何をせよとも言わない。
ただ、あなたがここに帰ってきたいんだったら、いつでも帰ってきていい。愛じゃん。
で、外から見ていると、すごく思うんだよな。
で、そこからね、実際に2人の共同生活が始まって、朝ちゃんはしばらく生活はしているけれども、なんとなく地に足がついていない状態が続くわけです。
そりゃそうだよねって感じなんですけどね。親をなくしているから。なんだけど、親をなくすとはどういうことなのかっていうふうなことを朝ちゃんが自分自身の中で噛み砕くのに、話の中でも結構な話数がかかるんですね。
自然と、話の端々に、お母さんもそういうこと言ってたとか、お母さんならなんて言ったかなとか、そういうふうなことが人と話している間に朝ちゃんの思考として、所々ちょいちょい出てくるわけ。
で、それを経て、なんであいつら死んじゃったのっていう、今度怒りのフェーズになるんですね。他の子には親がいて、親はいろんな形で子供たちに対して関わってくれている。
でも私にはもう親がいない。なんで?なんであいつら私を置いて死んじゃったの?っていうふうな思考のフェーズが、さらにそこにこう数は入って、苛立ちとか孤独とか、いろんな諸々からマキオに当たり散らしたりとか、学校をサボってみたいとか、いろんな諸々を経た上で、
夜中に一人寝つけず、マキオが書いた小説を読み、孤独を表現した文章を読み、今までその朝の頭の中にあった、なんで私はこう空っぽなんだろう?なんで今私は一人でどうしたらよくて、誰が助けてくれるんだろう?
ようやくその今まで溜め込んでたいろんな感情が、このマキオが書いた文章によって、うまく朝ちゃんの中で消化ができるようになるんですよね。
消化ができるようになるというか、ああ、孤独って、私が感じていた孤独っていうのはこういうことだったんだっていうふうなことを、うまく気持ちの中に落とし込めるようになったんだと思うんですよね。
それを読んだ朝ちゃんの独白というのかな、心情を書いた文章が横に添えられてるんですけど、彼女はなぜ、なぜ誰もなくしたことがないのにこんなものを書くのだろう?こんなものを書くのになぜ私を真に理解しないのだろう?
なぜ私の欲しい嘘を知っているのに、たとえその場しのぎでも消してくれないのだろう?なぜ?って言って朝ちゃんが泣き出す。
マキオがそこに駆けつけて、お父さんとお母さん死んじゃったって朝ちゃんが泣きながら言う。このシーン、このシーンで聞いてくれよ。このシーンでさ、その、ニューネクストのね、無料でここまで読めますが、ちょうど切れたの。
次は明日読んでくださいになったわけ。待てないよ、そんなの。ってなって、あの天使書籍です。その後もう全巻購入したんですけど。もうつらくてつらくて。
マキオはその、人見知りで不器用で孤独で、ある意味そうやってこう孤独を生き抜く術、孤独を生き抜くのにこう助けてくれる言葉みたいなものはめちゃくちゃいっぱい知ってるし、それをこう朝ちゃんに与えることもできるわけです。
で実際問題、それでそうやってこうマキオから得た言葉によって朝ちゃんが助けられている場面もいっぱい描かれるんですね。あなたの感情はあなたのもので、他の誰が決めるものでもないみたいな。
超つらかったんだよなぁ、ほんとなんかこのシーンを読んだ時。この異国日記という漫画はさ、
1ページあたりの文章量もそこまで多くないし、セリフもそこまで長ゼリフ喋んないと思うんですね。
ちょっと比較対象が極端だけど、例えばそのハンター×ハンターとかに比べると、ハンター×ハンターの最新刊回りの文章量まじえげつないことになってるんですけど、
なんかハンター×ハンターとかデスノートとかそういうのに比べると、文章で書かれている情報量自体はそんなに多くないんですよ、ずっとね。
なんだけど、1つのセリフに込められている情報量と、このお父さんとお母さん死んじゃったって言っているアサちゃんの表情から読み取れる情報量と、
それを見ているマキオさんの表情の情報量と、すごい多いんだよな、なんだか。すごい不思議なんですけど。
だから、僕結構あの漫画パッパパッパ先を先が気になるからどんどん読み進めたいっていう風なタイプの人なんですけど、
すごいね、1ページ1ページをめくるのに時間がかかったんですよね。
今その、第5巻171ページのそのアサちゃんが泣いているシーンを開いているんですけれど、
本当にこう、文字通りページをめくる手が止まって、動けなくなってしまったんだよな、このページ。
結構その後にも、あの似たようなね、一気にこう読み進めるスピードが遅くなって、手が止まってしまうシーンというのが、
いくつもいくつもあったんですけど、僕あの、アサちゃんの親友であるエミリーちゃんの話がね、なんかこうかなり深く突き刺さってしまったんですけど、
このエミリーちゃんというのは、アサちゃんの小学生からの知り合いなんですけど、
そのアサちゃんが両親が亡くなったっていう時に、一番最初に連絡したのもエミリーちゃんだし、その後なんやかんやってちょっと1回喧嘩をするんだけれども、そこからアサちゃんとの関係が変わってしまったんですよね。
マキオとアサちゃんが暮らしている家にもよく来るし、あの外にも遊びに行くし、エミリーちゃんの母親とマキオさんとの関係が変わってしまったんですよね。
なんやかんやってちょっと1回喧嘩をするんだけれども、そこから持ち直して、かなりの回数物語の中にも登場する。
マキオとアサちゃんが暮らしている家にもよく来るし、あの外にも遊びに行くし、エミリーちゃんの母親とマキオさんの間もなんかいい関係性になるし、というかなり重要なキャラクターだと思っているのですが、
エミリーちゃんがさ、エミリーちゃんの彼女と話している時にね、まあエミリーちゃんは同性愛者なんですけれど、エミリーちゃんの彼女と話していて、LINEが来るんですね、アサちゃんから。
で、それをきっかけに彼女ともアサちゃんの話になるんです。
その幼馴染からだ、前に話した、親が死んじゃった子だと。
で、エミリーちゃん自身はアサちゃんの両親とは交流があったし、仲良くしていたし、アサちゃんから親が事故で死んじゃったどうしようっていうLINEが来た時に、
エミリーちゃん自身もショックだった。
けど、同時に、もう絶対友達ラメらんないじゃんって思っちゃった。
辞めるつもりもなかったんだけど、でも思っちゃった。
というセリフをね、言うんですよ。
そーだよなぁ。
確かに。
ここまでこのエミリーちゃんというキャラクターは大体そのアサちゃんとセットで描かれていて、そのエミリーちゃん自身の気持ちを、
なんだ、そのアサちゃんと喋っている時のエミリーちゃんの気持ちがちょっとこう描かれることはあったんですけど、
そのアサちゃんがいない場でエミリーちゃんがこういう風な話をする場っていうのはここまで全然出てこなかったんですね。
で、なので、ずっと両親がなくなったとしても変わらず関わってくれる、
とてもこう、アサちゃんにとってもエミリーちゃんにとってもお互いが大事な存在だなっていう風な感じで、
このセリフが来るまでずっと読んでたんですけど、
もう絶対友達やめらんないじゃんって思っちゃった。
で、そりゃ思う、そりゃ思うよな確かになーって、なんか全然ない視点だったんですよね。
それこその、アサちゃんがいかに両親をなくしたショックから立ち直っていくか、
そこで立ち直りながらもアサちゃんとマキオさんがどうやって関係性を深めていくのかみたいな、
そっちの方にこう意識がずっと向けられていたので、
そうか、自分がエミリーちゃんと同じ立場になったとしても、
確かになんていうのかな、ちょっとこう寄りかかられる覚悟を急に迫られるだろうなって思ったんですよね。
ある意味そのマキオさんは自ら寄りかかられる立場に志願したというか、
もういろんなことは起きるし、いろいろ辛いこともあるし、私にはできないこともたくさんあるけど、
でも少なくとも一食十はちゃんと提供してあげるし、あなたの帰る場所をここにしていいよっていうふうなことで、
マキオさんは自らの意思でそのアサちゃんを助けようっていうふうに踏み切ってるけれど、
エミリーちゃんだけはこの物語に出てくるキャラクターの中でそうじゃないんですよね。
アサちゃんからエミリーちゃんに助けを求めて、アサちゃんにとって寄りかかりどころになることを、
悪く言えば強制された立場なんだよな、多分な。
だから急に両親を失った友人から連絡が来て、どうしようって言われるって、
どう、私がどうしようだけどみたいな感じになるよね。
15、6ですよとかですよ、年齢的には。
そりゃあ、それはもちろん言われた方にもショックがあるよな。
確かにな。
ってなって手が止まった、このページ。
第6巻、145ページなんですけどね。
で、ちょうどここら辺の話をしている段階では、
まだエミリーちゃんは自分が同性愛者であるということはアサちゃんに言ってないんですね。
で、そのアサちゃんのそういうこう、相手がLGBTQである可能性は全く度外視した会話に対して、
ちょっとエミリーちゃんが腹を立てているような描写も何回か出てくるんですけど、
エミリーちゃんがアサちゃんにカミングアウトするシーンも、
なんか、めちゃくちゃ重くて、
重いっていうのは物語的に重いっていうよりは、僕へのダメージとしてね、とても重くて。
LGBTQの人が性的指向や性自認を周囲に打ち明けることをカミングアウトと呼ぶらしいですけれども、
カミングアウトはこんなにも難しいことなんだっていうのをね、
頭ではわかってたんだけど、こういうことなんだなっていうのをすごく気づかされたんですよね。
その、それこそ小学校からずっと仲良くしてきた幼馴染なわけですよ、アサちゃんとエミリーちゃんはね。
で、そのエミリーちゃんが今女の子と付き合っているんだっていうふうなことを明かすわけです、アサちゃんに対して。
で、それを受けたアサちゃんの反応が、
え、あ、あ、え、あ、うん、あ、そう、うん、そう、うん、なんだ、あ、応援するよ。
え、だって別に私はいいと思うよ、そういうの友達に言うとかちょっと自慢っぽいかも。
もうなんか的確にこう、地雷を踏み抜いていっているというかさ、
その応援されたいとか、自慢されたいとか、なんだ、こう特別視してほしいっていうことではないんですよね。
カミングアウトという行為は。
で、ずっとそのアサちゃんから、彼氏ができたら最初に言おうねみたいなこう約束を一方的に交わされるたびにちょっと心が傷ついていたりとか、
いろこいざたの話が出るたびにちょっと話を逸らさなければならなかったりとか、
親から結婚についての話を出されたりとか、
そういう諸々があるたびに少しずつ、少しずつ少しずつこうエミリーちゃんも傷ついていって、
私はただ私でいたい、なりたい私になりたいだけ、というねセリフをエミリーちゃんが言うんですけど、
なんというか、こう、当事者からすればさ、そのLGBTQプラスというふうな、一応のなんと言いますか、くくりを与えられている、そのくくりに入れ込められている当事者からすればさ、
ただ異性を好きになったんじゃなくて同性を好きになっただけ。
なのに、私は女の子を好きなんだよねって言ったら、応援するよとか、自慢っぽいかもとか、
それって私がタイプってこと?とか、そういうふうな余計な言葉をいっぱい向けられなければならないんだろうっていう、
そういう考えに、そういう気持ちになるよなと思ったんです。
なんとなくこれまでのね、あの頭の意識の中では、こういう物事を打ち明けること、打ち明け、
まあ仮に自分が打ち明けられたとして、特別なこと、特殊なことを受け入れる、そうなんだと思う。
前も似たような話をしたような気がするんだけど、なんか若干のこう、上から目線というか、その枠から外れているものを、
ああそういうこともあるのねっていうふうに飲み込むみたいな、なんとなくこうそんなイメージを抱いてしまっていたんだけれど、
当事者としては別にそういうことをしてほしいわけではないんだろうなって、このシーンを読んで思ったんですよね。
別にあなたに何かをしてほしいわけではない。別にあなたにこういう諸々の気持ちを受け入れてほしいとも思ってないし、
うーん、こういう状態にある私を守ってほしいとか、そういう諸々も思ってない。
ただ、例えば朝ちゃんと仮に恋話をするときに、彼氏ができたら報告しようねっていうのと同じぐらいのテンションで、彼女ができたら報告しようねって言えるようになりたいし、
で、ちょっともうなんか、言い出したらキリがないぐらいに、いまだにいろんな感情で溢れ返っているので、
最後にちょっとラスト近辺にだけ触れておこうかなと思うんですけれど、
最終巻、第11巻に入ってから、マキオさんがちょっと今までとは違った歩み寄りを朝ちゃんに対してしようとするんですよね。
これまでもずっとその、多少朝ちゃんとの関係性は柔らかくはなっているし仲良くはなっているものの、
孤独を生き抜くための力を言葉によって与えようみたいな関わり方はずっと一貫して続いているわけです、マキオさんは。
で、そこから朝ちゃんが受験シーズンに入ったとか、いろいろなことを乗り越えていって、
もっと何か朝ちゃんに対してしてやれないだろうか。
でも私なんかがそれをしていいのだろうか、それをしたことによって衝突してしまうのではないだろうかとか、こういろんなことを考えるようになるんですよね。
で、マキオさんが選んだ術というのが、生命保険に入って、その生命保険の保険金の受け取り人を朝ちゃんにする、
という手段なんですよね。
で、それが朝ちゃんにバレて、朝ちゃんがとても傷つくんですけど、
そのシーンに対してもとてもこう思うことがいっぱいあるんだけどさ、
で、めちゃくちゃ後悔するんですよね、マキオさんも。
そりゃ、両親を亡くして一人になって孤独を感じていた子が、自分を引き取ってくれて、とても良くしてくれて仲良くなってきたおばから、
私先に死ぬから、でも私が死んでもあなたにはお金が入るから大丈夫だからって言われても、
そういうことじゃないじゃん。
そういうことじゃないじゃんって、そりゃ思うよね。
で、超後悔するんですよね、マキオさんも。
この生命保険回りの話からしばらくして、
私すぐじゃないけど大学入ったら一人暮らしするかも。
で、ぽつって朝ちゃんから、マキオちゃんが言われるシーンがあるんですね。
で、これはそのタイミング的にはさ、別に何も間違ってなくて、
ただゆくゆくそういう風なこともあるかもしんないけど、どう思う?ぐらいな朝ちゃんからの投げかけだと思うんですけど、
マキオさんからしたらさ、やっちゃったから、
自分の手から離れていっちゃうのかもしれないな、もっと大事にしてあげたいと思っていたはずなのに、みたいな感じに、
おそらくなっていたと思うんですよね、きっとね。
で、それを、そういういろんな後悔の気持ちを、マキオさんの古くからの友人に打ち明けて、
そこに朝ちゃんが帰ってきて、ようやくマキオさんが、自分が朝ちゃんについてどう思っているのか、どういう存在だと思っているのかというのを言葉に出してくれる。
あなたは痛いだけここにいていい。私が嫌になったら二度と戻ってこなくてもいいし、
一生私に連絡してくれなくても構わない。でもいつでもここに戻ってきて暮らして構わないし、このまま一生ここにいても構わない。
私はいつでも不機嫌だし、部屋は散らかっていて食事のメニューはつまらないけど、それでもあなたが幸せでいてくれればいい。
って言うと幸せでいなきゃいけないみたいだね。時々幸せでもいいよ。
いいセリフだなぁ。
だから、朝ちゃんが離れたければ離れてもいいし、そのまま近くにいたければいてもいいし、近くにいる限りはしっかりあなたのことを支えるし、できれば幸せでいてほしいけど、
でも別に幸せでなくてもいい。すべてはあなたの自由だよ。ということをマキオさんなりに言葉を選んで言っているセリフなんだと思うんです。
これはマキオさんからすると最上級のね、最上級のあなたのことを大事に思っているよっていう表現なんだと思うんですけど、朝ちゃんももうマキオさんのことをわかっているから、
そういうその行動面の話、なんていうか、私はあなたに対してこういう扱いをするけどあなたは自由でいいんだよっていうことが、これは私を愛してくれていることなんだなっていうのがわかるようになったんですよね。
たぶんこの3年間ぐらい一緒にこう生活する中で、でも朝ちゃんが欲しいのはそういう言葉じゃなくて、なんで一言ただ私を愛してるって言えないんだよ。
そういうなんかしめんどくさいあなたこうだ私は本当にあなたが自由でいてくれればよくてあなたが幸せでも不幸せでもそれはあなたの自由ででも私はずっとあなたのことを思っているよとかじゃなくて、もっとわかりやすく愛してるって言ってくれたら私はそれで乱されたのになんで言ってくれないんだよ。
というこの本本当に。
マキオさんはその朝ちゃんとずっとこう暮らしていく中で、あんなに嫌いだった姉がこの15、6になるまで朝ちゃんを育て上げた姉がどんなに苦労をしてどんなに朝ちゃんに愛情を注いでということが、まだ姉のことが嫌いではあるけれど、でもわかってしまったんですよね。きっとね。
でもその上で、マキオさんにとっても朝ちゃんはとても大事な存在にはなっているけれど、でも私がどんなにあんたのことが大切だよ愛してるよって言っても朝ちゃんのお母さんが注いでくれた愛情とそれがもう二度と注がれることがない状態になったその喪失には絶対に勝てないというふうに思っている。
実際どうかはさておきね。
だからそんな愛してるなんて、愛してるなんてそんな言葉では言葉が足りないんだよってマキオさんは言うけれどさ、言うけれどさ。
この、この後のね、この後朝ちゃんとエミリーちゃんがおそらく卒業式かなんかに向かう電車の中でマキオさんが書いた詩を朝ちゃんとエミリーちゃんが読むシーンもとても最高なんですけど。
もうもう言い出したらキリがないので、ここら辺にしようかな。
もうなんか本当こう誰かに何かを伝えるために言葉を出すっていうよりは、ただただその僕の喉に詰まっていたものものを外に吐き出さなければ僕が溺れてしまいそうだったので、なんか聞いてる側からしたらなんのこっちゃっていう風な感じの話になっているだろうと思うのですが、
本当に本当に素晴らしい作品だったなということだけはあの声を台にして言わせていただきたいなと思います。