はーい。よろしくお願いします。
全然前世ですよ。思い出せない。
全然前世。
いや、わかる。
全然前世って、もう相当前だからね。相当前なのよ。
相当前ね。
でも、それぐらいの感覚があるね。
いや、そう。
その時のことを思い出そうと思うと。
何回かこう、段階を踏んでる感覚があるって。
そうだね。もう、あの、セピア色を通り越して、ちょっと白黒だもんね。記憶が。
そう。白黒。
白黒よね。セピアも超えちゃってるよ。
超えてる。しかもフィルムがちょっとこう、かすんでたり、ちぎれちゃったりしてるから。
わかる。わかる。
こう、なかなかそこが見えないみたいな。ぼやけてるみたいな。
ちょっと途切れてるんだよね。途切れたり、ぼやけたりしてる。
途切れてんのよ。そうなのよ。
途切れてんのよ。
っていうのがね、ちょっとね。
ちょっとね、あの、ノスタルジックな思い出に、こう、あえて、あえて、どっぷり浸りながら思い返していくという回ですね。
そういう回ですね。成人発達性理論ってね。
そもそもリスナーの人、結構知らない人、いそうなんで。
ぜひご説明くださいよ。
はい。成人発達性理論は、ハーバード大学のロバート・キーガン氏が提唱してるモデルですね。
大人の知能は20歳で前後、20歳前後のピークを迎えると考えられてましたけども。
そうではなくて、20歳を超えてからも、その精神的な発達であったり、物の、世界の見え方、捉え方っていうものは変わったり、深まるっていうことを提唱してるものですね。
で、この中でも5段階あるのか。5段階あって。
うん、段階がね。
で、第一段階が具体的思考段階。
なんで、まぁ赤ちゃんか、これは。もう自分しかいないみたい。自分以外何もないみたいな感じ。
で、第二段階が道具主義的段階。
それは成人の約10%がこの段階なんだね。死ぬまでも多分10%ずっとこの段階っていうので、それは損得とか自分の欲求が判断基準っていうところ。
うん。
だからなんだろうね。
これ食べたいって言ったら、もう絶対ピザ食べたいみたい。
はいはいはい。絶対もうこれがいいと。
これ以外考えられない。他の人のことはどうでもいいからこれをしたい。
で、周りの人を道具のように使いながら自分の目標を達成していくっていうのが、この段階2の人なのかな。
うん。
で、その次の段階3が、これは成人の約70%だからほぼほぼの人たち。
ほとんどですね。
ほとんどの人たちはこの段階です。組織や周囲の期待に従う段階。
だから自分の意見よりも集団のルールとか、コンプライアンスとかそういったもの、他社からの評価を優先する環境人の方の考え方だ。
まあまあまあ、みんなゴロゴロ言ったよね基本的には。大企業とかに勤めてたらね。
そうだね。
ね。だから企業家とかでもね、周りから投資家からの期待とか、そういった企業に勤めてなくてもこの段階の人は多いだろうなっていう感じだよね。
うん。うんうんうん。
で、その次の段階が自己主導段階。これが成人の約20%。
ここの段階になると自分内の価値観や基準で行動できる。だから周りがこうするからこうするんです私は。
私はお父さんがこうやれって言ってたからやるんですじゃなくて、自分はこうしたいからこうやるんですっていう心だよね。
自分の価値観があって自律的に決定できる段階なんか。なので自己主導型段階だと。
うん。
だからちょっとね、段階2と近しいところも感じながらも、段階2だと人を道具みたいに扱うけど、段階4だと自分の価値観とかを大事にしながら周りの価値観も大事にするのかな、これは。
そうだね、なんかこうクリエイティブとか想像的ななんか自己主導っていうイメージがあるね、第4段階は。
うんうん、そっか、確かに。欲求だけじゃなくて、もっとこう、もうちょっと、そうだね、ちょっと価値観が、価値観の主導な感じ。
そうだね、自律性みたいなところも結構分岐かもね、2と4は。
うーん、確かに。
うん。
なるほどね。で、これがまあ成人の約20%ですと。で、段階5、5に関して言うと成人の1、ここにくると1%未満、自己変容、相互発達段階。
うんうん。
というところで、自分の価値観すら客観的に捉えて、多様な矛盾や視点を統合できる段階ですと。
うん。
なるほど。だからこれは、そうね、だから自分の1つの価値観っていうものだけにとらわれず、いろんな自分がいるってことも把握しながら、全てを統合できてる状態ってことなのか。
メタ認知の視点が結構、自覚的にというか意識的に使えているというか、活かせているような印象がありますね、この第5段階は。
うん、そうね、メタ認知した上で、それぞれの各下の段階の人たちとも、それを理解した上で関われるみたいな感じなのかな。
そうだね、なんか、私はこう思ってるんだな、あなたはそうなんだね、終わりみたいな感じなのが、そこに解釈とかがないというか、そんな所感ですね、第5段階は。
ね、確かにね。
さらにここには、第5段階以降もね、確か言ってるんだよね、経過も。
うん。
多分それが、多分我々の言う所の紐的な感じなんだろうな。
毛皮ね、毛皮が出てくるわけですね、そこに。
毛皮フェーズですね、第5段階以降は。
はいはいはい、毛皮フェーズが出てくる。
もう価値観も、何でもいいと、どうでもいいと、全部一緒だと、もうすべて見られましょうという、そういう段階なのかな。
なんかね、どっかに書いてあった気もするけど、そんなフェーズが紐ですと。
ただ紐になっちゃうと、この特に第1、第2段階とかも、結構ね、うど覚えなんですよ、結構。
ほう。
この時代をね。
そう、ってことがね、最近感じまして。
第2段階を感じるっていう、ちょっとしたワークがあったんだけど、それぞれの段階を感じるみたいな。
第2段階だけ、全然出てこなくて。
へー。
そう。
あんまりイメージないね、確かに輝きマンに。
いつだったっけみたいな、自分がこう、自分の欲求だけで人を動かすみたいなことがないなみたいな。
眠いときと、すっごくお腹すいたときぐらい。
眠いとき。
でもお腹すいたときもならないな。眠いときだけかな。
うん。
眠いときだけは寝る。
うん。
それぐらいなんだよね。
うん。
そう。
そうなんだよ。
懐かしい。
小さい頃のエピソードとかもちょっとね、思い返しながら考えてたんだけど、第2段階を発揮した自分みたいな。
はいはいはい。
でもなんて出てこないんだよね。
なるほどね。
お泊まり会とかで、友達ともね、みんな遊んでるんだけど、一番最初に寝るの。眠いと。
あ、そなた?
そう、私ね。私はみんなが遊んで、遊ぼうよって言ってる中でも、俺は眠いから寝ると。
はいはいはい。
っていう記憶しか読み換えなくて、第2段階。
もう、ただただ自分のペースを大事にできる人っていうか。
そうそう。そうだね。
自己主導だけどね、ある意味。
自己主導なのか、それは。でも質感としては第2なんだよね。寝ます。
なるほどね。
おやすみなさい。
はいはい。
あとは遊んでね、みたいな思い出として出てこなかったんだよね。
あ、そう。私さ、この第5段階をね、今の説明も聞きながら、文字でもね、今この話しながら見ているわけなんですけど、
考えてみると、案外今でもあるかなって気がしましたよ、私。
どの段階が結構、第2?第3?第4?
第2もそうだし、全部、全部ね、今でもあるかもなって思いました。
あると思う。私はもう第3すごい出るね。
第3、ひもだからね。ひもだから、ぬだねえられるもんね。
そうだね、なんか、この成人発達理論って、便宜上、より上位の段階になるとね、下位の段階を包含しているから、
もちろんね、そこの生き生きというか、全ての段階の性質が表出する可能性があるっていう前提だと、私はまず思っているんだけれども、
なんかね、今輝きマンが、その第2段階だった記憶ってどこだったかな、みたいなふうにおっしゃってたのがね、
もう、オレッチは今ピザが食べたい。絶対ピザを食べたい。ピザ持ってこい、みたいな。
まあちょっと、ジャイアニズムみたいな感じだと思うけど、
どうだろうな、私が自己解釈を通した上での認識だと、私、この結構、利己性みたいなところは、今、なんか、なんだろうな、
結構、人の気持ちを優先するとか、それこそね、第3段階の他者依存段階っていうところは、
もう、自分がというよりかは、環境に合わせていくから、周りがっていうところを優先してて、
第2段階は、どっちかっていうと、本当にもう、人のニーズとか周りがどう思ってるかっていう、その概念がたぶん存在しないみたいな。
私がピザ食べたいんだから、みんなピザ食べたいだろう、みたいな、たぶんそういう質感なのかなって思うんだけど。
そうだね。
他者の視点が入ってないっていう感じだと思うんだけど、
でも、他者の視点が入ってないっていうところでいくと、完全な第2段階ではないかな。
でも、なんで自分が今でも全部あるなって思ったかっていうと、
じゃあ、前々世ぐらいのところの話いきましょう。
期待。
私も、輝きまんもね、この5円の元々の起源、起源、原初の記憶にもなっていくけれど、
コーチングっていう学びの場が、我々ね、何年か前に通過してきたわけですよ。
はい、はい。
で、コーチングって、輝きまんと私は厳密にスクールが別だから、流派がちょっと違うので、
私が通過してきた流派のところだと、
もうセッションしているときだけではなくて、常にコーチであれ、みたいな考えで学んできてるんだよね。
で、そうなっていくと、経験が浅いというか、
全てのシーンにおいてコーチであれっていうのは、今でも理解はできるんだけど、
当時の僕ちんは、もう前々世のみゆみゆは、いわゆる環境順応的な感じのスタイルになっていったわけです。
相手の本心は何かなとか、相手はどうなのかなとか、
さらにコーチングセッションって、クライアントさんの意思を大事にして、その人の中に答えがあるから、
もう目の前の人ありきっていうふうに私は捉えてきたわけです。
コーチングを通じて、人によってはクライアントさんにこういう体験を届けたいとか、
こういうふうになってほしいみたいなものとかが結構語られてたんだけれど、
私も多分そういう時代があったと思う。
もうマジで覚えてないけれど、そういう時代があったと思うが、
なんかどこかのタイミングというか途中ぐらいから、
コーチングはクライアントのためにあるというよりかは、
自分のためにやってるなっていうのをすごく感じるようになっていって、
自分の直感力っていう才能を発揮していく場面とか、
人に対して影響を与えているなっていう手触り感とか、
そういうのを感じるものだな。
私自身が自分自身の人生を耕したりとか探求していくことの、
研究成果の発表場所だなみたいなふうに思うようになっていって、
今のその第二段階なのかどうかはちょっとわからないけれど、
自分のためなのか相手のためなのかみたいなものの、
ちょっとこの相対関係を感じたのが、
私何かでコーチとしてオンラインセミナーで登壇する機会があって、
その時にファシリテーターの人にいろいろセッションでどういうこと大切にしてますかとかっていう時に、
ファシリ側の人はその会の目的的にはクライアントさんにこういうふうな体験を届けたいとか、
クライアントさんのためにみたいなものを多分期待してたんだと思うんだけど、
私がもうその時はもう自分のためにやってますスタンスになってたから、
なんかその時の記憶が結構その相手に合わせるとか、相手のニーズを届けるっていうスタイルとその真反対に、
私がやっているスタイルとか、私が私自身に向き合っているスタイルの、
なんか作りすぎたシチューを人にお渡ししてるんですけどみたいな、
そういう感じで、これはなんかスタンスの違いだなっていうのを結構感じた記憶があって、
で、これは私はもう今でもあらゆる活動とか仕事とかも、
人のため誰かのためにやるっていうものは、
もうまだいくつかはあるけれど、これはどんどん減らしていってるの実際。
なんかね、人のためにやるみたいなものはどこかで見返りを求める自分が出てくるなっていうのを分かっているから、
こっちからこんなにやってんのにみたいな自分が出てくるのを知ってるから、
自分自身がこういうサービス欲しいなとか、こういう体験を自分自身がしたいなと思うものだけやっていこうっていう風に決めたのは、
場合によっては第2段階的かもだし、第4段階的かもしれない。
自律的であれば第4段階だと思うんだけど。
私はこれ以外はやりたくないみたいなところの側面も自分の中にはあるから、
その場合は第2段階的かもしれないなっていうのは見ててまず感じたところかな。
なるほどね。
確かに同時に全部が起こってる感じだね。
そうだね、起こってるね。
もう段階も我々が理解しやすいように便宜上決めてくれているものだと思うので、
やっぱりまたがってたりとかグラデーションとか境目は本来ないものだとは思うから、
結構そういう行き来とか被りとかはあると思う。
あともう一個、第1段階とか目に見えるもので判断するみたいなものは、