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2023-04-15 19:58

#20 ベビーカーは武器/子どもの絵心/目より耳かも。

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inコストコの駐車場。
アホみたいに混んでいて、僕が帰る頃には駐車場をはみ出た車で大渋滞でした。大変ね。
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コストコでの待ち時間
(コストコの駐車場)
こんにちは、こんばんは、おはようございます。カフェイン岩尾です。
今日は、ちょっといつもと収録環境が違いましてですね。
僕が今いるのは、コストコの駐車場の自分の車の中なんですけど、
ちょっと、ちょっと諸々事情があってですね。今、コストコの開店待ちをしているところなんですね。
僕一人で、妻と子供を置いて。なので、暇になっちゃってさ。
で、暇になることがもう目に見えてたから、
いっそマイク持ってって、車の中で撮って、車の中で編集して、そのままあげるかみたいな気持ちで、今やってみております。
ちょっとマイクの距離感が違ったりとか、多分音の反射の感じが違うだろうと思うので、違うと思います。
はい、そんな感じですね。
いやー、しかしすごいですね。コストコはお客さんが。
コストコというのは、海外で売ってるバカでけぇ製品をいっぱい売ってるスーパーみたいな、
あの、最近ね、よくテレビとかでも特集されているようなところなんですけど、
なんかやっぱね、いっときよりも混雑度合いがひどくなってきてというか、もう今、会議を30分前ぐらいなんですけど、もうほぼ駐車場満車ですね。
駐車場空き町が、開店前にできてるみたいな、そういう異常事態となっております。
ベビーカーを持つことについて
すごいなぁ。
先日ね、ちゃんと自己主張をしていこう運動を始めまして、すごいざっくりとまとめるとね、
ちゃんと相手の攻撃を受けてばかりではなく、こちらからも、まあほどほどに相手を傷つけないぐらいの範囲内で自己主張をしていきましょうみたいな、
心に決めまして、パートナーを相手にやってみたんですよ、この前ね。
で、なんかこう話の流れでね、あの先日このポッドキャストでも話したんですけど、
僕がその電車とかバスとかに座った時に、それとほぼ同時のタイミングで肩をキュッとこう狭めて、周辺に迷惑をかけないようにするみたいな話になったんですよね。
で、同じように例えば満員電車に乗った時とかも、僕はその可能な限り隅っこに寄って可能な限りコンパクトになろうとするんです。
無駄に体がでかいので、ちょっとでも影響を少なくしようと思って、そういう風にしてんだよねっていう風に言ったら、そのパートナーが、
「全然そんなん気にすることないじゃん、むしろ胸張っていけないよ」みたいなことを言われてですね。
まあやっぱこう、全然ね、人によってそこの感覚みたいなものが違うんだなっていう風なのがよくわかったんですけど、
で、その話のこう流れでね、ベビーカーを持つのも、なんかストレスってわけではないけど、僕結構周辺に気を使うんですよ。
僕がそもそも体がでかくて、で、そのベビーカーっていうそれなりにサイズがでかいものをさらにぶら下げてるから、
なんていうかな、こう、自分の当たり判定が無駄にでかくなってるみたいなイメージなわけ。
他の人は人一人分で歩いてる当たり判定のところに、人1.3人分プラスベビーカーでさらに3人分みたいな、
一人で当たり判定を勝手にでかくして歩いていることの申し訳なさみたいなのがあって、
だから、基本その狭い通路を通る時とかにね、自分の方が積極的に道を譲ったりとか、避けたりとか、道を反れたりとか、そういう風な動き方を僕はするんです。
パートナーの発言に対する受け流し方の変化
そういう風になっちゃうんだよね、っていう風にパートナーに言ったら、
「えっ、私なんならベビーカーのこと武器だと思ってたけどね」って言われて、
そのベビーカーというものを持つことによって、ある意味では、社会的に加護されるべき存在であるというか、
本来社会的には子連れはもっと尊重されるべきであるみたいな考え方があると思うんですけれども、
そのベビーカーを持つことによって、そうやって尊重されるべき人間に、むしろなってるんだから、
胸張って「そっちがどけよ」っていうような思いで、ベビーカーをガンガン突っ込ませて歩いてるっていう話を聞いてですね、
そんなことあるか?って思ったんだけど、正直ね、そんなことあるか?というのが何パーセントかと、
確かにこの人だったらそう思ってても不思議じゃねえなっていう風な思いとあってですね、
面白かったですね、なかなか。だからやっぱ、だいたいね、そういうちょっとパワフルな発言がよく出てくるわけ、
うちのパートナーからは。で、パワフルな発言が出てくるたびに、
「それはちょっと良くないんじゃない?」っていう風に、ちょっと思うこともあるわけよ。
正直ね。かといって、「それはちょっと良くないんじゃない?」って指摘することは、
薪に火をくべることになるから、あまり良くもないよなーって思って、
「ああ、そうなんだ」っていうぐらいで今まではこう受け流していたんだけれども、
受け流すことをやめようという風に心に決めましたので、
「あなたはそういう風に思うんですね。へえ。わあ、そういう時はこういう風に考えちゃうけどな」みたいな、
相手の発言を否定も肯定もせず受け止めつつ、
「それはそれとして僕はこういう風に考えるんだよね。面白いね」ぐらいな表現をするように心がけたわけですよ。
なんていうか、相手の行動に対して、こう、いい悪いみたいなところにしてしまうと、
まあ、もろもろ過度が立つじゃないですか。どうしてもね。
子供の成長と絵心
なので、その相手の考えはこうである。僕の考えはこうである。
「へえ、いろんな考えがあって面白いね」みたいな、なんか小学校の道徳とかでやりそうな話ですけれども、
そういう風な対応にしてみたら、なんか上手いこと、
「へえ、そんなに違うんだ。面白いね。知らなかったな」っていうぐらいで、
こう、話がふわりといい感じにまとまってくれたので、
まあ、今後も極力そういう動きをね。
まあ、今回はそのパートナー相手でしたけど、他のシーンでも続けていきたいなと思った次第でございます。
ちなみに今回はね、こういう小粒な話をいっぱいしていく回にしようかなと思ってるんだけど、
なんか、大それで話すようなテーマもなかったので。
でね、話は変わりまして、
先日ね、僕、あの、Twitterにね、1枚あの画像を投稿したんですけれども、
うちの4歳児がですね、あの、僕の顔を描いてくれたんですよ。
その絵そのものが可愛いのもそうなんですけど、
その、子供が自分の顔を描いてくれるというのは、
あの、実際にそばで見ている親目線からすると、
なんていうか、こう、すごい感動があるんですよね。
Twitterに今回僕があげた画像は、
なんていうか、うーん、
顔の輪郭があって、髪の毛があって、眼鏡があって、耳があって、口があって、
みたいな、こう、顔としての体を成しているんですけど、
これが、数ヶ月間では、
あの、まあ当たり前なんだけど、顔の体を成してなかったの。
で、もっともっと遡ると、なんか、その、変でね、
クチャクチャクチャクチャクチャクチャーってなんかよくわからない丸でもない、
その線の集合体みたいなのをこう、描いて、
パッパーって言われたりするわけね。
で、まあもちろんそれはそれでさ、
描けないなりに、こう、自分のことを表現してくれようとしたのだって思って、
それはそれでもちろん嬉しいわけです。
それがさ、その月日が経つたびに、
どんどんどんどん成長していってですね、
クチャクチャクチャってしたものしか描けなかったものが、
今度は、ちょっとこう丸っぽいものを描けるようになってきて、
それでパッパーって言われたり、
その丸っぽいものの中に、
「あ、多分これは目を描こうとしてるんだろうな」っていう風なこう、点がそこに現れて、
パッパーって言われて、
で、そこにこう、口が現れて、耳が現れて、
髪の毛が現れて、眼鏡が現れて、みたいな感じで、
順繰りに、あ、この子は今、この部分をパーツとして認識して、
で、それをこう絵として表現できるようになったんだ、っていう風なのがね、
すごいこう段階を踏んで見えていくんですよね。
それがね、なんか、感、感動?感心?みたいな、
そういう風な感覚になりましたね。
で、先日そのTwitterにあげたやつは、
なんか、ま、ある意味1個の完成形だと思うんですよ。
Twitterでの絵心
とりあえずもう顔のパーツは出揃ったわけ、一通りね。
だから、あとは、その1個1個の、
うーんと、その、顔のパーツが、よりリアルなものに近づいていったりとか、
あそこに今度こっから、その体がついて、手足がついて、みたいな感じになっていくわけですよね。
だから、なんかここからこうどういう順番で発展していくのかなっていう風なのが、
すごくこう、見るのが楽しみだな、ってなった話。
前にね、僕患者さんで、
そういうこう子供向けの、こう絵画教室みたいなものをやられている風な患者さんがいてね、
で、その方に色々お話を伺ったことがあったんだけれども、
やっぱりその、そうなんですって。
だからそういう風にこう段階的に、
あのー、今までは、ただの線の塊しか描けなかった子が、
なんかの瞬間に、こう丸が描けるようになって、
丸が描けるようになると、一気にその、表現の幅が広がるから、
その子もまたちょっとこう絵を描くのが楽しくなって、
で、またこういっぱい描いて、
今度目が描けるようになって、また幅が広がっていっぱい描いて、みたいな感じで、
そういう成長が、見てわかるのがすごい楽しいんですよねー、っていう風にその患者さんが言ってらして、
はぁー、こういうことなんだなぁー、っていうのを日々感じております。
っていう、たまにはちょっといい話。
ふふふふふ(笑)
最近なんかね、あの、うつうつとした話が非常に多かったので、
たまにはこういう話を混ぜていこうかなと。
あとはねー、
またちょっと話が変わるんですけど、
本の購入に至る経緯
その先日のポッドキャストを、
第何回かちょっと忘れちゃったんですけど、
あのー、中でね、
そう、その「隣の雑談」というポッドキャストの中の、
桜林直子さん、さくちゃんがおっしゃっていることが、
あまりにも僕のことを詳細に表現しすぎている、
みたいな話をチラリと取り上げたことがあったんですが、
あのー、初めてね、僕はそのポッドキャスト経緯で本を買いました。
その桜林直子さんという方が、
一番最初に出された本らしいんですけど、
「世界は夢組とカナエ組でできている」っていうね、
あの本を出されておりまして、
さすがに、その完璧に自分のことを、
言語化して表現されてしまったから、
その人が書いている本は、
さぞ、なんというか、心に響くんじゃなかろうかと思って、
本を買ったんですよね。
で、この前読み終わったんですけど、
ちょっと本の中身の一個一個に触れることはここではしませんが、
なんて言うんでしょうね、
読んで思ったのは、
やっぱ音声ってすごいんだなっていうふうなことをまず思ってですね、
その本の中で書かれている内容と、
その「隣の雑談」というポッドキャストで話されている、
さくちゃんさんの人生観であったりとか考え方みたいなものは、
おおむね同じようなことを話されている、書かれているんですね。
何かを望むことは贅沢なことだと思っていたとか、
いわゆるやりたいことがわからなかったとか、
気づいたら主張することができなくなっていったとか、
なんかそんなようなことをね、
おおむね音声でも、書籍でも同じことを表現されているんです。
で、先に触れたのが音声だったからかもしれないけれども、
音声の方がね、すごいスッと頭に入るような気がしたんですよね。
逆にこう、文字の方は改めてそうやって文字で書かれると、
なんかちょっと噛み砕くのに一段階必要になるというか、
同じ内容を音声で話されていた時にはスッと頭に入ってきたはずなのに、
文字にして目で見ると、
なんかちょっとワンクッション間に挟まっているような感じがして、
うまく理解しがたいみたいな現象が起きたんですよね。
それがね、すごく不思議だなぁと思って。
ひょっとしたらその「隣の雑談」というポッドキャストに、
その聞き手であるJNSUさんがいらっしゃるから、
そことも対話の中でうまく噛み砕いて表現してくださっていたのかもしれないし、
その本を読んでいる環境が、隣で子供がワーキャー言いながらだったから、
あんまり落ち着いて読めていなかったのかもしれないし、
僕という人間が単純に音声の方が情報を汲み取りやすいのかもしれないし、
わかんないですけどね。
なんとなく僕の体感的に、
僕、なんか視覚よりはちょっと聴覚に頼っている節があるというか、
なんか若干、聴覚の感覚入力によって出てくる影響っていうのが、
なんとなく過敏なような気がするんですよね。
僕、子供と一緒に家にいると、
子供のワーキャー言う声と、プラレールが走っている音と、
テレビで動画を流している音と、みたいなのが常に聞こえ続けるような環境になるんだけど、
みんなで家にいると。
それがね、すごい耐えられなくなっちゃうんでね。
耳に一定のちょっと嫌な刺激が入り続けているときに、
それをすごいストレスに感じてしまって、
だから僕、そういうふうに家でみんなで隔てで過ごすときには、
耳栓をするようにしているんだけど、
耳栓といっても完全にシャットアウトするレベルじゃなくてね。
別にちゃんと会話はできるぐらいの耳の塞がり具合なんですが、
他の人も同じ環境に身を置いたら、根を上げるのかもしれないけれども、
なんかそれでもね、少なくともパートナーよりは、
そういう聴覚刺激に対して過敏なような気がするんだよね。
だから、逆を言えば、聴覚から情報を受け取りやすいから、
熱量が下がってきたタイミング
このポッドキャストのような音声のコンテンツっていうのはひょっとしたら合ってるのかもしれないなっていうのを、
その音声と書籍と、耳で聞くのか目で聞くのかによって、
情報の受け取り方が違うなっていうふうな物事に気づいたことで、
ちょっと感じた次第です。
どうかなぁ。
だから、今、本を読み上げてくれるようなサブスクとかありますよね。
オーディオブックとかオーディブルとか、同じか?ちょっと違うか?分かんないけど。
ひょっとしたら、そういうのでね、
また同じように、同じ本を音声で流して聞かせてもらったら、
ちょっと受け取り方が違ったりするのかもしれないですね。
なんで、今まではね、
なんていうか、そういうサービスがあることは知ってたけど、全然使う気なかったんですけど、
ちょっと興味が出てきました。
そんな感じで、今回はなんか、ザックバランに、
これといったまともりがない話、3本立てぐらいでございました。
なんかね、そう、良くも悪くも、
自分が感じていたモヤモヤが、なんとなく一定の解釈ができて、
それに対して、こうした方が良いのかもなぁっていう風に思う道筋が立ったことによって、
今ね、ちょっとこう、熱量が下がってきたタイミングのような気がするんですよ。
あの、熱量というのは、前の回で話題にしていたようなね、
これを表に吐き出さなければっていう風な、そこの熱量がちょっと下がってきているタイミングのような気がするので、
ちょっと今後の配信をどうしていこうか、今考え中です。
第20回のエピソード終了、今後の予定について
今回で第20回ですよね。多分ね、この配信が。
どうしようかなぁ、ここから。
なんかせっかく20回、まあ単純にエピソード数で言うと22回もやってきたから、
ここまでスパッとやめてしまうのももったいないし、もったいないなぁという気がするし、
かといって、熱量が欠けているものを世に放出するのは個人的には、
なんかあんまりやりたくないなぁという風な気もするし、どうしようかなぁ。
まあ、しばらくは引き続き、週に1回ぐらいの気持ちを保ちつつ、
話したくなった時に話す、出す、みたいなことを続けていくつもりではありますが、
ちょっと考え中みたいな現状ですね。
そんな具合で今日はここまでにしようと思います。
えーと、この番組「僕はパパでPETでルイリスト」は、
だいたい週に1回から話したいことが生まれたタイミングの中で撮って配信をしております。
概要欄にお便りフォームを用意しておりますので、質問・意見・感想・苦情などなどを送っていただけるととても嬉しいです。
また、Twitterで感想などのつぶやいてくださる際には、
#カタカナで「パパでPETでルイリスト」を頭文字とって、
#パピででつぶやいてくださいますと大体チェックしておりますので、こちらもとても嬉しいです。
よろしくお願いします。
では、また。ありがとうございました。
【チャンネル登録よろしくお願いします】
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