友人との楽しい時間
こんにちは、ポイエティークラウドです。私は、柿内正午です。
柿内さんです。
どうぞ、よろしくお願いします。
やっぱり、喋っている時の歯形が小さいのは、やっぱり声が小さいのかな?
どうだろう?
ね。
やっぱり、ちょっと大きくなった。
そう、やっぱりだから、ちょっと歯形を大きくすることを気にしながら喋ればいいのかな?
ちょっと遠い?
遠い?ちょっと近づける?
これでどうだ?
どう?やっぱり大きいんじゃない?
じゃあ、これでいいか。
じゃあ、一旦これでやってみましょう。
ということで、改めまして、ポイエティークラジオです。
お相手は、私、柿内正午と、
奥さんです。やらなかった。
あれ?ここまでやってから喋った?この歯形の話。もう分からなくなっちゃった。
じゃあ、改めてね。よろしくお願いします。
ということで、前回さ、先週ね、これまでずっと月曜日中の配信になっちゃってたから、
それを改めようと思って、土曜日に録音したんだよ。
でも、大丈夫だって思って安心してたらさ、そのまま。
配信するの忘れたんだよね。
配信するの忘れて。
撮ったのにね。
なんなら火曜日になっちゃったっていう。
はい。もうだめだ。
動揺の歌詞みたいな感じになってましたけど。
今日は日曜日に撮って、このままね、忘れずに配信をできたらなという風に。
忘れないぞ。
忘れないぞという風に思ってます。
前回のなんかさ、遅れた上にさ、2時間近くあるからさ、誰も聞いてくれないんじゃない?
誰が聞くんだろうね。
うすいますみを好きな人はみんな聞いてほしい。
そうだね、本来はね。
あ、訂正があります。
はい、どうぞ。
前回の録音の中でイタルが言ったという発言は、せがくんにはひそかが言ってました。
ああ。やっぱりね、イタルはそんなこと言わないよな。
イタルは他人に踏み込めないからそこまで言えないと思う。
ということで、間違いもいろいろあると。
このポッドキャスト初のさ、雑談オブザデッドっていう本がさ、
この前まで福岡のパルコで売ってたんだけど、
雑談オブザデッドが売れた気配を感じ取るたびに、
強調者の涼太さんが、僕がリトルモンスターズについて、
書いての発言を間違ってますっていうのを定期的に注意喚起しててね、
非常に誠実なタイトルだなと思いつつ、
おしゃべりに間違いはつきものやろっていう気持ちもね、
あったりしつつっていう感じですけれども、そんな感じです。
という形でやっておりますけれども、
今日はお家にね、それこそ今名前を出しした涼太さんが、
涼太さんも遊びに来てくださってね、
涼太さんと働き者ラジオのお二人、
工藤文子さんと山本ポテトさんが家に遊びに来てくださって、
素敵な手土産も、見栄えの良いフルーツポンチとね、
なんか風味のただ物ではない風味の栗岡をいただきまして、
見せびらかして、おしゃべりして、やんややんやと楽しく過ごしましたけれども、
楽しかったですね。
いつかのライフの収録の時に、多分僕がそのお家をついに引っ越すんだみたいな話をね、
工藤さんとして、
まあ工藤さんがしたいですみたいなことを言ってくださったから、
じゃあぜひぜひって言って、一人を決めてね、今日。
直前になって結構僕はふとね、分かんなくなったんだよね。
なんかその友達がお家に来るみたいなの、
小学校中学生の時さ、
人の家に行くのも好きだったんだけど、
まあだいたいスマブラかさ、
ドラクエモンスターズのテリノワンダーランドの二択だった。
あとはスラダン読むとかさ、
大人になってからね、
友達がお家に来た時何して遊ぶのかしらっていうのが、
急に分かんなくなって、
なんかお作法とかあるのかな、急に不安になって、
自由でしたね。
うん、よくしゃべる。
よくしゃべって、おしゃべりを楽しくしてね、
楽しく過ごせましたよ、という感じでね、
ありましたわよ。
家のパーティーの意味
よかったですね。
よかったですね。
はい。
今週はだから、またね、平日にもね、
お友達が遊びに来てくれて、
その後はね、目的があったというか、
明確だったというかね、この前のA3。
私に監禁されて、A3をひたすら見せられるっていう。
この前のね、4Seasons LIVEのね、
配信映像を見に来るっていう。
5時間。
5時間?でも何回は5時間見た?
見てたね、ほぼ5時間くらい見てた。
みたいなことをしたからね、だったんですけど。
やっぱりね、いいですね、人が来るっていうのはね。
人が来ると家が片付く。
ね。
やっぱり、いいなって思いました。
で、やっぱりなんか、人に来てもらいたいね。
なんか、来てくれるんだみたいな。
そう、なんかそう、ちょっとね、遠いからさ。
でもなんか来てくれるの嬉しいなって思って。
この嬉しいなっていうのの気持ちとしてね。
なんかまあさ、借金背負ってさ、
買ってさ、見せびらかしたいみたいなフェーズは、
4ヶ月ぐらい経ってんのかな?
4ヶ月経ったね。
うん、なんか過ぎてるんだよね。
自分の両親とかに見せてさ、
まあこんな感じですわって言ってる時点でさ、
割と見せびらかしたい欲はさ、
満たされてるところがあって、
今日あなただって来る前にさ、
もう私は家の案内するの。
あ、来た!みたいなこと言ってたじゃん。
うん。
でなんか、それはそうって思ったの。
うん。
だからなんか別に、なんていうの、
見てもらって、すごいこう褒めてもらうのは嬉しいし楽しいんだけど、
なんかもうそれが主目的じゃなくなってきたなって思ったの。
うん、てか私はアトラクションのお姉さんはできないなっていう感じ。
そうだね、それもあるね。
僕は結構それはそれで好きだから、
アトラクションのお兄さんはそれはそれで楽しいんだけど、
なんかやっぱりさ、なんか普通にただおしゃべりしてるのをやってると、
おしゃべりしてるとか、なんか舞台の映像、
ペンライト振りながら一緒に見てるとかしてると、
なんかいいなっていう気持ちになったねっていうのが結構嬉しかった。
うん。
やっぱりなんか素朴に、
人の家に遊びに行くとか、
人の家に遊びに来てもらうのって楽しいなって思ったよ。
うん。
っていうことかな。
人の家に遊びに行くことはあるけど、
人を呼ぶことがさ、前の家しか住んでなかったからさ、あんまり。
ね、まあ前はね結構やってたけどね。
うん、そうそう。
でもなんか私たち主導っていうよりは、
もう一人のね、住んでた人がね、好きだった。
共通の知り合いが結構多かったからっていう。
のもあるし。
のもあるし。
ご飯作るのが好きな人がいたからね、パーティーすると。
だから胃袋、たくさん胃袋集めてやる料理が好きっていう人がいると大義名分もあるんだけど。
あるよね。
パーティーメシはまたやりたいな。
うん。
飯作るからさらに何か持ち寄ったりしながらおいでやすみたいなのはね、いいなって思ったよ。
なんか気づいたらそのさ、外で用事をさ、見つけてさ、そこでなんか遊ぶとかさ、
そういうことに、何かいつの間にかなってたなというか、
友達とは外で会うものみたいな思い込みがいつの間にか自分の中で強固になってたんだなって。
なんかあ、そっか別に、いいんだって思った。
パーティースキルを磨きたいですね。
パーティースキルを磨いて繰り広げる。
所有と招待の新たな認識
オーガナイゾー。
チャラ箱としてこの家を。
やめなさい。
いやでもなんかその、真面目な話をするとね、
僕この家をさ、買ってからさ、ずっとなんか調子悪いじゃない?
うん。
なんかこのさ、ポテキャストのさ、なんかあんまり精細を書くというか愚痴っぽいみたいなところがある。
今日来てくれたりょうさんとはさ、先週も中華街行ったんだけどさ、中華街で手相見てもらったらさ、
あなたの手相が薄くて、なんかぼんやり生きてるんだよって言われたときに何も言い返せなかったんだよ。
うん。
なんかぼんやりしてるな今っていう気持ちがあったの。
うん。
なんかでも急に関連的な話になりますが。
うん。ぼんやりしてるからね。
うん。
なんか取り違えてたなって思った。
所有という概念を。
うん。
僕は。
うん。
なんかね、囲い込むもの?
うん。
囲ったものは自分が所有してるものだから、自分で独り占めするものみたいな価値観にいつの間にか染まっちまってたんだなって思った。
うん。
なんかさ、それこそあなたがさ、配信のチケットさ、めちゃくちゃ高い。結構高いよね。
まあまあまあ。
のさ、例えばね。
うん。
まああれとかだ。6ステージまとめて買うと。
6本セットで2万2千円でした。
2万2千円でしょ?
でも別にこれは金額のことが言いたいとかではなくて、でも2万2千円払ったっていう時に、だからその分元取んなきゃって思って、あなたがずっと2万2千分だと思う回数さ、ずっと繰り返し見続けるみたいな発想があるじゃん、一つ。
そういう発想で捉えてたところがあった。
でも例えばあなたはさ、そこでさ、2万2千分買った時にさ、その友達にさ、5時間拘束してさ、見せつけるために家に呼びつけてさ、一緒に見ましょうってするわけじゃん。
でもそれはさ、まあ一面においてはさ、すごいさ、押し付け的なさ、物ではあるかもしれないけど、でも普通にさ、押す分け精神なわけじゃん。
うん。
で、別にそこでさ、なんか5時間分見たんだからさ、
うん。
なんか1ステップにはなってんだからさ、いくらだろうみたいなことさ、言わないわけじゃん、普通に。
うん。
だからそれと同じことだなというか。
うん。
なんかその、実はこれは別に、買うにせよ賃貸って実はあんま変わんなくてさ、別に賃貸の頃から人呼んで楽しかった。
し、基本的になんか呼んでた時の方が調子が良かった。
うん。
で、それは明確に、それが2020年の緊急事態宣言ぐらいから、ちょっとなんか人とそうやって呼んで、そこでやるのってどうだろうみたいになってから、
ポッドキャストも始めてるじゃん。
うん。
で、このポッドキャスト始めてるんだから、要するにそのなんかここに人を呼び込みたいから始めてるわけだよね。
うん。
でもなんかやっぱりね、その2020年の時点で一回育えたことによって、なんかやっぱり自分のマインドがすごい閉じてってたなって。
まあよくおいしょって感じはするよね。
そうそう、だからなんかその家に人呼ぶのとかも、なんかよくわかんなくなってた。
うんうんうん。
なんか結構今週まで。
はいはい。
だからなんか買ったものを見せびらかすために呼ぶのか?みたいなご発想?
これが俺のもんだみたいなのを、
どやどや。
じゃいやみたいにどやどやって見せるみたいな感じ悪い儀式だと思ってた人を呼ぶことが。
はいはい。
っていうなんかその思い込み、すり込みになってたんだけど、そうじゃなくて、なんか場所があるとそこに人を呼べるっていう話だっていう、
うんうんうん。
めっちゃ当たり前のことに、なんかね、好き者が落ちた感じがあって。
うん。
でなんかというのもやっぱりなんかルームツアーだけしてさ、
てかまぁなんていうの、やっぱりその親戚とかさ、家族だとさ、まぁこんな感じなんすわって言ってさ、
まぁそこでじゃん。
だけどそうじゃなくてその後だらだら過ごす時間とかなんか一緒になんか見る時間がある、
うんうん。
みたいなのってさ、結構なんか、なんだろ、ほんとただ純粋に一緒にいることが目的になる時間になるじゃん。
うんうん。
ホストとしての楽しみ
家が目的じゃなくてね。
あ、そうそうそうそう。だから家はその、いる装置だから、別にそこ、
うん。
だから家が主語になるんじゃなくて、家は場所なんだよな、みたいなことをね。
多分あなた昔はすごい場所を所有したいっていう、
あ、ででででそうそう、で僕はずっと場所を所有したくて、今日もりょうさんに言われたんだけど、
はじめは自分一人だと家なんか手に入らないから、
その人でもうまとめて共同で購入して、でけえ家をなんかスペースとして運営していくみたいなのがいいんじゃないかみたいなことで
サジンを作ったじゃない。
うん。
でもなんかだからなんか、だからなんかやっぱりそれに対する後ろめださもあるっちゃあるよね。
それを封印したってこと?
それ、封印したっていうわけじゃないけど、結局なんか2人で、
うん。
なんか場所を作ってしまったねみたいな感じはあって、
なんかそれに対しての過去の自分への顔向けできなさみたいなのとかもあったし、
あとそもそもなんかやっぱりね2020年以降ね、僕は非常に内向きになった。
うん。
だからなんかその、外にウェルカム感がね減ってるみたいな。
それはそう。
そう、みたいなのも含めなんかちょっとね調子が悪かったのはそこだなって思ったの。
なんか、呼べばいいんだって。
呼べばいいし行けばいいんだっていうことを久しぶりに思い出した。
やっぱりこれは普通にやっぱりなんかチンタイのマンションのさ、
一室でさ、みんなでギュギュワイワイパーティーするのはさ、楽しかった。
うん。
けど、まだちょっとさそれのさパーソナルスペースがさ広くなってるから今。
うん。
なんかもうちょっとゆとりのあるスペースでそれが今やれるじゃんっていうことに
なんか改めて気づいたというか、なんかうまく伝わってるかわからないんだけど、
何が言いたいかっていうと、半分こした方がご飯は美味しいっていう話?
うん。
なんだよね。
うん。
言いたいこととしては。
うん。
なんかそういう感じを思ったよ。
うん。
まぁあの、配信とかご飯と違って家はさ、むしろ来てくれる人たちが小税払って来てくれるからさ、
うん。
むしろなんかこっちが削れるものがあるようなないような感じはするんだけど、
でもなんかそういうことを思ってね。
うん。
なんかちょっとやっぱり外の人が来て家って楽しくなるなって。
人とのつながり
うん。
だよ。
それはそう。
そうなんか実家もそうだったしね、祖父母の家もそう。
特に父方の祖父母の家はね、割とそのこう人がね来るのが割と好きな家だったから。
うん。
でなんか多分その基礎を受け継いでるんだよね。
なんか僕好きな話としてさ、そのおじさんがね、
うん。
なんか学生の頃さ、東京に住んでてさ、
まぁ本当に四畳半とか六畳間とかまぁそんぐらいのアパートに住んでたんだけどさ、
とにかく友達みんなを呼ぶんだよ。
でなんか友達が多いおじさんだったから、
全国なんか自転車に回ってたの。
だから日本中から友達が集まってるの。
で一時なんか12人ぐらいの人がその四畳半に集まって、
みんな多いって言ってギュギュズメになって遊んでたみたいな話をしててね。
その人口密度でどうやって遊ぶのかよくわからない。
入りきれるのかわからないんだけど。
でもなんか要するにそういうさ、気質の人。
それで言うと僕は学生時代ね、演劇やってたんですけど、
東京で演劇やってたんだけど地元の名古屋にね、
あの、あの、でお芝居させてもらえる機会があってさ、
そこに座組の役者の子たち10人ぐらい連れてさ、
みんなで実家に、実家のリビングに座コネしてさ、
芝居やってた時があってさ、
それが結構自分の中ですごい楽しい。
いやなんかすっごいもうあれに関わった子たちはみんなすごい青春の1ページとして語ってるよね。
そうそう。でもなんかやっぱりそれもさ、
なんか普通にうちに、うちのリビングに足の踏み場もないぐらい人が寝てる。
でなんか起きてみんなで一緒に朝、
なんかテーブルだけじゃ足りないからさ、床にローテーブルも出して、
みんなで朝ご飯食べて、みたいな。
でもあの、靴脱ぎ版に靴がぎゅぎゅでみたいな。
なんか割とその騒がしさがね、好きなんだよなっていう風に。
なのを、なんかすごい今、なんか久しぶりにこの今週、
なんか一週間にさ、二回もさお友達をお迎えするっていうのをしたことによって、
なんかすごいしみじみと思い出して、
なんか、なんだろ、お迎えしたいんだなって思った。
でなんか、結構真面目に今すごい僕はめきめき回復してる感があるの。
で、めきめき回復してる、てかめきめき回復していった結果わかったこととして、
あのね、僕は一回このポッドキャストで、
3、4週前ぐらいにりょうたさんのせいに全部したの。
年末にりょうたさんと飲んでカラオケ行ったときに、
あなたはもう素人、街で一番の素人とか名乗ってちゃいけないと。
あなたはもうレベル1のクロートとして自覚を持ってやっていきなさい。
もしくは新しく自分がもう一回素人から始められる何か新しいこと始めなさいって言われて、
すごいなんかクロートとしてちゃんとしなきゃみたいなことで。
前半しか聞いてなかった。
ずっとプレッシャーを感じていた。
で、このプレッシャーのせいで僕は今も楽しくなくなっちゃって、
それはだからりょうたさんのせいだっていうことを言ってたの。
だけど多分違った。
自分が調子悪かった一番の理由は、
素人、クロートとかっていう話じゃなくて、
お迎えされる側だったずっと。
ゲストだったずっと。
ホストになってなかったんだなって思ったの。
だからこの1年で文化系トークラジオライフに出たりとか、
週刊読書人で文芸辞書やったりとかっていう、
肩柄見たら迫がつく行為で、
僕も多少見栄え心で、
出ちゃったてめーみたいな。
てかなんかすごい本物みたい。
本物みたいって言うと変だな。
本物のラジオだ。
だからあれだよ。
新日本プロレスの試合中継の後に、
ミラノさんと解説の人と、
ゲストで来てるヒロムちゃんとかが、
解説席で喋ってるときに、
その解説席の真後ろの観客席に、
わざわざその席に座ってたわけじゃなさそうな、
おじさんとかがわざわざカメラの前に来て、
タオルとか見せてくるやつあるじゃん。
ああいうの?
ああいうテンション?
ってなんかワッて言うのはあったんだけど、
それはそれ楽しいと思ってたの。
それが楽しいからその反動で、
具合悪いのかもって思ってたの。
でも多分違う。
なんかそうやってお呼ばれするばっかりの状態。
具合悪くなるんだと思う。僕はね。
そうだね。
友達の家に遊びに行ってばっかりだったの。
友達が家に遊びに呼んでなかったんだなって思った。
これは途中からヒューじゃなくて、
マジでそのままの意味になるんだけど。
そうだね。
でも要するにそういうことだったんじゃないかって思ったんだよ。
それこそさ、元の話というかさ、
シェアハウスをね、やりたいっていう話をしてるときに、
それだけ今もうすでにあるシェアハウスに入った方が簡単なわけじゃん。
でもそれは意地でもしたくなかったっていうのがあって、
もう俺がホストじゃないと嫌なんだっていう。
僕の遊び場に人が来るのは嫌だけど、
人の遊び場に人の作ったルールを気にしながらいても楽しくないっていう。
っていうことは、それはあなたのルールには楽しく聞き入れてくれる人を探すしか実現方法がないねっていうので、
その陣でさ、一冊書いてたわけじゃん。
自分のね、気質として人が用意してくれた遊び場で遊ぶ才能実はあんまりない。
だから自分で遊ぶ才能あんまりないというか、
自分が用意した遊び場で人が遊んでるのを見るのが好き。
だから自分が何か遊び場で楽しく遊ぶことにそんなに楽しく。
てかあれだよね、結構さ、サービス精神でさ、
あ、楽しんでるよみたいな、
すごいなんかあなたの用意したルールで、
僕はこんな風に工夫をしてるから、
それを見て、楽しんでくれてるんだなって安心してねみたいな方に気を遣うじゃん、あなた。
楽しめないんだよ。
絶対さ、キャバコラとかホストとか行ってもさ、
気使ってさ、楽しんでるよアピールするから絶対楽しくないっていう。
誰よりも楽しんでる風はできるかもしれないけどっていう。
そういう感じなの。
なんかまたどんどん脱線するけど今日は、
あなたと一緒にさ、
特にVKのライブとかに行くとさ、
結構音楽は普通に自分で楽しみたいんだけど、
周りが割とさ、手振りとか決まってるじゃん。
それに合わせない。
合わせないんだったらなんかちょっと静かに見てないと邪魔なのかなみたいなことで考えていると、
なんかあんまり楽しくない。
だから全然違う、俺のバイブスで乗っていい場所でもないなっていう感じだからね。
その苦手さはなんかまさに、
人のルールの中で遊ぶのが苦手感がある。
あとさっきの演劇の話にするなら、
僕は演出をやってたの。
役者はもうポンコツすぎた。
全然パッとしない。
役者が全然ポンコツだった。
僕はなんかやっぱり、
演劇に関しても僕が何か舞台上で何かパフォーマンスするってことよりも、
僕が準備した構造の中で、
その舞台上で、
誰かが魅力的に見える状態を作る。
で、そこで何かやってることが楽しいなって思ってくれるのが一番いい。
っていうことに喜びを感じてたから。
あなたは役者としては、
演出の決めたものに対して、
なんか乗れなかったってことなの?
自分の気質の再発見
てかね、たぶんね、演出の意図を絶対視するあまり、
自分の創意工夫っていうものを、
なんかうまく発揮できない状態になっていくんだと思う。
さっきの手振りの話もそうで、
手振りがしないんだったら、
自分で勝手に楽しめばいいじゃんっていうほどの創意工夫もできずに、
ここは手振りをする場所。
僕は手振りはしたくない。
何もできない。みたいなところで止まっちゃう。
そう、みたいになっちゃうみたいなのと、
似たことがたぶん演劇でも起きてたなっていうふうに思って、
とにかくなんかやっぱり自分は、
誰かが楽しくできる場を用意することが一番楽しくて、
誰かが楽しんでほしいと思って用意した場で楽しむことに、
プレッシャーを感じちゃう。
なんか疲れちゃう。
まあ結構、
体力がいる。
多分そういう人も多いでしょ。
あなたもそうじゃん。どちらかというと。
私は多分どっちもそんなに得意じゃないかな。
でも僕がパーティーやりたいって、
そのパーティーの準備をするのとかは楽しいでしょ。
ああ、だからバーベキューでひたすら野菜切ってるのは割と得意だよ。
そう、みたいなさ。
そういう意味ではすごいずっとスタッフ気質ではあると思う。
みたいなことを久々に思い出したの。
これ結構自分の中では大発見というかさ、
だいぶ忘れてるね。
今あなたさ、僕がこういう話してるの久しぶりに聞くじゃん。
最近なんかずっとさ、
文、いわゆる文学、小説みたいなものを
飲んで読んでいる人たち、
もしくはそれを実際に書いている人たちに向けて、
どう読んで、何をどう書けばいいんだろうとかさ、
なんかそういうことばっかり考えていったわけだよね。
権力性とその影響
だから結構向いてないことしてたのかも。
いや、そうだと思う。
人の顔色を伺うにもレイヤーがあるんだよね。
ゲストとして呼ばれて、そこでプレイヤーとしてどういうことをやればいいですか?
っていう顔色の伺い方とさ、
特に場を作る側として、
周りの、そこにいる人たちの顔色を見るのとはさ、やっぱり違う。
やることが。
でも、そうだったんだって思ったよ。
だから辞書より編集の方が盛り付けたよね。
うん。
あの、ノルバーとか。
あ、そうだね。映画にノルバーのね、冊子を作って。
あれは楽しかった。
辛かったけどね、スケジュール的には。
でもだから、割とどっちもさ、辛かった。
ノルバーのあれは単発っちゃ単発だけど、
でも結構プロジェクトとしては長かったじゃん。
でも、全然ノルバーの編集の方が楽しんでは。
うん、あった。
そう、やっぱりね、そう。
なんかそういうのもさ、だんだん分かんなくなってきたの。
これいきなり嫌な話になるけどさ、
嫌な話というかなんていうのかな、
演劇においてはさ、僕らが卒業して演劇の実作から離れた後にさ、
少なからぬさ、大きな劇団がさ、
ハラスメントで問題がさ、顕在化していくみたいなこともあってさ、
なんかとにかくだからなんていうのかな、
その権力性みたいなことへの、
もちろんそれはずっと気をつけなきゃいけないところとしてあったでしょうっていう気持ちはありつつ、
でも本当にじゃあそこに油をかいてなかったかとかっていうのはさ、
自生していくわけだよね。
そうなってくるとさ、なんか僕としては、
そのホスト側とかなんか、
設ける側が好きだなーみたいなのっていうのがさ、
だんだんその人の上に立ちたい権力欲みたいなものと、
取り違えちゃうんじゃないかっていう怖さが自分の中に芽生えたんだよね、
どっかで。
ていうかね、あの、
若干危なかった時はあるよ。
そうそうそうそう。
そうなんだよ。
ていうのが。
というか、パーティーとして、
単発のものとして、
場をこう、
ハッピーにするのは好きかもしれないけど、
普通に生活の場として、
共同生活で、
空気を調整するっていうのが結構、
できなくなってた時期があって、
もう、
本から始まるとかでさ、
書いてるけど、
なんか、
マジなんだこのブスって私は思ってたし、
言ったし、
ていうか、それもあったから、
実際生活を共にするタイプの、
シェアハウスっていうのは、
もう無理だなって思った。
あなたができたとして、
それをやってるあなたを、
私はあんまり見たくないなって、
思ったから、
まあちょっともう、
2人の家にフォーカスしましょうっていうのは、
1個あったけど、
そうだね、
継続性みたいなところに関しては、
僕はあなたとの、
才能はあるけど、
複数人のところでの才能は怪しい。
パーティーの喜び
本当にだから1日だけとか、
200、300日とかの、
終わりが決まっているザグミ。
解散するやつ。
そう、解散するやつ。
夏グミなんだよだから。
終わりがある。
夏だけは終わりがある。
寂しいっていうことはなんか、
それだけ楽しい夏、
一夏だったってことじゃんみたいなやつが、
やりたいんだなって思った。
演劇と現実の再認識
うん。
で、なんていうの、
だからそのさ、
結構さ、
この、
本当に2020年から、
実質その後の2年くらいだったかもしれないけどさ、
その一夏的な企画がさ、
大きくやっぱりなんか、
今どれだけ、
それが元に戻ってきてる、
ように見えたとしても、
やっぱりなんかね、
自分の中での状態がね、
大きく変わっているなぁ、
って変わっていたなぁっていう。
あー、だからそれで言うとさ、
なんか、
今回のフォーライってさ、
あのエステの、
あの、
2回目なのフォーライとしてやるのは、
で、1回フォーライってやっていて、
アクトワンの終わりに、
で、その時はちょうど、
あの、
2020年だったから、
その直前の冬組単独公演は途中で、
宣言とかぶって中止になっていて、
で、まあ開けて、
フォーライはやっとギリギリできて、
まあそれは全公演できたけど、
まあみんなあの、
マウスガードつけて、
お客さんは声出しNGで、
っていう環境でフォーライをやって、
で、今回はやっと、
声出しOKのフォーライができる、
24人揃って、
監督も声を出せる状態でできるから、
すごい嬉しいっていうのさ、
まあもう始まる前から、
インタビューとかでみんなが言ってるのを、
まあ別に私はその時、
まあ配信では見てたけど、
まあ人事だな、みたいな気持ちがちょっと、
あったんだけど、
あのー、
現地のさ、イステメン、
私は一人で行ったじゃん、
なんか、なんか、
無関係じゃなかったなって思ったんだよね、
なんか、
まあ、演劇シリーズでライブ自体が、
初めてかな、
初めてで、
まあ割と否定派なんですよ、
うん、そうだね、
なんか別にお芝居見たいんだけどな、
みたいな気持ちはあるけど、
でもそもそも、
エステを見始めたのが自粛期間中に、
まあその家、劇場が空いてないから、
てか、なんだろ、
10年近く離れてる間に、
こんなに配信で見れるようになったんだな、
みたいなので、
まあ家でさ、
家での娯楽を増やすためにさ、
いろいろ配信サイト入ってたじゃん、
でその流れで、
見始めたうちの一つのシリーズだから、
まあ正直コロナきっかけで、
エステに入っているし、
なんかそこから、
実際現地行った時も、
嬉しかったし、
で、
なんか、
正直万全の態勢でさ、
できたわけじゃないのを見てはいたから、
なんか、
この私がズブズブにはまり、
そして声出しがOKになる世界まで、
なんかなんやかんや閉鎖してきたんだなって、
そうだね。
そうだから、
確かに私にとっても、
一つ終わったというか、
世界線が変わった、
変わるイベントなんだなっていうのを、
現地行って、
なんかやっと思ったというか、
そうなんだよ。
だからなんかさ、
今年は僕らプロレスにもハマってるけどさ、
プロレスの配信サイトで過去の赤色とか見れるからさ、
2020年、2021年あたりの見るともうつらくて、
つらい。
プロレスにおいて感性がないことってかなり、
致命的。
すごいつらい。
でさ、
で、なんか普通にそれより前から、
プロレス僕もし見てたとしたら、
このタイミングで絶対心が折れたなって思ったの。
だからなんか今この、
今年になってプロレスを知ってよかったなというか、
この前から知ってたらちょっと、
それはなんかもうプロレスが楽しくないとかじゃなくて、
なんか一つの愛する文化が失われて、
貴様を見なきゃいけないということがつらくて、
この世への絶望が深まるっていう意味で、
そこの転換期を知らなくてよかったなっていう、
気持ちがあるし、
でもそれとは別のレイヤーで、
その間を一緒に乗り越えたプロレスファンっていうのは、
今の状態に、
もう一塩の感動があるよなっていう、
その先輩方がね、いるおかげでね。
そうね、そうなんだよ。
そこは絶対にあるよね。
似た似たが存続してるっていう現実があるから。
っていうのをね、思ったりしてね。
なんかそのね、なんていうのかな、
思ったより食らってたんだなっていうか、
いろんなものにね。
でもだから私は番外としては完全にものに食らってる。
いや、そうそうそうだよね。
でもやっと払拭してきたかな。
そう、それとさ、
僕あの小さめのライブハウス、
久々に行ったんだよ。
メリーとメトのやつ。
あの時にさ、
前行った時ね、メトのライブに。
ライブハウスにさ、
一人ずつパーソナルスペースのテープでさ、
マスが書いてあったんだよ。
でなんか、それだと思って、
マスに一個入って大人しくそこで見てたら、
普通にここは通路だから、
ここに立っちゃダメばマークだった。
そういうことだったんだ。
すごいさ、ちょこっと収まっててさ、
そこは通路だから立ち止まりNGのばってんでしょみたいな。
元々、結構、そもそも前行って、
そもそも開いてなかったんだけど、
そこにいた時に、
まだこれがあるのかって思いながら、
そこにいたらあなたに転換の時に
そこだとダメって言われて、
あ、そうかほんとだ。
他の床は何も張ってないって思って、
それで結構自分の中で、
まだそのイメージを引きずってたんだなっていうのとかがあって、
面白かったんだよ。
普通に空気読めないやつに。
あってさ、
なんかいろいろ見失ってたものが多かったなって思った。
忘れない方がいいと思う部分もありつつ、
全然忘れてないところたくさんあるから、
そのトラウマ的な、
なんか擦り込まれちゃった。
この数年で、
いい感じに自覚して。
うん、そうだ。
世界観とか認識みたいなものの
法論のレベルで、
なんかね、
なんかいろいろ、
こう、
良くない意味で変更していられている時期を経て、
その時期に書けない称号が形成されてるんだよね。
やっかいなことにね。
だから、書けない称号としては、
今さ、話してた大学の頃の話とかさ、
親族割とみんな客人好きみたいな話とかっていうのをさ、
文脈としては共有してないんだよ、書けないくんは。
確かに。
結構その前の話をちゃんと思い出してあげることをしないと、
そのままずっと、
余儀なく変更させられて、
別にそっちはそんなに好きじゃないみたいな方向に、
どんどん成長していっちゃうなって。
確かに。
思ったんだよ。
2020年生まれだ。
そうって思ったんだよ。
だから結構これは本当に、
なんか、
全然違う話だなって思って。
あ、20年生まれじゃないの?
一応19年から始めてるけど、
でもその本に出てるのはさ、
20年だから、みたいなところがあってね。
で、なんかその、
やっぱりなんか19年の頃までの自分を、
なんかちゃんと思い出して、
そこから始めないといけないかもというか、
この4年間を、
この4年間のこの道筋を、
既定路線としてその先に積み重ねるみたいなことを考えるより、
1回4年前の時点から、
どこに行きたかったんだっけってことを考え直さないと、
なんかこの4年間の間に来た場所を、
なんか実は、
自分にとってそんなにこう、
好きで選んだことばっかりじゃないというか、
その中、制限されてる中で遊ぶっていうのが染み付いちゃってる感じがする。
自分としては、その時その時でやりたいことを好き勝手ヘラヘラ選んできたつもりだし、
出来事の振り返り
その自体は間違ってないはずなんだけど、
そのヘラヘラの量分がかなり縛められてたんじゃないかって思ってたんだよね。
今のプルースという生活を読み返したら面白いんだろうね。
いや、だから今ね、結構真面目な話でね、
今プルース読み返そうかなって。
だから来年出表終わったらプルース読もうかなって思ってる。
帰ってきたプルースという生活。
本にはもしないだろうけど。
っていうのをちょっと思っていてね、
あーそうだったかもって思ったんだよ。
っていうのが結構自分の中での最近の気づき。
で、この気づきはね、
もうちょっとここにいない人の話をしていい?
恥ずかしい話なんですけど。
あのね、だからそのさ、人によっていろいろあると思うんだよ。
僕って2020年の3月以前以後で、
残絶が僕の中に強くあるの。
だからそれより前に考えていた蓄積が、
一回なんかそことの連続性を自分の中でうまく、
今の自分と接続しきれないというか、
この4年間がすごい他人事のようにも見えるし、
逆にこの4年間から見たら、
それより前がずっと人事に見えている、
みたいな状態に今自分はあるんだなってことに気づいたんだけど、
これに気づいた時に思ったのは、
なんかさ、そこ以外にもいろいろあったわけじゃん。
なんかね、これは自分の反省というか、
なんか全然想像力が至ってなかった部分だなって思うのは、
大学1年生の3月が東日本大震災だったんだよ。
で、なんかそこでさ、結構さ、
僕はその頃から本読んでてさ、
明らかにトーンが変わるの。そこで。
以前以後みたいな言説が。
で、なんか僕それ、よくわかんなかった。
なんかそこで変えなきゃいけないっていう理由というか、
そこに明確に何か変わってしまったって思ってる人の感覚が、
正直あんまりわかんなかった。
なんかこういう感じがあって、
ようやくこの2020年、
それまでにもいろいろあったはずなんだけど、
なんかそこに至るまでで、
なんかようやく踏み落ちて、
今更すごいですね、その辺りの、
2011年辺りの言説を、
これも自評化を渡るようなことが多いんだけど、
来年ちょっと読み返したいなって思う部分があってね。
で、本来この2020年3月にあったのと同じぐらいのインパクトが、
2011年3月にもあったはずなのに、
僕はそこでその断絶を捉え損ねてたんだっていうことに気づいたところで、
なんか今ね、2つあんだよ。
これは更に個人的なことなんだけど、
2020年の時に何が一番喰らったかって、
20代最後の年だったんだよね。
で、こっから30代になるっていうタイミングと、
なんかもうここから全然全てが変わってしまうなっていう感覚とか、
重なったことによって非常に具合が悪くなったんだけど、
それで言ったらね、2011年3月のタイミング的には20代に差し掛かる、
10代最後のタイミングだったはずなんだよ。
違うか。もう20の初めか。
みたいなさ。
とにかく年齢との区切りで考えると、
いや、違うな。まだ19でしょ。
だってあの後の成人式でしょ。
だから20歳になってないよね。
っていうタイミングで、
実はタイミングの区切りとしてはだいたい一緒なわけだよ。
1年のズレはあるんですよ。
だから寄り添う。
なんでこの時だけ、4年前だけすごい動揺したんだろうなみたいなことにね、
すごいこう、最近思いを巡らしているんですよ。
個人的な影響
一律に生活が変わるのとね、
もし遠いことなわけじゃん、どうしたって。
物理的な被害が違うから。
だってそれで言ったら今だってのとはあるから。
それをどこまでを自分ごととするかはさ、
生活の余裕とかが結構直結すると思うし。
だからめちゃくちゃ素朴に言うと、
東日本大震災に関しては東京はどちらかというと外部でしょ。
自分ごととするにはみたいな違和感が当時からあった。
っていうのが一番大きい。
距離の問題で、
それで言ったら本当に今年の1月の元はなんだよって話になるわけで、
それは普通に素朴に距離の話として遠かった。
で今回は一律で全国的に全員が当事者になる時代だったっていうところで、
そこの質的な違いでしょっていうのはまず間違いなくある。
間違いなくある。
でもその、
今あなたは本の話としてしてるんじゃない?
本の上では物理的な距離はあるし無関係だから、
そこが変わるっていうのはそれはそうで、
でもその、
なんていうの、
情報戦って言ったらあれだけどさ、
そういうフィジカルじゃないものの話をしていることと、
自分の実体験としてのフィジカルの感覚がずれるっていうのはあることで、
でもそれをそこまで擦り合わせて読んでいくっていうのは多分、
今だからできそうなこと。
僕はそれを良いことだと思わないっていう話なんだよ。
演劇とかもさ、その頃めちゃくちゃとにかく東北震災の話を、
2011年からのさ、以降はさ、やってたじゃない?
僕あれがね、すごい気持ち悪かったの。
なんか語弊がある言い方をするならば。
なんかねその東京のちょっと距離のある安全圏から物を言える人たちが、
なんかちょうどよくシリアスな題材を、
その制作の取っ掛かりを見つけたみたいな、
アリバイ作りに見えてしまう部分があってね。
そんなことがないものも多いのは十分承知の上でね。
でなんかそこって、なんかすごいそこのオリエンスかなさに、
違和感があったからこそ、役に見れたの。そういう芝居は。
でちょっと距離を取って。
でその頃はその違和感がちょうど良かったんだなって思った。
でこの2020年以降の言説にはどっぷりハマって、
共鳴しちゃうわけ。自分事として。
それによってその自分の、その2020年以前の自分を、
すごい見失ったんだなって思った。
なんか自分がその共鳴しうる時代の中で、
その時代に応答している本を読みすぎると自分を見失うっていう話。
でこれは怖いなって思った。
社会的な文脈
そうだね。
そう、うまく伝わってるかわからないが、
本来距離を無化できるというところに特性があって、
遠くの困っていることに目を向けるためのツールとして、
文章というものは一つ機能し得る。
それは非常にその良い面としてあるっていう話がまずあって、
あるんだけど、そこでその遠さが無化されてしまう。
で自分もそこに近いとこにいるってなった時に、
それにこうあまり同化しすぎてしまうと、
なんか見失う。
普通に具合悪くなる。
そう、具合悪くなる。
あ、そう、具合悪くなるなって。
だから具合悪くなってたんだなって。
だからなんかその…
すっごい安直にさ、
まあ2011年だったらさ、
速報が鳴る演出。
そうだね。
コロナ以降だったら、
一回公演中止風の客電がつくみたいな演出。
どっちも最低だなってずっと思ってるけど、
なんかずっと最低だし、
なんか校舎に関しては普通に
天豪系のやつでやったところがあって、
なんかこの中で、
もう全然みんなまだマスクしてる中で、
なんか行っていいか分かんないけど、
楽しくなりたくて来てるのに、
何をしてくれてるの?っていう。
私はそういうの見に行ってないんだけど、
なんかすっごいムカついたなっていうのを思うし、
まあ別に、あの、演劇、何?
震災の時も、
もう結構人によってさ、
温度感違かったじゃん。
そうだね。
もう怖くて電車乗りたくないっていう人もいれば、
もう別に、なんか、
てかもう当日に作業再開しようとしたやつがいて、
一緒に作業してた子が、
なんか、いや、多分そういう状態じゃないよ、みたいな。
まず家帰るのか心配、
家帰れるのか心配した方がいいやつだと思うけど、みたいな。
とりあえず私は帰るから、みたいな。
あなた帰るったの?その日。
私なんか、
全然もう早々に諦めて、
近所住んでる人と泊まった。
だから、逆に全然混乱とかに巻き込まれなかったんだけど。
なるほどね。
家にいたんだよね、その日。
だからそれもあってさ、
よりその、
あんまりそこでの、
当日の距離感があんまりないんだよ。
でも私はもう大学の近くにいたから、
東北の出身の子も同期にいたし、
で、一方、全然実感湧いてないし、
超神経発炎を連発する子もいたから、
なんかもう、ここいたらしんどいなって。
多分帰ろうと思っても帰れなかったっぽいけど。
でもなんか、
それをね、すっごい薄めた話をすると、
いつだっけ、
25歳ぐらいかなの時に、
あなたとやりたいことみたいな話をしてて、
あなたは10年後ぐらいまで書き始めたの。
やりたいこと、勉強を。
だから何歳で韓国語の勉強をするみたいなのを書き始めて、
私にはそれを信じられなかったのよ。
そう、なんか、
自分の人生がこう、断絶せずに、
連続性のあるものだっていう発想が、
あんまりわかんなかったし、
なんか、
あ、なんかその、
当時、子供の話とかも、
もうなんかウニャウニャしてたけど、
あ、まあ関係ないもんね、みたいな。
フィジカル的に。
っていうので、なんか、
すっごい落ち込んだんだよね。
まあなんか当時たぶん、ぐちぐち言ったと思うから覚えてると思うけど、
で、そのコロナはさ、
もうみんながいちいちそういう気分になったわけじゃん。
そうだね。
で、かつそのリモートが増えて、
というかまあその出勤必須の仕事はさ、
もうそもそも業務ができなくなって、
なんか一人ぼっち。
そうだね。
家族がいてももうその、
さ、しゃべることもなくなっていくみたいな。
で、なんかもうこの孤独って要するに、
なんかずっと家で家事だけやってる専業主婦の孤独なんだよねって。
そうだね。
思うと、
だから私は、
10年間のやりたいことを書いたあなたに対して断絶を感じたし、
それの位置がスライドしたわけじゃん。
うん。
なんか、
うちの母は専業主婦だったけど、
専業主婦だけどなんかちょこちょこバイトしてて、
短髪の、
なんか、
なんでするんだろうなーって思ってたけど、
まあ面白そうだからっつってやってたんだけど、
いや、そうやらなかったら、
こうなる、こういう生活になるってことだもんねみたいな。
思い立ったっていう思い出しながら聞いてました。
うん。
でもそうなんだよね。
今僕は、今の話を聞きながら、
すごいその印象的に覚えてるなあなたの、
その体調とか、
それこそ言ってしまえば1ヶ月に1回人格が変わるぐらい。
まあ4回ぐらい人格。
特にね、重かったからね。
当時は結構、
今よりひどかったから、
そこで人格が変わるみたいな話をさ、
だからその連続性なんか信じられないって話は非常に印象的なんだけどさ。
しかもさ、あなたはさ、
思い出全然忘れていっちゃう。
そう、忘れていっちゃう。
なのになのに、
今の欲望の連続性っていうものを、
なんかその、
思い描けるっていうのが衝撃的だった。
いやでもね、今何が衝撃的かって、
もうそれが8年ぐらい前の話ってことだよね。
コロナ禍の影響と生活の変化
今あなたが話してるのを聞いてると。
で、今8年前って聞いて、
一瞬、なんか学生時代にあなたと話してた話かなあ、
とか思ってて聞いてて、
話の内容聞いてて、
あれそれも結婚してからだなって思ったら、
なんか、
なんかその時その何、10年のことなんかね、
考えられないっていう話をして、
確かそうなのかって思いながら、
ぼんやりと思ってた時期から、
もう8年とか経ってんだっていう、
ことの途方もなさに、
ちょっと今びっくりした。
すごいね、
もうそんなに一緒に暮らしてるんだね。
いやでもさ、すごいのはさ、
この、さっきのが25歳ぐらいだから8年じゃん。
そのうち4年間がさ、
アフターコロナだし、
なわけじゃん。
で、かつさ、
2人暮らししてたのさ、
2年ぐらいでしょ。
そうだね、2年ぐらいだね。
あとね、4人とか3人で暮らしてたからね。
だから2年2人暮らしして、
2年、
なんだ、
2年、3、4人暮らしして、
で、その後、
2年ぐらいコロナ禍で、
3人暮らしして、
3人暮らしして、みたいなさ、
感じじゃん。
そうだね。
3年間。
で、1年間2人暮らしして、
今じゃん。
なんかそういうのもあるからね。
めちゃめちゃなんだよね。
なんか、
振り返ってみると結構激動っちゃ激動なんだよね。
よくわかんないもん。
よくわかんない。
コロナ関係なく、
勝手になんかしちゃがめちゃがにしてるところもあるから。
今日もさ、来てくれてさ、
りょうたさんとかさ、
冗談めかしてさ、
この2階のさ、
空いてる部屋に
揃うかみたいな話をしてた時にさ、
普通に別に、
本当にそのノリで人、
住まわしてたっていうか、
一緒に住んでたからさ、
なんか、
まあそういうのもあるなって思いながら聞いちゃってた。
いや、だから、
なんかそれこそさ、
なんか、
本当は最初3人暮らしの予定がさ、
1人増えたじゃん。
そう、1人増えた。
私たち以外のもう1人が、
勝手に決まってね。
拾ってきちゃったっていうか、
もうなんか、
かなり人生のね、
いろいろイベントが重なって、
じゃあうち来る?ってもう、
言うしかないみたいな感じで、
まあ猫と違って、
家賃稼いできてくれるだけマシか?
みたいな感じでさ、
1人増えてるじゃん。
だからなんか、
まあ、
人は増えるよなっていうね。
人は増えるよなみたいな。
感じだよね。
うん。
猫はさ、
いろいろ緊張してさ、
申し込みとかさ、
どうしようどうしようって言ってるけどさ、
人はうっかり増えたことあるしなみたいな。
うん、そうそうそう。
猫より人の方が拾いやすいんだよな。
そんな。
っていうのとかね、
なんかそういうのをいろいろ考えて、
基本的に僕今のことしか考えてなくてさ、
過去のことどんどん忘れてっちゃうじゃん。
本当に何も覚えてないんだけどさ、
なんかここに来て、
なんか覚えてないっつっても覚えてるんだから、
思い出した方がいいなっていう気持ちになってきたよっていう。
ね。
あなたの場合は手がかりもたくさんあるわけだし。
そう、だからやっぱり苦しさを読む生活から、
日記を読み返して。
なんならその前から書いてた手書きの日記とかから読み返していけば、
いいのかもしれないね。
そしたら、
ところに日記ブームが来るんだろって納得するの。
納得するかも。
でもなんか最近日記にあんまり関心がない。
うん。
と思ってたけれども、
大事かもね。
日記。
今の自分じゃないからね。
日記書いといて喜ぶの。
てかね、明確にね、
2019年までの日記の書き方が変わっててさ、
その頃まで何考えてるかを重視して書いてた。
けど今の日記はちゃんとその日何があったか書いてるんだよ。
それを書いとかないと、
なんか足掛かりがなくなりそうだったからなんだよね。
だからやっぱり2020年以降、
その日記全とした日記が流行るのはわかる。
それを人に読ませてもそれかどうかまだよくわかんない。
っていう状態なんだけど、
ちょっとだからこそ、
ちょっとね、そろそろね、
もう一回ね、日記の書き方のね、
モデルチェンジというか巻き返しをしたほうがいい気がしてきてる。
迷走してたとは言わないけど、
なんかまっすぐ歩いてたら、
なんか知らん、
なんか来たくないとこ来てる感がある。
と思っていたのかもって思った。
全部が全部間違ってたとは思わないけどね。
私はリモートになって助かってるし。
あとまっすぐに今日ね、
お家に来てくれた。
それ以降のお友達だからさ。
書きないからのお友達だからさ。
とかさ、あるから。
全部が全部違ってたというわけではないけど、
でもなんかそこで考えていたことの、
再検討は結構ちゃんとしたほうがいいなっていう気持ちをね。
だってコロナなかったらエーステ見てなかったというか、
手振りでもなってなかっただろうからね。
そうそうそう、そうなんだよ。
割と人生の彩り。
でもさ、もうすでにさ、
最初のさ、動機はそこだったとしてもさ、
エーステに関してはもうすでにさ、
今のさ、あり方。
てかさ、なんていうの。
エーステとしての好きさになっているわけじゃない?
エーステに関しては雑着できてるんだよね、その。
ある程度。
でもやっぱり、
辛い時に会ったからっていう恩がある。
それはそうだね。
それはあるね。
てかなんかその劇場が閉まっている。
もういつ開くんだろうね。
開けられるのかねっていう時期に、
赤ドン調から始まるっていうことにすごい助けられたんだよね。
そうだね。
あとエーステはさ、演劇の話だからさ、
show must go onなわけじゃん。
もうこの言葉がさ、
あれほど切実に響く時期はなかったよね。
それはそう。
逆、出会い方は変えられないからね。
でもその時にさ、やっぱりさ、
最初の冬間の再演までの劇場っていうのはさ、
ひりついてたじゃん。
だから本当になんか、
食ったくなく楽しめるものではなかった。
てか私たちが行ったの、
トルライの春で幕が上がるまで本当になんか、
行っていいのかなっていうのがあって、
で、かつその幕が上がった時に、
それを解いてくれたっていう恩がめっちゃある。
そうそうそうそう。
で、なんかそこから明確にエーステは解いてくれたし、
そのまま解かれた上で、
今新しいね、関係をね、築けてる感じがするっていう話をしたかったね。
はいはいはい。
あ、エース、その、私たちがというよりはエーステそのものがね。
うん、てかエーステと僕たちの関係のあり方として、
もともと根っこの分の出会いでコロナがあるのはその通りだし、
そこで救われたっていう気持ちはずっと継続してるんだけど、
今、舞台を見る時にあるあり方として、
もうそういうことじゃなくて、
ただ楽しんでもいいんだって気持ちにさせてもらってからは、
ちゃんとただ楽しめばいいんだっていう形になっている。
はいはいはいはい。
だけど、なんか僕は本読んだりする時に思ってるのが、
なかなかそのね、ただ食ったくなく楽しみに戻れてない。
かもなっていう話。
ストロンみたいな本がなかなかないっていうのが、
なんかこうあったのかもなって思ったのよ。
パーティー力の衰えを感じる。
まあパーティー力の衰えを感じるっていうか、
パーティー力に関しては主に同居人がパーティーメシを作っていたことによるものだから。
てか、パーティーメシもそうだけど、
だからパーティーメシ作るから来てって言えるほどさ、
パーティーメシにさ、自信はさ、多分ないじゃん?
うん、我々はね。
我々もないし、別に当時もすごい自信があるから、
自信の手料理を食べてほしいっていうことではなかったじゃん。
やるんだったらパーティーメシ作りたいなっていうさ、
なんか寿命と虚偽が一致したみたいな感じだったじゃん。
しかもさ、それだからさ、僕らは無責任人が呼べるんだよ。
同居人がなんかパーティーメシ作ってくれるみたいだから、
パーティーしようぜって言える。
これはかなり楽。
すごい楽。
出し物考えずに、なんか開催だけ決めちゃうみたいな。
で、だからもう一個の、あのー、なんていうの?
餌としてさ、ボドゲーをやってたじゃん?
そうだね、ボドゲーもあったね。
なんかそういうのも。
そう、でも、だからそういうことをさ、ちょっとさ、
今日はさ、大人ってお家に来たら何をして遊ぶの?みたいな。
そうそう。
結局喋ってた。
喋ってた。
よっぽどパーティー力が減ってるよね。
そういうところで、くよくよっていうか、なんか気にしちゃうのが、
俺の和芸でどっかの中を渡せるなんて思えないところ。
いや、そういうことではなく、そういうことではなくね、
なんかその、なんか、みんな集まったら楽しいことになるよっていう、
なんか楽観が衰えてた。
それはまあ、私挨拶ぐらいしかしたことないからね。
まあ、今日会った人がね、なんかいい人でしたね。
楽しかったね。
うん。
っていうところでね、
パーティーの後日は後日だからさ、
ぶっちゃけどうだっていいと思ってるところもあるんだけど、
パーティー飯はちょっと身につけたいと思うようになって。
うん、変わっちゃう。
うん。
でも我々もね、タコスとか作ってるお店だよね。
作ってた。
うん。
エーステの影響
確かにね。
何でもいいんだなって思って。
何でもいいんだよね。
理由は何でもいいから、理由は何でもいいから、
人を呼ぶのが好きなんだなっていう、
めっちゃ、めっちゃ素朴なことを思い出すことができてきた。
それを思い出すのに2年かかったんだなって思って。
うん。
そしてそれは時間の問題じゃなくて、人が来てくれたから思い出したんだよね。
あ、そうそうそうそう。
悩むかいなって思う。
まあまあまあね、3人暮らしが行き詰まったのもパーティーできなかった。
てかパーティーしてたことによって、
そう。
なんか、こう、ちょっと、こう、ぎくしゃくというか、
うん。
合わないなっていうのも、
パーティー楽しいから聴けしいみたいになってたところが、
そうそうそうそう。
パーティーできなくなってガス抜きができなくなったっていうのは大きかった。
かなり大きい。
うん。
元気の出所とパーティーの計画
嬉しかった。
何があったら来てくれるのか。
その辺りだね。
てかなんか、それこそずっともうなんか目標見失った。
何をしていいかわからなくなったって言ってたことを、
なんか今だからちょっとね目標が、
パーティー?
パーティー。
だから人が来たくなるにはどうすればいいのかみたいなことで、
なんか前向きな考え事が始まってるの自然に思ってたから。
素晴らしい。
これは素晴らしいなって思った。
素晴らしいなってやった時はホタホタにしよう。
パーティーだったらいいんじゃない?
パーティーはいいかも。
うん。
パーティーって言葉あるんですか?
ということで、なんかちょっとずつこう、
元気出てきた。
元気が出てきた。
ちょっとずつ元気が出てきたというか、
なんならもうこの元気の出具合は、
ポエティックラジオを始める時の、
うん。
こう始めた時一番元気なのが、
うんうん。
そこから、そこで失っていった元気。
あー、ポエティックラジオ自体をね。
ポエティックラジオ。
この回じゃなくてね。
ポエティックラジオ始めてる時期が、
一番行き詰まりを感じていた時期だとして、
なんかその時期よりは別にそんなに行き詰まってない。
今行き詰まりのやつとして。
でもなんか自覚の上ではかなり行き詰まってたんだけど、
全体的に行き詰まりだと思ってたんだけど、
今その両方をこう、
うん。
上に引っ張り上げれるような気がしてきて、
来週にはすごい反動でずーんと落ち込んでいるかもしれない。
あーそう。
気のごとないかな。
寒くなるとね。
そう。
普通に今日は暖かいからなんじゃないかっていうさ。
そう。
疑いもあるんだよね。
そう。そういうのもある。
だからね。
そうでもなんかだいぶ分かるようになってきた。
あなたの自分への連続性の、
うん。
への信頼のできなさ。
僕もそうだったんだなって気づいたの。
うん。
なんか暖かいと元気だし、
うん。
寒いとすごい落ち込む。
湿ったりし。
ってからさ。
うん。
だけど。
大差ない。
大差ない。
大差ないからこそ、
なんかそこで、
すごいどれだけ影響を受けているかっていうことに、
なんかこう点々できるようになったし、
うん。
なんか今日みたいな感じで、
なんか数年スパンでも、
こう、
変節をね、整理することが、
うん。
できるだけの発想を得たなって思う。
うん。
食欲と感謝の言葉
喋ってたらお腹空いてきちゃった。
ね。
何食べるね。
何食べる。
じゃあ、
うん。
ご視聴ありがとうございました。
うん。
ホヘテクラジオ、
相手は私、
かけないしょうがと奥さんでした。
どうもありがとうございました。