今までは、やっぱほら、人の香りをかがって自分を殺してきたけど。
なんですか、人に気遣ったり、人の思いを、なんていうんだろう。
おもんぱかるというか。
おもんぱかるというか、そういうことができてなかったから、あんまりその、なんていうんですか、仲間の中に入りたくないとか、人と接したくないっていうのがあったので。
ちょっと立っていく形で。
そこで初めて仲間の大切さとか、応援してくれてる人の大事さとか、家族も含めてですけど、本当にいろんな人に愛情じゃないですけど、いただいてて、本当にそこでやっぱ人との付き合いとか仲間とか大事なんだなと思って。
本当にそこから、今すごい幸せなんです、だから。
いろんな人に囲まれて生きているので、本当に昔の嫌なことが、もう吹っ飛んでる感じですね。
じゃあ、そのモルクで出会った仲間は、安くんそのままの、なんていうんですか、等身大で受け入れてくれたから、なんか自分が広がっていけたっていう感覚があるってことなのかな。
そうですね。
私、等身大っていう言葉が最近すごく好きで、なんかそう、元旦に書道、子供と一緒にして、等身大って書いて壁に貼ってあるんですけど、
聞いてて、私もその等身大っていう言葉が思い浮かんで、人から見てどうとかじゃなくて、自分の中で、自分のサイズで、自分の感じたものを否定もせず、肯定したり評価されずにいることの心地よさにたどり着いた人なんだなって聞いてて感じて、わーって思いました。
ありがとうございます。
なんか嬉しくなりますね。
嬉しい。
すごい嬉しい。
私、エピソード出すと、結局同じ感じになっちゃうけど、しゃべっていいのかな。
そう。
なんか、この3番の過去の自分にアドバイスできるならっていうのだけは、本当になんていうか、同じを感じていて、
私自身は、私のエピソードのことから言うと、やっぱり自分を殺していたなっていうのはすごくあって、特にあるのは、私はさっきもちょっとだけ伝えたけど、ジェンダーのことで、
一応、生まれもった体の性は女性なんですけど、それでも、なんか心の中は、女性でもあり男性でもあり、でもなんかどっちでもないっていう感覚。
どちらかに割り振られること。
例えば、女子だから、ちょっと昔だけど、じゃあリカちゃん人形で遊んでとか、それってなんかすごく、遊びたいときはあるけど、別にプラレールで遊びたかったり、
トミカで、わーみたいな、働く車ごごごっていうのもすごく楽しそうだったし、でもかといって男子の中で遊んで、それだけが楽しいわけでもなくて、っていうような、ほんとちっちゃい頃で言うと、そういう感覚、どこにも当てはまらないなとか、
ちょっとなんか言うと、えー何それって、すぐになんだそれって、どこでもないのがバレちゃうじゃないけど、バレちゃうと、なんかおかしなことになりそうっていう、なんか人の目が勝手に怖くなっていったりして、
だからさっきユキエさんの話の中かな、あったけど、だから生きづらさを自覚するというよりかは、なんだろう私は何者でもない、誰とも一生感じられないみたいな、それを生きづらいって感覚よりは、それが残念ながら当たり前の毎日だから、
常にここでの正解は何だろうとか、ここで私はどっちのAかBかの、どっちにどう入ればいいんだろうみたいな、すごくそういうのを勝手に心の中でざわざわしながら、誤魔化す術が笑顔でしかなくて、
だから笑顔でハキハキすることとか、なんだろう、そういう諸星術っていうんですかね、そういうのをしてるがゆえに明るそうだし、このざわめきみたいなものは誰にも言わないままこうきてしまうし、で、何の変哲もないように見えて大きくなってきていたんだけど、
でもやっぱり誰とも違うなっていうのはどんどんやっぱり膨らんでいって、結局ちょっと大人になっていったっていう感じで、だから本当に小さい頃のこととかって、振り返ることがここ数年で多くなったり、振り返られるようになったりしてきたんですけど、
あーこの時の自分抱きしめてあげたいな、あーこの時自分こんなに無自覚だったけど、こんなに震えてたんだなとか、そういう今NOWの笑みは過去の自分のこう震え回収じゃないけど、何がつらかった、あーそう思ってたかっていうのをちょっと今言ってるようなところで、まさにこの3番の3の目のことをやってる最中なんですけど、
でもそんな中、今の笑みがたどり着いたのはやっぱりさっきヤスくんが言ってた、自分大切にしようよとか、あとはユキエさん言ってた、いろんなことあったけど、その上で大丈夫だよっていう言葉、私も自分自身にかけたいなーってすごく最近思って、もう気づけばかける状態をしてるし、
あとはジェンダーのことを踏まえて私が言うのなら、本当にまあ等身大って言葉まさにそうなんですけど、本当そのままの自分で大丈夫だよって、そのままで大丈夫って言いたい、それがどうしても発することができなかった、勇気が出なかった環境はどうしても学校ごととかにもあったけど、
私もそれを最近思えるようになったのは、等身大の自分でいて、いられる仲間とか、なんならカミングアウトって言葉最近はあるけど、私はLGBTQのうちのノンバイナリーとエックスジェンダーですって、そういうのをちょっと知った上で、ちょっと勇気を持って言ってみるっていうことをしたときに、