1. 超実践的ヒモ理論〜宇宙叡智からの創造〜
  2. #5 (前編) 藤井風のこと本当に..
2025-01-22 42:28

#5 (前編) 藤井風のこと本当に感じられてるかい?

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▼今回のテーマ:

#藤井風 #ヒモ #ワンネス #瞑想 #マインドフルネス #人生 #推し活

▼番組概要:

宇宙と人類をこよなく愛する「コズミック対話」のクリエイター2人がお届けする、人類の意識を拡張するチャンネル。「なぜクリエイターに宇宙的視点が必要なのか」「意識の本質」など、従来のビジネス書や自己啓発本では知覚できない宇宙的叡智と創造の真理を、起業家、クリエイター、アーティストのリアルな深層体験を通じて紐解いていきます。気づけば細胞レベルで意識がアップデートされちゃう、新感覚・宇宙的クリエイションプログラム!毎週火曜夜配信。

▼番組ハッシュタグ:#超実践的ヒモ理論

▼体験談、質問、MCへのメッセージはこちらまで

⁠https://forms.gle/AzkJAE8XhUiFw1Jx6⁠

▼パーソナリティ

須藤美幸(ソーシャルシャーマン/宇宙人):次元を超えた対話を通じて、見えない世界の真理を遊び心たっぷりに解き明かすナビゲーター。時に笑い、時に深く静まりながら、リスナーの意識を新たな領域へ誘う。実態はただのヒモ。

⁠⁠https://chikyuyuei-from.space/⁠⁠

河畠輝(空クリエイター/宇宙人):抽象と具体の行き来でメタ認知を促す思想家芸人カガヤキマン。経営、スタートアップ、エンジェル投資の経験と深い瞑想実践から得た洞察を活かし、論理と直感の調和を体現する。実態はただのヒモ。

⁠⁠https://x.com/kagayakimann⁠

サマリー

ポッドキャスト第5回では、藤井風の音楽に対する感じ方や理解について深く掘り下げています。リスナーは彼の楽曲をどのように感じ取り、メッセージを受け取っているのか、それぞれの体験を共有しながら新たな視点を探ります。藤井風の音楽の深さや感じ方、特に若い世代との関わりについて議論が交わされます。彼の楽曲が現代における宗教的なメッセージをどのように伝えているかが掘り下げられ、多くの人々がその共鳴を感じ取っています。このエピソードでは、感覚や知覚についての深い洞察が交流され、「ワンネス」を体験することがいかに人生に影響を与えるかについて探求されています。また、藤井風の音楽がその繋がりを感じさせるかについての考えも交わされています。

藤井風を感じる
超実践的ヒモ理論〜
地球と宇宙をつなぐソーシャルシャーマンのミウミウと
物質と精神を調和する空クリエイターの輝きマンです。
マイク近くなりましたね。
抽象画とヒプノセラピーで無意識の扉を開くストーと
テクノロジーと迷走体験で人類のメタ認知を促す川端が
スピリチュアルな実体験と現世での気づきから
リスナーの意識を拡張しちゃう番組です。
さて、今回は第5回目。
テーマは、藤井風のことを本当に感じられてるかい?
感じられてるかい?
というテーマになります。
感じてますか?
風を感じてますか?と。
そう、風を、風、感じれてるっていうことですね。
そういうことですね。そういうこと。
つまりはそういうこと。
でも、感じれてますか?輝きマンはじゃあそしたら。
僕は、でもね、もう、スポーティファイで聞いてるアーティストが
藤井風しかいない。
そうなんだ。一択?
一択になってしまってる。
えー。
っていうぐらい感じてますね。
音楽の深い理解
あー、もう、感じてもいて浸ってもいますね、それは。
あー、ね、もうなんかそうっすね、お経ですね、あれは。
お経か。
僕からすると、お経みたいな。
あー、お経ね、うんうんうん。
あー、でもなんか、うん、フィーリングはすごいわかる。
賛美歌、うんうんうん。
ちょっとなんか、マントラっぽさもあるなーって思いました、聞いてて。
うーん、そうそう、いや、そうですよ。
うん。
言葉を理解するというよりも歌詞とか。
うん。
感じるよね、あれは。
言葉を。
感じてるわけですね。
感じてません?ミューミューも。
ミューミューもね、あのー、うーん、感じきってるかって言われるとちょっとわからないんですけど、
でも感じてはいますね。
うーん。
なんか、やっぱワンネス感っていうのかな。
うん、なんか、そう、あのー、大きなものとか大いなるものみたいな感じが、に使ってるみたいな感じかな。
うん。
頭で理解するっていう次元ではない、なんか、そう、わかるものではないなーっていう感覚ですね。
うん。
なんか、思考じゃないよね、わかるって。
いや、思考じゃない。
うん。
藤井和が作曲を思考でやってないですもんね。
うん、ね。
チャンネルって、そうそうそうそうやってるから、
なんかね、頭で理解するみたいな感じよりは、
なんかね、思考とか言語レベルだと処理しきれない情報が結構ある感じがするので、
そう、さっきね、この録音する前にもちょっと輝きマンと話してたけれど、
藤井和わかるって言っている人、実はマジでそれがこう、言葉に近い形でわかっている人と、
わかっていると言いながらわかってない人が実はいるよね、みたいなことは思ってますね。
うん。
そんな気がする。
うん。
どれぐらいの人が実際にこう、感じてるのかな?
いや、むずいなー、なんか、
人間としての年齢とか世代によっても、
なんかパーセンテージとか割合結構違ってそうだなーって印象がありますね。
あとなんかそう、感じるっていうキーワードを今聞いて浮かんだのが、
あのー、なんて言うんだろうな、
いやー、やっぱ藤井和、抽象度高いですね。もうこの、語るだけで言葉をすごいやっぱ探す。
言葉がねー。
そう、なんかね、あのー、この藤井和を感じるみたいなところが、
またこれも感じ方が人それぞれ対応だと思うんだけど、
なんか、むずいな、自分、自身で感じてるのと、
藤井和の感覚とか表現とかに、
なんて言うんだろう、そこになんか同調してるというか、
なんかそっちをなんか、もしかしたら表現わかんないけど、
コンテンツとか、アートとして理解してるというか感じてる?
はいはいはい。
ものもまだちょっと違う?
それこそ、なんなんっていう曲とかは、
あれもハイアーセルフからのメッセージっていう風に解説では言われてたりしますけど、
果たしてハイアーセルフはどれほどの人が知覚しているのかみたいなところが、
今話したようなちょっと1個分岐点。
そうだね。
ハイアーセルフ感じてる人なんだよ。
おそらくほぼいないっていう意識なんですよね。
ワンネスの感覚
僕の中では。
シンプルになんか面白い歌だなみたいな風に感じてる人が多いんだろうなっていう。
僕も藤井和泉が全く有名じゃないときから結構ウォッチしてて。
演奏してるときから。
藤井和泉レビューして、車で見かけてたりして、
そのとき聞いてた友達は、何この歌変な声みたいな感じだと。
変えられちゃうみたいな。
でも、あるとき藤井和泉めっちゃいいよねっていらして、その人。
5年くらい経ってから。
どこかで何か変わっての。
でもその人のあり方はもう完全にバレンシアかみたいなTシャツ着てて。
インスタとかも20万円のレシートをあげるみたいな人なんですよ。
すごいな。
そんな方が藤井和泉いいよねって言うわけですよ。
何がいいんだろうみたいな。
長年のファンである輝きまんからするとね。
何がいいんだろうみたいな感じになるわけですよ。
藤井和泉を。
それはたぶん周りがいいと言ってるからいいって言ってるだけで。
メッセージ性とか汲み取ってなさそうみたいな。
たぶんそういう人が多いなって。
ありそう。
ありそうですよね。
藤井和泉のことが好きな自分が好きっていうセグメントな気がしますそれは。
アイドルセグメントだね。
アイドルセグメントそうそう。
藤井和泉にハマってる私とか、
藤井和泉にハマってる私とか好きな私っていうところは、
だんだんそういう自分にイメージ、セルフイメージを持っていったりすると、
藤井和泉の世界観に共感してますとか、
なんかすごい私にとってほんと癒しとか、
みたいな感じに、だんだん自分自身に対するイメージが膨らんでいくような気がしたんだけども、
それはなんかもうあの、
雰囲気、
そう、なんて言うんだろうな、
でがらし?
なんかでがらしを味わってるみたいなところで、
っていう層もいるかもなーってちょっと思いました。
そのご友人がどうこうとかではなくて、
なんかセグメントとしてそういう層がいるかもなーって。
ですね。
そういう層を入れないで取り組まないと、
あそこまではでも流行らないです。
そういう意味では、
なんかこう、
現代の宗教家みたいにも見えるんですよね。
宗教だと思いますね。
そう思う。
伝えてるメッセージもそうだし、
それをちゃんと感じれてる人と、
なんとなく教会に連れて行かれて、
ただ3日聴いてる小学生みたいな人と、
それを聴いてる中で、
なんとなくその教会が伝えようとしてることを、
なんとなくちょっとずつ感じていけるみたいな。
っていう意味では、
ワンネスを世間にちょっとずつ広めてるんだろうなっていう気もしてるんですよね。
確かに。
なんかあと、
曲もそうなんですけど、
彼のそのキャラクターとか、
発言とかも結構ユニークじゃないですか。
なんかあの感じは、
私は結構なんか集合無意識が求めている、
なんかシンボルな感じがしていて、
それこそちょうどさっき私の中でピタッて繋がったんだけど、
この録音する前に、
最近のバイブスどんな感じですかって、
輝きマンに聞いた時に、
もうそのまんまって言ってたじゃないですか。
あー言ってた。確かに。
で、藤井和はどれほどそのまんまなのかは、
本人すらもわからないかもしれないけれども、
見た印象的には、
そのままですっていう感じのイメージ。
ハッシュタグが彼につくならそういうイメージがあって、
あの感じを結構集合無意識が求めているような印象はあるんですよ。
あれだけリラックスして、等身大でラフで、
なんかもう触れてるだけでゆるむみたいな、
私も私のままでいいんだみたいな、
そういう感じでなんか感じてるっていうのもある気がする。
確かに。ありがた込みですね。
ありがた込み。
ライブ行ってすごいそれ感じましたね。
2回行ったんだけど、なんか、
ライブとかだともちろん席によってはこんなちっちゃくて、
姿はとらえきれいよとかはあるけど、
なんか曲も曲でその非言語的なエネルギーを感じるけど、
ライブとかは私結構やっぱ受け取りますね。
なんか在り方、なんか、
愛の中にいるって感じがやっぱりする。
でもそれはワンネスですね。
ワンネス。
彼のとらえてる解像度でのワンネスをライブに見に来ている人が、
全員がそういうふうに理解はしていないだろうけれども、
やっぱりこう、ライブ中のどこかのタイミングとか、
なんかシチュエーションとかではちょっとそういうのに近づいていったりとか、
なんかやっぱ触れるみたいな、
なんかそういう感じの印象はあるかも。
ビバッサナー瞑想で感じた感覚と近いんですよね、
富士風の曲は。
ビバッサナー瞑想の後半で、
自分もすべてが溶けてて、
全部一緒になって、
愛でも満ち溢れる瞬間があるんですけど、
その感じなんですよね。
同じ体験をしてても、それを全く感じずに、
その瞑想、修行を去っていく人もいますし、
漫画マネジメントができるようになりました。
自分の怒りがわかるようになった、
そんな西洋人の人がいたりとか。
12日間いる?それ感じるのに。
12日間でそこの気づきで止まる?みたいな。
悩んでたのかもしれないですよ、でもそれで。
マジで悩んでた可能性もある。
そういう人は結構、王を買ったりもするんで。
その中で、愛に溶けるという体験を、
一方の輝き間をしていたわけですね。
そういう感じなのかな、富士風に関して。
同じ曲、同じ存在を感じてても、
その人の解釈とか捉え方で、
全然違うものになった。
音楽自体の感じ方が、
結構人によって、さまざまな感じもしますし。
思い返してみると、
今浮かんだ富士風のいくつかの曲は、
聞いてると確かに溶けるような感じがするなって思いましたね。
溶けるとか、
雨で洗われた感じとか、例えば。
うん。
なんかね、軽くなってく、みたいな感じかな。
曲によりますけど。
なんかね。
あ、どうぞ。
なんかそうね、
そのワンネスみたいな感覚を、
メロディーと歌詞で表現してるのがやっぱすごいなと毎回思う。
聴いてるだけで、
あの瞑想の感じちょっと、
藤井風の音楽の魅力
蘇るっていうのは、瞑想してなくて。
それってすごいことだなと思う。
曲だけで。
追体験できますね。それ聴いてるとじゃあ。
できるんですよ。聴いてるだけで。
すごい。
それはブラボー。
だから気にしちゃうんですよね。
特に、特にどの曲が印象的とかありますか?
最初は帰ろうとか、
先に満ちていくとか、
満ちていく近いですね。ワンネス感に。
わかる。あれすごい良いですよね。
タイトルがすぐ出てこない。
そこはそう。
彼も彼自身でその現世と、
そのワンネスとの葛藤を描いてる曲もあるじゃないですか。
で、ダムか。
ダム好き。
あれとかまさに、
自分の曲、過去に作った曲を自問自答しながら、
現世を、
ハイアーセルフとの会話と調和をしたいけど、
現世を味わってるみたいな、
っていう感じに僕は受け取ってるんですけど。
そういう風に感じて受け取れてる人ってどれくらいいるのかな?
いやー、ちょっと奥深すぎて、
するって言葉が出てこないよ。
もう、この話をしている感じっていうか、
この話に触れてるみたいな、
フィールしてるみたいな感覚で、
なんか言葉にするのを諦めて、
絵で表現するときの感覚に近いですね、私は。
これはもう言語領域では無理だわ、みたいな。
言語じゃないか。
確かに言語じゃない。
ちゃんと表すなら言語にならないですね、確かに。
私の音楽の普段の聞き方、
というか取り入れ方は、メロディーとかからなんですよ。
歌詞をちゃんと見るみたいなものは、
ずっとそれよりも先というか、
歌詞あんま見てなくて、
メロディーとかリズム感とか、
音楽聴いてたりすると、
体の中のテンポみたいな、
入ってくる感じなんですけど、
それが自分の今のバイブレーションとフィットしてるかとか、
心地のいいメロディーとか、
テンポ感か、みたいな感じなので、
より感覚的に、そもそも音楽を聴いてるから、
言語とか全然追いついてない、もしかしたらかも、と思いました。
富士風の場合は、そこの曲もその感覚でいけるし、
歌詞と言語との調和もすごい上手だなって思います。
曲の感じと詞の感じがマジでフィットしてる。
めっちゃ抽象度高い言葉を使いながら。
世代間の音楽の感じ方
確かに抽象度高い。
私一番最初そういえば、富士風とのご縁の始まりは、
あれですね、シータヒーリングっていうのがあるんですけど、
あれはチャネルリングかな、
それこそハイヤーセルフだったりとか、目に見えない領域に、
チャネルリングしてメッセージを教えてくれるみたいな。
そのシータヒーラーの人が、
富士風の音楽って結構ハイヤーセルフとかのメッセージなんだよ、
それこそナンナンとかが出てた時期だと思うんですけど、
そういう感じの紹介のされ方で、そういえば私入り口入りました。
最初からそっちの入り口だったんですね。
最初からそっちの入り口でした。
そうだそうだ。
ナンナン聞いて、それからいくつかの曲を聞いていく中で、
はい、スポティファイとかの、
今年聞いたアーティストランキングの上位にどんどん富士風が入っていくみたいな。
そういう風に聞くようになりましたね。
聞いちゃうよね。
なんかね、絶妙にオシャレじゃないですか。
曲もね。
歌詞の言葉的なものと楽曲のピット感もそうだなってさ、聞きながら思ったんだけど、
なんかセンスの良さっていうのかな。
それがすごく、今時というか、時代的だなって。
うん。
なんかそれ、今感じたな。
いや、ほんとそうで。
彼って曲のテクニック的なところでも、かなり高度なことしてるんですよね。
クロートの人が見ても、そこでその高度進行を使うみたいな、
方程式にずれてますけどみたいなことをやってたり、
結構、現代の音楽業界的にも、すごい新しいことをしてるんですよ、彼。
それもすごいなって思って。
そういうことをしながらも、ワンネス感も伝えてるっていう。
やっぱりいろんな要素が組み合わさっている。
だからこそ、こんなに伝えられてるのかなって感じもありますよね。
ほんとに現代の宗教家ですね。
うん。ほんとに現代の。そうなんですよ。
うん。
なんか今ふと思ったのが、
どのぐらいの人が富士風の風感じれてるかのところなんですけれど、
私のフィーリングだと、なんか若い世代になればなるほど、
言ったら、ハイヤーセルフとのギャップが比較的少ないとか、
なんか人間に転生してくる前の記憶を割と保持していたりとか、
なんか純粋にもう地球初めて来て、
地球エンジョイみたいな、っていう軽やかな魂が多い印象があるんですけれども、
そういう、ほんとに小学生とか、そのぐらいの魂の皆さんは、
富士風をどう感じてるのかなっていうのはめっちゃ気になる。
どうなんだろうね。
なんか、輝きマンキッズとかは聞きます?富士風。
輝きマンキッズはね、車の中とかで流してるから、
キラリとかよく歌ってましたね。息子が口ずさみながら。
でもここまでの深い気づきはまだないでしょう。
じゃあ、違った形でのフィールをしてるわけですね。
そうね、普通に。
音楽として。
音楽として楽しんでる。
そうね。
嫌な?
うーん、なんか、
いや、マジなんなんって感じなんですけれど、
なんかね、なんでそれがちょっと気になってるのかな、みたいなところでいくと、
これだけ伝わるとか届くっていうことは、
人々の何かの金銭に触れてたりとか、
場合によっては何かに反応してるからだと思ってるんですけど、
何に反応してるんだろうなーとか、
何の金銭に触れてるんだろうなーっていうのを思って、
なんかその金銭に触れるとか反応するっていうものが、
若い世代、地球に新しく来ている魂たちとかは、
なんとなく感じ方が違ってそうな、ちょっと私の思い込みかもですけど、
あって、反応するとか金銭に触れるじゃない感覚なのかなーって。
もしかしたら、だってそうだよねって、
何の違和感とか疑問すら持ってないくて、
触れてるとかもあるのかなーって、
ちょっとそんなところで、なんか気になりました。
逆に面白みがないかもしれないですね。
そうかも。
最初からある感覚だから。
そうかも、そうかも。
しかも富士風のファン層って結構年配多いですよね。
年配多いです。
上の世代多い。
僕はやっぱ、年取ってから仏教ハマるみたいな、
そういう質感なのかなーって。
しかも、もしかしたらね、
職場の若い子とか、
息子、娘とかも聞いてるから、
一緒に聞いてたらドハマりしちゃったみたいなパターンありそう。
音楽と宗教的体験
なんか話してて思ったのは、
僕の場合は、ビバッサナー行って、仏教の真髄になんとか触れて、
ワンネス感じたっていうプロセスですけど、
そのしんどいプロセスを経ずとも、
フランクに仏教の真髄をなんとなく感じさせてもらえてるのが、
富士風なのかなって。
それに触れてるから、
何かを手放すとか、
ちゃんとしなくてもいいんだって感覚とか、
そういったものを世界観で表現してる。
仏教っぽい質感の世界観を聞いてみるだけで体験させてもらえるっていうのがある。
そういった意味だと、やっぱり現代の宗教家ですね。
お坊さんの説法で、結構エンターテイメント性のある説法とかもともとあったと思うんですけど、
京都とかに確かそういうのあったと思うんですけど、
それのさらにエンターテイメントというか、
すごく歌もエンタメだと思うので、
広がるのがすごい早いし、
繰り返し聞くことによって、
まさにさっきの輝きマンが言ってたみたいに、
追体験できたりとかも、
無意識にすり込まれていくから、
すごく日本にマッチしてる気がするな、やっぱ。
この集合無意識の壮大なアップデートをしている宗教家。
確かに。
それですね。
必要な存在ですよね。
必要な存在ですね。
多分僕が芸人になった理由もそこにあるんですよね、結局。
お、来た。ついにまだこのラジオで語られていなかった。
あれ、語ってなかったでしょ。
深くは語ってないですよ。
クークリエイターについてはまだそこまで語られてない。
要は藤井家でも僕の中ではクークリエイターなんですよ。
質感をクリエイトして世界に届けてるっていうことなんですよね。
でもクーっていう感覚をクリエイトするって結構矛盾する。
言葉だと実装だと矛盾するんですけど。
確かに確かにクーはクリエイトできない。
できないけどそれをしてしまうのが音楽でありエンタメでありっていう印象があるんですよね。
うんうんうん、確かに。
輝きまんとかは、あ、ごめんなさい、詐欺いちゃった。どうぞどうぞ。
輝きまんも音楽ではない形で同じようなことをネタでしてみたいっていう感じですね。
おーめっちゃいいですね。
やってることは結局それなんですよ。
人類の意識のアップデートをしたいっていう。
うんうんうん。
あの、私がさっきちょっとこう、はさみかけたのは、輝きまんはネタが滑った時に自分がクー感じちゃってるんですよね。
確かに。
そういうクリエイションもあるね、クーの。
ねえ、これは感じてはいるけれども、ワンネスでは、場のワンネスではちょっとないですもんね。
場のワンネスではない。
一人でワンネスになっちゃってるだけ。
一人であれはね、ちょっと違うクーなんだよな。
うん。
陰陽でいうとこのなんか、逆サイドというかなんだろうな。
うーん。
でもね、クー体験なんですよね。
いなくなるんですよね、すべてが。
おー、すべてがいなくなる。
いなくなる。クーだってなるんですよ。
あー。
そう、だからワンネスが全部感受であるとすると、それの真逆を体験する感じです、クー。
確かに確かに、何にもないから感じですらもいないみたいな。
でもその感覚とワンネスの感覚は、両極にあるんですけど。
両極でありながらも、めっちゃ近いんですよね、質感も。
うんうんうん。
陰陽の白と黒の、交わる感じです、僕の中では。ワンネスの感覚は。
何もない感じっていうのは。
感覚と知覚の探求
確かに、あの、感じるっていう感覚とか知覚があるっていうことは、感じてないっていう方も知ってないとできないから。
あー、ごめんなさいごめんなさい。
何もそういう意味で、そこが相対として共存しているような気がしますね。
うんうん、確かに。真逆の感覚があるからこそ感じてる。
うん。その真逆の感覚をそもそも超越していったら、もう感じる感じないっていう概念すらなくなっていくと思うので。
うんうん。
感じてることすらわからん。というか、近くから抜けるだろうから。
ゆえに、ワンネスみたいなこう、感じてるみたいなものがあるんだとしたら、その感じている分だけ、マジで何にもなくなる空みたいなものも同じだけ。
普通聞くと私はもう、あの、重牛図の映画も一気にすごい勘でくるんですよ。
8番目ぐらいのあの、私結構あれ、なんか私の中ですっごい印象深く残ってて、誰もいなくなるっていう映画結構斬新だなーって。
あー、はいはいはい、ありますね。
はい、なんか牛、あの重牛図興味ある人は重牛図ってググっていただくと出てくるし、
あの、ちょっとわかりやすい重牛図みたいな本もあるので見てもらいたいんですけど、最初は超ダイジェストでいくと、
あの、牛を捕まえてみたいな感じで、牛を一生懸命こう、パワープレイで捕まえて、こう引きずって村に帰って行ったりとかしたら、
あー、牛も手に入ってめっちゃいい人生やなーみたいなことを感じたら、すっかり牛のことも忘れて、ここまではなんとなく想像つくけれど、
最終的に自分もいなくなるみたいな、ちょっと空になるみたいな。
はいはいはい。
えーって感じで、私結構好きなんですよね。
もういなくなっちゃってるっていうのが、好きででもなんか、うんうん、そういうイメージも湧きながらちょっとこう想像しました。
うん。
質感近いっすね、確かに。
なんかね、満たされてるというか、相対的に捉えるものがなくなる?
それこそ牛を捕まえたい、捕まえられないみたいな相対から、もうすでにあるみたいな。
あーそう、あるですね。
あるっていう感覚になると、あるっていうことを意識的に感じないと、もうあるっていう感覚自体が抜けていく?
だから、ある意味消えていくって感じですよね。
はいはい。
あるはずなのにないみたいな。
うんうんうん。
うん。
あー、まさにまさに。
うん。
いやでもその感覚、ね、心地いいですよね。
心地いいですね。
うん。
なんか、私の感覚だとこの、あーいや、ワン、ワンですね。
なんかワンですわー、あのー、ちょっとこれなんで笑っちゃったのかも含めて話すと、
空っぽになっていく感覚とかはわかる。
わかるというか、体感してるから、知覚できている。
こう、瞑想しているときとかに、なんかスーってこう、なんか流れ去っていく感じとか。
うん。
うん、なんかある。
し、こう、大いなるものとつながっていくとかはあるけれど、
さっきフフッて笑ったのは、なんかいろんな命とつながってる感とかは、
ちょっとこう、なんだろう、視覚レベルまでまだわかんないかもなーっていう風にちょっと思いました。
うーん。
それは、藤風のライブみたいな感じで、あのー臨場感を持ってその場に行った場合は、
あーなんかここにいる人たちとみんなワンネスみたいな感じには多分なってるんですけど、
なんかね、うん、視覚的にそういうものがあったらわかるが、
なくてもワンネスを感じる方とかもいるじゃないですか。
はいはい。
見えないものも含めて。
その域まではちょっと、私もわかってないかも?
もしかしてやってるかもだけど、気づいてない感じがした。
藤風はなんとなく、それをちょっと捉えてそうな気もしました。
うん、捉えてそう。
藤井風の音楽の影響
うん、じゃないとああいう曲書けない気がするんだよな。
うん、何かと繋がんないとあれはね。
うん、その辺がやっぱなんか、あのー滲み出る愛感なのかな?
いやー、そう。
そう?
うん。
でも、その愛感をね、保つのが僕は難しいと思うんですよ。
あー、うんうん。
このビパッサナー行った後、その愛感に結構1ヶ月ぐらい包まれてて、
本当に深いものですか。
うん。
全部座ってるだけで、全部繋がってるみたいな。
そうするとね、なんか人生的にはちょっと距離感バグるんですよね、人との。
ははは、はいはいはい。
そう、なんかね、ちょっと今その感覚だいぶ過ぎちゃってるんですけど、
その直後にいろんな同僚とご飯食べに行ったりすると、
うん。
なんかね、みんなの幸せめっちゃ願って涙出るんですよ。
ははは、うん。
この人に幸せになってほしいなーみたいなことを本当心から覚えた。
あー、あなたは私、私はあなたみたいな領域ですね。
本当にその感覚になってて、1ヶ月ぐらい。
うん。
おーれすんげー幸せだなーみたいな。
でも向こうはオトカーですよ、その言葉を伝えて。
まあまあまあまあ。
わかんない。
大丈夫?みたいな。
大丈夫、でもめっちゃ心からそれを感じてて、その直後の1ヶ月は。
うん。
なんかそれは距離感バグってましたね。
うん。
こう、やたらハグとかしたくなるみたいな。
あー、うんうんうんうんうん。
なんかね、だから人見知りがめちゃくちゃなく、てか皆無になりました、その1ヶ月だけ。
あー、その1ヶ月だけ?
うん。
まあ今はもうそんな人見知りっぽい人見知りはないじゃないですけど、なんだろうな。
でも本当にこう、なんかゼロゼロ距離みたいな感じでした。
うーん。
その感覚をずっと保つのが大変ですよね、現世にいると。
そうですね、現世はね、やっぱその、区別とか、分かれているみたいな場所ですからね、別の個体として。
現世にいてその在り方でこう接しても、現れる現実はやっぱ区別とか分別なんで、
どうしてもその感覚を瞑想修行で手に入れたとしても薄れてっちゃうんですよね。
うんうんうん。
富士風がどんだけそれを保てているのかっていうのがすごい気になります。
いや、いや、どうだろう。
わか、わか、わかりぬんティウスなんですけれど、
わかりぬんティウスはわかっちゃってるか。
あの、わからないティウスなんですけれど。
42:28

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