1. もっとPRの話をしよう。聴く「PR TALK」by talentbook
  2. #2 PRの仕事の魅力は、終わり..
2022-02-25 53:53

#2 PRの仕事の魅力は、終わりがないこと。─ ゲスト:ゆめみ広報・福太郎さん

本日いっしょにPRの話をするゲストは、DXの内製化支援サービスを提供する株式会社ゆめみの広報としてコーポレートPR&採用マーケティングを兼任されている福太郎さん。2社のPR会社で10年間コンサルタントとしてクライアントワークをしたのち、2021年にゆめみへとジョイン。元ビジュアル系ロックバンドボーカリスト、元ギャル男、日本初のメンズ美容家などさまざまな肩書きを持つ福太郎さんの魅力に迫るべく、たっぷりとお話をお伺いしました。

  1. 福太郎さんってどんなひと?(~)
  2. PR業界に足を踏み入れたきっかけ(〜)
  3. 日本におけるPRの父、井之上PR会長からの教え(〜)
  4. なぜゆめみにジョインしたのか(〜)
  5. パブリック・リレーションズの価値を高める仲間づくりをしたい(〜)
  6. ゆめンバー募集してるのでしくよろギュンギュン!(〜)
00:01
もっとPRの話をしよう。聴くPR TALK
はい、みなさんこんにちは。聴くPR TALK始まりました。パーソナリティの久保圭太と申します。そして
─ APR Tableの大堀光です。よろしくお願いします。
はい、お願いいたします。この番組はですね、APR Tableで働く我々2人がテーブルを囲み、PRを実践する様々なゲストを呼びして、もっとPRの話をしようという趣旨の番組でございます。
広報PR支援サービス、タレントブックの上でお送りいたします。
はい、ということで広さん、本日はいよいよゲストに来ていただきました。
はい、記念すべき来年度。
前回ちょっと2人で色々と雑談しましたけども、本来はね、ゲストを呼んで色々PRの話をしようと言ったんですので、今日はですね、ちょっと楽しみにしていたんですけれども、もう呼んでしまってよろしいですか?
呼んじゃいましょう。
はい、ではですね、本日一緒にPRの話をしていただけるゲストの方は、2社のPR会社で10年間コンサルタントとしてクラウドワークをした後に、現在はですね、デジタル領域の内製化支援サービスを提供する株式会社ゆめみの広報として、コーポレットPR&採用マーケティングを経営されている福太郎さんでございます。
福太郎さんは元ビジュアル系ロックバンドボーカリスト、元ギャル王、日本初のメンズビアウォーカーなどですね、様々な肩書きを持っておりますので、今日はたっぷりとお話をお伺いしたいと思います。それでは福太郎さん、本日はよろしくお願いいたします。
こんにちは、どうも。
はい、こんにちは。
福太郎です。
こんにちは。
早速もうちょっとプロフィールが渋滞しておりますけれども、こんにちはということで。
よろしくお願いします。
記念すべき第1回目ということらしいんですけれども、その1回目のゲスト、私でいいんですかっていうそこが不安です。
はい、もうですね、たくさん話したいと思ってずっと、甲さんとも話してたんですけども、ちょっとこの機会にぜひお呼びして、いろいろ話を伺おうということで、第1回呼ばせていただきました。ありがとうございます。
ありがとうございます。もう大好きな甲さんと久保さんとこの番組でご一緒できるなんて嬉しいシチュエーション。なんかもう心も体もギュンギュンしちゃってますね。
ギュンっていう言葉がね、毎回福太郎さんの口癖というか合言葉みたいな感じじゃないですか。
そうですね、社内だともっとギュン多用していて、結構ギュンの出現率がやばいんですが、皆さんとのコミュニケーションは若干抑えて、あのぐらいの登場頻度って感じですね。すいません、いつも。
今日はもう福太郎さんの仕事の話もそうですし、福太郎さん自身の魅力を引き出せるような回にしたいなと思って。
03:02
どうぞ出してください。
ありがとうございます。めっちゃ大事にして、今日はやってまいりました。
ありがとうございます。じゃあですね、まずちょっと聞いている方々のためにも、まずちょっと福太郎さんもう一回どんな方なのかというところで、ちょっと簡単な経歴も踏まえて改めて自己紹介をお願いできますでしょうか。
わかりました。
瀬野福太郎と言います。呼び名はファーストネームの福太郎そのまま、もしくはいつの日からかギュンギュンが口癖になっていまして、ニックネームとしてもギュンギュンとかギュンとかって呼ばれたりしているので、福太郎もしくはギュンギュンというふうに呼んでいただければ嬉しいです。
余談になるんですけれども、1957年創業の福太郎の創業者がおじいちゃんという噂がたまにあるんですが、信じるか信じないかはあなた次第です。
気になる。
先ほど冒頭でご紹介いただいたとおり、直近10年ぐらいPR会社でクライアントワークどっぷりやっていたんですけれども、2021年8月にDXの内製化支援を手掛ける創業22年目となる新生ベンチャー株式会社ユメミの広報として、コーポレートPRだったり採用マーケティングを兼任しているということで、
日々を送っています。
ユメミという会社は一部の方はどこかで聞いたことがあるかもしれないんですが、例えば全員CEOとか有給取り放題、給与自己決定、勉強し放題などですね、結構独特のキャッチーな制度がたくさんありまして、
その背景にはいたずら心あふれる創業者の存在というのがあるんですけれども、一般的な常識とか慣習に囚われている我々を嘲笑うかのような経営スタイルですね、これを貫いているという、
社内ではレイッチというニックネームで呼ばれるんですけれども、創業者の存在というのが非常に特徴なのかなという会社ですね。
自称宇宙人というふうに名乗っていてですね、いろいろな意味で浮世離れした代表がいるという会社です。
もともとその創業者のレイッチこと片岡代表とはですね、大学時代からの友人関係でして、いつか何かの形で一緒にやれたらいいよねなんて話をしていて、
昨年本当に夢見にジョインするということになったっていうそういう流れの中でですね、日々一生懸命泳いでいるPRパーソンの一人福太郎です。皆さんぜひお見知りおきください。
はい、ありがとうございます。
福太郎さん、僕自身は本当に夢見さんのつながりで初めてお会いはしたんですけど、コウさんはあれですか、もともと違うところで一度お会いしてるんですよね。
06:06
そうなんですよ。PRの会社の人たちの集まりみたいなのがあって、それが結構前かな、3、4年前、もっと前かもしれないですけどにあって、
福太郎さん、いのえPRの人でいらっしゃって、その時から強烈に記憶されてまして、結構いのえPRの方々とも面識があったりして、
新生のいのえPRでしっかりPR筋肉をつけた福太郎さんが転職されるっていうのをフェイスブックとかでも見て、うちのお客さんの夢見さんに行くっていうのがかなり僕の中では衝撃でしたね。
福太郎さんこう見えてギュンギュン言ってますけど、めちゃくちゃ広報PRの基礎がある方なので、
いのえPRさんですもんね。
大注目PRパーソンとして僕はウォッチしてます。
いやー、もったいないお言葉と同時に背筋が伸びますっていうのと、めっちゃプレッシャーが高まる。ありがとうございます。
おっしゃる通り、いのえPRですね。知る人ぞ知る。日本におけるPRの父とも呼ばれるですね。
井上隆会長が創業してもう50年以上やってるPR会社。会長も77歳だけどバキバキの現役っていうですね、パワフルな環境にいました。
いのえPR自体はですね、今甲さんも言ってくれたみたいにパブリックリレーションズをアカデミックに追求するっていう姿勢がものすごく特徴的でして、
井上会長自身も和世田とか兄弟とかその他、大学でパブリックリレーションズの教団に立つ、教鞭を取るっていうですね、日本で初めてPRでプロフェッサーになった人っていうですね、海外でも有名なドクター井上って呼ばれるらしくて、
そんな会長の下でみっちりとですね、パブリックリレーションズの真髄を巻き込まれた、学ばせてもらったっていう漠然があることは否めません。
そこが非常に面白いなと思って、ギャップがすごいですよね、それまでのキャリアの中のすごくいろんなキャリアも歩んでますし、多分そういった普段のコミュニケーションスタイルとまたキャリアとのギャップもあってめちゃくちゃ面白いなと思ってまして、
まさにこの番組だったりとか、このメディアもいろんなPRパーソンとか企業に見てもらったりしたいなと思ってまして、キャリアっていう軸でも多分おそらく非常に参考になる考え方があるんじゃないかなと思いましたし、さっきおっしゃってたようにゆめみさんのユニークな制度とかカルチャー、このあたりもぜひですね、視聴者のアクションのきっかけにつながるんじゃないかなと思って今回お伺いさせてもらいました。
09:13
ありがとうございます。大変光栄です。
ありがとうございます。
じゃあそうですね、今キャリアの話ちょっとありましたけど、もともととはいえ、いろんなこと、PR業界に入る前にもいろんなキャリアが生まれてたと思うんですけど、そもそも何だろう、PR業界に足を踏み入れたきっかけと言いますか、そういったところまでの経緯だったり背景ってどんなものだったんですか。
そうですね、約10年ほど前なんですが、もともとそれまではですね、どっちかというと広告業界出身だったんですね、私自身は。
ネット広告の業界で5年ほどやった後に、実は独立した時期がありました。独立起業した時期があって、1年間フリーランス、その後映像制作の会社を立ち上げて4年ぐらいやって、リーマンショックのタイミングでクローズするっていうですね、ちょっとそういう経験をしたっていう背景がありました。
その後、ちょっと並行してですね、日本人初のメンズ美容家っていうことで、タレント的な活動をしている時期がありまして、その活動をしている中でですね、時々PRイベントの登壇者としてキャスティングをしてもらったりっていう機会があったんですね。
その時に間に入ってくれてたっていうか、仕事をご依頼を頂戴していたっていう言い方がいいんでしょうかね。
ベクトルグループ、仕事をもらっていた時期がありまして、そのベクトルグループと連動しているPR会社の社長さんが、一人会社なんだけど、アシスタントを募集するっていうことになり、私がそこに立候補したっていうですね、ちょうどその時、仕事と仕事の狭間っていうか、
ふんわりしていた時期だったので、なんか自分のキャリアっていうこと、そこまで実は深く考えていたわけではなかったんですけど、そういう人のご縁と経緯とタイミングとっていうのが合致して、PR業界に足を踏み入れることになったっていうのが、きっかけといえばきっかけでしたですね。
どうでした?最初やってみて。
いやー、結構カルチャーショックの連続でしたね。
12:03
なんか旗から見てると華やかな業界、仕事っていうイメージが私あったんですよね。
芸能系のイベントとかっていう場面ばっかり見てたっていうことだったので、なんか自分自身にも脚光が当たる場面とかあるのかなとかって思ってたりしたんですけど、
実態としては全くそんなことなくて、もう完全にクロックを裏方に徹するというようなことがほとんどでした。
すごい印象的だったのが、最初は駆け出しの頃ですね、もうテレビプロモーターとしてですね、複数のクライアントのファクトブックを紙袋に詰め込んで、
テレビ局から出てこないみたいな、今日は日テレ、明日は富士とかそんな感じですね。
各局を駆けずり回るっていうところからスタートしたっていうのがあったんで、PRの仕事、しんどって思いましたね、最初。
香ばしいですね。共同創業者の僕の弟のカイもテレビプロモーターやってたんで、紙袋抱えて出てこないっていうね。
そういうもんなんですね。
そうなんですよね。
ありますよね。よくエレベーターとか局内の廊下とかで、よくすれ違う人と同じ顔ぶれ、だいたい同じような境遇なんだろうなこの人みたいな、お互いに。
そういう出会いなんかもあって、何人かPRというかプロモーターつながりの友人ができたりしたり、
例えばテレ朝とかだったら、プライムで一律一位とかになった週だと、社職が無料解放されたりするんですよ。
そのタイミングとかにうまくはまると、私も便乗して一職分浮いたり、ラッキーとかそういう場面なんかもあったんで、
仕事をしつつも、社会勉強、社会経験をさせてもらって、今まで見たことのない世界、業界の中をちょっと垣間見るとかっていう場面なんかはすごくやってて、面白みを感じた部分なんかはありましたね。
でもそれまで、それこそご自身でそういうタレント活動とかもやられながら、むしろ出る側だったわけじゃないですか。
でもPRの仕事をしてみると、黒子の仕事がすごく多いっていうところで、全然真逆をやってるような感覚だったんですかね、そこって。
まさにおっしゃる通りですね、真逆でしたね。
それでも何か続けてこれたのって何だったんですか。
何なんでしょうね、不思議ですね。こんなラッキーっぽい私が10年間もPRの仕事を継続できてるっていう。
15:01
何があったんでしょうかねっていうところで考えてみると、一つには、もちろん1社目と2社目の井上PR。
全然PRに対する考え方とかアプローチの違いっていうのもあって、
PRという一括りに言ったとしても、すごく立ち位置とか取り組み方によって全く表情が変わるものだなっていうのも感じたっていうのがありますかね。
例えば、さっき言ったようなテレビプロモートっていう動きとプレスリリースを書く、出すっていう動きと、記者会見とかプレスイベント、イベントを行いますだったり、
もしくはもうちょっと経営に寄り添ってPRドリブンな経営戦略っていうところにコンサルテーションに入りますとか、
そういう上流下流っていう言い方がいいのかわかんないですけど、いろんな表情があるっていう、いろんな側面があるっていうところだったり、
特に井上PR時代にめちゃくちゃ実感したんですけど、すごいなって純粋に思えたんですけど、
業界で50年以上キャリアがある創業者の会長とか、社長なんかもですね、まだまだ学ぶことがある、こういうことがあって本当に勉強になるよねっていう報道だったりとか、
動きとか、あと最新のケーススタディとかいうことに対する向き合い方っていうのが向上心が半端ないなっていうふうに思う場面すごくたくさんあって、
いくらキャリア、スキル、キャリア、経験積んだとしても、やっぱり完成だったり終わりがないっていうですね、
突き詰めるといくらでも学ぶことができるっていう、そういうところっていうのはやっぱりパブリックリレーションズの深みだったり魅力の一つなんじゃないかなっていうのは、
自分の実体験を通じて感じるところではありますね。
素敵ですね。野村会長がもうそういう、社長ご自身でもどんどんまだまだ学べるっていう姿勢を持って動かれてたのが、すごく刺激を受けたというか、そこで学んだってことですね。
そうですね、そこまでキャリアと実績があって、それでもやっぱり、最新の取り組みとか事例とかっていうところ、すごいアンテナ張ってるし、社内の
案件の中身とかですね、こういう取り組みをやって、こういう施策を打って、こういう成果が出ましたと、こういう反応がありましたよとかっていう話、めちゃくちゃ聞かれたりするんですよね。
なんかもう、わしはもうベテランなので、カリスマなので、もう完成しておるのじゃとかっていう、そういう姿勢ではないっていうところがすごくやっぱり刺激と勇気をたくさんもらいましたね。
18:15
井上先生が2018年に絵本を出されたっていうのは、衝撃的すぎて、
ついにそこまでPRを昇華させてしまったのかっていうですね。
ちょうどその時、タレントブックでも井上先生のストーリーを全編中編後編から見て、
絵本作ってんだよって言ってて、絵本の世界まで行くという、パブリックリレーションズの子供にもね、学んでもらうみたいなところまで行くというのがびっくりしましたね。
結構当時社内では結構ざわついたっていう。
どれか。
絵本出すPRの幼児教育っていうざわつきがありましたね。
めちゃくちゃいいですよ。ちょうどPRテーブルに転職して最初にオフィスのテーブルの上にちょっと本が飾ってあるんですけど、そこに絵本が置いてあって。
それをまず最初に読みましたね。入社して。
でも当時ざわつきはもちろん起こったんですけど、理由を聞くと、なるほどなと一定の納得感があって。
やっぱり今、事業としてパブリックリレーションズのコンサルテーションっていうのを会社でやってると。
20歳前後の大学生に教えてるということをやってて、PR人材をしっかりと育成するっていうのがすごくミッションとして明確でお持ちで。
今日の話の趣旨からもしかしたら脱線するかもしれないんですけど、井上会長の考え方ですね。
PR人材をしっかりと育成するんだ。日本はまだまだ遅れているというふうに、すごい危機感課題意識を持っていらっしゃって。
ちょっと余談なんですけど、PRのコンサルタントって業務ごとに役割分担をしないんですよ。
例えば大手のPR会社とかだと、テレビプロモートばっかりしますとか、メディアリレーションばっかりしますとか、クライアント対応ばっかり担当しますよとか。
そういう分業していくっていうやり方のスタイルもあるんですけど、PRはもう一人のコンサルタントが全部やるっていうですね、全方向的にやると。
おそらく必ずしもそれがいいわけじゃないっていうのはみんなわかってはいるんですけど、ただ何かに偏っているじゃなくて、
21:04
全体的にPRのコンサルタントとして活躍できる人材を育てたいっていう思いがすごく強いということで、
あえてそういうスタイルを取ってるっていう話を聞いたときに、なるほどなーっていうふうに私すごい思えたっていうのと、
大学生でパブリックリレーションズを教えていても、本当の理解だったりとか実装っていうところでいくと、それでももう遅いって感じたらしくて。
幼い頃からパブリックリレーションズという概念をインストールするっていうことが、この国を救うっていうところについたらしいんですよね。
ジェダイじゃないですか、スターウォーズの。スターウォーズのジェダイよりはもう5歳を超えちゃうとジェダイになれないんですよね。
いやーまさにね。子供のうちからそれをやっとかないとPRパートになれないみたいな。
そこに行き着いちゃったっていうことが。ようだね。
さらに余談ついてるのが、パブリックリレーションズの定義ですね。
井上会長が書籍にも書いたりするんですけど、3つキーワードがあって、倫理観、双方向性コミュニケーション、
そして自己修正。この3つっていうのがパブリックリレーションズを定義付ける要素だっていうふうに言っていて、
その中の自己修正って言葉は私すごい、最初聞いた時からすごい気に入っていてとか好きで、
ポジティブかつフレキシブルなニュアンスがすごく含まれてるなっていう。
イケてる経営者とかリーダーって朝礼誤解を厭わないとかってそういう話、たまに聞いたりもするんですけど、
いい意味でですね、世の中の情勢だったりとか、もしくは自分自身の在り方、もしくは目の前のクライアント、
いろいろな要素要因っていうところで、現状に執着せず縛られず柔軟にその瞬間その瞬間の最善のチョイスをしていくっていう、
なんかそういう在り方っていうかアキチュードっていうのはすごくパブリックリレーションズの真髄の一端を
なんか象徴するキーワードだなっていうふうに思っていて、自分自身の人としての在り方っていう面でもすごく
刺激というか指針となっていますね、今でも個人的にも。
確かにもうこの言葉って経営みたいなもんですよね、この3つって大事なことって。
そうですよね、会社経営と通じる部分でたくさんあるっていうよりももはや経営そのものだっていうふうにも思いますね。
24:09
なんか顔に似合わない話をしちゃってすいません。
こういう話をしようっていうラジオなんで。
コウさんからは本当によくこの話とかしてますよね、自己修正の話もよくコウさんから聞いたことがありましたし。
僕の言ってること大体もう井上先生のそのまま言ってるだけで。
そうですよね、影響を受けてます。
なので、こういう本的な話ってねなかなかやっぱりできないんで。
じゃあそっか井上PR、1社目2社目でも結構カルチャーショックというか違いはありました?
全然違いましたね。
そのPRパーソンあるあるかもですけど、言葉の使い方一つ、やはりものすごく徹底しているんですね。
例えば?
例えばですね、入社して私結構無意識に使っててめちゃくちゃ怒られたんですけど。
メディアアタックしますねって言ったんですよ。
これめちゃくちゃ怒られました。
正しくは何ですか?
正しくはメディアアプローチしますとか、メディアに打ち込みますとか、サウンディングしますとか、そういう表現が推奨されていて。
要は営業活動であれば焼き畑農業的にアタックして、ダメだったら次っていう風にやっていけばいいけれども、
メディアリレーションズとかパブリックリレーションズって、やっぱり良好な関係構築、かつそれがサステナブルなものになければならないっていうのが本当に考え方としてあるので、
いわゆるメディア関係者とか記者との関係性が壊れるとか悪化するっていうのは、PR会社、PRパーソンとして使命的だっていう考え方がものすごい徹底されてましたね。
これはカルチャーショックっていうか、特に深く考えてなく言葉使ってたんで、言葉の使い方一つでやっぱり動き方とか意味合いとか、
やっぱりヒーテは怒られた通り、確かに関係性、関係の質っていうのが変わってきうるなっていうふうに納得はできたので、自分の中では消化できたんですけど、
なんでそんなことでこんな怒られるんやろうってすごい最初はビビりました。
大事ですよね。言語がある意味思考とか行動を支配していくってなると、アタックってなってるとそういう行動になっちゃうからってことなんだよね。
そうですよね。多分思考が行動に結びついて、それが結果が変わってくるっていうのはあるんやろうなぁとは思いますね。
27:01
あとはパブリック中黒リレーションズだよとか、
メディア、中黒リレーションズだよ、ズがいるよとか、
メディアリレーションっていうことが業界でもやっぱり多かったりするんですけど、そこはアカデミックに言うと違うとかですね、
そういう言葉使い方一つとってもっていうので、結構徹底的に絞かれたというか、学ばせていただきましたね。
あとね、今ちょっと話しながら思い出しちゃったんですけど、すごく印象的だった教えの一つが、
これもPRパーソンあるある、たまにあるあるかもしれないですけど、
例えばクライアントとメディアの間で挟まれてめちゃくちゃトラブった場合。
はい、よくありますよね。
はい、ありますよね。クライアントめっちゃ切れてますみたいな。
メディアも全然取り尽くし間がないとかっていう時に、どう意思決定するかっていうのはめちゃくちゃクリアって、
クライアントかメディアかどっちかを取らなあかん状況に陥った場合、迷わずクライアントを切れっていうスタンスなんですよ。
そこはめちゃくちゃ明快で、マジですか、それ年間数千万の予算を取ってもらってんのにですかって言ったら、そうだって言うんですよ。
なんでかって聞くと、PRパーソンとってメディアとの関係性っていうのが、
仕入れ元っていうか、関係性あって初めて自らの価値を提供できる、価値を発揮できるんだっていうのがめちゃくちゃ根底にあって、
メディアとは関係性が壊れるともう二度と修復はできないと考えろっていうふうに言われていて、
一方クライアントは浮き沈み、業界とかトレンドとかによっても浮き沈みあるんで、
クライアントの代わりは言うなればいくらでもあるっていう、だけどメディアとか記者の代わりはいないと、
一度関係が壊れたらもうそのラインが切れてしまうということは、
その分自分のPRパーソンとしてのバリューがどんどんめべりしていってるってことだからなっていう、
そういう考え方が根底にあって、意思決定はそのようにせよっていうのもなかなか衝撃的でしたね。
自分たちの提供価値の資産、アセットの関係性をファーストに考えると、
そこまでも教えてもらわなかったですわ。
すごい、やっぱり。
そうですね、なので実際私も遭遇したんですけど、
そんなメディアとの間に挟まれて揉めたとかも含まないをひっくるめて、
思想、哲学、取り組み方、捉え方とかっていうところがマッチしないクライアント、
30:06
中にはどうしても出てきちゃう場面もあったんですけど、
定調に取引をお断りとか終了の申し入れをこちらからするという場面も何度か遭遇しましたね。
そういう判断基準というか、それが明確になって浸透させてるっていうのはすごいですね。
今もこうやって語れるっていうのがことじゃないですか。
ちゃんと根付いてるのが。
そういった意味で本当に根付いてるなって今喋りながら自分で思いましたね。
そんな意識なかったのに今こんな風に流暢に語ることができているっていうのは、
染み込んでるんやなって思いました。
これ聞いたらNAPRちょっと修行したいという人増えそうです。
PRさんの。
そうですね、私も卒業した身ではあるんですけれども、
パブリックリレーションズの真髄をきちんと自分の中でインストールしたいっていう、
それでPRパーソンとしての基礎力を固めたいっていう人は、
井上PRと環境っていうのは厳しい面ももちろんありますけど、
すごく学べることたくさんあるので、検討の中に入れてみてもいいんじゃないかなって思います。
ですね、PRパーソンの筋力を鍛えたい、基礎力を鍛えたいという方はぜひ井上PRさんへ。
そんな福太郎さんが、その後にユメミさんと洋外社に行って、また個々のチャレンジをしようと決断したわけじゃないですか。
これは結構片岡さんとの関係性もあったと思うんですけど、どういう心境の変化というか、思いがあったんですか。
そうですね、
2つ要因があったかなというふうに思っているんですけど、
1つは、やっぱりPRパーソンとして、完成形をもし目指すのであれば、
エージェンシーという立場から見える景色とか詰める経験というのと、
やっぱりその事業の現場で自分が当事者となって見る景色っていうのは、きっと違うんだろうなっていうのは、
ずっと思っていたというか、思いが募っていたっていうのがあって、ある程度自分が、
エージェンシーという立場でのできることとか、見える景色っていう経験をさせてもらえたなっていう、すごくありがたい話なんですけど、
もちろんさっき言ったみたいに、突き詰めて極めたとかって、そういう意味ではないんですけど、
33:03
一通りの一面の経験をさせてもらえたっていう、
そういう思いが強まってきてたっていうのがやっぱりありましたですかね。
それに加えて、夢見片岡代表との関係性があって、
ちょうど夢見が、ずっと夢見と関わりは持っていて、外部の人間としてパートナーとして仕事を一部手伝ったりとかする場面、
私、自分で会社やってた時、オフィスを夢見の中に曲がりしてたんですよ、最初。
そうなんですね。
そういう形でお世話にもなっていて、その代わり、身代金じゃないですけど、夢見の仕事を手伝うっていう条件でとかね、そういう時期もあったりして、
どういうメンバーがいて、どういう会社でどんなことをしてるって知ってたし、夢見が今250人ぐらいなんですね、社員数が。
これを専任体制に持っていくという方針が明確に決まり、もう社内外にアナウンスをして、
ここから第三創業期を迎えるにあたってPR強化したいんだよっていう結構ワクワクする話をですね、そういう思いが募っていたタイミングでもらったというのが重なって、
今までの井上PRでの仕事もすごい充実してましたし、すごく関係性も良好だったクライアントとか社内メンバーも含めてすごく居心地も良かったんですが、自分の年齢ですね、今年実は私45歳になるんですよ。
近づいてきてると。
今皆さん画面見えてないと思うんですけど、本当に美肌研究家なので、僕らも色々気を付けなきゃなって。
もったいないありがたい言葉なんかもいただきながらですからね、そういう自分の年齢というところも掛け合わせると、こうして必要としてお声掛けをいただくという機会もこの先何度あるのか、いやもう1回でもあるのかどうかっていうところもやっぱり思うところもありましたね。
そういうところで、自分の中で後ろ髪を惹かれながらもチャレンジしてみよう、してみたいという気持ちになったっていう、そんな経緯だったですね。
満を持してという感じですよね。ずっとだってお付き合いしてきたので、そこを予想してたわけではなかったでしょうけど、タイミングがあったところでしょうかね。
そうですね。少なくとも自分の中では具体的なシナリオはなかったですね。
振り返ってみると、片岡代表の陰謀にハマってたんじゃないかと思われる話が実はあって、
36:07
私がですね、夢見に入るちょうど1年ぐらい、さらに遡って1年ぐらい前から、
夢見のいろんな制度だったりとか取り組みっていうのを紹介するYouTubeの番組始めようと思ってんだよねっていう話で、
今YouTubeとかYouTuberとかすごい注目高まってるし、いいと思う、やりなよみたいな話してたんですけど、
話が続いて、一緒に出てほしいんだよね、誘われたんですよね。
それで私は、夢見の中の人じゃない立場で客観的に聞き手として、
2人でワイガヤでフリートークするっていうことで、付き合うぐらいならいいよーっていう軽い気持ちで、
その番組に出演をし始めたんですよ。
今ググっていただくと夢トークっていうチャンネルがあるんですけど、
そこで私出てたんですね、出始めたんですよね。
その中でやっぱりいろんな夢見の制度、その設計にあたっての背景にあった考え方とか、
実情とかっていう話なんかを、毎週毎週収録のたびに聞かされるわけですよね、必然的に。
そうした積み重ねによって、いつの間にか夢見のに染められていた。
毎週いつか詳しくなりますもんね。
めちゃくちゃ詳しくなってきて、夢見っていう環境、なんかエキサイティングで魅力的っていう、
自分の中で言語化しないまでも、そういう地道な刷り込み効果が、意思決定に影響があったんだろうなっていう気は振り返るとしてまして、
これも含めてデザインされていたものではないかという疑惑を私の中では思ってますね。
あり得ますよね。
そういった意味では天才的な経営者ではないかなというふうに、よくも悪くも思いますね。
先日ちょうどメディア人さんのイベント、日本ドミニにあるイベントで。
お世話になりまして、ありがとうございました。
素晴らしいファシリテーションで、みんな魅力を引き出していただいて感謝しています。
ありがとうございます。お話しさせてもらって、初めてずっとそれこそ、
ノートとか夢トークもちょっと拝見させてもらってたんですけど、
初めて直接お会いして、考え方をさらに深く深くきしれて、
あれは確かに毎週聞いてたら、この会社の魅力に取り憑かれるじゃないけど、
39:00
一緒に働きたくなるなって思いました。
魅力的な方でした、すごく。
そうなんですよね。友人として私が言うのも何なんですけど、
その代表の片岡、また何か人たらしっていうかね、
キャラクターが、喋り声のトーンとかいうのが絶妙なんですよね。
そうですね。
バランスなんですよ。うまく言えないんですけど、何かいいんですよね。
それは確かに否めないですね。
まだ夢トークはありますもんね。ちょっとこちら概要欄というか。
そうですね。夢トークコンテンツは残っています。
ありがとうございます。
もしかしたら必然だったかもしれないし、
でもタイミングがあって入社されたというところですよね。
そうですね。
これもしかしたら20年をかけて片岡のデザインだったっていう可能性もあり得ると、
私は勝手に深読みしてますけどね。
福田さん、今、夢見さんではどんなミッションを背負ってやられてるんですか?
動きというか。
今、夢見ではですね、コーポレートPRと採用マーケティングという2つの領域、
一応責任者という形になってまして、夢見という会社をですね、
もっと知ってもらうそういった機会をどんどん増やしていくというところと、
やっぱり250人から1000人の体制にこれから急拡大していくにあたって、
フィットする人ですね、人材に来てもらうっていう、
そういうところを今、ミッションとしては、
抱えているという状態ですね。
じゃあ、ご自身でこういう場だったりもそうだし、
いろんな機会を作っていって、ある意味会社、コーポレートのプランティングをしていくっていうミッションってことですよね。
そうですね、もう自分自身の存在というか、人生全てを投入して、
夢見を愛される存在に進めるというか、
自分自身の存在というか、人生全てを投入して、夢見を愛される存在にするっていうですね、そういう機会で今やってまして、
例えば夢見入ってから新しくですね、生でやっていたアカウントはもう放置して、
夢見広報福太郎としてのツイッターアカウントを新しく立ち上げ直して、今それを育てていたりとか。
新しく立ち上げ直したんですね。
そうなんですよ。
なんかですね、今までの投稿内容となんかちょっとフィットせえへんなって自分で感じ始めたんで、それ別に強要されたとかなって自分の判断ではあるんですけど、
そこも二本を押してですね、夢見広報福太郎元ギャル王っていうですね、アカウント。
42:01
みんなフォローしてください。
概要欄からどうぞっていう。
だったりもノートなんかも結構自己回避して、
本心の記事を打ち込んだりとかですね、なんかそういうことをやり始めていて、
あとちょっと最後告知でお伝えしようかなと思ってたんですけど、
実はですね、夢見もやっぱりこれから組織急拡大していくにあたって、
今の時点でも割とその組織のサイロ化が始まっているっていうか、
エンジニアがやっぱり8割ぐらい比率高いんですけど、
エンジニアチームの中でも、もうあの人誰とかっていうですね、
チームの人数が多すぎてちょっと連携がうまく測れないような場面なんかも観測され始めてるっていうこともあり、
やっぱりその全社的なインナーコミュニケーションの活性化、
強化っていうところってやっぱりすごく重要だよねっていうことで、
実は夢見としては意外にも初めて社内法メディアを立ち上げようっていうことに、
このタイミングでなってですね、今ちょっとそれも私が推進していて、
その一歩目として帰ってきた夢トークってことですね、
YouTube番組をこれから始める予定としています。
社内向けYouTube番組ってことですか?
社内向けですね。対象はもちろん社内向けではあるんですけど、
夢見って徹底した透明性ということをすごく重視、
標榜していまして、その社内のあらゆるルールとかガイドラインとか、
中には給与レンジとかですね、そこまで全部外部公開しているんですね。
っていうマインドがあるので、もちろんそういった社内向けの情報、
今回の夢トークなんかももちろん外部公開をして、
誰からでもご覧いただけるようにする前提なので、
すべてオープンで発信していく予定です。
ぜひみなさん、くれぐれも恥ずかしいので見ないでください。
めちゃくちゃ見たくなりました。
エンジャパンのしみ姉さんとかいい名前ですよね。
そうですね、エンジャパンのしみ姉さん、私大ファンなんですよ。
上々企業の、
大ファンですよね。
大ファンですよね。
大企業のエンジャパンさんがね、
公認コンテンツとして、
単なる芸能人しみ姉のあのタレント性、
前回のYouTubeチャンネルを良しとしているっていう、
社長も登場して、一緒にあの世界観、あのノリをやっているっていうね、
あれは私めちゃくちゃ衝撃と、あと勇気をすごくもらえましたね。
夢見、まだまだ守っている場合じゃないなって、
そういう意識になることができて、
45:03
すごい私大好きで、めちゃくちゃウォッチしてますね。
福太郎さんなら絶対もうあそこ目指せるし、あそこ超えられると思うので、
有名になってくださいね。
楽しみですね。
しみ姉に憧れを持ちつつですね、私も、
どういう発信の仕方がいいのかっていうのも、もちろん今模索、
これからすることになるなというふうに思っているので、
もしかしたらね、なんかギュンギュンとか一切言わないキャラが
ないかもしれないですよね。
ギュンギュン封印したんですよ、みたいなのを1年後に言っているかもしれませんが、
また定期的にそのあたりはご報告をしていきますので、
生温かく応援してください。
全力で応援させてもらいます。
【佐藤】ありがとうございます。
まじめな話からこれからの話まで、いろんなことを話せなかったなと思うんですけど、
お時間もまだまだ足りないんですが、
どうですか、今30分と話しましたかね。
そろそろ名残惜しいんですが、
お時間となってきましたので、締めに移りたいなと思っております。
福田さん、聞きたいことが聞けました?
【福田】聞きました。
もっとあるんですけど、
福太郎さんのやるパーソンとしての体感、体感の強さというのを
ちょっと今日垣間見る話できたんじゃないかなと思って、
満足しています。
【佐藤】ありがとうございます。
福太郎さん、これからPRについての本質的な話をしていただきましたけど、
PRパーソンとしての目標とか挑戦したいこととかありますか。
【福太郎】そうですね。
やっぱり自分自身が
パブリックリレーションズに
人生を変えてもらった、
もっと言うと救ってもらったという、
そういったすごく大きな恩があるなというふうに自分の中では思っているので、
PR業界全体が盛り上がるようなことに
貢献できたらいいなというふうには漠然と思っていて、
なんとなく私の主観なので、
実態は違うようだったら全然ごめんなさいなんですけど、
PRパーソンとか広報領域に関わる人の
社会的地位というかビジネスポジションというか、
自分自身がどういうふうに
社会的地位というかビジネスポジションというのが
日本国内だとあまり高くないんじゃないかなって思うんですよね。
例えば経営トップなんかも
営業畑、研究畑上がりの社長さんとか結構多く見受けるんですけど、
48:01
広報畑出身で社長になりましたっていう、
そういうトップってあんまり見ない聞かないなというふうに思っていて、
一陣にはすごくPRパーソンってすごく真面目で、
自らの役割をきちんと果たす、
そういう真面目なタイプの人が多い、
いい意味でバランスよくまとまっている人が多いんじゃないかなっていうふうに見えていて、
もっとアグレッシブにせめて存在感をぎゅんぎゅん発揮するみたいな、
そういうPRパーソンのあり方っていうのを、
私自身も含めてですけど、
全体で高めていければいいんじゃないかなっていうふうに思っています。
そのために仲間作りというか、
上下左右ですね、いろんな人、PRパーソンとのつながり、
絆を深め広げていくっていう、
そういうことっていうのはまず目の前として自分がやっていきたいな、
やっていくべきだなっていうふうに思っていますかね。
めちゃくちゃ共感できるところが多いですね。
さっき裏方だったり黒コンに感じたともおっしゃってましたけど、
これまでって割とそういう役割が多かったと思うんで、
結果的になかなかビジネスの中で上に上がっていくことも少なかったのかなとか、
日本だとなかなかそういうのもないのかなと思ったんですけど、
そこがもっと存在感出していって、PRにもっと可能性あるんだよっていうのを伝えていきたいって思いで、
僕もPRテープに入社したので、すごくそこに向かってきました。
構造的な要因もあると思うんですけどね。
できて当たり前、やって当然っていうか、
取材機会を作るとか、取材に対応しますとか、
年間でいくつ記事が出ましたとか、いくつインタビュー設定しました、
プレスリリース出しましたとかっていうのって、実態が見えないんですよね、外から。
それが社内でも見えないぐらいだなっていうのを耳に入って感じていて、
懇親の記事出ましたって言って、スラッグで社内全員が見るチャンネルでアナウンスしても、
スタンプが良かったねみたいな3つついておしまいとか、
PR会社時代だったらめちゃくちゃ賞賛されてる、褒められてるはずなのに、
ほとんど無風みたいな、そういう場面、切ない場面なんかもあったりしたんですけど、
やっぱり外から見ると何やってるかよくわからない、見えないんだろうなっていう気もしつつ、
いざ炎上とか危機管理対応とかが発生したら、それを収めて当然、
より炎上がひどくなったら何やってんだよっていう、原点法で評価されるような、
そういう属性、触手っていう面もあるかもしれないですね。
51:04
仕方ないとしても、それもひっくるめてPRパーソンの地位向上っていうのを、
もっと認めてもらえるような、そういう発信をしていきたいなっていうのは、
今話しながら自分の中でもそういう気持ちが改めて確認できたっていう感じですね。
応援します。
なので、コウさんと久保さんと協力連携することは必須なので、
ぜひともよろしくお願いします。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
最後何か告知事項、あと大丈夫ですか?
最後の告知としては、私もともとビジュアル系バンド、
バンド活動、音楽活動とかやってた枠もあるんですけど、
90年代にバンドやろうぜっていう雑誌があって、
そこの名物コーナーでメンバー募集するメンボっていうコーナーがあって、
そこでハガキでベーシスト募集、兵庫県とかそういうような投稿コーナーがあったんですよね。
そこでメンボっていうコーナーがあったなって今思ってたんですけど、
先ほど言ったように、夢見は今250人から1000人体制に組織を急拡大していくっていうフェーズにあります。
それにあたって、夢見を今絶賛募集しているっていう状況なので、
是非、メンボならぬ夢見ということで、まずはカジュアル面談からでも全然OKなので、
是非是非夢見っていう会社について関心を持っていただきまして、
カジュアル面談も私のようなどこの馬の骨じゃなくて、
ちゃんとしたメンバーをすぐおつなぎしますので、
是非ともお気軽に夢見カジュアル面談にご連絡いただければ大変嬉しいです。
茶飲み話とかランチがてらっていう軽いノリで構いませんので、
是非是非夢見に興味を持っていただきたいなというふうに思ってます。
よろしくお願いします。ぎゅんぎゅん。
ありがとうございました。
めちゃくちゃ興味持った方多いと思います。
ぜひPR業界の話からPRの、井上ピアザの話から夢見さんの話まで色々と聞かせていただきました。
本日改めまして双葉さんありがとうございました。
ありがとうございました。
どうもありがとうございました。楽しかったです。
ありがとうございました。
さようなり。
53:53

コメント

スクロール