今週の振り返りと思索
こんばんは、はせる準備室です。
2025W26、収録は7月3日、時刻は20時54分。
この週は、金曜日が……金曜日に有休を取得していて、
キッザニアに、夕方からキッザニアに行くと。
土曜日、日曜日は、一日休んだからということで、
2日間とも、エクストラのお仕事を入れていて、
土曜日は、神奈川の生麦駅に初めて行ったのと、
日曜日は、何度か入っている市川塩浜の現場に行くと。
1日休んだときに、週2日、体力的な仕事を入れるのがどうかなと思ったんですけど、
意外といけた。疲れはしたけど、意外といけた。
この週、考えていたこと。
上半期が終わる、週の区切りということで、
今年のテーマでもある、「歩くこと」についても考えようかなと思っています。
ポッドキャストの収録を始めて、本当に毎週よく歩くようになっていて、
平日仕事に行くときは、だいたい4,000から5,000歩しか歩いていなかったのが、
ポッドキャストの収録と考えを巡らせるためには、余分に1日歩くこともあって、
そういった日がだいたい7、8000歩くらいか。
まあ、歩数でいうとそのくらいで、
どう歩いているかというと、仕事が終わった後、
だいたい収録に関連するところだと、上野駅で降りて、上野公園を通って、
収録が足りなければ、寛永寺墓地を通って、
御隠殿坂まで歩いて、自宅方面へ向かうと。
冬はほとんど人がいないんですけど、暖かくなると犬の散歩とか、
そうじゃなくても普通にブラブラしている人とすれ違う。
単に散歩でもあり、健康のためでもあるんですけど、
大抵歩行、歩くことって目的地へ向かう手段でしかない場合のことが、ほとんどじゃないですか。
私の歩くことには、考えを巡らせることとか、整理することとか、
ポッドキャストを収録することとか、目的が乗っかっていて、
これはレベッカ・ソルニットの『ウォークス』にもあったことなんですけど、
単に駅に向かう人が歩いていることは、生理的な面では一緒だけど、
哲学的な面では違うと。
歩くことに乗せられる意味とか、日常における精神性みたいなところ。
単純な歩くことという行為の中に、どういった意味とか、
意味とか期待するものが生み出されるのか、そういうところですかねー……
歩きながら目に見えること
そういうところで自宅の近くに来ましたよと。
気温でいうとそんなに暑くはないんですけど、
やっぱり歩いていると背中にじっとりと汗をかく感覚がありますね。
途中通った墓地の中でも何人かと通り過ぎ……すれ違ったりして、
私は今話している目的があるけれど、墓地を通るのが地下にしたのかなと考えられる。
道を歩いていて見つけたヤモリだとか、
干からびたミミズとか、でかいムカデでもいた。
転んでどこかに顔をぶつけて介抱してもらっているおじいさんもいたし、
これは今日じゃないけど、今週ということで。
今週はこんなところでしょうかね。
ありがとうございました。